第794回「文政権は狂気の沙汰」

 深谷隆司の言いたい放題第794回

 「文政権は狂気の沙汰」

 これは2017年9月20日の夕刊フジのタイトルで、韓国についての私の発言が写真入り、4段抜きで大きく載っている。

 当時北朝鮮が米国領グアムに届くような弾道ミサイルを発射したが、文政権は同盟国として当然批判すべきなのに、むしろおもねるように8億円を超える人道支援を検討したり、特に日本に対しては隙あらば事実無根の慰安婦や徴用工問題を蒸し返そうとしていた。

 私が通産大臣時代には親日派の友人が多く居たが、政権が変わるたびに「反日」が政治的安定のために使われるようになり、親日派は影を潜め埋没されていった。こうした国とはもう同じテーブルに着くのをやめていいのではないか、日本や極東アジアの安全保障に資することは少ないだろう、と記事で結んでいる。

 はっきりいって、今や、私の予言よりもっと文政権は左翼的に距離をおき、もはや同盟どころか敵国かとさえ思えるような状態になっている。

 徴用工訴訟で韓国の最高裁は資産差し押さえを認める決定を下した。この判断は史実をゆがめたとんでもない暴挙だが、これについて韓国政府は責任ある態度をとろうとしない。それどころか「司法手続きの一環」などと人事のような言い、それどころか、文大統領は年頭の記者会見で「日本の政治指導者らが政治的争点とし、論争を拡散させているのは賢明な態度ではない」と反発しているのである。勝手な日本批判だ。

 1965年の日韓国交正常化に伴う請求権協定で、日本は韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの供与を約束し、請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」と明記されている。無償の3億ドルには個人の被害補償の解決金が含まれている。これは国際法上明確な事である。日本からのこの資金で韓国は奇跡といわれる経済発展を果たした。

 文氏は「三権分立の原則で司法判断は尊重しなければならない、日本もやむを得ないとの認識を持つべきだ」とも言っている。しかし、韓国では大統領に権限が集中し、司法にも影響力を行使できる。今回の訴訟で判決を下した最高裁長官は文氏が一昨年、地裁所長から抜擢した左派で鳴らした男である。

 韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に火気管制レーダーを照射した問題でも、韓国はこれを認めず、海自機が威嚇的な低飛行をしたと事実に反する主張をし、なんと日本に謝罪まで要求する破廉恥振りである。

 韓国は自由、民主主義、法の支配といった価値観を共有する同じ陣営に属する国と言われて来たが、実はまるで異なる国、大きな勘違いだったのである。

 日米韓3カ国が協力して、台頭する中国に向き合っているなどというのも幻想に過ぎない。

 日本にとって韓国が重要な国であるとされてきたのは、東アジア地域における日米韓協力の枠組みを前提にしているからだが、それはすでに崩れている。

 はっきり言って、韓国と関係が悪化しても日本としてはほとんど困ることは無い。中国と違って韓国は脅威でもなんでもないのだ。無理して関係改善など考える必要はない。日本政府は毅然たる態度で接すればいいのである。



第793回「天覧相撲」

 深谷隆司の言いたい放題第793回

 「天覧相撲」

 1月20日、初場所8日目、天皇皇后両陛下が大相撲の取り組みを観戦された。元日馬富士の傷害事件などの問題から昨年の初場所に相撲協会がご辞退申し上げ、以来2年ぶりの観戦となった。しかも、4月には譲位されるから両陛下にとって最後の観戦となる。

 貴賓席にお出ましになると、場内の観客は総立ちになり、手を振られるお姿に感動のどよめきが起こった。私はすぐ下の桟敷にいて、思わず万歳を叫び涙を流した。

 私は昭和天皇のご逝去による「大喪の令」、そして今上天皇の「即位の礼」に大臣として陪席している。

 特に陛下がまだ皇太子の時代、私は労働政務次官で、責任者として開いた「アビリンピック(身体障害者技能選手権大会)」にお出ましいただき、お二人を直接ご案内申し上げたこともあった。

 大臣時代には何度か直接ご進講申し上げる機会を得た。内容は明かせられないことになっているが、その度に鋭いご質問をされた。あらゆることにご精通されておられる事に驚かされたものである。

 歴代陛下はご立派な方々であったが、特に今上両陛下は国民への思いが深く、ご高齢で病弱にもかかわらず、時に災害地に何度も足を運ばれ、膝を折って被災者と同じ目線で慰め、時に第二次大戦の激戦地に赴きお国の為に散った人々を哀悼された。天皇のお仕事は「国民のためにひたすら祈ること」と言われるが、まさにそれを実践された御方であった。

 弓とり式まで幕内9番をご観覧になり、いよいよお帰りになる時、場内全ての人が再び総立ちになり、万歳の声とともに「ありがとうございます」の声が響き渡った。本当に国民に愛されておられるとしみじみ思い、又胸が熱くなった。


 私は二所ノ関部屋の後援会長を長年務めているが、たった1人の関取松鳳山は今場所出来が悪かった。しかし、なんと天覧相撲で大関高安を見事に破って3勝5敗となり溜飲を下げた。

 場所後、浅草ビューホテルで力士を招いての恒例の宴会となった。この日は来なかったが横綱白鵬贔屓の徳真会松村氏の主催である。

 友綱親方以下十両の旭大星関、旭秀鵬関等が出席したが、この日は2人とも勝ち名乗りを上げた。友綱親方とはかねてからの昵懇で、依頼されて部屋の看板の字は私が書いている。

 15日には、横綱稀勢の里の最後の取り組みを目前で観戦、この日は奇しくも天皇皇后両陛下最後のご観戦に立ち会った。感慨無量であった。

 酒では力士に負けない私、痛飲三斗の夜となったことは言うまでもない。



第792回「明暗様々」

 深谷隆司の言いたい放題第792回

 「明暗様々」 

 横綱稀勢の里が引退した。平成29年、実に19年ぶりに日本人出身力士として横綱になり、多くの期待を担ったが、次の場所で左胸に大きな怪我を負った。それでも強行出場して逆転連勝を果たして大喝采を浴びた。しかし、治りきらないまま次の本場所に臨み、悪化させては再び休むという悪循環となった。

 取り口は真摯、不器用だが真っ向勝負が常だった。勝っても驕る素振りは全くなく、静かに勝ち名乗りを受け引き揚げて行く姿に、武士道の「惻隠の情」「抑制の美学」があった。

 8場所連続休場でなく、もっと早く引退すべきだったという声もある。いや最後まで闘った事がよかったと言う人もいる。ここは議論のあるところだ。

 自分が政界引退した時のことを思い出す。あの時の私の思いは「花は愛惜に散る」であった。

 実は15日、私は土俵下の「溜まり」に座っていた。テレビで一番よく映る場所でいつも多くの人から連絡が入る。東京場所の時は一度だけ座ることにしているが、この日は栃煌山との戦いを目の前で見ることになった。もはや横綱の力は全くなく相撲の取れる状況ではなかった。

 負けて私のすぐ二人隣に座ったが、目を閉じてしばらくすると静かに何度もうなずいていた。もしかしたら奇しくもこれが最後の勝負になったかと思い、帰宅して家族に語ったが、まさにその通りになった。

 年寄り「荒磯」になる。今後は弟子たちを怪我のない強い力士に育て、是非日本人横綱を生み出して欲しいと、ねぎらいと感謝の心を込めて祈っている。


 私に長年タップを教えてきたJAM TAP DANCE COMPANYの加藤邦保、保土塚千春両君が、念願のスペシャルタップショーを池袋の「あうるすぽっと」で1月17日から4日間開催した。

 日本のトップクラスのタップダンサーが勢ぞろい、生バンドを背景に見事な踊りを披露、満員盛況の観客は大喝采を送った。

 元来タップはマイナーで、あまり脚光を浴びる機会がない。しかし彼等は必死になって技を磨き努力を続けている。

 娘恵理の成人式にタップを披露してみんなを驚かせようとしたのが彼等との縁の始まりで、以来、30年以上、今は孫安希与と折りあるごとに彼等の指導でタップを練習している。

 彼等は何度も挫折し、1年半ばかり私の事務所を練習場としたこともあった。

 ある時、彼等に色紙を頼まれ、私は「夢を求めて生きることの楽しさよ」と書いた。この言葉が彼等の大きな励みとなって、今回の大会につながったと言う。なんとこの大会のタイトルはこの言葉であった。

 華やかな見事な舞台を見つめながら、過ぎ去った思い出を噛みしめ、思わず目頭を熱くした。「努力した者が報われる」、そんな世の中であって欲しいとしみじみ思うのであった。