第722回「熱い思いで、東奔西走」

 深谷隆司の言いたい放題第722回

 「熱い思いで、東奔西走」


都議会選挙が近づいて、毎日忙しい日々が続く。政界を引退して、悠々と暮らせる筈だったのに、後輩の(と言うより弟子達)の当落を考えると目が冴えて眠れない時もある。他人(ひと)のため何故こんなに苦労するのかと思われそうだが、基本的はとてもいい人材揃いだから、是非勝たせて、この国(あるいは都、区)の為に働かせたいと真剣に願っているからだ。

今度の都議選挙を見ると、正直言って、ろくでもない連中が多く出ている。小池旋風にあやかって、この機会にバッジさえつければいいと考える軽薄な連中にはうんざりだ。政策も無く、政治の道で苦労しているわけでもない。

「巧言令色少なし仁」と言うが、小池知事にしても、言葉巧みに、なんでも自分が正義といった顔である。実際は豊洲市場問題で代表されるように、何の答えも出せずに、都民のお金を空しく捨てているだけではないか(豊洲市場維持管理は1500万円、業者への補償金も加えれば、現在だけでも125億円の損失と試算が出ている)。問題があると、前任者がちゃんとやらなかったからと平気で他人の所為(せい)にする。

テレビで保坂三蔵君が、「ミスター自民党と言われていた」とか、息子までが「自民党が駄目だから都民ファーストから出るのだ」と平気で言っていたが、私から見ればみんな嘘ばかりだ。自民党公認が欲しいとあれだけ騒いだことなどすっかり忘れたフリなのである。ホームページで服部区長の推薦文を勝手に載せて大騒ぎになり、あわてて取り消した醜態まで演じていた。

「政権交代」の宣伝文句でブームを起こし、政権を得た民主党の体たらくぶりはどうだったか。日本の政治は大混乱したではないか。あの時の大失敗を、全ての人に想起して欲しいと強く思う。古い言葉だが「出たい人より出したい人」で投票して欲しいものである。

6日、文京区なかや文孝君の決起大会がシビックホールで、7日、台東区いずみひろし君は浅草公会堂で、更に8日、中央区石島ひでき君が日本橋劇場で夫々大会を開いた。満員盛況で、なによりも開場全体の勢いがすばらしかった。

決して油断することなく、真摯に政策を区民に訴え、勝利をかち取って、都民のため区民のために人生をかけて働いてもらいたいと心から念じている。私も全力で支える決意である。


8日、大阪経済大学の講義のために早朝から出かけた。5回目になるが若い学生を教えることは楽しい。テーマは「通商産業政策の課題」。

いつもなら友人の松本さんに連絡するのだが、体調を考えて遠慮した。

夕、徳永学長、佐藤理事長、小川経済学部長らと会食したが、これも楽しかった。

 日帰りの新幹線で、心地いい酔いの中、選挙対策のあれこれを考えていた。




第721回「人、色々」

 深谷隆司の言いたい放題第721回

 「人、色々」


529日、舛添要一前都知事が1年ぶりに自宅に尋ねてきた。今度小学館から「都知事失格」という本を出すが、誰よりも先に私に届けたいとのことであった。200万人以上の支持を受けた絶頂期から、あっという間にマスコミを中心に大バッシングを受け失脚した知事である。問題点が無かったとは言えないが、全てが悪と決め付けられ、人民裁判に掛けられたような状況が続き、中には執拗に子供を追いかけた記者もいたという。世相の豹変ぶりに私も驚いたものである。  

30日の朝日新聞に舛添氏へのインタビュー記事が前面1ページで出ているので御参考までにご覧になっては如何でしょうか。

後を継いだ小池百合子知事、相変わらずのパフォーマンスで人気が高いとか。連休の54日からは都内7箇所で街頭演説、演説では人気を不動のものとした豊州移転延期にはほとんど触れないと記事にある。移転延期に伴う維持費や補償問題で4月下旬に36千万円もの損害賠償を求める住民監査請求が知事等に出されている。又築地市場の土壌調査ではベンゼンなど有害物質が大量に出て、豊洲より築地の方がより汚染されていることが明らかになりつつある。こんな状況では市場問題には触れられないのだ。まさに「何も決められない知事」なのである。

週刊文春525日号に、小池側近音喜田駿都議のスキャンダル記事が出ている。都民ファーストの会幹事長として広告塔で売れている人だ。かつて新潮の報じた(1684日号)OL強姦疑惑と、今、妻から探偵をつけられているとの内容だが、何ともつまらぬ人物か。又、週刊新潮(525日号)には、小池氏の特別秘書で都民ファーストの会代表の野田数氏が公金1100万円を横領したとして、アントニオ猪木参議院議員から訴えられたとの記事だ。猪木氏がテレビでのインタビューにも応じているから信憑性は高い。

29日、自民党の若狭勝衆議院議員が「進退伺い」を提出した。加計学園の政府の対応を批判してとのことだが、自民党国会議員なら何故党内で堂々の議論をしないのか。彼は小池氏応援で名を売って、東京10区で代議士になった。反党的動きで問題になっていたが、都議選を前にして小池氏と組むことが狙いだ。

二階幹事長が言うように「辞めたければ自分から離党しろ」が筋だ。進退伺いに応えて「除名」すれば自民党攻撃の材料になる、まさに小池劇場の再現だ。姑息な言動は不快だ。

これに比べれば取るに足らない話だが、都民ファーストの会に走った保坂三蔵親子、倅のホームページで「服部区長が推薦」と写真入りで出していた。全くのいんちきで、自民党和泉ひろし応援で頑張っている服部区長、そんな推薦は一切していない。各所からの苦情批判が殺到し、29日削除したが、出たい一心でのなりふりかまわぬ姿はみっともない。TBSテレビで保坂三蔵氏は「ミスター自民党と呼ばれた私が・・・」と言っていたが、大臣にもなれなかった人がミスター自民党とは笑わせる。言われる筈もないし、聞いたこともない。倅が「今の自民党では駄目なのでファーストの会から出る」と言っていたが、自民党公認を必死に求めていたのは誰か、公認漏れになったからなのに・・・、若い者が嘘を言ってはいけない。

世の中には色々な人がいるものだ。しかし、私の周囲には本当にいい人が多い。

 今夜から第12期、自民党政経塾が始まる。若い希望に燃えた塾生とともに歩む。そう考えただけで心が和む。




第720回「九州5日間の旅」

 深谷隆司の言いたい放題第720回

 「九州5日間の旅」


520日、県会議員小林克敏氏の懇請を受け、ご子息の結婚式の仲人を勤めるため長崎に行った。若い頃は130組以上の仲人をしたが、近年は年齢を理由にほとんどお断りしていた。

新郎央政君は総合介護サービスセンター泉の里施設長、新婦一瀬仁美さんは長崎医療センターのお医者さん、5年前、研修中に知り合ったお似合いの新夫婦である。父親が県会議員だけに披露宴も盛大で、なんと2回も行われ合計700人の大盛況。家内の着付けは4時、ホテルに戻ったのは夜中の12時、大強行軍の1日であった。

私が自治大臣の時、雲仙普賢岳災害の復興支援で1000億円の基金を作ったことで、こちらではちょっと有名?、当時の高田知事が90歳を越える高齢にもかかわらず、私にお礼だけでも言いたいと奥様付き添いで出席、感動的な挨拶に、政治家冥利に尽きると思った。

翌朝、鹿児島県に移動、今度は城山観光ホテルで徳真会松村ご夫妻と待ち合わせた。この地に新しい病院を作るための視察に同行する目的だが、これは一つの口実で九州の旅の延長であった。

ここはなんといっても西郷隆盛の足跡めぐりだ。明治維新の立役者であったが、最後は不平士族のリーダーとして政府軍と戦い、敗れて自決する。波乱万丈の生涯だが、その人柄、行動力、決断力、更に風貌も加わって英雄である。

城山観光ホテルの近くにある、西南戦争最後、数日間こもった穴倉、自決した場所など感慨無量の思いで見つめた。

22日、大正3年の大噴火で埋没した黒神神社鳥居を訪れる。実は今から40年前、長男隆介を連れてここに来ている。その時、倅が小用のため駆け込んだ店の御主人から、「君は立派な顔をしている。お父さんを超える人物になる」と言われた。既に国会議員であった私が顔を出すと相手もびっくり、以来今日まで交流が続いているのだ。この池田さん一家の大歓迎を受けたが、なんとその社長室には、私が描いた龍の絵が飾られていて、「毎日、挨拶しているのです」・・・。人との出会いほどすばらしいものはない。

この日、かねてから願っていた知覧特攻平和会館を訪ねた。太平洋戦争末期、人類史上例のない、飛行機もろとも肉弾となって敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品などが保存展示されているのだ。

もう入り口から私は涙が止まらなかった。この地から400数十機が沖縄周辺のアメリカ艦隊に爆弾を抱えて突撃したのだ。なんと無謀で愚かな作戦であったのかと怒りを禁じえない。それにしても、作戦に志願した若者達が、命を捨てても守りたかったのは何なのだろうか・・・。

「国のため、父母に受けたる、精神もて、我は散るなり、桜の如く」松尾登代喜。「俺が死んだら、何人泣くべ」前田啓。「前略 お母さん、お母さん、今俺は征く、母を呼べば母は山を越えても、雲の彼方からでも馳せ来る、母はいい、母ほど有難いものはない、母!母!」中村實。

彼等が残した最後の言葉をこうして書きながら、私の嗚咽は止まらない。

この人たちを無駄死にさせてはならない。彼等の意思をしっかり受けとめ、素晴らしい日本を作ることがわれわれの務めだ。それつけても思うことは政治家の劣化だ。都議選も含めて立派な人を送り出さねばと改めて誓った。

種子島では鉄砲を開発した日本人のすばらしさを学び、宇宙開発センターでは所長の依頼で「夢を求めて生きることの楽しさよ」と揮毫した。屋久島の自然はすばらしい。3000年もの時を経た紀元杉に、悠久の時の流れを感じ、しばらく寄り添って「氣」を貰ってきた。

25日、東京に戻ったが、もう想い出を噛みしめる余裕はない。

夜は北区の高木啓都議会議員の応援演説、更に文京区中屋文孝都議の選対会議、おっと忘れてはいけない、この日は53年目の結婚記念日、一族が遅くまで家で待っていてくれた。私は本当に幸せものである。