第804回「BLOGOSで平成を振り返る」

 深谷隆司の言いたい放題第804回

 「BLOGOSで平成を振り返る」

 政治ジャーナリストで高名な角谷浩一氏が17日来宅、平成30年を振りかえるというテーマでインタビューしたいとの申し入れがあった。

 角谷氏は元々政治部の記者で昔からお互いによく知っている。その上、テレビの「ゴゴスマ」で何回かご一緒に出演している。「ゴゴスマ」は名古屋での生放送だから、往復の時間を考えると大変だが、近頃は視聴率が高いから自分の思いを語るには最適なテレビだ。そんな仲間意識もあって快諾し、25日にインタビューを受けることにした。

 BLOGOSは月間750万以上のユーザーに読まれているニュースサイトで、その編集長が私を最初に指名してくれたという、光栄なことである。


 昭和天皇が崩御された時、私は「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」に参列した。天皇の御柩のお傍に付き添い御冥福を祈るのだが、これは仏教でいう通夜にあたる。森喜朗代議士(当時)と2人で2時間ほどお傍に付き添ったのだが、まさに得がたい経験であった。

 崩御後1年経ち、喪が明けた時から準備が始まり、平成2年(1990年)11月12日に「即位の礼」が行われた。この時、私は郵政大臣で、家内と共に全ての公式行事に参列した。

 あれから総務会長、自治大臣、国家公安委員長、通産大臣を2期務めたが、いわば平成のスタートから令和を迎える時まで、私は第一線に立って政治家として人生を燃やして来たのだ。

 特に災害の多い時代であったが、自治大臣として、例えば雲仙普賢岳の災害対策で1千億円の復興基金を決めたことなど思い出は尽きない。

 ひとつの時代を終えるにあたって、BLOGOSで思い出を語る機会を得ることは私にとっても嬉しいことである。さてどんな話になるのだろうか、インタビュアーの角谷氏に期待したいものである。


 第二ラウンドの統一地方選挙、応援で様々な区を廻って忙しい。文京区の成沢ひろのぶ区長候補は最初無投票かと言われていたが、対抗馬が出てほっとした。4年間の実績への区民の評価がどう出るか、これは大事なことなのである。

 中央区の山本たいと区長候補は新人だけになかなか大変だ。「この勝利は自民党区議候補との連係プレーが如何に出来るかで決まる!」と私は檄を飛ばしたが、ようやく軌道に乗りつつある。なんとか勝たせたいと私も必死だ。

 特に文京、中央区の自民党区議候補は粒ぞろい、毎日数箇所の演説会に出て獅子吼しているが、その度に懐かしい応援者に囲まれる。口々に「若い」と言われるが、若さの秘密は、こうした優しい人々のお陰だと思っている。


第803回「統一地方選前半戦終わる」

 深谷隆司の言いたい放題第803回

 「統一地方選前半戦終わる」

 9日、地方選前半戦が終わってマスコミを賑わせている。すでに私の地元台東区は区長選、区議選が終わり、私が選対本部長を務めた区長には服部氏が圧勝、区議は寺井議員引退で7議席だったのが9議席と微増し、ちょっと一息といった状況であった。

 14日からは台東区を除く23区の区長、区議選が始まる。特に私の場合、文京区、中央区の応援が中心で超多忙の日々となる。区長選では文京区は安泰だが中央区は新人の山本たいと氏を応援する。他に2名も名乗りを挙げているので混戦は必至だが、市場跡地の再開発や東京五輪を見据えた街づくりなど多くの課題を抱えているだけに負けられないと思っている。


 さて、この度の選挙の評価は様々で、新聞の報道によって印象が随分変わる。産経新聞は「自民党は慢心を戒めよ」とあって、なんだか自民党が大きく負けたような感じであるが、知事選で唯一の与野党対決だった北海道知事選は勝っている。福岡、島根などの自民党の分裂選挙はいただけないから、この事を指していると思うが、これは率直に反省しなければならない。

 大阪は知事と市長が任期途中で辞職しダブル選挙に打って出たのだが、この奇襲作戦は多くの問題を残している。その上、維新は府議選で過半数を得たものの市議選では過半数に達していない。都構想の賛否を問う住民投票を行うには両議会の議決が必要だから、むしろ今後のほうが大変である。

 友人の小林克敏長崎県議会議員から電話があって、「当選しました。」これからだと思っていただけに嬉しい。情報が入らないほど長崎は遠いのか・・・。


 この合間に、久しぶりに映画観賞をと家内と出かけた。何しろ今風の切符購入のやり方も知らない。嫁の世話でやっと今話題の「グリーンブック」を観た。

 1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブコパカパーナの用心棒を務めていたがさつで無学な男と黒人天才ピアニストがコンサートツアーに行く物語だ。

 全く違う世界に住む二人が黒人差別の中で、不思議な友情を深めていくドラマは感動の連続であった。

 これは実在の人物の話だが、この時代、特に南部には今では考えられないほどの黒人蔑視があった。

 実は私が都議会議員時代の1971年、1ヶ月間もアメリカを旅したことがある。映画の時代よりも更に9年も経っていたが極端な人種差別が続いていた。

 私の初の本「世界のきょうと明日」でこの旅をまとめているが、黒人差別の話は書かないほうがいいと、わざわざ断られた経験もある。

 映画は素晴らしい。様々な思い出が脳裏をよぎり、楽しいひと時となった。



第802回「彦根で令和」

 深谷隆司の言いたい放題第802回

 「彦根で令和」

 4月1日、娘恵理の義理の両親、92歳になる小田夫妻の見舞いに家内と彦根に行った。

 この日は元号が決まる日、しかも米原駅に着く丁度その時間が菅官房長官発表の時とあって、もっぱら娘のスマホに注目していた。


 小渕官房長官が「平成」を発表した頃の光景が脳裏に浮かぶ。あの頃私は53歳、まさに脂の乗っていた時代であった。

 労働政務次官、総理府総務副長官を経て逓信委員長となり、昭和天皇崩御の際は、仏教でいう通夜にあたる「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」で御柩に付添っていた。

 「大喪の令」の後、今上天皇が即位された時は郵政大臣として「即位の礼」、「大嘗祭」など全ての公式行事に家内と共に参列していた。

 時代がまさに大きく移り変わる時、その現場にいられたことは政治家冥利に尽きると思っている。

 あれから30年、総務会長、自治大臣、国家公安委員長、通産大臣2回と一身を政治の世界に捧げ、まさに平成を駆け抜けてきて、今、感慨無量である。


 「令和」、なんと素敵な元号だろうか。645年の「大化」から248番目に当たるが、今までの出典は全て漢籍(中国古典)に由来してきた。初めて国書(日本古典)で、しかも万葉集から引用したという。なんでも中国古典からという発想はすてるべきだとかねてから主張して来ただけに嬉しい。

 万葉集は全て漢字で書かれてはいるが、和歌のこころは日本の伝統的独自の文化であることはいうまでもない。 私の拙著「本当はすごい日本人」でも触れているが、日本は縄文時代から民主的で心豊かな人々が肩を寄せ合うように生きてきたのである。

 万葉集には約4500首が収められているが、天皇や皇族だけでなく、農民や防人までが詠んだ和歌を集めた優れた古典である。あらゆる社会層に及んでいて、どの人の心も大切にしようという国だった証でもある。


 西暦がいいと言う人もいるが、西暦は数字で表す単純な文明だ。使用するには便利なこともあるが、元号のように時代や国民的体験を振り返ることが出来るものではない。私など昭和へのノスタルジーがあるが、同じように元号への愛着を持つ人は多いのだ。


 安倍総理が言ったように「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、それぞれの花を大きく咲かせることが出来る、そうした日本でありたいと私も心から願っている。