第799回「地方選挙始まる」

 深谷隆司の言いたい放題第799回

 「地方選挙始まる」

 全国統一地方選挙は4月からだが、台東区は一足早く3月から始まった。

初日10日は、服部ゆくお区長候補を皮切りに14人の自民党区議候補の事務所開きの総てに顔を出した。

 同行は私の後継者の辻清人代議士、彼は若いから平気だが、10時から16時まで実に6時間、さすがの私もかなり疲れた。ただ、どこでも昔ながらの応援者と出会い、みんなが懐かしがり、お世辞もふくめて「若い若い」と言ってくれるので、それが支えで最後まで張り切って熱弁をふるった。


 私が初めて区議選挙に出馬したのは1963年、27歳独身の時であった。あれから56年の歳月が流れた。

 都議から国会議員、大臣はじめ様々な役職について懸命に働き続けたが、その過程はまさに波乱万丈であった。

 女房はじめ良き家族に恵まれ、素晴らしい人達と出会い支えられ、政治に全人生を捧げて来られたことは幸いであった。

 候補者達の希望に溢れた元気一杯の顔を見ると、改めてあの頃の燃えるような思いがよみがえり感慨無量である。


 今度の統一地方選挙では、自民党政経塾の出身者が150人以上と大挙出馬する。私は13年間塾長として彼等を教えてきたが、なんとも頼もしいかぎりだ。

 3月5日、13期が終了し200人の塾生を送り出したが、毎年定員100人の倍の数が集まり「満員御礼」であった。温故知新塾とあわせこれも私の生き甲斐の一つである。


 選挙期間は1週間、ほぼ毎日4〜5ヶ所以上の演説会が続くが、彼等の当選の為にともかく精一杯に頑張ろうと思っている。

 終わると4月14日から文京区、中央区の区議選挙が始まる。すでに中央区は2月28日に決起大会を銀座ブロッサムで開き、文京区は3月6日、シビックセンターで行なわれた。いずれも盛況で意欲満々であった。

 7月には参議院選挙である。自民党都連最高顧問として武見、丸川両候補を勝たせなければならない。


 こんな具合ではとても家族で楽しむ暇などないように思われそうだが、合間を縫って過日は家内と北海道に行った。孫にせがまれて今度は湯沢でスキーを楽しむつもりである。

 今、悠々の83歳である。


第798回「失望の文大統領」

 深谷隆司の言いたい放題第798回

 「失望の文大統領」

 ベトナムの首都ハノイで行なわれたトランプ大統領と金労働党委員長の二度目の首脳会談は決裂で終わった。

 普通こうした会談は、事前に双方の実務者が協議して、ある程度の合意が出来てから行われ、後は首脳同士シャンシャンと形よく終わるものだが、そうした合意のないまま、前回と同じように首脳に「丸投げ」で行われた。二人のトップが独特のタイプだからということもあろうが、そんな事で上手くいく筈がない。

 始まる前の友好ムードの演出はなんだったのか、茶番にはあきれるばかりだ。

 一番がっかりしているのは韓国の文大統領だ。米朝合意を期待し、あわよくばソウルで南北首脳会談を実現させ、北側に経済協力事業開始の土産を持たせるつもりだったのだ。大体、能力も無いのに仲人気取りで、甘い言葉を米朝にささやいてきたが、すっかり今は信用を無くし、相手にされない状況となった。

 三・一独立運動の100周年記念日とやらで、それまで日本攻撃一点張りであった文大統領、式典での演説では、批判はあったものの慰安婦問題などには触れず、「朝鮮半島の平和のために日本との協力を強化する」と言い出した。米朝会談の失敗から、急にすり寄られても背筋がかゆくなるばかりだ。文氏の思想は「北朝鮮そのもの、決して同盟国の大統領ではない」との認識は、いまやほとんどの日本人の共通の思いだ。

 日本にとって一番心配だったのは、充分な非核化が確保されないまま米朝が歩み寄るのではないかという点であった。

 もしそうなれば経済制裁が緩和され、北朝鮮は再び核開発を加速しかねない。米本土に届く大陸間弾道ミサイルは北朝鮮があきらめたといわれるが、日本を射程に入れる中距離弾道ミサイルは放置されたままである。

 金委員長は非核化の前に制裁の完全な解除を求めたというが(北朝鮮は否定しているが)、もし本当なら厚かましいことこの上ない。北朝鮮が核の全面廃止を行わない限り、国際社会で決めた制裁処置はいささかも緩めてはならない。

 安倍総理大臣はトランプ大統領の良きアドバイザーとして、こうした考えを何度も伝えてきたが、それが今回の「No」につながっている。なんとも頼もしいと思うのは私一人であろうか。


 3月10日から台東区の区長、区議会議員選挙が始まる。4月14日からは統一地方選挙だ。安倍政権を支えるためにも、この選挙を勝ち抜かなければならない。私も連日のように乞われて候補者の決起大会等で演説している。

 久しぶりに会う応援者達が口々に「若い」と言ってくれる。歳はとっても心は青年、元気一杯、今日も獅子吼する。







第797回「腱鞘炎でブログ休み」

 深谷隆司の言いたい放題第797回

 「腱鞘炎でブログ休み」

 連日、張り切って原稿をパソコンで打ち続けていたら、すっかり右手首を傷めてしまった。10日ばかりブログを休んだが、溝部さんや何人かの人から「どうした」と心配の声、丁度書きたいことも多かったので、少し頑張って書くことにした。


 一番の印象は、天皇陛下ご在位30年のことである。記念式典が国立劇場で開かれたが、天皇皇后両陛下のお姿、お言葉に涙が流れた。

 丁度、今上天皇がご即位された時、私は郵政大臣として「即位の礼」はじめ「大嘗祭」(だいじょうさい、即位後初の国民の安寧を祈る新嘗祭)など全ての公式行事に家内と共に参列した。

 昭和天皇崩御の時は「大喪の礼」にも出席し、特に「殯宮祗候」(ひんきゅうしこう、仏教で言う通夜、陛下の柩に付き添う)など、決して経験できないはずのことを体験した。歴史の大きな変わり目に、その現場に居られたことは政治家冥利に尽きることであった。

 お言葉にもあったようにこの30年は決して平坦な道ではなかった。日本列島は多くの自然災害に遭遇したが、その折々に何度も被災地を訪れ、被災者に寄り添われた。天皇陛下のお仕事は、国と国民の安寧と幸せを祈ることである。その務めを全身全霊で果たされた。「象徴」天皇のあり方に心を砕かれ、皇室の伝統を守り、広く国民に愛されたてきた両陛下、ひたすら感謝の心しかない。どうかご健康でありますようにと祈るのみである。


 米コロンビア大学名誉教授ドナルド・キーン氏が亡くなられた。万葉集から近現代までの日本の文学を世界に紹介し、日本をこよなく愛した人である。

 谷崎潤一郎や三島由紀夫、川端康成など日本を代表する作家との交流も多かったという。

 この人について私がなによりも嬉しかったことは、平成23年の東日本大震災の翌年、日本に帰化し、日本に留まったことである。放射能の被害等あらぬ風評から多くの外国人が日本から離れたが、そんな中、「日本人とともに生きたい」という彼の言葉は、絶望にあった被災者たちへの激励のメッセージであった。

 勲二等旭日重光章、20年には文化勲章を受章している。96歳の逝去、合掌。


 久しぶりに北海道に行った。「そうだ、北海道に行こう」、どこかのコマーシャルのようだが、ふと思いついて家内と19日から2日間の旅に出た。   

 札幌は横地元秘書、小樽はガラス工芸家浅原千代治氏が歓迎してくれて旧交を温めた。北海道の味を堪能し、勿論痛飲、やっぱり人生愉快である。