第781回「東奔西走で思うこと」

 深谷隆司の言いたい放題第781回

 「東奔西走で思うこと」

 11月4日、2泊3日の予定で九州へ行った。目的は5日に福岡の春日デンタルクリニックの正面玄関に飾られる私の作品「朱雀」の除幕式に出るためであった。

 中国に東西南北の守り神、四神伝説がある。私の友人の松村氏率いる歯科医療グループ「徳真会」は今や全国に診療所を持ち、東洋一の規模になったが、その東西南北の診療所に四神の絵を描いてくれとの依頼を受けていた。

 まず仙台の長町デンタルクリニックに「龍」、愛子クリニックに「虎」、今回の「朱雀」の絵と3作目になった。いずれもたたみ3畳、150号の大作である。4作目は玄武(亀)だが、未だ決まっていない。北海道あたりに出来る診療所か。他に本拠地新潟新津診療所には300号の「昇り黄龍」を描いている。

 高校時代から絵が好きで、二科展には10回入選、個展のほか各種展覧会の依頼を受け、随分作品を発表してきた。

 大臣時代も含め忙しい暮らしの中で寸暇を割いて描いてきたが、それは至福の時でもあった。何かを残していきたい、歳のせいか、最近はそんな思いもある。


 最終日にはクリニックの職員を前に講演した。2週間前に行った高田勇長崎県元知事のお別れ会の話から、1991年に起こった雲仙普賢岳災害を語った。しかし、どうもみんなにはピントきていない様子だった。聞いてみるとその時代にはまだ生まれていなかったという人がほとんどであった。私にとってはわずか27年前のこと、と思っていたのだが、改めて年月の流れの速さに驚かされた。

 よく講演で、終戦時のことを話すが、この人達から見ればまるで明治維新ぐらいに当たるのではないか・・・。


 帰京した夜は自民党政経塾の講義だった。100人定員なのに250人を超える塾生を前に、トルコで暗殺されたジャーナリスト、カショギ氏のことから、かつて2000年通産大臣の時、サウジアラビアを訪れ、石油問題で交渉した事などに話が及んだ。

 さすが塾生は政治に深い関心を持っているし、年齢層もある程度高いので、私の話には何の抵抗も無く熱心に聞いてくれた。なんだかほっとしたものである。


 年内、まだ幾つもの講演を引き受けている。これからは相手の年齢層も充分に考慮しなければならない。

 来月には台湾に講演に行く。「日本人の心」と題して「武士道精神」を 語るつもりだが、はて、これはもっと難しいことになりそうである。

 講演のおかげでいつも「頭の体操」、これが私の若さの秘訣なのかもしれない。




第780回「あきれた国のあきれた裁判」

 深谷隆司の言いたい放題第780回

 「あきれた国のあきれた裁判」

 韓国最高裁が、新日鉄住金相手に韓国人4人が起こした訴訟で、新日鉄住金敗訴の判決を下した。この最高裁長官は昨年9月、文大統領に任命されたばかりの、高裁判事さえ勤めたことも無い男だ。しかも彼は自分と同じ左派系の裁判官を次々に任命しているという。明らかに文大統領の反日路線の連中が、裁判の結果まで歪めようとしているのだ。

 韓国では戦犯企業とレッテルを張られた日本企業が約300社もあって、この全てが今後訴訟対象にされかねない。資産が押さえられる可能性もある。戦時下日本に徴用された韓国人は約22万人、新たな訴訟が起こされたらどうなるのか。

 とんでもない事で、日本は国交断絶ぐらいの覚悟を持って、毅然たる態度で臨まなければならない。


 クーデターによって政権に着いた朴正熙大統領は日本との関係改善を目指し1965年日韓基本条約を締結、これに付随して交わされたいくつかの協約の一つが日韓請求権協定であった。この協定に基づき日本は韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの巨額な経済支援をすることになった。

 当初、日本側は根拠のある請求権を持つ個人への直接支払いを提案、韓国側は個人を含む全ての請求権を韓国政府に一括し支払う事を要求、結局日本政府がこれを受け入れた。韓国が日本政府による個人への補償を拒み、韓国政府が義務を負う事を選んだのだ。これがやがて韓国奇跡の経済発展につながっていくのだが、こうした状況はほとんど韓国国民には知らされていなかった。

 この協定によって両国及び国民間の請求権が、完全かつ最終的に解決されたことは間違いない。


 徴用工をめぐる裁判の流れが変わったのは、2012年からで、この時の主任判事も、反日色の強い盧武鉉政権によって任命されていた。韓国の司法は民意におもねる傾向が強い。元々まともな判決は期待できないと私は思っていた。

 日本としては国際司法裁判所に提訴する方法もあるが、韓国が拒否すれば裁判は出来ない。韓国は国際協定も守れない前近代国家だと自ら宣言しているに等しい国だから、これを拒否すると思われる。仲裁委員会設置もあるが公平な第三国を選ぶ事は容易ではない。

 今、韓国政府が中心になって財団を設立し、韓国企業と日本政府、日本企業が参加する構想もあるという。全く馬鹿げた話で、慰安婦問題をめぐる平成27年の日韓合意の柱である「和解・癒し財団」の解散を示唆し、約束を破ろうとしている韓国相手に、同じ轍を踏んではならない。

 日本としては「韓国を相手にしない」、戦術的放棄を強めるしかない。



第779回「長崎県元知事のお別れ会」

 深谷隆司の言いたい放題第779回

 「長崎県元知事のお別れ会」

 前回、「さよならだけが人生だ」と書いたが、10月22日、今度は長崎県元知事故高田勇氏の「県民お別れの会」に、追悼の辞を述べるために一泊だけの忙しい旅をした。


 平成3年、雲仙普賢岳で突然噴火が起こり、大規模な火砕流や土石流が発生した。41人の命を飲み込み、農地や住宅を押しつぶし、平和で静かな町を悲劇の場所に変えた。この大災害は連日テレビなどで報道され、大きな話題を集めた。

 平成7年には阪神淡路の大災害が起こり犠牲者は6,434人、戦後発生した地震としては東日本大震災に次ぐ大きな被害規模であった。

 この災害によって、長崎の大災害はともすると忘れがちになっていた。

 この頃、私は自治大臣に就任して復旧復興に全力を挙げていたが、当時、長崎県知事であった高田氏が、県議会代表と共に何度も大臣室に陳情に来られ、「長崎は未だ復興半ばで住民は苦しんでいる、なんとか救って欲しい」と訴えた。

 災害対策基金540億円で復興に当たってきたがが、金利も下がり、期限も切れるので1000億円の基金増額と期限の延長をしてもらいたいというのである。

 自治省の幹部達は200億円増額で我慢してもらおうと主張したが、私はこういう時こそ、希望に沿う答えを出すのが政治や行政だと考え、最後は大臣の決断で全額回答を決めた。

 12月27日、私は現地を訪れ、「要求通りにします」と報告すると、知事は私の肩に抱きつくようにして涙をこぼした。随行の職員も私も感涙したものだ。

 昨年5月、あの時の陳情者の1人、小林克敏県議会議員の子息の結婚式の仲人を私は務めた。

 その時、高田元知事が「大臣にお礼だけでも申し上げたい」と、病を押して車椅子で駆けつけてくれたのだ。あれから21年も経っているのに、しかも公の事なのに、である。なんと素晴らしい人物かと感動した。


 9月8日、ついに92歳で逝去され、そのお別れ会がホテルニュー長崎で行われたのだ。会場には1500人もの県民が参列した。中村知事の言葉の後、追憶「在りし日を偲んで」と題するスクリーン映像があったが、なんとその中に雲仙普賢岳を視察し、満額回答した私の当時の姿が映し出されていた。

 翌日の新聞テレビで、この日の報道が流れたが、元自治大臣としての私の言葉が載せられていた。


 精一杯働いた往時のことが、今も残され感謝されている。悲しい別れではあったが、そこに高田元知事の思いが込められているようで嬉しかった。