第802回「彦根で令和」

 深谷隆司の言いたい放題第802回

 「彦根で令和」

 4月1日、娘恵理の義理の両親、92歳になる小田夫妻の見舞いに家内と彦根に行った。

 この日は元号が決まる日、しかも米原駅に着く丁度その時間が菅官房長官発表の時とあって、もっぱら娘のスマホに注目していた。


 小渕官房長官が「平成」を発表した頃の光景が脳裏に浮かぶ。あの頃私は53歳、まさに脂の乗っていた時代であった。

 労働政務次官、総理府総務副長官を経て逓信委員長となり、昭和天皇崩御の際は、仏教でいう通夜にあたる「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」で御柩に付添っていた。

 「大喪の令」の後、今上天皇が即位された時は郵政大臣として「即位の礼」、「大嘗祭」など全ての公式行事に家内と共に参列していた。

 時代がまさに大きく移り変わる時、その現場にいられたことは政治家冥利に尽きると思っている。

 あれから30年、総務会長、自治大臣、国家公安委員長、通産大臣2回と一身を政治の世界に捧げ、まさに平成を駆け抜けてきて、今、感慨無量である。


 「令和」、なんと素敵な元号だろうか。645年の「大化」から248番目に当たるが、今までの出典は全て漢籍(中国古典)に由来してきた。初めて国書(日本古典)で、しかも万葉集から引用したという。なんでも中国古典からという発想はすてるべきだとかねてから主張して来ただけに嬉しい。

 万葉集は全て漢字で書かれてはいるが、和歌のこころは日本の伝統的独自の文化であることはいうまでもない。 私の拙著「本当はすごい日本人」でも触れているが、日本は縄文時代から民主的で心豊かな人々が肩を寄せ合うように生きてきたのである。

 万葉集には約4500首が収められているが、天皇や皇族だけでなく、農民や防人までが詠んだ和歌を集めた優れた古典である。あらゆる社会層に及んでいて、どの人の心も大切にしようという国だった証でもある。


 西暦がいいと言う人もいるが、西暦は数字で表す単純な文明だ。使用するには便利なこともあるが、元号のように時代や国民的体験を振り返ることが出来るものではない。私など昭和へのノスタルジーがあるが、同じように元号への愛着を持つ人は多いのだ。


 安倍総理が言ったように「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、それぞれの花を大きく咲かせることが出来る、そうした日本でありたいと私も心から願っている。


第801回「話題色々」

 深谷隆司の言いたい放題第801回

 「話題色々」

 このブログが前回で800回を数えたが、早速、仙台の竹内廣さんからお祝いの銘菓が届いた。彼は私の郵政大臣時代からの友人だが、郵政一筋の人だけに手紙やはがきを年中送ってくれる。継続は力、私も負けずにブログで発信を続けたいと思っている。


 26年間、日本外交を支えてきた初代政府専用機が、今月で引退し4月から新機種にバトンタッチする。

 私がこの飛行機に乗ったのは1999年10月、郵政大臣の時であった。この度の台東区の区議選挙で再選された石塚猛君は当時秘書官として同乗し、感激して涙を流していたことなども思い出す。


 済州島で開かれた日韓閣僚懇談会に出席する為であったが、金大中大統領の時代で、対応した韓国代表の金鐘泌国務総理とは極めて友好的な関係で、まさに未来思考の会談であった。

 今、文大統領の時代、日韓関係は最悪の状態になっている。米朝関係の仲人役を気取って必死だったが、柄にもないことだから、双方から愛想をつかされる体たらくだ。下落する支持率回復のために一層声高に日本批判をする。結局は韓国を自ら駄目な国にしているのだ。


 その韓国で、新学期から使われる小学校6年生の社会科教科書(国定)に、いわゆる徴用工写真として掲載されたものが全くの偽物であることがわかった。「強制労役に動員されるわが民族」との説明つきだが、この写真は1926年9月、北海道の旭川新聞が道路建設現場での虐待致死事件を報じた際に掲載したもので、太平洋戦争末期の44年9月にはじまった「徴用」とは大きく時期がかけはなれている。産経新聞の取材にどうやらこれを認め訂正する意向のようだが、とんでもない話ではないか。

 捏造と言えば中国が本家だ。例えば南京大虐殺記念館を建て、その入口に「日本軍による犠牲者30万人」と大書している。その証拠写真なるものが世界中に流布されているが、これを徹底的に検証し、間違いばかりだとした本が2005年2月に草思社から出版されている。鳩山由紀夫、福田康夫元総理が記念館に行って謝罪したというがまさに国賊ものだ。これらを含めて次の機会に改めて書きたいと思っている。


 台東区議選が終わって一息、孫にせがまれて20日から2泊で越後湯沢でスキーを楽しんだ。勿論私も颯爽と?滑った。帰京するや翌日は中央、文京の4人の区議の決起大会で演説、4月から始まる全国統一地方選挙はもう始まっているのだ。老骨に鞭打って又頑張るしかない。



第800回「台東区選挙終わる」

 深谷隆司の言いたい放題第800回

 「台東区選挙終わる」

 全国統一地方選挙に先駆けて3月10日から始まった台東区区長、区議選挙は17日終了した。

 私が選対総本部長になって戦った服部征夫区長候補は、47,000票を獲得して圧勝した。前回私が出馬を促し初当選したが、この4年間、持ち前の誠実さでよく働き、かなりの成果を挙げて区民の信頼を得た。内助の功も大きい。

 17日夜10時半過ぎ、上野の事務所に駆けつけた支援者と共に、私の音頭で万歳三唱したが何度やっても最高に嬉しい一瞬だ。辻代議士、中屋都議、政木、安倍両会長もご機嫌だ。この光景はマスコミ各社で報道された。

 ちなみに私は彼の依頼で、無給を条件に台東区の参与になって区政運営に協力してきた。台東区のためにいささか協力出来たことを誇りに思っている。


 区議会選挙では、引退した寺井氏を除き自民党現職は7人であったが、この度の選挙で9人に増えた。ベテランの石塚、太田、石川、高森候補等は安定した戦いぶり、上位には4位の望月、7位の鈴木が健闘した。都議選で惜敗した和泉が無事当選し正直ほっとした。新人の拝野、岡田はこれからが楽しみである。

 自民党の議席が増えたのはいいが、一方で敗れた候補がいるのは辛い。どんな心境でいるのか、私自身のにがい経験を振り返り同情に耐えない。

 選挙は難しいものだ。当選のためにはその前の長い準備と努力が必須なのだ。

 私が27歳で初当選した時を振り返る。志を立てて18歳の時に近隣の故大久保都議の元に行き私設秘書のまねごとをはじめた。勿論無給であった。早稲田の雄弁会にいたから重宝がられ、大久保門下の10数人の区議の原稿を代筆したり、演説の指導をしたものだが、この人達はいざ選挙になった時は皆敵となった。

 台東区自民党支部の青年部長を務め、党本部に学生部を結成、副幹事長になるなど党活動にも全力を尽くした。一番力を入れたのが地方から集団就職した青年達を集め「あしたの会」を作ったことである。300人を超える若者達と活発な青年会活動を行ったが、この若者達が選挙の主力部隊となったのである。

 敗れた人達にはこうした事前の準備がほとんどなかった。これから再起のためには苦労も多いと思うが、志を変えない覚悟があるなら、私も出来ることをしてあげたいと思っている。

 4月から文京、中央区の選挙が始まる。すでに連日呼ばれて獅子吼しているが数が多いので全部の応援はとても無理だ。「是非に」と強く言われたところにだけに行くしかないと思っている。


 このブログ、今回でついに800回、仙台の竹内さんから早くもお祝いの手紙が届いた。結構大変だが、お得意さん?が多いからしっかり続けるつもりである。