第894回「あきれた韓国の行状」

 深谷隆司の言いたい放題第894回 

 「あきれた韓国の行状」

 私が通産大臣時代、韓国の友人が多かった。大臣を終えた時、韓国の経済界代表や当時の大臣らが私ら夫婦をそれぞれ韓国に呼んでくれて慰労会まで催してくれた。

 あの頃の韓国と、現在の韓国はどうしてこんなにも違ってしまったのか、隔世の感がある。

 はっきり言って、もはや韓国は日本の良き隣人ではなくなった。寂しいというよりもあきれて、「ならばもう結構です」と言うのが正直な思いである。

 東京五輪で、選手村の韓国宿舎に、抗日の英雄とされる李舜臣(イスンジン)の言葉をもじった文言が、反日掲示物として物議をかもした。豊臣秀吉の朝鮮出兵の時の話で、彼らが作り上げた英雄だが・・・。

 バッハ会長は政治的宣言を禁止した五輪憲章50条に違反すると直ちに撤去させた。さすがと言いたいがこの人は公式の場で、日本国民と言うところを中国国民と言い間違えた人だから複雑な思いもする。

 韓国は選手村の食事に福島産の食材が使われる懸念から、近くのホテルに給食センターを設置し、自国の食材で弁当を用意し韓国選手に配っている。弁当特攻隊だとさ!

 韓国は東京電力福島第1原発事故を受け、福島県などの水産物の輸入禁止を継続している。しかし、放射性物質に関する日本の食の安全の検査は厳しく行われ、科学的安全性は確保されているのだ。五輪の祭典を利用して風評被害を助長する行為は断じて許せない。

 公式サイト上の日本地図に竹島が表記されていることや、旭日旗にまでいちゃもんをつけてきた。そして最後は韓国大統領訪日断念だ。

 五輪に合わせての訪日に強い意欲を見せていたのは文氏の方で日本側ではない。

 五輪で南北や米朝の対話再開の機会になると演説していたが、北朝鮮は4月には五輪不参加を表明、彼の期待はあっさり崩れた。

 又、日韓首脳会談が開かれれば対韓輸出厳格化の撤回という土産を手に入れると浅はかにも考えていた。

 日本側から言わせれば、徴用工訴訟についての解決策を韓国側が示すのがあくまで先決、これでは最初から折り合いの余地は全く無いことであった。

 そんな状態の中、在韓国日本大使館の相馬総括公使が「文政権の外交は独りよがり」と韓国人記者に話した。これは正論だが、その際に性的な表現を用いた不適切発言をしたという。馬鹿な外交官もいたものだとあきれ、更迭は当然と思うが、韓国側にとっては訪日断念の恰好な材料の一つとなった。

 1965年の国交正常化以来、最悪と言われる今日の日韓関係は文大統領が自ら作り出したものである。大統領の任期は来年5月までだから、これで任期中の関係修復は困難になったのではないか。

 本来、隣国を大事にすべきだが、それはあくまで良き隣人である場合で、今の韓国の状態を見るとそんな相手ではないと思われる。「まあ、無理して日本に来なくても結構」というのが率直な私の思いである。



第893回「ちょっと変だよ」

 深谷隆司の言いたい放題第893回

 「ちょっと変だよ」

 山口県で次期衆議院選挙の公認をめぐって混乱が起きている。林芳正参議院議員が山口3区から衆議院に鞍替え出馬すると正式に表明したからだ。林氏はすでに大臣も務め政策通で知られている。将来は総理総裁を目指しているが参議院から首相になった例は無く、衆議院への鞍替えが悲願であった。その上、国勢調査の結果、山口は次々回から定数が4から3に減る。この機会を逃すことは絶対出来ないのだ。

 伊藤博文公以来、ここは長州藩として明治維新の中核を担い、歴代首相を輩出した県である。その意気込みは良しとするが、いまだに長州藩という感覚は我々から見るとちょっと変だ。

 一方の対抗馬は河村建夫元官房長官で二階派に属するベテランである。その為に岸田派と二階派の激突となってしまった。

 河村氏は人柄もよく、私も信頼感を抱いているが、昔、ちょっとした想い出がある。

 私が74歳で次期衆議院選挙を目指していたころ、今も議長である大島代議士と2人で自宅までやってきて、「先輩、大長老としてここで勇退して後進に道を開いてくれませんか」と言ったのだ。なんでも私が勇退すれば10人ほどの長老(老害?)が一斉に勇退するというのである。

 結局、私はこの年引退を決めたのだが、確かに10数人もの長老が一緒に引退した。その時私が彼らに言った言葉を今も鮮明に覚えている。

 「明日は我が身だぞ・・・」

 河村氏は今78歳、あの時の私より年長なのである。


 東京の新規感染者が第4波のピークを上回っている。東京では4度目の緊急事態宣言中だが、対策の効果は一体あるのだろうか。相変わらず尾身コロナ分科会長ら専門家とやらが国民に我慢を強いているが、自称専門家たちが無策無能なのではないかと腹立たしく思う。

 その上、西村康稔経済再生大臣が、新型ウイルス特別措置法に基づく休業要請などに従わない飲食店に対して、取引金融機関を通じて働きかける要請をしたり、酒類販売業者にまで取引を停止するよう通達まで出した。

 猛反発を受けて一応撤回したが、監督官庁が独占禁止法で禁じられた「優越的地位の乱用」を促すような露骨な圧力を加えるなどとんでもないことだ。

 何かあると飲食店をターゲットに挙げるが大した科学的根拠もないとも言われている。

 しかも東京都の協力金の支給遅れが目立っている。

私の知り合いのすし屋から陳情を受けた。協力金の申請を行ったが、書類に不備があると突き返され、2度目は明らかに先方のミスで、これを認めてはいるが、その後は連絡が全く途切れたという。

 早坂都議にこの陳情を委ねたが、東京都は一体何をしているのか。専門家と同じように小池都知事も無為無策ではないか。

「ちょっと変だ」どころか、全く変な世の中になったものである。



第892回「戦い済んで日が暮れて・・・」

 深谷隆司の言いたい放題第892回

 「戦い済んで日が暮れて・・・」

 東京都議選挙を必死に戦って、全てが終わった今、いつものことだが満足感と少しばかりの虚しさを感じている。

 4年前、小池旋風が起こり自民党は過去最低の25議席にとどまり、現職議員の3分の2を落としてしまった。

 台東区で言えば和泉浩司君が約2千票差で落選、中央区でも石島ひでき君が敗れた。文京区の中屋文孝君は当選したが、その差200票足らずで薄氷を踏むような思いであった。

 自民党都連の最高顧問として、今回は雪辱を期し、公明党と合わせて過半数を得ようと努力していた。当初はマスコミの予想も含めて「いける」という感触であった。

 ところが小池知事が突然過労で入院するというハプニングがあった。我々は又いつものパフォーマンス、敵前逃亡と思っていたが、世論はさにあらず、むしろ同情票が集まる結果となってしまった。

 入院後の読売新聞の世論調査で、自民党は30%の支持からなんと23%に落ち込み、都民ファは11%から18%へ、共産党も支持を増すという結果が出てしまった。 

 しかも、選挙最終日、知事は都民ファースト候補応援に走り出し、それぞれの事務所でマイクを一切使わず、ただ手を振って励ました。車には酸素ボンベまで用意して、と喧伝する芸の細かさだった。

 一方、自民党代議士の不祥事や、コロナ対策の遅れ(実際はワクチン接種1日100万回などかなり成果を上げているのだが)、五輪開催への不安など、厳しい状況もあって内閣支持が低迷し、これらが都議選に大きな影響を与えてしまった。

 結局自民は選挙前の25議席から33議席に増えただけ、公明党を足しても過半数には至らなかった。これでは続く衆議院選挙も心もとない。

 肝心の私の地元だが、中央区は石島候補が圧勝、開票を待たずに当選確定。台東区も鈴木候補が順調に票を伸ばしトップ当選を果たした。

 しかし、文京区の中屋候補は出口調査で早くから劣勢が伝わり、開けてみれば共産党、都民ファ候補に大差で敗れてしまった。それでも獲得した票は2万5千票、この数は大変貴重なものである。

 夜8時に石島事務所で当選祝いの挨拶、鈴木君の場合は当選が決まるまで待って11時近くに事務所で祝辞、その後、なんともつらい中屋事務所に、和泉、太田両区議、桑原君と3人で向かった。

 深夜なのに50人近くの応援者が集まっている。辻代議士が「申し訳ありませんでした」と皆に涙声で謝罪した。

 私は逆で、「ここで涙を流しても意味はない。我々はやるべきことは全部やった。勝負は時の運だ。めそめそしている場合ではない。皆さんに感謝しつつ、明日から4年後の選挙に向けて再出発だ。私も高齢で4年先はわからないから今回全力を尽くすと選挙中には言って戦ったが、すこぶる元気で、このままなら後20年くらいは大丈夫、さあ、一緒に張り切ってスタートしよう」と大声で檄を飛ばした。

 今夜(5日)は「引き揚げ体験を語る」講演が銀座である。月刊「Hanada」の連載で次回は同じテーマで2回続けて書く。丁度戦後76年目、あの頃を知る人はわずかしか生きていない。時期を選んで請われるままに、戦中戦後の「語り部」として一層頑張らねばと思っている。

 戦い済んで日が暮れて… 、しかし、私にはゆっくり眠っている暇はないのだ。