第732回「多事多端」

 深谷隆司の言いたい放題第732回

 「多事多端」


都議選の雪辱を果たすため、和泉ひろし君は4年後に向けて再出発したが、そんな彼を支えるために敢えて私の秘書になってもらった。政界を引退して今更秘書は必要ないのだが、いわば私の話し相手だ。早速ゴゴスマ出演で名古屋まで同行してもらったが、自分の歳を考えると安心感があってよかった。勿論7割は自分の選挙活動で過ごすよう言ってある。

留守を託して、倅隆介一家とハワイ旅行を楽しんだ。20年ぶりのハワイだが孫達と過ごすだけで、家内と私、大満足であった。

相変わらず食い道楽の私たち、毎夕、レストランに通い美味と酒を楽しんだ。中でも、もっとも印象的であったのが柳寿司で、なんとここには世界の有名人に混じって私の写真が昔のまま在ったのだ。総務会長時代の色紙も飾られていたが、思い返せば19年ぶりのことである。超満員の店だが店主は大歓迎で、昔のあれこれで話が弾んだ。

わずか4泊だったが素晴らしい旅であった。


帰国すると、下村都連会長から連絡があった。彼の辞任に伴って役員選挙が行われるが、「会長選考あり方検討委員会」が支部長常任総務会で作られ、その委員長に私が満場一致で決まったとのことであった。

ややこしいことはもう沢山と思っているのだが、みんなの総意ならやむを得ない、無理難題を承知で引き受けることにした。


いよいよ、私の著書「本当はすごい日本人」が出版され、各書店に出されたという。徳真会の松村先生や柔道の山下泰裕氏が推薦文を書き、出版元の幻冬舎が特に力を入れているから、きっと多くの人に読んで貰えると思う。

私が塾長をつとめる「温故知新塾」で、1年間、語り続けた内容だが、学校で教えない日本の真実の歴史、神代の時代から営々と続く日本人の素晴らしい生き様を、自分の遺書のつもりで心をこめて書いている。出足は好調のようで近く新聞広告も出る。期待で今私の胸は弾んでいる。


帰国した翌日、北朝鮮がミサイルを発射し、日本を通過して太平洋に落下したとの報で大騒ぎとなっていた。無知無謀な金正恩、米領グアム沖へのミサイル発射計画を公表していたが、トランプ政権の迎撃や報復を恐れたのだ。日本なら、事前通告無しのミサイル発射という暴挙を仕掛けても、絶対に攻撃される心配がないと見越してのこと、なめられたものである。

果たして米国は、自国の犠牲を覚悟してまで日本を守ってくれるだろうか。

 日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会がワシントンで開かれたが、河野・小野寺新コンビは頑張って成果を挙げたと思う。しかし、肝心なことは、北朝鮮の脅威に対して日米が守りあう態勢をとることが出来るかだ。

その為には集団的自衛権の行使を含む自衛隊の役割拡大、ミサイル防衛のための陸上配備型「イージス・アショア」の早期導入、敵基地攻撃能力導入、防衛費増額など日本自らが防衛力強化に動かなければならない。

それが出来るのか、これは安倍政権にとって重大な試金石であり、国民の理解と覚悟の問題なのである。

北朝鮮の暴挙をただ驚き騒ぐだけではいけない。この機会に、皆で国家国民の安全について真剣に取り組む必要があると強く思っている。





第731回「韓国ぎらい」

 深谷隆司の言いたい放題第731回

 「韓国ぎらい」


昔は韓国要人に知己も多く、通産大臣を辞めた後など、何人かの大臣や財界のトップが私ら夫婦を招いて、ソウルで慰労会まで開いてくれたものだった。

大臣時代、国際会議等で私は特に韓国要人と協力し合い、両国にとって有利な答えを引き出したことも多く、一衣帯水の隣国として深い友情を抱いていた。

だがそんな思いは、正直消えつつある。

近年、韓国はすっかり様変わりして、日本を意識的に敵視するような傾向が強くなっている。政権の不人気を挽回させるために日本たたきが一番有効と思っているかのようである。

これまで日本は韓国国内の政治状況に左右され、そのたびに振り回されてきたが、もう限界を超えている。そんな韓国のご都合に合わせて右往左往することは金輪際やめるべきだと思っている。

当然のことだが日本人の韓国ぎらいは一層増えている。はっきり言って、日本人が韓国ぎらいになることは、彼等にとって大きな痛手になるのであって、日本にとって多少の不都合はあっても決定的に深刻なことではないのだ。

韓国が日本統治から開放された記念日と称する「光復節」の記念式典で、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「慰安婦や徴用工の名誉回復、補償などが、国際社会の原則にあたる」と発言した。国際社会の原則とは、国同士の約束を守ることを言うのだが、あきれた勝手な発言である。

1965年の日韓協定で、戦後補償問題は「完全かつ最終的に解決された」と明記されている。日本が供与した無償資金3億ドルには個人の被災補償問題の解決金も含まれているのだ。

2005年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下での日韓請求権協定には徴用工も含まれ、賠償を含めた責任は韓国政府が持つべきだとの政府見解をまとめている。当時の主席秘書官は文大統領なのである。

韓国最高裁の判断は内外から疑問の声が多い。韓国では司法裁判まで民意に左右されているが、文大統領はその裁判の結果に基づいて問題を蒸し返そうとしているのだ。

大体、「強制労働」とか「強制動員」という言葉自体誤りである。当時の法令「国民徴用令」に基づいて、合法的に国民全体に行われたのが勤労動員なのである。

2015年年末、慰安婦問題も「最終的かつ不可逆的な解決」と日韓合意している。

にもかかわらず、日本大使館前や釜山の総領事館前の慰安婦像はいまだ撤去されず、それどころか文政権発足後、慰安婦像は韓国内の各地に次々と増設され、新たに徴用工像も設置され始めた。最近では慰安婦の人形を乗せた路線バスまで登場し、市長が記念乗車までする異様さだ。もうそんな国には行きたくもない。

北朝鮮の核や大陸間弾道ミサイル開発で朝鮮半島は今大変な危機にある。その北朝鮮と日韓政府の解決済みの問題を共同調査までしようというのだから、頭が狂っているとしか言いようがない。

一方で、文大統領は対日外交では経済や安保を切り離す「ツートラック政策」を志向しているという。勝手な話だが、明らかに韓国経済が上手くいってないからである。

韓国ぎらいはあちらの所為、しばらくは放っておくに限ると思っている。




第730回「悲喜こもごも」

 深谷隆司の言いたい放題第730回

 「悲喜こもごも」


88日、突然、関博之君が来宅した。私が自治大臣の時の秘書官だったが、今度復興庁事務次官に出世して、挨拶に来てくれたのだ。

このところ、通産大臣時代の政務次官であった茂木敏充君が経済再生担当大臣兼人づくり革命担当大臣に、更に同時代の事務秘書官齋藤健君が、実に3期生で農水大臣になるなど、かつての部下、後輩の諸君が次々と世に出ている。こんな嬉しいことはない。早速、都議に再選されたばかりの中屋文孝君(彼も私の大臣秘書官)に連絡して、仲間でお祝いの会を開くことにした。

7日は、惜敗した和泉ひろし君の為に、自民党台東総支部総務会兼選対会議の打ち上げ会を催した。浅草区民会館には台風の予測の中、実に500人もの人々が集まった。負けた時にこんなに集まるものではない。本人は「不徳の致すところ」と謙虚に詫びていたが、私は「不徳はスキャンダル続出の国会サイドにある」と話した。マスコミの過激な報道を含めて、あれでは自民党嫌いとなって、いい人達が軒並み敗れて不思議はない。無念だ。

次の辻清人君の選挙も、選挙区割りの変更も含めて決して油断できない。本人の強い希望で、私の総支部長続投が満場一致で決められた。あの選挙を機に「やめると決めていた」から、なんとも困ったことだが、後輩のためだから老骨に鞭打って?もうひと働きしなければなるまい。

8日には中央区の石島ひでき君が私への感謝の夕食会を開いてくれた。磯野、押田両区議も同席して痛飲したが、席上、築地市場の大火災の話題となった。

当然、地元都議が飛んでいって様々な手配をしなければならないのだが、都民ファーストの新人女性は顔も見せなかったという。改めて自民党議員が不在となったことの損失の大きさを痛感したものである。

お気に入りの日本橋「とよだ」の店だったが、そんなわけでもう一息盛り上がらなかった。


岐阜県高山市のキッチン飛騨河本敏明氏から「旭日双光賞授与」の喜びの知らせがあった。ほとんど同時に、同じ飛騨で「板蔵ラーメン」を経営している牧野秀也氏の訃報が届いた。

昔、私は後援会旅行会を46年も続けていたが、飛騨高山にも数回訪れた。その折に知り合い、以来、15年もの交流となった人達である。

河本氏が経営する店は、飛騨牛を提供する有名店だが、偶然家族で立ち寄ったら、先方から声をかけてくれた。通産大臣で選挙に敗れた直後であったが、「評判の悪い森内閣のためだ」と憤って、私を鼓舞してくれたのが付き合いのきっかけであった。

牧野氏の店で後援会旅行会の昼食をとったのだが、それが縁で、自宅にまで呼んでくれて三味線、太鼓で野趣に満ちた大歓迎の宴を開いてくれたりした。アイディアマンで次々に私を驚かせたものだ。訃報の手紙の最後に彼の直筆の別れの言葉があった。「突然、死の宣告を受けた、残念です。何も知らずに生まれ、何も知らずに死を迎える、それを人は人生として生きている。出会い、縁がありがたく、ただ感謝あるのみです。さよなら」とあった。悲しくて涙が出た。


わずかな数日間に悲喜こもごもの事柄がある。これからもこんな日々が続くのであろう。だからこそ一刻一刻を大事に、人との出会いを大切に生きなければと思っている。