第787回「多事多端」

 深谷隆司の言いたい放題第787回

 「多事多端」

 政界を引退しても、忙しさは変わらない。それが若さの素と考えてせっせと働いている。

 一番悲しいことは連日のように亡くなった人の野辺送りだ。政治家だから出会った人の数は大変なものだが、その人達を次々に送ることは寂しい。

 嬉しい事も多い。12月13日、愛妻慶子が80歳の誕生日を迎えた。孫の麻紀も誕生日が近く、浅草ビューホテルで一族揃って祝った。深谷一族の団結は強い。家内にはなんとか私より長生きして欲しい。彼女が居ないと何一つ出来ない私だから・・・。

 15日、午前中は自民党本部で来春の地方選挙で公認になった人への「選挙必勝講座」、私の熱弁で参加者300人は緊張していた。若かった自分を見るようで、「絶対勝て」と獅子吼した。

 午後は横浜プリンスホテルでハワイアングループのトップ、今村氏の25年祝賀会で挨拶。昔、花岡詠二氏のコンサートで出会ったのだが、以来10年になる。まもなく89歳になるが相変わらず元気一杯、刺激を受けて「負けてはいられないぞ」と秘かに思った。

 17日、11時から辻清人代議士のセミナーがホテルニューオータニで開催され、岸田政調会長、河野外務大臣等が出席した。

 私は外務大臣政務官になったことを祝福し、これからの日本はまさに「外交重視の時代」と、先のTBSの取材の折の内容を語った。

 トランプ大統領が国連で「グローバル化を否定し、アメリカ一国主義」を唱えたが、その嚆矢は1999年のWTOでの日米対立の時からである。TBSの取材は、その時の大臣である私が、どんな風に米国と渡り合ったかが焦点であった。  

 30日放送の年末報道特番「報道の日」で、どんな風に私の発言が報道されるか不明だが、スパーリング補佐官や、デイリー商務大臣に私が啖呵を切ったことなど、丸秘部分も含めて大いに語っている。昼間で2万円の会費は高いが、先行投資、辻君の将来の働きに期待して欲しいと締めくくった。

 その日の6時からは「温故知新塾」3期目の最終回だ。時の流れの速さに今更のように驚く。1年を通して教えた「生きる心構え」「出会いの尊さ」を坂村真民先生、森信三先生の言葉を借りて「総まとめ」のつもりで話した。

 柳生新陰流の家訓に「少才は縁にあって縁に気づかず、中才は縁にあって縁を活かさず、大才は袖触れ合うも他生の縁とこれを活かす」とある。松村先生との縁、塾生との縁、いつも私はいい人達に恵まれ、これを大切にしてきた。塾に続けて来る塾生も多いが、終わりとなると寂寥感がある。

 夕刻には中屋都議のクリスマス会が東京ドームホテルで開催される。彼も立派に役目を果たしている。来春は統一地方選挙、参議院選挙だ。選対総本部長として又奮闘しなければならない。

 こう連日忙しいと、さすがに疲れも溜まる。1週間前から節々が痛み、手があがらない。今朝は首が動かない。民謡の小松みどりさんの葬儀の後、急遽、和泉君の運転で仲尾先生の元赤坂診療所に飛んで行った。肩と首筋に8本の注射、明日は治りますと言われ、安心して帰宅した。

 私の多事多端な日々はこれからも限りなく続く・・・。





第786回「台湾講演などで、少しグロッキー」

 深谷隆司の言いたい放題第786回

 「台湾講演などで、少しグロッキー」

 徳真会松村先生の依頼で、台湾での講演のため12月6日から4日間の旅をした。

 昔、蒋介石総統の招きで日本学生代表団の一員として、この地を訪れている。後の総理海部俊樹氏も同行した。日本が敗戦を迎えてまだ10年足らずの頃だけに、日の丸を胸に、大いに高揚した気分で過ごした事を鮮明に覚えている。

 あれから60年余になるが、その間、正則学園高等学校の修学旅行に付き合ったり、当選の時などは秘書達を連れて慰労の旅をしたこともある。

 今回の主催団体は福智文教基金会という財団で、孟子の道徳思想を背景にした国民運動を展開し、教育から、自然栽培まで多岐にわたって目覚ましい活動を行っている。  

 会員は10万人を超え、運営費は具体的には教えなかったが数百億円規模であるらしい。

 講演は台北福華国際文教会館講堂で行われたが、到着すると1000人の老若男女が集まって満員盛況であった。

 主催者の黄教授(200冊に及ぶ著書のある学者)の紹介で、まず松村先生の講演が始まる。あらかじめ用意した中国語で書かれた綿密なパワーポイントを駆使し、歯科医療グループとして如何にして東洋一の規模になったかを語った。

 初日から出会って、いつも同行してくれた唐先生というエレベーター会社会長が私を紹介する。彼は88歳、お互い高齢者同士ですっかり意気投合した人物である。

 不覚にも私はパワーポイントも作っていなかった。ならば、ひたすら50年培った雄弁に徹し、日本の道徳観である「武士道精神」を語ろうと思わず力が入った。幸い名通訳がいたお陰で会場は盛り上がる。最後は大歓声に包まれ、廊下に出ると握手攻めとなった。「これなら当選だ」と言って大いに笑わせたものだ。

 講演も終わり、夕食は最高の店に案内される。さあ酒だと張り切ったら此処は精進料理店、一切の酒は出ずお茶だけの会食で、おまけに教育者や政府関係の参加者から質問攻め、なんとも残念な最終の夜だった。

 帰国して家族と寿司で痛飲、やっぱり日本が最高だ。子供や孫に囲まれてまさに至福の夜だった。

 次の日は台東区町会連合会60周年大会でビューホテル、その翌日はTBSの年末特集の取材、自宅にカメラがセットされ、1999年、シアトルでのWTO会議で大臣として米側と激論した事を、赤裸々に語った。今は時効だから秘話も語れる。いずれ放映日が決まったらお知らせするつもりだ。

 夜は台東区議団と何十年来の馴染みのふぐ屋「浅草魚清」で会食、「疲れを忘れて」と言いたいところだが、本当は家内ともグロッキーなのである。



第785回「なんとなく舌好調」

 深谷隆司の言いたい放題第785回

 「なんとなく舌好調」

 家内に「外で講演など話す機会が多いのに、家に帰ってもよく喋りますね、疲れないのですか」とよく冷やかされる。おしゃべりは功罪相半ばするが、私の場合は舌禍事件を起こしたこともなく、むしろ良い結果を得ていると自分では勝手に思っている。

 過日も浅草ビューホテルの遠藤社長以下幹部が年末の挨拶に来られたが、ホテルの成立ちから説明したのは私だった。

 そもそも此処は5000人も入る東洋一の国際劇場で、私が都議会議員に挑戦した時以来、何度も後援会大会を開いて満員にした、いわば私の古戦場であった。その劇場が閉鎖と決まって、中曽根先生に依頼、私が中心になって誘致したのがこのホテルなのだ。今ビューホテルは盛況で浅草の繁栄にもつながっているが、そんな歩みを知っている人は少ない。

 過日、ホテルニューオータニの久兵衛で、隣同士で親しくなったのが松居一代さんであった。彼女はブログで「上品なご夫婦」と、早速その時の様子を紹介、ちょっとした話題になった。しかも彼女からすぐに丁重な手紙が届いた。なかなの良い人である。私のお喋りから始まったこと・・・? 楽しいではないか。

 自民党三多摩支部連合会研修会に招かれ、11月28日、グランドホテルで講演した。

 吉野会長の挨拶で「160人の予定が深谷先生の人気で230人を超えました」。私はすっかり気をよくして「愛国心について」熱情込めて語ったが大きな反響で、帰りは握手攻めであった。自分は「語り部」の役割を果たしていると満足であった。

 30日には友人の生島ヒロシさんの「生島企画室30周年感謝の集い」がホテルニューオータニで開かれた。さすが交際範囲の広い人で発起人だけでも有名人が30人を超える。来賓も含めて壇上に上がったが、私の周囲にゴルフの青木氏、評論家の寺島氏、青山学院三木学長、せんだみつお氏等、枚挙にいとまがないほどであった。

 司会の徳光氏から、突然「深谷先生からご挨拶」と紹介された。全く聞いていなかったからびっくりしたが、挨拶は私1人、弁慶ではないが「その時少しも騒がず」、1000人を超える客を前に悠々と生島氏の活躍ぶりを話した。

 翌日、家内に生島氏から感激感謝のメールや電話があり、「このご恩を返すために、ご家族全員を年内に食事に案内します」、彼らしく少しオーバーだが、私の気分は上々であった。

 多分、元気なうちはしゃべり続けると思う。深谷が饒舌でなくなった時は・・・、そんなことは今考える必要も無いことである。