第776回「ノーベル平和賞とは?」

 深谷隆司の言いたい放題第776回

 「ノーベル平和賞とは?」

 今年のノーベル平和賞が誰になるのか気になっていた。マスコミ等の事前の予測で韓国の文大統領、北朝鮮の金委員長、更に米のトランプ大統領の名前まで上がっていたからだ。

 文大統領が北朝鮮にのめりこんでいく姿は、やはり同胞意識としてやむを得ないとは思うものの、肝心の核廃絶が進まなければ何の意味もない。いままで何度も北に騙されて、結果的に核保有国にしてしまったのは歴代韓国大統領ではなかったか。

 おまけに、真実に反する慰安婦問題を喧伝し、世界に慰安婦像を拡散させている。最近では主権の象徴ともいうべき自衛隊の艦旗「旭日旗」にまでいちゃもんをつける。旭日旗を「戦犯旗」と言う韓国の主張は一分の理もない言いがかりだ。 

 国内法で掲揚が義務付けられ、国際法上でも国の軍隊に所属する船舶を示す「外部標識」、しかも半世紀以上にわたって行なわれており、国際的な慣行として確立している。

 日本は5日に行なわれる予定の韓国での国際観艦式への護衛艦派遣を見送った。当然の事だが政府の毅然たる姿勢を評価したい。同盟国に対して平気で主権侵害を行う大統領に平和賞などとんでもないことだ。

 金委員長などは論外だ。北朝鮮当局による拷問、公開処刑、外国人拉致、意思表示の権利剥奪、強制収容所では裁判もせず処刑されているという。300万人以上の餓死者を出した問題も含め、人権問題が国連でしばしば取り上げられ、決議案も採択されている。どこをとっても平和賞に価する筈もない。

 トランプ氏は日替わりメニューで何を考えているのかわからない。大統領選挙時は日本バッシングが目立ったが、安倍総理と親しくなって最近は良好な関係だ。しかし、6月の日米首脳会談では「真珠湾攻撃を忘れないぞ」と二国間通商交渉を迫ったりする。

 中国の習主席を友人だといいながら、中国製品に多大な関税をかけ、中国も報復処置で対抗、今や米中貿易戦争は世界経済に悪影響を与えている。

 北朝鮮問題でも金委員長を「チビのロケットマン」「狂った男」と言ったかと思うと、シンガポールのセントーサ島で史上初の米朝首脳会談を開くと、いかにも親しげな態度をとる。

 朝鮮半島の「終戦協定」を「平和協定」にするという動きに対しても賛意を示す。そうなれば38度線は対馬海峡まで広がり、日本の脅威は高まる一方だ。


 幸いノーベル平和賞はコンゴの医師とIS被害女性に決まったが、平和賞に関しては今までに首を傾げたくなるような人物に与えられ、不信感はぬぐえない。

 一方、京都大学の本庶佑特別教授がノーベル医学生理学賞を受賞した。本当に嬉しい。

 2000年以降、日本人のノーベル賞受賞者は18人に達した。実証主義である科学の分野で、このような成果を挙げた事は本当に見事だ。日本人の素晴らしさに改めて感動している。


第775回「ついに83歳」

 深谷隆司の言いたい放題第775回

 「ついに83歳」

 年月の流れの速さを充分にわかっているつもりであったが、9月29日、83歳を迎えて、改めて感慨深い思いに駆られている。

 母は69歳で逝き、父は77歳で人生を終えたから、それに比べればここまで生きたことはありがたい。

 さて、これからどんな人生が待っているのか・・・。幸いよき女房と自慢の子供や孫達に恵まれている。そしてなによりも素晴らしい友人たちに囲まれているのだから、与えられた仕事に精一杯応え、とにかく愉快に日々を重ねていくことだと思っている。


 恒例の誕生会を浅草ビューホテルで開いた。これまでプリンスホテル、帝国ホテルと続き、特にこの10年余りはニューオータニで行ってきたが、今年は獣医学会の貸しきりとあって場所を変えざるを得なかったのだ。

 この学会は資金と組織が大きく、その圧力で50数年も獣医学部の新設ができなかったと報道にある。例の加計学園問題で安倍総理も苦労しているが、それだけになんだか追われたようで不愉快であった。

 浅草ビューホテルは、東洋一の国際劇場がなくなった後、私が中曽根先生に依頼し誘致したホテルである。国際劇場こそ、私が都議会から国会に臨む過程で最も活用した場所で、ここに毎回5000人もの後援者を集めた事が躍進の力になったのである。

 ビューホテルは子供の結婚式や出版披露会など何度も使っているのに、不思議なことに誕生会だけは今度が初めてである。

 倅隆介が司会、途中、生島ヒロシさんが飛び出して八代亜紀さんの歌などを紹介する、さすが本職である。料理、従業員の姿勢、ホテル挙げての対応が素晴らしく、結果からいえば「かえってよかった」のである。


 孫の安希与といつものようにタップダンス、相変わらず忙しい日々だったが、何度もスタジオに通って練習した。始めたのは娘恵理の成人式の時だから実に32年になる。かなり息が切れて娘知美が慌てて水補給、それでもなんとか無事こなした。タップを続ける当面の目標を「米寿」あたりに置こうかと思っている。

 今回誰にも内緒でドラムを習って初披露、これには参加者はびっくりしたようで大喝采だった。

 最後は「星降る街角」の歌に合わせて全員で踊った。社会的立場にあって毎日が多忙な人たちだが、時に全てを忘れて愉快に過ごす事も必要だ。私の誕生会はそんな機会を提供していると勝手に思っているのである。

 これから自民党政経塾や温故知新塾の講演などの原稿書きで引き続きパソコンと向き合わなければならない。数時間かかるが、83歳、少しも厭わずに仕事に没頭できる。これも嬉しいことである。



第774回「悲喜こもごも」

 深谷隆司の言いたい放題第774回

 「悲喜こもごも」

 自民党総裁選が終わって予想通り安倍首相3選が決まった。読売新聞は「圧勝」と書き、朝日新聞は「圧勝できず政権運営に影」と書いていた。「こうあって欲しい」というそれぞれの思惑が出ていて面白いが、逆にいえば、マスコミはあまり当てに出来るものではないということか。

 国会議員票の8割強、党員票も前回の29%から55%になり、全体で7割弱の支持だから、「ほぼ圧勝」というのが正しいと私は思っている。

 石破支持なら辞表を書けと言われ、「ふざけるな」と啖呵を切った斉藤健農水大臣にはすぐ電話を入れた。私の通産大臣時代に2期も秘書官を勤めてくれた人だけのことはあると、「啖呵の切り方が上手くなったな」と褒めた。

 首相側のパワハラだと話題になったが、昔の総裁選挙はもっと熾烈なものであった。票が逃げないように議員をホテルに缶詰にしたり、お金が舞い飛んで、2人から受けた人をニッカ、3人から受け取った人をサントリーなどと揶揄した。勿論、負けた側は当分の間「冷や飯を食う」のが当たり前だった。

 大事なことはこれから3年間、安倍首相がどのような政治を行っていくかだ。内外共に困難な時代、国家のために全てをかけて頑張って欲しいと願ってやまない。


 21日、大相撲のたまり席で観戦、ここは土俵のすぐ下で常時テレビに映る場所、早速、大勢の人から「元気でなにより」「若いですね」「頑張って下さい」等、連絡が殺到する。嬉しいかぎりである。千秋楽の日は後援会長を務めている二所ノ関部屋祝賀会のため千葉まで行く。


 最近、私の周囲でご不幸が多い。最後の同級生の親友が逝去、親しい友人のご子息の早世と続いた。

 20日、三輪隆氏のお別れ会が浅草ビューホテルで行われた。この方は私が区会議員になった27歳の頃からの応援者だ。3人のお子様の結婚式に出席したが、その内2人は私達が仲人だった。300人を超える人が集まり、生前の活躍ぶりがうかがえる。享年91歳であった。

 21日、西岡静江さんの葬儀に列席した。区議選挙初出馬の時、事務所を無料で提供、以来50年余、変わらぬ応援を続けて下さった町内の元婦人部長だ。そんな縁で葬儀委員長は私の元秘書、石塚猛台東区議会議員が勤めてくれた。93歳であった。

 葬儀で大勢の古い応援者とお会いすると、必ず「長生きして下さい」と励まされる。さて後どのくらい生きられるのか。幸い元気で、家族友人に恵まれて今が最高の日々、とにかく精一杯働き、悔いなき一生にしたいと思うのみである。