第752回「孫達と一泊の旅」

 深谷隆司の言いたい放題第752回

 「孫達と一泊の旅」


私には3人の子がいて、それぞれ世帯を持っているが、この子等とのふれあいが私たち老夫婦の何よりもの喜びである。全員で旅に行くこともあるが、折々に各家庭ごとに旅を楽しむ。

11日、12日の連休は倅隆介一家と日光東照宮への旅を楽しんだ。ここはいわずと知れた1616年駿府で死去した徳川家康が神格化され、東照権現として祀られた場所だ。世界遺産に登録されているが、それにしても有名な観光スポット、連休とあって大変な観光客でにぎわっていた。

それにしても階段や坂が多い。孫隆仁、隆元が老夫婦を後から押し上げてくれる。それがなんとも「嬉しい心」だ。

陽明門とその前の鳥居を結んだ上空に北極星があり、その先は江戸の町が続くように設計されているという。国宝8棟があり、社殿をはじめどの建物にもおびただしい極彩色の彫刻で覆われている。思ったより小さめだが左甚五郎作の有名な眠り猫、神厩舎には「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿の彫刻も面白い。


その近くに昔何度か通った「日光グルマンズ和牛」の店がある。およそ10年ぶりなのに、店を訪れるとご主人と息子が大歓迎してくれた。最高の肉を味わい、昼間から痛飲、色紙を書いて欲しいと言われた。車が出るまで総出で見送ってくれる気持ちも嬉しかった。


宿泊は鬼怒川プラザホテル、はっきり言ってよい所は温泉ぐらいか、従業員も少なく格別な歓迎もない。最もその分、一家で自由に過ごせて面倒はなかった。

私は現役時代、後援会活動の中心が旅行会で、実に46年間続いた。最高55百人参加し、この鬼怒川にも数回訪れたが、今、町全体に活気がない。昨今は団体旅行がほとんどなくなり、旅館の半分以上が廃業したと運転手さんが言っていた。旅館が少なくなったので逆にホテルが取りにくい。

今回は、その頃担当した帝産観光バス会社の大場さんに無理を言って頼んだ。だから多少待遇が悪くても文句は言えない。

料理も一応形は揃っているが平凡、可も無く不可も無い。みんなで相談一決、最後の食事はとらず、旅館のまん前にあるラーメン屋で2次会となった。ところがここの餃子やそばが抜群に美味い。外国人一行も加わってにぎやかだった。

翌朝、見送りも無いホテルを出ると、なんと昨夜のラーメン屋のご主人と会う。われわれの車が出るまで寒空の中、丁寧に見送ってくれた。「又、この店に来よう」で意見が一致、わが一族は単純なものである。

かくして一泊旅行は終わったが、大満足。今度はどの家族と旅に行こうか・・・。

楽しい思案をしている。



第751回「則天去私、自然の道理に従い、私心を捨てて生きたい」

 深谷隆司の言いたい放題第751回

 「則天去私、自然の道理に従い私心を捨てて生きたい」


 50年にわたる政治生活を終えて引退してから、もう5年が過ぎようとしている。現職時代は、大袈裟に言えば毎日が戦いであったが、政界引退した今は悠々自適の日々である。

 1月は本来なら約600ヶ所の新年会を必死に回っていた筈だが、今は特別かかわりのあるところ以外には行かない。

 23日の節分、昔なら78箇所は回ったが、今年は浅草寺と護国寺で豆をまいた。浅草寺では執事長に紹介されて挨拶したが、「36歳の年男の頃から通い始めて47年になります。これから来られるのは30年程度です」と言って皆を笑わせた。和泉前都議、石塚区議、そして桑原、澤田両君が相変わらず付き人然として私の世話を焼いてくれたが、元秘書だった石塚君曰く「大臣の時は、公務のため間に合わず行列を遅らせてもらいました。隆介君や自分が代理をつとめたこともあります・・・」。家内をはじめ家族全員が私と歩いたが沿道はほとんど外国人、浅草も随分変わったものだ。

護国寺は、故四宮代議士の私設秘書の時から来ているから55年目になる。ここは中屋都議(私の元大臣秘書官)が世話を焼いてくれた。生憎岡本貫首は加減が悪く欠席だが、ここは友人が多いし、集る人たちも近隣の日本人ばかり、娘恵理が教え子たちと奇声を上げるから一層賑やかだった。新派の女優波乃久里子さんや遠州流家元夫人親子など懐かしい人ばかりで楽しかった。

最近私のお気に入りの言葉 「今宵酒あらば今宵酒を飲む、明日憂い来れば、明日憂う」、本当はあと何年行けるのか、そんなことを今考えることはないのだ。


野中広務氏の逝去が報じられた。細川政権打倒に燃えたあの頃のことが鮮明に思い浮かぶ。私が予算委員会筆頭理事、野中氏は次席理事で、二人は自民党議員の中では珍しい野党経験者(私は美濃部知事時代の都議、野中氏は蜷川府政での府議)、武闘派と呼ばれて大いに論陣を張って、わずか8ヶ月で退陣に追い込んだ。彼と故小渕首相から「次の幹事長に」と言われたこともあった。マスコミ曰く「幻の幹事長」である。10歳上の92歳、謹んでご冥福を祈りたい。


大相撲理事選、あんなに大騒ぎしたが、大山鳴動して、変化なしに終わった。貴乃花親方には浮動票が集ると、大相撲記者クラブ会友などが、したり顔で予想を立てていたが全滅だった。要は貴乃花親方が「政界の言うだけ番長」のように、改革と言うだけで、4期も理事でいながら成果を挙げていなかったから、他の親方衆から信頼されなかったに過ぎない。この際相撲協会も襟を正してしっかりやらなければならない。「則天去私」の心が必要なのである。



第750回「楽しみて以て憂えを忘る」

 深谷隆司の言いたい放題第750回

 「楽しみて以て憂えを忘る」


論語の中にある一節だ。人間だから辛いこと苦しいこともあるが、その中にも道を楽しみ、憂いを忘れる余裕と趣味を持つこと、の意である。

私の生き方もそうありたいといつも思い実践している。新年を迎えて家族との時間を楽しみ、友人達との痛飲の愉快な時も多い。


大相撲正月場所、今年は4回足を運んだ。江戸のことわざに「五日の相撲を七日行く」とある。昔、五日間の興行で、寺社の境内に小屋掛けする時から、全取り組みに熱中した上、小屋の解体作業まで見に行くという熱狂振りを言ったのである。勿論そこまでではないが、二所ノ関部屋後援会長を10年以上も引き受けているし、近頃は松村先生の依頼で友綱部屋の看板も揮毫しているから、半端ではない。二所ノ関親方が事故で大怪我して以来、心配で見舞いにも行っているが、みづえ夫人の報告では着実に回復しつつあるようだ。理事を外れることになったのは残念だが、一日も早い全快を祈るのみである。

不祥事が多く、相撲協会の自覚と改善は必要だが、問題はあるものの、連日満員で人気は変わらない。相撲道は大事だが本来娯楽と興行で、歌舞伎と同じく日本の独特の文化だから、目くじら立てずに見守っていきたいものだ。

23日、溜席(通称)砂かぶりの最前列に陣取って見物したが、テレビで何度も映るので、知人達から(大袈裟ではなく全国各地から)次々と連絡が入った。

現役時代は、テレビに映らないところを必ず選んだものだが、みんなが「元気でよかった」と言ってくれるから、たまにはここに座るのもいいかと思ったものである。

この日は松鳳山関が破れて残念だったが、千秋楽は千葉の二所ノ関部屋の打ち上げに行って檄を飛ばさなければならない。


「君子に三楽あり」は、一に父母健在、兄弟に事故が無いこと、二に天地に恥じることが無いこと、三に天下の英才を得てこれを教育することをいう。大相撲の後、自民党政経塾でいつものように熱弁をふるった。今回はNHK大河ドラマ「せごどん」にちなんで維新の三傑の1人西郷隆盛を語った。

あと1回講義を行ない、36日に12年目の塾終了式となる。いつも定員オーバーの満員盛況だが、既に2千人を越える人材を送り出している。

13年目も引き続いて私が塾長をつとめるが、次々と新しい人材が集ってくれることを思うと胸が熱くなる。渋谷の徳真会クオーツタワーでの温故知新塾も順調で、15日に3期生を迎えた。

とかく批判されがちだが、今の若い世代、意外に(と言っては失礼だが)真面目で頼もしい。「楽しみ」を持って私も前進あるのみである。