第768回「隅田川花火・・・など」

 深谷隆司の言いたい放題第768回

 「隅田川花火・・・など」

 西日本の豪雨で200人以上の方が亡くなり、被災者は今も苦しまれている。その上の台風12号でまさに災害列島、心からご冥福を祈り、1日も早い復興を祈るのみである。

 亡くなった方の半数は土砂被害であった。自衛隊の諸君が胸まで土砂に埋まりながらの救出作業、消防隊、警察官、役所の人々など、そのご苦労に頭が下がる思いである。知事からの要請で三入(みいり)小学校で入浴支援を行っている時、低学年の女の子が手紙を自衛官に渡した。そこには感謝の言葉に添えて、敬礼する女の子のイラストが書かれていた。自衛官はそれをコピーし、皆に配って「お守り」にしたという。そんなエピソードに触れて胸が熱くなった。


 台風のため隅田川花火大会が1日延期で29日になった。この日は稲城市のわかば台デンタルクリニック(徳真会松村理事長)で私が書いた150号の書「夢限りなく」の除幕式、花火見物は来年までお預けとなった。

 隅田川花火の歴史は古い。享保17年、全国的飢饉、江戸でのコレラで多くの人が亡くなった。八代将軍徳川吉宗は鎮魂のために翌年両国橋で水神祭を行い、その余興として始めたのが花火であった。

 明治維新や大東亜戦争などで中断があったが、特に戦後は水質汚濁、交通渋滞等で長らく行われなかった。都会議員になった私などが中心になって復活運動を展開、秦野章元警視総監を知事候補に担ぎ上げた時には、「花火復活」を公約にも盛り込んだものである。

 1978年、ついに復活し今年で41回目になる。郵政大臣の時には、みのもんた氏、浅香光代さんらとテレビ中継などにも出演した。

 約87万4千人もの見物客が2万発の花火を楽しんだが、隅田川花火大会は私にとっても忘れられない想い出につながっているのである。


 除幕式の後、日野市にあるステーキレストラン「大洋軒」で会食した。実は萩生田官房副長官から、「このご主人から、深谷先生を連れてきてくれと何度も言われた」と聞いて、喜んで出掛けることにしたのだ。

 「うかい亭」のトップシェフが独立して作った店だが、昔、家族と何回か来たことがある。なんと40年ぶりの訪問再会で、オーナー夫婦が小躍りして喜んでくれた。

 出会いめぐり合いの不思議、面白さを噛みしめながら、萩生田副長官差し入れのシャンパンで痛飲したものである。


 翌日は自宅で石塚台東自民党総支部長、和泉前都義、石川、太田両区議らと、来年の地方選挙の打ち合わせ、夜は「温故知新塾」で1時間半の講義、最近は講義が終わると「出待ち」の塾生が10人ほどビルの前に居る。

 今日(31日)は、これから松村先生ご夫妻と家内共々箱根の湖水祭に出掛ける。明日は箱根神社例大祭、夜は戻ってビューホテルでの「木曜会」と続く。3日からは竹村安弘県議候補の選挙応援で長野県へ、孫の安希与が老体を心配して同行してくれるので安心である。


第767回「高温注意情報」

 深谷隆司の言いたい放題第767回

 「高温注意情報」

 岐阜県など、なんと40度を越すところもあるという酷暑、消防庁によると、9日から15日までの1週間で全国で1万人以上の人が熱中症で病院に運ばれたという。5年ぶりの猛暑に気象庁は高温注意情報を出した。

 特に心配なのは西日本豪雨で大変な苦労が続く人々の事である。なれない避難所での生活、炎天下の復旧作業で疲労は限界近くになっているのではないか。

 警察、消防、自衛隊、地域行政職員、更に多くのボランティアの方々のご努力には頭が下がる思いだが、「決して無理をせずに自分の体をいたわりながら頑張って下さい」としか言いようがない。

 それにしても2年後の東京五輪、暑さは大丈夫なのか。今から酷暑を乗り切る手立てを真剣に考えていかなければならないと思う。


 東京五輪といえば、目下一番苦労しているのが森喜朗氏である。幻冬舎から出した「遺言 東京五輪への覚悟」を読むと、癌と戦いながら悲壮な覚悟で努力している姿がわかる。しかも、一部マスコミの誤った報道や批判、猪瀬元都知事の杜撰な計画、無責任な言動、更に極めつけは小池知事だが、あらゆる機会に彼の足を引っ張ってきたことが具体的に書かれている。今でこそ実像がさらけ出され、小池ブームなど跡形もないが、一時は森氏を悪役に仕立てあげ、自分が五輪を牛耳ろうとしたことなどもあったようだ。

 平和と繁栄に貢献している日本の姿を国際社会に示す絶好の機会が東京五輪だ。又、国内経済を繁栄させ、五輪を見て感動する若い人達は愛国心も涵養される。

 まさにオールジャパンの体制で臨むべきが東京五輪なのだ。この成功のためにみんなで協力しなければと強く思っている。



 暑さの所為ではなかろうが、13日、演出家の浅利慶太さんが亡くなった。昔、石原慎太郎氏が都知事選に出馬したことがあったが、その時の参謀として集ったのが中曽根康弘氏と浅利氏、佐藤孝行氏、飯島茂氏(政治評論家)と私の5人であった。戦後日本の演劇界の最大リーダーであった浅利氏は、劇団四季を大成功させた人だけに、選挙でも数々の演出、アイディアを出したものだ。この選挙は美濃部氏に敗れたが、私は石原裕次郎氏という盟友を得た。素晴らしい人だったが52歳で早世した。そういえば裕次郎はこの7月17日が命日であった。


 女房は猛暑に弱り気味だが、私は元気一杯、自民党政経塾、温故知新塾で教え、丸川参議院議員、中屋都議会議員の大会などで連日獅子吼している。


続きを読む

第766回「心痛めて、祈る」

 深谷隆司の言いたい放題第766回

 「心痛めて、祈る」

 西日本の各地を観測史上1位といわれる大雨が襲った。数十年に1度の最大の被害の危険が迫った時に発表する「特別警報」が11府県に出された。

 連日悲惨な状況が報道されているが、今朝、89人と発表された死者が昼には97人となり、行方不明者53人と増え続けている。

 記録的な豪雨で崖が崩れ、道路がふさがり、氾濫した川が橋を流し、洪水が家々を崩壊させた。電気、水道が止まり、普通の生活が出来なくなり、途方にくれる人々の姿が映し出されるたびに、やり場のない思いで胸が痛んだ。


 災害といえば平成7年(1995年)1月の阪神淡路大震災のことを思い出す。あの時は未曾有の大地震で6300人の死者を出した。

 当時、私は予算委員会筆頭理事、又、創設されたばかりの与党院内総務会初代座長であった。お役目柄、直ちに現地に赴き、ヘリコプターで鳴門海峡を越えて神戸に入りした。この世とも思えぬ地獄絵を見るような瓦礫の中を6時間歩き続けた。

 しかもその年、私は自治大臣兼国家公安委員長に就任、なんと災害復興担当大臣として現地の再生のために心血注ぐ立場となった。再び現地を訪ねて「消防・防災1兆円構想」を発表し、あわせて全国の消防機関がいざという時相互に援助しあい、消防活動や人命救助活動が出来るようなシステム「緊急消防援助隊」を作りあげた。

 一方、「長崎雲仙普賢岳の大災害の復旧が遅れている、何とかして欲しい」との度重なる陳情も続いていた。

 災害基金として530億円が用意され、その金利を活用して復興に当たって来たが平成8年に期限が切れる。対策基金を1千億円にし、更に延長して欲しいというのが高田知事らの要望であった。

 私は要望通りに応えようと主張したが、当初、役所の幹部は違った思いであった。しかし、大臣の覚悟が真剣であると判断すると、そこはエリート達、その方向に向けて必死に努力してくれる。ついに要望通りの答えを出し、暮れの押し詰まった12月27日、現地に赴き直接発表したものだ。


 自身の命の危険にさらされながら、災害の現場で必死に頑張る自衛隊、警察、消防、地元関係者の努力には頭が下がる思いである。

 安倍総理を中心に、政府は各地の状況を集め緊急対策に全力で取り組んでいる。今こそ政治の力を存分に発揮させる時なのだ。

 一刻も早く、苦しんでおられる方たちを救って欲しい。不幸な状況に心を痛めつつ、ひたすら祈りをこめて願っている。