第665回「不幸な震災に思う」

 深谷隆司の言いたい放題第665回

 「不幸な震災に思う」


熊本県を中心に最大震度7の大地震が14日夜から続き、被災地拡大で熊本、大分両県で、一時は避難者数20万人規模に達し、死者は現時点で44人と報道されている。

阪神淡路大地震の後に自治大臣になり、現地を訪ね対応し、又、その前の雲仙普賢岳災害の復旧に一千億円の基金を作るなど、直接、指揮に当たった経験があるだけに、わがことのように思い、一層心が痛む。

東日本大震災の前夜、私の叙勲祝賀会が開かれたが、そこで司会を担当してくれた生島ヒロシさんの妹さんも、その時の犠牲者であった。

亡くなった方々のご冥福を祈ると共に被災者へのお見舞いと、一刻も早く地震が収束し、かの地が新しく再興されることを祈るのみである

政府の震災対応はかなり迅速で、必要な物資もしっかり届けられている。問題はそれらが県の集積拠点で滞留し、肝心の被災者に行き渡らない事態が生じている点である。道路網の寸断、輸送の困難さ、人手不足も分かるが、地方自治体が十分に対応出来ないもどかしさを感じる。

こんな時こそ、知事、県会議員、市会議員、町村会議員ら地方政治家の出番なのだが、あまり動きが伝わってこないのはどうしたわけか。

直下型地震が心配される東京、このことに十分思いを致し、今から万全の体制をつくるよう、身近な議員を対象にハッパをかけなければと思っている。

現地で自衛隊員が活躍する姿には頭が下がる。この人達がいなかったら一体どうなっているのか、自衛隊の存在をもっと認識し、感謝しなければならないと強く思った。

米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイが投入された。2013年のフィリピンの巨大台風の時もそうだが、人員と物資の輸送に絶大な能力を発揮することは間違いない。有事の際の切り札ともいえるオスプレイに、ただ反対を唱える活動家は別にして、われわれはもっと深い理解をもたねばならない。

地震発生後の15日未明、民進党は公式ツイッターで、東日本大震災時の野党自民党の対応を批判する投稿を行った。「一部の自民党の有力議員が原発対応についてデマを流し政権の足を引っ張ったのも有名な話」と根拠も示さず投稿を続け、さすがに大反発で炎上、あわてて削除した。余震が続き政府や自治体が懸命に努力している時、こんな姿勢は断じて許せない

18日の特別委員会で民進党の大西健介議員は、安倍総理が現地視察の中止を決めたことを批判した。民主党政権時に起きた大震災の翌日、菅直人首相が福島第一原発を視察し、大失敗をしたことを忘れたのか。現地に行って迷惑をかけることなく、為政者は本部にあって、全体を見据え、正しく指揮することが肝要なのだ。

社民党の福島瑞穂前党首は、別のことであろうが、地震発生2時間後「ハッピーハッピー」と自分のツイッターでつぶやいた。共産党の衆議院東京3区候補予定者は党の演説会で募金を呼びかけ37万円集め、「熊本の被災地救援、北海道5区補選、党躍進のためありがたく使わせていただきます」とツイッターに書き込んで、これも炎上。どいつもこいつも碌でもない政治家で情けない。

震災が人災とならぬよう、皆で監視しなければなるまいと思っている。



第664回「車椅子で祝賀会へ」

 深谷隆司の言いたい放題第664回

 「車椅子で祝賀会へ」


 412日、ホテル・ニュー・オータニで徳真会35周年祝賀会が開かれ、私も家族と共に出席した。近年、家族づきあいを続け、もっとも敬愛する松村博史理事長率いる巨大歯科グループの祝賀会だ。

実は9日深夜、自宅で転倒、顔面を強打、右肩を痛め、足指にひびが入るというアクシデントがあって、車椅子での参加となった。

名医の北本先生、元赤坂診療所仲尾先生の適切な処置で事なきをえたが、顔はややパンダ風、しばらく自重して過ごすしかない。

あの夜は、辻代議士、和泉区議、それに週刊誌記者らと談論風発、つい愉快になって、歳も考えず若手と五分に(それ以上かも?)飲んだのがいけなかった。  

猛反省、今後は「若い」といわれても調子に乗らず、老人らしい生活態度で過ごそうと誓った。


松村理事長率いる歯科グループ徳真会が、新潟でスタートした時はユニット3台、7人のスタッフしかいなかった。今では日本はもとより海外まで手を広げて、患者90万人を抱える、東洋一のグループだ。まだ3合目、目指すは世界一だという松村氏の大きな夢に私は感動している。

過日、渋谷の一等地に、シンボルタワーというべきクォーツタワーを建てたがそこに「温故知新塾」を創設、乞われて私が塾長になった。「日本のかたち」というタイトルで、日本の素晴らしい歴史を詳細語り、若者に日本人としての誇り、国を愛する心を育てるつもりである。ちなみに自民党政経塾塾長は11年目に入ったが、今日、八木局長の報告で、今年も100人定員を超え170人ほどの若者が応募してきたとあった。11年連続超満員、嬉しいことである。


祝賀会会場は160人で盛況、私が冒頭紹介されたが、演壇には登れず自席で挨拶した。柔道の山下泰裕氏、なでしこジャパン前監督佐々木則夫氏、歌手の橋幸夫氏らが次々と立って壇上で挨拶したが、非常に中身の濃い、薀蓄のある立派な内容で、決して飽きさせなかった。

山下氏はロスオリンピックで右足損傷しながらのゴールドメダリスト、実は初代スポーツ大臣になれたのに、柔道幹部らの慰留によって辞退、鈴木大地氏に決まったという裏話がある。

佐々木氏はサッカー日本代表の監督になって、ワールドカップで日本初の優勝をもたらした人、残念ながら今回リオ五輪の出場権を失い、責任を取って退任した。ユーモアとセンスのいい人である。

歌手、俳優の橋幸夫氏は、「潮来傘」で華やかにデビュー、レコード大賞に輝き、紅白歌合戦に計19回出場の超ベテランだ。昔、暴漢に襲われたが、相手の軍刀を握り締め、ついに逮捕に至ったという武勇伝もある。    

他に次々と立たれた方も世に名を成した人々、総じて言えることは、人格的にも立派で、人生を真剣に生きてこられた方々ばかりであった。

松村理事長はこうした人々との出会いを大切にし、その後も大事に交流を重ねている。今日の成功はまさにこうした人々を自分の大きな糧にし、財産としてこられたからだと改めて思った。内助の功の奥さんの存在も大きい。

最後の余興は私が紹介した日本手妻(手品)の藤山新太郎氏一行。彼は伝統的日本手妻の継承者で、文化庁から3度も芸術祭賞を貰っている。今回は、舞台のあちこちから水が吹き出る、江戸時代からの大掛かりな水芸が中心で、羽織袴姿で会場を沸かせた。

本当にすばらしい会であった。今後の躍進は間違いない。40周年、50周年の祝賀会もやるとのことだが、はて、それまで私は生きているだろうか・・・、せめて転ばぬように注意しよう。

あまり楽しくて家族と2次会まで付き合ったが、冒頭の反省は何処へやら、又痛飲の一夜であった。



第663回「可愛い子供達」

 深谷隆司の言いたい放題第663回

 「可愛い子供達」


 娘恵理からの依頼で、インターナショナルスクールに通う10歳の子2人のインタビューを自宅で受けた。3人の親御さん(母2人、父1人)も一緒だった。

 今は5年生だが、この学校では次は中学生だ。学校に提出する課題に「集団的自衛権」「安保法改正」のテーマを選んだという。


思えば私が引揚者として、遠い満州から家族と共に日本にたどり着いたのは、昭和22年のことで、私が10才の時であった。この子達と同年だった。

大地に頬をつけて号泣する大人たちと同じように、私も泣いていた。そして、日本という国があってよかった、日本人であってよかったと思ったものである。初めて愛国心に目覚め、政治家へのほのかな夢を抱いた時でもあった。

可愛いくて幼い子供達を迎えたとき、どうやってこの難しい問題を理解させようか、大いに戸惑ったが、大人に対するのと同じような真摯な姿勢で語ろうと秘かに思った。


この子達は街頭にも立って大人たちに賛否を聞いたという。10人の内7人は反対だと答えたようだが、はっきりいって無責任な大人たちである。

私は毎年届く衆議院手帖を取り出して、憲法の制定過程、中身の矛盾点や問題点を詳細説明した。特に前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・」について、中国や北朝鮮などの脅威を語り、こんなユートピア精神は通用しないこと、同じ立場の国々と連携して国を守る必要性を説いた。特にそのために外交が如何に大事かを強調した。

一体、どの程度分かってくれたか不安だったが、日を経ずして子供達から連名の手紙が届いた。

「深谷先生、今日はありがとうございました。子供時代のこと、大臣の時のこと、先生の政治に向けての情熱、先生の勲章、全部がびっくりすることばかりでした。中でも、子供の時に中国から戻ってきた時、「日本人で良かった」という言葉と、「こんな立派な土地があってよかった」という言葉がとても印象的でした。

そして、日本の憲法が、8日間という短い時間でアメリカ人が作って、今も使われていると聞いて恐ろしくてありえないと思いました。

先生からお話を聞けてとても嬉しかったです。エキシビションの準備がうまく進められると思いました。僕達はインタースクールに通っているので、まずはお友達と外交をしていきます。又先生にお会いして、お話を聞きたいです。ありがとうございました。」

親御さんからの手紙も添えてあった。

「前文略・・ 私達親のほうが先生のお話に引き込まれてしまい、もっとお聞きしたくなりました。そして日本人の無知なことも反省!更なる勉強が必要であり、学びたいという気持ちになりました。先生のお話はただ情報を伝えてくれるだけでなく、色々な興味を引き出してくれる、そんな魔法にかかったような、魅力的なものでした。息子達も、難しいトピックであるものの、いろいろな視野も広がったようです。先生が手帳を広げ、憲法について説明してくれたことは、特に印象に残った様子でした。

実際、街中インタビューに行ったとき、私たちも同行したのですが、安保改正に賛成と答える人と、反対と答える人の理由にギャップを感じてました。反対の人のあさはかに・・、また単に戦争イヤとの理由だけでNOを示し、賛成の人の深い理由とは大きく違いがあることに、私自身おどろいていたのです。

先生から民主主義の矛盾についてもお話いただけたことは、息子達にとっても私たちにとってもとてもためになるものでした。

今後私たち親も、ニュースの情報だけに流されるのではなく、子供達に広い視点から物事をみられるように、まずは自分達が勉強しつづけていこうと思っております。

先生にお会いできたおかげで、息子たちだけでなく、私たちにもいろいろ学びきづきをいただけたこと、本当に感謝いたします。次回は先生の若さのひけつもお伺いしたいと思います!!! ご縁をいただきました恵理さんにも感謝いたします。」


嬉しい便りであった。子供達の純粋さ、親御さんたちの真面目さ、全て私にとって心地よい響きであった。

今月20日の温故知新塾、来月から自民党政経塾も11年目をスタートする。

講演原稿のキーボードを叩きながら、まだまだ頑張らなければと思うのであった。