第808回「ついに石塚君議長に」

 深谷隆司の言いたい放題第808回

 「ついに石塚君議長に」

 5月16日、台東区議会自民党太田幹事長らが来宅、「お陰で石塚猛君が議長に決まりました。さらにわが党の鈴木純君も副議長に決まりました」と嬉しい報告があった。今度こそと思って、私なりに様々な人に頼んできて、ようやく共産党を除く区議全員が了解したとの情報は得ていたが、改めて決まったと聞いてほっとした。前回は望月元美副議長1人であったから鈴木副議長の同時決定は上出来である。

 石塚君は専修大学の時、アルバイトで私の手伝いをしてくれた。当時、私は汚職事件で解散になった都議会の状況に憤慨し、区議を辞めて出馬、260票足りずの次点で浪人中であった。

 やがて私は最高点で都議になり、知事として人気を誇った美濃部亮吉氏と対決し、「美濃部キラー」と言われたものだ。37歳で国会議員になったが、数年後、石塚君は再び私の秘書になり、通産大臣の時、大臣秘書官になった。大臣秘書官には中屋都議や稲見、辻代議士政策秘書などがいる。

 台東区議4期、72歳になり、今年が最後のチャンスと思っていたから、家内共々家中で喜んだ。任期2年、ワールドカップ、オリンピックなど国家的行事が続くから活躍の場は大きい。

 鈴木副議長は故鈴木昭司区議の息子で3期目、最高点当選など何時も上位で当選した若手の有望株である。

 和泉ひろし君も区議に返り咲き、私も服部征夫区長の依頼を受け「台東区顧問(無給)」になったから、これからの台東区政は面白くなると思う。


 ところでこのブログ、ちょっと遅れたので色々な方から心配された。最近、少し体調が優れなかったことは事実だが、特に病というわけではない。

 激しかった地方選挙が終わってほっとしたのか、自宅風呂場で転倒、CT検査は異常なかったのだが、数日後から「耳鳴り」が始まった。

 杏林大学病院で治療を受けているが、加齢も含めて耳鳴りは起こって当然という状況であったらしい。これはどうも簡単に治るというものではないらしい。結構大勢の人が耳鳴りで苦労しているようだ。友人などの体験者から聞くと、「共に生きる」、つまり慣れるしかないようだ。医者も病気では無いのだら、通常の暮らしをして馴れて下さいと言う。

 5月は色々な仕事が山積している。自民党政経塾、温故知新塾、30日は神戸の関西学院大学の講義もある。二所ノ関部屋後援会長として大相撲関連にも顔を出す。そうだ21日はテレビに映る場所に座っている。6月には自民党新人議員研修会、旭秀鵬関の結婚式・・・やがて参議院選挙だ。

 ともかく気合を入れて頑張るのみ、と思っている。



第807回「令和時代幕開け」

 深谷隆司の言いたい放題第807回

 「令和時代幕開け」

 10日間の連休、前半は空いているとの交通情報を信じて、28日御殿場の冨士霊園にまずお墓参り、なんと40キロの渋滞であった。2日間箱根の山荘で過ごし、30日、「退位礼正殿の儀」のテレビ中継を見るため帰宅、天皇として最後のお言葉を伺った。「象徴としての私を受け入れてくれた国民への感謝と平和への祈り」、最後に「幸せでした」と言われた時、私は滂沱の涙であった。上皇陛下への感謝こそ国民全体の思いである。

 昭和天皇の「大喪の礼」を経験し、特に「即位の礼」の時、私は郵政大臣であった。崩御された昭和天皇のお声をお聞きすることは勿論無い。喪に服した1年間、世は全て自粛ムードで悲しく暗いものであった。

 令和元年5月1日の新天皇の御言葉を伺い、これから10月の即位の礼まで、お祝いの明るい日々が続く。改めて生前譲位の良さを噛みしめたものだった。



 それにつけても「令和」と言う元号は素晴らしい。1200年前、奈良時代に作られた日本最古の歌集「万葉集」からの新元号、初めて日本の古典から作られたことが特に嬉しい。

 4500首からなる歌集は、天皇、皇族のみならず農民から防人まで、あらゆる社会層に及ぶ。まさに民主主義が芽生えているではないか。万葉集は日本の豊かな国民文化と長い歴史と伝統を象徴している。

 民主主義の発生は古代ギリシャとかローマと言うが、奴隷の上に成り立った国にそんなものなどありはしない。日本こそ民主主義発祥の国なのである。

 「令」は清々しい、整って美しいの意で、令夫人令嬢などと使われる。「和」はやわらぎだ。「清々しく柔らかな時代にしたい」との願いが込められている。

 ところが何事にもけちをつけるものがいる。韓国の報道も、ロイター通信やBBC電子版まで、「令」は命令で権威主義的ニュアンスがある等と書いている。 

 朝日新聞や毎日新聞にも同じような事が書かれているが、「難癖をつけるのが報道」と信ずる彼等が、いつものように「つげ口」情報で流したのではないかと勘ぐりたくなる。日本の政治家にも同じような連中がいて、共産党の志位委員長、社民党又市党首はいつもの事だが、自民党の石破元幹事長まで「違和感がある」と語った。いい人なのに時々余計な事を言う。世論調査(産経・FNN )で87%が好感を持ったと答えている。各地の大歓迎振りはマスコミ報道で明らかで、そんな国民の心も理解出来ないのか。

 令和の時代も日本の内外とも困難な問題が山積している。国を挙げて「国家戦略」を議論し、少しでもよき時代を作らなければならない。私も感激と覚悟を持って、この時代に「為すべきこと為し」、立派に生き続けたいと思っている。



第806回「理不尽なWTO」

 深谷隆司の言いたい放題第806回

 「理不尽なWTO」

 25日、17時から「BLOGOS」のダイジェスト動画の取材が始まった。政治ジャーナリストの角谷浩一さんのインタビューの上手さはさすがで、「平成のキーマンが平成時代を総括する」をテーマに、私から様々な話を引き出してくれた。

 カメラを充分に配置し、専門スタッフも大勢で、実に手際よく進行させていく。今まで自宅でテレビ取材を何度も受けてきたが、通常のテレビ取材と比べて遜色が無い、いやそれ以上かも知れない。まさにこれからの時代のメディアだと思った。放送は連休明けとのこと、楽しみである。


 インタビューの中で、私が通産大臣としてシアトルで開かれたWTOに赴き、アメリカ側と激しく渡り合った時の事が話題となった。

 WTOは自由貿易促進を主たる目的で創設された国際機関で164ヵ国・地域が加盟している。国が多すぎる上、4分の3が開発途上国なので、近年なかなか話がまとまらないのが常となっている。

 当時、アメリカがアンチダンピング(国内より不当に高く輸出した場合、輸入国の産業保護のため関税を課する制度)を盛んに濫用し、日本の鉄鋼業界は大変苦労していた。私はこの濫用を規制する為、各国の大臣と次々に会談を行い、いわゆるロビー活動に全力を尽くした。

 ある席では、デイリー米商務長官が「このまま日本が主張を続けるなら、クリントン大統領は沖縄サミットに出席できない」とまで言い出し、私は激怒して「来たくなければ来なくていい」と啖呵を切ったこともある。

 ようやく分科会でペテグリー委員長(カナダの大臣)が、私の主張通りのペーパーを採択してくれた。これで「勝った」とばかり喜んでいたら、なんと米国のバシェスキー議長が突然、一方的に閉会を告げてしまったのである。自国の主張が通らないと平気で閉じてしまう、米国とはなんと勝手な国だと思ったが、外交とはまさに戦場なのである。

 WTO会議では、こうした理不尽な状況が多く、事がまとまらないから、その後は二国間協定のFTA(貿易協定)、EPA(経済連携協定)、更にはTPP(環太平洋連携協定)等へと移行しつつあるのだ。


 最近でも、WTO紛争処理機関で、韓国による福島県など8県産水産物の「輸入禁止措置」に対して、日本が不当と主張し、一審ではそれが受け入れられた。ところが、なんと上級委員会では違反かどうかの判断をせず、一審を破棄して日本の主張を退け、日本は逆転敗訴してしまったのだ。

 明確な科学的根拠が示されているのにこれを軽視した結論である。これでは国際的は風評被害ではないか。被災地の復興の努力に水を差すWTOに私は怒りを覚える。

 目下、日本はこの判断に断固抗議しているが、欧米訪問中の安倍首相もEU首脳との会談の中で、WTOの改革の必要性を訴え合意を得ている。


 平成時代、こうした外交上、理不尽なことが多かった。令和の時代こそ、日本は自国を守るために一歩も引かず、理不尽な事柄を克服して頑張っていかねばならないと強く思うのだった。