第693回「TOKYO自民党政経塾」

 深谷隆司の言いたい放題第693回

 「TOKYO自民党政経塾」


 月が変わって1日、自民党政経塾は相変わらず盛況で170人あまりで満員だった。まじめな塾生が熱心な眼差しで話に耳を傾けてくれる。一番心が和む時で、そんな暮らしが嬉しくていつの間にか11年が経過した。

この人たちに少しでも自分の考えを伝えたいと、講義内容を事前にしっかり調べて、原稿も自らパソコンで打つ。孫の安希与がパワーポイントで決めてくれる。「温故知新塾」もそうだが、今ではこうした暮らしが私のライフワークとなっている。

1030日、小池塾が開講した。なんと2900人も集まったと話題を集め、1億円を越える資金がどう使われるのかとマスコミは喧しい。

2012年に橋下大阪市長が維新政治塾を作ったが、それと酷似しているようにも見える。あの時は全国300の衆議院小選挙区に候補者を立てようとしたといわれ、事実、いわゆる橋下チルドレンが生まれたが、議員になった人の評判はすこぶる悪い。浪速のエリカといわれた上西小百合衆議院議員は、国会をサボって秘書と不倫旅行、ついに橋下氏の逆鱗に触れて除名処分になった。それでも懲りずに自叙伝を出し裸に近い写真まで載せた。

美しすぎる議員といわれた小林由佳堺市議、政治費不正で市から刑事告訴されている・・・といった具合だ。

小池塾に参加した塾生をマスコミがさかんに取材していたが、エド何とかといった一発屋の芸人さんもいて、これは売名かと思ったら早速翌日のテレビにゲスト出演していた。衣を着た坊さんが「来年、台東区から出馬します」と言ったので、驚いてよく見ると、なんと前回台東区議選挙で落選した泡沫候補者であった。当然ながら玉石混交といったところである。

真剣な人も多いだろうから、せめて彼等の気持ちを大事に、本気で、継続的に取り組んで欲しいものと思った。


28日、私が出演した6チャンネルの「ゴゴスマ」、ほぼ1時間と長かったが、ずいぶん多くの人が見ていてくれていたようで反響が大きかった。

ディレクターや番組のスタッフからも「おかげで視聴率が上がりました。又近く出演してください」と具体的な数字を挙げた丁寧な電話が入った。たまにテレビに出ると、ご無沙汰している遠方の友人たちから「元気でよかった」等と思いがけない連絡が入る。早速、連絡してくれた同級生の堀越君や吉岡君、同年輩の清水さんなどに声をかけて、31日、浅草で痛飲した。お互いすっかり歳をとったが、意気軒昂、まだまだこれからだと励ましあったものである。

5日から京都護王神社130年祭に挨拶を頼まれ出掛ける。心身ともに順調、これからも精一杯生きたいと思っている。



第692回「検診まずまず、活動再開」

 深谷隆司の言いたい放題第692回

 「検診まずまず、活動再開」


 11度の検診を昨日(1026日)終えた。12年前、杏林大学病院で大腸がんの手術を受け、以来、当初は年2回、今では1回の定期検診を受けている。検診日までやっぱり内心不安で、このところなんとなく気分が晴れなかった。

今回、かろうじてパス、少しほっとしている。かろうじてとは、相変わらずポリープをいくつかとって検体にまわされたこと、食道炎や逆流性胃炎で用心してくださいと言われたこと、特に1週間の禁酒を申し渡されたことなどである。

 検診直後、松田理事長やご子息夫妻から食事をご馳走になり、「なんでもなくて良かったよ」と改めて言われ、ようやく安心、「さあ、又頑張ろう」となった。


今週の「ダイヤモンド」誌に私のコメントが載っているが、今日は「週刊朝日」来週は「アエラ」の取材と続く。

明日(28日)は「ゴゴスマ(東京では6チャンネル)」に出演のため名古屋に行く、日帰りの強行軍だ。

当日155分からの15県他に流れる生放送だが、スタジオが名古屋なのである。

 いずれも小池知事にまつわる諸問題だが、あまりに急激に手を広げすぎ、あれもこれも大きな問題になっている。勇ましいし、多くの支持を受けているのは事実なのだが、肝腎の答えが出たわけではない。

 バンドラの箱は開けたが、さてどう収束させるのか、その点が全く見えてこないのである。そのあたりで深谷の考えを聞きたいということのようである。

 豊島、練馬両区の党規違反に問われた7人の区議をどう扱うのか、ここも関心の的だ。

政党にはおのずから守るべき規範があって、それに反すれば処分の対象になる、当たり前のことだと根っからの政党人である私は思っている。

 知事選挙で敗れ、執行部は責任を取って辞任し、私が選考委員長になって新執行部が誕生した。党規に反した場合の処分はそれと裏表の関係で、政党の組織論からいって当然のことなのである。

 若狭氏は厳重注意なのに、といった声もあるが、国会議員の場合は党本部マター、地方議員の場合は都連が決める。

1030日まで」と処分の期限を長く取ったのは、その間に行われる第10区の衆議院補欠選挙で、区議双方の融和が計られると考えたからだ。しかし、実際は造反組の7人の侍(小池知事が命名)がマスコミの話題を集めすっかり英雄気取り、逆に党の方針に従った12人の区議は選挙中、選対会議にも呼ばれず、完全に阻害され、「あれはいじめではないか」との声が出るほどの状況であった。

 「落ち着いた判断が出来るまで時間がかかる」、二階幹事長の発言には、彼独特の含みがあるように思える。

近年、権力や評判におもねて、率直にものを言う人が少なくなっていないか。私の場合、何の気兼ねもなく、思ったことをはっきり言ってきた。どうもそのあたりがマスコミ陣が多く私を訪ねてくる理由のようだ。

ならば期待に応えて?しっかり語ろうではないか。まだまだ私の活動の場は続く。「嬉しいこころ」なのである。



第691回「忙中閑あり」

 深谷隆司の言いたい放題第691回

 「忙中閑あり」


 最近、歌舞伎、ディナーショー、浅草の芝居と舞台三昧が続いた。

松竹の岡崎哲也常務のご案内で、今まさに話題の八代目中村芝翫等親子4人の襲名披露大歌舞伎を観た。さすがにすばらしく、すっかり歌舞伎を堪能することが出来た。(余計なことだが是非「イヤホンガイド」をお勧めする。難しいセリフも大丈夫、舞踊の一つ一つ心の動きまで説明してくれるのだから磐石である)

小田原名物「ういろう」を売るために、薬の由来や効能を長台詞、早口言葉で語ることで話題を集めた歌舞伎十八番の「外郎売」から舞台が始まる。愛之助が急遽代役となった時、これを見事に語って、今の地位を得たとか、これは家内の説明である。あだ討ちものだが、残念ながら肝腎の芝翫が出ず、松緑の外郎売りは何故か台詞が短く終わって物足りなかった。

次は襲名披露の口上である。4人を中心に歌舞伎界の代表的な人達が豪華絢爛、舞台狭しと並んでいる。中央の坂田藤十郎から口上が始まったが、それぞれが思い思いの口上で、尾上菊五郎など「奥さんに叱られながら」とやって場内爆笑であった。

芝翫中心の芝居は「熊谷陣屋」だ。敦盛の首を討ったが実はわが子の首、最大の見せ場は「首実検」で、熊谷次郎直実の沈痛な思いを芝翫が見事に演じた。幕切れは僧となった熊谷をはじめ登場人物が絵面に決まって襲名披露の一幕となった。

最後は玉三郎の「藤娘」、藤の精が娘となって現れ、その恋心を踊るのだが、この世のものとも思えぬ美しさ、幻想的で陶然とさせてくれた。もう還暦の筈だが、この美しさと踊りの見事さの背景には日頃の端正な生き方があると思った。

後日、岡崎氏との会食の折、香川照之こと市川中車とも連絡が取れて、しばらく懐旧を楽しんだ。ひところ毎日のように私の家に出入りしていて、私はわが子のような愛着を覚えたものであった。長く生きると人生は楽しい。


奈美悦子ディナーショーは1021日。娘恵理が「おもてなし教室」を開いているが、そのお陰で安倍昭江夫人等大勢の友人がいる。奈美悦子もその1人だ。  

彼女は昔、西野バレー団に所属し、金井克子や由美かおると人気スターとして一世を風靡した。一時大病を患ったが見事克服し、今はテレビのバラエティ番組等で人気者だ。何曲もジャズを歌い続けたが、声量も豊かで衰えていない。立派なものであった。終了後も皆で痛飲、大満足であった。


翌日は浅草観音裏の「ゴロゴロ会館」で、劇団にんげん座の「回れ走馬灯」観劇。作演出が私の高校の同窓生飯田一雄氏で、是非来てくれと何度も手紙を貰った。

浅草六区は戦前、オペラから軽演劇で栄え、エノケンやロッパが人気を集めた。

戦後満州から引き揚げてから、父に連れられて何度も行ったが、瓢箪池がまだあって、いつも押しあいへし合いの大層な人出であった。ごみごみした屋台が並び、見世物小屋があり、香具師(やし)の口上の声がにぎやかだった。映画館、ストリップ劇場も盛んで、渥美清や谷幹一等はショーの合間のコントで腕を磨いていた。20館以上あった映画館もほとんどなくなり、香具師達の姿も消えた。そんな浅草の郷愁を絶やすまいと「にんげん座」が生まれ、永六輔や小沢昭一が支えた。今はその二人もいない。

正直、役者の演技も上手いとはいえないが一生懸命さが伝わる。まさに「昭和アチャラカ時代」の舞台再現だ。合間に歌と踊り(これは見事)、小出芳明とデキシーショーケース(旧知の仲で挨拶を受ける)のジャズも入り、てんこ盛りの雑多さなのである。

家内には少々無理だったようだが、私は70年も前の浅草を走馬灯のように想いうかべ感慨無量であった。


今夜(22日)は、人間国宝新内仲三郎の芸を聴きに上野「亀屋」に行く。鰻で一杯飲んで、新内を堪能する。忙中閑ありで、幸せである・・・。