第682回「150号虎の絵完成」

 深谷隆司の言いたい放題第682回

 「150号虎の絵完成」


選挙関係で忙殺されていたが、ようやく時間が出来、811日から4日間、箱根に籠り、依頼されている虎の絵に取り組んだ。

既に数ヶ月前から様々な虎の絵を描いている。なかなか思うような形が描けなかったが、知事選挙前、ようやく納得出来る下絵が出来上がった。試作した絵は30枚を越えている。その間、二科展仲間の幹田陽彦さんには銀座伊東屋への画材購入等で何度も足を運んでもらうなど苦労をかけた。


下絵を150号、つまり畳三畳の大きさに描き直さなければならない。そんな場所は私の山荘にはない。いつものように近くの日本画家、中野嘉之先生の別荘兼アトリエを使わせていただくことになった。

先生は多摩美大の学部長も勤められた高名な日本画家で70歳、私とは40年のお付き合いになる。

昨年、仙台の「あすと長町デンタルクリニック」の正面玄関に飾るべく、徳真会松村博史理事長から依頼されて龍の絵を描いたのだが、今回は新たに出来る仙台の「青葉西デンタルクリニック」の玄関に掲額するためのものである。

前回もそうだったが、4日間、私が作画に取り組む後ろで、先生ご夫妻と私の妻が介添え役をつとめてくれる。妻は総監督、中野夫人は監督といった風情だ。

なによりも嬉しいのは中野先生自ら、様々な下準備を整えてくれたことである。まず、黄土の中に胡粉を混ぜて塗った和紙のパネルを用意してくれている。

私はとてつもなく大きい下図を本紙に写しかえ、デッサンを見ながら新しく描いていく。本番では、濃い墨で一気に虎の絵を描き上げる。上手く描けなければ取り返しがつかない、たちまちアウトなのだ。

前回の場合は水墨画だった。今回は岩料と膠を水で溶き、色彩豊かに描かなければならない。色を平均に広げていくことだけでも本当に難しい。中野先生指導の下、まさに日本画への初挑戦であった。

最終日、後一歩で完成という時、肝心の落款を自宅に置いてきたことに気づいた。

急遽、和泉浩司君に連絡すると、「分かりました」と答え、なんと2時間半かけて自ら運転して届けてくれた。

いよいよ最も重要な目をいれる。白目の部分を金、黒目の周りには緑青を焼いて縁取りし、黒目を入れた。瞬間、虎に生気が生じ、生命が宿った。

全員で歓声を上げた。総監督と監督が抱き合って泣いている。私も中野先生も、そして和泉君も感極まって絶句していた。


夜、仙石原のアルベルト・バンブーで完成祝賀会、幸いにも和泉君の都議当選祝いも兼ねることが出来た。

本当にきつい作業だった。わずか1年前、龍を描いた時と疲労感が全く違う。からだ中の節々が痛んで、妻共々、歳のせいかと体力の限界を感じたものである。

しかし、だからこそ達成感が一層大きくて、まさに至福の時であった。

来年、あと2枚描いて欲しいと松村理事長から既に依頼されている。

無理かな、と思いつつも、こんな機会が与えられることはありがたいこと、体を大事に鍛えなおして・・・と、すっかりやる気になっているのであった。


第681回「選考委員長の大役に」

 深谷隆司の言いたい放題第681回

 「選考委員長の大役に」


 自民党が都知事選挙に敗れて混乱が続いている。知事候補者選考過程については、直接関与する立場になかったのでつまびらかには分からないが、少なくとも自民党本部の決定であったことは間違いない。しかし大敗するや、安倍総裁も二階幹事長も、早速小池知事と面会し、「一本取られた」、「打ちかたやめ」と言い、協力体制を打ち出した。それはある程度やむをえないことだが、直接戦った自民党都連はすっかり取り残された形になって、それどころか世論やマスコミの好餌になっている。

 知事が都議会自民党を訪れた時、総務会長一人しか出迎えなかったこと、議長に会いに行くと、一緒の写真をという記者の注文に応じなかったこと、更には石原会長の記者会見で「本来の責任は党本部の幹事長にある」と責任を転嫁した云々・・・。もはや何をやってもことごとくが批判の対象になっている。

 党規に反した場合、当然懲罰の対象になるが、どうもうやむやになる公算が高い。豊島区など、なんと知事選挙が終わった直後、81日に支部総務会を開き問題の若狭勝衆院議員を支部長に決めてしまい、党のために尽くした9人の自民党区会議員が路頭に迷うことになってしまった。

 勝てば官軍と言うが、これでは政党は存続できない。きちんとけりをつけるべきだと私は思っている。 

4日、幹部会合で石原会長、内田幹事長等五役が責任を取って辞意を表明し、今日(5日)、11時から開かれた支部長常任総務合同会議で正式に辞任が決まった。

問題は、これから新役員をどうするかだが、席上、突然都連役員選考委員会名簿が配られ、なんと私が選考委員長になっていた。

知事選挙の時も、出陣式の日、突然、石原会長から確認団体の選対本部長になって欲しいと懇願され引き受けたのだが、これでは時間がなく、十分な体制を組むことが出来なかった。

今回も、直前のことで戸惑ったが、混乱の時だからと甘んじて引き受けることにした。正直に言えば、この歳になってもいざという時には頼りにされているということで、これは喜ぶべきことなのかもしれないと思うのである。

挨拶で「いつまでも後ろ向きでいてはならない。今までの執行部の努力に感謝し、これからも自信を持って前進しよう」と檄を飛ばした。

会合の部屋を出ると早速マスコミ陣に囲まれて大変な騒ぎとなった。馴れているとはいえ、失言や誤解の無いよう、心して発言した。

改めて思うことは大変な役目を引き受けたということで、選考委員会の結果次第で、自民党都連の興亡が決まるといっても決して過言ではないのだ。

五箇条のご誓文ではないが、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」で、しっかりみんなの声を聞き、誰もが納得するような立派な人事を決めたいと思っている。

帰宅後、増田ひろや氏が挨拶にこられた。誠実で朴訥な人柄で、話すうちに、この人を応援したことは決して間違いではなかったと改めて思い、胸が痛んだ。

「どうか体を大切に、元気で頑張って下さい。今度、パワースポットといわれる娘恵理の家で、残念会、いや、激励会をやりましょう」と提案した。

今夜は和泉浩司夫妻らを招いてお祝いの会を主催する。

人生悲喜こもごも、波乱万丈であった自分の越し方を振り返りつつ、感慨無量の思いであった。


  

第680回「いずみ都議圧勝」

 深谷隆司の言いたい放題第680回

 「いずみ都議圧勝」


台東区は都知事選挙と同時に行われた都議会補欠選挙で、私の愛弟子の和泉浩司(いずみひろし)が、53,920票を獲得し、相手候補を実に21,700票も差をつけ圧勝した。和泉新都議会議員誕生は、全力で応援した私にとって大満足の結果であった。

和泉君を自民党公認に決定したのは、自民党台東総支部(私が総支部長)の総務会で決めた選考委員会であった。候補の一人太田区議会議長は党議に気持ちよく従ったものの、公認から外れた保坂区議は一時、無所属で出馬する動きを見せた。急遽開いた選対会議で私は激怒したものだが、結局、最後は円満に解決して、全員一致協力しての応援体制となった。寺井、石塚、石川、望月、鈴木、小島等自民党区議団も必死だった。隣の文京区から中屋都議が連日通っていた。 

公明党議員、無所属の5人の区議も応援に入ってくれた。

私の後継者である辻清人代議士を選対本部長に就け、初の体験をさせたが、張り切って飛び回り、大きな成果を挙げ意義があった。安倍医師、政木会長ら後援会の面々も熱が入る。まさに総力戦となった。

和泉君は最初、演説も行動もぎこちないものがあって、私は何度も叱咤激励した。家内からあまり叱っては気の毒だと言われたが、勝つためには必要なことと意に介さなかった。

 和泉君は応援者の温かい支援を受け、感謝の心で必死に運動を展開した。演説も政策的内容も次第に充実していった。最後の母校桜橋中学校での演説会では家内はじめ子ども達が皆涙した。私も思わず彼の手を握り「100点だ」と叫んだ。本当に都議会議員らしい風格が備わり立派になっていったのである。

 因みに和泉君の票は区政始まって以来の最高点、しかも小池都知事が台東区で得た票43,852票より1万票も多く、大いに溜飲をさげたものである。

 来年7月には又都議会議員選挙がある。和泉君には明日から選挙戦が始まると思えと念を押した。


 都知事選挙は小池氏の圧勝で終わった。自民党前衆議院議員でありながら、都連や都議団を批判し、個人で組織に挑む姿勢を強調した。強いて敵役を作り、これに果敢に挑戦するポーズ、まさに小泉流の劇場型選挙の演出であった。

舛添前知事が辞任願を出すと、主要三候補の中で誰よりも早く出馬を表明した。事前に党の了解も得ないでの出馬に党内の顰蹙をかったが、保守分裂の中、逆に同情票を集め、なんと自民党支持層の55%が小池氏に一票を投じた。

私の場合、出陣式の当日、突然石原会長から増田氏の確認団体の選対本部長就任を依頼された。前回の折は、党本部の石破幹事長からの手厚い依頼で、しかも十分な時間的余裕があった。

あまりに急の依頼に体制を作ることも出来ない。全体会議を開くべく何度も要請したが、ついに一度も出来なかった。代わりに確認団体の大会を23区と三多摩で開き、これは大成功であったが、やるべきことがやれないで私の心に大きな悔いを残した。私は知事選挙、地元の都議選挙で超多忙な日々が続いた。

増田ひろや候補は、元総務大臣であった。私は郵政大臣と自治大臣を勤めたがこの二つが合併したのが総務省、いわば私の大事な後輩大臣の一人で、好感を抱いていた。実直で誠実、何よりも地方自治に明るく、防災担当大臣であっただけに、東京の遅れている防災対策を確立してくれるとの期待があった。

しかし、知名度が全くなく、常に小池、鳥越氏の後塵を拝し、結局小池氏に大差で敗れた。敗れた直後、彼から感謝と不徳をわびる電話が入った。なんとも言いようがなく、ひたすら体を大事にと慰めるのみであった。


戦いは終わった。都政の安定こそ急務だ。やらなければならない課題が山積している。小池氏にはぜひとも、地に足をつけた都政を進めて欲しい。

都議会と対決するのではなく、いずれも都民の代表なのだと自覚して、都民のための都政を打ち立てて欲しい。


私はこれから、依頼されている150号の虎の絵に取り組まなければならない。 政治の雑踏?を避けて箱根の山荘にこもってしばらくは絵描きの真似事で過ごそうと思っている。