第677回「知事選挙 選対本部長に」

 深谷隆司の言いたい放題第677回

 「知事選挙 選対本部長に」


 いよいよ今日(714日)から知事選挙が始まった。10時半、千代田区隼町の増田ひろや出陣式(自・公推薦)に行くと、猛暑の中600人を超す支持者が集まっていた。

 事務所に入るとマイクで「深谷選対本部長がお見えになりました」とアナウンス。そんな話は聞いてないと言うと、あわてて石原都連会長が、「自分ひとりでは手に終えない、是非、確認団体の選対本部長として力を貸して下さい」。隣から「前回と同じ陣容でいきたいのです」との声もあった。

難しい選挙だが、かくなる上は逃げ出すわけにはいかない。「分かった。断じて戦う」と答え、早速宣伝カーの上で第一声をあげた。谷垣幹事長、茂木選対本部長など、馴染みの後輩メンバーが「久しぶりに深谷節を聞きました」・・・。

猛暑の中、大変な仕事になるが、老骨?に鞭打って頑張るのみだ。


私の地元台東区では東京都議会議員補欠選挙が22日から始まる。既に自民党公認は和泉ひろし前区議会議長に決め、着々と準備を進めている。

一時、無所属でも出ると騒いでいた保坂三蔵君の息子も、さすが状況を見て出馬を断念、12日、私の自宅を訪れ「ご迷惑をかけました。自民党の区議として今後も歩みたいのでご指導ください」と挨拶があった。

もとより彼を嫌ったり意図的に外した訳ではない。党として正式な協議の結果決めたことだ。私は彼の申し出を了として気持ちよく迎えようと答えた。

丁度、この日7時から和泉ひろしの決起集会がある。そこで私の演説中、このことを聴衆に話し、彼を迎え入れることにしようと決めた。

会場の台東区民会館は立ち見も入れて600人近い人があふれていた。予定通り私が演説中に呼び込むと、辻清人代議士が彼を連れて登場、万雷の拍手の中、和泉君と硬い握手を交わした。事前に誰にも言わなかったから、この場面は劇的で、これで自民党が一本にしっかりまとまったとの強いメッセージとなった。

長い政治家としての歩みから引退して、悠々と暮らそうと思っていたが、天はそんなゆとりを私に与えてくれない。

この数年、次々と選対本部長を頼まれ、選挙選挙に明け暮れ、いずれも結果が良かったが、しんどいことばかりであった。

若い人を育てるための塾をはじめ講演なども多い。11日には神田ダイヤモンドクラブに招かれて、「日本人の美徳」をテーマに1時間半語ったが、世話をしてくれた方は太田胃散の太田社長、この方は今、文京区の中屋文孝都議会議員(私の元秘書)の熱心な後援者だ。全てご縁でつながっているのだ。

「他人のため」と思っていたが、実はみんな「自分のため」なのである。

ありがたいこと、嬉しいことと受けとめて一層頑張りたいと思っている。



第676回「恩讐を越えて」

 深谷隆司の言いたい放題第676回

 「恩讐を越えて」


712日午前11時から、青山斎場で故鳩山邦夫氏の鳩山家、自民党の合同お別れ会が開かれた。

かつて選挙で散々戦った相手、多少の迷いがあったが、自民党都連から最高顧問として生花を出したとの報告もあったので、私も出席することにした。

会場で名刺を出すと何人かの案内の人が最前列の席に案内してくれる。そこは大臣席で、少し戸惑いもあり、なにかの間違いかと居心地も悪かったが、やがて指名焼香となったら、元総務会長深谷隆司と紹介するではないか。自民党葬だから当然とはいえ、行くまでは想像もしていないことであった。

家内から「泉下で鳩山さんが席を作ってくれたのかも」と言われ、胸に熱いものを感じた。まだ67歳、実行委員長の安倍総理も早すぎる逝去を惜しんでいたが、私も心からご冥福を祈った。


帰宅した午後2時、保坂まさひろ区議が訪ねて来た。

台東区では、服部前都議を区長に出した関係で、これから都議会補欠選挙が行われる。

3人の候補が手を挙げたが、自民党総支部長である私は、大会に代わる総務会を開き、選考委員を選び面接と協議を行った。様々な協議を経て前区議会議長の和泉浩司君を推薦することになり、総務会の議を経て正式に自民党から公認を受けることになった。

候補者の一人太田雅久議長はこの決定に気持ちよく従ってくれたが、保坂君は無所属で出馬すると宣言、決起大会を計画し案内状まで配布した。

そこで私は腹を固め、6日の和泉選対会議で断固戦う決意を表明、ブログでもはっきり戦う宣言をした。

翌日から、どうやら保坂君は出馬しないかもとの噂が立ったが、更に数日後、不出馬のメールが出された。

今日の訪問の冒頭、保坂君から「大変ご迷惑をおかけしました。これからも自民党区議として働きたいのでよろしくお願いします」と率直な言葉があった。

彼を個人的に嫌ったり、排除しようと思ったわけではない。そこまで言ってくれるなら私には異存はない。むしろ彼が気持ちよく党に戻れるよう努力しようと約束した。

「恩讐を越えて」というほど大袈裟なものではないが、色々のことがあって、ようやく一つの良い流れが出来たようで嬉しい。

家内曰く「真面目に、誠実に努力を尽くせば、必ず良い答えがかえってくるものです」、「ハイ、そうですね」と私。  

参議院選挙で自民党が大勝し、都連推薦の中川、朝日両候補が当選、更に私が後援会特別顧問をしている全国区の片山さつき女史も、東京トップで当選した。

自民党都知事候補は元岩手県知事増田寛也氏に決まった。彼は元総務大臣だから、元自治大臣の私の後輩大臣だ。もうタレントやアナウンサーなど、派手な連中は要らない。地味だが行政能力のある、誠実な人を出したい。又忙しくなる。

「いつも他人の為に深谷さんも大変だね」と言われるが、それが私の宿命だ。

和泉君も含めて、一つのすばらしい流れが生まれるよう、又精一杯頑張ろうと思っている。


   


第675回「自己中心の人とさよなら」

 深谷隆司の言いたい放題第675回

 「自己中心の人とさよなら」


前回のブログで、台東区都議会議員補欠選挙で和泉浩司君が自民党の公認に決定したと書きましたが、保坂三蔵君が、自分の息子を何故選ばないかと横槍を入れてきて、なんと無所属で立候補すると宣言したのです。

 保坂君は長年私の弟分を自称して来ましたが、私から見ればずいぶん迷惑も受けた、そんな印象が残ります。

 最初、都議を経て参議院東京選挙区で出馬し大変な大量得票で勝ちました。票をとり過ぎて過信したのか、3回目の選挙では不評を買い、票を減らして丸川女史に敗れました。3年後、今度は全国区に出たいと言い出し、当時定年直前でしたが公認をやっと取りましたが又落選。

次にはなんと台東区長に出たいと言い出だしました。それでは就職活動ではないか、政治家としての信念に欠ける、辞めるべきだと断りましたが、結局出馬、致命的大差で惨敗しました。

昨年、今度は区議会議員に倅を出したいと申し出、これは私も応じ、当選しましたが、わずか1年余、何もしないまま、今度は都議に出せというのです。 

前回申し上げましたが3人の候補者が名乗り出て、総務会の議を経て選考委員会に委ねられました。8人の選考委員による面接、慎重協議の結果、和泉君に決し、再び総務会の賛同を得て自民党都連に上申し、公認決定となったのです。勿論、選考委員会にまったく瑕疵はありません。

選考過程をもっと明らかにして欲しいとの要望がありましたが、あえて言えば、彼を支持した人は1人だけ、面接では都の職員数も分からず、なんとも頼りなく、弱冠42歳と若さを強調していましたが、「弱冠」とは2030代の人を言うのであって42歳はそんな歳ではありません。

残念ながらまだ都議に推薦できる状況ではありません。せめて何期か勉強して成長して欲しい、そのほうが彼の為と思いました。

要は自分の倅を選ばない選考委員会は認めないという判断なのでしょうか。

選挙になれば即、自民党除名になりますが、なんとも後味の悪い思いです。

自民党、関係者、特に有権者に迷惑がかかること必定で胸を痛めています。

ただ、かくなる上は私情を捨て断固自民党の必勝を期して頑張るのみです。

 都知事選もまだ先が読めませんが、都のため都民のために自分の人生をかけて努力しようという「本物」を選びたいものです。

 政治家の劣化が言われる今、愛国心に燃えている私の後継者辻清人君のような若い人をしっかり育てたい、これが私の真実の思いです。