第749回「新春スタート」

 深谷隆司の言いたい放題第749回

 「新春スタート」


大晦日から、わが一族が集って三が日を楽しく過ごした。昨年末は家内の骨折など心配ごとがあったが、皆元気に新年を迎えることが出来た。神仏のお陰、特に亡き両親のご加護の故と、改めて親の恩を噛みしめていた。

名物駅伝は息子が通った青山学院、私が教鞭をとった東洋大学、母校早稲田大学が3位までを独占、これも大満足であった。

4日からの中央区、台東区、文京区主催の初顔合わせから新年会が始まった。現職の時代は新年会が600箇所を数え、私、家内、秘書と手分けして必死で回ったものだ。「大変でしょう」と言われると、「身体は壊れませんが、がまぐちが壊れました」などと冗談を言ったものだ。今頃、辻君をはじめ後輩の諸君は大変だろうが、引退した私は悠々、出席を最小限にとどめているから、思えば夢のような話である。


14日、一般社団法人ION(アイオン)の竣工式に出席した。障害のある人たちのために就労支援を行なう福祉施設のオープンだ。ベテランの天宮一大夫妻が中心だが娘知美も理事として参加し、孫麻紀もここに通う。知美は私の友人佐藤豊氏主催の福祉事業チャレンジドジャパンに勤務していたが、歯科医療団体徳真会松村博史先生の下で働いていた麻紀と共にここに通うことになる。これから親子が終日一緒だから安心だ。

それにしても、私はなんと優しい人達に恵まれていることか・・・。それぞれの人たちの言動に家内と共に何度も胸を熱くしたものである。はるか年下の人達なのに、私も他人(ひと)のためにもっと働かなければと教えられたような心地であった。


15日、温故知新塾第3期が始まった。随分塾生が増えて、その上、いかにも真面目で立派な風情の人達ばかりで嬉しくなる。

渋谷のクオーツタワー10階が会場だが、ここは塾創設者松村先生の本拠地でもある。初年度は「日本のかたち」をテーマに、神代の時代から今日までの日本及ぶ日本人の足跡を辿った。ともすると自虐的になりがちな日本人が多いが(そんな教育をしたから)、実は世界に誇れる民族であることを具体的に話してきたのだ。これをまとめて昨年幻冬舎から「本当はすごい日本人」との拙著を世に送り出したばかりだ。2年目は人物像を中心のテーマで「生き方」を語ったが、今年も続け、これに刻々変わる時事問題の解説を加えようと思っている。

23日から自民党政経塾も始まる。講演依頼も多い。語ること教えることは学ぶことでもある。沢山の資料を集め、多くの本を読み、準備も大変だが、その苦労のお陰でアルツハイマーにはならない・・・?今年も大いに張り切っている。




第748回「明けましておめでとうございます」

 深谷隆司の言いたい放題第748回

「明けましておめでとうございます」


明けましておめでとうございます。新しい年をいかがお過ごしでしょうか。

私はおかげさまで元気に新春を迎えました。家族全員健康に恵まれての門出は誠に嬉しく、神仏の支え、そして皆様のお陰と感謝しています。

昨年は内外共に多難な年でした。私自身も選挙を含めて激しい日々でしたが、それなりに充実し、成果があったと思っています。

今年も困難なことが多いと存じますがしっかり乗り切る決意です。

「刻苦光明」という言葉があります。無心で苦労し努力すれば光明が得られる、しかし生半可のことではないとの教えです。無心とは余計なものを取っ払って本来の持ち味を生かすということでしょうか。

又、私の好きな言葉に「日々是好日」があります。禅では先のことを考えない、二度と無い、かけがいのない今日一日を精一杯生きるとの意味ですが、この二つの言葉を私の座右の銘として、日々を大事に暮らします。

今年が日本の国とって、そして貴方にとってより良き年になりますよう心からお祈りし、新春のご挨拶と致します。

平成30年1月元旦  82翁 深  谷  隆  司




第747回「私の10大ニュース」

 深谷隆司の言いたい放題第747回

 「私の10大ニュース」


今年もあと3日、昨日は和泉君の運転で、娘知美一家、孫隆仁と冨士霊園に両親の墓参り、箱根神社詣と、日帰りのちょっとした旅をした。夜は中野画伯夫妻も加わってザ・プリンス箱根「なだ万雅殿」で会食、渡辺支配人の変わらぬサービスで最高の味を楽しんだ。

6月、私が後援会長をしているに二所ノ関部屋の力士全員を招いて恵理の家で大宴会、ところが9月、親方が事故で重傷となった。10月に見舞ったが、私の顔を見てにっこり笑うなど着実に回復しつつある。妻高田みづえさんの献身的な介護で必ず全快すると信じている。

相撲界のお粗末な動きには辟易だが、松村先生を通じて頼まれて友綱部屋の看板文字を書いた。12月の序幕式は二所ノ関親方のことをおもんばかって欠席したが、スポーツ紙に「めちゃ嬉しい、カッコいい」と看板の横で喜ぶ友綱親方の写真を見て私も秘かに喜んだ。

塾長として教えている自民党政経塾は12年目を迎え相変わらずの満員盛況、11月の熱海合宿も充実したものになった。徳真会主催の温故知新塾は2年目が終わって目下3年目の塾生募集中、幻冬舎から昨年の講義をまとめた「本当はすごい日本人」も出版された。当初、三省堂、丸善、紀伊国屋でベストセラー第1位、浅草ROXの書店は今も1位が続いている。その他、大阪経済大学の講義など種々の講演でも忙しかった。

マスコミ関係では「ゴゴスマ」「ワイドスクランブル」「あさチャン!」等に何度も出演、論陣を張った。文春、新潮など週刊誌の取材も多く、夕刊フジでは「韓国嫌い」で写真入りで大きな記事になった。ゴゴスマからは私の誕生日に花が届けられ感激だった。そのオータニでの誕生会、私は孫の安希与とタップを踊ったが、最後は倅隆介の音頭で「星降る街角」を参加者全員で踊りまくった。恒例の陽気で圧巻の誕生会であった。

5月、中曽根康弘先生白寿の会、事務所を訪れご一緒に写真を撮ったが、「深谷君の手は暖かいな、若いっていいね」と言われてびっくり、来年は100歳、私も見習いたいと思った。5月に早大雄弁会同期OB会がパレスホテルで開かれたが随分亡くなって寂しいかぎり、皆が森喜朗氏と深谷の元気にあやかろうと語っていた。

なんと言っても一番大きなことは6月に行なわれた都議会と12月の衆議院選挙であった。小池ブーム、都民ファースト旋風で自民党は歴史的大敗北、なかや文孝君は辛くも勝ったが、和泉ひろし君など多くの良い人が敗れ、痛恨のきわみであった。衆議院選挙では私が選対総本部長となり全都を指揮し圧勝、特に選挙区割り変更となった地元で心配したが、辻清人君、松島みどりさんの二人を抱え大勝利、ようやく溜飲を下げることができた。

1226日、自民党台東総支部の定例総会を開催、500人満員の席で、私は総支部長を辞任した。服部征夫区長を実現させるため、たっての依頼で私が支部長を一時引き受けたのだが、以来選挙選挙で辞める機会を逸していた。衆議院大勝、本年の締めくくりのこの大会こそ勇退のチャンスであった。次々と挨拶に立つ人たちから感謝と賞賛の挨拶を受け、赤面しつつ、でも本当によかったと感じていた。総支部長は私の元秘書、ベテランの石塚猛君が就いた。

松村先生夫妻との屋久島旅行、私の300号の昇り龍の絵完成等まだまだ想い出に残る事柄が沢山あるが、紙面の都合でこの辺でとどめたい。

この1年本当に色々のことがあった。苦労も多かったが精一杯生きたと自負している。さて来年はどんな年になるのか・・・。

皆さんのご多幸を念じて本年最後のご挨拶としたい。ありがとうございました。