第793回「天覧相撲」

 深谷隆司の言いたい放題第793回

 「天覧相撲」

 1月20日、初場所8日目、天皇皇后両陛下が大相撲の取り組みを観戦された。元日馬富士の傷害事件などの問題から昨年の初場所に相撲協会がご辞退申し上げ、以来2年ぶりの観戦となった。しかも、4月には譲位されるから両陛下にとって最後の観戦となる。

 貴賓席にお出ましになると、場内の観客は総立ちになり、手を振られるお姿に感動のどよめきが起こった。私はすぐ下の桟敷にいて、思わず万歳を叫び涙を流した。

 私は昭和天皇のご逝去による「大喪の令」、そして今上天皇の「即位の礼」に大臣として陪席している。

 特に陛下がまだ皇太子の時代、私は労働政務次官で、責任者として開いた「アビリンピック(身体障害者技能選手権大会)」にお出ましいただき、お二人を直接ご案内申し上げたこともあった。

 大臣時代には何度か直接ご進講申し上げる機会を得た。内容は明かせられないことになっているが、その度に鋭いご質問をされた。あらゆることにご精通されておられる事に驚かされたものである。

 歴代陛下はご立派な方々であったが、特に今上両陛下は国民への思いが深く、ご高齢で病弱にもかかわらず、時に災害地に何度も足を運ばれ、膝を折って被災者と同じ目線で慰め、時に第二次大戦の激戦地に赴きお国の為に散った人々を哀悼された。天皇のお仕事は「国民のためにひたすら祈ること」と言われるが、まさにそれを実践された御方であった。

 弓とり式まで幕内9番をご観覧になり、いよいよお帰りになる時、場内全ての人が再び総立ちになり、万歳の声とともに「ありがとうございます」の声が響き渡った。本当に国民に愛されておられるとしみじみ思い、又胸が熱くなった。


 私は二所ノ関部屋の後援会長を長年務めているが、たった1人の関取松鳳山は今場所出来が悪かった。しかし、なんと天覧相撲で大関高安を見事に破って3勝5敗となり溜飲を下げた。

 場所後、浅草ビューホテルで力士を招いての恒例の宴会となった。この日は来なかったが横綱白鵬贔屓の徳真会松村氏の主催である。

 友綱親方以下十両の旭大星関、旭秀鵬関等が出席したが、この日は2人とも勝ち名乗りを上げた。友綱親方とはかねてからの昵懇で、依頼されて部屋の看板の字は私が書いている。

 15日には、横綱稀勢の里の最後の取り組みを目前で観戦、この日は奇しくも天皇皇后両陛下最後のご観戦に立ち会った。感慨無量であった。

 酒では力士に負けない私、痛飲三斗の夜となったことは言うまでもない。



第792回「明暗様々」

 深谷隆司の言いたい放題第792回

 「明暗様々」 

 横綱稀勢の里が引退した。平成29年、実に19年ぶりに日本人出身力士として横綱になり、多くの期待を担ったが、次の場所で左胸に大きな怪我を負った。それでも強行出場して逆転連勝を果たして大喝采を浴びた。しかし、治りきらないまま次の本場所に臨み、悪化させては再び休むという悪循環となった。

 取り口は真摯、不器用だが真っ向勝負が常だった。勝っても驕る素振りは全くなく、静かに勝ち名乗りを受け引き揚げて行く姿に、武士道の「惻隠の情」「抑制の美学」があった。

 8場所連続休場でなく、もっと早く引退すべきだったという声もある。いや最後まで闘った事がよかったと言う人もいる。ここは議論のあるところだ。

 自分が政界引退した時のことを思い出す。あの時の私の思いは「花は愛惜に散る」であった。

 実は15日、私は土俵下の「溜まり」に座っていた。テレビで一番よく映る場所でいつも多くの人から連絡が入る。東京場所の時は一度だけ座ることにしているが、この日は栃煌山との戦いを目の前で見ることになった。もはや横綱の力は全くなく相撲の取れる状況ではなかった。

 負けて私のすぐ二人隣に座ったが、目を閉じてしばらくすると静かに何度もうなずいていた。もしかしたら奇しくもこれが最後の勝負になったかと思い、帰宅して家族に語ったが、まさにその通りになった。

 年寄り「荒磯」になる。今後は弟子たちを怪我のない強い力士に育て、是非日本人横綱を生み出して欲しいと、ねぎらいと感謝の心を込めて祈っている。


 私に長年タップを教えてきたJAM TAP DANCE COMPANYの加藤邦保、保土塚千春両君が、念願のスペシャルタップショーを池袋の「あうるすぽっと」で1月17日から4日間開催した。

 日本のトップクラスのタップダンサーが勢ぞろい、生バンドを背景に見事な踊りを披露、満員盛況の観客は大喝采を送った。

 元来タップはマイナーで、あまり脚光を浴びる機会がない。しかし彼等は必死になって技を磨き努力を続けている。

 娘恵理の成人式にタップを披露してみんなを驚かせようとしたのが彼等との縁の始まりで、以来、30年以上、今は孫安希与と折りあるごとに彼等の指導でタップを練習している。

 彼等は何度も挫折し、1年半ばかり私の事務所を練習場としたこともあった。

 ある時、彼等に色紙を頼まれ、私は「夢を求めて生きることの楽しさよ」と書いた。この言葉が彼等の大きな励みとなって、今回の大会につながったと言う。なんとこの大会のタイトルはこの言葉であった。

 華やかな見事な舞台を見つめながら、過ぎ去った思い出を噛みしめ、思わず目頭を熱くした。「努力した者が報われる」、そんな世の中であって欲しいとしみじみ思うのであった。




第791回「穏やかな新年、しかし、難題も多し」

 深谷隆司の言いたい放題第791回

 「穏やかな新年、しかし、難題も多し」

 昔、現職の時代は、毎日、20箇所もの新年会があって、私がその半分を回り、後は家内と秘書が手分けして顔を出した。

 1日10箇所ともなると、滞在時間は10分程度、最初は「もう行くのですか」と言われ、最後は酔客に「やっと来たね」と皮肉を言われた。勿論会費を払うから費用も大変、まさに正月は難行苦行であった。

 よくも続いたものだと思うが、現職の後輩達は今も必死で回っている。その努力と誠意は是非分かって欲しいものである。

 引退した今は公の会以外ほとんど出ない。その分ゆっくり家族と過ごせ、穏やかな正月であった。


 ところが突然、正則学園高等学校の問題がテレビに取り上げられ大騒ぎになった。私はその学校の後援会長なのだ。

 理事長が教育熱心で朝6時半には登校している。教員はその時間に理事長室に行って挨拶することが恒例になっていたようだが、これを不服とした教員が個人ユニオンの労働組合に入って突然ストライキを行ったのだ。

 正直に言って具体的な内容はほとんどわからないが、新入生を迎える大事な時期に、「何故」という思いがある。

 少子化時代、私立の学校は生徒集めが大変だ。幸い正則学園高校は、近年、生徒が増加傾向でほっとしていたのだが、この騒ぎで大丈夫かと不安になる。  

 この学校は男子校で質実剛健が教育方針で、そこが気に入って先代理事長から乞われるままに50年も後援会長を引き受けてきた。

 私の主な役割は入学式や卒業式、あるいは保護者会で挨拶することなのだが、その度に、子供達が立派に育って欲しいとの熱烈な思いを語ってきたものである。

 教職員達も体育会系が多く、質実剛健の校風に染まっていて子供達と一体になって頑張っていたように思う。

 近年は、その感覚が少しずつ違ってきたようで、これも時代の変遷なのかなと思っていた。

 私たちの時代に求められたのは「男らしさ、女らしさ」であったが、今は下手すると差別と言われる。武士道精神は男の強さと優しさ、美に対する感性などを求めているが、そうした教育を行ってきた正則学園高校だけに、この難局をなんとか切り抜けて欲しいと思う。

 労働時間や労働環境の問題など、改善すべきこともあろうから存分に話し合うことが大事だが、「立派な男子を育てる」という原点に立って真摯に対応してもらいたいものである。