第711回「多事多端」

 深谷隆司の言いたい放題第711回

 「多事多端」


37日、TOKYO自民党政経塾の第11回生の卒業式を行った。146人の内、皆勤賞は49人、東京が中心だが中には新潟から通った人もいる。かつては現在の中山石垣市長のように沖縄から通った塾生もいた。

弁護士や大学教授、医者、公務員など職業も多種多様だが錚々たる顔ぶれだ。仕事で疲れている筈なのに誠実に学ぶ人たちを見ていると、あだやおろそかな対応はできないと、私や塾長代行小田全宏君もいつも真剣だった。

渋谷で行っている「温故知新塾」もそうだが、平均年齢は30代と若い人が多い。まさにこれからの日本を担っていく人々で、「育することを楽しむ」である。

1年間の流れの速さに驚きながら、惜別の情を抱き感慨無量の思いでみんなを送った。

これから次の塾生を募り、5月から12期の授業が始まる。100人の定員を常にオーバー、満員の盛況であったが、今度はどんな人達が来てくれるのか、今から楽しみである。


悲しいことも多い。312日、私の長年の応援者立田一雄氏の偲ぶ会が帝国ホテルで行われ、私が弔辞を読んだ。

江北高校、早稲田大学の先輩だが、昨年暮れ、奥さんに髪の手入れをしてもらっている時、その膝に倒れるようにして息を引き取ったという。享年88歳、私の6年上である。

過日は文京の橘高智光氏、台東の大林伸光氏等が亡くなったが、いずれも突然の逝去だった。吉田兼好が「死とは前方から近づいてくるものではなく、突然、後ろから肩をポンと叩くようにしてくるものだ」と書いていた。なるほどそうかも知れない。だから一層、日々を大切に送らねばならぬと改めて思っている。


国会は学校法人森友学園問題で混乱し、都議会は豊洲市場問題の百条委員会で揺れている。いずれも政治の本筋ではないが政治不信につながり、間違いなく自民党にとってはマイナスになる。

一連の動きは小池知事側に有利にはたらき、7月の都議会選挙にも大きく響く。既に週刊誌などが自民党不利の予測記事を出しているが、一生懸命努力している自民党候補者にとってはいい迷惑で、気の毒でならない。

波に乗って都民ファーストの会は多くの公認を出すようだが、今のところ聞こえてくるのは自民党公認が得られなかったり、民進党鞍替えの、いわば落ちこぼればかりである。こんな連中が続々当選したら、あの期待はずれだった民主党政権の二の舞になって必ず禍根を残すに違いない。

これから数ヶ月、私も信頼する同志のために獅子吼する決意である。




第710回「心配ごと」

 深谷隆司の言いたい放題第710回

 「心配ごと」


 「ありがたいことに、今、自分自身についての心配ごとは全く無い」と折々に家内と話すのだが、周辺の人々についての心配は尽きない。

7月の都議会選挙に出馬する台東区和泉ひろし君、文京区の中屋文孝君、中央区の石島ひでき君などみんな自慢の後輩だが、選挙でどう勝たせるか、そればかりを考える。小池ブームとやらに乗って落ちこぼれの連中が名乗りを上げている。こんなのに負けるわけは無いと思いつつ、それでも心配で、自分の出来る精一杯の努力をしなければと思っているのだ。


 安倍昭恵夫人とは縁があってよく知っているが、天衣無縫、天真爛漫な人柄に付け入られ、つまらぬ学校の理事長から大迷惑を受けている。マスコミの連日の報道で、困惑している総理の姿を見ていると心配でたまらない。こんなことで、順調に政治を進めているのに水を差されてはたまらない。

 愛国教育を売り物の学校法人が超格安で国有地を購入、その背景に政治家が蠢いているというイメージは、真剣に働いている政治家たちにとってどんなに迷惑なことか。

 もっとも鴻池元大臣の釈明は胡散臭かった。「こんにゃくとかレンガ」がお金を意味する隠語だなど、50年の政治生活の中で聞いたことが無い。どこかの田舎代議士の世界ではそんなこともあったのかと不愉快千万であった。

 籠池理事長は、幼稚園児に教育勅語や五箇条のご誓文を朗誦させ、なんと「安倍首相頑張れ、安保法制国会通過良かったです」とまで言わせていたという。

教育勅語や五箇条のご誓文については、いずれ改めて書くが私は一定の評価をしている。しかし、幼稚園児に分かるはずも無く、朗誦させるなどおろかなことだ。

子供に道徳を教えるなら、自らを律して、教えるにふさわしい生き方をしていなければいけない。週刊誌報道によれば、自身の家庭内の教育にも憂慮の念をもたれているというではないか。


石原慎太郎都知事が記者会見した。私は百条委員会の招致が決まっているのだから、そこではっきり言えばいいと思っていたが、「座して死を待たず」とかでの記者会見であった。案の定、不評である。

昔、都知事選(美濃部知事に敗れた選挙)で石原氏を応援したことがある。しかし、私と親友になったのは故石原裕次郎氏であった。慎太郎氏とはあまり馬が合わず、ほとんど個人的付き合いは無く、遠くから颯爽と活躍し大変な人気を集めた石原氏を見つめていたものだ。大病をしたと聞いていたが、記者会見での姿は、年齢以上に衰えが目立って、明快な言葉が出ない。本当に寂しかった。

青山佾明大教授は「移転先の決定に必要な手続きはきちんと踏んでいる。色々な課題のある中、石原氏が細部を把握していなくても無理はない」と副知事時代を振り返ってそう言っている。色々な見方もあろうが、百条委員会では、あらゆる面をもう一度しっかり精査して、都民に分かるように話して欲しいものである。

それでも心配は尽きないが・・・。



第709回「日々張り切って活動」

 深谷隆司の言いたい放題第709回

 「日々張り切って活動」


 2月は活動的な日々であった。都政をめぐっての混乱の中、度々依頼を受けてテレビに出演し論陣を張った。特に「ゴゴスマ」は評判が良く、私が出た日の視聴率は月で一番になり、4.5%という数字となった。

生放送で名古屋の往復はきついが、時に一人旅も楽しいと思えるようになった。これからも番組を選びながら、必要な時は応えていきたいと思っている。


211日は、スキーに行きたいとの孫達の要望で湯沢のNASPAニューオータニ 1泊した。勿論2年ぶりに私も滑った。多少心もとないところがあったが、まだまだいけると確信した。

もっとも家内と、同じスキーならウイスキーのほうが無難と、もっぱらそちらにウエイトを置いたことは言うまでもないが・・・。


自民党政経塾の最後の講義も7日に終わり、37日が卒業式だ。12年目に入り次の生徒募集が始まる。

温故知新塾は2年目に入り、20日の2度目の講義では聖武天皇、鑑真、弓削道鏡・和気清麻呂の人物像とその時代背景を語った。

前回、聖徳太子を語ったが、214日、文部科学省は学習指導要領改訂版で聖徳太子の名前を変えて「厩戸王」とするとあった。確かに聖徳太子は後世になって、その功績を讃えた人々が贈った尊称である(84~100年後説)。しかし、以来1400年も語り継がれてきた。あらゆる文献や資料で聖徳太子と書かれてきた歴史的事実の尊称を何故変えなければならないのか私には理解できない。どうしても変えるなら厩戸皇子ではないか。

1999年、大山誠一氏が架空の人物説を唱えてマスコミをにぎわせたが、歴史学会からは虚妄と無視されている。「実在しない説」はマイナーなのである。そんなことも講義に加えた。


21日、自民党台東総支部大会を浅草ビューホテルで開いた。小池旋風の中、都議に出たいばかりに保坂三蔵親子が自民党を離党したが、そんな折だけに若干気にしたが、会場は500人の超満員で盛り上がった。

国旗、党旗入場から国家斉唱の後、総支部長の私の挨拶、辻代議士の経過報告、丸川珠代大臣、武見敬三、中川雅治、片山さつき各参議院議員、そして服部征夫区長が次々と激励の挨拶に立った。

和泉ひろし都議の血涙下る決意表明の後、自民党区議団が舞台に勢ぞろいしたが、太田雅久議長を中心に一致団結、まさに一枚岩だ。

政木喜三郎深谷後援会長、安倍智下谷医師会会長、黒田収町会連合会長と参加者も台東区の有力者ばかり、和気あいあいの中にも緊張感が溢れ、自民党公認の和泉都議を絶対勝たせようとの強い意欲で燃えあがった。

「この選挙を勝利させて、私は支部長を次の人に譲る」と宣言、私もしっかり頑張ると誓った。稀に見るすばらしい大会で本当に嬉しかった。