第753回「左見右見(とみこうみ)」

 深谷隆司の言いたい放題第753回

 「左見右見(とみこうみ)」


このブログで753回となった。こうも長くなるとタイトルをつけるにも苦労する。私の身辺だけでも色々のことが多いし、国の内外のこととなると話題にしたいことばかり、そこで今回は「あちらを見たり、こちらを見たりする」の意で「左見右見」とした。あちこちに気を配る、一つのものを色々の角度からよく見るという意味もあるから、我ながら良いタイトルで、毎回使ってもいいかと悦に入っている。


12日、山田純大君が親子3人で来てくれたので浅草「やっこ」で隆介一家と共に楽しい宴となった。彼は杉良太郎氏の息子で良い役者だが、「命のビザを繋いだ男」という本も出している。ユダヤ人6000人を救った杉原千畝は有名だが、日本にやってきたユダヤ人を救ったもう一人の日本人小辻節三のことを書いている。名著である。

23日には新派の女優波乃久里子さんと、桑山夫妻、恵理も呼んで家内と共に、ドームホテルの「熊魚菴」で会食した。二人とも折々のテレビで見るが、近頃はドラマが少なくなって出番が減り苦労しているようであった。安上がりのワイドショーやグルメ番組がやたら多くなっているが、これでは芸能文化が後退する。二人の活躍を期待したい。

22日、義理の息子小田全宏君が東京オペラシティでコンサート、なんと彼はオーケストラの指揮を羽織袴でやってのけた。作曲も自分、大した才能である。孫の安希与もその才能を受け継いでお琴は勿論様々な楽器をこなす。もっともそのおじいちゃんは私・・・、だからなんなの?

24日午前中は石川台東区議のご父君の葬儀に列席した。この日が奇しくも99歳の誕生日とのこと、お元気だったら白寿の祝いであった。大往生である。

前日は石塚台東区議、和泉前都議、家内と共に張替静さんのお見舞いに伺った。97歳、世話を焼く娘に何度も感謝していたのが印象的であった。亡くなったご主人が私の後援会長で本当に世話になった。懐かしがって「又来て欲しい」と何度も言われて胸が熱くなった。

24日午後は石川俊氏の瑞宝雙光章受賞祝賀会に出席した。ビューホテルには130人の人が集った。彼は消防団員として実に52年働き、最後は浅草消防団長であった。彼等一家も挙げて私を支えてくれたものだ。私の妹和美も団員である。

司会者が「元郵政大臣、元通産大臣」と紹介してくれたが、私は挨拶で「今日は自治大臣と言って欲しかった。自治大臣は消防担当大臣ですから・・・」。

最後の鏡開きで、司会者が今度は「自治大臣をつとめた」と紹介したので、その機転の良さに会場は大受けで、愉快な笑いに包まれた。当意即妙、さすが消防団員であった。




第752回「孫達と一泊の旅」

 深谷隆司の言いたい放題第752回

 「孫達と一泊の旅」


私には3人の子がいて、それぞれ世帯を持っているが、この子等とのふれあいが私たち老夫婦の何よりもの喜びである。全員で旅に行くこともあるが、折々に各家庭ごとに旅を楽しむ。

11日、12日の連休は倅隆介一家と日光東照宮への旅を楽しんだ。ここはいわずと知れた1616年駿府で死去した徳川家康が神格化され、東照権現として祀られた場所だ。世界遺産に登録されているが、それにしても有名な観光スポット、連休とあって大変な観光客でにぎわっていた。

それにしても階段や坂が多い。孫隆仁、隆元が老夫婦を後から押し上げてくれる。それがなんとも「嬉しい心」だ。

陽明門とその前の鳥居を結んだ上空に北極星があり、その先は江戸の町が続くように設計されているという。国宝8棟があり、社殿をはじめどの建物にもおびただしい極彩色の彫刻で覆われている。思ったより小さめだが左甚五郎作の有名な眠り猫、神厩舎には「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿の彫刻も面白い。


その近くに昔何度か通った「日光グルマンズ和牛」の店がある。およそ10年ぶりなのに、店を訪れるとご主人と息子が大歓迎してくれた。最高の肉を味わい、昼間から痛飲、色紙を書いて欲しいと言われた。車が出るまで総出で見送ってくれる気持ちも嬉しかった。


宿泊は鬼怒川プラザホテル、はっきり言ってよい所は温泉ぐらいか、従業員も少なく格別な歓迎もない。最もその分、一家で自由に過ごせて面倒はなかった。

私は現役時代、後援会活動の中心が旅行会で、実に46年間続いた。最高55百人参加し、この鬼怒川にも数回訪れたが、今、町全体に活気がない。昨今は団体旅行がほとんどなくなり、旅館の半分以上が廃業したと運転手さんが言っていた。旅館が少なくなったので逆にホテルが取りにくい。

今回は、その頃担当した帝産観光バス会社の大場さんに無理を言って頼んだ。だから多少待遇が悪くても文句は言えない。

料理も一応形は揃っているが平凡、可も無く不可も無い。みんなで相談一決、最後の食事はとらず、旅館のまん前にあるラーメン屋で2次会となった。ところがここの餃子やそばが抜群に美味い。外国人一行も加わってにぎやかだった。

翌朝、見送りも無いホテルを出ると、なんと昨夜のラーメン屋のご主人と会う。われわれの車が出るまで寒空の中、丁寧に見送ってくれた。「又、この店に来よう」で意見が一致、わが一族は単純なものである。

かくして一泊旅行は終わったが、大満足。今度はどの家族と旅に行こうか・・・。

楽しい思案をしている。



第751回「則天去私、自然の道理に従い、私心を捨てて生きたい」

 深谷隆司の言いたい放題第751回

 「則天去私、自然の道理に従い私心を捨てて生きたい」


 50年にわたる政治生活を終えて引退してから、もう5年が過ぎようとしている。現職時代は、大袈裟に言えば毎日が戦いであったが、政界引退した今は悠々自適の日々である。

 1月は本来なら約600ヶ所の新年会を必死に回っていた筈だが、今は特別かかわりのあるところ以外には行かない。

 23日の節分、昔なら78箇所は回ったが、今年は浅草寺と護国寺で豆をまいた。浅草寺では執事長に紹介されて挨拶したが、「36歳の年男の頃から通い始めて47年になります。これから来られるのは30年程度です」と言って皆を笑わせた。和泉前都議、石塚区議、そして桑原、澤田両君が相変わらず付き人然として私の世話を焼いてくれたが、元秘書だった石塚君曰く「大臣の時は、公務のため間に合わず行列を遅らせてもらいました。隆介君や自分が代理をつとめたこともあります・・・」。家内をはじめ家族全員が私と歩いたが沿道はほとんど外国人、浅草も随分変わったものだ。

護国寺は、故四宮代議士の私設秘書の時から来ているから55年目になる。ここは中屋都議(私の元大臣秘書官)が世話を焼いてくれた。生憎岡本貫首は加減が悪く欠席だが、ここは友人が多いし、集る人たちも近隣の日本人ばかり、娘恵理が教え子たちと奇声を上げるから一層賑やかだった。新派の女優波乃久里子さんや遠州流家元夫人親子など懐かしい人ばかりで楽しかった。

最近私のお気に入りの言葉 「今宵酒あらば今宵酒を飲む、明日憂い来れば、明日憂う」、本当はあと何年行けるのか、そんなことを今考えることはないのだ。


野中広務氏の逝去が報じられた。細川政権打倒に燃えたあの頃のことが鮮明に思い浮かぶ。私が予算委員会筆頭理事、野中氏は次席理事で、二人は自民党議員の中では珍しい野党経験者(私は美濃部知事時代の都議、野中氏は蜷川府政での府議)、武闘派と呼ばれて大いに論陣を張って、わずか8ヶ月で退陣に追い込んだ。彼と故小渕首相から「次の幹事長に」と言われたこともあった。マスコミ曰く「幻の幹事長」である。10歳上の92歳、謹んでご冥福を祈りたい。


大相撲理事選、あんなに大騒ぎしたが、大山鳴動して、変化なしに終わった。貴乃花親方には浮動票が集ると、大相撲記者クラブ会友などが、したり顔で予想を立てていたが全滅だった。要は貴乃花親方が「政界の言うだけ番長」のように、改革と言うだけで、4期も理事でいながら成果を挙げていなかったから、他の親方衆から信頼されなかったに過ぎない。この際相撲協会も襟を正してしっかりやらなければならない。「則天去私」の心が必要なのである。