第823回「馬齢重ねて84年」

 深谷隆司の言いたい放題第823回

 「馬齢重ねて84年」

 9月29日、私は84歳になった。

「人生は短いというより早い」と、郵政大臣だった頃、部下の局長が言っていたが、あらためて本当にそうだと思う。

 さすがにこの歳になると、頑健だった体にも変化が出てくる。膝が痛くて正座が出来ない。神社のお参りの時、玉串奉奠で本当に困った。横になると起き上がるとき手首が痛くて立ち上がるのに苦労する。

 耳鳴りが始まって5ヶ月になる。これも加齢が原因という。いろいろな病院を訪ねたが、結局、「慣れるしかない」と杏林大学病院の医師に言われたが、それしかないというのが実感だ。   

 薬を飲み、鍼治療などにも通っているが大きな変化はない。もっとも、最初の頃はフラストレーションがたまって5キロも体重が減ったが、今は食事も酒も美味しくて、なんと体重は6キロも戻り、逆に減量に苦労している。

 勝手なものだが、これが少しずつ慣れているということかもしれない。


 誕生日前日、ひょんなことから箱根でゴルフをやることになった。なんと10年ぶりだが、ハーフで49のスコア、一緒に回った松村会長、箱根神社小澤宮司から「若い、歳の割に頑健」と盛んに褒めてもらった。お世辞と分かっていても嬉しかった。


 30日は渋谷の「温故知新塾」、翌1日は自民党政経塾と講義が続く。「若い人を育てる」、これが私のライフワークだ。

 10月は伊勢神宮参拝、聖徳太子墓所や高野山を訪ねる旅に出る。そして、二所ノ関親方のご子息の結婚式では、主賓挨拶をと言われている。

 徳真会に150号の「四神」の絵を頼まれ、すでに「青龍」「白虎」「朱雀」は各所の診療所に掲額されているが、最後の「玄武」のイメージが浮かばず悩んでいる。

 84歳の新しい時代が始まったが、相変わらず多忙な日々が続く。しかし、これが私の元気の源泉、大いに張り切って働こうと思っている。


第822回「即位の礼での思い出」

 深谷隆司の言いたい放題第822回

 「即位の礼での思い出」

 18日、安倍首相を委員長とする式典委員会で、ご即位に伴う儀式のあり方について細目などを決定した。即位を内外に宣言される「即位の礼正殿の儀」は10月22日午後1時から行われる。

 年月の流れは本当に速く、平成の代替わりの即位の礼の時、私は郵政大臣として参列したが、あれから30年が流れている。

 1988年、中曽根康弘先生とヨーロッパを回っていたが、ロンドンで昭和天皇が喀血されたと知らされ急遽帰国した。翌年1月崩御されたが、1年間あまり喪に服し、それから即位の礼となった。あの1年間は日本全体が暗く、自粛ムードであったが、今回は生前譲位、明るく楽しくその時を迎えられる。


 今回の即位は伝統を重視し、昭和以前の形式を復活させることになった。前回は参列者が、廊下を経由して松の間に入られる天皇ご夫妻を、仮設ステージから直接目視できるようになっていたが、今回は仮設ステージを設けず、代わりに30台のモニターを設置するという。又、ご高齢の皇族方の負担を軽くするため、古式装束だけでなく燕尾服、ロングドレスの着用も認めることになった。時代の移り変わりを感じる。

 天皇陛下が玉座の「高御座・たかみくら」に昇られた後、皇后様が「御帳台・みちょうだい」に昇られ、天皇が即位を宣言される。その後首相がお祝いの「寿詞・よごと」を述べて万歳三唱を行う。あの時は海部俊樹首相が音頭をとり、私は大臣として燕尾服姿で唱和したものであった。

 平成2年の折の海外からの参列者は160の国と機関だったが、今回は190以上の国や国際機関の代表の来日が予想されると報告にあった。

 大臣は分担して空港などに迎えに行ったが、改めて天皇陛下の偉大さ、ご存在の大きさに感銘を受けたものである。


 最近、仁徳天皇陵古墳などを含む百舌鳥・古市古墳群がユネスコ機関のイコモスによって世界遺産に登録されようとしている。

 仁徳天皇陵古墳こそ神話に出てくる「民のかまど」の舞台である。宮殿の高殿に上った天皇は、民家から煙があがってないことから、国民が飢饉等で苦しんでいる事を知り、7年も税金を取らなかった。そのため宮殿もぼろぼろになり崩れたが、やがて老人から子どもまでが修復のために駆けつけたという。

 天皇は祭祀王といわれ、ひたすら国家国民の安寧と幸福を祈り続けてこられた。国民の事を「大御宝・おおみたから」と呼び、国民は国と宝と神代の時代から伝わっているのだ。日本は素晴らしい国だ。こうした日本の歴史と伝統を、この機会に多くの方に振り返って欲しいと念じている。


第821回「身辺いろいろ」

 深谷隆司の言いたい放題第821回

 「身辺いろいろ」

 耳鳴りで苦労したが、慣れるしかないというのが医者や多くの友人達であった。5月早々から始まったが、経験したことのないことだったので最初はちょっとしたパニックであった。医者の鴨下自民党都連会長、これは病気でなく「症状」ですと言う。さすがに詳しいと思ったら、彼も耳鳴りで苦労していた。なんでも10%~15%の人が耳鳴りらしい。いろいろな治療を受け、薬も飲み、鍼も行った。耳鳴りが激しい時も、選挙応援、塾の講義、依頼された講演など、与えられた仕事は全てこなしてきた。

 あれから4ケ月、ようやく穏やかな日が増えてきて、この調子ならどうってことはないと思うようになった。私がそうであったから、耳鳴りの人がいたら大いに経験を語ってあげようと思っている。


 9月9日、浅草警察署を訪れた。署長はじめ多くの職員に迎えられたが、免許証を返納したのだ。

 私が初めて免許証を得たのは大学生の頃だった。いつもアルバイト先を見つけるために九段の学徒援護会を訪れるのだが、当時は不況でいい仕事にありつけない。一番人気は運転手、母に頼んで毎日250円貰っては教習所に通った。貧しい暮らしの中だったから、時々、母が「今日は御免ね」と困った顔をしていたことを今も鮮明に思い出す。やっと免許を持って喜んだが、「経験のない人は駄目」と言われ、結局は力仕事ばかり選ぶしかなかった。

 あれから64年、随分、車との付き合いが続いた。政治家時代も、引退後も大いに役立ったが、いざ手放すとなると、一抹の寂しさを感じた。しかし、台東区は老人の返納が少ないので、「大いに宣伝します」と言われ、元国家公安委員長として少しは役立つのかとちょっとばかり満足であった。


 前日の8日、椿山荘で行われた下村博文元文部大臣のご子息の結婚式に出席した。なかなかの好青年で、やがて父の後を継いで政界進出が約束されている。

 安倍総理夫妻、二階幹事長、菅官房長官など大した顔ぶれが揃っている。私は鏡割りを依頼されたが、舞台の5個の酒樽に30余人が囲んだから満員であった。後輩の、出世した政治家も多く、久しぶりに彼等との交流を楽しんだ。


 いよいよ大相撲が始まった。今回も3回行くが、明日(10日)は例の土俵際の「溜り」に座る。テレビに映るからいつも「元気ですね」といろいろな人から連絡が来る。ありがたいことである。

 横綱白鵬が2日目から休場、せっかく日本国籍を得たのに残念だ。私は二所ノ関部屋後援会長だが、力士との交流は多い。「みんな頑張れ」なのである。