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言いたい放題 第50号 「小沢氏への庶民感覚」

  前日に鳩山首相の献金疑惑について、検察審査会は不起訴相当と結論を出し、国民は大きな不満を持った。しかし、次の日の4月28日、今度は小沢一郎幹事長について起訴相当との議決を行った。
 鳩山氏の場合も、全面的に白という訳ではなく、彼の出した「上申書は信用できない」と明白に付言していた。
 要は総理大臣に罪を問われないという憲法上の制約もあったことからの苦肉の結論であったと思われる。
 それにしても、毎月母親から1500万円もらい、年で合計1億8000万円だ。すでに判明している分だけでも12億6000万円という巨額な金が鳩山氏に入っているのだが、「知らない」で通している。厚顔無恥、あり得ない話ではないか。今後も脱税事件も含めて追及されるべきだし、国会でも説明責任をきちっと追求していかなければならない。
 今日の小沢氏への疑惑は、土地購入に際しての4億円の出所と、本人のこれに対する関与だ。
 すでに石川知裕衆議院議員、元秘書三人は逮捕され起訴されている。小沢氏はその責任をとろうともせず、むしろ、開きなおって反省すらない。ついに庶民の鉄槌が下ったといったかんじで溜飲がさがる思いだ。
 検察では二度本人の聴取を行ったが、具体的な指示や関与があったという供述が得られず、共謀を認定する証拠が不十分ということで不起訴(嫌疑不十分)になっていた。
 今回の判断は、秘書らが政治資金収支報告書を出すにあたって、小沢氏に報告や相談をし、了承も得ていると供述していることを重視した結果だ。
 何でも絶対命令といわれる小沢事務所で、本人に無断で4億円を執拗に偽装工作するなど考えられず、共謀に関する過去の裁判例に照らしても、そう認定することは可能と判断したようである。
 今までの検察の対応について、様々なマスコミの報道によれば、現場の積極派と上層部の慎重派との微妙な対立があった等といわれている。
 今回の結論はいわば市民目線、つまり、一般常識的な結論といえるのではないか。
 今後、検察は再捜査を行い、3ヶ月以内に起訴かどうかの判断をしなければならない。不起訴となればもう一度、メンバーを総入れ替えして検察審査会が開かれる。ここで起訴相当となれば、文句なしに強制的に起訴となって、舞台は裁判所に移る。
 仮にこのようなことになれば史上初のケースとなる。
 小沢氏は、今回の結果を聞いても「辞めない」との強気一点ばりである。
 辞めれば、かつての金丸信氏のように、一気に政治的力を失い追い込まれると、身近で見てきてよく知っているからに違いない。
 政治家には法的責任の他に、道義的責任というのがある。これから逃れる訳にはいかない。小沢氏は今こそ自らの進退を考えるべきだ。
 近づきつつある参議院選挙を控えて、一体、検察の判断がどう出るのか、ここはしっかり注目しなければと思っている。

言いたい放題 第51号 「非情な徳田元代議士への見舞い」

 米軍普天間飛行場移設について、鳩山首相は何度も腹案があると言っていたが、明らかになってきたのがやっぱり名護市辺野古と鹿児島県徳之島のようである。
 違うところは、辺野古の場合、現行の沿岸部埋め立てではなく、杭を打つ桟橋方式を考えている点である。
 すでに何度もマスコミで報道され、各所で大変な反対運動が起こっているところで、今更これが腹案でしたというのだから、あきれてしまう。
 鳩山首相は今までその時々の思いつきを、いかにも熟慮した上での提言であるかのように言ってきたが、今回も変わらない無責任さである。

 事前の地元への根回しは、単なる政治戦術ではない。まず確固たる計画を立て、地元民を真剣に説得し、理解させ、実現に導くための必要な対応なのだ。
 今回、明らかになった案が首相の腹案だったのなら、なぜもっと早くから地元の根回しを行わなかったのか。
 昨年の衆議院選挙で、民主党は国外移転、最低でも県外移転と訴えて、沖縄県民をすっかりその気にさせてしまった。
 票のために嘘を繰り返し、今更辺野古案では県民が納得する筈もない。
 しかも、埋め立ては自然への冒涜(ぼうとく)とまで言っている。では杭打ち案なら本当に問題はないのか。海底に数千本の杭を打ち、当然周辺に埋め立ても行わなければならない。一層お金がかかる上に、環境への負荷は実際には変わらないのだ。

 4月28日には徳之島の実力者と言われる徳田虎雄元衆議院議員を突然訪ねて、自分の考えを伝え協力を求めた。
 その徳田氏は、現在全身の筋肉が動かなくなる筋萎縮性側索硬化症という難病で、車いす生活である。
 彼は、かつて保岡興治前代議士と、選挙の為に徳之島を二分する大変な選挙戦を繰り広げてきた人で、私もかつて、少し縁があって知っている。直情怪行型の不思議なタイプの人で、何度も会っている。
 ある日、私に自分の経営する鎌倉にある徳洲会病院に是非行くようにと検診を進めてくれたことがある。
 「議場にいる国会議員の三割はガンになる危険のある人達だ。最高の技術を持つ私の病院で診ることが、早期発見につながる。深谷さんにはいい部屋も車も用意するから。」と、何度も熱心に申し入れてくれた。結局行かなかったのだが、当時のことを良く覚えている。
 お気の毒にも、今や御本人が難病にかかり、声も出せず手も足も動かすことが出来ない。文字盤上の文字を一つ一つ目で追って、それを付き添いの人が、その目の動きを読み取り言葉にするのだ。
 そんな不自由な身体の人のところに、御見舞と称して訪れた鳩山氏の気持ちがわからない。徳之島移転への県民感情を意識しての行為だとすれば、そんな卑劣非情な行動は、人として許されない。
 徳之島三町長はこの話を聞いて、地元首長の頭越しの直談判に不快感を示している。
 連休中仲井眞弘多沖縄県知事にも会いたいと述べたようだが、知事の方が「良く休んで英気を養って」と皮肉っていた。
 とにかく「仁義」だけは切りたいと焦っているようだが、やくざの世界ではあるまいし、「仁義」などと言っているようでは、お粗末で話にもならない。

 米側は海兵隊のヘリ部隊と陸上部隊の一体的運用を重視しているから、200kmも離れている徳之島に移すことは反対だ。なによりも、「地元の合意がなければ前にも進められない」と、当然至極な態度ではないか。

 地元も米側も了解しない状況は続き、時は刻々と過ぎていく。
 鳩山氏の主張は白々しいばかりで、5月末までに結着の見通しは目下無い。
 最後は「ゴメンナサイ」と、又、くるくる言を左右にするのか、そんなことは許されない。
 鳩山首相はもう辞める以外、道はないと私は思っている。

言いたい放題 第52号 「鳩山首相の虚言癖」

 5月末出版予定の私の新刊本が、いよいよ仕上げの段階に入ったので、連休も含め箱根と自宅で連日机に向かっていた。多い時は1日7時間椅子に座りっぱなしだったが、ようやく最終稿を角川学芸出版に渡した途端、ぎっくり腰にやられてしまった。かなりひどくて立つことも歩くことも非常に難儀だ。
 本の題名は、「こんな政治じゃ日本がダメになる」と何とも直截的なタイトルだが、鳩山政権8ヶ月間を徹底的に検証したものだ。
 鳩山首相、小沢幹事長、そしてそれをめぐる民主党の動きを様々な角度からチェックすればするほど、あまりにひどくて、日本の今と将来に大きな危機感がつのる。思わず辛辣な文章となってしまうが、この急激な腰痛はもしかしたら、彼らの祟りではないか。(そんなことはないか・・・)

 私の本もすでに10冊目になるが、今回ぐらい、日々書き加えることの多いことはない。なにしろ、鳩山首相自身の政策についての発言と動きが、日替わりランチのようにくるくると変わるからだ。
 特に沖縄の米軍基地をめぐる対応は、為政者にあるまじき思いつきばかりの安直発言の連続だ。
 そもそも、昨年の選挙で、沖縄普天間基地移転について、鳩山氏は何度も「一番良いのは海外移転、最低でも県外」と言い続けてきた。
 10年以上もかけて、ようやく日米間で合意したものを、選挙の票欲しさで虚偽の発言をくり返し語り、「もしかして」と沖縄県民の心をすっかりその気にさせてしまった。
 今更、「やっぱり一部負担を沖縄の皆様にお願いするしかない」では納得するはずもない。
 しかも苦しまぎれに、あれは民主党の公約ではなくて、代表たる私の発言だと言い訳をする。たとえマニフェストに書かれていなくても、有権者にとっては党の代表の発言は公約と同じ重み、公約そのものといってもよい。
 まして、突然予期せぬ徳之島案を持ち出すに至ってはあきれて開いた口がふさがらない。地元の反対運動は最高潮に達し、三町長は絶対反対と官邸を訪ねて断言した。

 辺野古沿岸部の埋め立てでなく、杭を打つ工法で飛行場をつくるというが、千本も杭を打ち込み、当然埋め立ても伴うのだから、環境問題は少しも改善されない。それより、すでに米側から「テロの危険がある」との理由で明確に否定されていた内容なのである。
 米側は、地元の同意の無いものは受け入れないと主張してきた。もっともなことである。今まで、もったいつけてきた鳩山首相の腹案なるもの、どこから見ても誰の了解も得られるものではないのだ。

 一番驚いたのは、米海兵隊の抑止力についての鳩山首相の発言だ。「(政権交代前は)海兵隊の存在が(戦争の)抑止力になるとは思っていなかった。しかし、学べば学ぶほど、海兵隊と米軍全体の連携の中で抑止力が維持できるという思いに至った。浅かったといわれればその通りだが・・・」と述べたのである。
 一国の総理大臣なるものが、日米安保の意味も、まして国の安全に関わる認識も全く持っていなかったと告白したのである。
 歴代総理の中で、これほど愚かで無能な総理大臣を私は見たことがない。5月決着といっていたのに、5月に入っての今頃、慌てて沖縄に出かけたのは、あくまでゼスチャーとしか考えられない。
 本人は愚直作戦というが、低姿勢で沖縄に乗り込めば打開できると判断したとは、いくらなんでも思えない。
 「僕はやることはやりました。でも、出来ないんです、ごめんなさい。」と言うつもりなのではないか。あの母に甘えた坊ちゃんの姿が目に浮かび上がってくるようだ。

 もう、どんな弁明も聞きたくない。こんな首相の元、あんなでたらめな民主党に、この国を任せるわけには断じていかない。鳩山氏は、ただ自ら辞任するしか道はないのだ。
 来週中に拙著の最終稿があがる。ああ、その後でまたどんな変化が起こるのか。出版直前の今、腰の痛みの中で私も少し困っている。

言いたい放題 第53号 「参議院は解体か縮小せよ」

  小沢幹事長と並んだ谷亮子の姿を見て、世も末だと思ったのは私一人ではないと思う。
 私も熱烈な谷ファンだったが、それは五輪選手として、けなげに頑張っている姿に対してであった。
 人間というのはお粗末なもので、おだてられるとすぐその気になるらしい。
 はっきりいって身の程知らずというのはこうしたことを言うのだろう。
 記者会見で世間から金まみれ、独裁者と紛糾されている小沢幹事長をほめまくって、満面に笑みをたたえて「地球を覆うほどの愛で頑張りたい」とのたまわった。
 一体どういう意味なのかさっぱり分からない。
 知性のかけらも感じられない発言内容だった。
 結婚、出産後も「ママでも金」を成し遂げたのは立派だが、アスリートとしての才能があれば、そんなに頭をつかわなくても後は体力勝負で出来ないことはない。
 彼女が柔道と母親の二足のわらじで戦った頃、「両立は本当に大変」と度々こぼしていたのではなかったか。
 「ロンドン五輪で金メダルを目指します」と言っているが、それで三足目のわらじ、政治家としての本分を果たせると思っているのか。
 とんでもないことだ。政治は片手間で出来ることでは断じてない。
 全人生をかけて、日々最大の力をつくしても、尚、充分な政治的成果はなかなか得られないというのが実際だ。働き続けて来た私でも、いつも悩みはつきなかったのだ。
 混乱極まりない日本の現状を救う情熱と、日本の将来を見据えた確固たる政策を持たずに、簡単に政治の道を目指すなど、しかも掛け持ちでやるなど、政治を、そしてまともにやってきた政治家を冒涜するものだ。
 おそらく、例えば横峯パパとか、ぶってぶっての姫井女史のような、あんな程度でバッチがつけられるからと甘く見たのかもしれない。
 朝日新聞4月12日の天声人語に、小沢幹事長が「百万、千万の味方を得たような」と語ったが、もしや票数の話ではないかといみじくも書かれているが、まさにそれ以外の何ものでもない。ただの広告塔に利用されたのだ。
 それでも今の政治家の姿に嫌気がさして、政治離れしている人達から見れば「さわやかなヤワラちゃん」で、残念ながらやっぱり票は集めるのではないかと思う。
 しかし、それでは政治がいよいよ駄目になる。
 夏の参議院選挙は、どうやらプロの野球選手やプロレスラーなど、著名選手?あるいは、すでに過去となった人も含め芸能人の擁立が相次ぎそうだ。
 かつて、三浦知良氏が自民党から比例区への出馬を要請され、「僕はサッカー選手、政治のことはわからない」と断ったことがある。おだてられ、すっかりその気になっている連中に、三浦氏の爪の垢でも煎じて飲ませたい位だ。

 そもそも第二次世界大戦後、GHQが主張する一院制度に対抗して、二院制度を守った先達政治家のおかげで参議院は存在する。
 当時、占領軍総司令部に立ち向かって日本の主張を貫くことなど、生命がけのことであった。
 6年間も解散の無い任期をつくったのも、衆議院とは異なり、じっくりと腰を据えて、日本の今と未来を考察して正しい日本の舵取りをさせようとしたからだ。
 ところが、今の現状はどうだ。
 参議院の本来の目的から離れて、衆議院と全く同じで政争の場と変わり果てた。カーボンコピーといわれた時代の方が、まだマシだった。
 次第に存在価値が失われて、選挙に出る人も、衆議院からの落ちこぼれか、前述のようにバラエティ番組が出来るような顔ぶれになってしまったのだ。

 政治家はこの道に人生をかけたプロでなくてはならない。
 政治家は手腕力量がなければならないのだ。
 近頃、参議院でそんな候補者はなかなか見かけない。いっそ、参議院不要論が出てこないか。出てきてもおかしくない。
 少なくとも、民主党が得意の例の仕分け作業で、参議院の無駄をはぶく為に、解体もしくは思い切った縮小について本気で議論すべきではないか。
 膨大な血税を、役に立たぬ人に配るほど日本は豊かではないのだから・・・。

言いたい放題 第54号 「戦後処理問題のよし悪し」

 5月25日の午後7時30分からのNHK番組「クローズアップ現代」の取材の為に、スタッフとカメラマン達が21日大勢で来宅、私は熱心なインタビューを受けた。
 丁度、国会で戦後強制抑留者(終戦の時シベリアやモンゴルに抑留された元日本兵)に新たに特別給付金を支給することを決めたが、そのことについての取材である。
 何しろ、第二次大戦が終ってから65年も過ぎていて、往時のことを知る人は少ない。
 それどころか、「アメリカ等を相手に戦争をした」ことさえ、信じられないとする人々が、若い人に限らず圧倒的に占めている時代だ。
 シベリアに抑留された人々に、国が戦後どのように対応したかなど、その経緯を知る人々は極端に少ない。かつて総務副長官だった「深谷さん、あなたはまさに希少価値の人物」ということなのだ。
 といっても副長官時代から数えても、もう28年も経っている。なんとか古い記憶を振り返り、この際だから少し文献も調べたりして正確に伝えようと私は真剣に取り組むことにした。
 インタビューでは小一時間にもわたって充分に語り尽くしたと思うが、実際の報道となると、どうせわずかな時間しか活用されない。
 せめて、戦後問題の一人の「語りべ」として、この際これらの問題を改めてホームページで御紹介し、多くの人に知って欲しいと考えたのである。

ソ連の暴挙
 昭和20年(1945年)8月6日、米はついに広島に原爆を落とした。当時、広島の人口は約35万人だったが、実にその半数近い人が瞬時に生命を失った。
 すでに敗色濃かった日本が、もはやこれまでという時に、なんと日ソ不可侵条約(中立条約)を一方的に破って、ソビエト連邦が宣戦布告したのである。広島原爆のわずか3日後の8月9日未明のことである。ソ連軍は一気に満州に進攻、次々と日本兵捕虜(民間人も含む)をシベリアやモンゴルなどに抑留し、強制的に使役させたのである。
 当時、私はまさにその満州ハルピンの地に、両親と共々住んでいた。
 私の家にも突如ロシア兵が乱入し、金目のものを手当たり次第に略奪していった。
 父が外出した時、ソ連兵に捕らえられて、危うくシベリア送りになる場面もあった。幸い父は満州電業に勤めていて、その証明書が役立って難を逃れた。その時、道路には100人以上の日本人(民間人)が集められていて、やがてシベリアへ送られていったと父は語った。血の気を失った蒼白な父の顔を今でも忘れる事は出来ない。
 私は、今生き残っている数少ない現場目撃者なのである。

強制抑留
 本来、武装解除した日本兵は、本国に送還、家庭への復帰が保証されている。ソ連の行為はこれらを決めたポツダム宣言に背いた違法行為であることは言うまでもない。
 シベリアあるいはモンゴルに抑留された日本人は、当初57万人といわれ、後に厚生省は65万人を定説とした。しかし、更にソ連が崩壊した後、モスクワの国立軍事公文書館には約76万人分の資料が残っていた。
 アメリカの研究者の中には、軍民合わせて約107万人がシベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと発表した人もいて、正確な数は今でも分からない。
 シベリアは帝政ロシア時代から流刑地で、過酷な環境での強制労働の地であったから、これも正確ではないが約1割の人が死亡したといわれている。6万人から10万人という数字になる。
 左派社会党視察団が、この地を訪れたことがあったが、抑留者からの過酷な労働についての訴えの手紙を握りつぶし、国会で「とても良い環境だ」と虚偽の発言をし、大問題になったこともあった。
 日ソ国交回復したのは昭和31年(1956年)のことだが、これまでに帰国事業が行われ、47万3000人の日本人が帰国した。
 本来国際法では、捕虜として抑留された国で働いた場合、賃金は所属国が支払うことになっている。
 ただし、「労働証明書」が必要で、南方地域で米英の捕虜になった日本兵には払われた。なんとソ連の場合は労働証明書さえ発行せず、従って法に基づき政府は賃金を支払うことが出来なかった。
 やがて、ロシア政府がやっと労働証明書を発行したのは平成4年(1992年)のことで、まさに後の祭りであった。
 丁度、細川政権時代、時のエリツィン大統領が日本を訪れる前年のことである。私は、当時予算委員会で、エリツィン大統領は日本国民に対して謝辞すべきだと論陣を張った。実際、エリツィン大統領は訪日の折、謝罪を行ってマスコミの話題となった。その背景に、私の国会での発言が影響していると密に自負しているが・・・。

補償問題
 シベリア強制抑留者への労働賃金の支払いは、前述のように無理であった。政府は、恩給法で抑留加算を設け、未帰還者留守家族等援護法によって抑留者の留守家族に対しても留守家族手当を支給した。又遺族及び傷病者に対して恩給、年金等の支給、療養の給付等を行ってきた。

 戦争は、国民全体に何らからの損害を与えるものである。ある意味全国民が戦争被害者なのだ。
 そこで、戦後処理問題というのは、戦争損害の補償などについて、国民が納得出来るように、如何に公平化されるかが最大のテーマとなる。
 戦後、政府はその段階段階に応じて様々な戦後処理を行ってきたが、引揚者の在外財産問題の決着したことを機に、昭和42年政府与党間で戦後処理は一切終決したことで合意した。
 ところが、その後戦後40年経過しても、各々の立場の人々から強い補償等要望は尽きることがなかった。裁判も・・・。
 そこで、昭和56年12月、政府与党は識者を集め「戦後処理問題懇談会」を発足させ、ここで残された問題を検討させ、その提言を実現させることによって、全ての戦後処理問題にピリオドを打つことにしたのである。
 翌57年、第一次中曽根内閣が発足し、私は総理府総務副長官に就任した。46歳の働き盛りで、当然、この戦後処理問題に関わりをもち、この識者達の発言を見守る立場となったのである。
 前述のようにNHK記者の言う、「当時のことを具体的に知る数少ない生き残り(まだ若いのに)」という訳なのである。
 結局、この懇談会は2年半かけて真剣な議論がなされ、昭和59年12月報告書が出された。

懇談会の答申
 この懇談会で扱われたテーマは3問題で、(1)戦後強制抑留者問題(2)恩給欠格者問題(3)在外資産問題であった。
 (2)については、わずかに軍歴期間が足らないということで年金恩給の支給を受けられないのはいかがかということだ。しかし、受給資格年限等は、年金制度の基本的要件、約束事であるから、軍人のみについての変更は、他の人々との社会的衡平からみても無理ということであった。
 (3)のテーマは、まさに私にも関係することであった。敗戦後に世界各地に残された海外居住者は、引揚げの時全ての財産を失った。しかし、国際法上にも国内法上にも在外財産に対して国の補償義務は書かれていない。だから、従来行った引揚げ時の応急援護、定着援護、給付金の支給、特別交付金の支給等以上の対応は出来ないという結論であった。
 しかし、辛酸を知るこれら戦争の被害者達は老齢化し、日本の繁栄の中に取り残されつつある。
 戦後の日本の復興と発展に自ら寄与したことを思い合わせて、政府によって特別な基金を創設し、これをもって戦後処理に終止符を打つとの提言となった。

基金による支援
 かくて、昭和63年(1988年)認可法人平和記念事業特別基金(後に平成15年独立行政法人)が設立されたのである。
 基金は、最終的に400億円となるが、この内200億円を取り崩し、様々な事業を行ってきた。(例)関係者の苦労を後世に継承する事業として資料収集展示や、慰霊碑建設(千鳥ヶ淵)、書状、銀杯贈呈、強制抑留者への10万円慰労金交付(国債)等である。

新たな給付金?
 今回、国会に提出され決定となるのは、いわゆる「シベリア抑留者」だけを対象として、新らたに特別給付金の支払いと実態調査を行うというものである。
 給付金は日本への帰国の時期に応じて、昭和23年12月末までの人25万円、5段階に分けて昭和30年1月1日の150万円を一時金として支給するというものである。
 現在生き残っている方は、わずか7,8万人といわれ、相当老齢化しておられ、同情を禁じ得ないが、しかし、正直、私の心の中に「今、何故」という疑問は残っている。

 戦後処理問題の最大のポイントは、前述のように私は公平性にあると思っている。
 重ねて言うが戦争では全国民が犠牲者だ。それらの人々への補償は財政問題を考えても100%要求に応えられるものではない。
 国が出来る限りの努力を尽くすことは大事だが、国民が等しく痛みを分かち合い、納得出来るものでなければならない。それが衡平ということだ。
 これを公平を横糸とするならば、縦糸は年数・期限である。
 昭和63年発足した平和記念事業基金で行うことで、戦後処理問題の全てを終了するはずであったのが、戦後65年経た今、又新たな法律で支給するというが、いつまで続くのか、今度こそピリオドを打つということなのか確認したいところである。
 今、話題の「事業仕分け」にこれを持ち出したら、どういう議論が行われるのだろうか。
 基金の残りが200億円あるから、みんな使って分配するという考えに、果たしてすっきり了承するのだろうか。
 
 老齢化したシベリア抑留者の姿を見ると、言うべき言葉にも躊躇心は残るのだが・・・。

言いたい放題 第55号 「少しは満足」「大きな憤慨」

「少しは満足」
 NHK「クローズアップ現代」の放送が5月25日午後7時半から始まったが、丁度その時間は、TOKYO自民党政経塾第5期生の入塾式の最中だった。
 深夜11時に帰宅して録画を見たが、なんと夜中のBSでも再放送していた。
 シベリア抑留者に対する最後の給付金が国会で決まったばかりで、その特集だった。
 自宅にスタッフが集り、1時間にわたる取材を受けたが、やっぱり出る場面は少なく、予想されたので前回の私のホームページであらかじめ詳細報告した。是非参照していただければ幸いである。
 しかし、テレビの効果は大きい。登場場面は少なくても、「いい顔で映ってました」「久しぶりに元気な姿を見ました」と色々な方から連絡があって、それがとりえだと思った。
 
 第5期を迎えた政経塾は、200人を越える塾生でもう入りきれない程の超満員で、都連会長の石原伸晃代議士も田野P良太郎総務会長もびっくりしていた。
 小田全宏塾長代行も講義で述べていたが、普通このような会は、2期3期ともなると当初の意気込みも消え、減少するか終わりになるというのが一般的のようだが、わが政経塾は右肩上がりの、それも定員二倍の超のつく盛況ぶりだ。
 自民党の歴史上、最も不人気なこの時期だけに、「塾長の魅力」といわれて、いささか鼻が高い。
 今の私にとっても、やはり最大の楽しみは、この塾で大切な子弟を育てることで、更に一生懸命努力したいと決意も新たにしたところである。

「大きな憤慨」
 ところで、政界の様子だが、相変わらずの迷走、混乱ぶりで、あきれかえるほどだ。
 特に、沖縄基地問題だ。
 鳩山首相は二度も沖縄に足を運んだが、真剣さも、かの地に対する思いやりも何も感じられない、無表情ぶりだ。
 普天間飛行場移設について、あれほど「国外、最低でも県外」と言い続けながら、いつのまにか「出来るだけ県外」と微妙に言葉を言い換えたりしている。その上、一方で、地元へはポーズだけで、次々と日米共同声明の概要づくりを進め、最後はオバマ大統領と電話協議で、最終的にまとめる目論みのようである。
 厚顔無恥とは鳩山首相のことである。
 もっとも、更に上をいく奴(品が悪い言い方だが、ついそう言いたくなる)が居る。社民党党首の福島瑞穂大臣だ。
 なんと25日沖縄入りし、仲井真弘多知事と会談、「辺野古に移設はさせません。共に反対しましょう」と宣ったのだ。
 彼女は、鳩山内閣の一員で、れっきとした消費者・少子化担当大臣ではないか。
 党首として反対するのは勝手だが、内閣の一員だ。その良し悪しは別にして、首相の決めた方向と全く逆な立場を公然ととるなど許せないことだ。
 それなら連立離脱は勿論のこと、即、大臣を辞めるというのが筋ではないか。
 福島氏の沖縄訪問と反対声明は、明らかに参議院選挙目当てだが、これに対する鳩山首相の反応の鈍さには更に驚かされた。
 やはり参議院選挙直前だから、連立の枠組みは変えられないという弱みがあって、なんと一定の理解を示したというのである。

 沖縄基地問題は、国の安全保障にかかわる最重要課題だ。
 折から北朝鮮は、韓国の制裁措置に対して、全ての関係を断絶し、戦争も辞さないと声明を出した。今や、北朝鮮と韓国はまさに一触即発で、最大の危機を迎えている。
 こんな時に、考え方も方向性も全く異なる大臣を持つ内閣で、日本の国を本当に守れるのか。単なる閣内不一致といった生易しい問題では断じてないと私は思っている。
 沖縄問題は当然、閣議できめるべきテーマなのだが、うっかりそれをやると連立が崩れるからと、日米声明とは異なった、刺激の少ない別の文書(場所を明記しない等)をつくって了解をとりつけようといった姑息な手段も考えているようだ。
 なんとも絶望的な話ばかりではないか。
 日本の今と将来の為に、鳩山内閣は即総辞職するべきだ、と強く訴えたい。

言いたい放題 第56号 「ようやく罷免か」

 政権の中にあって、しかも閣僚である福島瑞穂社民党党首は、良し悪しは別として、首相と一致した考えと行動を取らなければならないことは常識である。
 沖縄基地問題で鳩山首相は二度、かの地へ足を運んで説得に当たった(心通わぬ形だけのものだが)が、同じ時期、大臣の彼女が沖縄に出掛け、全く逆の立場で絶対反対を打ち出し、知事に共闘を誓った。今までの政治の世界では、全く考えられないことで、本当はあの時点で即罷免するのが当たり前であった。
 ところが、愚かな首相は、一度は閣議決定なしの、つまり各大臣の署名無しの決定さえ考えた。しかし、それではあまりに露骨で国民の批判が起こるかと考え直し、正規の閣議決定に持ち込んだのである。
 それでも最後は福島大臣も同調するとでも思っていたようで、ギリギリまで首を切る決断は出来なかった。
 一方、社民党の方は、福島党首の行動に大慌てで、臨時閣議が30分後に迫ると、離脱に反対する又市征治副党首ら幹部は、閣議を遅らすことで「時間稼ぎ」をし、必死に巻き返しを図っていた。
 わずか衆参12名の小党の、参議院選挙目当ての、この狼狽ぶりは、なんともお粗末で、悲劇というより喜劇であった。
 もっとも最大の元凶は鳩山首相であることは誰もが一致した見方である。
 連立政権内の合意も得ず、何よりも沖縄や徳之島はじめ国内の納得も得られないまま、日米共同声明を優先してしまったのである。
 どんなに理屈をこねても、日本よりもアメリカの方が大事なのかと言われたら、一言もない。
 そもそも辺野古移転案は、自民党政権時代、実に10年の粘り強い交渉の結果、ようやく辿り着いた結論であった。橋本元総理をはじめどれだけ多くの議員が沖縄を訪ね、アメリカ側と交渉したことか・・・。
 この現行案を決めるまで、特に2006年から2年半もかけて、日米の実務者があらゆる局面を検討し、必死の協議を続けたのである。
 例えば、北朝鮮の核・ミサイル問題、中国の軍事力の増強と影響力の拡大にどう対応するのか、といった日米の安全保障をめぐる具体的なテーマについてである。
 アメリカの極東戦略、いや世界戦略といった方が正しいが、同盟強化を求めるアメリカ側と、国内の負担を如何に抑えるかの日本側と、丁々発止のやりとりの末、微妙な均衡の上に成り立った日米合意であった。
 それを、何の勉強も研究もせずに、選挙の為に「国外移転、最低でも県外」と軽率に訴え続け、沖縄県民にあらぬ幻想を抱かせ、全てを駄目にしてしまったのである。
 口を開けば「政治主導」と言うが、政治主導の大前提は、政治家としての正しい見識であることは言うまでもない。
 繰り返し官僚批判を続けて、彼らを悪者扱いにしてきたが、2年半にわたり誠実な協議を続けてきたのは他ならぬ有能な官僚達だったのだ。
 彼らの力を借りようとせず、いや逆に排除して、鳩山首相中心の素人官邸集団が、全てに首を突っ込んで処理してきたのだから、良い結果が生まれるはずもないのである。

 今回の閣議決定では、普天間飛行場の移転先を名護市辺野古周辺と明記している。日米合意を、政府方針と正式に確認したということである。
 「辺野古の海に杭一つ打てなかった」と率直に書いた自民党政権の現行案を、あれほど批判した鳩山首相、埋め立て案を「自然への冒涜(ぼうとく)」と言いながら、実は埋め立てを視野に入れた方法が今回の案なのだ。
 今更、いくら振興策など、地元への甘い提案をしても、ここまで来れば、もはや簡単に進むとは思えない。
 5月決着を約束したが、こんな辻褄合わせで誤魔化し、更に今度は8月までに代替飛行場の位置や工法の検討を完了させると約束をし、新たに期限を切ったのである。同じことの繰り返しだ。
 実現出来る筈がないではないか。
 そうなれば、逆に普天間飛行場は残り、固定化されること必定である。
 沖縄の負担軽減など、口先だけで、その場限りの全くの嘘っぱちなのだ。
 もはや、福島大臣の罷免どころではない、鳩山由紀夫総理大臣こそ罷免しなければならないと私は思っている。

言いたい放題 第57号 「お手々つないで外遊とは!」

 去る5月29日午後6時、鳩山首相は、日中韓首脳会議に出席の為、羽田空港から韓国へと飛び立った。
 それはいいのだが、政府専用機に乗り込む時、なんと幸夫人と手をつないでタラップを登っていくではないか。
 幸夫人の評判はすこぶる悪く、5月22日に民主党北海道支部の政治資金パーティーでの代理の挨拶で、なんと大演説をぶって、出席した道会議員らに、「せっかくの会議が台無しだ。もう二度と呼ばないでくれ」といわれる始末であったという。
 最近は、さすがに自粛しているとみえて、鳩山首相の外遊の際の同行を見合わせていたようだったが、あきれたことに、この日は堂々とお手々つないでの道行きであった。
 問題は、鳩山夫婦の能天気ぶりである。
 沖縄普天間飛行場の移設問題で、ついに社民党の福島大臣を罷免し、連立与党が崩壊するかという、民主党政権にとって重大危機の時なのに、である。
 折から、宮崎県で、牛、豚の口蹄疫の被害は甚大になり、壊滅的打撃を受けている最中ではないか。
 幸夫人の韓国好きは有名で、かの国の俳優と何度も個人的に会食して悦に入り、なんと韓流スターを公邸にまで招いて大はしゃぎの時もあった。
 そこいらの韓流ファンのおばちゃんと同じだが、それが目下のところ日本のファーストレディなのだから恥ずかしい。
 もしかしたら、鳩山首相は、もうすぐ辞めるしかないから、最後の「お楽しみ」ということなのだろうか。勿論、全て国費が使われるのだから笑って過す訳にはいかないのだ。
 首相不在の30日(帰国は当日の午後5時30分)、結局、社民党は連立政権離脱を正式に決めた。
 勝手で軽々しい振る舞いで評判だった福島党首、一転して殉教者扱いだ。世論調査でも、「離脱を評価する」が50%台と、これは参議院選挙を前にして社民党にとっては都合のいい数字となっている。
 勿論、鳩山内閣の支持率は、朝日新聞の29日30日の世論調査によると、ついに20%を切って17%。もはや政権としては本来立ちゆかない状況である。
 但し、残念ながら、自民党支持率も15%と相変わらずの低迷ぶりだ。

 民主党内閣では、福島氏以外でも罷免すべき大臣はゴロゴロいる。
 まっ先に辞めさせるべきは、なんといっても赤松広隆農水大臣である。
 40万頭以上の牛や豚を殺処分するという、かつてない大惨事が起こった。
 最初はわずか3頭の感染に過ぎなかったのに、民主党政権の、とりわけ担当者の無能ぶりが、こんなにも被害を拡大させてしまった。
 口蹄疫が猛威をふるい始めた4月30日、赤松農水大臣は能天気にも私的旅程も含めてメキシコへ渡った。そして、なんと5月8日まで帰って来なかったのだ。途中、ゴルフをしたとかしないとか報道されたが、この真偽は別として、税金をつかっての大名旅行であったことは間違いないのである。
 大事なことは初動態勢で、消毒の徹底は当然のこと、一般車両も含む通行止めを実施する等、あらゆる手を迅速に行わなければならなかった。
 10年前にも宮崎県では口蹄疫が三例発症した。しかし、自民党政権下、人の行き来も規制し、一般車両にいたるまで全て消毒、わずか35頭の殺処分で封じ込めに成功しているのである。何故こんな過去の大きな成果をどこも報道しないのか。
 東国原知事の責任も重大だ。
 丁度あの頃、舛添要一氏と会談したことがテレビで流れて大きな話題となった。口蹄疫問題よりも新党騒ぎがもっぱら東国原知事の関心事であったのだ。

 今回の大惨事は、私にいわせれば、むしろ人災というべきものだ。
 まず赤松大臣の罷免は当然やらなければならないことなのだ。
 しかし、なによりも自分自身が先頭に立たず、適切な処置をしなかった鳩山首相こそ、最大の加害者である。
 任命責任も含めて、自らを罷免しなければ、世の中は通用しないと私は思っている。

言いたい放題 第58号 「辞めて当然」

  6月2日、鳩山首相は小沢幹事長を道連れに突然、退陣すると発表し、号外が出る大騒ぎとなった。
 ついこの間まで、総理が一年ごとに交代すると、あれほど自民党を批判していたのに、御本人の場合は、わずか8ヶ月で投げ出す結果となった。かつて私が退陣に追い込んだ細川首相と同じで本当に短い期間であった。

 この数日前、鳩山首相は、日中韓首脳会談の為に、韓国へ出掛けたが、なんと専用機のタラップを幸夫人と手をつないで登っていった。あれほど批判があり、しかも社民党離脱の日なのにである。
 辞める気になって、最後のハネムーンのつもりだなとホームページにも書いたが、私の予感がまさに的中したようである。

 実は、拙著の新刊本「こんな政治じゃ日本はダメになる!!」が完成し、角川学芸出版の池田氏が自宅に届けてくれたのが、まさにこの辞任の日であった。
 鳩山政権が生まれてから8ヶ月間、私はその実体のひどさに怒りを覚え、多くの人々に真実を伝えなければと、ホームページは勿論のこと、あらゆる機会をとらえて訴え続けて来た。
 鳩山政権では、その場限りの、内容の無い甘い政策、特に選挙目当ての大盤振る舞いのバラまき予算が目立った。
 厳しい財政状態からみれば、そんなことは不可能で出来ないことばかり、たちまち馬脚を現わして、変更、訂正、中止と次々に音をたてて崩れていった。
 一番ひどかったのは沖縄基地移転問題で、真剣に検討もせず不用意な発言を重ね、あまりに不誠実な対応から、やがて沖縄県民の不満は爆発、米側へも最大の不信を与えてしまった。
 日本の大切な国防問題で、今ほど危険にさらさせた無責任な総理はかつて見たことがない。
 このままいけば、日本の今と将来に、取り返しのつかない禍根を残す、一刻も早く鳩山首相を辞任に追い込み、民主党政権を倒して、正常な国政に戻さなければならないと私は真剣に考えた。
 残念ながら、今、私は無冠だ。ならば何万もの人が見る私のホームページ、「深谷骼iの言いたい放題」で訴え続けよう。講演も含め、あらゆる場面で私の思いを発信していこうと必死に努力を積み重ねてきた。その集大成が今回発刊の拙著であった。
 今、ようやく私のこの熱い思いが天に通じたのかと、ほんの少し満足感がある。

 しかし、困ったことに、私はこの本の中で、「鳩山首相、小沢幹事長は辞任せよ」と書き続けている。
 「ようやく辞めた」今、当然、これらの文言を変えなくてはならないのだが、すでに本は完成した後、さあどうするか戸惑った。今更直しようがない。結局、不都合な部分は読者に寛容を願うしかなかった。

 もっとも、民主党政権はしばらくは続く。
 代表選挙を行った後、新首相が選ばれるのだが、別に新しい顔が生まれるはずもない。
 変わり映えのしない顔ぶれで、今までの政策を踏襲していくだけではないか。
 いや、もしかしたら150人のいわゆるチルドレンを率いる小沢氏が依然として影響力を保ち、彼の傀儡政権になる可能性もある。
 だとするならば、「こんな政治じゃ日本がダメになる!!」ことに少しも変わりはないのである。
 多少の文言に違和感はあっても、私の新刊本で、民主党の本質を改めて検証し、今後の判断材料にしていただくことも、意味のあることではないだろうか。
 予定通り、拙著出版を進めることとした。

 政治の世界では、一寸先は闇である。これから、一体、どのような動きになっていくのであろうか。
 いずれにしても、政治家や政党の都合ではなくて、この国と国民の為に、真剣に取り組んで欲しい。その為に私も引き続いて役立つよう頑張っていかなければならないと強く思っている。

言いたい放題 第59号 「人生の喜び」

 卒寿、90歳を迎えた岡山誠さんのお祝いの会が、台東区のシルバーピアで催された。
 町内の人達で編成するハワイアンバンド、ハートフル・アイランダースの方達を中心に、70人程度の会だったが、岡山さんを心から愛し、慕う人々の心のこもった集まりだった。
 岡山さんは相変わらず蝶ネクタイの似合う粋な人だ。かつて野次将軍と言われた頃の、元気いっぱいな若さはない。耳もかなり怪しくなっていたが、年輪を重ねた凛然とした姿で嬉しかった。

 彼と最初の出会いは、私が台東区議会議員に出馬した頃からだから、あれからもう47年が経過している。
 私は27歳で区議に当選、翌年結婚し、次の年29歳で都議会議員選挙に無所属で出馬し、わずか260票差の次点で敗れた。
 まる4年浪人生活を送るのだが、何しろ貧乏そのもので、当時住んでいた木造都営住宅のわずか6畳2間で、女房と共に、学習塾を開いて糊口をしのいだ。
 深谷学習塾は1日2交代、1日おきだから8教室、近所の応援者の子弟が集って、ほぼ150人の生徒でいつも盛況であった。
 今、私はTOKYO自民党政経塾塾長だ。定員100人のところを、この5年間いつも定員オーバーで、今200人を超える塾生を教えている。46年前と相手こそ子供と大人の違いはあるが、相変わらず塾長で、子弟を育てているのだから、思えば不思議なことで感慨深いものがある。

 この学習塾では、学問は勿論だが、特に人としての礼節に力を入れ、道徳を教えた。夏にはキャンプに連れて行き、冬にはクリスマスパーティーを開き、私はサンタクロース姿になっていつも子供達と一緒に暮らした。
 当時、金杉地区で青少年を集めて、今でいうボランティア活動をしていたのが、岡山誠さんだった。
 多才な人で、スポーツは何でもこなし、口も達者な世話好きの地域の名物男だった。彼もよく子供達を集めてキャンプを行ったが、私の塾生達の時も一緒だった。
 河口湖へ父兄と共にトラックにテント類を積み込んで先行し、夜はキャンプファイヤーを囲んで、私も一緒に子供達と同化した。今改めて振り返ると涙の出るような懐かしい想い出の光景だ。

 選挙になると仕事を投げ出して、必死に応援に駆け回る。特に夜の演説会になると、必ず会場に陣取って、私の演説の要所要所で、間髪入れず大声で野次を飛ばす。
 歌舞伎と一緒で、掛け声一つで盛り上がったり調子が悪くなったりするが、岡山さんのそれは見事であった。(近年は少しタイミングがズレて、怒っているようだという人もいたが・・・。)
 やがて私が政務次官になり、大臣になると、決して出過ぎず一歩退って、相変わらず熱心な応援ぶりだった。私はといえば、いつも彼の姿を目で追うように探したものであった。
 大臣室等で一緒に撮った写真は自分の宝物と大事にしてくれた。
 以前彼を誘って、珍しく2人だけで寿司屋のカウンター席で飲んだことがあったが、終始嬉しい嬉しいと男泣きで、私の方は周囲の客に気兼ねして、すっかり困惑したこともあった。

 卒寿の会で、私は岡山さんとの、そんな思い出話をして乾杯の音頭をとった。ニューヨークから、かつてキャンプに行った教え子(今は立派に活躍中)から、長文の祝電と記念品が届いた。記念品は素敵な蝶ネクタイであった。

 人生とは、本当にあっという間に過ぎてゆくものだ。私など色んなことがありすぎて、一体何が幸せだったのか、不幸なのか判然としないくらいだ。
 しかし、岡山さんの卒寿の祝いに参加して、やっぱり往時、人のために尽くして、そのことをみんなが覚えてくれていて、こうして、ささやかだが温かい心情で囲んでくれることが、最高の喜びなのだと思った。
 何よりも健康で、いつもみんなと一緒に暮らせることが、なんと素晴らしいことかとしみじみと思った。

 昨日は私が氏子の玉姫神社の例大祭。私の日本堤の自宅前に2町会の神輿が勢揃いしてくれた。そしてのべ500人にも及ぶ担ぎ手が盛大に三本締めを行い、私を激励してくれた。
 この数日間、民主党のみっともない交代劇などにうんざりし、又、諸事遅滞も多く、何となく気分が滅入る日が続いた。しかし、岡山さんの素敵なお祝い会と、お祭りでの変わらぬみんなの優しさのおかげで、「うれしい心」を少し取り戻したようだった。

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