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言いたい放題 第30号 「晩年の田中角栄氏のよう」

 1月元旦、1時と3時にわけて小沢一郎民主党幹事長が自宅の世田谷の豪邸で大新年会を催した。
 今や飛ぶ鳥落とす勢いの小沢氏だけに、なんと集まった衆参の国会議員は166名に達し、その権勢を天下に見せつけたような大イベントとなった。

 折から、小沢氏にまつわる疑惑追求の手は、刻々と具体的な形となって小沢氏周辺に迫り、ついに1月13日、彼の資金管理団体である陸山会はじめ、個人事務所等に大がかりな東京地検による捜索が入った。
 準大手ゼネコン西松建設と小沢氏側との違法献金事件は、東京地検特捜部が2008年6月に捜査に着手したことから始まった。
 以後、岩手県奥州市に建設中の胆沢ダムなど東北地方のダム建設について、小沢氏側に口利きを頼んだことなどから、2009年3月には、小沢氏の第一秘書が政治資金規正法の虚偽記載容疑で逮捕されるに至った。
 大体、政治資金規正法違反による強制捜査は、贈収賄や脱税などといった、より悪質な重大な犯罪の摘発が後に控えている場合というのが常識である。今回、胆沢ダムを受注した大手ゼネコン鹿島本社や東北支店を一斉に捜索したことからも、東京地検は相当な確信をもって捜査に踏み切ったと思われる。

 小沢氏の場合、これが初めての疑惑ではない。
 私が激しく闘い辞任に追い込んだあの細川連立政権の1993年の時も、ゼネコン談合事件が起こり、当時、新生党代表幹事であった小沢氏の名前が取り沙汰された。
 民主党代表になる際も、政治資金をつかって、都内に複数のマンションを購入した問題が追及された。
 最近、何故か小沢氏は、企業団体献金廃止論を主張している。散々、企業団体から、表も裏も含めて莫大な資金を調達した御本人がいうのだから、なんとも不思議な話ではある。

 小沢氏は、この秘書逮捕の翌日、記者会見して、「これは国家権力の不法な行使だ。公権力が思うまま権力を行使したら、国民の人権を守ることは出来ない」と厳しい口調で批判し、まさに検察側に宣戦布告したのである。「法律が法律として通らない国にしてはならない、法が無いなら法を変えないと国民は不幸な目にあう。私は戦う」とも発言した。
 自分の疑惑に関する当局の追及を、あたかも戦前のような国家権力行使と決めつける。国民の不安をあおるような発言だが、明らかな責任転嫁・議論のすりかえである。国民にとってはなんとも迷惑な話である。
 
 しかも、過激な小沢氏の検察批判の後も、次々と新しい疑惑が公になっている。
 今、大きくクローズアップされているのは小沢氏の資金管理団体「陸山会」が、2004年に4億円にもなる土地を購入したが、その出所についての疑惑である。
 この件については、かつての秘書、現民主党の石川知裕代議士がすでに事情聴取を受け、今回、彼の事務所も捜索された。
 陸山会の複数の口座に多額の金額を分散入金したり、それをまた同会の1つの口座に集約したりしている。購入原資を隠す為の工作と思われ、これはまさにマネーロンダリングだ。
 収支報告書にも4億円の記載はない。
 胆沢ダムについての談合事件で、主要工事の下請けに入った中堅ゼネコン水谷建設の関係者が、計1億円を小沢氏側に渡したとマスコミ各紙が報道している。こうした時期と土地購入の時期とが重なっているという。
 東京地検特捜部は、小沢氏本人から直接事情聴取を行う方針を固め、1月5日に聴取を要請した。小沢氏も、これに応ずる姿勢だと報道されたが、実際は拒否していたようだ。その上なんと聴取内容を限定することを条件にしたり、多忙を理由に引き延ばしたりしていたともいわれている。井山裕太名人と囲碁対局を楽しんだりしているのに、どこが一体多忙なのか。
 小沢氏は1月12日に記者会見を開いて「何らやましいところはない」と大見得を切った。その傲岸無礼な態度を見て、当局は最終的に強制捜索に転じる覚悟を決めたと思われる。

 圧倒的な議席を持ち、人事・カネ等の権限を握っている、今、最も権力のある小沢幹事長に対して検察当局は、全容解明にどこまで踏み込めるのかわからない。しかし、相当な自信を持って小沢氏と対決しようとしていることだけは確かであろう。
 正月の大新年会、昨年の600人による中国訪問も含めて、一連の小沢氏の権力誇示の動きは、捜査の状況と決して無縁ではないように思われる。

 私は、これと全く同じような光景を想い出している。
 ロッキード事件で有罪となり、最後まで法廷で争った、あの田中角栄氏のことである。
 昭和51年(1976年)、アメリカロッキード社による航空機売り込みの国際的リベート疑惑で、5億円の受託収賄罪と、外国為替・外国貿易管理法違反で田中氏は秘書の榎本敏夫などと共に逮捕された。
 首相経験者が逮捕されたのは、昭電事件で逮捕された芦田均氏以来初めてである。
 昭和58年(1983年)の東京地方裁判所は懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を下した。控訴するも昭和62年の二審判決も同じ。更に上告したが、平成5年、田中氏が死去し、審理途中で控訴棄却となった。

 田中氏が総理を辞任したのは昭和49年だが、このロッキード事件をはさんでもなお闇将軍と呼ばれ、病魔に倒れるまで実に10年余、国を動かす力を維持し続けた。
 キングメーカーとしての田中氏の力の背景なくして、大平正芳氏、鈴木善幸氏、中曽根康弘氏の総理は生まれてはいない。
 実に3代の政権に影響力を及ぼしたことになる。
 こうした権力の背景には、数において他を圧倒する強固な田中軍団があった。
 田中氏はその資金力も、又、選挙の強さにおいても抜群の力をもっていた。
 たとえ刑事被告人であっても、ともかく田中氏の元に集まれば、金も地位も確実に保証される、多くの人々はそう信じていた。
 目白台の邸宅には、いつも陳情客がひきも切らなかった。政治家も役人も列をなして田中詣でを続けたのである。

 一方で田中氏自身からすれば、強気の姿勢とは裏はらに、ヒタヒタと迫り来る有罪判決の怖さも大きかったのではないか。身と心を守る為に、ひたすら強力な言動で権力の座を誇示し、維持する必要があったのではないだろうか。
 当時、比較的、近くで見ていた私は、そのことをいつも感じていた。小沢氏の最近の動きをみて、そっくりだなと感じるのもその故である。

 私は当時、中曽根派に属し、田中派とは無縁であった。
 私が無所属で衆議院議員に初当選し、4年の任期を終えた時、三木武夫総理は任期満了選挙を行った。私はわずか1,000票の差で惜敗した。昭和51年(1976年)のことである。
 田中角栄氏の元で秘書を勤めた鳩山邦夫氏が初めて立候補し最高点で当選、私と入れ替わったのだ。
 私の選挙区(当時東京8区)は、とかく変動の多いところで、毎回必ず現職議員が落選するというジンクスがあった(今も相変わらずだが)。
 私が初当選した時は、現職の社会党の依田圭五氏が破れ、その後は、共産党の金子満広氏や公明党の中川嘉美氏がいつも入れ違いに当落を繰り返していた。

 傷心の私に、地元の実力者、明治座の三田政吉氏(故人)が声をかけてくれて、「深谷さんは、目白台に挨拶に行ったことがあるか」とたずねた。
 「いえ、私は中曽根派ですから。顔を出したこともありません。」
 「君はそういう片意地なところがいけないのだ。目白台は文京区だ。地元の大先輩に挨拶に行くのは当然ではないか。君が破れて一番残念がったのは田中角栄さんで、何度も私に惜しい若手を落としたと言っていたよ、早く訪ねるといい」。
 確かに私には、政治家として筋を曲げたと思われたくないという頑ななところがあった。この際は是非、伺わなければと意を決して、女房共々初めて田中邸をおそるおそる訪ねた。
 正門をくぐると、正面の控室には、30人位の先客が居る。例の陳情客だ。これは長く待たされるなと思っていると、秘書が伝えてくれたとみえて、奥から例のダミ声が聞こえて、なんと御本人があわただしく、ずかずかと現れるではないか。
 「やあ、深谷君よく来た。さあ、奥に入ってくれ。」待っている人におかまいなく私達を御本人が直接案内してくれる。
 田中角栄氏は終始上機嫌で、初めての訪問なのに実に1時間近くも語り続けてくれた。
 「まさか君が落ちるとは思わなかった。君の支援者はみんな残念だ、惜しいことをしたといっているよ。今日から6万人の人と握手をしなさい。そして、どこに誰がどんな暮らしをしているか、頭の中にたたきこむんだ・・・」。
 大声で熱っぽく語る田中氏に、私も女房も、その驚くべき魅力にすっかり引き込まれていったものだった。
 最後に、「鳩山は次は落ちるよ。君は必ず最高点で当選する。俺が保証する」とまで言い切った。
 「若い者が真剣に努力することは国にとって本当に大切なことだ。俺は君から連絡を受けたら、たとえ夜中でも起きて君と会う。必ず来てくれ。」
 帰り際、なんと田中氏は下駄をはいて玄関まで送ってくれたのである。
 帰途の車中、私と女房は思わず涙を流していた。

 2年8カ月の浪人生活の後、私は最高点で返り咲いた。
 自民党の鳩山氏と山田久就氏、二人共落選、まさに田中氏の言われた通りの結果であった。

 昭和59年、私の父政雄が逝去した折、田中氏が弔問に訪ねてくれた。
田中角栄氏と.jpg
 その12月大晦日、私は女房と共に、御礼をかねて御挨拶に田中邸を訪れた。
 相変わらず上機嫌で、奥に通されたが、翌日の元旦をひかえて、大勢の代議士や役人の新年会の為に、大宴会場が設けられ、100席以上の椅子が並んでいた。
 今思えば、小沢一郎氏の今回の新年大宴会場とそっくりである。
 その誰も居ないガランとした会場に、机をはさんで3人が座った。
 「深谷君飲むか」と、いきなりオールドパーの瓶を開けてくれる。私は咄嗟のことで少しあわてて遠慮して、「いえ、結構です」と辞退すると、今度は「奥さん、飲むか」。「はい、いただきます!」女房の元気な声に私のほうがびっくりした。
 結局、3人で飲み続け、語り続け、とうとう1本空にしてしまった。私達夫婦にとって、たまらなくなつかしい想い出の一頁である。

 その年、団結を誇っていた田中派に、実は次第に乱れが出始めていた。   
 次の自民党総裁選に、田中派(木曜クラブ)から、会長の二階堂進副総裁を擁立させようとの構想があり、それに反発した動きが始まっていたのだ。その中心は竹下登氏、小沢一郎氏らで、それに中堅若手の政治家が集まり、新たな組織の旗揚げをしようとしていた。
 翌年(昭和60年)、国会で特に親しかった友人の佐藤信二代議士(佐藤栄作氏の御子息)から声がかかった。
 「田中先生が、孤立して寂しがっている。君が行ったら喜ぶから、顔を見せてくれないか。」というのである。
 この2月7日、ついに竹下氏を中心とする創政会(後に経世会)が発足しているのだ。
 田中氏はかなり心を痛めていると聞いていたので、早速、田中邸を訪ねた。喜んで迎えてくれた田中氏は、相変わらず元気だった。政治に対して終始意欲的で、創政会のことには一言も触れようとしない。
 さすがしっかりしていてビクともしないのだな、と感心しながら大いに議論に花を咲かせた。
 しかし、途中、私の手元のお茶が無くなった時、そして辞して帰ろうとした時、それに気付かなかった秘書に、突然烈火の如く怒り出したのだ。びっくりするような大声をあげたのである。身を震わすようにして怒鳴る。初めて見せる田中氏の姿に、私は異常なものを感じて愕然としたものだった。
 それから数日後の2月27日、田中氏は脳梗塞で倒れた。
 この世に鉄のように完全に強い人は居ない。所詮、人の本質は、限りなく弱いものである。どんなことが起きても心底耐え切れる人はいないのではないか。
 田中氏は、それから8年、言語障害や行動障害で、政治活動は全く不可能となって、平成5年12月16日、ついに75年の生涯を終えた。

 私は小沢一郎氏を頭から嫌っている訳ではない。小沢氏とのわずかな触れ合いの中に、氏のよき一面を垣間見た時代もある。
 田中角栄氏とよく似たところがあって、一見、剛気で一本気で、なによりもあまり人の悪口を言わない人だ。
 
 だが、今は政権政党の幹事長、最大の権力者の座にある。自らの誤りや弱さを糊塗する為に、権力を振り回しているのだとすれば、あまりに情けない。
 小沢氏がやるべきことは、いさぎよく当局の求めに応じ、国民の前に事実を明らかにすることだ。政治家として責任を果たすことだ。政治家は国家国民の為に、常に己を律し、出処進退を明らかにしなければならないと私は思っている。
 鳩山首相といい、小沢幹事長といい、それにしても民主党はなんと指導者達の金にまみれた政権政党なのか。このような政党に日本の将来をまかす訳にはいかない。
 自民党現職の諸君、もっと真剣勝負をかけてくれないか、と腹立たしく思っているのだが・・・。

言いたい放題 第31号 「あきれた検察対民主党構図」

 ついに、というよりやっぱりという方が正しいと思うが、小沢氏の土地購入をめぐる疑惑解明のために、民主党の現職議員石川知裕氏はじめ、計3人の元秘書が逮捕された。

 すでに会計責任者だった公設第一秘書の大久保容疑者は、昨年3月、陸山会などを受け皿に、西松建設から、計3500万円の融資の虚偽記載で逮捕起訴されて裁判の審議が進んでいる。
 今回は、それとは又別の政治資金規正法違反容疑だから、まぁなんといい加減なことを「やって来た」のか、いや、正確には「やらされて来た」のかとむしろ秘書達に哀れを感じる。
 何億という巨額な金額ではないか。
 今回の案件も含めて、親分の小沢一郎氏指示の元で進められてきたことは間違いなく、秘書が独断で勝手にやれる筈もないことなのである。
 大体小沢氏の場合、秘書は人にあらずといった厳しい扱いが評判で、秘書にとっては小沢氏の命令は絶対であった。
 そもそも、この石川容疑者という人、小沢秘書が長いというだけが取り柄の、とても政治家になれるような器では元々無かった。
 2005年の衆議院選挙で北海道11区から民主党公認で出馬、落選。しかし、民主党議員が道知事選挙に立候補するために辞職して、そのおかげで2年後、比例北海道ブロックで繰り上げになったというラッキーな人だ。今になれば必ずしもラッキーではないが・・・。
 昨年の選挙では、びっくりするような民主党の風に、自民党は大敗北するが、その風のおかげで11万票もの大量得票で当選を果たした。
 誰もかれも、それこそ突然名乗りあげた人も含めて、民主党ならみんな当選するという選挙でだ。
 彼に破れたのは故中川昭一氏。
 中川氏の場合、例の酔っぱらい会見で世界的に大恥をさらし、いわば自民党敗北の原因の1つとなった人で、だからとても選挙に勝てる状況ではなかった。
 石川容疑者の当選と引きかえに、中川氏は落選、そして不慮の死という結果になった。
 中川昭一氏については、勿論私もよく知っている。人柄もよく、勉強もしていて若く有能な人だった。
 御本人の身から出た錆だからやむを得ないとは承知しつつも、酒さえなければという思いが、私の心に強く残っている。
 今回逮捕された石川容疑者と政治家として比較した場合、あまりにも落差が大きいだけにそう思うのだ。
 石川氏は国会進出を果たしたのだが、テレビ等マスコミ報道で、何度も映し出されている光景を見ても、相変わらず秘書そのもので、ほとんど小沢氏からは無視され、代議士という扱いは受けていない。
 朝日新聞に、「石川氏は帯広から札幌までの特急列車の同じボックス席で小沢氏と相席した際、3時間弱、緊張したまま背筋をピンと伸ばして座っていた。小沢氏からの問いかけに「はいはい」と答えるのがやっとだった」と書かれている。これは石川氏の元秘書の言だから、その通りであろう。
 そんな人が、自分の裁断で、こんな巨額なお金を動かせることなどとうてい出来ない。
 小沢氏に不利になるような、つまり小沢氏の説明と異なる供述をしたので、精神的にすっかり参って、すでに周囲に「死にたい」など漏らすようになっていた。今回の逮捕は自殺の危険も配慮してのことといわれているが、確かに、自殺でもされたら、疑惑解明の道は永久に閉ざされてしまう。

 今回の疑惑くらい、わかり易い構図はないように思われる。
 陸山会という小沢氏の資金管理団体が5年前に土地を4億円で購入していた。
 しかし、この購入原資4億円は政治資金収支報告書には記載されていない。当然、これだけでも政治資金規正法違反にあたる。
 しかも、この4億円の資金の出所を偽る為に、わざわざ銀行から借りたことにし、その処理を午後に行った。
 ところが、土地購入代金を支払ったのは、なんとその日の午前中のことで、たちまちインチキがわかってしまった。
 まるで子供だましのたぐいだが、政治資金の出入りを糊塗する為に、秘書達が日常的に行っていたから、こんなお粗末なミスを招いたのではないか。
 しかも、こうした事実が公になると、石川議員は、このお金は小沢氏が亡き父から相続したもので、これを自宅で保管していたと説明した。
 鳩山首相は母親から資金をもらい、今度は「小沢氏は父親からかよ」とあきれる。しかも父親が亡くなったのは昭和43年で、なんと42年も前のこと、気の遠くなるほどの長い年月よくぞ保管していたものである。
 石川議員は、政治資金収支報告書に記載しなかったのは、単なる事務的なミスと、当初小沢氏と同じ説明をしていたが、逮捕前日の14日には、故意に記載しなかったと認めている。
 何故、故意に載せなかったのか、表に出せない不明朗、不透明な資金であったからとしか考えられないではないか。

 一方、中堅ゼネコン水谷建設の会長や会社幹部らは、日本最大級の胆沢ダムの受注をめぐって小沢氏側に計1億円を提供したと供述している。
 この胆沢ダム工事は、今回捜索対象となった大手ゼネコン「鹿島」が受注したが、その下請け会社が水谷建設である。
 2004年と05年の各時期に5000万円ずつの現金を港区のホテルで小沢氏側に渡したと供述し、その受け渡し場面まで生々しく述べている。
 石川議員に渡したという1回目の5千万円が、今回の土地取引と同時期で、事実、その授受日の直後に陸山会の口座に同額が入金されているのだ。
 それらは鹿島の指示で行われ、その費用は工事費に上乗せして鹿島側から穴埋めされたといわれている。
 大ダム工事は国民の税金でまかなわれているのはいうまでもない。
 これら一連の動きが事実となれば、断じて許されざることで、極めて悪質、逮捕された者のみならず、小沢氏本人も糾弾されなければならないのである。

 今回の突然の逮捕劇について、様々な意見が出されている。全体的に見れば小沢けしからんという声が圧倒的だが、中には、国会召集直前に逮捕するのはおかしいいう人も居る。
 別に検察側を庇うわけではないが、1つは石川議員の供述がくるくる変わり、偽りが多すぎること、しかも証拠隠滅のおそれがあること、(石川議員の元秘書が、資料かくしを行ったと具体的に述べている)更に前述のように自殺をほのめかしていることなどが理由としてあげられる。そしてなによりも、国会が始まると議員逮捕の手続きがやっかいになるのだ。
 国会会期中の議員逮捕には、まず国会に逮捕許諾請求を出し、議決を得る必要がある。絶対多数の政権与党民主党だから請求拒否の議決も皆無ではない。18日から国会が開かれることを思えば、15日がまさにギリギリのところなのである。
 その上、時効が今年の3月末と迫っている。
 小沢氏自身の任意聴取を要請していたが、これにも全く応じる気配がない。それまでは石川議員の在宅起訴の予定だったが、検察側はしびれを切らし、ついに一転して急転直下の逮捕となった。いたってわかり易い当然の成り行きではないか。

 翌日、民主党は、衆議院選勝利後初の党大会を催した。当然、小沢幹事長の進退問題が厳しく問われ、小沢氏のことだから、自ら辞任を選ぶのではないかといわれていた。
 しかし、実際はその逆で、幹事長は続投するといい、捜査は容認できない、断固として戦うと検察との全面対決を宣言した。
 鳩山首相は、「私は幹事長を信じてます。どうぞ戦って下さい」と伝え、改めて幹事長の続投を認め支持した。これでは政府対検察の構図で前代未聞の事態である。
 小沢氏の続投宣言には、民主党の中枢、幹事長職から離れれば、彼の権力は一気に薄れ、検察に対抗するだけの力を失うという思いがあること見え見えだ。
 鳩山氏から見れば、なんといっても選挙で民主党を勝利させ、党を支えているのは小沢氏で、彼の存在無くして首相の座を維持して行くことは不可能だとの思いがある。
 まさに悪い意味で、利害得失が一致したということなのだ。
 2人の共通していることは、常に自らの保身のことだけを考えるということで、言い逃ればかりを繰り返す。そこには政治家としての責任感や道徳心のかけらもないという点だ。
 普通、自分の重要な秘書が3人も逮捕される事態になったら、まず責任をとって役職を降りるか、時には議員を辞職する位の節度があるものだ。
 かつて、鳩山氏は秘書問題で加藤紘一代議士に、「責任をとって辞めるべきだ」と批判したことがあった。加藤氏は自ら潔く議員辞職までして政治家としてのけじめをつけた。そんなことをケロッと忘れているから宇宙人といわれるのだ。

 小沢氏は検察の事情聴取にも一切応じない。記者会見では、もっぱら「私は法に触れることはしていない」と述べるだけで、具体的な説明をしようともしない。小沢氏をめぐるこれまでの数々の疑惑事件を振り返ると、あきれる程の巨額にのぼる。
 陸山会が1994年以降購入した不動産は計15件にのぼり、購入総額は10億5千万円で、所有者は全て小沢氏だ。
 資金管理団体名では不動産登記が出来ないから自分の名義にしたと説明しているが、そんなことは一般的に通用する筈もないことだ。
 これでは政治家なのか不動産屋なのかわからない。本当に金にどん欲な人なのだろう。こういう人を「政治屋」というのだ。
 もはや、幹事長どころか、政治家としての資格も無いといわざるを得ない。
 鳩山首相も本来なら、せめて党内で事実解明の為の調査をさせるとか、あるいは小沢氏から直接、事情説明をさせるなど、党としての手順手続きをふむべきではないか。それが党の代表、ましてや政権を代表する首相として果たすべき役割ではないか。
 もっとも、鳩山氏自身も偽装献金問題を抱えている。首相の元公設第一秘書は違法献金事件で起訴され、これから公判を待つ身だ。実際のところ、他人にとやかく言える立場ではないことも確かなのだが・・・。

 16日の民主党の大会は、まるで正義のために検察と戦うという、小沢氏のための決起大会の様相であったという。
 逮捕当日は、これでは参議院選挙は闘えないと、幹事長辞任の声も含めて特に地方からの不満が続出していた筈なのに、である。日比谷公会堂の会場では小沢幹事長の演説に拍手と歓声が起こり、彼を支持する声が次々と続いた。
 様々なマスコミが言うように、心の中では不満を抱く人が大勢いたことは想像に難くない。しかし、物言えば唇寒しで、物言えぬ総決起大会となってしまったのだ。まさに小沢独裁政党だ。
 本来、政党に必要なのは自ら省みて責任を負い、誤りを改めるという自浄作用だ。
 党大会を見る限り今の民主党に自浄作用があるとは思えない。政権交代で日本の政治が良くなると信じた人々は、今なんと思っているののだろうか。
 支持率は急落し、40%台となったが、民主党はまだ国民に甘やかされているように私には映る。
 自民党は、安倍氏から福田氏、麻生氏と一年交代のように政権を投げ出し、その無責任さで国民の大きな顰蹙を買った。自民党への根強い批判は、私もやむを得ないことだと思っている。
 しかし、少なくとも、今回のような首相や幹事長自身にまつわる不正や疑惑といったことで、国民の批判を受けた訳ではなかったと、一言つけ加えたい。

 これからいよいよ国会が始まる。
 デフレは一向におさまらず、不況は益々深刻で雇用もままならぬ状況だ。借金だらけの予算で、日本経済の行方はどうなるのか。
 その上、外交問題を見ても、日米関係を中心に最悪の状況が生まれ始めている。
 こうした諸問題解決のための大切な審議が控えているこの時期、民主党の大混乱は、日本及び日本人を不幸にしていく前兆ではないか。民主党は「国民の生活が第一」が公約ではなかったのか。
 こんな時、何で私は議席を持っていないのか、今更のように昨年の惜敗が無念でならない。
 せっかく、人生をかけて必死でこの道を歩んできたのに・・・。
 自民党の支持率は相変わらずの低迷ぶりだ。なんとか頑張ってくれないか、今、私は祈るような気持でいる。

言いたい放題 第32号 「びっくり鳩山・小沢両氏の三百代言」

 1月21日から、衆議院予算委員会が開かれた。テレビに映し出される委員会室の光景は私にとってはなつかしい場所だ。
 かつて細川・羽田政権をわずか10ヶ月で追い落とした、私にとっては忘れる事の出来ない修羅場なのだ。
 平成5年に自民党が野党に陥落し、今日と同じように、自民党もこれで終わりといわれた時代である。しかも、細川護煕政権の場合は、今の鳩山氏の40%台という低下傾向と違い、70%という高い支持率を誇っていて、まさに難攻不落といわれたものであった。
 しかし、断じて負けないという不屈の精神で、すでに引退した野中広務氏や、今は立場は異なるが亀井静氏らと共に、私は峻烈な闘いを挑んだものであった。
 当時、マスコミ等は厳しい質問ぶりに、私を予算男・武闘派と呼んだ。
 この頃の状況は、拙著「時代に挑む」(講談社/東都書房)に予算委員会の一部議事録も含めて詳細を述べている。是非御覧頂ければ幸甚である。

 さて、今回の予算委員会だが、党首対決も含めて、はっきりいって迫力のないやりとりで終始していた。
 攻める谷垣禎一自民党総裁は、一言でいえば品が良くて、物静かだ。
 アナウンサー歴の長い堀江政生氏がいみじくも、「こわもての悪役を演じて欲しい。それがプロだ。」と書いていたが、全くその通りだと思った。
 まだ政権与党の意識が残っているのか、野党であるという反骨精神が伺えない。あるいは大敗北の影響で、嫌われまいと世論を気にしすぎているのか。いずれにしても、政治生命を賭けた、不退転の覚悟が一向に伝わってこない。せっかく追いつめ、ここが突っ込みどころという場面で「今回のところはそれぐらいで」と何度も終ってしまう。満員の与党の応援団から、わざとらしい失笑まで出て、私は一人切歯扼腕していた。
 はっきりいって、政権交代は果たしたものの、民主党には世間で期待していたようないい所は、目下のところ、全くといって無い。
 選挙中のマニフェストは都合によってくるくる変わるし、財政規律のない無責任な、莫大な額の予算案も見てくればかりで、景気回復への具体的なものはまるで見当たらない。沖縄問題には少しの見識も誠意も示さず、全て先送りばかりで、いたずらに沖縄県民の不安を高め、大切な日米関係まで悪くする一方だ。
 しかも、鳩山首相も小沢幹事長も、不正献金から脱税まで金にまつわるうす汚れた話題ばかりではないか。小沢氏など秘書の逮捕どころか今や御本人も危ないともっぱらの話題だ。
 細川政権の時も、スキャンダルは決して少なくなかったが、これほどひどくはなかった。
 追求するべき材料が山ほどあるのに、何故責めようとしないのか。私から見れば、これだけ条件がそろっているのだから、追い詰めることなど容易だと思えるのだが・・・。

 しかし、もっとひどかったのは鳩山首相の答弁ぶりである。
 「巧言令色少なし仁」というが、巧みに飾った言葉を語気を和らげて、さももっともらしく喋り続ける、「そんな人に立派な人物はいない」と見事に喝破した昔の人の言う通りだ。
 首相が母親からもらった月々1500万円、わかっているだけで12億6,000万円もの巨額な「子供手当」について、「私は全く知らなかった」と平然と言い続ける。「庶民感覚からかけ離れている」と谷垣氏は言われたが、庶民感覚とは関わりなく、要はそんな巨額のお金を受け取っていながら知らないなど、あり得ない話なのだ。嘘八百に決まっているのに「僕ちゃんは、なにも知らない」と金持ちぶって誤魔化している。こんなことを許してはいけない。
 この日の答弁で、「私腹を肥やしたことはない」と従来からの説明を繰り返したが、私腹を肥やしたかどうかを問うているのではない。
 贈与されたお金は、誰からであろうと贈与税を払うのが法律で、これを払わなければ脱税だということなのである。
 更にいえば、後から払えば済むということではない。この額よりもはるかに少なくても、どれだけの人が脱税で逮捕されているのか。
 鳩山氏の発言の中で、更に驚かされたのは、自分への疑惑は検察によって全て解明されたと、あきれた詭弁を弄したことである。
 母からの資金提供は、弁護士を通じて調べたが判らなかったが、検察の捜査で初めて明らかになった。その上、自分は不起訴になったのだから問題はないと、検察をお墨付きにして自己弁護しているのだ。
 小沢氏の件では検察への不信を語り、対決さえも辞さない姿勢を示したのに、これでは二枚舌だ。
 
 鳩山首相の決定的な欠陥は、自分がどういう立場にあるのかという認識が全く無いことだ。
 小沢さんを頼るあまり、何の配慮もなく、「信じています。どうぞ闘って下さい。」といい、すでに逮捕された石川知裕衆議院議員についても、「起訴されないことを望みたい」と語った。明らかに捜査の行方に言及している発言である。
 いうまでもなく、総理大臣というのは行政権力全体に責任を負うトップだ。
 これらの発言は、行政機関の一員である検察の行動に対して、大きく牽制したことになり、大変な圧力をかけたことになる。
 本来なら、行政の長として鳩山総理は公平中立な捜査を積極的に促さなければならない立場なのにだ・・・。
 答弁の中で、やたらと、小沢氏を「同志」と表現し、「信じたい」とくりかえした。それはあくまで個人的な感情で、公の場で語ることではない。総理たるもの、ただの一私人ではないのだ。
 むしろ、幹事長を辞めさせ、国会で説明責任を果たせるように指導するのが鳩山総理の立場なのではないか。
 しかも自分の発言について批判が起こるや、直ちに修正し詫びてみせる。軽率極まりない。
 茂木敏充議員とのやりとりの中でも、「もしそういわれるなら撤回します」と、あっさりと引っ込めた。茂木氏は、私が通産大臣時代の政務次官で優秀な政治家だが、なぜここで怒って、委員会を止めるくらいのことをしないのか、と残念だった。

 鳩山氏、小沢氏は、「政治と金の問題は総選挙前から出ていた。しかし、国民の圧倒的な支持を得て政権交代したのだから、国民の理解を得ている」とうそぶいている。
 しかし、それはとんでもない、誰でもわかる嘘八百。こういうのを三百代言というのだ。
 鳩山氏への母親からの12億円をこえる巨額な子供手当も、小沢氏の土地購入4億円疑惑も、具体的な数字も含め明らかになったのは全て選挙後の話だ。
 厚顔無恥とはこのようなことを言うが、現に世論の80%は彼らの対応を支持していない。

 ところで総理も総理なら、やっぱり閣僚も閣僚だと言いたくなる。彼らの無責任な軽い言動が目立っている。
 中井洽国家公安委員長は、「検察も国民に対して責任説明がある」と語った。この人は何もわかっていないと私はあきれてしまった。
 私も経験したが、国家公安委員長というのは警察のトップだ。
 明確なことは、検察や警察に求められるのは「説明責任」ではなくて、「立証責任」ということなのである。
 悪に対して積極的に対決し、あらゆる角度から調査捜査して、司法の場で完全な証拠を示せるようにする。その立証責任こそ彼らのつとめなのだ。
 検察や警察が、あらゆることを事前に公にして説明したら、犯罪の追求など出来はしない。政治家に求められるのは国民に対する説明責任、検察や警察に求められるのは立証責任、こんな初歩的知識の無い人に国家公安委員長の資格はない。
 千葉景子法務大臣は、「検察に対する指揮権発動は絶対使わないことではない。一般論として指揮権発動はあり得る」と語っている。
 今回の予算委員会でも、終始、同じことを繰り返した。
 確かに検察庁法14条によって、法務大臣は検事総長に対して指揮権を発動し、捜査や逮捕を止めることが出来るようになっている。
 ただし、これが発動されたのは、昭和54年吉田茂内閣時代の一度しかない。
 時の自由党佐藤栄作幹事長は、いわゆる造船疑獄事件の収賄容疑で、逮捕直前であったが、犬養健法務大臣の指揮権発動によってこれを免れた。
 しかし、これが濫用されれば、時の政治権力によって捜査が左右されると考えられ、以来、悪しき前例となって、再び行使されることはなかった。
 それでなくても、国会開会中に、議員を逮捕しようとすれば、まず許諾請求を出し、本会議で可決されなければならない。圧倒的多数の民主党だから、仮に出しても可決されるとは限らない。逮捕まで大きな二つの壁が立ちはだかっているのだ。
 だから小沢氏側が何だかんだと理由をつけて事情聴取までずるずると引き延ばし、国会へ逃れようとしていたのだ。一方で、検察側も、だから開会前の石川逮捕に踏み切ったとも言われているのだ。
 千葉法相は元社会党に所属し、労働組合の票を中心に当選して来た議員である。
 小沢氏に最も近い参議院のボス、輿石東参議院議員会長の支配下にある。
 本来なら、思想的にも指揮権発動には終始反対にあるべき人だ。しかし、今は小沢氏失脚となれば自分の立場も失う、そんなことを心配しているのか。
 委員会での答弁で指揮権発動はあり得べしと言い続けるところをみると、逆に小沢氏逮捕の内部情報でもあるのかと勘ぐりたくなったものだ。
 社会正義を守るべき法務大臣としては、「指揮権発動などは行わない」と毅然たる態度で明言すべきだ。そうあってこそ、国民も法律を遵守しようということになるのだ。
 他の大臣の危うい発言も沢山あるが、もう書く気力もない。
 親分が親分なら子分も駄目というところなのである。

 折から、1月23日は、この疑惑について東京地検特捜部は、ついに小沢一郎幹事長の事情聴取を行った。
 実に4時間半に及ぶ聴取だったが、終了後、小沢氏は記者会見で、「疑惑関与について全面的に否定し、引き続き幹事長職を全うする」と強気の発言を行った。
 記者会見では、文書も配布したが、「土地購入に関しては、代金の支払いや所有権の処理などには関与せず、相談も受けてない。秘書がやったのだ」と主張。土地購入後の複雑な会計処理にも関与していない。土地を買った際、秘書から個人での借り入れを求められたので、その求めに応じて銀行の書類に署名した。収支報告書については、全く把握していない。「帳簿や報告書は見たことはない。」と、自分の言い分だけを一方的に書いてあった。まったくもっての厚顔ぶりである。
 なんでも秘書がというが、元秘書は、「何事においても小沢氏の言うとおりに行うのが当たり前で、秘書が小沢氏を無視して、勝手に何かを行うなど絶対にない」と発言している。
 土地の購入も、まして巨額な支払いについても自分は知らぬというが、どこの世界の常識に照らしても、そんなことはあり得ない話だ。
 4億円の借り入れで銀行の書類に署名しながら、中味はなんだか分からない等、よく言えたものだ。ここいらの言い方は鳩山総理とそっくり同じで、この通りなら阿呆か間抜けか、どちらにしても政権のトップに立てる人物ではない。
 検察から特別のコメントは無かったが、第1回の聴取で全否定を行うであろうことは、むしろ織り込み済みで、想定内のことであったに違いない。

 ただ、新しい事態が小沢氏自身の口から出たことには驚かされた。
 今まで小沢氏は参考人としての出頭要請であった。しかし、今回は小沢氏に対して民間グループからの告発状が出ているので、それに基づく被告発人としての事情聴取になったというのである。
 その為に、いきなり黙秘権の告知から始めたというのだからびっくりだ。
 つまり、参考人ではなく容疑者として取り調べると宣言されたわけで、事態は小沢氏が考えている程甘くないということだ。
 2通の供述調書に署名したことも記者会見で述べたが、これらの経過は裁判において、格段に強い証拠価値を持つことになると思う。
 今後、この小沢供述が、客観的な証拠に基づいて異なっていた場合、虚偽の供述をしたということになり、一気に小沢氏は不利になる。
 小沢氏は今回の聴取で、一連の疑惑の幕引きを行うとしているが、中味のない話だけに国民が納得するはずもない。
 引き続き検察は粘り強い捜査を続けていくであろう。おそらく全容解明には時間もかかり、長期化していくのではないだろうか。

 鳩山氏、小沢氏の命運は今後どうなっていくのだろうか。
 それにしても日本の将来がかかっているのだから、決して看過せず、私も厳しい目で見続け、必要な時には断固発言を続けなければならないと思っている。


言いたい放題 第33号 「出会いと別れ」

 1月22日の朝、日本堤の私の事務所に三重県の警察に勤める廣瀬さんという方が訪ねてこられた。
 あいにく私は不在で、秘書も名刺とおみやげを受け取っただけで帰してしまったという。
 一瞬、どなたかと考えたが、すぐに頭に浮かんだ。14年前に世話になったあの人だなと思い当った。
 私は早速、名刺にある三重県大台警察署に問い合わせたが、まだ東京にいるということで、それでは至急連絡をとって欲しいとお願いした。

 平成6年、細川・羽田政権崩壊後、私達は旧社会党の村山富一氏を中心に連立内閣をつくり、彼を総理大臣に擁立した。
 その村山内閣第2次組閣にあたって、私は自治大臣、国家公安委員長という2つの大臣を兼務した。
 その頃、オウム事件や阪神淡路大震災の後始末や、更に雲仙普賢岳災害の再支援策など、様々な難しい仕事が山積していた。
 又、国際会議もあって、オタワで開かれたテロ対策大臣会議への出席など、あわただしい日々を送っていた。
 全体的には極めて順調に大臣の仕事をこなし、政治家として納得出来る充実した日々であった。
 新しい年を迎えると、総理大臣以下全閣僚が、伊勢神宮に揃って参拝に行くのが恒例になっている。
 平成8年の年明け、村山総理一行が伊勢を訪れることになり、私も閣僚の一人として、女房も伴って参加した。
 SPの他に地域の警察官の何人かが、各々の大臣について警備するのだが、私の担当になったのが、廣瀬さんであった。
 現地では役目上、私と女房とは別々の行動になる時が多いが、そんな折、心配して女房に親切に対応してくれたのも彼であった。
 あれから、すでに14年も経過したが、忘れた頃に季節の挨拶があったり、時に上京すると突然私の事務所に寄ってくれたりしていた。

 うまく連絡がとれて、その夕、浅草のステーキ屋「すきずき」で一杯やろうと再会となった。
 私の場合、出来るだけいつも家族と一緒だから、孫も含め一家勢ぞろいで彼を迎えた。
 実は、あれから私は一度も会っていないから、彼の顔は正直定かではない。おそらく道ですれ違っても判らない。
 ところが、彼は私のことを充分承知で、私の日々の行動まで熟知していた。いつも他人とは思えなかったという。
 テレビ等の報道でちょくちょく私を見ていたようだし、なによりも私のホームページの熱心なファンであった。
 今、続いているこの「深谷骼iの言いたい放題」も大のお気に入りで、「過日の田中角栄さんとの想い出話は楽しかった」とか、酔うほどに、むしろ私よりくわしい程であった。
 こんな離れたところでも、私を思っていてくれる人がいる。出会いやめぐりあいをアダやおろそかにしてはならないと改めて思った。ホームページも一層頑張ろうと心に決めたのであった。
 本当に愉快な、時間を忘れる程楽しい再会の一夜であった。

 最近のことだが、飛騨の高山から招待状が届いた。招待してくれた主は、かの地で料亭を営む、熟練の古参板前、川原節男氏である。今度、国から「現代の名工」という指名を受けた。ついてはその祝賀会に是非、出席して欲しいというのだ。
 平成11年、私は小渕内閣で通産大臣を拝命した。
 総理から格別の依頼を受けて、臨時国会を「中小企業国会」と名付け、36年ぶりに中小企業基本法の改正を実現したり、バブルがはじけて苦境にある中小企業経営者の為に、貸し渋り対策として、実に30兆円にのぼる緊急融資等を実施したりした。
 又、愛知万博の実現をはかったり、時には石油交渉でサウジアラビアに渡り、かの国の大臣と丁々発止とやりとりしたこともあった。(平成20年初版 「明るい日本を創る」角川学芸出版 参照)
 そんな公務に明け暮れている時でも、地元対策を片時もおこたることは出来ない。なにしろ、名にしおう最も難しい選挙区だからだ。
 特に恒例の後援会旅行会は、支援者の結束をはかる為の大事な行事で、その頃で37年間も続いていた。
 丁度次の旅行会は飛騨高山で行おうという計画があって、私は現地の下見を行うこととなった。
 翌平成12年、第38回旅行会は高山グリーンホテルで実施された。
 すでに国会は森内閣に代わっていた。私は通産大臣に再任されたのだが、その年の選挙で思わぬ敗北となってしまった。だから旅行会実施の時はまさに最悪の無冠の立場となっていた。
 旅行会そのものは大盛会で、私は女房と共に5泊6日滞在し後援者と大いに語り、又、現地の人々とも交流した。
 中でも、旅行会一行が立ち寄るドライブイン「板蔵」の牧野秀也社長や早川文男氏とすっかり親しくなって、一夜、社長に招かれた。
 土地の素朴な人々が集まって、三味線太鼓での賑わいとなり、独特の節回しの民謡を聴かせてくれたりする。
 離れた土地の、暖かい人々の心に触れ嬉しかった。現職大臣のまま破れ、浪々の身になった私の心の密かな痛みを、知らんぷりして癒してくれたのであった。
 一段と盛り上がった時、牧野氏の提案で、深谷後援会をつくろうということになって、会長に推し上げられたのが、長老川原節男氏だったのである。
 以来、会うことも少ないが、飛騨に行けばいつもよき仲間が居て、必ず三味線太鼓の大宴会が始まる。ふる里のない東京っ子の私にとって、大事な第二の故郷となったのである。
 ところが川原氏の祝賀会となんと同じ2月22日、同時刻に東京で、私の後援組織都市研究会会長、長堀守弘氏の叙勲祝賀会が開かれることになっている。しかも、私はその会の主賓である。
 残念で申し訳ないが、飛騨には行けずお断りするしかない。
 なんとかあの出会いのすばらしさを私は決して忘れていないことだけは伝えたい。心をこめて長い長い祝電を送ることにした。
 「先生の名前で生花は勝手に出しますから御心配なく」牧野社長から重ねての連絡であった。
 政治家であるが故のことだが、私には数えきれないほどの出会い、めぐりあいがある。
 本当に幸せ者だと思っている。

 1月21日、早稲田大学時代の親友、神谷成男君の葬儀が八王子であった。
 ほんの数日前、肺炎の為、急遽東海大学の救急センターに運ばれたが、もう手遅れのようだと連絡が入った。
 直ちに私は彼の病室に駆け付けたが、病床で酸素吸入を行なっていて意識も朦朧としていた。

 一般の人と比べればはるかに友人が多い筈の私だが、さて親友となると意外にも指折り数える程しかいない。
 早大時代、3人の親友が居た。
 名古屋出身の牛嶋峰武君は、新宿の大学近くに下宿していて、当時本当に貧しくて、いつも空腹だった私は、彼の下宿へ行っては食べものにありついたものであった。
 彼が不在の時は、鍵もない部屋だったから、勝手に上がりこんで御飯を炊いて食べたこともある。
 芸術家を志す姉上が一緒で、「深谷君はみんなと違う。必ず世に出る人だ」と常々、言ってくれていたと何度も牛嶋君の口から聞かされていて、大いに私の自尊心をあたためてくれたものであった。
 卒業後は、彼は兄と共に、名古屋にある川北電機工業株式会社を支え、後に社長に就任した。
 国会議員になってから、大臣の折も含めて、彼に会いに何度も名古屋を訪れたが、相変わらず私をもてなして、食事を御馳走してくれるのはいつも彼だった。
 やがて、病を患い、会う度に悪くなっていて私を心配させたが、そんな時でも杖をついて私を迎え、「ここがうまいから」と、自分は食べられないのに私を案内してくれたのであった。
 平成19年1月、ついに彼は旅立ってしまったが、勿論葬儀には私も参加した。
 彼の棺にかぶりつくようにして、孫の幼い男の子が、「言うことを聞くから」「ちゃんと勉強するから」と、何度も繰り返している姿に私は泣かされた。
 流行の「千の風になって」の歌が葬儀場に流れていた。

 平成20年11月、もう一人の早大時代からの親友、水野勇君がこの世を去った。
 彼は、私の家の近くの北千住に住んでいて、いつも一緒に都電で早稲田へ通った。
 私は昭和38年、台東区議会議員に初出馬したが、その時、事実上の選挙事務局長を務めてくれたのも彼である。
 学生時代、常に行動を共にし、私が全学連の左翼学生運動に対抗して、保守派の学生組織を旗揚げして、全国を遊説した時も一番身近な存在であった。
 ある時、全学連書記長とテレビ討論をする為に北海道の札幌に寄ったことがある。私の生まれて初めてのテレビ出演だ。
 上野駅から蒸気機関車に乗り、青森から津軽海峡を渡る青函連絡船に揺られて、と長い旅であったが、2人は眠ることも忘れて、大いに青春の夢を語り合ったものだ。
 やがて一家を構え横浜に住んだ。折々に痛飲したが、定年退職後、一時国会の私の事務所を手伝ってくれた時もあった。
 晩年は度々病に倒れたが、いよいよ無理かという時、連絡してくれて一緒に病床に見舞ったのは神谷君だった。
 帰途、「お互いに身体を大切にして長生きしようぜ」と、あれほど言っていたのに・・・。
 神谷君の場合、なにしろ医者嫌いで、少し悪くても売薬で済ませてしまうのが常だった。肺炎で苦しいのにギリギリまで彼は病院に行かなかった。
 病床ですでに意識が薄れていたが、それでも私に気づき、両手を出して力一杯手を握り、必死に何かを語ろうとしていた。
 「大丈夫、俺の気を送るから、回復してくれ、又、一緒に飲もうよ」と私は精一杯呼びかけた。
 何度もうなずき、彼の頬を一筋の涙が伝った。
 それが最後の別れだった。
 葬儀場で、ああこれで早大時代の3人の親友を全て失ったなぁと悲しかった。
 その夜、高校時代の2人の親友夫婦を誘って妻と共に、ささやかな私達だけの通夜の宴を持った。
 山田君、吉岡君から「この前、君の親友が亡くなった時も、俺達を誘ってくれたナ・・・」
 「もっと会う回数を増やそうぜ」と思わず私は言ったものだ。

 出会いと別れ、喜びと悲しみ、良くも悪くもそれが人生だから仕方がない。
 せめて限られた生命を燃やして、精一杯生きたいものだ、と思っている。


言いたい放題 第34号 「『鳩山政権の限界』施政方針演説を聴いて」

「いのちを守りたい、いのちを守りたいと願うのです」
 鳩山由紀夫首相の施政方針演説は、いきなりこの文句から始まった。「えっ、なんだい」と私はびっくりした。
 まるで高校生の弁論大会ではないか・・・。

 歴代の総理の施政方針演説は、その政権の国民に対する大事なメッセージで、この国をどういう方向に持っていこうとしているのか、具体的な内容を中心に語るものであった。
 各省庁からの要望を羅列しているだけで、味気ないという批判は昔からあって、もっと心のこもった格調の高いものを、という指摘も多かった。
 しかし、この国と国民をどう守かという基本的な姿勢を表すためには、より具体的な中身を示さなければならず、好むと好まざるとに関わらず、ある種の限界があった。
 古くは、東洋哲学者安岡正篤氏の知恵をかりて格調高いものを目指した首相も居た。
 私の知る中曽根康弘元首相も、雄弁家といわれていただけに、自分の夢や理想を、つまり独自のカラーを出したいと、随分苦労されたものであった。
 当時私は総務副長官という立場で、直接関わっただけに鮮明にあの頃の様子を覚えている。私の職責上、「青少年の健全育成」についての政策をどうしても加えて欲しいと依頼し、実際にその文言を加えてもらったこともある。
 各省庁の大臣らも、様々な政策について要望を出し、結局、必要不可欠なものは、次々と盛り込まれていった。
 最初の原稿は、いわゆる罫紙に書かれているか、隣の1行は必ず空白になっていて、そこに追加の文言を加えていく。だから文章全体がおかしくなるケースもあり、まとめるのも大変だ。そんな原稿を繋ぎ合わせてつくるから、「ホチキス」などと揶揄されたりもしたのである。
 施政方針演説は出来るだけ短くしようと、毎回、意見が出るのだが、何しろ国全体の有りようを具体的に示すのだから、そう簡単に切れるものではない。
 1つ1つを丹念に読めば、その政権が何をやろうとしているのか、具体的に見えてくるのだが、必然、味気ない、およそロマンチックな演説とは縁遠いものになっていく。施政方針演説というのは所詮、そういうものなのである。

 鳩山首相の演説は、確かに初めの出だしからして今までのとは違った雰囲気ではあった。
 しかし、はっきりいって、正視できない程情感たっぷりの美辞麗句のオンパレードだった。訳のわからない「いのち」という言葉が、なんと24回も出てくるのだ。
 元々、この原稿を書いたのは松井官房副長官で、その草案を官僚の前で読み始めたとき、途中で涙声になったという。自分で書いて自分で酔って感動するなんて、まるで高校生だ。
 勿論、その中味を示したのは鳩山首相だが、大きな影響を受け、ヒントとなったのが、昨年12月のインド訪問であった。
 マハトマ・ガンジーの慰霊碑に献花した時、そこに刻まれた「七つの社会的大罪」に感動し、それを演説の土台にしたというのだ。
 「ちょっと待ってくれ」、日本の行方を語るのに、つい一ヶ月前に偶然発見したインド指導者の思想を、そのまま持ち込むなんて、あまりに安易、軽薄ではないか。
 「理念なき政治」、「労働なき富」、「良心なき快楽」、「人格なき教育」、「道徳なき商業」、「人間性なき科学」、「犠牲なき宗教」が、七つの大罪、確かに1つ1つ立派で、この言葉に文句を言う気はない。学ぶべきは学ぶにこしたことはないのだが、インドの背景と、日本の状況は基本的に全く異なっているということを知らねばならない。
 インドには、歴史的なカースト制度と呼ばれる階級差別が現存している。一般的には4階級といわれているが、厳密にはなんと2千以上の階級に分かれ、それは何代変わろうと不変だという。
 今では、中国に次ぐ、12億人に及ぶ人口をかかえていて、その貧困ぶりは、われわれ日本人には想像を絶するものがある。
 このインドの極度の苦境から、なんとか国民を救いたいというガンジーの声は、まさに生命を賭けた血の叫びであったのだ。
 大金持の子に生まれ、莫大な資産を気にもとめずに平気で受け取って、「そんなことは知りません」とぬくぬくと暮らすお坊ちゃんに、この血の叫びがわかる筈は絶対ない。
 ほんの一時の感動(いや、たぶん、感傷といった方が正しいと思うが)を、日本の将来に責任を持って語る施政方針演説の中心に据えるなど、あまりに軽率、軽挙妄動としか言いようがないではないか。
 彼が、「労働なき富」と言った時、議場は野次と怒号で騒然となった。「お前のことだろう」との野次は、まさに的を射ていて、先の予算委員会で、「ドラ息子」と野次られた時と同じである。
 母親から、12億6千万円も受け取って、政治資金収支報告書に記載せず、「全く知りませんでした」で通そうとする首相、「労働なき富」とはこのことを指しているのに気づかないのだろうか。
 大体、明らかな脱税行為なのに、「納めればいいんでしょ」とばかり何億も納める無節操ぶりだ。普通は脱税で逮捕されて当然なのに・・・。
 2人の秘書がこれから公判で裁かれるのだが、そのことについて何の釈明もしない。問題に触れたのはわずか数秒で、「国民の皆様にご心配をおかけしたことをお詫びします」と言っただけだ。その前段で「政治家は範を垂れる必要があります」と言っておきながらである。厚顔無恥とはこうしたことを云うのではないか。
 小沢幹事長をめぐる数々の疑惑、3人の元秘書が逮捕され、その中には石川知裕民主党現職議員もいるのに、一言もこのことに触れようとしない。
 せめて、首相としての対応や、説明責任について語るべきなのに、これでは国民に対して誠意のかけらもないと言わざるを得ないではないか。

 何度、演説原稿を読み直してみても、白々しいことばかりは盛りだくさんだが、肝心なことは、ほとんど書かれていない。
 例えば、あのハイチ地震の惨禍に対して、自衛隊の派遣と、約7千万ドルに上る緊急復興支援を表明したというが、実は日本の対応がすっかり遅れて、世界の顰蹙(ひんしゅく)を買ったのだが、このことについての反省はない。
 結びの部分で、阪神・淡路大震災の追悼式に参列したことを語り、息子さんを亡くした父親の苦労を引用して長々と話した。なんともお涙頂戴の本音が見え見えで、むしろ亡くなった方を利用して無礼ではないかと私は不快に思った。
 震災直後に、ヘリコプターで現地に飛び、生々しい状況を視察し、次いで自治大臣として、その復興のために働いて来た私から見れば、「あの頃、あなたはどうしていたの」と聞きたいくらいで、噴飯物なのだ。

 今、一番大事なことは、経済対策だ。
 デフレスパイラルに陥って、鳩山不況といわれる状況が続いている。値下げ競争で勝ち残るのは一部の日本企業を除いて、中国ばかりだ。無理な安売りを続け、収益が減れば、特に中小企業は困り、賃金カット、リストラと悪循環が続くばかりだ。
 働く人々のいのちを守ると、良いことずくめの言葉を重ねているが、一体、5%を超える失業者をどう減らしていくのか、これについても知らんぷりだ。
 今でも637兆円(2010年度末)の国債という名の膨大な借金があるが、これらは全て次の世代の負担になる。これをどうやって解消していくのか、財政再建への具体的方向性も、メッセージも無い。
 税収はわずか37兆円なのに、新年度の国債発行額は実に44兆円だ。
 税収を超える国債発行は前代未聞だが、次年度は51兆円に及ぶと予想されている。
 当然、消費税論議に入らなければならないのに、参議院選挙を考えて触れようとしない。国民の方が先刻承知しているのにだ。
 外交、安全保障政策については特に曖昧で、毅然たる姿を示していない。
 沖縄基地問題は先送り、5月に決着をつけるというが、本当に出来るのか、わずか12名の議員しかいない社民党に振り回されて、演説作成過程で何度もの曲折があった。
 参議院での数が足りないから、必要以上に社民党に気をつかうのだが、元々反米、反基地の政党ではないか。
 日米関係と、社民党との連立とどちらが大事なのかは自明の理なのである。

 字数は1万3600字、あの橋本龍太郎元首相の施政方針演説に次ぐ長さというが、理念ばかり(本物かは疑わしいが)が先行して、具体策はほとんど見られない。
 今回の施政方針演説には合格点など及びもつかない。
 鳩山氏の空虚な実像が浮かびあがり、すでに政権担当能力は限界に達したことがより一層明白になった。
 一刻も早く退陣することが、唯一彼に残された国家国民への貢献ではないかと思うのだが・・・。

言いたい放題 第35号 「相撲界への批判と期待」

 日本相撲協会の理事選挙で貴乃花親方が世間の予想を覆して当選した。
 今まで、協会の理事選挙は、事前に各一門が候補者を調整して無投票で決めるのが慣例になっていて、その為、この8年間、事実上選挙は行われることがなかった。
 大相撲は、高田川部屋を除いて、5つの伝統的な一門に分かれている。
 いわば、政界の派閥のようなものだが、それよりももっと古い体質で結束も固い。
 門閥の中から、あらかじめ決めた理事候補以外に、もし名乗りをあげようものなら、それだけで糾弾され、追い出される。
 今回の場合も、貴乃花の立候補宣言に、武蔵川理事長は露骨に不快感をあらわにし、彼を支えようとした6人の親方は、二所ノ関一門から事実上破門されてしまったのである。
 近年、次々と起こる不祥事もあって、世間からも激しいバッシングが起こり、実際、観客の相撲離れも始まっている。
 投票する側にも、この状況をなんとかしなければという思いもあって、その動向が注目されていたのだが、結局、計10票での逆転当選となったのだ。
 あきれたことに、今まで選挙が行われた場合、投票箱の前にデンと立会人が座っていて睨みをきかせ、誰に投票するか監視していたという。
 今回、さすがに公平な選挙を行おうと、誰に入れたか分からないように、投票用紙の候補者名に○をつけるなど工夫がなされた。
 貴乃花の当選について、どのマスコミも慣例を覆したとばかりの大騒ぎだが、あらかじめ7票はわかっていて、一部の親方が一門の枠を超えて投票したとはいえ、わずか3人だけで、投票数111票からみれば、およそ改革の気運とはほど遠い。
 理事選後、引き続いて武蔵川理事長が満場一致で決まったが、これからどのように変わっていくのか、正直言って期待している人は少ないのではないか。

 ところで大相撲での改革とは一体何なのか。そこから考えていく必要があると私は思っている。
 そもそも、相撲はスポーツであるとはいえ、一般のそれと較べて、あまりに異質の部分が多い。
 近代スポーツというよりも、むしろ伝統文化と考えた方が近いのではないか。
 ある意味、歌舞伎のような様式美が求められている。
 江戸時代にもっとも栄えた相撲だが、その時代と全く同じで、力士は髷を結い、まわしを締めている。言葉を変えればチョンマゲにフンドシだ。外国人には奇異に映り、相撲をやる人も一時はパンツの上からまわしを締めたりしていた。
 外国人初の力士高見山が、マウイ島で相撲クラブに入り、裸でショートパンツの上にまわしをつけた時、とても恥ずかしかったと述懐している。

 高見山は関脇にまでなり、引退して東関部屋を興し、横綱曙や今の高見盛を育てた。
 ハワイ出身者はもう一人も居ないが、「プッシュプッシュ」で皆から好かれた。
 当時は、他の部屋との交流は全く無く、師匠も怖くて近寄れなかったというが、40年以上前は上下の関係もはっきりしていた。

 化粧まわしは、各々、贔屓筋から贈られた立派な刺繍等で彩られている。ずらり並んだ関取の土俵入りは絢爛豪華、横綱の三役揃い踏みともなると、その堂々たる雲龍型と、不知火型といった伝統的な型の壮大さに、観衆はどよめき酔いしれる。
 観客はといえば、まず土俵周囲の「たまり」といわれる場所に常連が占めている。
 客席は後方の椅子席を除いては、大半が桟敷になっていて、ここでは飲食自由だ。
 お茶屋から次々と運ばれる仰山なご馳走に舌つつみを打ち、又酒を酌み交わし、時々野次や声援を飛ばし、まさに宴会気分で盛り上がる。
 一体、相撲以外に、飲食自由、宴会気分で見られるスポーツがあるだろうか。

 江戸時代、相撲は興行として大いに人気を得たが、三役力士は、おおむね大名家お抱えとなっていて、藩士として高額な報酬を受けていた。
 明治に入ると大名家は無くなるが、藩閥政治の有力者が以前と変わらず力士を遇した。
 地方に行くと、勧進元から大歓迎を受け、人気力士になると御祝儀が集り、その懐はいつも潤沢であった。
 お礼は「ごっつあん」という簡単な言葉と、あとは土俵で見事に勝つことを考えればよかった。
 だからその頃は、八百長もごく当たり前のことであった。
 今でこそ横綱は最高の地位であるが、昔は横綱という地位はなく、大関が最高位であった。
 行事の総元締であった吉田司家が、やがて大関の中から横綱という称号を与えるようになったのだが、地位として正式に定められたのは明治42年からである。余談だが日本酒には「大関」はあるが「横綱」はなかった。
 その頃、豊かな境遇にあったのは三役をつとめる花形力士、看板力士ばかりで、他の力士達は、極めて貧しい暮らしであった。
 彼らが、ようやく一人前の生活が出来るようになったのは昭和に入ってからだ。だから、力士達はひたすら強くなろう、なりたいと必死になって激しい稽古に明け暮れたのである。
 今ではそんな言葉も聞かないが、かつては師匠から、若い衆は「土俵を掘れ」と叱咤激励されたものだ。
 何度も何度も投げ飛ばされ、身体で土俵の砂を掘るようにして励み、強い力士になっていく。
 土俵の中にはいわば金銀財宝、名誉や地位が埋まっている。土俵を掘るように鍛えて地位や名誉を得ろということなのである。
 腰を強くする為に寝る時も身体を折り曲げるようにして眠らされ、腹を出して大の字に眠るのはもってのほかと、そこまで徹していた。

 一般に何もかも古いと思われているが、実は大正14年(1925年)に日本相撲協会は財団法人として誕生し、色々な改革が進んでいる。例えば他のスポーツに見られないような様々な待遇改善が為されている。
 社会保険組合もあるし、厚生年金制度も導入されていて、むしろ福利厚生面から見ると、他のスポーツよりよほど充実している。
 文部科学省所管の公益目的の財団法人だから、毎年、収支報告書の提出が必要で、何かあれば文部科学省から注意や勧告も行われる。

 よく相撲は「日本の国技」といわれているが、これは必ずしも正確ではない。国の機関によって正式に国技と認定されている訳ではないのである。文部科学省の所管法人であるからということと、両国に初めて常設館が生まれた時、「両国国技館」と名付けられたことが、どうやら根拠となっているようだ。
 辞書通り読めば、要は、その国の特有の技芸ということなのである。
 今ではほとんどの人が、「国技」と思っているのだから、別に否定する必要はないが、国技ならせめて国技という名に恥じないようにしてくれ、というのが率直な思いである。

 私が相撲と関わりをもったのは、かつて事務所が蔵前国技館と隣り合わせであったということと、なによりも私の敬愛してやまぬ政治家、故稲葉修氏と深い交誼があったからである。
 新潟県村上市出身の稲葉氏は、中曽根派に所属し、文部大臣、法務大臣を歴任した文化人である。
 常に飄々として和服姿で国会に通い、優しいが毒舌家でもあった。
 お酒好きで、議員会館に行くと、奥さん手作りの弁当で、ワンカップ大関をいつも嬉しそうに飲んでいた。
 昭和40年代、世間も全体的に大らかなよき時代で、若手議員の私を格別可愛がってくれていた。大相撲にもよく御一緒したものだ。
 横綱審議委員会の委員をしていて、春日野理事長(元横綱栃錦)や、二子山理事長(元横綱若乃花)、最後は出羽海理事長(元横綱佐田の山)と深い交流があった。
 千秋楽の後、私も一緒に理事長らと駒形のどぜう屋に行ったり、時には浅草の料亭にあがって痛飲したこともある。
 横綱時代、土俵の鬼といわれた春日野理事長は、なかなか粋な人で、あの大きな身体で、日本舞踊を細かい振りで器用に踊ったりした。
 1992年、稲葉氏は議員在任中に逝去されたが、村上市で行われた葬儀には、私は出羽海理事長らと一緒に参列した。
 直後に、稲葉夫人や御子息の稲葉大和氏らが、稲葉氏の後継者として、私を横綱審議会委員に推薦してくれた。
 丁度その頃、他の筋から海部俊樹元総理も推挙されていた。政治家2人がぶつかりあうのもどうかということで、結局、2人とも委員にはならなかった。もっとも、これは後に聞かされたことで、真偽の程は定かではない。

 昭和51年、私は蔵前国技館を借り切って、1万5,000人を集めた大決起集会を開いたこともあった。
 政治家が国技館で後援会の大集会を催したのは、後にも先にも私しか居ない。
 又当時、フジテレビの正月番組に、「大相撲対プロ野球オールスター歌合戦」や、「大相撲部屋別対抗歌合戦」という番組があって、人気を集めていたが、その大会委員長として私は長年テレビ出演していた。
 力士や選手達の中には、実際にレコードを出した歌の上手な人が多くて、知名度も抜群だった。増位山や琴風、野球では平松や田尾の姿が今でも私の脳裏に残っている。不況もあったが、次第にスターが少なくなって、それも番組が終る原因の一つであった。
 現在、私は松ヶ根部屋の後援会長をつとめている。
 親方はかつて南海の黒豹といわれ大人気の大関若島津、おかみさんは歌手としてスターだった高田みづえさんだ。鹿児島出身とあって、故山中貞則氏が後援会長であったが、晩年山中氏からの強い依頼があって引き受けた。
 松ヶ根部屋には、残念ながら今は十両、関取がいない。
 そんな訳で私は相撲の世界とは、様々な関わりをもっていて、だから相撲に寄せる思いは格別に強い。

 丁度、この原稿を書いている2月4日、横綱朝青龍の引退が自ら発表されて、又、大騒ぎとなっている。
 今年の初場所で泥酔して、知人男性に暴行を加え、なんと鼻骨骨折など全治1ヶ月の重傷を負わせたのである。
 週刊新潮によると、朝青龍は、「川へ行け、お前をそこで殺してやる」と脅し、丁度、西麻布の交差点で交通事故の実況見分中の警官に助けを求め、事態が発覚したという。
 普通なら、明らかな現行犯逮捕なのだが、何故か帰された。
 本人と高砂親方は、次々と言い訳めいた発言を繰り返し、結局は自ら責任をとらざるを得ない結果となったのだ。
 横綱の品格云々と、又、マスコミがにぎやかだが、この件はまさに傷害罪で、いくら示談書を提出しても、おそらく書類送検となること必至であろう。本来なら相撲協会による解雇など厳罰が当然で、自ら引退宣言をさせたのはむしろ、寛大な処置といえる。
 まあ、それにしても、この朝青龍、よくぞ数々の不祥事を起し続けたものだ。
 腰痛と称して夏巡業をやめて、実はモンゴルでサッカーに興じて2場所も出場停止、時津風部屋に出稽古に出掛け、プロレスまがいの技をかけて豊ノ島に2週間の怪我を負わせたり、何度も泥酔で暴れて厳重注意を受けたりと、彼のトラブルは枚挙にいとまがない。
 いくら歴代単独3位の25回優勝最高在位7年といっても、これでは横綱で居られる道理はない。
 いくら言っても、本人は強ければいいのだと思い込んでいるのだから、相撲界に残ることなど土台無理な話である。
 モンゴルで彼はすでに、実質上オーナーともいわれるASAグループというレジャー産業を興している(力士の副業は禁じられているが)。
 解雇ではなく引退という名の依願退職だから、「養老金」や「特別功労金」も出るし、断髪式を行う引退相撲も催せるから、数億円は手に入る。
 モンゴルでは圧倒的な人気だから、元小結旭鷲山のように国会議員に転身することも可能だ。29歳とまだ若いから、その前途は良くも悪くも洋々といえるのだ。
 朝青龍の引退をめぐって、モンゴル国内では、強すぎるからやめさせた等と、日本への批判の声も起こったようだが、これはとんだお門違い。モンゴル外務省は、「対日関係に影響を与えるものではない」と異例の声明を出したりして極めて冷静だった。
 師匠の高砂親方は、監督責任を問われて役員待遇委員から主任に2階級降格と決まった。お気の毒に約40万円の減収だ。
 現役朝潮時代、先にあげた私の番組に何度も出て、「大ちゃん」と人気があった。あの朝青龍に振り回されて、親方として言い訳ばかりで、厳しい指導も出来なかったのだから、むしろ当然の結果である。

 ところで、「横綱の品格」についてだが、どこにそのような規約があるのかというと、横綱審議委員会の、横綱推薦基準及び引退勧告の基準の規定にある。
 推薦には、「品格、力量が抜群であること」と明記されている。逆に引退勧告については、「横綱としての対面を汚す場合」とあって、これは今回の鶴田卓彦委員長が、武蔵川理事長に提出した勧告書にも書かれている。
 しかし、横綱の品格が問われる理由には、いわゆる日本伝統の「武士道精神」という背景があり、そのことの方が重要と私は思っている。
 大ベストセラーとなった「国家の品格」で、著者の藤原正彦氏は武士道精神の復活を訴えておられる。この中で、武士道精神とは慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、これに加えて「名誉」と「恥」という意識であって、それが鎌倉時代以降、日本人の行動基準、道徳規準になっていると書いている。
 確かに、こうした武士道精神は剣道や柔道の分野で、現在でも立派に残っていて、それが指導の原点になっている。
 私は中学時代から空手を習い、後年、蔵前に「司誠会」という名の道場を開き、多くの子弟を育てて来たが、「礼に始まり礼に終わる」と教えたものである。
 相撲も、日本武道の精神を伝承して、だから、「相撲道」といわれるが、当然のことながらこの精神が規範となっている。
 だからトップの座に選ばれた横綱に、品格を強く求められるのは当然のことなのである。
 勝った時のガッツポーズについてもやかましく、かつて朝青龍に協会から厳重注意が為されている。
 そのくらいは許されてもいいのではないかという声もあるが、先に述べたように、まさにこれが「惻隠の情」で、相手の不幸を思いやる武士道精神からいえばガッツポーズは相入れない。
 もっとも、外国人力士に、この極めて日本的な思想が、どこまで通用するのか、ここが難しいところだ。
 モンゴル相撲では、とにかく強ければ多少のルール違反ぐらいは許されるというではないか。

 今年の正月場所、千秋楽の前日に、私はいつものように家族で最前列の桟敷に居たが、取り組みが進むにつれて、次々と外国人力士ばかりの登場となって、鼻白む思いだった。なんとも日本人力士は弱くて、不甲斐なくてやりきれない。
 日本の国技といっても、これでは全くの看板倒れだ。まずは強い日本力士の育成こそ急務なのだ。
 外国人力士について、なんとか制限出来ないかとの声も多いが、実はその制限はとっくの昔に出来上がっている。
 1992年、境川理事長(就任時出羽海親方)は、外国人を各部屋2名、全体で40名と規制し、その後、北の湖理事長になって、原則1名と決めている。(ただし、それまで複数人居た部屋は特例として現役力士に限り容認)
 部屋数は52部屋あって、力士の数は682名だが、今、そのうち外国人力士数は54名で全体の8%にあたり、実は驚くほどの数ではない。
 彼らはモンゴル力士にみられるように一般的に貧しい出身で、まさにハングリー精神で、相撲こそ立身出世が可能な場なのだ。その上、はるばる異国の地へ来たという思いもあって、相撲にかける情熱も大きい。練習も格別熱心で、着実に強くなって階段を駆け上っていく。
 幕内になると、42名中16名が外国人となって、実に38%以上を占めるようになる。三役では50%、横綱ではついに100%と、外国人力士の独占状態となっているのだ。強くなるのは外国人ばかりなのだ。
 この世界では、各部屋の親方を中心に、いわゆる師弟関係で結ばれていて、まるで親子のような型で一家を成している。
 親方夫人はその名の通りおかみさんであり、母親なのだ。
 まだ、社会経験もない10代から入門し、限られた空間の中でひたすら稽古に明け暮れる。
 彼らと接すると、会話も少なく愛想も悪くて、なんだと思う時もあるが、顔と身体は立派だが、世間知らずの子供達なのだ。
 時代背景も大いに違ったから、特に日本人の場合、忍耐ということが苦手で、少し激しい稽古をつけると、たちまち音をあげて辞めてしまう。
 松ヶ根親方のように、優し過ぎるとなかなか関取は生まれない。
 時には閉鎖的な状況の中で、過剰な扱き(しごき)もあって、時津風部屋の時津風親方が逮捕されたような事件が起こったりもする。
 本当にやっかいな世界ではあるのだ。

 一方、江戸時代と似たところもあって、上下の立場の差は激しい。
 十両以上が関取と呼ばれ待遇もしっかりしている。しかし、それ以下となると関取の付き人で、冬でも素足に下駄履きだ。
 大部屋とはいえ住居と2食付きだが、場所手当や奨励金を除いて、日当や宿泊費もなければ、退職金も幕下以下には出ない。
 関取になれば給料制になって十両で103万6,000円、前頭130万9,000円、横綱ともなれば282万円になる。その上、給金(褒賞金)、勝ち越し、金星などが加算される仕組みになっている。優勝賞金も幕内となれば1,000万円にはねあがる。
 他のスポーツ選手と比べて高いか安いかわからないが、合計すると横綱の年収は4,500万円以上になり、これに例の懸賞金(1本6万円)なども含めると相当の収入になることは間違いない。
 ただ、引退後、協会に残る為には年寄株を取得しなければならず、時にこれが数億円かといわれ、黒い噂になったりもする。
 部屋を持つ親方の場合、部屋維持費、稽古場維持費、力士養成費、養成奨励金などが支給される。
 特に養成奨励金の場合、関取の階級によって額が増え、大関や横綱が居ると216万円〜376万円と極端に高くなって部屋は大いに潤う。問題の高砂部屋でいうと合計約5,000万円に及ぶが、それだけに横綱には気を使い、厳しい指導も文句も言えない立場になったりするのだ。

 こう考えてくると、これからの相撲界の在り方についての議論は、まさに百家争鳴となること必至だ。
 貴乃花が逆転で理事となって、大いに期待されているが、どんな改革が出来るのか。
 何よりも、相撲界にとって大事な精神的支柱は武士道だ。この精神が失われつつある現状を思うと、むしろ第一に求められるのは、改革ではなくて、逆に良き伝統への回帰ということになるのではないか。
 そして、何よりも強い日本人力士の育成だ。外国人ばかりの活躍では客が離れる一方だ。
 部屋という家族的なきずなを残しながら、幕下以下の待遇改善など、やらなければならないことも多い。
 閉鎖的な相撲協会をどう改革していくのか・・・。
 回帰と改革、この二律背反ともみえる課題に向かって、関係者が真剣に努力していくことを望みたい。
 そして更に大事なことはファン層をより拡大していくことだ。特に子供達に、だ。
 今、学校の体育授業では、剣道、柔道、相撲が選択制となっている。しかし相撲を選ぶ子は少ない。なによりも良き指導者が居ないのだ。
 かつて、私が中学時代(昭和20年代)、街では相撲大会が盛んで、夏になると神社の境内などに土俵がつくられ大賑わいであった。
 私は赤ふんどし姿で、大人に加わって5人抜きなどで優勝して、たくさんの賞品をもらって、ちょっとした町の小さなスターだった。
 いつも目立ちたがり屋で、「やぐら」とか、「けたぐり」など、派手な大技が得意だった。
 早稲田大学時代、体育で相撲を選んだが、やがて相撲部からスカウトされて、明治神宮で行われた8大学リーグ戦で中堅をつとめたこともある。
 もっとも、本格的な相撲は立ち合い一瞬で勝負は決まるから、大向こうをうならす素人相撲の大技は通用せず、全敗で、応援に来た家族はあきれて帰ってしまった。
 私が区会議員になった頃、丁度、台東体育館の建設計画中で、私は相撲場をつくることを提案し、反対を押し切って実現させた。
 今も、この道場は続いていて子供達でにぎわっている。
 JC(青年会議所)がわんぱく相撲を開始して、一時期、子供達の相撲が盛んになったが、この輪をもっと拡げていくことも大事なことである。
 各所に土俵施設をつくる、立派な指導者を育成する、相撲協会が、明日のファン層を獲得するためにやるべき仕事は多いのだ。
 1人の相撲ファンとして、回帰と改革を見守りたいと思っている。

言いたい放題 第36号 「大山鳴動してねずみ三匹」

 2月4日、東京地検特捜部は、小沢一郎幹事長の元秘書で事務担当者だった石川知裕衆議院議員ら3人を政治資金規正法違反の罪で起訴した。
 肝心の小沢氏については、加担の証拠が無いということで不起訴となった。一体、あれだけの大騒ぎは何だったのかと、狐につつまれたような気分である。
 おまけに平気な顔で、幹事長続投の意向を表明し、鳩山首相も唯々諾々として従っているのだからあきれた話である。
 昨年の3月から続いてきた西松事件以来の陸山会をめぐる事件は、これで一件落着というのであろうか。だとしたら、誰が正義を守ってくれるというのだろうか。
 小沢氏の強引な検察批判から、一時は民主党対検察の全面対決の構図となっていた。この事件がこれで幕引き、全て終わりとなれば、明らかな検察の敗北となる。小沢氏側が散々批判したように、検察の強引な誤った捜査ということになるが、それでいいのだろうか。

 2004年、秘書らは小沢氏からの借入金で世田谷に土地を買い、この資金を2007年に小沢氏に返した。これらの収支を報告書に記載しなかったというのが今回の陸山会土地取引事件だ。
 このことに小沢氏がどれだけ関与していたのか、ゼネコン側からの裏金が含まれていなかったのか、これが焦点だったが、逮捕した秘書達から、ついにこれを裏付ける供述が得られず、嫌疑不十分で不起訴となったのだ。
 ただし、今回の捜査から、小沢氏関連団体の収支は崩れ、なんと合計18億1,700万円の虚偽不記載の事実が明らかになっている。
 都内や岩手県にある10数件もの不動産は、小沢氏名義になっている。10円単位のお金までチェックし、絶対命令の独裁者小沢氏が、この全てのお金の出入りに「私は知りません。秘書に任せた」で世の中は通る筈がないではないか。
 ゼネコンからの裏金問題については、水谷建設の元役員らが、胆沢ダム工事下請け受注の時期にあたる2004年10月と、2005年4月に、各5,000万円ずつ計1億円を、石川議員、大久保元秘書に渡しているとホテルの場所まで説明して供述している。
 しかも、石川氏にホテルで渡したという翌日、銀行に同額が陸山会名義で入金されているのだ。
 たとえ、石川議員が裏献金をどのように否定しようと、そして彼の供述が無かったとしても、これだけの状況証拠があれば公判で充分立証出来る筈と、私には思えるのだ。
 政治資金収支報告書について、石川議員は、「小沢氏の了解を得て提出した」と供述し、実際に調書に署名までしている。
 ここまで明らかなら、小沢氏との共謀といえると思うのが普通だ。しかし、これでは抽象的で一般的報告の範囲だから、小沢氏を公判で有罪にさせるには無理というのだ。
 早い話、この一連の事件で、小沢氏が中心に居るのは間違いないのだが、供述がついてこないのだから、やりようがないということなのである。
 そもそも、不正な金を受け取っていないというなら、なんで資金の流れを隠す為に、何度も出したり入れたりさせたのか。これはどう考えてもマネーロンダリングとしか思えない。
 土地購入の原資について、今まで小沢氏は何度もその説明を変えてきた。
 分かっているだけでも、4回は変わっている。最初は支援者の献金といい、2度目は銀行からの借金、次は父親の遺産、4度目は、妻や子の口座からといい、では脱税ではないかと問われて、いやあれは自分のお金と言い張っている。
 今回、不起訴になったことで、小沢氏や民主党幹部が色々と発言している。
 「地検当局が公正公平な捜査を行った結果だからシロだ」云々。国策捜査だとか、あれほど敵対感情をむき出しにしていたのに、都合のよい話ではないか。
 はっきり言って、疑惑が晴れた訳ではなく、「限りなく黒に近い灰色」ということなのである。
 とりあえず秘書が責任をかぶっただけ、いわばトカゲのしっぽ切りだということは誰もが思っていることなのである。
 かつて、小沢氏が私淑した金丸信元副総理は、政治資金規正法違反に問われ、罰金20万円の略式命令を受けたことがある。
 これで一件落着かと、市民が大いに怒って、検察庁の石の看板に黄色いペンキを投げかけたことがあった。
 しかし、翌年、脱税容疑で結局、金丸氏は逮捕された。
 今回、刑事告訴した市民団体は、検察審査会に不服を申し立てている。
 まだ終っていないのだ。今後の動きに注目が集っているが、仮にこれで全て終わりなら、重ねていうが一体、正義はどこにあるのかということだ。

 ところで、検察のこの件に対する処置は、一区切りというところだが、これらの疑惑について、国会における事実究明の仕事はそっくり残っている。
 小沢一郎氏は当然、証人喚問等で国民の為に事実を明らかにすべきだが、目下、その可能性は薄い。最悪でも政治倫理審査会に出て、道義的責任や説明責任を果たすべきなのだが・・・。
 なによりも驚かされたのは、石川知裕議員自身の発言だ。
 逮捕され起訴されたら、まずは議員辞職が当然のことである。
 ところが、本人は辞職はしないと記者会見で語っている。
 「与えられた職責を全うしたい」と、例の如く似たようなセリフだ。彼にとって、「与えられた職責を全うする」ということは責任をとって辞めるということでしかない。
 親分が親分だから子分まで開き直り、厚顔無恥も甚だしい。
 当然のことながら自民党は石川議員の議員辞職勧告決議案の採決を求めているが、民主党は数の力でこれを拒んでいる。これでは国会の倫理観ゼロではないか。

 民主党内には勿論、小沢氏と距離をおく議員もいる。特に七奉行といわれる面々で、例えば前原誠司国交大臣、仙石由人国家戦略担当大臣、枝野幸男行政刷新大臣、野田佳彦財務副大臣らだ。
 前原氏は、「われわれは厳しく自浄努力を発揮していかなければならない」と発言していたし、枝野氏は「私達の目指す政治を実行するためにけじめをつけて頂かないといけない」と、明確に言っていた。
 ところが、一転不起訴となると、一斉にだんまりを決め込んで一気にトーンダウンした。野田氏などは、「前より説明責任を意欲的、スピーディに果たしている」と、逆に小沢氏を持ち上げる始末だ。
 更に、なんと鳩山首相は、非小沢系の急先鋒の枝野幸男氏を行政刷新大臣に起用した。
 小沢氏の幹事長続投を積極的に支持して、まさにKYといわれる首相は、これで反小沢の前原氏、仙石氏に次いで枝野氏を閣内に取り込む結果となった。批判勢力は、物言えば唇寒しで、じっと静観するばかりだ。もはや民主党内で、小沢批判の声は全くといってよい程無くなった。
 150人といわれる小沢支持派を背景に、これで怖いものなし、すっかり居座って、あらゆる権力を幹事長室に集めて、ますます独裁体制をつくりあげていくことになる。一体、それでよいのだろうか。
 目下、国民の「小沢やめろコール」は、70%と非常に高い。小沢氏はこの声に謙虚に耳を傾けて、自身の出処進退を判断すべきだと私は思っている。
 平家物語に、「おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし、たけき者も遂に滅び、偏に風の前の塵に同じ・・・」とある。
 正直、小沢氏のこれからは分からない。しかし、はっきり分かっていることは、「政治は国家国民のもの」ということだ。
 1人の政治家の誤った去就で、国や国民の行方が左右されてはならない。日本の将来に断じて過恨を残さないように、みんなで声を高めていかなければならないと思っている。

言いたい放題 第37号 「トヨタ問題は国策だ」

 今、アメリカ国内で、猛烈なトヨタバッシングが起こっている。
 1つ問題を間違えれば、ジャパンバッシングになりかねない危機的状況である。
 ところがこうした動きに対して、なによりもトヨタ自体の対応が鈍くて、全て後手後手に回っている。この動きの遅さが、余計、アメリカの不満を増幅させている。
 今回のトヨタバッシングには、かつての日米自動車摩擦のように、多分に政治的な思惑が絡んでいて、なかなか一筋縄ではいかない難しさがある。
 一方で、日本政府の動きはといえば、全くの無策で、他人事のような静観ぶりである。
 一私企業だからと考えているとすればとんでもない誤りで、日本経済が輸出に頼っている現状を思えば、もっと政府は積極的に動くべきなのである。
 かつてない程の金まみれの鳩山・小沢政権だから、目下その対応にてんてこ舞いで、それどころではないというのが本音かも知れない。しかし、もしそうだとすれば、政権担当能力はゼロで、1日も早く退陣することが、日本の為だと私は思っている。

 そもそも、今回のことの始まりは、昨年8月にカリフォルニアで起こったレクサスES350の4人が死亡した暴走事故からであった。
 アクセルペダルが戻らなかったという事故原因について、トヨタ側は「構造には欠陥はない」と主張し続けたが、アメリカのメディアは特集を組んで一斉にトヨタ批判を繰り返した。
 更にトヨタは9月に入ってカムリなどでフロアマットがずれてアクセルペダルが戻らなくなった可能性があると発表、11月には、フロアマットの無償交換を行うことにしたのだが、もはやこれで納得する状況では全くなかった。
 今年1月21日になって、ついに非を認め、米国のカムリ、カローラなど8車種約230万のリコールに追い込まれてしまったのである。
 しかも、アメリカだけに止まらず、リコールは中国や欧州など全世界に広がりつつある。
 2月に入ると、最も期待されているプリウスのブレーキにも問題があるのではないかと指摘される。
 こうなるとトヨタバッシングは一層高まり、次々と新たな問題が噴き出てくるのではないかと懸念される。

 なぜ、トヨタにこのような連鎖的な問題が続くのか、それはなによりもトヨタ自身の危機感の欠如、そしてその背景に世界一の企業となって拡大戦略をとり続け、かつてのトヨタ生産方式と言われた「必要な分しか作らない」という基本を忘れた結果ではないか。
 豊田章男社長が言うように、「実際の需要以上に売り上げを伸ばしてきた面がある」ということだ。
 技術面も含めてトヨタ神話の崩壊かという人もいるが、そうなってはならないと思っている。

 今回のバッシングの背景に、アメリカの国内事情や政治的な動きがあることも見逃せない。
 かつて1970年代以降、日本車の輸出超過が、アメリカの自動車業界に大打撃を与えたと政治問題になったことがあった。
 いわゆる「日米自動車摩擦」だ。
 それまで自動車世界一を誇っていたアメリカだったが、80年代に入って日本車の性能が急速に向上し、小型低燃費等でアメリカ国民の人気を集めた。
 日本ブランド車は品質調査でも常に上位を占め、なによりも生産性を向上させコストも安かった。例えば一時、日本車に較べてアメリカ車が2000ドルも高く、輸送費を差し引いても尚、1500ドルも高かった。世界一の座に安住し小型車への開発もしない米の自動車産業界は、日本に席巻されていく。
 生産地デトロイトでは、失業率は25%近くに達したこともあった。
 その頃、牛肉等の畜産物や、米・柑橘類の農作物でも日本が輸入制限しているとの声が起ったり、商業捕鯨が環境団体に取り上げられ、反日キャンペーンが広がった、日本製乗用車がハンマーで叩き潰されたり、日本旗を燃やされたりと散々であった。

 私はこの時代、労働政務次官だったが、1980年9月、日米自動車問題をじっくり話し合う為に、日本政府代表として単身アメリカに渡った。マーシャル労働長官と藤尾正行労働大臣が決めた日程に従ったのである。
 前述のように、かつてアメリカ車は大型車を中心に世界の9割を占めていたが、性能の改良の遅れや、前年のイラン紛争を契機とした第二次オイルショックに対応できず一気に下り坂を転げ落ちた。今までの実に3分の1となってしまったのだ。
 自動車関連の失業者は100万人を超え、深刻な社会問題となっていて、それが全ては日本のせいといった按配で、「日本が悪い」の大合唱となってしまったのだ。

 アメリカへ出発直前、私は港区にある全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連)に出掛けて、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの塩路一郎会長を訪ねた。75万人を超える組合員のトップ、自動車産業を牛耳る労働組合のボスに対して、政治家は必ず挨拶に行くのが常だった。
 開口一番、「この問題は、われわれが相手と話し合ってきたこと、今更、政府側が行くことはない」と相手にもされない。
 強気一辺倒の私は憮然として「国を代表して政治家が出掛けていって論議するのは当然」とやり返したものだった。
 自動車交渉という難題をもって、ワシントン、デトロイトなどをわずか4泊で駆け巡ったのだが、当時、往復30時間の空の旅も快適で、時差ボケも無かった。今思えば本当に若かったのだナと感慨深い。
 自動車問題では現実に苦労している筈のデトロイトよりもむしろワシントンの方が激しく厳しかった。
 丁度カーターとレーガンが大統領選挙で熾烈な戦いの最中で、それが、日本批判に一層拍車をかけていたといえなくもない。
 デトロイトの全米自動車労働組合(UAW)の幹部と何度も会を重ね議論したが、相手の対応は極めて紳士的で、私の立場に敬意を表してくれる。
 労働組合の駐車場に、日本車が溢れているのにも驚かされた。デトロイトでは石を投げつけられると覚悟していたのだが、全てが意外な展開で、日米関係は次第に落ち着きを取り戻した。
 後に分かるのだが、例の塩路氏が、なんとわざわざ国際電話をかけて、「深谷をよろしく」と伝えていてくれたとのことであった。
 数年後、「塩路天皇」と異名を取っていた彼は、様々なスキャンダルもあって失脚するのだが、あの頃は、労働組合にも「サムライ」が居たのである。
 その折、フォード社の幹部にも会ったが、日本がこれほど自動車の開発に力を入れているのに、アメリカ政府は少しも力を入れてくれないと、むしろ私に不満をぶつけていた。
 100人のアメリカ人と会えば100の意見がある。メディアの影響が大きく、真実を知る機会も少ない。
 とにかく、早い対応と誠実な交渉を重ねることが、政治であり外交であると思ったものだった。

 今、アメリカの自動車産業は、2008年9月に始まった金融危機の煽りを受けて大凋落の年を迎えている。2009年4月にまずクライスラーが連邦破産法を申請、そして77年間も王者として君臨してきたGMも6月に破綻、その負債総額は1728億ドル(約16兆4千億円)に達した。
 大統領就任後、支持率の低下に苦しむオバマ大統領にとって、こうした米自動車産業の再建に、どう対応するかは重要な課題である。次々と運転資金の貸し出し等対策を打ち出して来たが、必ずしも成果を挙げているとは言い難い。
 トヨタバッシングはある意味、アメリカ政府にとって格好のテーマとなった。
 運輸省のラフード長官の度重なる極端なトヨタ批判の発言や、米議会の公聴会への豊田章男社長の強い出席要請など、アメリカの思惑が感じられる。消費者の関心の高い車の安全性の問題だから、秋に中間選挙を控えている議員も、日本車たたきは選挙術の1つとなっている。
 又、この機会にと、GMやフォードは、トヨタ車の買い換えに1000ドル(約9万円)のキャッシュバックやゼロ金利ローン処置をつけるなど、攻めに転じているが、米議会の一連の発言や行動と、あまりにもタイミングがあっているではないか。

 アメリカは政府も業界も、この時とばかりに国をあげてトヨタ追い落としに血道をあげているのだが、情けないことに一向に腰をあげないのが、日本の政府である。
 本当は経済産業大臣こそ、率先して動かなければならないのだが直嶋正行大臣は、「やはり、対応が遅いのではないか」と言うだけ、まるで評論家である。
 鳩山政権は自動車総連という大労働組織をバックにしている。まして、直嶋大臣はトヨタ労組出身の政治家ではなかったのか。
 直ちにアメリカに交渉に飛んでいく位の誠意や気迫はないのか。かつて同じ通産大臣であった私から見れば、理屈ばかりで何もしない大臣の姿が歯がゆくて腹立たしい。
 もっとも、普天間問題で示されているように、政権発足以来、アメリカに失望と不満を与え続けている民主党政権だから、何も出来る道理もないか・・・。
 トヨタバッシングは、日本政府の種々の対応のまずさに対するアメリカのしっぺ返しだという人もいるくらいなのだ。

 唯一の救いは、アメリカ国民の中にも、今のバッシングは明らかに行き過ぎではないかと、冷めた目で見ている人が多いということである。
 かつての80年代以降の日米貿易摩擦の時と諸状況は全く異なっている。トヨタにしても着実に現地生産に移行させてきたし、その為に雇用拡大に貢献もしている。
 具体的にいえば、トヨタは米国で売る車の6割前後を北米で生産しているのだ。
 販売店も加えると北米での雇用は、17万2千人を超えている。
 トヨタの生産拠点が置かれているアメリカの4州の知事は、トヨタ擁護の書簡を米国議会に提出しているくらいだ。
 今やトヨタはアメリカで尊敬される存在で、トヨタ方式といわれる考え方は、企業や大学での教材になっている程なのである。
 言い換えれば、アメリカにおけるトヨタはすでに生活の一部となっているのだ。そしてその安全性を信ずるトヨタオーナーは、このような事態になっても依然として多いのである。

 だから、ここは、トヨタ自身、もう一度そのあり方を振り返り、あらゆる角度から自己点検し、これらの人々の期待にどう答えていくのか、誠実に熟慮改革していくことこそ大切なのである。
 豊田社長も米議会の公聴会に行くの行かないのと、いたずらに米側に誤解を抱かせず、出掛けて誠意を持って対応することが肝要なのだ。

 トヨタバッシングが、ジャパンバッシングにならぬよう、繰り返すが、鳩山政権の米国への積極的な対応を強く求めたい。そして、なによりもよき日米関係を再構築する為に、政府をあげて努力しなければならない。それが出来ないなら鳩山首相、一刻も早くお辞めなさいと言いたい。

言いたい放題 第38号 「マザコン、ゼネコン、日教組」

 今年の流行語大賞はこれで決まり、といえるようなこの言葉は、今の政権政党民主党を端的に表すフレーズだ。

 2月12日の衆議院予算委員会で、自民党の与謝野馨議員は、執拗に鳩山由紀夫首相を攻め立てた。
 さすがベテランで、病気の後遺症も吹っ飛ばしての熱弁であった。
 首相の偽装献金問題をとりあげて、「秘書がやったというが、それはあなた(鳩山首相)を守るためですよ。お金をどんどん持ってきて政治団体に入れる。記載のしようがない。だから適当に献金者の名前を書いた。あなたをかばう為にやったんですよ。実はあなたの犯罪なのです。
 最近、やくざの映画を見ますけれど、やくざの映画のシーンにいっぱい出て来るんですよ。親分は助かる、子分は警察に出頭する。犯罪を人にかぶせる・・・」と追求した。
 なんとも正確で分かりやすいではないか。
 与謝野議員と鳩山邦夫議員は、邦夫氏が自ら腐れ縁と言うように40年近い盟友関係にある。
 彼らが当選したのは1976年で私の1期後だが、議場の席も隣あっていて、大声でふざけあっている姿を私は後方の席で何度も見かけている。(あまり私の印象は良くなかったが・・・)
 「去年、1年半位前ですかね。鳩山邦夫さんがぼやくんです。うちの兄貴はしょっちゅう、おっかさんのところに行って、子分に配る金、子分を養成する金が必要だとお金をもらっていた。邦夫さん、あなたは一体大丈夫なの、あなたには子分はいないの」。こんな生々しい内容の発言も珍しい。
 与謝野氏は、このやりとりについて邦夫氏に事前に確かめた上で質問したと念を押していた。
 これに対する鳩山首相の答弁は、「これは全くの作り話であります。こういう話をされますと、私はもう兄弟といっても信じられない話になります」。
 鳩山兄弟の仲の悪さは、すでに度々マスコミに載っていて、万人周知の事実である。
 2000年、鳩山邦夫氏は野中広務氏の斡旋で自民党に復帰し、比例で戦わずして当選という幸運に恵まれた時があった。
 初めて私の事務所開きにも現れて挨拶に立ったが、演説のほとんどが、兄由紀夫批判だった。
 「兄はカメレオンです。相手にあわせて、くるくる色を変える」と、びっくりする程こきおろし、集った私の応援者にはかえって顰蹙を買っていた。
 「これからは深谷先生を本当の兄と思って努力します」と結んだが、思わず聴衆から「ほんとうか!」と野次まで飛んだことを鮮明に覚えている。
 どっちもどっちという声もあって、どちらに軍配をあげる訳でもないが、今回の場合、邦夫氏の発言の方が真実に近いと多くの人が思ったことは間違いない。
 続けての鳩山首相の弁解には驚かされた。
 「これは母に尋ねていただいても結構です」と、本気で言ったのだ。思わず出た「お母さんに聞いて!」には、場内騒然となったが、まさにマザコンの面目躍如たる場面であった。

 「ゼネコン」については、もう言うまでもなく小沢一郎幹事長のことである。
 4億円の土地購入疑惑については限りなく黒の嫌疑不十分で不起訴となったが、この一連の動きの中で、建設業界にまつわる話は出るわ出るわで後を絶たない。
 過日出された御本人の資産報告では、実に個人資産が推定20億円だ。政治家だからといって、こんな大金を個人資産として蓄えることなど出来る筈がない。
 相当の裏献金がなければ考えられないことで、陸山会を通しての金の流れも、すでに判明しているだけで巨額なものになっている。
 「天網恢々疎にして漏らさず」、やがて必ず何らかの天誅が下されること間違いない。

 「日教組」とは、昨年8月、北海道5区で衆議院議員に当選した小林千代美氏に対する北海道教職員組合からの計1,600万円にのぼる献金のことである。
 すでに同氏については、公職選挙法違反で、選対委員長代行が起訴され、懲役2年執行猶予5年の有罪判決が言い渡されている。
 当然、連座制で、議員の資格を失う可能性が高い。
 この北海道5区は自民党の町村信孝元官房長官の強固な地元で、小選挙区で3度も破れたが、例の民主ブームの風で、実に3万票も差をつけて初当選したのである。
 昨年の選挙では、政治家としてしっかり努力した者が次々と敗れて、どうでもいい人ばかりが「民主党」というだけで次々と当選したが、ここの場合も、その悪例の1つである。
 その小林議員側に違法資金が流れたというのだから、事はおだやかではない。
 北教組側が、2008年以降、衆議院選挙があった2009年8月まで複数回にわたって選挙費用として提供していたというのだ。
 これらは、政治資金規正法で禁じられた政治家個人への、企業・団体献金にあたる。
 言うまでもなく、北教組は、日本教職員組合(日教組)に加盟する組合だ。しかも最強といわれ、時代遅れの左派路線である。ストを行って1万人以上が処分されたり、竹島は韓国の領土と機関紙に書いて相手国を喜ばせたり。慰安婦問題でも小林議員はその急先鋒である。
 今、参議院で、1番小沢氏と結びついていて、権力の座にあるのは輿石東参議院議員会長だが、彼も山梨県教組の出身で、現在日教組の政治団体、日本民主教育政治連盟の会長だ。2004年には教員から集めた寄付金を政治資金収支報告書に記載せず、幹部らが虚偽記載の罪で罰金30万円の略式命令を受けている。
 いわば日教組所属の地区教組は、各所で恒常的に違法行為を繰り返してきた訳で、これは看過出来ない事態である。
 しかも、この違法献金の中には、公立学校の教員にいったん支給された巨額の「主任手当」の利息が充てられた可能性があるというのだ。
 国は1975年から全国の公立学校で、教員の主任制度を導入した。そして、学校長が任命した「教務主任」や「学年主任」などに1人1日200円の主任手当を支給することにした。
 ところが、日教組は、当初、この主任制度は教員の管理強化につながると反対し、全国で手当の返還運動を展開した。
 勿論、各教育委員会は国で決めたことだからとこれを受領せず、一方、組合に入っていない主任教員は受け取っていたことなどもあって、やがて返還運動は全国的に無くなっていく。
 しかし、北教組は主任制度を依然として認めておらず、現在も組合員から手当相当額を集め続けている。
 北教組に返還された55億円や、組合員から現在も集めている手当相当額は、あわせて巨額な資金となるが、当然これが利息などを生み、そのプールされたお金が違法な形で選挙資金に利用されたのではないかというのだ。
 札幌地検はすでに北教組本部の家宅捜査を行い、かなりの資料を押収しているから、いずれ確たる裏付けをとり、真相解明がなされると思う。
 かねてから言われていたものの、あまり実態が見えなかったのだが、今回は悪質極まりない日教組の実態が浮彫りにされたのである。
 断じて許されないことである。
 民主党には労働組合の全面的支援を受けている議員が多いし、今夏の参議院選比例区でも、連合の組織内候補として10人も擁立する予定だという。
 
 マザコン、ゼネコン、そして今度の震源地は労働組合、とりわけ日教組なのだ。日本を滅ぼすこの三悪追放こそ、喫緊の課題なのである。
 
 政権交代という、安易な夢を抱いた人も多いが、金、金、金の民主党には、一刻も早く、実態を見定め「さよなら」して欲しいものだ。
 折から、長崎知事選挙は31万6千票対22万2千票と大差のダブルスコアで自公推薦の中村法道氏が圧勝した。長崎県は今や民主王国といわれて、衆議院4選挙区独占、参議院も3連勝中だった。
 東京の町田市長選挙の結果も自公勝利で、ようやく民主党離れが加速している。
 選挙中、小沢氏は応援に立って、勝てば自主財源となる交付金も、高速道路をつくることも出来ると演説していた。前原国交相も陳情と称して自治体の首長を集め、同様のことを述べている。明らかな利益誘導、選挙違反だ。思えば昨年の選挙の時も、民主党が勝てば子供手当2万6千円を配ると公約したが、これだって利益誘導ではないか。こうした民主党の実態に多くの有権者が目覚めはじめたということか・・・。
 ああ、何故、もっと早く気がついてもらえなかったのか、悔いは千載に残っている。


言いたい放題 第39号 「外国人地方参政権に反対」

 民主党は多数をもって政権を得れば、なんでも出来ると考えているようだ。
 しかし、選挙で圧勝したからといって、国民は政権が行う政策の全てをまかせた訳ではない。
 強いて言えば、マニフェストに書かれていること位が許容範囲だが、それとても、当然、国会で充分審議を尽くしてからのことである。
 鳩山首相や、小沢幹事長は、そこのところを全く理解していない。いや、知らぬふりを決め込んでいるのかも知れぬ。
 彼らが、通常国会で、なんとか成立させようと目論んでいるのが、永住外国人地方参政権と、夫婦別姓問題である。
 言うまでもなく、これらは民主党が選挙で訴えたマニフェストには含まれていない。

 小沢氏らは、選挙に勝つために、例えば子育て支援のように、明らかに利益誘導と思われる、選挙法に触れるような政策をかかげて、なりふり構わず闘ってきた。
 外国人参政権問題についても、民団(在日本大韓民国民団)の支援を得たいが為に、かなり深く事前に種々の接触を行って来たといわれている。現に民団は、さきの選挙で強力に民主党を支持していた。
 昨年末、小沢氏は韓国を訪れたが、その折、外国人参政権については、「日本の姿勢を示す為にも、今通常国会に政府案として出すべきで、それは実現することになるのでは」と今後の見通しを平然と語って韓国側を喜ばせていた。
 マニフェストに無かったことを、しかも、まだ国会にもかけていないのに、他国に出掛けて、日本の国会での決定を勝手に約束するなど僭越至極、許される筈もない。
 鳩山氏、小沢氏は、外国人参政権問題で、さかんに「友好」とか「信頼関係」をふりまわすが、後述するが、国家主権に関わる問題を、こうした次元で説明することなど全く無理なことで、これは明らかに問題のすりかえ議論なのである。

 韓国との交流なら、彼らより私の方がはるかに古く、厚いものがある。
 そもそも、私が初めて韓国に渡ったのは、昭和33年で、朝鮮戦争が終って5年目のことである。李承晩大統領の下、まだ混沌とした時代で夜間外出禁止令等も敷かれていた。
 私は早稲田の大学生で、当時始まったばかりの日韓青年交流の先駆けとして自民党から派遣されたのであった。
 私が東京都議会議員時代には、台東区日韓親善協会会長に就任していて、相互に訪問団を派遣するなど活発な交流を重ねたものだ。
 昭和50年代、私は浅草の地元で300人程の子供達を集めてドラゴンクラブを組織し、空手を教えていた。
 親善訪問と称して、親子60人あまりを連れて韓国に渡り、各学校を訪れてテコンドーとの異種試合を行った。
 テコンドー世界総裁は金雲龍氏で、その折から私との親交が始まり、今も続いている。
 彼は国際オリンピック委員会の副会長をしていたが、後に会長選挙に立候補して破れ、国会議員になってからも不遇と、波瀾万丈の人生を送ってきた。
 平成10年、自民党総務会長の時代、私は日本国際テコンドー協会の会長になって、平成12年のシドニーオリンピックに日本から初のテコンドー女性選手、岡本依子さんを送ったが、これも金雲龍氏との縁からである。
 一番、交流のあったのは平成11年、私が通産大臣の時代で、日韓の経済問題やWTOなど国際会議でも、かの国と共通の利害関係もあって、もっぱら韓国の首脳陣と共に協力し合ったものである。
 平成13年、私は現職大臣のまま選挙で惜敗したが、その折、私を慰める為に、まっ先に夫婦を韓国に招いてくれたのも、こうした人達であった。
 だから、韓国に寄せる私の思いは大きい。これからも何らかの形で、日韓友好の為に働きたいと思っている。
 しかし、参政権問題となると、こうした友好関係とは別で、日本の政治家としてとるべき姿勢は堅持しなければならないと考えているのだ。

 そもそも、外国人に参政権を与えるか否かの問題は日本国憲法に関わることである。
 第15条第1項には「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と書かれている。
 つまり、参政権とは日本国民のみが有する権利なのである。百地章日大教授は、憲法の英訳でも”inalienable right”と書かれていて、それは「不可侵の権利」であって、外国人に譲り渡すことの出来ない権利であるといわれている。
 だから、はっきり言って、外国人の参政権を認めることは憲法違反であって、どうしてもというなら、まず憲法を改正しなければならないのだ。
 ところが、鳩山首相は、そんなことはお構いなしで、あきれたことに、「日本列島は日本だけの所有物ではない。参政権は愛のテーマ、何で他国の人達が地方参政権を持つことが許せないのか」と語っている。
 「日本列島は日本だけの所有物ではない」などといったら、領土問題で、俺のものと主張して譲らない国々は大拍手だ。
 
 今、対馬が大変な状況になっていることなどについて、鳩山首相は少しは関心をもっているのだろうか。
 対馬の土地は、近年、韓国資本に次々と買収されている。なんと海上自衛隊の基地に隣接する土地まで買収されているのだ。
 具体的にいえば、対馬市美津島町竹敷にある海上自衛隊対馬防衛隊本部で、ここは対馬海峡近辺の情報収集に当たっている。
 なんと、その隣に韓国資本のリゾートホテルが建ったのだが、オーナーの正体は不明だ。
 スパイ防止法も無い日本にとって、戦略的情報が筒抜けになる可能性さえもある。
 韓国人観光客も島民の3倍と大挙してやって来る。しかし、地元の人に言わせれば、食事も韓国人の経営する飲食店を利用したりして、必ずしも対馬はそれで潤っているわけでもない。万引き、ゴミ等マナーの悪さも目立ち、中には酔うと「ここは俺たちの領土だ」と叫ぶ人達も多いという。
 かつて李承晩政権の時、GHQ(連合国司令部)に、対馬も韓国の領土だから日本から割譲させよと要求したことがある。
 しかし日本書紀にも古事記にも記されていて、対馬は明らかな日本の領土で、GHQも当時、根拠がないと相手にしなかったのである。
 近頃は、中国のかげもちらほら見えるという。
 鳩山首相の「日本列島は日本だけの所有物ではない」という軽率な発言が、ここでも日本を一層危機的状況に追い込んでいるのだ。

 2月9日の衆議院予算委員会で、自民党の高市早苗議員が参政権問題について鳩山首相に鋭く追求している。この時の彼の答弁も、あまりに無知で驚くかぎりであった。
 平成7年の最高裁の判決を引用して、「法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上において禁止されているのではない」と強弁していたのだ。
 しかし、彼の引用部分は、判決の「傍論」で、これを持ち出すのは明らかなすりかえ、ごまかしだ。
 傍論とは、判決において表された裁判官の意見のうちで、判決理由に入らない部分をいうのだ。
 判決そのものは、「公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条第1項の規定は、権利の性質上、日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないと解するのが相当である」と明確に書かれているのである。
 第93条2項で、「地方公共団体の首長や議会議員はその自治体の『住民』が直接選挙する」となっているが、憲法の名宛人は国民だから、ここでいう住民も、「国民たる住民」ということで、地方参政権について、はっきりと外国人参政権を否定しているのだ。

 鳩山首相は、様々の場面で、外国人参政権問題は愛のテーマだと、例の持論を色々な場で繰り返し述べている。
 国家主権という国の存亡に関わる重大な問題を、愛のテーマなどと恥ずかしげもなく、生ぬるい言葉で表現して欲しくない。
 キミは日本国の代表、総理大臣なのだ。少しは言動に自覚を持つべきだ。
 大体、この日本では、在日外国人が生きていく為の、充分な対応が整理されている。
 まさに愛に満ちていると私は思っているのだ。例えば、生活保護も受けられるし、今回の子供手当でさえ、日本に住む外国人にも適用されるというではないか。
 ただ、日本に住んでいるからといって、何でもかんでも日本人と同じにしろという考えは成り立たない。
 例えば、高校授業料の実質無償化だ。
 対象に朝鮮学校を入れるべきか否かで、鳩山内閣はゆれているが、当然、対象外とすべきである。
 橋本徹大阪知事は、「北朝鮮という国は不法国家。関係する学校とか施設とかはお付き合いはしない」と言っている。更に、「暴力団が関係している企業は大阪府は入札排除しているし、関係企業に補助金を付けることはない」とも語っているが、まことに分かりやすいし正論だ。
 3月4日の朝日新聞の「声」に、朝鮮学校出身者の投稿があった。「高校無償化から外すとの報道にショックを受けた。朝鮮学校は日本の学校と同等のカリキュラムを確立している。違うのはただ1つ、民族的アイデンティティーを育てる学校だ」と書いている。
 まさに、そのアイデンティティーが問題なのだと御本人は気づいていないようだ。
 その国のアイデンティティー(主体性・独自性)を確立する為に、民族教育を行っているというが、北朝鮮の現状はどうだ。
 日本人を平気で拉致し、世界中の反対を無視して核実験を続け、ミサイルロケットを打ち上げる、こんな不法国家の民族主義や愛国心を育てる学校に、なんで日本が授業料の無償化を行わなければならないのか、自明の理なのである。

 外国人も納税しているのだから参政権を与えよという主張もある。
 これには私もびっくりしている。
 もともと納税と参政権は全く関わりがない。
 日本の普通選挙制度は、20才以上の男女全てに選挙権を与えるということになっていて、納税の有無や、その納税額の大小など一切問われていないのだ。
 納税は、国民が全ての公共サービスを受ける為のいわば対価だ。納税を行っている外国人も、日本のあらゆる公共サービスを同じように享受している。それだけのことなのだ。
 韓国では外国人参政権を認めているから、相互主義として認めるべきとの声もある。これも現実を知らない人の意見である。
 確かに韓国は、永住資格取得後3年以上経過した19才以上の外国人に対し地方レベルでの選挙権を与えている。しかし、永住資格取得に滞在12年かかるし、約1億8千万円以上の韓国への投資をしていることや、年収6万5千ドル(約600万円)以上の高収入者であることなど、ハードルが極めて高いのだ。
 これは在韓日本人永住者がたったの55人(2003年)しか居ないことをみても明らかだ。一方で日本の特別永住外国人は42万人(99%が韓国、朝鮮籍)、一般永住外国人は49万2千人余で、全く比較にならない数なのだ。これでは相互互恵主義など成り立つ筈もないのである。
 ちなみに、国内全体で地方自治の選挙権を与えている国は、世界独立国203カ国のうち、わずか24カ国に過ぎない。その上、多くの場合、様々な用件を与えて外国人を制限している。
 仏、独、伊などは付与対象国の国籍を、EU加盟国に限っている。これはもともとEUが新しい1つの国家を目指しているからである。
 各々の国には歴史的事情や、移民等の政策的背景があるから参政権対象の理由もマチマチで、どう見ても日本の参考にはならない。
 もう1つ注目しなければならないのは、韓国人も北朝鮮人も、本国での被選挙権まで持っているということだ。
 韓国人の場合、2012年から本国での選挙権が行使出来るようになる。
 もし、日本で地方参政権を取得したら、彼らは2つの国の選挙に直接参加出来ることになる。不可解な話ではないか。

 私が1番、心配している議論は、「少数の外国人が、地方選挙に参加しても、国への政治的影響力はたいしたことはない」という楽観論だ。
 とんでもないことで、地方政治が国の政治に直結していることなど、中学生でも分かることだ。
 今年1月に行われた名護市長選挙は、まさに基地問題が争点になっていた。与野党有力議員が続々と集結し、基地是か非か訴え、むしろ国政選挙というべきものになっていた。
 安全保障問題や外交問題は、国の専任事項であって、一地方の判断で決めるべきことではない。
 しかし、現実には、賛成派の前市長が破れ、あたかも日本全体の世論の動きのように捉えられている。
 13年かけて、沖縄県知事や地元の首長の同意も得て、ようやく日米間で決着をみた普天間基地移設問題が、一地方選挙の、しかも僅差でしかない結果で反故にされていい訳はない。
 しかも昨年の国政選挙以来、鳩山民主党は、県外移転、国外移転をと宣伝して来た。県外、国外といわれれば、その方がいいと思う人が増えるのは当然だ。
 原子力発電所の問題でも、地方選挙でよく議論の中心になってきた。
 エネルギー問題はまさに国策、国の所管事項だが、地方選挙の結果がこの政策を左右させたりする。
 前述の対馬だが、次第に韓国人・中国人が占めつつある。
 もし、在日外国人に参政権を与えた場合、この対馬に計画的に大量の韓国人が住民登録などを行えばどうなるのか。
 韓国は現に対馬の領有権まで主張している。
 わずか3万人の有権者しかいない対馬だから、市長でも、まして市議会議員など数百票で当選するのだから、やがて韓国人で占めることなど容易なことなのだ。
 いみじくも、作家の門田泰明氏が、彼の名著「存亡」で、テロ組織によって突然、対馬が占拠される状況を書いている。
 しかし、外国人参政権付与によって、他国の強力な後押しで選挙戦を制し、議会で多数を占めるようになれば、闘わずして対馬の他国領土化は可能なのである。

 百地章日大教授は、国家とは「歴史的、伝統的な国民共同体」と書いている。言い換えれば、国家とは政治的運命共同体なのだ。
 だからこそ、責任を持たない外国人に参政権を与えることによって、国や国民の運命を左右される訳にはいかないのだ。
 どうしても参政権が欲しいなら、帰化してもらうしかないと私は思っている。

 日本の国籍法では、帰化を望む者は各地の法務省で帰化申請手続を行うことになっている。当たり前の話だが、引き続き5年以上日本に住所を有することや、素行が善良であること、日本政府を暴力で破壊したり、それを主張する政治活動等に参加を企てたり、それを行った経験のない者などと、諸条件をクリアしなければならない。
 許否の結果が出るのは、個人差もあるが概ね半年から1年後だ。
 平成10年(1998年)以降帰化申請数は約1万3千人から1万7千人の間で推移しているが、ほぼ99%の人が許可される。
 帰化するのは決して難しいことではないのである。
 帰化した人の60%は韓国、朝鮮籍で、30%が中国籍からだ。法務大臣によって帰化が許可されるが、官報に告示掲載されると直ちにその効力が発生する。
 つまり、国政選挙権も地方選挙権も全面的に得ることが出来るのである。当然、被選挙権も有し立候補も可能である。こう見てくると、なんで無理してまで参政権かと、逆に様々な疑問がわいてくるのだ。
 現在まで、帰化して国政選挙に出馬し当選した人は、新井将敬氏(朝鮮)、ツルネン・マルテイ氏(フィンランド)、白眞勲氏(韓国)、蓮舫氏(台湾)である。
 新井氏は、自民党衆議院議員として自民党都連に所属し、私とも親しかったが、証券取引法違反に問われ自ら生命を絶った。
 彼は証人喚問に呼ばれた時、数日前に会った私のことを高く評価してくれて、これがテレビ中継だったこともあって話題になった。
 蓮舫女史は今売り出し中の仕分け人だ。
 帰化したのだからこうした人達が日本の国会議員になることは問題はないのだが、私はそれでも心の中に残るわだかまりがある。
 それは、もし国家間で国益上、対立や衝突が起こった時、一体、どちらの国に忠誠を尽くすのかということである。
 中国と韓国、北朝鮮とは、領土問題を含めて様々な国家の利害をかけた対立が現実にある。
 今の時代、たとえば戦争といった不幸な衝突などあり得ないと気楽にいう人がいるが、平和と安全について何の保証もないのが現実ではないか。まさに平和ボケ、安全神話の虜なのだ。
 どんな時でも日本人なら、日本国家に忠誠をつくすのは当然だが、国会議員として最後の選択を迫られた時、生まれた国と帰化した国のどちらを選ぶのか、そこのところが分からない。いつも、不安感が残っているのだ。
 小沢幹事長は、もっぱら国連主義だが、第2次大戦の勝者がそのまま安全保障理事会の常任理事国におさまっていて、今も拒否権を持っているような国連に、日本を守ってくれと頼れる訳もないのだ。

 今まで述べてきたように、永住外国人の参政権問題は、断じて簡単なものではない。
 愛とか仏教とか、鳩山首相の言うような訳の分からない議論の成り立つ余地はない。その重大性や深刻さを、私達はしっかり噛みしめなければならないのだ。
 多数を得たからと、その驕りの中で、国の行方を誤らせてはならない。国民の安寧秩序を乱すことは絶対に許せない。
 日本及び日本列島は、あくまでも日本人のものなのである。このことを、多くの人に訴えたい。


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