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言いたい放題 第20号 「ファイナル旅行会」

 私の政治家としての歩みと同じように、長い歴史を重ねて来たのが、深谷骼i後援会旅行会である。
 今年、第47回の旅行は、群馬県のホテル磯部ガーデンで行われたが、これをもって卒業と、私はファイナル旅行会と名付けた。
 選挙に破れたから終わりにしようというのではない。
 何年も前から、どこかでピリオドを打たなければと思っていたのだ。

 かつてピーク時は、5,500人の参加者を集めたことがある。
 私が33歳で、4年間の浪人生活を経て、最高点で東京都議会議員に初当選し、更に国会進出に向け、全力を挙げて活動していた時代である。
 30代、まさに政治家として青春真っ盛りの時代で、都議会にあっては、最高の人気を誇っていた美濃部亮吉都知事を向うにまわし、連日激しく追求の論陣を張っていた。私は美濃部キラーといわれ話題を集めていた。

都議時代5.jpg

 この頃の旅行会は、長い時は12日間も続いた。朝8時になると各々の地元の集合場所に続々と参加者が集って、10台余のバスに乗り込む。
 私はまず1号車に乗って、目的地に着くまで全ての車輌を廻って政治を語り、訴え、あるいは歌って、参加者と親睦を深めた。
 まさに「義経の八艘飛び」の現代版であった。
 ホテルでは、夕刻6時から大宴会となる。私は全参加者と握手を交わし、杯をかたむけ、ようやく8時に終ると、直ちに東京に引き揚げる。翌日も又、同じような行動を続ける為である。
 それでいて格別、苦労も疲労も感じないゴキゲンの毎日だった。「やっぱり若かったから出来たのだとナ」と、今、しみじみ思い返している。

 近年、世の中全体が大きく変わって、旅行といえば個人や家族で楽しむというのが普通となった。集団のバス旅行、特に政治家のそれは極端に少なくなり、東京での国会議員旅行会といえば私ぐらいになっている。
 参加者を募る役員さんも大変だし、ここいらで打ち止めと思いながら、実施すれば1,000名近い方が参加されるので、つい、もう少しと続けて来たのだ。
 今回をファイナルと決めたのは、そんな背景があったからである。

 なにしろ47年という長い年月、よくぞ続いたものだと思うが、その一回一回に、私自身の想い出がつまっている。

 第8回旅行会は、塩原温泉のホテルニュー塩原だったが、この夜の宴会場に東京から電話が入り、長男隆介が誕生したことを知らされた。
 すでに2人の娘が居たが、私にとっては初の男の子、歓喜したものだ。早速、会場で発表すると割れんばかりの拍手で、全員でわがことのように祝ってくれた。
 応援者と喜びを共有したあの光景は、今でも鮮明に瞼に焼き付いている。その倅もすでに38歳、子供1人、一家の父親となっている。光陰矢の如しだ。

 昭和47年12月、私はついに念願の国会議員に当選した。先輩議員が居て公認が得られず、無所属であったが、37歳という若さと勢いで国政の場に躍り出たのであった。
 国会議員になって初の旅行会は翌年の8月で、下田ビューホテルで行われた。
 いよいよ国家社会の為に働く、天下晴れての代議士だ。
 私も高揚したが、その時の宴会会場は、まさに祝賀会そのもので、大変な盛り上がりようであった。
 平成2年には、当選6回目にして郵政大臣になった。海部俊樹内閣の時である。

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 海部総理は、私の早大雄弁会時代、OBとしてよく後輩の弁論の指導に来ていて親しかった。
 民主党の元最高顧問であった渡部恒三代議士も同様である。
 その頃、私は、自民党に学生部を創ろうと奔走し、やがて学生部を誕生させ、私は初代副幹事長になった。丁度、中華民国(台湾)から招きがあって、戦後初の日本人学生の訪台となるのだが、顧問として同行したのも若き日の海部氏であった。縁や出会いとは本当に不思議なものである。

 普通、大臣になると、いわゆる故郷に錦を飾るということで、まず意気揚々とお国入りをする。
 ふるさとの市役所や県庁前には、大勢の人々が集って、日の丸の旗を振って歓迎してくれる。あの頃はそんな風景があって、若い政治家達は、その光景にあこがれ、大臣になることを夢見て一心に政務に励んだものである。
 ところが、私の場合、ふるさとが無い。浅草のはずれ、日本堤から毎日、国会を往復しているのだから、錦を飾って帰るべきふるさとは、元々ないのである。
 この年の旅行会は千葉県のニュー小湊ホテルで行われた。私が秘書官やSPを従えて宴会場に入ると、なんと全員で日の丸の小旗をふって迎えてくれたではないか。
 応援者の優しい心配りに感涙したものである。

 ちなみに、平成7年、自治大臣・国家公安委員長の時は伊東のホテル聚楽、自民党三役総務会長に就いた時はホテルニュー塩原、更に第1回通産大臣では伊香保のホテル天坊を選んだ。

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 いい時ばかりではない。二度目の通産大臣になった時、次の旅行会は飛騨の高山グリーンホテルと決めて、現地の下見を行った。私は万全を期する為、いつも出来る限り自ら下見に出掛けることにしていたのだ。
 ここでは休憩予定の飛騨センターの牧野社長や、早川専務らと知遇を得て、すっかり親しくなった。夜は社長宅に招かれ、土地の人々も集って、三味線太鼓の大騒ぎとなった。
 他の場所でもそうだが、旅先で出会ったこうした人達との交流は今も続いている。
 この翌年、衆議院は解散、総選挙となって、私はまさかの惜敗となった。自民党は全くの不人気で、特に森喜朗総理の発言が度々問題になり、その度に票を減らしたとマスコミは伝えた。
 大臣と浪人では天国と地獄の隔たりがあるが、かといって旅行会を中止する訳にもいかず、結局、第38回旅行会は無冠のまま、予定通り飛騨高山で実施された。
 ここは飛騨牛でも有名なので、たまたま一緒に参加していた深谷一家、揃って「キッチン飛騨」で会食することにした。いつも行列の出来る評判の店である。
 全く知らない店なのだが、丁重に迎えられ、途中現れた店主は開口一番、「深谷骼iを落とすなんて、森が悪い」とぶっきらぼうに言い放った。森総理は、早大時代の雄弁会同期の桜で、決して憎めない人であったが・・・。
 ここのご主人河本敏明氏は、かなり政治に詳しく、私のこともよく知っていた。落選をわがことのように口惜しがって、私の再起を力強く願ってくれた。珍しく意気消沈していた私にとっては、決して大げさでなく、地獄に仏であった。
 この店のカレーはつとに有名で、カレー大好き人間の私に今でも折々、届けてくれている。

 5年の空白の時を経て、ようやく国会に返り咲いたのは平成17年、直ちに在職25年の表彰を受けた。又、国家基本政策委員長に就任し、晴れて迎えた旅行会は芦ノ牧の大川荘であった。
 次の年は鬼怒川のホテルニュー岡部であったが、その道中の昼食会場に、突然、時の幹事長麻生太郎氏から電話が掛かって来た。
 「日本の国際貢献として、インド洋の給油活動を再開させたいが、先輩に是非、テロ対策特別委員長になって欲しい」という。
 大島国対委員長も、「この重要法案を通せる人は深谷先輩以外にはいない。余人をもって代え難い」と言っている。なんとか引き受けていただきたいと、例の特徴のあるダミ声での強い要請であった。
 勿論、一も二もなく快諾したが、以来、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣と、実に三度、私はこの職に就き続けた。
 その上、ソマリア沖の海賊対策も含め、種々の法案を私の手でことごとく仕上げた。
 再起以来、この4年間は私にとって極めて順調で充実した日々であった。
 エネルギー戦略合同部会長として、2つの調査会、13の部会を率いて、日本のエネルギー戦略の基礎をつくりあげた。予算委員会では、折から米国発の金融危機を乗り越えるための様々な政策を打ち立てた。更に私が塾長をつとめるTOKYO自民党政経塾では、常に定員オーバーの大盛況で、私は塾生を懸命に教えて来た。地元対策も、ほとんど具体的成果をあげていた。
 ただ、自民党全体をみると、残念ながら不祥事のオンパレードである。
 一年ごとに総理が交代する、マスコミを中心に「無責任」との批判の声がゴウゴウと湧き起こった。
 おまけに政治資金をめぐり大臣の自殺事件、あるいは酔っぱらい会見、バンソウコウ大臣・・・。まったく目をおおいたくなることばかりであった。
 麻生総理は漢字をよく間違える、マンガ大好きもひたすら顰蹙を買った。自民党支持率は一気に下降していったのである。

 総選挙の結果、実に3分の1近くも自民党議員は激減し、未曾有の大敗北となってしまった。
 東京の自民党衆議院議員は24名であったが、直接選挙で勝ったのはたった4名、私も10万票近く集めながらの敗北となってしまった。

 こうした状況の中で催されたのが、今回のファイナル旅行会であった。
 しかし、私が逆境にあっても後援者は変わらなかった。11月27日から3日間、磯部ガーデンホテルには、800名を超える人々が参加してくれた。
 夜の宴会では「これは祝勝会ですか」と戸惑うほど、明るく楽しい雰囲気であふれていた。
 「旅行会を続けて欲しい」、「毎年楽しみにしている」と、次々と声があがり、司会者が「来年も続けよう」と提案し、ついに満場一致で大拍手となった。私にとって、涙の出るほどの喜びであった。
 「新しい形にして、来年から再出発」、これがファイナル旅行と銘打った今回の結論であった。
 宴会の最後、いつものように乞われて私は舞台に立った。
 今年は少し趣をかえて、「千の風になって」と「愛燦燦」の2曲を、深谷流解説を加えて歌うことにした。
 「千の風になって」は、80年以上前から、アメリカで語り継がれた亡き母を思う詩であるという。
 9.11の多発テロ、その1年後の追悼式で、父親を失った11歳の少女が朗読して世界中の話題になった。
 日本では、坂本九の葬儀委員長の永六輔氏が葬式で朗読している。なんでもデーブスペクター氏紹介とか。
 近年、新井満氏の訳詩と曲で大ヒットしたが、私の大好きな歌である。
 2007年2月、衆議院予算委員会で質問に立った時、私は時の安倍総理にこの一節を読んで、テレビでも中継された。
 「朝は鳥になってあなたを目覚めさせ、夜は星になってあなたを見守る」、今は亡き厳父、安倍晋太郎氏は、泉下で貴方に期待し、見守っている。立派な宰相になって欲しい」と語りかけたのだ。しかし・・・。
 「愛燦燦」は、美空ひばりや小椋桂が歌っている。その中の歌詞の一節が、今の私の心境にぴったりなのだ。
 「わずかばかりの運の悪さを恨んだりして・・・」
 「思い通りにならない夢を失くしたりして」
 そして、三番で、多くの愛を受けて「心秘かに嬉し涙を流したりして」とうたっている。
 人は哀しいもの、かよわいもの、そして「人生は不思議なもの、嬉しいものですね」と結んでいる。
 特に、私は三番が好きなのである。

 いくらアンコールがあっても、2曲以上歌うべきでないことは心得ている。しかし、千秋楽の最終日、これは絶対歌えとの御指名で、会場全員の手拍子で「男なら」を蛮声を張り上げて歌った。
 いつも旅行会で、毎回、この歌を一曲だけ歌うのが常であった。
 「男なら男なら、かけた勝負にくよくよするな。水は流れる地球は回る。明日という日が待っている。男ならやってみな」
 これは、私が衆議院2期目に破れた時、今は亡き女房の父親がつくってくれた歌である。その年から数えて33年、又、この歌をうたっている自分が少し無念であった。
 「男なら、人の情けに涙を流せ、まして大事な日本の為にや、杖になりましょ柱にも、男ならやってみな」
 何年たっても、この私の心意気は、いささかも衰えてはいない・・・。


言いたい放題 第21号「あきれた大訪中団」

 600人という大集団を引き連れて中国を訪問した小沢一郎民主党幹事長。今や得意満面、まるで独裁者然としていて薄気味悪い。
 中国の国際情報紙には、世界交流史上想像を超す規模と書いているが、日本人の目から見れば大きな違和感がある。どう見てもあまりにも異常だ。
 民主党が政権を得る2年前も、400名の訪中団を連れて中国詣でをしているが、小沢氏の中国重視はライフワークという。しかし、ことは日本の外交全体に及ぶことで、特に米国との気まずい状況がより深刻化している今、こうした行動に大きな危惧を抱かない訳にはいかない。
 昔、中国は世界の宗主国と自ら考え、日本も中国の「臣」として、大勢の人々を中国に遣わし貢物を贈り、貿易業を許されたりしたが、小沢訪中団も、なんだか拝謁しているようで情けない。
 しかも、小沢チルドレン約80人を含む143人もの国会議員が大挙して参加した。こんなに日本から国会議員が居なくなっていいのかと云うマスコミ記事もあった。全くその通りだ。
 今の民主党は小沢氏の一人舞台で、全ては彼の判断で事が決まるといわれている。
 鳩山首相までも、常に小沢氏の顔色を伺い、要は体よく雲の上にまつり上げられているに過ぎない。
 もっとも、これは小沢さんが悪いのでは無くて、鳩山氏があまりにも無能のせいだが・・・。
 特に小沢チルドレンといわれる人々を中心に、新人の141名は、あまりに小沢流の締付けが厳しくて、ほとんど萎縮、というよりも畏縮(恐れて縮む)状態であるという。
 議員個人としての発言も政治的提言も一切許されない。ひたすら決められた研修と、次の選挙の為の地元廻りの徹底を命ぜられ、それを必死に実行している。
 実際、新人達は大素人集団だから、研修や次の選挙に備えることは必要だが、そんな人達に国民の血税で莫大な歳費を払い続けるのは全くおかしい。さきの仕分け人作業の中で、こうした議員のありようや、国会の無駄を省く議論が皆無なのも不思議というより、不見識だ。
 今回の訪中にあたっては、10月頃に党所属議員にパンフレットが配布された。勿論、参加は強制ではないのだが、小沢氏の顔色を伺い、行かなければ立場が危うくなると、本人は勿論、秘書や後援者で大挙参加となったのである。

 テレビで度々放映されたから、多くの国民は見たと思うが、あの胡錦涛主席と議員一人一人の記念撮影の光景は一体なんだ、と私は絶句した。
 胡主席の顔をみると、如何にも義理でやむなくという風情で、むしろ当惑そうで不快感さえただよっていた。
 山岡国対委員長が、まるで生徒に対するように次々とツーショットの場面をつくり、議員が、胡主席に媚を売りながら、恭々しく両手でおしいただく姿は、本当にやり切れない思いだった。
 議員達は、このツーショットの写真を各々の新聞などで麗々しく飾り、自分が日中関係の為に、如何に働き成果を挙げたかを自慢気に書きまくるに違いない。
 応援者は、正体見たり枯れ尾花で、あきれて白けるに違いない。

 中国側は10日夜、人民大会堂に議員団を盛大に招いた。小沢代表団長が入場する光景がテレビに映ったが、全員が起立して拍手で迎えた。なんだか小沢ワンマンショーといった感じで、これも気味が悪かった。
 舞台では太鼓や、歌や踊りが華やかに続いたが、美酒に酔い、恍惚とした様子の議員の顔を想像し、日本は大丈夫かと本当に心配になった。
 今回の大歓迎で、すっかり中国贔屓になって、中国の言い分をなんでも「ごもっとも」と言う議員が増えたら大変だと思うのだ。
 「いや、そんなことはない」という人もいるだろうが、はっきり言ってあの面々の様子を見ると、心許ないこと甚だしいのだ。
 不倫で、「ぶってぶって」の姫井議員の喜々とした姿も度々画面に出ていたが、もともとそんな連中に日本の政治を任せることは出来ないのだから・・・。

 ところで、何か政治的成果はあったのか。
 小沢幹事長は人民大公堂で胡錦涛国家主席と会談したが、その時間はわずかに30分と短いもの。つまり、ほとんど儀礼的な内容で懸案問題は素通りであった。
 新聞では「日中関係の強化を目指すことで一致した」とあったが、これなどは至極当たり前のことで、格別な結論ではない。
 東シナ海のガス田開発問題や北朝鮮核問題、更には最大の課題、尖閣諸島の領有権など全く触れないのはどうなのかと疑問に思う。
 記者団に「今回は政治的課題を議論しに来たのではない」と語ったが、全体的にみると、前述のように、小沢幹事長の力を誇示することがむしろ目的であったように思われる。
 つまり、今や、民主党政権での実力者は鳩山首相ではなくて、小沢幹事長自身であることを中国に印象づけようとしたのだ。
 しかも、胡主席に、小沢幹事長は、来年の参議院選挙にふれ、これを勝利させて、「より思い切った議論が出来る環境をつくって、中国関係を深めるのだ」とまで述べている。
 中国との議員外交は、そもそも田中首相が日中国交正常化を果たして以来、自民党が一貫してこれを進めて来た。政権交代を期に窓口を民主党に一気に切りかえようとする思惑がありありである。
 「傍若無人」とは、まさにこうしたことをいうのである。

 小沢氏は、訪中団を残したまま、直ちに一人韓国へ向かって李明博大統領と会談したが、日韓外交でも、自ら主導権を握ろうとしているのではないか。
 もっとも、中国や韓国はしたたかな国で、決して小沢氏の掌(たなごころ)にあるような存在ではない。むしろ、その逆で、今後、日本がいいように振り回される危険性のほうが大きい。厳重に警戒する必要があると私は思っている。
 韓国では、「中国には143人も国会議員が行ったのに、韓国にはたった1人だけか」と、その差に不満の声も起こっているという。
 そんなことを知るや知らずや・・・。
 小沢氏は、いつも独断専行、やがて周囲の人心が離れ、裸の王様になって、自ら一人去っていくパターンが多い。
 田中角栄氏、竹下登氏、金丸信氏と主を次々と変えて、そして細川政権から自自公政権へ、更に今の民主党政権と渡り歩いて来た。
 一体、いつ又一人旅に向かうのか。
 ただし、今回は選挙を背景に、あまりに大勢の部下を従えているだけに「それまでになんでもやってしまおう」と、思いのまま行動するのではないか。それこそ日本の将来にとって大変だ。
 小沢大訪中団の意味を、みんなで深く考える必要があるのではないかと私は思っている。


言いたい放題 第22号「許されない暴挙、天皇会見」

 さすがにどの新聞を見ても、とんでもないことと驚きを込めて一様に批判的だ。
 政府の、というより民主党の強い意向で、中国習近平国家副主席と、天皇陛下の会見が、強引に決められたことだ。
 そもそも、陛下の外国賓客との引見は、2003年に前立腺ガンを患われた陛下の体調を考慮し、又、相手国の公平性の観点から、一ヶ月前までに文書で正式に申請することを原則としている。
 これが一般的にいわれる一ヶ月ルールというものである。
 今回の場合、中国政府から、習副主席の来日にあたって、是非、陛下にお目にかかりたいとの打診があったので、外務省はこの一ヶ月ルールを何度も説明していた。
 ところが、中国では毎年12月に次年度の経済運営方針を決める中央経済工作会議があり、指導部は必ず出席しなければならず、その為に訪日の日時が決まらなかった。
 そこで、このルールに外れた為、宮内庁の意も含めて外務省は会見は無理と答えていたのだ。
 1949年の建国以来、初めて天皇と会見したのはケ小平副首相で1978年のことであった。
 胡現主席は副主席になったばかりの1998年、天皇陛下に拝謁している。
 いいかえれば、中国指導者にとって、天皇との会見は極めて意味のあることで、それが出来るか否かで評価が決まるといってよい。
 胡氏の前例のように、習副主席がこれに成功すれば、ポスト胡の追い風になる。次の党大会が開かれる2012年に最高指導者になれば、それから10年は習時代が来ること必至なのだ。
 いわば、天皇との会見は、中国側の都合で日時が決まらず、かの国の指導者の都合で、ルール違反承知で会見を強く求めるということになったのである。

 もっとも重要なことは天皇陛下を政治の領域へ巻き込んではならないということだ。
 現憲法では、天皇は政治的権限を一切持っていない。政治的立場を超える国の象徴となられているのが、現在のお立場である。したがって、天皇の国事に関する全ての行為は内閣の助言と承認を必要とし、その責任は内閣が負うことになっている。
 しかし、これは、内閣の都合や勝手で、天皇を動かしてよいということでは断じてない。
 内閣は全ての責任において、恣意的な政治利用をしないということが大原則なのである。
 あきれたことに、鳩山首相は、「一ヶ月を数日間切れば、杓子定規でダメだということで、果たしてそれが本当に諸外国との国際的親善の意味で正しいのか」と記者団に語っている。
 首相が平野官房長官に指示して、今回のような強引な決定を宮内庁に求めたのは、一ヶ月の数日足りないどころではなくて、習副主席来日わずか一週間前なのである。
 その平野官房長官は、「習氏は日中関係において非常に重要な方だから」と繰り返したという。しかし、政治的に重要だからとか、懸案事項があるからということで、会見を決めるとしたら、これこそ明かな天皇の政治利用、憲法違反なのだ。
 そんなことも全くわかっておらず、口先だけの詭弁で押し返そうとする鳩山首相の発言には怒りを通り越してあわれみさえ感じる。
 もっとも、母から9億円(実際はこれをはるかに上回るが)ももらって、明らかな法律違反の脱税行為なのに、これからは税を納める方向で検討しますと、今更、うそぶく破廉恥な人だから、政治に関してもこの程度なのかも知れぬ。
 しかし、今回の一連の行為は日本国家にとって、憲法上、断じて許されないことで、無知だからで済ます訳にはいかないのである。

 ところで、今回のような誤ったことを強引に推し進めさせたのは誰かといえば、これはもう間違いなく小沢一郎幹事長である。
 鳩山首相は、わざわざ「小沢幹事長から話があった訳ではありません」と断ってみせたが、語るに落ちるとはこういうことをいうのだ。
 さきの訪中前、小沢幹事長に直接、中国側から、楊潔篪外相、崔天凱中国大使らが次々と訪れ、なんとかして欲しいと懇願している。
 前述のように外務省や、なによりも宮内庁から、今回は認められないと伝えているのにである。このことは、鳩山首相も納得していた筈と確かな筋(官邸詰記者)が明言している。それが、このような形に豹変したのは、まさに小沢氏の圧力によるもので、今更言うまでもない。
 600人の訪中団を引き連れて、媚中外交を行った小沢氏にとって、実は、天皇引見の約束が、中国への最大のおみやげだったのだ。
 
 今回の天皇の政治利用の悪しき前例がつくられた中で、唯一、毅然たる態度で終始したのが、宮内庁長官羽毛田信吾氏である。
 彼は厚生省の出身で、官邸事務方の要ともいえる主席内閣参事官も経験している。
 かつて、私は予算委員会等で、彼とは何度も同席しているのでよく知っているが、一本気の硬骨漢であった。
 委員長が「羽毛田君」と呼ぶと、一瞬場内はどっと笑い声が出たりする。
 名前の通り、彼は頭髪があまりなかったからだ。気の毒に思って、私の場合、役職名で呼んだものだが、彼はそんなことは無頓着で、平然と答弁していたものである。
 彼は、「両陛下のなさる国際親善は、政府の外交とは次元を異にし、相手国の政治的な重要性とか、その国との間の政治的懸案があるとか、そういう政治的判断を超えたところでなさるべきものだ」と明確に語っている。
 この国は大事、この国は大事でないといった、政治的重要性で取り扱いの差をつけてはならない、厳格にルールを守ることが大切で、「だから外務省にもお断りした」という、当然の見識だ。
 しかし、宮内庁も内閣の一翼をしめる政府機関である以上、総理の補佐役である官房長官の指示には従わざるを得ない。
 「こういったことは二度とあって欲しくない」と記者会見で締めくくった。
 役人として、実に勇気のいる発言だと私は感銘を受けた。
 鳩山政権、小沢民主党は一貫して、脱官僚、政治家主導を言い続けるが、政治家として立派な見識と行動を伴っているかということが大前提でなければならない。こうした点を考えると、今の民主党政権には全く期待が持てない。

 こうした一連の誤った民主党政権の行動に、もっと大きな批判の声があがっていいのではないか。何故正しい世論が生まれないのか。
 いづれにしても、今回の件は、日本の将来に大きな禍根を残したという面も含めて、肝に命じて、みんなの記憶に残しておく必要があると思っている。


言いたい放題 第23号 「小沢幹事長暴言」

 なんとあきれ果てた小沢幹事長の態度だろうか。まるで「自分が正義、最高権力者、俺にさからう者は許さない」と言わんばかりの語気を荒げた記者会見だった。
 結局、天皇陛下と習近平国家副主席の会見は彼の主張通り実施されたが、内外の批判が高まる中、独自の憲法論理で自分の正当性を押し通そうとしていたのだ。

 彼の論理の誤りをあげれば、まず第1に、天皇陛下の行為は全て内閣の助言と承認で行われる、と、そればかりを強調している点だ。一体内閣は天皇の行為に関して、何でも出来ると考えているのだろか。時の政権といえども、天皇の政治利用は許されないことは、当たり前のことではないか。
 憲法第3条には、確かに国事に関する天皇の行為に、内閣の助言と承認を必要とすると書かれているが、一方、第7条で、その国事行為とは何か10項目にわたってきちんと示されている。
 国会の招集や、衆議院解散、外国の大使や公使の接受などだが、その中に、外国要人との引見については一行も書かれていない。
 天皇が象徴としての地位に基づいて、国際親善など、公的立場で取り組む行為は「公的行為」といわれるものであって、憲法でいう「国事行為」とは異なるものなのだ。このことを小沢氏は知っているのか知らないのか、あるいは混同しているのか故意なのか。いずれにしても、選挙で圧勝したのだから、何でも通用するとは一方的でお粗末な論法である。

 第2に、「陛下の体調がすぐれないなら、優位性の低い行事をお休みになればよい」と発言していることだ。
 天皇の行為で、最も重要なことは、国に対しても人に対しても、如何に公平性を貫くかということである。
 第一、小沢氏の言う、優位性の高い低いは、一体誰がどう判断するというのだろうか。
 鳩山首相は、「最も重要な国だから」とか、「懸案のある国だから」と、度々発言しているが、今後、外国から「うちは政治的に重要ではないのか」と言われたら、なんと答えるつもりなのか。それこそ日本の信が問われるではないか。
 そして、何よりも小沢氏の発言を聞いていると、天皇陛下に対するいたわりや、敬意がほとんど見られない。一ヶ月ルールの背景には、天皇の健康問題があるのだということも忘れてはならないのだ。
 いやしくも、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくものと憲法にうたっている。礼節を知らぬ者に政治家たる資格はない。

 第3は、小沢氏はなんと天皇の御気持まで勝手に代弁したことである。
 「天皇陛下御自身に聞いてみたら、『手違いで遅れたのかもしれない、会いましょう』と必ずおっしゃると思う」と自分勝手な判断を公式の記者会見で発言しているのだ。
 一方で、天皇は、自身の意思に関わらず、内閣の言う通り行動すべきと主張しながら、今度は、天皇の意思を尊重するかのごとき発言をしているが、とんでもない大矛盾ではないのか。
 岡田外務大臣が、天皇のお言葉に、御自身の思いをもっと出してはどうかと語り、大きな反発を集めたことがあったが、民主党の幹部達は、憲法のなんたるかを全く知らないようだ。

 わずかな救いは、民主党の中にも見識を持った人が少しはいるということだ。
 福山哲郎外務副大臣は14日の定例記者会見で、「宮内庁の意向や陛下の健康状態もあることなので、今回だけ例外という対処にした方がいい」と暗に権力の自制を語っていた。
 又、渡辺周総務副大臣は、テレビ朝日の番組で「今からでも会見をやめられるなら、やめた方がいい。天皇陛下にこういう形で要請したことには党内でもかなり当惑の思いがある」と話していた。
 今の小沢独裁権力下の民主党で、このように正論を語るには勇気のいることだと思うが、こうした人達がもっと台頭して欲しいものと強く思った。
 ちなみに渡辺周氏は、早稲田大学のはるか後輩の48歳で、私がテロ対策特別委員長時代の野党理事の1人であった。
 立場は全く別であったが、折々の議論の中で、キラリと光る言葉があって、私は秘かに期待している代議士なのだ。
 さきの私の旅行会を磯部ガーデンホテルで行った時、なんと偶然、彼の後援会も2日間同じホテルで600人を超える後援者を集めて旅行会を開催していた。
 ホテルで会う機会はなかったが、彼は名刺に一筆挨拶を書いて、ホテルの支配人に預けていた。
 「いい人だな」と改めて好感を持ったものであった。

 さて、第4にけしからんことは、「宮内庁長官は辞任すべきだ」とまで語ったことである。
 一ヶ月ルールは何も法律で決まっている訳ではないとして、「羽毛田長官がどうしても反対というなら辞表を提出した後に言うべきだ」と怒りもあらわにテレビの前で語ったのだ。
 「政府の一部局の一職員が、内閣の方針について、どうだこうだと言うのは、日本憲法や民主主義というものを理解していない者の発言としか思えない」とも言う。
 前述のように憲法を自分の都合の良いようにねじ曲げ、民主主義のルールに反して政治家の強権を発動しているのは、小沢氏本人ではないか。
 この言葉は、そっくり小沢氏に返したいと思う。
 もう一度憲法をよく読み、民主主義を学ぶべきは、小沢氏及び鳩山首相の方である。
 「一部局の一職員が」とはきすてて言う小沢氏の一番言いたい言葉は「たかがちんぴら小役人どもに」ということであろう。その傲慢な無礼な態度から明らかに見えてくるではないか。
 私は40数年、政治の道を歩んできて、特に党の三役や大臣を何度も経験してきて、役人の力量というものを熟知している。
 ほとんどの人が東大出身の有能な人たちで、各々、国家社会の為に働こうと志を持ってこの世界に入って来ている。
 彼らの教養や知識、あるいは専門的な分野での博学ぶりは、小沢氏は勿論、昨今当選したそこいらの若い政治家達の及ぶところではない。
 問題は、政治家のように直接国民に触れ合っていないことや、地域の実情を知らないといった面があることだ。とかく物事を机の上で、あるいは頭の中で考え判断しようという傾向にあるが、これは彼らの弱点だ。
 だから、昔から、優れた政治家は、役人の長所と短所を見極めて、彼らを、言葉は悪いがしっかりと使いこなして来たのである。
 国家国民の為という、政治家も役人も共通の志を持っているのだから、これがどのように協調し努力しあっていけるかが肝要なのだ。
 「政治主導」ということは、誤りではないのだが、そのことを強調するあまり、ひたすら官僚批判に終始し、あたかもこの国を悪くしているのは役人であるかの如き偏見をつくり出してはならないのである。
 皇室の将来を考え、天皇の御健康を思い、天皇の国事行為のなんたるかを誰よりも専門的に学んできたのは宮内庁長官である。
 こうした人が職を賭して苦言を呈したものを、小役人扱いし、悪し様にけなし、果ては辞めろといわんばかりの発言は、まさに政治家の思い上がりとしかいいようがない。
 宮内庁には1,000以上のメールや電話が殺到したようだが、このほとんどは、羽毛田氏擁護の声であったという。国民の正しい判断に救われた思いである。
 私は、田野瀬自民党総務会長に直ちに連絡し、党で彼をしっかり守るべきだと強く提言した。
 悪しき慣例を絶対につくってはならないと思うからである。

言いたい放題 第24号 「沖縄問題先のばしの愚」

 12月15日民主党政権は、普天間飛行場移設問題先送りを決めた。
 迷走を続けて来た鳩山由紀夫首相だったが、まさかと私はあきれている。しかも移転先の候補地も、期日さえ含めて、考え決めるのは来年以降にしますというのだから、あまりに無責任としか言いようがない。
 あるマスコミは、「決定しないことを決めたでは、シャレにもならない」と書いたが、全くその通りだ。

 そもそも、1996年4月、普天間飛行場は全面的に返還すると日米で合意した。以来13年の曲折を経て、2006年ようやく名護市辺野古沿岸部(キャンプ・シュワブ)という現行案が決まったのである。
 ところが、民主党は先の選挙で勝つために、県外あるいは国外移設を公約にし、これを追い風にして結果的には候補者全員を当選させた。
 当然、もしかしたらという期待を県民が抱くようになり、益々混乱を招く結果となった。

 政府内もバラバラで、北澤俊美防衛大臣は、日米合意案に賛成といい、岡田克也外相は嘉手納統合案を私見といって表明、肝心の鳩山首相は何度もブレていた。
 その上、社民党の福島瑞穂党首は、県外移設を主張し、自分の意思が通らない場合は、連立離脱も辞さずと脅しをかけた。
 国会議員はわずか12名(参議院5)の少数党ではないか。いくら参議院で過半数にわずか1票足りないとはいえ、振りまわされるとは情けない。大臣になって喜々としている福島党首は、どんなことがあっても大臣を辞める気など毛頭無いことは、誰が見たって分かることではないか。

 そもそも辺野古案は、沖縄県との合意にもう一息といわれていた。現に、辺野古には下士官用宿舎を建造中だし、立体駐車場の工事も進んでいる。
 しかも、不思議なことに、振り出しに戻ったはずなのに、政府は2010年度予算案に、米軍再編関連経費を引き続き計上すると言っているのだ。同時に、この地域の環境影響評価も続けるというのだ。
 米国の「現行計画以外に案はない、一日も早く決着させたい」との強硬な姿勢の前に、少しでも反発を招かないようにと、現行案の断念ではないとの姿勢を一方で示そうとしているからだ。
 しかし、そんな姑息な態度など、相手は先刻御承知で、直ちに見透かされているのだ。
 先の首脳会議で、鳩山首相は、オバマ大統領に、「私を信じて」と言った。当初、相手は日米合意を履行するものと受けとめていたが、その後のずるずる決意を先送りする動きを見ながら、口先ばかりでなんと優柔不断な対応かとあきれているのだ。
 鳩山首相の対応は、大統領と沖縄県民に対する背信行為だ。
 アメリカ国内では、日本に対する不信感がつのっている。すでに、米海兵隊普天間飛行場の移設問題を協議する閣僚級の作業部会は中断することになったし、来年の日米安全保障条約改定50周年に向けて、日米関係を一層深化させるための日米協議も、かの国から延期しようと通告される始末である。

 かつて鳩山氏は、文藝春秋に「『常時駐留なき安保』への転換を目指し、対等なパートナーシップとして深化させていく」と書いた。
 しかし、わが国を如何に守るかの具体的な内容にはその時も今も触れていない。
 評論家の櫻井よしこ女史が指摘するように、「極東有事が起きない北東アジア情勢をつくっていく」「そのような条件は次第に生まれつつある」と、現状認識がゼロの主張を行っている。
 一体どこに、何事も起きない状況が整いつつあるというのだろうか。北朝鮮は、日本を射程距離におくミサイル・ノドンを200基も日本に向けて常時配置しているといわれている。
 核開発を進め、仮に核弾頭を積載して日本に打ち込めば、10分以内に着弾し、日本は一瞬にして壊滅するのだ。核兵器でなくとも細菌兵器でも同じ事である。
 中国だって軍事大国を目指して、着々と軍事力を増強しつつあるではないか。
 戦後、日本は平和であり続けて来たから、よもや戦争など起こる筈もないと信じきってしまっている。
 まさに平和ボケだ。

 第二次大戦後世界の主要国の中で、戦争に巻き込まれなかった国は日本だけだ。
 それは、何よりも日米安保条約があったおかげで、これを選択し、維持させ続けた自民党政権の成果といえる。
 アメリカから見れば、有事が起こればアメリカ国民の血を流してまで日本を守ろうとするのが日米安保条約だ。これは全く不平等だという考えを持つ人も多いが、当然だ。
 せめて、日米でしっかり協議し、基地や日本からの予算も含めて、最小限米国が納得する形を維持していかなければならない。
 勿論、沖縄県民の御苦労も充分に忖度(そんたく)することは当然で、だからこそ、13年もかけて必死の努力を重ね一応日米合意案が生まれたのだ。

 何も具体性のない先延ばしは、今までの行動計画を事実上ストップさせることになる。
 新しい移設案などどう考えてもすぐに出てくるとは思えない。仮にあったとしても相当な時間が掛かることは必定である。
 とすれば、普天間飛行場は現状のまま長期間存続し、逆に固定化する可能性も高い。
 それは沖縄県の人々が、負担と苦労を引き続き背負っていくということで、そんなことは決して許されることではない。

 迷走を続ける鳩山首相、何よりも混乱続きの民主党政権に、これ以上、期待することは絶対に出来ない。
 沖縄基地問題の目的なき先送り決定に怒りをもって抗議し、国民の正しい理解と選択を求めたいと切に願っている。

言いたい放題 第25号 「無冠、悲憤慷慨の図」

 朝日新聞の12月19日、20日に行われた世論調査で、鳩山内閣の支持率が急落したことで、ようやく国民の目にも状況が正しく映ってきたのかと、少し安堵の思いを持った。
 この言いたい放題で、私は何度も鳩山政権の欠点の多さを批判、それは、鳩山首相の指導力の欠如、いやそれ以上に総理としての資質の無さによると指摘して来た。
 選挙の為に、民主党はにわかづくりのマニフェストを発表、そのほとんどが「利益誘導」という選挙法に違反する公約で、その破綻は目に見えていた。
 子供手当で、5兆6,000億円という驚くべき支出は、この最悪の財政事情の中で出せる筈もない。
 一時、所得制限を持ち出したが、年収2,000万円を基本とする方向で検討し、しかし、所得を把握する方法がないと見送った。果ては、地方に負担させるといってみたり、鳩山首相などは高額所得者を念頭に、「地方自治体に寄付してもらえる制度をつくる」など全く無責任極まりない話ばかりなのだ。
 結局は、扶養控除などが廃止されていき、中学生までの子供を持たぬ人々の負担が一層増すだけという結果になる。
 しかも、この子供手当が、直接子供を育成させる為に確実に使われるかといえば、そうでもないという判断がもっぱらなのだ。
 私の周囲からは、要は、国が新たに一部の人々に生活支援をするに過ぎないとの声があがっている。
 それは一体、福祉なのか、教育なのか、あるいは生活保護なのか、さっぱりわからない。結局は、政権をとる為の、つまり選挙に勝つための単なる好餌だったのかといわれても弁明の余地はないのではないか。

 ガソリン税などのいわゆる暫定税率廃止公約も、小沢幹事長からの強硬な申し入れで、腰くだけとなって、廃止はするけれど形を変えて新たに徴税の仕組みをつくるという。
 いずれ温暖化対策税という名の環境税を2011年度に導入するが、その間のつなぎ税を考えていこうということのようである。
 まったく子供だましの、小手先だけのやり方で、まさに国民を愚弄しているといって過言ではない。
 暫定税率を廃止すれば2兆5,000億円もの税が入らなくなる。これでは概算要求で出されている95兆円の財源が確保が出来ない。だから事実上、現在は無理という理屈だが、そんなことは最初から判っていることだ。
 第一、民主党の大臣、副大臣、政務官の責任をもって出した95兆円をこえる概算要求額そのものが、かつてない、あまりにも肥大過ぎるのだから、これを如何に圧縮するかをまず考えるべきなのだ。
 大騒ぎした例の仕分作業は、無駄削減とはいうものの、目標の3兆円にほど遠い約6,800億円にとどまり、ほとんど成果をあげていないのである。まったく見せかけばかりの、大芝居だったのである。
 更に、今度はたばこ増税も行うと決めた。1本5円程度を考え、1箱100円の値上げになるらしい。1本1円の引き上げで国と地方で、税収約1,300億円というから大きい。
 不愉快なのは、「税収を得る為というより、国民のみなさんの生命を大切にする、健康の為という発想を重視したい」と鳩山首相がぬけぬけとのたまったことだ。
 私はとっくに煙草をやめて今は吸わないが、愛煙家にとって健康云々は大きなお世話で、それよりも「負担をお願いしたい」と正直に言うべきではないのか。

 沖縄基地問題については、あまりにも迷走が続いて、今やあきれて批判する気も起こらない。
 県外移転、あるいは国外移転など、初めから不可能な公約だった。
 内閣不一致のバラバラ発言も問題だが、そもそも鳩山総理自身にきちんとした、どうするかという明確な方針が全く無いのだから話にならない。
 ひたすら先の見えない先延ばしで、困るのは沖縄県民と米国側だ。オバマ大統領に「私を信じて」(Please trust me)と言い、早期履行を約束したと米側は受けとめたのに、翌日にはこれを反故にする。
 又、12月12日、コペンハーゲンでのクリントン会談で、普天間問題の先送りについて氏の理解を得たと発言、これが嘘であったことも発覚した。なんとクリントン長官に藤崎一郎駐米大使が急きょ呼ばれて、そんなことは言ってないと不快感を示されたという。外交上、かつてこんな無責任な失態はなかった。
 アメリカでは、日本批判が益々深まり、日本と付き合ってはいられないと、いわゆる「日本づかれ」という言葉まで流行っているという。
 小沢幹事長は、時期を合わせたように、600人も引き連れて中国詣でを行い、一層、アメリカ離れを引き立たせる。
 
 折から、コペンハーゲンでCOP15(国連気候変動枠組み条約締結国会議)が開かれていたが、決裂は回避されたものの、焦点だった各国の温暖効果ガス排出削減の具体的中身は、全て先送りとなってしまった。つまり懸案の多くが積み残されたままで終ってしまったのだ。
 全体の流れを見ると、先進国と途上国グループ(G77プラス中国)との激しい対立が原因だが、この中での中国の動きが大勢を決めたといえる。
 今や、中国は米国を抜いて世界最大の排出国になっているのだが、むしろ、先進国に対抗する中心となって最後まで抵抗した。
 本来なら、米国が最大のまとめ役の筈なのだが、国内議会の背景もあって、その力を発揮することが出来なかった。
 出来なかったもう一つの理由は、日本との連携プレーが皆無だったことも挙げられる。日米で協力し、中国を説得することが出来なかったことは大きなマイナスだったが、これは昨今の日米間のきしみが原因である。
 COP15では、日米首脳会議はついに一度も開かれなかったのである。こんな例はかつてほとんど無い。

 鳩山首相の母親からの子供手当、9億円についての説明責任は、未だに全く果たされていない。
 何度も指摘したが、これは政治献金疑惑と並んで、脱税事件でもあるのだ。
 鳩山首相は東京地検に、これは会計責任者のやったことで、自分はあくまで知らなかったとの上申書を提出したという。贈与税の修正申告を行うともいわれているが、納めれば罪が無くなるというのでは決してない。
 明かな脱税事件で、一般人なら当然逮捕されるのが常識で、総理大臣だからといって許されることではないのだ。
 小沢幹事長も、西松建設の違法献金をめぐって第一秘書の初公判が行われ、最近は新たに4億円の土地をめぐっての疑惑も浮かび上がってきている。
 12月21日の記者会見で、「同じように処理していた人が誰もとがめをうけない。なぜ僕だけなんだ。権力は公平公正な使用をしなくてはいけない」と、改めて検察批判を展開した。この人は、一体何を考えているのだろうか。まるで子供が、「僕だけが悪いんじゃない」と駄々をこねている図ではないか。
 「民主党の中心人物、2人そろって全て自分本位、身勝手な言動ばかり、これで世の中が通用するのだから、不思議だ。」と思わずため息が出るではないか。
 50%を割った程度の支持率では、こうして思いをめぐらすと、甚だなまぬるいと言わなくてはならない。
 ただ困ったことに、自民党の支持も相変わらず低迷したままだ。そこまで魅力が無くなったのか。
 「なんとかならないか!」
 バッジの無い私は、ひたすら悲憤慷慨するのみであった。・・・「無念」。


言いたい放題 第26号 「総理の資格なし。辞職せよ」

 鳩山由紀夫首相の資金団体「友愛政経懇話会」への偽装献金事件で、東京地検特捜部は24日、鳩山氏の2人の公設秘書を各々在宅、略式起訴した。
 何故、御本人には嫌疑不十分で不起訴にしたのか、これに明確に答えられる人は居ない。
 要は総理大臣だから見逃したというだけのことだ。
 いくら金満家だといっても、12億6,000万円も母親からお金を出させて、政治活動や私的生活に使っていて、「知らない」などと通用する筈もない。
 しかも、これは表面上明らかになった分だけで、彼が政治家になって以来、全て母親任せな人だから、全体ではどれだけの額になるのか、驚くべき数字になることは間違いない。
 検察は、母親に対しても聴取もしなかった。総理大臣には、指揮権発動の権限があるから、いざとなったらかつての犬養法相のように伝家の宝刀を抜くことは確かに可能だ。
 場合によっては国会を混乱させ、政局になる可能性があるから、これをあえて避けたという説もある。
 しかし、本来、当局はこのような些事にとらわれて配慮する必要など全く無いし、立場でもない筈だ。
 法の秩序を守ることに、ひたすら徹することが肝要ではないか。
 かつて、政界のドンといわれ、今の小沢一郎幹事長が師と仰いだ金丸信氏は、5億円のヤミ献金の時、最高権力者の特別扱いと世論はホントに怒った。
 検察庁の看板に黄色いペンキが投げつけられた様子をテレビ・新聞で見たが、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
 金丸氏らの告発を呼びかける全国的な騒ぎとなって、特捜部は捜査の再開に追い込まれた。
 企業からのヤミ献金だから悪質で、母親からだから悪質でない、許されるというのでは筋が通らない。第一金額があまりに巨額ではないか。
 本人が知らないというから、偽装に関与していないともいうが、公設秘書が資金を六幸商会から引き出す際、指示書に御本人が署名しているのだから知らぬ筈もない。
 世俗的な話だが、これ以上の追求をしないかわりに、本人に社会的責任をとらせる場合があるという。
 しかし、鳩山氏の記者会見を聞く限り、総理を辞める様子もなければ、本気で国民に謝罪する心も感じられない。自ら説明責任があり、真実を語るべき立場にあるのに、仰々しく2人の弁護士を坐らせての会見は一体、何なのだ。
 どこまで世の中を甘く見ているのか腹立たしい。

 折から、週刊新潮に、鳩山由紀夫総理が人妻を寝取った室蘭の夜という記事が発表された。
 鳩山氏が昭和61年に衆議院議員に当選した前後の時代、室蘭のクラブのホステスとの醜聞が赤裸々に書かれている。これも解決は母からのお金という。
 相手はやはり人妻ということだが、今の幸夫人との結婚も略奪婚というのが実際だから、雀百までではないが、彼の性癖は変わらないものなのだ。
 なんだか、かつての宇野宗佑元総理大臣を彷彿とさせるではないか。
 宇野元総理は、結局、69日で辞職せざるを得なかった。勿論、宇野氏の場合は、女性問題だけで、今回のように政治資金疑惑、脱税疑惑は全く無かった。

 記者会見では、「どうせ信じてもらえないだろうが」と投げやりな口調も見えたが、これも大金持ちの坊ちゃんの世をすねたポーズともとれる。
 信ずる筈もないではないか。
 鳩山氏は、あくまでも秘書がやったことで、何も知らぬと言い続けたが、かつて野党時代、「秘書の犯した罪は政治家が罰を受けるべきだ」と公言したことなど、「これも知りません、忘れました」ということなのか。

 もはや、同情の余地はない。
 国家国民の為に、こんな総理を抱えていく訳にはいかない。
 断じて辞職すべきだ。
 本人は、「世論を見て・・・」と言葉をにごしているが、その世論こそ、今起って欲しいと思うのだが・・・。一体どうなるのか。
 やりきれない思いを私は抱いている。


言いたい放題 第27号 「鳩山内閣、虚飾の予算案」

 鳩山政権の初仕事ともいうべき、来年度の予算案が決定した。
 実に92兆3000億円という過去最大のバラマキ予算だ。
 予算案が、なんでこんなに大きくなったかといえば、民主党主導の各省庁からの概算要求額が、無責任にふくれあがったからだ。
 当初、鳩山首相は、各大臣に対し、「要求大臣にならず査定大臣になれ」とハッパをかけた。
 しかし、経験の少ない閣僚達だけに、いつの間にか各省庁の役人に振り回され、各省庁の立場を主張し、民主党が一番否定した、省庁の声を代弁する族議員に自らなってしまったのだ。
 すでに例の仕分作業の後、これに不満をとなえる大臣や副大臣の発言が目立ち、結果次々と再修正となった。
 われわれの時代は、省庁の概算要求の際、あらかじめ上限を決めていた。これをシーリング(概算要求基準)と呼んでいた。予算作成上のけじめであったのだが、民主党はこれをあっさりと撤廃してしまった。まさにそれが迷走のはじまりであった。
 自ら無駄を省き、本当に必要な予算をつくることを前提としていたのに、それが出来ない大臣等の未熟さが、今回の膨大な予算案になってしまったのだ。
 もっとも、あの仕分け作業も、鳴りもの入りで大いに話題にはなったが、3兆円の削減目標とは大差の、わずか6770億円という有様だった。
 彼らが言う程、実際には無駄は無かったということなのか。
 一応、今回は、後述するが土地改良事業予算を大幅に削り、これらを加えて約1兆円をはじき出したことにはなっている。
 元々、民主党は、一般会計と特別会計を見直せば、10兆円や20兆円の財源は簡単に確保できると言っていた。
 10兆円から20兆円とは、随分いい加減な、大雑把な話だ。そんなことは出来る筈がないと、私は選挙中言い続けていた。
 今の状況から計算すれば、彼らの公約にある「政権奪取4年後には、年間17兆円近い財源を捻出する」という話などは、全くの嘘っぱちというべきなのである。

 今、鳩山不況といわれているが、一番大切なことは、なんといっても景気の回復だが、これに対する政策はほとんど見られない。
 「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズを具体化したというが、不況が一層深刻になれば、苦しむのはその人々である。
 景気回復に速効性のある公共事業は、18.3%(1兆3,000億円)も削られた。
 われわれの時代も、公共事業を無責任に増やした訳ではない。厳密に検討もし、例えば小泉政権の時代の2002年度は、当初予算で10.7%削減したこともあった。
 しかし、今回はそれに比べてもあまりにも削減幅が大きい。
 道路や港湾など25%削減は、特に地方に今後、大きな不安をもたらし、不況に拍車をかけるのではないかと心配である。
 前原誠司国土交通大臣は、国と38道府県が進めているダム事業のうち、ダム本体に着工していないダム事業を凍結すると、同日発表した。
 ダム本体の工事に入っていなくても、道府県はすでに、様々な面で資金を投じている。請負契約を可決した県や、入札を始めているところもある。仮に今後、国の補助金が出ないとなれば、恐らく大きな打撃となる。何よりも不況マインドが確実に広がっていく。
 前原大臣は就任時、「道府県が主体となって進めるダムは知事の意向を尊重する」と語っていた。いつの間に考えが変わったのか、一転、見直しでは、地方への配慮があまりにも無さ過ぎるではないか。

 確かに社会保障費は増え27兆2,686億円となり、各省庁が政策の為に使う一般歳出の半分を初めて超えた。
 一見いいことのように見えるが、毎年1兆円規模で増える社会保障関係費をどう賄うかにはふれていない。財源の裏付けがなければ、他の分野で逆に国民生活を圧迫し、弱者は一層苦労することになるのだ。
 この中には、例の子ども手当等があるが、よく見ると当初の主張とはかなり異なっている。
 本来、民主党の公約は、われわれが実施していた児童手当を廃止して、新たに子供手当という新制度を国が行うということであった。しかし、いつの間にか、地方自治体や企業にまで負担させるということになってしまった。
 これでは、新しい政策ではなしに、旧来の児童手当を残し、そこに、上乗せしたに過ぎないではないか。
 しかも今回は半分だが、5兆5000億円もかかる筈の次年度以降の仕組みについては何も決まっていないのだ。
 一方、15歳以下の子供を持つ世帯が対象の扶養控除(38万円)が2011年1月、住民税(33万円)が2012年6月から廃止される。
 高校無償化についてもそうだ。公立高校の授業料は無償だが、私立校に通わせる低所得者層向けの上乗せ分は、当初予定の半額になった。
 その上、高校生を持つ世帯を対象とする所得税と住民税の優遇措置は圧縮された、これでは逆に増税となってしまったではないか。

 一般会計は過去最大となったが、財源は税収が驚くほど落ち込んだ為、それ以外の44兆円に及ぶ国債発行等で賄うことになった。
 マニフェストにとらわれて、歳出は増え、一方で、国債は際限なく益々最悪の増加をたどる。戦後初めて、国債発行額が税収を上回った。公約優先借金頼みである。
 政権公約の目玉の子供手当や、高校実質無償化は、全て国債という名の借金の中に残るのだから、今の子供達が成長した時、これを払わなければならない訳で、とんでもない政治のごまかしなのだ。

 ついに2010年度末の国債残高は約637兆円になり、これは来年度の税収見込みの(37兆円)なんと17年分になる。国民一人あたり500万円に近い借金で、将来世代へのツケは膨らむ一方なのである。
 OECD(経済協力開発機構)が発表した中で、日本の債務はGDP比197%とある。
 びっくりする数字だが、今まで、日本の場合、他国と比べて資金繰りに苦労しないで来ている。
 それは、輸出と海外投資で稼ぐ経営黒字を背景に、貯蓄が国の借金を吸収してきたからだ。なにしろ個人金融資産は1400兆円といわれているのだ。
 しかし、今や高齢化で貯蓄は減る一方だし、財政規律を全く考えない政治では、破綻はもう目に見えている。国と地方の長期債務は合わせて862兆円、財政再建は待ったなしなのだ。
 増え続ける社会保障費等、財源を生み出す唯一最有力な財源は消費税だが、次の選挙までは手を触れないという。
 国民に現状を丁寧に説明し、共に痛みを分かち合う政治を行うことも、大切な常道だと思うのだが・・・。

 今回の予算編成の中で、最も気になるのは、来年の参議院選挙対策が目立っていることである。
 小沢幹事長は、党の重点要望を鳩山首相に突きつけたが、その中味は、自民党支持の業界団体の露骨な揺さぶりであった。
 一番目立った例が、野中広務氏が会長をつとめる全国土地改良事業団体連合会への対応だ。
 小沢氏は、土地改良事業予算を半減させよと注文をつけたのだ。
 野中氏は、この団体から来年参議院に出る予定者を降ろすことまでして、小沢さんに陳情を申し入れたが、勿論門前払い、会うことも出来なかった。
 今回の予算案でバッサリと大幅に切られてしまった。前述の事業仕分け削減分はわずか6770億円だったのが、予算案で1兆円に膨れあがったのは、この分が加算されたからである。
 野中氏はかつて私の盟友だった。今更、陳情などに行かなければ良かったのに、と残念に思っている。
 建設業界や農業団体に対しては、新たに交付金制度を打ち出し、一兆円あまりのお金の配分先を民主党で決めるという。
 さきに族議員をつくらないためにと称して、全ての陳情は幹事長室で一元化させると決めたが、こうして幹事長権限は限りなく肥大になって、独裁体制となっていくこと必定だ。
 かつての自民党では考えられないことであった。
 今回発表された予算案は、あまりに問題が多いものであった。しかも、鳩山首相は、前日まで自身の献金、脱税疑惑で身動きとれず、みんな小沢氏任せであった。
 一体これからの日本経済はどうなっていくのか、私は日本の行方が心配でならない。

言いたい放題 第28号 「沖縄密約の教えるもの」

 
佐藤栄作総理と.jpg

 沖縄返還後の核再持ち込みについての密約問題が、今、大きな話題になっている。
 折から、その文章の存在が佐藤栄作元首相の御子息、信二氏の手によって公にされて、一層注目を集めている。

 私にとっての沖縄は格別の思いがあって、それは早稲田大学時代の想い出につながっている。
 その時代は、日米安保改正をめぐって、過激な労働運動が展開された頃で、これに全学連(全日本学生自治会総連合)が加わって激しい戦いが各所で起こっていた。中には日教組など、本気で日本に革命を起そうと考える人達がいて、警察や機動隊と対決し、まさに騒乱状態であった。
 私はといえば、そうした左翼学生に対抗して、保守派の学生を結集し、全日本雄弁連盟を結成させ、自らその先頭に立っていた。
 自民党に初の学生部を誕生させたのもその頃である。
 「学生よ学園に返れ」と全国を遊説したり、戦没学徒の慰霊祭を、神田共立講堂でわれわれ学生自身の手で催し、愛国心を訴えた。
 沖縄返還運動も、私達の重要なテーマで、全国にキャンペーンを繰り広げたものだった。

 第二次大戦の時、日本国内は米軍の爆撃機による空襲が続き焦土と化したが、中でも最も悲惨であったのが沖縄で、唯一、戦場となった場所である。
 沖縄県民50万人の島に、なんと米軍はあわせて54万人を投じたという。
 陸軍7万、海軍陸戦隊9千、これに県民義勇軍2万5千が迎え撃った。
 そして、大人達だけでなく、中学生や女子高校生まで狩り出され、中学生は「鉄血勤皇隊」、女子高校生は「ひめゆり部隊」と名乗って戦場を駆け巡ったのだ。いたいけなそれらの少年少女の死ほど痛ましいものはない。
 後に彼らの霊を慰める為に、健児の塔、ひめゆりの塔が建てられたが、そこには今も、「いわまくら かたくもぞあらん やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは」と刻まれている。
 私は何度もこの句を演説に引用した。
「今日の日本の繁栄は沖縄の人々の犠牲の上に成り立っている。生命を投げ出して日本を守った沖縄の人々の愛国心を忘れてはならない。沖縄の日本復帰こそ、彼らに報いる道だ」と訴え続けたのである。
 後年、私は27歳で台東区議会議員になるが、その時の選挙演説は、地方政治のことよりも天下国家を論じ、とりわけ沖縄の人々の思いをかみしめ、よりよい日本を創ることで彼らに報いるのだ、と涙を流して語ったものであった。

 戦後、我が国固有の領土であるにもかかわらず、他国の支配を受けていたのが、北方領土と、小笠原諸島、そして奄美諸島から沖縄にかけての島々であった。
 奄美諸島と小笠原諸島は、昭和28年、43年に各々アメリカから返還されたが、北方四島と沖縄は返還されていなかった。
 日本が、原爆投下によって壊滅的打撃を受け、もはや敗戦が決定的となった時、ソ連は突然宣戦布告し、怒濤の如く日本に進撃してきた。日ソ不可侵条約を一方的に破ってである。
 シベリアに40万人もの日本人を抑留させ、北方領土を平然と手中に収めてしまったのである。
 北方四島は未だに返還の兆しも見えない。断じて許されないことである。

 時の総理大臣は佐藤栄作氏で、「沖縄の返還なくして日本の戦後は終らない」と主張し、首相として戦後初めて沖縄訪問も果たした。
 かくて1969年(昭和44年)の佐藤ニクソン共同声明によって沖縄復帰が決まり、その7年後に実現されるのだが、この間、様々な困難な交渉がもたれた。
 佐藤首相の考えの基本は、「核抜き、基地使用は本土並み」とするものであった。

 今、話題になっている、いわゆる核密約問題は、まさにこの時の交渉の背景にある出来事であった。
 当時、米との佐藤首相の密使として秘密交渉に当たったのが、若泉敬元京都産業大学教授(故人)であった。
 すでに彼は、自分の著書で密約について書いていたが、米側にこの文書は無く、日本政府も一貫してこれを否定していた。
 今回公表された2人の首脳のサイン入りの合意議事録は間違いなく本物とみられ、これでその存在が明白となった。

 沖縄返還交渉で、日本は前述のように、「核抜き・本土並み」を主張していたが、米側は極東の安全保障の観点から、万一有事の際を考えて、核再持ち込みの必要性を譲らなかった。
 米ソ対立の冷戦時代だけに、米側の主張は当然のことであったが、日本も国内の状況は、核を否定する世論が圧倒的で、とても容認できることではなかった。
 しかし、これを認めなければ沖縄の返還は不可能となる。そこで、佐藤首相は苦渋の選択として合意文書にサインし、これを密約として双方で世に出さぬことを確認したのであろう。
 米の言う「有事」とは、勿論、戦争等に突入した場合の最悪の事態を指している。極東の安全を考えると、その万一の場合に備えることは当然のことである。
 日本にとっては、まさに国家の存亡が掛かっているときだ。
 核を持たず、専守防衛のみの日本にとって、事前に国を守る唯一の道は、核を持つ米の力、つまり抑止力に頼るしかないのである。
 「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則は国是だが、これを最後まで守って、結局日本の国が滅びたのでは何にもならない。
 この三原則のうち、「持ち込ませず」にはもっと弾力的かつ現実的解釈を検討してもよいのではないか。
 もともと、核搭載船舶や航空機の寄港や立ち寄り時に、いちいち核をいったん外すことなど不可能なことではないか。
 この密約は、結果的に沖縄の返還を実現させ、今日までの日本の平和を考えると、日本を守る核抑止力としての効果があったことになる。
 よし、それが米側の強い要請であったにせよ、あの合意文書は決して誤った選択ではなかったように思えてならない。
 往時の佐藤総理の苦渋の決断こそ、為政者としての責任感のあらわれといえるのではないだろうか。

 ところで、日本の周囲を見渡すと、少なからぬ脅威がヒタヒタと忍び寄ってきているように思える。
 北朝鮮は核実験を二度も実施し、日本を射程に収める弾道ミサイル「ノドン」を200基(いや近年はもっと多いという説もある)配置しているのだ。
 中国は、つい最近(10月1日)建国60周年にあたって、北京で10年ぶりの軍事パレードを盛大に行った。
 この21年、連続して中国は国防費を2ケタに伸ばしてきた。戦略核戦力は大幅に向上し、日本に照準を合わせた核ミサイルも多数配備しているという。一体、どこに日本の安全があるのだろうか。
 鳩山首相は、米軍普天間飛行場移設問題をめぐる優柔不断な対応で、米側に大きな不満を広げさせるばかりだ。
 小沢幹事長は、600人を引き連れて中国訪問を行った。更には外国人の地方参政権の実施まで韓国に行って語っている。
 国家国民の安全を守ることこそ政権の最大の責任なのに、何とも無防備無責任なことではないか。

 不思議なことだが、この秘密文書は、佐藤首相愛用の机の引き出しに保存されていたという。
 自宅に保存していたということは、歴代の首相に引き継がれてはいなかったということか。
 つまり、政府の機密文書として扱われていなかったということなのであろうか。
 官僚の一人は、「公式に引き継がれていない文書に効力は無い」とも言っているようだ。
 佐藤信二氏は、「もはや、この文書によって日本の安全保障体制に大きな影響を与えることはない。歴史の真実を残したい。」と公表の理由を語っている。
 私は、むしろ、この時期に話題になったことを奇貨と考え、みんなで、日本の安全保障問題を、あるいは日米安保の意味を改めて論じていくチャンスにすべきと思っている。
 かつて私は、佐藤栄作先生に可愛がられた時代がある。今は亡き佐藤栄作先生の団十郎のような風貌、お姿を想起し、昔の為政者は、本当に大きく偉大だったとしみじみと思った。
 今の首相のいかに貧弱なことかと、嘆きながら・・・。


言いたい放題 第29号 「正月の初体験」

 平成22年の初春を迎えた。
 久しぶりに無冠での越年で、私は孫達と共に箱根で過した。
 例年ならば、正月元旦の仕事始めは、まず皇居に招かれての新年行事から始まる。
 天皇皇后両陛下に松の間で拝謁し、例年、おおむね「年頭にあたり人々の幸せと世界の平安を祈ります」とのお言葉を陛下からいただく。政治家として、「よし今年も国家国民の為に頑張ろう」と厳粛な気持で決意を新たにする時である。
 民主党の岡田外務大臣は、こうした天皇のお言葉について、「もっと御自身の意思を示してもいいのではないか」と、昨年、発言して物議をかもした。
 天皇は日本国の象徴として公平無私を原則としている。確かにいつも同じような内容であるが、「人々の幸せと、世界の平和を祈る」以上の心のこもったお言葉があろうか。
 憲法も理解していない能天気な発言にあきれたものだが、このような人を外務大臣にいただく日本は本当に寂しい。
 拝謁後は、豊明殿で新年の宴が始まる。
 皇室行事の序列は年齢の順だから、この数年は皇族の一番近くで食事をいただく機会にめぐまれていた。
 こうした光栄に、30年近く浴した訳だが、今年は議席を失ったので招かれることは無かったのだ。うーん、残念・・・。
 しかし、逆にいえば、まさに久しぶりに、一家水入らずでの元旦を迎えることが出来たのだから、どちらが本当に幸せなのかはわからない。
 いずれにせよ今回の休みは、神から与えられたチャンス、やっぱり私は幸せ者と思うことにした。

 最大の楽しみは、なんといっても箱根学生駅伝(第86回東京箱根間往復大学駅伝)を直に見、応援することだ。実はこれは私にとって、生まれて初めての体験なのである。
 東京大手町から、神奈川・芦ノ湖まで往復217.9キロを、19校と関東学連選抜の計20チームが参加して争われた。
 私の場合、母校は早稲田大学、客員教授を勤めたのが東洋大学、息子が青山学院大学だから、応援も忙しい。
 2日早朝、わざわざ芦ノ湖まで出掛けて折り返し地点を確認、なんと8時からもう陣取っている人々がいた。

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 湖水からの寒風の中、昼の1時過ぎまで待つのも大変だが、ファンというのは、そんなことは物ともしない。ふと、私は自分の後援者のことを思った。どんな時でも必死に支えて下さる支援者の姿を考え、少し胸が痛んだ。

 私の応援する場所はこのコースの最高地、芦ノ湯だが、午後1時になると、こんな山の中なのにどこから集って来るのかと思うほど、周囲を大勢の人が埋めつくしている。

 まず東洋大学、話題の柏原竜二選手が、私の前を駆け抜けていった。一瞬の風だ。

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 山登りの5区で、昨年はこの柏原が4分58秒差を大逆転して往路優勝を決めたが、今回は、なんと7位からの6人抜きだ。「新・山の神」と呼ばれる彼は、今年20歳、山に挑むひたむきな姿がすばらしい。
 あっという間に、次々と選手達が走り過ぎていく。
 ひたすら自分の大学に誇りを持ち、一途に走る若者達、けなげで純粋で美しい。私は思わず目頭を熱くしたのだった。

 2日目は朝8時、少し場所を変えての応援だったが、さすがに人は少ない。
 出発点から2キロ程度のところだから選手もまだ疲れていない。「頑張れ!」と声をかけると先頭をいく東洋大の市川選手がにっこりと笑顔で通過した。これも胸にじんときた。張り合いのある声援のコツは、観客の少ないところに限る。
 結局、東洋大学は2年連続優勝、心配した早稲田大学は7位、青山学院大学はなんと41年ぶりに8位の1ケタ台で、共に仲良くシード権を獲得した。

 舞台の台詞ではないが、「こいつは春から縁起がいいわい」であった。

 ところで、この箱根駅伝には、我が家の自慢が1つある。
 96歳で逝った女房の父親、井上正孝が、昭和5年(1930年)第11回の駅伝から4年連続出場しているのだ。
 しかも、柏原選手と同じ、花の5区なんですよ(急に口調が変わったりして)。
 当時、井上は東京文理科大学生(現・筑波大)で水泳部に所属していたが、スカウトされて、駅伝選手となった。
 多くを語らない義父であったが、時折、酔って女房には昔のことを語ったようで、面白い逸話が沢山残っている。
 そもそもこの駅伝は1920年2月14日に始まった。
 これはアメリカ大陸で行われる継走での横断マラソンに参加する為の代表選考会であった。ロッキー山脈越えを想定し、山のある箱根のコースが選ばれたのであった。
 日本人オリンピック選手第1号の金栗四三の発案で、長距離マラソン選手を育成し、五輪で日本を強くしようとする狙いもあったという。
 その頃は学生の本分は勉強ということで、授業が終ってからスタートすることもあったようだ。
 だから、山登りの5区になるとまっ暗闇の中を走ることになる。
 地元の青年団が松明を持って伴走したが、危険を避ける為に縄で結びあっていた、又、選手はゴムを縫い付けた足袋を履いて走ったと、これは義父の談である。
 ちなみに、今回柏原選手は5区を1時間17分8秒で走ったが、義父の1番早い時は第14回大会で1時間40分45秒であった。
 義父が出場した4回の大会で、優勝は早稲田大学が3回、慶應大学が1回で、東京文理科大学はよくて6位(参加11校)であった。
 井上正孝は、後に剣道の世界を選んだ。東海大学や玉川大学で教え、数々の本を残した。
 玉川大学では終身名誉教授となって子弟を教えていたが、90歳の折、私に、「骼iさん、この頃、強くなったような気がする」と語って私を驚かせた。たまたま、弟子の1人から、「井上先生が構えると、入っていけない」と聞かされたから、これは本当のことに違いない。
 駅伝で鍛え、剣一筋に生きた明治の人は、その気骨において、今生きるわれわれの及びもつかない強い存在だったと、改めて思っている。

 マラソンの父といわれる金栗四三氏についても、面白い話題はつきない。
 彼は大正元年(1912年)、スウェーデンのストックフォルムオリンピックに日本人として初参加した。その年、予選会で世界記録を27分も縮めたとあって、大いに優勝が期待されたが、途中日射病で倒れてしまった。
 記録的な暑さで、参加者68名中、およそ半分が棄権、ポルトガル選手は、翌日死亡するという最悪の状況であった。
 昭和42年(1967年)スウェーデンオリンピック委員会は、ストックフォルムオリンピック開催55周年の式典を開いたが、金栗翁も招待された。
 記念式典の開催にあたって、オリンピック委員会は、記録を調べていたが、金栗氏が競技中「失踪して行方不明」となっていることに気づいた。
 つまり、本人から棄権の意思がオリンピック委員会に届いていなかったのだ。棄権していないのだから、金栗翁に改めてこの式典でゴールさせようということになった。
 金栗氏は競技場内に用意されたゴールテープを切った。記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3、誰も破ることの出来ない世界一遅い記録となった。
 金栗氏は「長い道のりでした。この閨A5人の孫ができました」とスピーチしている。
 オリンピック委員会は「これをもってストックフォルムオリンピックの全競技日程を終了する」と宣言した。(ウィキペディア参照)
 なんと大らかな、心あたたまる話ではないか。
 粋なスウェーデン人の心根、これに伝説に満ちた金栗四三氏のユーモアに富んだ対応、その光景を想い、私の心は春風のように和んでいる。

 若者達の、「一途に走る姿」、いいなァ。日々どんなに苦しい訓練を重ねて来ていることか、まさに「忍耐と、努力」の結晶だ。
 スウェーデンオリンピック委員会の「大らかな心」、「相手を慈しむ心」も素敵ではないか。
 今の時代、ともすると忘れられているもの、欠けているものを、これらの光景が私達に教えてくれているように思える。
 
 今年、一体、どんな年になるのだろうか。
 少なくとも私は、この正月味わった、初めての体験を大事にし、政治の道を一途にひた走る。そして大らかな心で、多くの人々と触れ合い、さわやかな心で日々を過していきたいと思っている。

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