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第271号 「今頃、人口減少問題か」

深谷隆司の言いたい放題 第271号
「今頃、人口減少問題か」

 国立社会保障・人口問題研究所が31日に発表した2060年までの新しい推計人口で、今、大騒ぎである。
 あと50年で人口が4132万人減って今の3分の2になってしまうというのである。
 はっきりいって、なんで今頃という思いに駆られる。
 私はとっくの昔から、人口減少の深刻さを訴え、早い対応を求め続けてきているのだ。
 11年前の選挙の時の私の演説の中心は、まさにこの問題であった。しかし、民主党の政権交代の嵐の中で、この主張は、ほとんど受け入れられずに、無念の敗北になった。

 返り咲いて、すぐに私は在職25年表彰の栄に浴したが、その時の本会議で行った私の演説の一部でもこの問題に触れている。
 「私の脳裏を占めておりますのは、この国の行くえ、日本の未来の事であります。今、日本は内憂外患、まさに困難な曲がり角に来ています。とりわけ、今後の人口減少などは重大な課題であります。この100年、日本の人口は3倍にと増え続けました。そして、この右肩上がりの人口増を基にして、年金、福祉など様々な制度が出来上がっております。しかし、100年後には人口は半分になると言われております。
 これからの急激な人口減少時代に対応していくには、まさに小泉総理の言われる改革こそ急務であると思います。
 私はあらゆる角度から改革に協力し、日本の将来に禍根を残さぬよう努めてまいりたいと思います。」
 今から6年前の演説である。

 ここまで書いたら、秘書が平成18年7月14日、自民党三多摩議員連盟で行った私の講演の資料を見つけてきてくれた。こういう調べでは能力を発揮する不思議な才能の秘書である。
 そこで私は、2006年の人口1億2774万人をピークとして減り始め、ほぼ100年後の2100年の人口を6424万人と推定している。
 こうした人口減少の結果、旧来の制度が崩壊するという危機感を訴え、経済の成長の低下、家庭の崩壊、社会秩序の崩壊を指摘している。
 なによりも大事なことは、少子化に歯止めをつけることとして、フランスや、スエーデンの成功例を詳しく語っている。
 人口維持(人口減少に歯止めがかかる)には合計特殊出産率(一人の女性が生む子供の数)が2.08であることが必要で、この為の具体的政策を進めることを提言している。(一般的には2.07)
 例えば、育児休養後、容易に職場に復帰できる仕組みづくり、出産育児への手厚い支援、家族で団らんできるよう法定労働時間を変える。(フランスは週35時間残業なし、日本は当時で週60時間残業あり)
 晩婚化にどう対処するか等々である。
 出産も結婚も、背景に経済的不安があるから、景気回復が急務と述べている。
 そして、「結婚し、子を産み、育てる」ことに、みんなが夢と希望を持つことが大切だと強調している。
 福沢諭吉の言葉を最後に引用して、「子を一人前にし、立派な父母になるよう教育せよ」と結んでいるのだ。

 私達の時代まで、本当に貧乏な暮らしが当たり前であった。そんな中、何人も子供を産み、苦しくても育てることが喜びであり生き甲斐であった。
 政治や行政が出産や育児に様々な支援をすることは大事だが、何よりも必要なことは、「産み育てることが喜び」と感じられる人たちをどう増やすかと言うことではないか。やっぱり行き着くところは教育なのだ。
 「全部揃えました。どうぞ産んでください」。そんな横着なことでいいのかなと、私は素朴に思うのだがこうした思いを抱くのは、古いのだろうか。

第272号 「元気に節分豆まき」

深谷隆司の言いたい放題 第272号
「元気に節分豆まき」

 2月3日、節分の日、午前中は浅草寺、3時からは文京区の護国寺で私は豆をまいた。
 若い頃は、招かれるままに、7〜8か所も回ったこともあったが、終わる頃はもう真っ暗で、疲れ切っていたことを覚えている。
 大体、節分の豆まきは「年男」と決まっているのだが、政治家だからそんなことは言ってられなかった。
 自前の裃姿だが、これは若い頃、浅草の2軒の料亭の女将からもらったもの、だから2着もある。
 今はその店も無いが、粋で、気風のいい人たち、いわゆる贔屓筋の人達が、昔は居たものである。
 今、自前の裃を持っている人はざらにはいないのではないか、着るたびに秘かな自慢なのである。

 余談になるが、私が27歳で初当選した時、台東区橋場に住んでいた大谷重工の創設者大谷米太郎翁が健在で、赤坂の大谷庭園にテントを張り、当選議員全部を招き、浅草の芸者衆総出で祝賀会を開いてくれたものだ。
 後にホテルニュ―オータニはその場所に建てられた。
 今では考えられないような、大らかで剛毅な時代であったのだ。

 私が行動する時は、いつも誰かが付き人になって一緒についてくれる。今回も中屋、和泉、石塚、桑原君らが世話をしてくれた。まるで老人介護だなと冗談を言いつつも、こころ楽しかった。

 折角だから、少し薀蓄を傾けることにする。
 そもそも節分とは、文字通り季節を分けるということで、立春、立夏、立秋、立冬と各季節の始まる日の前日に豆をまく。季節の変わり目に邪気(鬼)が生ずるので、これを追い払う行事が出来た。本来は宮中行事であったが、室町時代ごろから庶民の豆をまく行事が定着したようである。だから600年以上も続いているのだ。
 なんで豆をまくのか、「魔滅」ということで1年の無病息災を願うというのだ。五穀の中で収穫量も多いし、蒔く時、音も粒の大きさも丁度いいという事らしい。豆を炒るのは、芽が出ることが不都合だからで、聞いてみればなんという訳でもない。

 私の豆をまく勇姿?を見ようと、女房をはじめ家族が「追っかけ」になる。
 終る頃、みんな集まれとの私の大号令で、今年も恒例の「浅草むぎとろ」で30人以上も集まってにぎやかな宴会となった。
 松が根親方夫婦(高田みずえさん)、有名なクラリネット奏者の花岡詠二夫妻、北岡夫婦、津覇さん、八木さんなどに、付き人達、そして家族一同である。
 松が根親方も豆まきの帰りだが、お相撲さんは四股を踏むようにして鬼を退治するということで、この日は引っ張りだこなのである。

 去年もそうだが、途中から、麦とろの女将さんや3代目から、「せっかくですから各部屋で豆をまいてくれませんか、先生が顔を見せてくれれば、お客さんが喜びますから」と煽てられて、結局全部の部屋を回った。
 松が根親方も高田みずえさんもいい人だから一緒についてくれた。
 最初に入った部屋は、なんと毒蝮三太夫さんの部屋、私の熱心な応援者肥田木さん夫婦と会食中であった。 
 彼は亡くなった談志さんの親友で、私とも旧知の中、何度も選挙応援に来てくれた。地元の東泉小学校、竜泉中学校の卒業生だ。「俺も一緒に回るよ」となった。
 洒落で、私が「弟子を連れてきた」と言って入ろうとなったが、何とも豪華な顔ぶれで、どの部屋もやんやの大喝采であった。

 やっと自分の部屋に戻って、今度は花岡さんのクラリネットで私が弾き語りだ。芸術家とはおもしろいもので、じっとして居られなくて自分から何かやろうと言い出してくれるのだ。

 この夜も随分飲んだな…。
 人間大好き、特に親しい人たちと飲み語らうのが私の最大の楽しみである。
 丁度、前日、山口病院の院長先生の定期健診で、「合格」と言われただけに一層気分よく酔えた。

 さあ、厄も無事追い払った。
 今年も頑張っていこうと、二日酔いの気配もなく、爽やかな心で、一人張り切っている私であった。

第273号 「政経塾、もう最終の講義」

深谷隆司の言いたい放題 第273号
「政経塾、もう最終の講義」

 昨日(2月7日)、自民党政経塾6回生の最終授業が終わった。
 今期も160人を超える生徒が参加し、熱心に塾生活を楽しんでくれたようだが、もう1年が過ぎてしまったのかと、時の流れのあまりに速いことに驚いている。
 最後の講義だから、いつもより熱が入る.今回は日本の少子高齢化社会の問題を中心に話した。

 今年1月31日に国立社会保障・人口問題研究所があと50年経つと日本の人口が、今の3分の2になると発表したが、少子高齢化でお先真っ暗といった塩梅の報道ばかりが続いて、面白くないと思っていた。
 人口が減っていくことなど、私はとっくの昔から予測し、その対策を何度も提言し、具体的な形になったものも多い。
 11年前の選挙の最大のテーマも、この問題が中心であったし、6年前に在職25年表彰を受けた時の国会演説も、この問題を論じているのだ。

 100年前の日本の人口は4385万人であった。これから100年後には6000万人になると語ったのは自民党三多摩議員連盟での私の講演で、これも5年前のことだ。
 日本のあらゆる制度や仕組みは、右肩上がりの人口増を基にして作られてきた。これが逆になれば年金も医療制度も破綻するのは当たり前の事なのだ。
 では駄目なのかと言えば決してそうではない。
 少子化問題も、スエーデンや、フランスのように、様々な対策をきちんと立て、実行すれば克服できるのだ。やれるかどうかは挙げて政治の問題だが、それが出来ない民主党政権になったことが不幸だったのだ。
 このわずか数年の間に、日本はなんと夢の無い弱い国になってしまったのか。
 勿論、大震災などが影響したことも確かだが、政治の無気力、無能さが、日本の将来に大きな影を落としたことは否めない事実である。

 一番、不愉快なのは、世界一長寿になったことが、まるでよくないといった風潮だ。
 「逆転の発想」とまでは言わないが、本来、長寿は喜ぶべきことではないか。
 日本の高齢者と言われる人たちは、世界のどの国よりも、経済・社会活動への参加意欲がずば抜けて高い。しかも、それに見合うだけの知識と経験を持っている。
 これこそ日本の美徳であり、「国力」と言うべきだはないか。
 その活力を活かさなくてどうするのか。
 国連が65歳以上で、高齢化社会と定義したのは、50年以上前のことである。あれから医学の進歩や環境の変化で、人間の寿命はすっかり延びた。
 今の70歳は一世代前の50代半ばと同じなのである。

 重ねて言うが、今の高齢者を巡る議論は年金、医療制度といった個別各論ばかりで(勿論これも大事だが)高齢者の美徳、「国力」をどう活かすかという議論は全くと言ってよいほどないのだ。
 この貴重な「国力」を生かして、新たなサービス、技術、社会システムを生み出して、国全体の競争力を強化させることは決して不可能なことではない。
 高齢化問題は世界各国が直面している問題である。
 だからこそ、日本が良きお手本を作り、世界を先導していくべきなのだ。
 思わず熱弁になったが、塾生から拍手が沸いた。

 全ての講義が終わって帰ろうとすると、何人かの女性が追いかけてきて、バレンタインデーのチョコレートをくれた。今年最初のチョコレートのプレゼントだ。
 私は幸せものだとしみじみ思った。

第274号 「古い仲間たちと」

深谷隆司の言いたい放題 第274号
「古い仲間たちと」

 2月8日、久しぶりに隆青会の会合があった。
 浅草国際通りにある「だんまや」という居酒屋だったが、この店の主人は会のメンバーで、親子で頑張っている。

だんまや水産 浅草国際通り店
台東区浅草1-10-5 TEL5246-6310

 この会は、私が昭和51年、2度目の衆議院選挙で、わずか1000票差で敗れた後、若い力を結集して再起を期そうと結成された会で、会長は丸山幸秀君(現台東区監査委員)であった。今の会長は澤田隆晴君だ。以来、実に36年も続いている。
 最も、みんなその分、歳を取って60代以上のメンバーとなって、孫もいる。「青」と言う字を取らなければなどと言ってはいるが、心はみんな青春だからと、歌の題名ではないが相変わらず「昔の名前で出ています」を通している。

 私を通して政治に直接かかわってきた連中だから、当然、話題は政治の話になる。
 「政権交代して、この国は少しでもよくなったのか。全く逆ではないか。近頃は、すっかり日本は衰退しているような気がしてならない」。
 「公約違反ばかりだし、何よりも人材不足で、大臣など無能揃いで目も当てられない」
 「大体、自民党もどうかしている。馬鹿大臣相手なのはわかるが、まるでクイズ番組のように質問して、なんだか苛めているようだ」。
 「この前の選挙の時、73歳以上の候補者には比例がつかなかった。なんだか高齢者を軽視しているのではないか」
 「年配者を追い出せば、自民党の人気が上がるなどと考えていたなら大間違いだ。若い未熟な人ばかりで全く頼りない。むしろ、経験を積んだ意欲的なベテランがいないから、自民党は魅力をなくしているのだ」。
 「やっぱり深谷さんの出番だ。おれたちでもうひと肌脱ぐから頑張ってほしい」。
 参加者70人余り、久しぶりに各テーブルを回って飲んだが、結局、行き着く話はこんな具合であった。
 元気のいい連中に励まされて、私の青春の血が騒いだ。
 もっとも心のなかでは、せめてあと10年若かったらなと思って、何となく残念ではあったが・・・。

 2次会は、メンバーの中の和泉台東区議会議員が倅と始めた店に出かけた。
 「バール・ブロー・イースト」と洒落た名前を付けているが、西洋風?バーだ。
台東区東浅草1-20-9 TEL3876-3662
安くてうまいから2次会にはもってこいの店である。
 この日は、中屋都議や寺井、石塚、太田、田中君ら、何人かの若い区議が来ていたが、世間が思うほど彼らの給料は高くない。下町は冠婚葬祭、各種会合も多くお金がかかるから、ほとんどの嫁さんはパートで働いている。
 苦労している、そんな姿を一番知っているのが私だ。
 それでも頑張れるのは、彼等には夢があり、そこに向かって進むことが生きがいだからだ。大事に育ててあげたいものである。
  和泉君もそんなこともあって店を出したのだが、なかなか思うほどには客は来ないのではないかと心配だ。
 今夜は仲間が大勢で押しかけたから、その事も嬉しかった。

 私にとって、楽しい思い出に残る1日であった。

第275号 「米軍再編見直しの不安」

深谷隆司の言いたい放題 第275号
「米軍再編見直しの不安」

 2月8日、日米政府は沖縄の海兵隊のグアム移転と米軍嘉手納基地以南の米軍5施設の返還を先行させ、普天間飛行場移設から切り離す方針を発表した。
 これは2006年の日米合意を見直すということだが、パッケージ解体で、一つ間違えれば普天間飛行場の固定化になりかねないとの懸念が残る。
 5施設の返還は約8千人の在沖縄海兵隊のグアム移転が前提である。米側は移転規模を約4700人に圧縮するとしているから、5施設すべて返還する保証はない。
 しかも、残る3300人を分散移転させるというが、在日米軍岩国基地への移転が打診されているという。
 新たな火種になるばかりでなく、国内移転となれば日本側の全額負担になる可能性も高い。
 益々、危うい状況になりそうで心配である。

 今になって、鳩山氏は「沖縄にご迷惑をかけた。沖縄の皆さんに理解される解決策を模索しなければならない」などと、間の抜けた発言をしているが、今日の混乱は全て彼の軽はずみな発言から起こったのだ。
 選挙目当てに、「最低でも県外」と言い、すっかり沖縄県民をその気にさせてしまった。
 行き詰まった鳩山氏は、「沖縄の抑止力を学んだ」と、馬鹿な発言をして元の日米合意に戻ってしまった。
 
 一番気の毒だったのが仲井真弘多知事だ。
 保守系知事として、県民の反発を承知の上で、国家的判断から県内移転を容認していた。しかし、鳩山氏にはしごを外され、県外移転の圧倒的な流れの中で、再選を掛けた10年11月の選挙で、県外移設へ舵を切らざるを得なくなってしまったのである。
 
 相次ぐ沖縄防衛局長の不適切発言も含めて、もはや民主党政権でのこの問題の解決など、全く不可能となってしまった。
 石原自民党幹事長の言うように、世界で一番危険な普天間を移転させることが我々の重要な仕事であったのに、全てはぶち壊されたと言った思いである。
 しかもこんな難しい時に、こともあろうに「無能」、いやマスコミ曰く「無脳」大臣だ。これでは絶対に駄目だ。
 せめて早くこの大臣を更迭させることを考えるべきなのだが、首に出来ないのだろうか。

 そんなことさえ出来ないのなら、野田首相自身が辞めるべきだと思うが・・・・。

第276号「瓦礫処理反対の神奈川県対話集会」

深谷隆司の言いたい放題 第276号
「瓦礫処理反対の神奈川県対話集会」

 私の郵政大臣の時代から、親しくしている仙台の郵政局OB竹内廣氏から、次のような手紙が来た。
 「被災後11ケ月経ちました。復興に向けて目に見えて進んでいる実感はありません。瓦礫の処理ひとつとってみても悲惨です。あの「頑張れ東北!」「心ひとつに再生!」なんて励まされたのは夢でしょうか。原発とは別の岩手県宮古市の瓦礫処理について、神奈川県の集会で飛び交う怒号、罵声紛糾の猛反対。あくまで「お願いする」立場の東北は切なく悲しい気持で一杯です。(石原都政は別ですが)。復興庁もスタート、宮城県でも仙台市に地方分局が設置されましたが、各省庁にまたがる調整など、今の腰抜け政府を見ていると、スピードある実行と調整は全く期待していません。こんなに国民に期待されていない政府もまさに異常です。」

 今年の2月4日の神奈川の住民対話集会の模様は、私もテレビで見ていたが、本当に情けないくらいに酷かった。受け入れ方針を示した黒岩祐治知事が一生懸命に安全性を説明しているのに、聞く耳持たずといった具合で、野次と怒号で度々中断される始末であった。「なんで東電の尻拭いを神奈川がするのか」、「岩手知事になったらいい」と言いたい放題であった。
 瓦礫処理ではすでに東京都は進めていて、25年までに岩手、宮城の瓦礫50万トンを処理する方針である。
 昨年11月の記者会見で、都民の反対の声について聞かれると、石原都知事は「なんでもないものを持ってくるのだから、黙れと言えばいい」と答えている。
 東北以外の自治体で初めて受け入れたのが東京である。
 国の安全基準(焼却灰の放射性セシュウム濃度1キロあたり8000ベクレル以下)を厳格に測定しながら作業にあたっているのが東京である。
 石原知事の勇気ある英断に感心するが、神奈川の場合は、東京よりはるかに厳しくしているのだが、その後の集会でも状況は変わらないのだ。
 受け入れる自治体は今のところ見当たらないから、神奈川の人達だけを責めるわけにもいかないが、被災地の人達の事を考えると、あまりにも心無い発言ばかりで不愉快であった。
 前にも書いたが「絆」という言葉が流行ってはいるが、本物ではないということである。
 きれいごとはもう沢山だ。本気で被災地の事を、国も国民も考え、真の救いの手をさしのべなければいけないと強く思った。

第277号「沖縄問題の行くえ」

深谷隆司の言いたい放題 第277号
「沖縄問題の行くえ」

 沖縄県宜野湾市長選挙で、自公の佐喜真淳氏が当選した。
 防衛局長の「講話」が選挙行動ではないかと大問題になった後で、どうなるのかと注目を集めていただけに、少しはほっとした思いはする。
 しかし、手ばなしで喜ぶのはまだ早い。
 彼は市議時代、自民党政府が進めてきた県内移設に理解を示してきた。
 だがこの選挙では、明確に「県外移設」を主張しているのだ。
 この主張は仲井真知事も同じで、2010年の知事選挙では、「県民の心を一つにして県外移設を実現していく」と訴えている。彼も前には名護市辺野古に理解を持っていた人である。
 気持ちの中では、いまも理解はしていると思われるのだが、よほどのことが無い限り、振り上げたこぶしを下ろすことは容易ではない。
 いわば、二人とも県民の反対を承知の上で、かつては政府案に協力してくれていたのだが、民主党政権になって、勝手に梯子を無責任にも外されてしまったのだ。
 「最悪でも県外」と、時の総理大臣が公式に述べれば、みんなその方がいいのだから流れは一気に「県外移転」の大合唱となるのは当然の事、全ては鳩山由紀夫元総理大臣が元凶なのだ。
 今頃、アメリカの抑止力が分かったなど弁解しても許されない。世が世なら切腹ものなのである。
 軽々しい大臣の発言が国を滅ぼす、改めて、その怖さを我々は噛みしめなければならないと思う。

 今、中国の海洋進出は極めて激しいものがあり、沿岸諸国はみんなその危機感を持っている。持っていないのは日本だけと言っても過言ではない。
 中国の狙いは、日本列島から、サイパン、グアムをつなぎ南シナ海を含む西太平洋海域を自由に活動できる体制をつくろうとしていることだ。
 中国がこうした考えで外洋に出る場合、厭でも沖縄は真正面に位置している。今、南西諸島の海域を中国海軍の艦船は自由に通行しているが、こんな危ない状況になっているのが現実なのである。
 日本全体の安全保障を考えても、いや沖縄自体の安全を考えても、沖縄の基地を中心にした、アメリカの抑止力に頼らなければならないことは確かなのである。

 アメリカは、中国の動きに対して、海域全体に新たな態勢を整えようとしている。グアムを中核にしてオーストラリアやフィリピンに軍を配置する戦略である。
 ところが日本は両国で合意した約束を一向に果たそうとせず、普天間問題はそのまま動かない。
 アメリカ議会も、こうした状況から移転のための予算を拒否している。予算を通すためにも海兵隊の移転と普天間移設のパッケージを切り離し、早く再編を進めなければと判断したに違いない。
 日本には自主防衛の能力も意欲も無い。
 アメリカに日本を守ってもらうということは、言い換えれば、アメリカの若い人たちの命を糧にするということなのだが、そんなことを考える人は少ない。平和ボケと言う人がいるが、まさにそうだと思う。

 このままなら普天間飛行場は取り残されるに決まっている。
 8年もかけてあらゆる角度から検討した答えが辺野古であった。どう考えても他に移転先は無い。
 知事や市長を動かすためにも大事なことは、政府が誠実に、果敢に、全責任を持って対応することだ。野田総理自ら交渉の場に立つべきなのだ。
 はっきり言って、あんな防衛大臣では絶対無理だ。すぐ変えなければ、沖縄県民の拒絶反応は消えない。
 ああ・・、駄目な世の中になったものだな・・・。

第278号「孫の卒業式」

深谷隆司の言いたい放題 第278号
「孫の卒業式」

 2月18日、今朝は珍しく8時20分に女房と家を出た。
 この日、9時半から行われる孫安希与の修了証書授与式に参列するためである。
 私には香瑠、麻紀、隆仁、骭ウに彼女を加えて5人の孫がいる。なにも全部の名前を書かなくてもいいのだが、公平さを欠くと、悲しむ子が出るからで、おじいちゃんのそのあたりの気配りは徹底している?のだ。
 最年長の安希与が聖心女子学院高等部を卒業するのだが、
 彼女が中等部に入学したのが6年前、時の流れの速さに改めて驚いている。

 保護者全員が席に着くと、ホール後方の左右のドアから卒業生が入場する。丁度、私のすぐ横の階段を孫が通る、いいタイミングだ。
 国家斉唱の後、生徒全員の名前が呼ばれ起立する。孫の小さな動きも見逃すまいと目で追う。やがて4人ずつ登壇して校長先生から修了証書を受け取るのだが、実にスムースで、きっと、夫々の名前は入ってはいないだろうなと、つまらぬことを想像したりしていた。
 校長先生の挨拶、在校生の「送る言葉」と進むと、生徒たちは早くも涙を流し始めている。
 続いて送別の歌が在校生で合唱された。

 「朝に夕べに我らが手とり 正しき方へと導きましし 
 尊き姉君  今行きますか
 残れる我らの多くはあれど 淋しや淋しや 君いまさねば  尊き姉君  今行きますか
 折り折りかえりて学び舎見ませ 見まして我らを慰め給え   
 栄えは果てなき 姉君たちよ」

 「今 行きますか」あたりで、もう駄目だ。こうなると今度は私の方が堪らない。老眼を外して何度も涙を拭いた。別に恥ずかしくは無い。女房も娘も、そしてまわりの保護者もみんな泣いていたから・・・。
 卒業生代表の感謝の言葉も途切れがちではあったが、見事に読み上げた。
 私は正則高校の後援会長を何十年もやってきて、卒業式では必ずお祝いの言葉を送ってきたが、質実剛健を謳う男子校とこうも雰囲気が違うかと思った。
 乙女たちの楚々と泣く姿は、純粋で可愛くて、いじらしい。
 この子たちが、少しでも幸せになって欲しいと心から願わずにはいられなかった。
 同時に、今の政治のあり様を考えて、本当に大丈夫なのだろうかと、いら立ちにも似た思いを抱くのであった。
 
 この学校を出られたのは美智子妃殿下だが、折から、天皇陛下は東大病院で心臓のバイパス手術をお受けになっておられる。
 あの大震災以来、自らのお身体を省みず、被災者へのお見舞いの旅を続けられた。そのご心労が、余計に悪影響をもたらしたのではないかと心が痛む。
 式典の後、聖堂に場所を移して卒業感謝のミサが行われた。
 私はクリスチャンではないから、あまりミサには馴染めないのだが、今日ばかりは孫の為と頑張った。そして、同時に、陛下のご無事を祈願できると思った。
 手術が成功して、一日も早く回復していただきますように…。
 アーメン

第279号「元少年の死刑確定に思う」

深谷隆司の言いたい放題 第279号
「元少年の死刑確定に思う」

 山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件で最高裁は、上告を棄却する判決を言い渡し事実上の死刑が決定した。
 1審、2審は被告が立ち直る可能性を重視して無期懲役としたが、2002年に最高裁が「少年であることは死刑を回避すべき決定的事情ではない」と述べ、無期懲役判決を破棄した。
 差し戻し後の2審判決は死刑としたため、今回の2度目の最高裁の判断が注目され、この数日間は、マスコミの話題を集めていた。
 犯行時、大月被告は18歳1か月であったが、本村洋さんの妻を絞殺強姦、11か月の赤ちゃんを床にたたきつけ更に首を絞めて殺害するなど、書くことさえためらうほど、冷酷、残忍、非人間的犯罪であった。
 しかも、知人に出した手紙も含めて、全く反省も見られなかった。
 被告についた弁護士が必死に庇っていたが、如何に弁護士の商売とはいえ、よくそんな理屈が言えると思うほど、勝手な言い分であった。
 もっぱら、18歳になったばかりではないかということが争点であったが、法律は規定道理に判断するのは当然で、この判決は正しかったと確信している。

 そもそも少年法そのものが、甘くできていると私はかねてから主張してきた。
 旧少年法は大正11年に作られたものであったが、第2次大戦後の昭和23年、GHQ指導の下、シカゴの少年犯罪法を参考に全面的に改正されたものである。
 時代が変わって、当時の状況を知る人も少なくなったが、あの頃の国内の混乱ぶりは今の人には想像もつかないものであった。
 私が満州から引き揚げてきた頃の上野など、親を失った浮浪児がごろごろたむろしていて、生きていくために食糧品の盗みかっぱらいは当たり前といった状況であった。
 窃盗、強盗などの少年犯罪は激増し、大人の犯罪に巻き込まれるケースも多かった。
 少年犯罪は、少年自身の問題というよりは、むしろ社会全体の責任に関わる問題であったのだ。
 だから、少年犯罪法は、もっぱら非行少年の保護や再教育の為に作られたと言っていい。
 厳密に言えば、犯人に処罰を与える目的ではなかったと言って、決していい過ぎではなかったのだ。
 近年の少年犯罪の凶悪化、低年齢化を考慮すれば、この少年法は改正しなければならないと思い、私自身、動いたこともある。その結果、2007年11月、少年院に送致する年齢を14歳以上であったものを、おおむね12歳以上と引き下げる1部改正を実現している。

 51条1項によれば、死刑と判断した場合でも18歳未満であれば無期懲役としなければならないとある。2項では無期刑の場合でも10年以上15年以下の有期刑に出来るとするとなっている。
 最高裁の判断が、もし、無期懲役を肯定するものであったら、この被告は時を経ずして社会に舞い戻ってくる。
 法律は国家国民の安全安心を守るためのもの、本当に危ないところだったと胸をなでおろしている。

 本村さんは、この13年間、複雑な思いで極刑を求めてきた。今、その願いは実現したが、決して心休まることは無いであろう。妻も子も再び帰っては来ないのだから・・・。
 今日初めて、彼は再婚していたとニュースで聞いて、少し戸惑ったが、まあ、それはそれでいいのかも知れないと思い直すことにしている。

第280号「『言うだけ番長』って本当の事では?」

深谷隆司の言いたい放題 第280号
「『言うだけ番長』って本当の事では?

 23日の記者会見で、民主党の前原誠司政調会長が、産経新聞記者の取材拒否を宣言したが、これは全く呆れたことで、なんと幼稚なことを言うのかと驚いた。
 事実を歪曲して、嘘の報道をしたのなら、けしからんことだが、いつも色々言う割には、その後ウヤムヤに終わらす癖がある前原氏、むしろ、決して間違った記事ではないのにと思った。

 私が一番印象に残っているのは、群馬県の八ッ場ダムの建設を凍結した問題である。
 国土交通大臣に就任して最初に華々しく打ち出したのだが、それまでの経過や用途も、又、掛かった莫大な費用も、止めた場合の契約違反による弁償も、何も考慮せずの独断であった。
 早速、各所から反対ののろしが上がった。
 結局、ダムはその後、建設再開となったのだが、前原氏も不承不承ではあろうが、最後はこれを受け入れている。責任をもって言ったのだから、身体を張ってでも止めるのが筋というものではないか。
 政調会長就任早々、アメリカに行って、「武器輸出三原則を見直したい」と発言した。
 早速、何も聞かされていない党内から、「前原の勝手な独断専行」と反発が起こり、これを許すなという激しい声となった。その後、彼はすっかり鳴りを潜めているが、やっぱリ言うだけで終わっているのだ。
 例を上げようと思えば枚挙に暇がない。
 「言うだけ番長」とはよく言ったものだと、むしろ感心するくらいなのである。
 何でも「夕焼け番長」という漫画からとったらしいが、私はそのような本は知らない。しかし、漫画の主役なんだから名誉なことではないか。

 私は、自民党政権の時代、党三役の総務会長を務めた。そこには「番記者」がいつもいて、多いときは20人もの記者に囲まれていた。
 私の場合、彼等とはすっかり親しくなって、いつも私を庇い、支えてくれるような存在になっていた。悪口を書くような人は皆無であった。もっとも、大事なことは、書かれるようなヘマをしないことだが・・・。
 勿論、政策的なことも詳しく正確に伝えて、彼らが正しい記事を書けるようにしたものであある。
 あの頃の記者達は、今でも長い交流を続けてくれている。
 要は信頼関係をどう構築していくかという事で、これは大臣の時も同じであった。
 トップに立つもの、役人も新聞記者も自家薬籠中の物にしていく器量が大事なのである。

 私の友人の政治評論家三宅久之氏が、いみじくも述べていたが、特定の報道機関の記者を締め出すことは、政党助成金を受けている公党の要職にある者として、取るべき態度ではない。
 記者には取材する権利があり、税を納めている国民には知る権利があるということなのだ。
 これで前原氏、「言葉だけで結果の伴わない人」とレッテルが張られることになった。 
 まあ、重ねて言うが、前原氏、政治的にまったく幼稚、これでは天下を取ろうなど、とても考えられないことなのである。

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