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第261号 「明けましておめでとうございます」

深谷隆司の言いたい放題 第261号
「明けましておめでとうございます」

 明けましておめでとうございます。新しい年をどのようにお迎えでしょうか。
 まずは、貴方の本年のご多幸をお祈り申し上げます。
 それにしても昨年は大変な年でありました。東日本大震災に始まって、ようやく何事もなく終わるかと思っていたら、北朝鮮も金正日総書記の突然の死去です。葬儀の状況を見ましたが、泣き叫ぶ国民の異常さが気になります。そうしないと官憲の目が厳しくて、何をされるか分らないというという恐怖心、猜疑心の表れと言う専門家もいます。
 20歳台の後継者で、この国の独裁政治を続けていけるのか、毎年100万トンもお米が足りなくて、優遇されている筈の軍人でさえ、やせ細った姿が映像で送られてきています。
 経済は極度に悪く、いつ暴動が起こってもおかしくない状況でもあります。独裁国家は、国内の不満から目をそらさせるために、他国に戦争を仕掛けることさえあります。その上、核兵器だけは完成しているというのですから恐ろしい限りです。
 国内で大混乱になった時、20万人以上の難民が日本に押し寄せてくる可能性があるとも言われております。
 いずれにしても、今年は北朝鮮の動向にしっかりと目を向け、どんな時でも対応できるような態勢を作っていかなければならないと思います。
 このような時代、最も大事なことは日本の国内の政治がしっかりしていなければならないということです。
 わずか2年で3人も総理が代わった民主党、今度の野田首相も、増税ありきで、離党議員まで出るお粗末さです。
 本当に大丈夫なのか心配でたまりません。せめて解散選挙でもやって、もう一度政権交代させたいものですが、こうなるとかえって居座って任期いっぱいなどということになるのではないでしょうか。
 肝心の自民党も頼りなくて、支持率は相変わらずの低迷状態です。まあ、この際はじっくりと腰を据えて、真の国民政党に脱皮するように努めて欲しいものです。
 このような時代、大事なことは自分のことは自分で守るということです。その為には何と言っても健康第一、今年はまず健康であることを最大の目標にしませんか。
 おかげさまで私は心身ともに極めて順調です。妻や家族も同様です。妙に欲が無いということが秘訣なのでしょうか。
 今、私がやろうとしている仕事は、この4月前後に10冊目の本を出版することです。
 その為に昨年の暮れから、少しでも時間があれば原稿書きに明け暮れています。
 内容は、いわば私の回想録と言ったもので、「長いドラマの、初めと終わり」とでも題名をつけましょうか。まだ決めてはおりませんが 乞うご期待、です。
 重ねてあなたのご多幸をお祈りして新年のご挨拶といたします。

第262号 「あわただしい新年」

深谷隆司の言いたい放題 第262号
「あわただしい新年」

 各所で開かれる新年会に、出来るだけ顔を出そうと飛び回っている。その上、沢山の年賀状の整理と返信だ。更に今年の3月をめどに10冊目の本を出そうとしているのだから、今年は新年早々から多忙を極めている。
 地元3区主催の新年会で、一番盛り上がっていたのは中央区で、まさにこの区を支えている有力者が勢ぞろいしている感じであった。文京区は場所をドームホテルにした所為か、それなりに賑やかであった。
 気のせいか台東区は、少し元気さに欠けていたように思える。参加している人の顔ぶれも団体の人が多いようで、町の役員が大挙して集まったという風ではない。スカイツリーの完成間近で、ここの客をどう台東区へ誘導していくか、これからの区の発展にとって重要な時期を迎えているのだから、もっと活気があっていいのではないかと思った。

 3区とも新年会に出て一番困ったのは、会う人たちが私を見かけると、「いよいよ選挙の時期が近いですね。頑張りましょう」と励ましてくれることだ。有難くうれしいのだが、今、何と答えていいのか戸惑ったりしていた。

 年賀状の整理は楽しい。出来るだけ自筆を添えるのだが、しまいには腱鞘炎になりそうだ。中には「とうとう車椅子になりました」と悲しい内容もある。
 その方の元気だった頃を思い浮かべて年月の流れの速さを痛感したりしている。みんな健康で長生きして欲しいと祈らずにはいられない。

 今日、今度出す本の打ち合わせに産経新聞出版の担当者が来宅してくれた。
 今まで出した本の中で、昭和58年3月に出版した「深谷隆司のさわやかトーク」があるが、これは当時サンケイ出版といった同列の会社からである。
 この本の帯を見て驚いた。まさに今日亡くなったことが報道された、ミュンヘンオリンピック男子バレー優勝監督松平康隆氏が私の為に推薦文を書いてくれていたのである。
 「深谷さんは、江戸っ子気質のたいへん正直で一本気の政治家である。ひたむきでエネルギッシュな行動力には、男も惚れる。そのくせいつも、人を思いやるやさしい気持ちを忘れない。
 裸一貫からの七転び八起きの人生・・・、この苦労はきっと「政治家の金メダル」への道につながるだろう。人の心の痛みがわかる、こんな深谷さんが私は好きだ。」
 今、こうして、この文章を打ちながら、不覚にも私は声を殺して泣いた。
 一体、私は彼の期待に応えて「政治家としての金メダル」を手にしたのであろうか。
 在職25年表彰も、旭日大綬章も頂いた。しかし、それが金メダルなのだろうか、私にはわからない。
 まだまだやるべきことは沢山ある。これからの人生の中で、たとえ立場はどうあれ、ともかく精一杯努力するのみだと、自分に言い聞かせていた。

 今日の新聞に菊竹清訓さんの死去も報じられている。
 大阪万博のエキスポタワーや東京博物館などで知られる世界的建築家である。文京区に住んでいた、私にとって自慢の応援者の一人であった。
 出雲大社庁の社は彼の作品の一つだが、わざわざ見に行ったこともある。最近はお会いする機会が無かったが、83歳であった。
 周囲で次々と知人が無くなっていく。寂しさが一層つのる。     合掌

第263号 「菅前総理と会う」

深谷隆司の言いたい放題 第263号
「菅前総理と会う」

 1月6日、東京都健康保険組合の新年会に出席した。東総協と東振協と呼ばれる団体だが中小企業を中心とした85の健保組合で、被保険者数425万を数える大きなものである。
 かつては極めて順調に推移してきたのだが、2008年度より実施の高齢者医療制度が始まり、過重な負担金もあって巨額な赤字計上となって、今や財政危機に陥り大変な苦労を強いられている。
 
 かなり前からこの団体の来賓は、なぜか私と菅直人氏であった。数々の大臣を務めたから当然私が上座であったが、近頃はこちらが無冠で彼はなんと総理大臣、政権交代の故とはいえ立場は逆転している。
 この日は私が最初に来ていて、後から彼が来た。
 来賓祝辞の段になって、主催者側が気を使い、「お出でになった順にご挨拶を」と言って私を指名しようとしてくれた。
 私は、「いえ、どうぞ菅さんからお先に」と言うと司会者は戸惑いながらも菅さんを指名した。
 演壇に立った彼、「先に深谷先生が来ておられるのにご厚意で譲っていただいた。深谷先生、ありがとうございます」と丁寧な言葉、おまけに挨拶が終わると、かなり離れている場所にいる私のところまで来て、「ありがとうございます」と握手を求めてくるではないか。
 今度は戸惑うのが私の方であった。
 彼は、いつも普通の応対ではあったが、そんなに丁重な態度をとる人ではなかった。やっぱり、総理として苦労して人間が変わったのかと驚かされた。
 今、私は3月の終わりか4月に出す予定の次の本を執筆中で、丁度、菅総理時代の問題点を、かなり辛辣に書いているところである。
 これでは筆が鈍るなと、ちょっと困った。

 次に私が挨拶に立って、「私は一昨年、旭日大綬章を拝受しました。皇居で、まず天皇陛下から勲章を直接賜り、勲記は菅総理から渡されました。
 今日、彼に順番を譲ったのは、その時の義理を返したのです」とやって大うけであった。
 この組合は財政赤字を解消する為に、昨年、保険料率を大幅に上げている。積立金を取り崩してもいるのだが、とても対応できる状態ではない。
 菅総理も挨拶の中で、「消費税を上げて対処するしかない、野田総理もこの件だけは譲れないと強く言っていた」と述べていた。
 少子高齢化が進む中、増え続ける高齢者医療費をどう負担してゆくのか、これはもっとも重要な課題である。
 現在、後期高齢者には、公費が5割投入されているが、前期高齢者(65歳〜74歳)にも投入することが必要であろう。
 増え続ける医療費の適正化対策を早く講じることも大切だ。
 我が国が誇る国民皆保険制度を維持してゆくためには、やはり、今進められている社会保障と税の一体改革は避けて通るわけにはいかないと私も思う。
 「ただし、その前に、いや同時でもいいが、国の無駄をとことん排除していかなければならない。
 この前、自民党の大島副総裁にも直接言ったが、まず国会議員の数を大幅に減らすべきだ。無駄な役にも立たない議員が近頃、ごろごろいるではないか。
 衆議院では定数480人だが、直接選挙区の300人にしたらいい。参議院も当然減らす。その後に公務員の大幅削減を断行すればいい。自ら痛みを分かち合わずにことを進めるのでは、公務員の、ましてや国民の理解が得られる筈がない。
 消費税を社会保障目的税として引き上げて、安定財源として確保するためには、まずこのことが先決ではないか。
 私が、今現職なら、議員提案でも何でもして、こうしたことを実現させるのだが・・・」
 久しぶりに、思わず挨拶に熱が入るのだった。

 新年会は大変だが、色々なことがあって参考になるし、それだけに面白い。
 また、頑張って回り続けるか・・・。

言いたい放題 第264号 「大盃の祝宴で思う」

深谷隆司の言いたい放題 第264号
「大盃の祝宴で思う」

 1月10日、江戸消防記念会第4区の恒例の大盃の祝賀の宴に参加した。
 椿山荘の大広間に役袢纏の60人もの組頭等が勢ぞろいしている。私も彼等から贈られた赤袢纏を着て上座に座る。袢纏はいわば彼らの制服で、いなせで粋でかっこいい。私は消防記念会の顧問なのだ。
 
 消防組織の一つとして、町人による「火消し」が生まれたのは、江戸享保3年(1718)のことで南奉行大岡忠相の主導によるとされている。
隅田川から西がいろは47組(後一組増える)、東の本所深川担当16組であった。
 私の選挙区でいえば、台東区が第5区、中央区は第1区、そして今回呼んでくれた第4区が文京区なのである。
 古いしきたりに従って、若い衆4人が大盃を恭県々しく掲げて、上座から左右分かれて、お酒を順次注いで、一人一人がこれを受けるのだ。まさに杯を交わす、なのだ。
 次に3人のベテランが立って、祝いに「木遣り」を歌う。なんとも言えないしぶい小節の効いた独特のものだ。もとは作業唄なのだが全部で110曲もあり、今では東京都指定無形文化財になっている。
 私の関係している日本ユニホームセンターという団体があるが、私が紹介したことから、新年には毎年呼んでくれて、「木遣り」を聞くことが恒例になっている。今年も5日に行われた。

 江戸消防記念会の大きなイベントは、1月6日の出初式だ。ここで木遣りや「梯子乗り」を披露する。今年は残念ながら初めて梯子乗りで失敗して、頭がい骨骨折という、怪我人を出してしまった。
 今年のこの大会には、福島第一原発事故で活躍した、最大23メートルの高さから放水する屈折放水車など、131台の最新鋭消防車が終結した

 大盃の新年会には江戸消防記念会の小宮名誉会長が来ていて、始まる前、私の自治大臣時代の話題で盛り上った。
 実は彼と共に創ったのが、緊急消防援助隊であり、さらに大きな話題になったレスキュー隊なのである。
 1995年に起こった阪神淡路大震災は、死者6,000人、負傷者40,000人、家屋被害40万棟という大災害となった。
 その8月、消防も担当する自治大臣に私が就任した。
その時まで、大災害や特殊災害の際の消防応援体制が出来ておらず、指揮統制や運用面などで沢山の課題が残されていた。
 この時に小宮さんらの協力を得て、新しい制度を作り確立したが、それが前述の緊急消防援助隊やレスキュー隊だったのである。今日の報道で、いざという時の為に更にもう1隊増やすという嬉しいニュースが流れていた。
 
「あの時、この組織の発足に当たって、大消防訓練を晴海でやったね」というと、小宮さん曰く「いや、東京ガス跡地です」。
 この頃私も少し耄碌したか、確かに豊洲であった。
 天皇陛下もご臨席いただいて、私はもっぱら後ろから説明役であった。とても寒い、寒風吹きすさぶ中で、私は天皇のお身体が気になって、「陛下、どうかコートを召してください」と何度も申し上げたが、「いや隊員の方が努力しているのですから」と、頑として応じてはくださらなかった。勿論、私もコート無しで長い時間我慢した。私だけ何故か風邪を引いたことを覚えている。
 
 木遣りに耳を傾けながら、ああ、随分長い道のりを歩んできたものだなと、感慨一入であった。

第265号 「小沢氏は政治家失格」

深谷隆司の言いたい放題 第265号
「小沢氏は政治家失格」

 2日間にわたる東京地裁による小沢一郎被告に対する被告人質問が終わった。
 後は4月にどのような判決が下りるのか、裁判官の結論を待つしかない。
 不思議なことに未だに無罪説がくすぶっているが、今回のやり取りを見ていると無罪などあり得ないと思うのだが、検事の不祥事もあるのでなかなか微妙な面もあるらしい。
 
 「私の関心は天下国家」と呆れるほどの大口をたたいたが、朝から晩まで国家国民の事を考えて暮らしているなど誰が信じるであろうか。
 「私の考えることは政局、自分の地位を守ること」とみんな思っているのだが、本人は気づいていないのである。
 そんなに国の事を心配しているというなら、せめて東日本の大震災の時、最も大きな被害を受けた地元に飛んで帰って、彼らを救済する為になぜ奔走しなかったのか。
 去る1月2日、小沢氏は震災後、初めて岩手県沿岸部に入ったが、遅すぎる。陸前高田市の会合では全戸に連絡したのに集まった人はわずか40人足らずであったという。
 今更、小澤さんに会ってもしょうがないというのが、仮設住宅で苦労を続けている人たちの本音だったのだ。

 「自分の関心事は国家国民の事、だから政治資金規正法に基づく収支報告書には関心が無い。そんな些細なことは秘書に任せればいいことで、だから目を通したこともない」と言ってのけた。
 一番けしからんことは、「大多数の国会議員は収支報告書にいちいち目を通すことは無いし、そこまでする必要はない」と断じたことだ.
 私は勿論、常に秘書から報告を受けて確認した上で、報告書を提出してきた。他の議員も同じである。
 政治資金規正法の趣旨は、民主主義の健全な発展のために、政治活動の中でお金がどのように動いたかを明確にさせるということにある。政治家の責任においてきちんと目を通すのが当たり前で、他の議員はみんな当然これを守っている。
 彼の発言を受けて、「けしからん、いい加減なことを言うな」と、誰かいうかと思っていたが誰もそのことに触れようとしない。
 小沢氏の発言にいちいち目くじら立てて応対しないという大人の判断なのか、
 それとも、そんな気力も気骨もなくなったのか・・・。
 
 彼は、法廷で虚偽記載の罪に問われているのに、問題の報告書を今に至っても目を通していないという。今まで自分の報告書の透明度に胸を張っていたのに、全く見もしないでそんなことがどうして言えるのか。
 4億円と言えば大金だが、その出所について、今まで政治献金とか銀行融資とかいろいろに言ってきたが、今回は個人資産と強調している。ならば何故銀行から融資を受けたのか、しかもその際には自分で署名もしている。
 矛盾だらけの答弁で、困ると「知らない」「記憶にない」の1点張りであった。
 国会での証言を一切拒み続け、事実は「法廷で述べる」と言ってきたが、その法廷でもついに、逃げの一手で何も真実を語ろうとしなかった。
 
 冒頭書いたように、全ては判決に待つしかないが、どう転んでも、彼が信頼し任せていたという3人の秘書らは、一審有罪判決を受けているのだから、政治家としての名誉回復などあり得ない。
 小沢氏はすでに政治家失格のレッテルを張られた人物、桧舞台から一刻も早く降りた方が本人のため、いや、彼の言う国家国民の為だと思うが如何か・・・・。 

第266号「新春に思うこと」

深谷隆司の言いたい放題 第266号
「新春に思うこと」

 1月は新年会で忙しい。昔ほどすべてに出ている訳ではないが、それでも連日だから大変だが、こんな時しか会えない人も多いいから出来るだけ頑張ろうと思っている。
 
 昨年の暮れから、10冊目になる本を書いている。
 いつも夢中になるたちだから、目覚めが早い時など朝4時から書き始めたりしている。
 一旦書き始めると時の立つのを忘れて、会合以外の時間は、ほとんどすべて書斎で過ごしてしまう。1日10時間以上も座りっぱなしのこともあった。腰も痛くなる。
 
 昨年12月、有名な作家門田泰明先生ご夫妻と食事をした。実は、何度もお誘いしたのだが、なかなか時間が取れなかった。忙しいからと言われたのだが、私から見れば、小説を書く手を少し休めればいいのにと思ったものだ。
 しかし、実際にこうして本を書き出すと、夢中になって書き続け、少しの時間も惜しくなってくる。
 新年会の時間が来ても、もう少しと粘って秘書を困らせている。今になって作家の心境がよく判るのだ。
 門田氏は腰痛にも苦しんだと聞いたが、これはいわゆる職業病であろう。
 してみると、今私は作家なのか。しかし、そうはいっても、このような暮らしを何年も続けられるかと考えたら、それは到底出来ないことだ。
 改めて小説家の苦労と大変な仕事ぶりに感心したものである。

 ところで話は変わるが 大震災の後だけに、被災地は新年会どころではないようだ。
 とても「新年おめでとう」という言葉を使うわけにはいかない。そこでみんなで相談して、「新年、有難う」と言うことにしたと、かの地の人から聞いた。
 なんという素敵な言葉であろうかと思った。
 あの厳しい災害の中で、東北人らしい粘りと逞しさを私達に見せてくれた。そして、誰も恨まず黙々と復興のために努力し続けている。
 彼らに寄せられた国内外の温かい支援に、ひたすら感謝して、「ありがとう」と素直に応える朴訥な人々に、むしろ私の方こそありがとうと言いたいくらいである。
 「絆」と言う言葉が定着したようだが、大災害の後、家族のありがたさを多くの人々は知った。地域との連帯の大切さも教えられた。そしてみんなでこの国を支え復興させようと思うようになった。
 世界の人々が礼儀正しい日本人の姿を見て絶賛している。確かに外国では、災害時、争って物資を奪い合う光景がしばしば見られる。日本人の場合、今回もそうだが略奪や暴動の類はない。
 戦後、経済の発展の陰で、道義が乱れてしまったように見られたが、まだまだ捨てたものではない。日本人の道徳観や連帯感はしっかりと根付いていて、このような国難の時、はっきりと目覚めるようであった。こうした日本人の美しい心を定着させる事こそ、私達の責任だと強く思った。
 さて、パソコン打ちはこのくらいにして、又、原稿書きに戻ろう。

第267号 「岡田克也副総理の突出発言」

深谷隆司の言いたい放題 第267号
「岡田克也副総理の突出発言」

 22日のテレビで、岡田氏は「年金制度の抜本改革の為に必要な財源は、今回の消費税10%には入っていない」と発言した。さらなる増税が必要と言うのだが、就任わずかな時間を考えると、十分な協議や検討がなされた上での発言とは到底考えられない。
 あくまで彼の個人的な考えを述べたのであろうが、こんな重要な事柄を、何の相談も無しに発言しても問題が無いほど厚遇されているのか。これでは誰が総理なのかわからなくなる。

 野田首相は、先の内閣改造は「最善かつ最強の布陣」と自賛していたが最大の目玉は岡田氏の起用であった。
 世論の消費税反発は次第に強まっているし、民主党内での意見集約もままならない。そこで、二枚看板になってもいいから岡田氏を起用して、彼の発信力を活用しようとしたのである。
 首相官邸に部屋を持たせ、秘書官を5人も付けた。財務、総務、厚生労働、内閣の4府から送り込まれた人たちだ。
 更に最高意思決定機関である政府・民主三役会議のメンバーにも入れ、政府の重要方針を決定する「国家戦略会議」にも参加させる予定である。
 
 15日のNHKの番組では、国会議員の歳費削減や政党交付金の削減に言及したが、これも政府与党内で調整された話ではなかった。いくら良い発言でも、政府与党内できちんとまとめていなければ「言いっぱなし」で終わってしまう。これでは無責任で、決して許されないことなのである。
 自民党の大島副総裁は「発言は慎重にした方がいい。副総理が直接動き回ると、政党間協議はどうなっているのか」ということになる。与野党間の協議は本来幹事長同士でやるものだが、ここらあたりの筋の通しかたは大事である。
 官房長官の役目までやろうとしているのだから無理がある。
 公明党からも、「政府の人間がなんでも言及するのは謙虚さを欠く。立場を考えてもらいたい」と不快感を示していた。もっともなことである。
 早くも野党から、調子に乗っていると冷ややかな反応が起こっている。
 24日から始まる通常国会、大荒れ模様と思われているが、岡田氏の起用が吉と出るのか凶と出るのか、ここはじっくり見守る必要がありそうだ。

第268号「皆に励まされて」

深谷隆司の言いたい放題 第268号
「皆に励まされて」

 1月23日、中央区の自民党区議団のメンバーが私を招いて新年会を開いてくれた。
 二年前、政権交代の嵐の中で、都議会国会とも惜敗したが、昨年の地方統一選挙では、13人の自民党候補者が全員当選し、保守王国の牙城をいささかも揺らぐことなく守ってくれた。議長もわが党の石田英朗君である。
 この中には、深谷政経塾や自民党政経塾で学んだ人が何人もいて、冷たい小雨の中、店の入り口で私を迎えてくれ、帰りは全員で送ってくれた。
 私は、とても恵まれていて、どこへ行っても同志たちや、特に塾生や弟子たちが丁重に迎え、世話を焼いてくれる。
 そんな場面を見て「今時、珍しい光景ですね」と何度も言われて、秘かに喜んでいるのだ。
 新年会が多くて、どこの会場でも長くいられない。今日だけは最後まで居てくださいと念を押されて、あらかじめ他の会に顔をだし、後は終わりまで腰を落ち着けることにした。
 「痛飲三斗」と言うがまさにその通りで、注がれるまま、ぐいぐいピッチを上げた。談論風発、愉快な話題で尽きない。
 途中で原田賢一幹事長が立って、「今の政治の状況を見るとどうしようもないほど最低だ。ここはお疲れかも知れないが、どうしても深谷先生に出馬してもらいたい。この現状を何とか変えて安心できる日本にして欲しい」と大声で訴えた。
 ベテラン議員の押田まり子さんや鈴木久雄さんも手を叩き、「全員で力一杯やります」と、誓いの乾杯を何度も繰り返してくれた。
 色々の意見もあろうし、一体いつ選挙になるかもしれず、「何が何でも出るのだ」といった若い頃のがむしゃらな心境はない。むしろ、淡々とした心で暮らしていたから、どう答えていいのか、戸惑い、複雑な思いであった。
 しかし、彼らの一途な願いに感動し、涙が出るような嬉しさであった。
 どのようなことになるのか、いずれにしても天の命ずるままに生きようと思った。
 そして、たとえどのような立場になろうと、この人たちの気持ちを忘れずに、この国の為に、この地域の為に、この命の尽きるまで働こうと誓った。

 ちなみに、会場になったのは、新川の「香取鮨」だが、今から四十年前、初めて衆議院選挙に出る為に、中央区で選対会議を開いた場所である。
 今はこぎれいな建物に代わって二代目三代目が奥さんと共に頑張っていて、味の評判もいい。熱心に応援してくれたご両親はすでにいない。
 なにしろ知名度も後援会の地盤もなかった頃であったから、集まりも悪くて、せっかく来てくれた有力者宅間町会連合会長さんが、「これではやりようがない」と立腹する始末であった。この方もかなり前に逝ってしまった。
 その選挙は自民党の公認も得られず「無所属」であったが、無事当選を果たし、あれから長い私の政治家としての歴史が続いたのであった。

 ああ、時の流れはなんと早いものなのだろうか。
 楽しく、ちょっと寂しい、感慨無量な一夜であった。

第269号「空虚な施政方針演説」

深谷隆司の言いたい放題 第269号
「空虚な施政方針演説」

 24日、野田首相は施政方針演説を行った。全体的に言えば「きれいごと」のオンパレードで、はっきり言って具体的な内容は乏しかった。
 演説のほぼ3割を社会保障と税の一体改革について語ったが、意気込みは分るものの、要は消費税を上げたいということだから、聞く側から見れば白けてしまうのだ。
 国政の重要課題を先送りしてきた「決められない政治」からの脱却を目指すと言うが、誰がそうしてきたというのか。  
 鳩山、菅内閣を見ればわかりやすいが、まさに民主党政権だったのではないか。
 自らの反省も責任も語らないのだから、無責任で空虚な演説であったと言わざるを得ないのだ。

 一番驚いたのは、自民党のかつての首相の発言を二度も引用したことだ。 
 「与野党が信頼関係の上に立ってよく話し合い、結論をだし、国政を動かしていくことこそ、国民に対する政治の責任です」
 これは4年前、福田元首相の施政方針演説の引用だが、当の福田氏が「あの頃を思い出すと、むちゃくちゃにひどかったね、話し合うどころではなくて、すべて拒否されたんだから、反対反対でね」と呆れ顔で話していた。
 更に、麻生元首相の3年前の施政方針演説も引用した。
 「持続可能な社会保障制度を実現するには、給付に見合った負担が必要です。経済状況を好転させることを前提として遅滞なく、かつ段階的に消費税を含む税制抜本改革を行うため、2011年度までに必要な法制上の措置を講じます。これは社会保障を安心なものにする為です。子や孫に、負担の先送りをしないためであります」
 野田氏は、「これは私の目指すものと一緒です。今こそ立場を超えて、全ての国民の為に、この国の未来のために、素案の協議に応じていただくことを願ってやみません」と平然と述べているのだ。
 あの麻生政権の提案に対して、当時の民主党は採決で反対したではないか。そして麻生内閣不信任案の賛成討論をしたのも他ならぬ野田氏自身だったのだ。
 野党時代の攻撃的な民主党の言動を思い返し、厚顔無恥とはこのことをいうのかと改めて思った。

 民主党のマニフエストには、無駄の排除と予算の組み替えで、平成25年までに16、8兆円を生み出すと書いてあった。増税をしないで社会保障改革をやると言っていたのた。だから国民の圧倒的な支持を得て政権交代となった。
 それがここへきて一気に消費税増税路線に切り替えてしまった。
 まずこの点について、「あれは誤りでした。結果的に国民に嘘をついた」と訂正し、国民に謝罪することが先決ではないのか。
 自民党はその点をきちんとしないままででは、協議に応じられないと言っているのだ。
 しかも、党内の小沢氏らの動きに配慮して、2012年の活動方針でも、「公約については実現に向けて出来る限り取り組む」と書いている。支離滅裂、矛盾だらけなのである。

 最近の世論調査では、何もしないでの消費税増税に反対は80%以上になっている。
 つまり、大前提は思い切った行政改革と、公務員の削減、何よりも、国会議員の給与削減と定数削減を求めているのだ。
 しかし、これに対する具体的提言は無いに等しい。

 経済を再生させることは極めて重要なことだが、その為の道筋も示していない。デフレ不況の脱却が急務なのだが、明確な処方箋もない。
 外交、安全保障問題についても一応語ってはいるが、肝心の沖縄問題などは、「引き続き沖縄の皆様の声に真摯に耳を傾け、負担軽減を図るため全力で取り組みます」で、おわり、なのである。

 結びは得意の浪花節で、「私は、大好きな日本を守りたいのです。この美しいふるさとを未来に引き継いでいきたいのです・・・」。
 はっきり言って、点数のつけようもないお粗末さで、これからの国会の嵐の前兆を垣間見るような思いであった。

第270号  「多忙でも心は穏やか」

深谷隆司の言いたい放題 第270号
 「多忙でも心は穏やか」

 今年3月出版予定の、私の著書、「道のり、はるか」(仮題)の原稿を今日の2時、ようやく産経新聞出版社に手渡して、今ほっと一息といったところである。
 去年の年末から、1月に入ってからも、会合の合間を見ては書き続け、約250枚の原稿に仕上げた。
 このホームページがその為に遅れたりして、どうなっているのと心配されたり、スポーツクラブにもいかず、飲んだり食べたりはいつも以上だったから、体重もジワリと増え加減だった。
 親しい作家門田泰明先生が、なかなか私と飲む機会が作れないと言っていたが、少しの時間も惜しんで書き続けたいと思う気持ちがよく判った。
 それにしてもこのような仕事で、年中追われて暮らすなど、とても私には出来そうもない。
 文才も含めて、私は作家にはとてもなれないと思った。
 今回は全て手書きで、ワープロはつかっていない。
 久ぶりに、満寿屋の400字詰めの原稿用紙を使った。
 今は亡き川口さんの店の物で、大作家が好んで使ったという。
 パソコンを使えば簡単なのだが、結構漢字も忘れていて、いちいち辞書を引くのがしんどかった。
 気に入っているモンブランの万年筆を使うのだが、キャップがすぐ外れて、原稿用紙や手が汚れて往生した。太字ペンは何本変えても同じで、これでは駄目だなと、ひとり呟いたりしたものだ。
 活字になってからが、また大変だが、まあ、しっかり頑張るしかない。

 昨夜、中屋都議の案内で文京区本駒込にある「玉江」で
 私の大臣時代の秘書官、今は警視庁総務部長の室城君や総務省の関審議官と久しぶりに会食した。
 家内も一緒だったが、あの頃の話に花が咲いて、尽きることが無い。一緒に皆で苦労しながら、お国の為に随分貢献したものと改めて振り返り大満足であった。
 このお店は、この町の町会長もしている中村さんの趣味が高じて出した、手打ち蕎麦の名店である。
 1日一組しか客をとらない(4人から10人)。
 献立は、焼き味噌から始まって、せいろそばまで、まさにそば尽くし、蕎麦好きにはたまらない店である。
 人気があって1年先まで予約はいっぱいと言うが、3月なら今でも取れそうな日があるらしい。
 「海人の藻塩」と言う特別の塩を出してくれたが、その後、コンテストの通産大臣賞の賞状のコピーを私に見せるではないか。
 なんとそこには、平成11年11月19日、通商産業大臣深谷骼iとあった。感激で一層酒量が増えたことは言うまでもない。

 手打ちそば「玉江」 本駒込5ノ34ノ6
           TEL(3828)0654  

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