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言いたい放題 第221号 「サントリー・ガラコンサートで思う」

 サントリーホールがオープンして25周年を迎え、記念ガラコンサートが催された。
 家内と二人で出かけたが、このコンサートは常に正装で、私はタキシード、女房はドレス姿だ。

 このホールは創業110年の老舗洋酒メーカーサントリーが創建したものである。二代目佐治敬三社長が音楽文化事業を通じて社会にお返ししようと、かの世界的指揮者カラヤンの協力を得て作られた。今度、カーネギーホールとも提携することになったという。
 「やってみなはれ」精神で事業を拡げた創業社長鳥井信治郎氏は、利益三分主義を唱え、3分の1は社会にお返しすることをモットーにした。
 バブルの時代、企業によるさまざまな文化事業がはやったが、崩壊後は次々と撤退した。そんな中、森ビルに年間何億円もの土地代金を支払い続け、世界中の著名な演奏家、オーケストラを招いて赤字覚悟のコンサートを続けてきたのだから見事である。

 毎年催されるガラコンサートに、必ず私達は招かれた。故佐治敬三氏は私の後援会長であり、今は引き続いて佐治信忠氏が会長だからである。

 佐治敬三氏は、酔うと西部劇の「ローハイド」を演奏させ、馬の鞭の代わりにスリッパをパチンと勢いよく叩いて喜んでいた。事業の時の大胆さと酔った時の無邪気さが、私にとって堪らないほどの魅力であった。
 佐治信忠氏は長身で髭の似合う紳士だが、「ガハハッ」と大声で笑う、豪放磊落な人である。私が通産大臣現職で選挙に敗れた時、「引き続いて後援会長をお願いしたい」と言うと、「何を言いますか、当たり前でしょう」と笑い飛ばしてくれたが、その優しさに目頭を熱くしたものである。
 二代にわたって私は支えられてきたのだが、なんと幸せな事かと、改めてしみじみと思っている。

 さて、そのガラコンサート、相変わらず素晴らしく、6時から9時半まで、息も継がせぬほど盛り沢山で、しかも世界的音楽家の勢揃いであった。
 開幕は和太鼓、津軽じょんがら節、なんと三味線だけで八十棹という豪華さだ。津軽三味線は戦後急にポピュラ―になったものだが、70年代に三橋美智也のような民謡歌手が積極的に取り上げた影響が大きいという。頑張れ東北という思いが込められているのであろう。
 続いてはジャズで、世界的に有名なトランペット奏者日野皓正を中心にしたカルテットの演奏だ。つい数日前の私の喜寿の会で、クラリネットの花岡詠二氏が演奏してくれたばかりだから、これも心地よい。  
 ジャズはアメリカ南部のニューオーリンズが発祥の地で、奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちが、白人の音楽と接触したことによって生み出されたものである。
 私は特にジャズが好きで、三度もニューオーリンズを訪れている。かの地も天災で壊滅的な打撃を受けたが今はどうなっているのであろうか。

 東京交響楽団のオーケストラを背景に、次々と世界的に著名な人々が登場する。ピアノあり、フルートあり、ハープあり・・・。
 特に第二部では、ホール・オペラのスターたちが勢ぞろいで、バス、テノール、ソプラノ歌手が見事に歌い上げる。
 ありがたいのは、一般に知られている作品が多く、モーツァルトの代表作[フィガロの結婚]、ヴェルディの「リゴレット」、プッチーニの「ラ・ボエーム」、そして最後は「トウ―ランドット」で締め括るのだから憎いではないか。
 驚いたことに、世界的に有名なテノール歌手として活躍し、このホールでもたびたび出演したジュゼッぺ・サッバティーニが、50歳を機会に少年時代からの夢であった指揮者になって現れたことである。メリハリの利いた指揮ぶりが立派で、さすがだと感動したものである。

 第三部には中国の指揮者タン・ドゥン氏が自作の交響曲を披露したが、この中で使われた楽器が面白い。青銅製の鐘「編鐘」を用いるのだが、これは中国湖北省の村で紀元前433年の貴族の墓から発見されたものである。
 実は、湖北省には数年前に訪れていて、博物館で本物の鐘を女房と見ているのだ。ただ、さすがに西洋音楽に合わせるには少し無理があるとは思った。
 ひたすら、2400年以上も前の、古の中国の様子を思いめぐらせていたが、それはそれなりに素晴らしい趣ではあった。

 最後は恒例のエルガーの行進曲「威風堂々」を出演者全員と観客が一緒になって歌うのだ。
 毎年のことで、すっかりお馴染みになっている井上道義指揮者が、身振り手振り大きく、華やかな指揮を執る。
 観客は総立ちになって、もう舞台のオペラ歌手になった気分で盛り上がる。

 かくて今年のサントリー・ガラコンサートは、名残惜しく終わった。
 冒頭書いたように、このコンサートは25回続いてきた。司会の若林真由美が「25回全部来た人」と問いかけると、女房が「はーい」と張り切って手を上げていた。私は大臣の時、どうしても時間が取れず1回だけ休み娘が代わりに出席している。
 初めて来たときは50歳の中堅代議士として張り切っていた。
 あれから馬齢を重ねて、今は喜寿を迎えている。年月の流れはなんと早いものか。まだまだ元気一杯だが、あと何回来られるのかな・・・。

 演奏会というのは、人生のあれこれを走馬灯のように思いめぐらすものなのだと、感慨深く思ったものである。

言いたい放題 第222号 「小沢裁判、今日から始まる」

深谷隆司の言いたい放題 第222号
「小沢裁判、今日から始まる」

 今日10月6日、朝からマスコミは小沢一郎氏の初公判でもちきりだ。テレビは裁判所の傍聴券の抽選を待つ人々を上空のヘリコプターから映し出したりしている。
 9月26日の3人の秘書の判決公判では46の一般傍聴席に対して422人の人々が抽選に臨んだが、今日は2,000人を超える人達に膨れ上がっている。如何に政治とカネをめぐる小沢問題に国民の関心が寄せているかの表れである。
 午前中に行われた小沢氏の冒頭陳述では、当然予想されたとうり彼は無罪を主張した。
 但し、何故無罪かについては全く触れず、「これは日本憲政史上の汚点、国家権力の乱用、小沢個人を標的にしたもので議会制民主主義の否定・・・」と、まあ、大上段に構えての言いたい放題である。秘書の有罪判決が下りた後の彼の発言は、国家権力の乱用は国民的危機であるかのような言いぐさで呆れたものだが、これだけの騒ぎを起こして、政治家としての反省や、国民に対しての謝罪など全くないのだから驚くばかりだ。検事役の弁護士は、土地購入の原資4億円について詳しく追及しているのに、小沢氏自身はこれに触れずじまいである。
 「検察審査会の起訴は全く不当で、直ちに裁判を辞めるべきだ」とも主張したが、国で決めている制度そのものを否定していることはお構いなしなのである。
 今度の裁判は、4億円もの土地購入代金の原資がどこから出たのか、何故政治資金収支報告書に載せなかったのか、そしてこれらについて小沢氏がどこまで関与していたのかが問われる裁判である
 これだけ巨額なカネの動きを、小沢氏が知らぬわけはないことは一般常識ではないか。検察審査会は二度にわたって起訴すべきと結論をだし、強制起訴となったのだが、この結論こそ限りなく常識的庶民感覚と言うべきではないだろうか。
 小沢側近と言われる政治家の中では、小沢無罪論に期待し、来年の代表選に向けての復権と、なんと天下取りさえ考えた者もいたと言われたが、先の3人の秘書の有罪判決で瞬時にそんなムードは吹き飛んだ。
 無罪論の根拠は、このところ続いた検察の不祥事、さらに、「小沢氏に報告し、了承を得た」との石川国会議員の供述調書が検察側の尋問のやり方に問題があるとして、裁判所で不採用になったからである。
 しかし、実はそんな調書など無くても、あまりに確定的な状況証拠が十分そろっていたのである。小沢氏自身から4億円を借り、そのお金で土地代金を支払ったことは本人も認めている事実である。にもかかわらず、わざわざ銀行から借りたことにしたり、その土地の購入そのものを04年の収支報告書に記載せず、登記の時期を翌05年にずらしたりしている。秘書たちが必死に小沢氏のカネの出入りをごまかそうとしている姿が目に浮かぶようだ。判決で「被告らはゼネコンとの癒着が公になることを恐れて犯行に及んだと」と明確に切って捨てている。
 小沢氏は資金管理についてほかに任せず、銀行のやり取りも自分でやっているとも述べている。また、管理運用を夫人に任せていると言ったこともある。
 小沢供述は今までくるくる変わり、みっともないくらいに変遷を繰り返してきた。
 そんな説明で世の中通用すると思っているとしたら大間違いである。
 これほど小沢公判が大きくとりあげられ、各界の人々がコメントを出しているのに、我が国を代表する野田総理大臣、一言も発しようとしないのはなぜか。(午後2時半現在)
 庶民派を売り物にし、政治を国民にもっと近づけると標榜しながら、都合の悪い時はノーコメントでは許せない。国会の廊下を通りすぎる度に、記者団から「総理総理」と呼びかけられているのに、これを全く無視して足早に去る姿に、絶望さえ感じる。せめて、「国民の皆様にご迷惑をおかけして申し訳ない」とか、「裁判の行くえを厳粛のに見守る」ぐらいのことは言うべきだ。民主党の中の小沢勢力は無視できない。下手なことを言えば党内融和が崩れる。それが怖いのだろうが、そんな内向き態度でこの日本を支え救うことなど到底できない。
 私から言わせれば、小沢氏の裁判の結論より、野田総理が毅然として対応するかどうかの方がはるかに大事だと思っているのだ。
 ああ、やっぱりだめなのか・・・・。

言いたい放題 第223号 「強気、弱気?小沢氏緊急入院」

深谷隆司の言いたい放題 第223号
「強気、弱気?小沢氏緊急入院」

 6日の夜11時すぎ、小沢一郎氏は体調不良を訴え、文京区の日本医科大付属病院に救急車で運ばれたという。裁判という屈辱的な場に立たされたことが、大きく響いたに違いない。
 本当の意味で、世に鉄人はいないということで、少なからず同情の念を禁じ得ない。心から回復を祈っている。

 それにしても、初公判後に開かれた記者会見はひどかった。
 すでに体調が悪かったのかもしれないが、いやしくも政権与党の、場合によっては天下を握ろうとしている政治家の取るべき態度ではなかった。
 会見場を見渡して、「いっぱいいるな、今日ぐらいはサービスしよう」から始まるのだが、そこには世間を騒がせたことに対する一片の反省も感じられない。
 会見ではあらかじめ質問数を限定し、しかも結果はわずか4人の質問者で終わらせてしまった。
 焦点となっている4億円の融資を受けた理由を尋ねた記者に何も答えず、その原資は何だったかの問いに、「私の金だ、詳しく聞きたければ検察に聞いて。検察は強制捜査をずっとやっている。私の知らないことまで全部調べているから(検察に)お聞きください」と、本人は検察への皮肉のつもりか、嫌味たっぷりで答えていた。

 証人喚問について聞かれると、「君はどう考えているの?司法の公判が進んでいる時、立法府がいろいろ議論すべきだと思っているの」と怖い目つきで逆質問。国会での説明も必要だと言うと、「ああ、そうなの。三権分立をどう考えているの?」と重ねて言ったが、その後が面白かった。
 「裁判所は法と証拠に基づいて最終の判断をする場だ。色々な力や干渉で左右されたらいけないから司法は独立している。もうちょっと勉強してから質問してください」とのたまったのだ。
 その前段で彼はなんと言ったのか。
 「この間の判決も、何の法的な証拠もない、裁判官が自分の推測と推断で事実を認定し、それに基づいての判決です。前代未聞のことで、司法の自殺に等しい」と司法の判断を真っ向から否定し批判しているのだ。
 自分の都合のいい時には司法の公平と独立を説き、都合が悪くなると司法の信憑性に疑問を投げかけ批判する、これがまともな政治家の取るべき姿勢なのかと腹立たしい思いがした。

 はっきり言って記者の姿勢も問題ではないか。
 まるで小沢氏に畏怖の念を待っていて、最初から腰が引けているのだ。
 メディアへの不信感をあらわにしている小沢氏に、太刀打ちできる勇気ある記者が一人もいない。色々の点で明らかな矛盾が見えるのに踏み込もうとしない。怖がって何も言えないといった感じだが、これではあまりにも情けない。
 ところが、インターネット配信サービスの記者が尋ねると、いっぺんに表情を変えて、「世論調査が必ずしも国民の声を代表しているとは思えません。頑張ってくれと言う大勢の方もいますし、今後も頑張っていきたい」と和らいだ答であった。
 何でも「ニコニコ動画」というらしいが、小沢氏はこれまでもこのサイトを使って積極的に発信している。
 大手メディァの世論調査では小沢氏に否定的結果が多いのだが、どうやらネット上では支持を受けているようだ。
 剛腕、強気と言われている小沢氏だが、実は神経こまやか、あんがい弱い人ではないか。
 そういえば東京地裁の法廷で、9人で構成されている弁護団に囲まれるように座っていた。そうしなければ不安で仕方がないのではないかと、これは私の勝手な推測だが・・・・。

 検察が不起訴とした事件を、民意で覆したのが今回の検察審査会の強制起訴だ。
 この仕組みは2009年に導入されたのだが、今回が初の裁判になる。
 小沢氏は、検察が不起訴としたのだから、こうした形で裁かれるのはおかしい、直ちに裁判を辞めよと主張している。
 ここで私たちが間違ってはならないことは、小沢氏の場合、検察が不起訴とした理由は、犯罪は成立するが起訴するほどではないといった「起訴猶予」ではなかったという点である。
 証拠が足りないから、「嫌疑不十分」ということで、限りなくクロに近い灰色であるということなのだ。
 新しい制度の中で、市民感覚に照らしてどうも疑わしいから、法廷できちんと調べてくださいということなのだ。
 さて来年4月に答えがでるのだが、一体どんな結末になるのか、ここはしっかり見つめていく必要があると思っている。

言いたい放題 第224号 「出会いと別れ」

深谷隆司の言いたい放題 第224号
「出会いと別れ」

 中塚泰蔵さんが亡くなられた。
 留守中だったが、御遺族が訪れて私に葬儀委員長を引き受けて欲しいと依頼されてご逝去を知った。息を引き取ったのは誕生日前日で92歳、10月7日午後3時27分のことであったという。
 
 中塚さんの家は、雷門の私の家の真ん前だ。
 上野から駒形に至る大通りを、歩道橋を渡って降りると、「煎豆、落花生ほていや中塚商店」がある。
 昭和21年創業だから63年経つのだが、今では同業者の中でも大きい店になって繁盛している。特に節分が書き入れ時で、10月末から3月いっぱい、徹夜で豆を家族交代で煎り続ける。
 昭和41年から寿4丁目の町会長を務め、その後、20年余にわたって浅草三社祭の総代を務めた。カンカン帽をかぶりお揃いの紋付き袴姿で、神輿の前後に必ず中塚さんの雄姿があった。

 私との出会いは、昭和40年代初めの頃で、寿町から区議会議員選挙に出馬しようとしていた故石渡金三氏と私を結び付けようとしてくれた時から始まる。
 たまたま東京都議会で汚職事件が摘発され、未曽有の解散選挙が行われることになった。その汚職事件に関わった議員の何人かが、地元台東区選出の人であったので、これは許せぬと、直ちに私は区議を辞職し、無謀を承知で都議選に打って出たのである。残念ながら敗れたが、その差はわずか260票、大いに次を期待されてはいた。
 浪人中は、日本堤の自宅6畳二間で、深谷学習塾を開き女房と二人で子供たちを教えていた。

 そんな時代、中塚氏が私を見込んで応援に乗り出してくれたのである。
 やがて隣町の有力者、ペンギンライター社長の故張替恒男氏が参加、会長に就くや、一気に駒形まで含む大後援会の誕生となった。
 各所に次々と後援会が結成されたが、その全体会議を本部会と称し、ペンギンライターの会議室をかりて常に会議がもたれた。
 東洋一の浅草国際劇場を借り切って、有料の後援会大会を開き、5000人、1万人と後援者を集め、ついには蔵前国技館を借り切って一万五千人の集いを開いて、世間の大きな話題となったものだ。その計画のことごとくは、この本部会の会議から生まれたものである。
 都議会から国会へ、私は一気に駆け登っていったのだが、その火をつけてくれた一人が中塚泰蔵さんだった。
 私と手を握った故石渡氏も順調に当選を重ね、2度も議長を務め、深谷議員団の良きまとめ役、要となって尽くしてくれたものである。

 私はそんなご縁から、長男泰司君と裕子さんの仲人も務めている。隆蔵君、泰子さんでお子様は3人だが、今では孫8人、ひ孫5人の大家族になっている。
 残され奥さんも長らく婦人部長として活躍した。86歳、御主人を亡くしてどんなに寂しいことか、せめて元気でいて欲しいと願っている。
 通夜、葬儀は12日、13日と、東本願寺で執り行われる。私は両日とも予定があったが、すべて取りやめて、せめての恩返しのつもりで葬儀委員長を務める。

 この50年近く、私は懸命に政治の道をひた走ってきた。息つく暇もないほど、である。
 そして政治家である故に、随分多くの人と出会いめぐり合ってきた。本当に嬉しいことではあったが、しかし、出会いの数だけ別れがある。
 今走馬灯のように、様々な思い出が私の脳裏を掛け巡っている。
 そして今日もひとりお見送りする・・・・。           合掌

言いたい放題 第225号 「日本の道徳観、教育勅語」

 前に、世に鉄人はいないと書いたが、あれほど傲岸無礼な態度で記者たちを恫喝した小沢一郎氏、なんとその夜、救急車で運ばれて緊急入院した。
 具体的な病名も発表されたが、一番の原因はストレスであると某医者が語っていた。一見強気で頑丈に見えても、所詮、人間とは弱いものだと改めて思い、早く治ってもらいたいものだと願ったが、どうやら自宅療養となった様子である。

 今更、ここで小沢批判をするつもりはないが、最近の政治家たちの言動を見るに、どうも道徳観に欠けている人が多いように思えてならない。
 昔、先輩たちから、「代議士の士は武士の士だ。武士の心得は恥を知ることだ」と教えられたものである。今は亡き稲葉修先生であったか・・・。
 ある講演会で、政治家たちの倫理観の欠如を嘆いたら、終わった酒宴の席で「もともと政治家に道徳観を求める方が無理な話ですよ」と言われてショックだった。「いえ、ブラックジョークですが」と訂正してはいたが、本音であることは勿論だ。
 同じ席で、さらに話題が広がり、「この間なんか、難しい問題だから政治家に任せられないと言った官僚がいましたよ」。
 難しい問題だから政治家にやってもらう、というのが当たり前なのに、そこまで政治家がなめられる時代になったのかと、悲しくなった。

 民主党政権になって、鳩山さんも菅さんも、政治主導、官僚排除を謳い文句にしてきた。しかし、あまりに政治運営で経験不足が目立ち、その上、無知無能な政治家が多くて、たちまち行き詰まった。
 わずか2年間で総理大臣3人目、せめて野田政権に期待したいものと思ったが、最初から官僚頼りで、一層、彼らに振り回される様相になっているのではないか。
 国会議員諸君、せめて、当たり前の道徳観を持ち、国民が少しでも前途に夢を抱けるように、真剣に政治に取り組んでもらえないものか。

 最近のニュースを見ると、親が子を虐待したり、子が親を殺害するなど悲しい事件が多い。おれおれ詐欺で騙されるお年寄りの事件は連日だ。
 東日本大震災でのボランテァ活動で、ほっとする美談も多かったが、その一方で空巣泥棒や、被害者目当ての詐欺事件もある。 
 なんだか日本人全体の道徳観も次第に後退しつつあるように思えてならない。

 今の時代の特徴について、「食べ物に困らない、衣服住も一応足りている、責任は持たない、変化を求めない、世間(世界)に関わりたくない」、そんな感じだと言った人がいた。
 何か似たような光景があると思ってよく考えたら、それでは刑務所と一緒ではないかと気が付いた。拘束されていない点だけが違うのか、いや大なり小なり人は拘束されているからそれも同じか・・・。

 日本がこんな状態になった原因は何だろうか、やはり戦後の教育に問題があったとしか思えない。

 昨年の10月29日、私は京都の護王神社に頼まれて講演を行ったことがある。(一部このページでも紹介した)
 テーマは「教育勅語について」であった。この日が明治23年教育勅語発布の記念日だからである。(正確には30日発布)
 その時、丁度良い機会だからと、改めて教育勅語について調べ直したのだが、実に国民のあり様を示していて、これこそまさに明治以降の日本人の徳を醸成させた、優れた教育の基本が網羅されていると思った。

 それまで日本の道徳はシナの本を源にした儒教思想と、これに仏教の倫理観を取り入れたものであった。
 しかし、シナは西洋諸国に食い荒らされていて見る影もなく、仏教も廃仏毀釈運動で勢いを失いつつあった。
 近代化を目指す日本は、新しい倫理観を示す必要があった。
 事前に開かれた全国地方長官会議でも、啓蒙主義的教育政策に批判の声が続出し、新しい道徳教育の必要性が論じられた。
 そんな動きを背景に、井上毅内閣法制局長官の起草、元田永ざね枢密院顧問が捕捉して完成したのが教育勅語であった。
 政治的にも宗教的にも中立の、普遍的な倫理観になっている。
 後に日本は、日清戦争、日露戦争に勝利するのだが、それまでほとんど世界に知られていない小国日本が、どうしてかの強大な国に勝てたのか、一気に注目を集めた。そして、そればかりでなく、国際条約を守り、相手国の捕虜や傷病兵を手厚く保護した倫理観の高さに、世界の人々は驚嘆したのであった。
 教育勅語は、英、仏、独、中、で翻訳され高い評価を受けている。

 12の徳目の1つ1つを読むと、儒教や仏教の倫理観のみならず、西欧の道徳観も取り入れていて、非常によく調和されていることに気づく。
 この教育勅語をすべての学校で教え、唱和させ、これが国民の道徳観として定着し、日本の新しい時代を切り開くバックボーンとなったのである。
 いずれ改めて本分の詳細にわたる解説を試みたいと思っている。

 敗戦を迎えるや、GHQは日本を完全に支配し、無力な三等国にしようと様々な手を打った。教育勅語の廃止を議会で決議したとはいえ、これが彼らの圧力によるものであったことは言うまでもない。
 私に言わせれば、7年にわたる占領下で決められたことは本来無効であって、独立を回復した時、再検討されるべきであったと思っている。

 ともあれ教育勅語を捨て、文部省と日教組によって、日本人は倫理観の薄い道徳観の無い人種になりつつある。これは大変なことである。
 文言や言い回しを含めて、教育勅語を其のまま再現させることには無理がある。しかし、こうした時代だからこそ、その精神を拳拳服膺して、次の世代に伝えていかなければならないと思うのである。
 
 その為には隗より始めよ、まず政治家が道徳的、倫理的暮らしを実践していかなければならない。
 まあ、それが難しくて困っているのだが・・・・・。

言いたい放題 第226号 「明暗こもごも」

 永年お世話になった中塚泰蔵さんの葬儀委員長を、12日・13日と無事終えたが、その前日は、同じように古い応援者の岩崎英雄さんの密葬で、浦和まで出かけた。
 岩崎さんは文具業界の重鎮で、私が都議会議員に出馬する頃からの後援者である。その頃、文具業界は全盛の時代で、ぺんてるの堀江幸夫氏が私の後援会長に就き、この団体が私の選挙運動の中心的な存在であった。
 時代の変化と共に業界そのものがかなり変化して、あの頃の元気さはない。私を支えてくれた経営者もほとんど物故して居ない。

 そんな中、岩崎さんはご子息善雄さんらと、時代の行方を読み取り、叙勲や褒章に関わる企画や、用品を扱う専門会社「岩崎」を立ち上げ、立派に成功している。
 私が、(勲一等)旭日大綬章の栄に浴した時も、祝賀会などで様々な知恵を貸してくれた。
 岩崎さんは、仕事をご子息らに任せて、畑を耕すなど自然の中で悠々と暮らしていたが、病に倒れ長い養生の後、残念ながらこのたびのご逝去となったのである。90歳の大往生であった。いずれ「送る会」もあるという。

 私の政治生活は、もう50年を超える。政治家であるお陰で随分多くの人たちと出会えた。しかし、出会った人の数だけ別れがある。
 連日と言ってよいほど、近頃は葬儀が多い。その度に往時のあれこれを懐かしく思い起こし、感謝をこめながら見送るしかないのである。

 明るい日程も勿論多い。
 10月12日には、私の長年の知人芦田淳氏のファツションショーが、グランドハイアット東京のグランドホールで開かれた。東日本大震災の後、自粛されたこともあって久しぶりで、私も家内と共に出かけた。
 私等の席は何故か舞台正面の外国大使席だったが、肩書が無いから、それなりに苦労されたのではないかと、私の方がかえって恐縮していた。
 家内が芦田氏の洋服の愛用者で、それが最初の出会いのきっかけだ。
 世界的デザイナーの作品となると、当然、高価でとても手が出ないと一般的には思えるのだが、実はセンスが良くて、時流に流されぬ独自のデザインだから、何年経っても着続けられる。たまに「いつ買ったものか」と聞くと「30年前です」等の答えが返ってきて驚かされる。その上、我が家の場合、娘たちがお下がりを喜んで着るから、実質、安上がりなのである。
 芦田氏は、早くからフランスに進出し、現地に店を持ち、いわば世界に飛躍した日本人デザイナーの草分けといえる。
 ショーはパステルカラーのカクテルドレスから始まって、モノトーンのイブニングドレスまで、いずれも斬新でみずみずしく、とても80歳になる人の作品とは思えぬ若々しさであった。

 10月13日は、湯島天満宮の宮司押見守康氏の祝賀会が、東京ドームホテル「天空」で催された。
 押見氏は、今度、神職階位「浄階」、神職身分「一級」を神社本庁から付与された。やんごとなき世界のことは、私にはあまりよく分からないが、神職としては、なかなか得難い永誉だとのことだ。
 会場には氏子は勿論、関係の錚錚たる人たちが250人も集まって大盛況であった。
 私は押見宮司の横の席で、しかも来賓挨拶のトップに指名されるなど、大変厚遇されて光栄であった。
 挨拶で、私は次のように賛辞を送った。
 「押見宮司がこの湯島天満宮に着任してから45年になる。当時はまだあまり知られていない神社であったが、今では全国的に知らぬ人はいないほど隆盛を極めている。これは押見宮司の努力の成果だ。彼は発想力に優れたアイデアマンで、梅祭りなど四季折々の行事や、中には学業成就の格言入りの白木の鉛筆を考案するなど、次々と新しい開発を行った。
 白眉は新社殿の建立である。
 桃山様式の権現造り、総檜白木づくりの木造建築は、まさに文化遺産だ。しかも、防火地域だから、木造建築の許可が簡単には下りない。建設省に日参し、ついに木造建築第一号の許可を勝ち取ったのだからすごい。
 押見宮司の偉いところは、これらの功績を自慢することなく、全ては氏子様はじめ皆様のお陰と、いつも言い続けていることである。

 次の予定もあったが、これを取りやめ、私は最後まで席にいたが、宴会中、驚くほどの方々が寄ってきて、話に花が咲いた。
 「貴方が頑張ってくれないと日本は駄目だ」
 「ネバー、ギブアップ」
 「久ぶりにあなたと会えてよかった。元気が出たよ」
 「民主党をこのままにしていいのですか」
 「もっと自民党がしっかりしなければ」
 多くの人達に、今の政治に対する色々な不満が鬱積していて、私の顔を見て思わず発散したと言った塩梅であった。

 今まで、少しでも多くの会合に顔を出そうと飛び回って、一か所に腰を据えたことはめったに無かった。
 自分としては誠実に精一杯努力してきたつもりであったが、あわただしく走りすぎてきたかという反省もあった。
 こんなに大勢の人達が、私を大事に思ってくれている。これは嬉しい一つの発見であった。

 帰り際、一人の老人がやってきて、「あんたは偉いなあ」としみじみとした口調で話しかけてきた。
 いいことを言ってくれるなと思ったら、後がいけない。
 「辞めてもなお、こんなに慕われているのだか」だって・・・。
 「いえ、まだ辞めてはいないのです」。

 明暗こもごも、だから人生は面白い。

言いたい放題 第227号 「時に楽しい日曜日」

深谷隆司の言いたい放題 第227号
「時に楽しい日曜日」

 10月16日の日曜日は、気分のいい1日だった。
 まず、朝9時20分から、文京スポーツセンターでビーチボール秋季大会が開かれた。参加者なんと97チーム700名の大盛況だ。
 会長は私の秘書を長年勤め、今、東京都会議員として売り出し中の中屋文孝君である
 
 ビーチボールは、25年ほど前、富山県で生まれた。手軽で、親子は勿論、誰でもできるし、チーム活動を通じて仲間も増えるとあって、一気に広まり、今では全国100万人の競技人口を誇っている。
 私が関わりを持ったのは20年も前のことで、頼まれるままに東京大会の会場を斡旋したり、チーム育成に協力する等、様々な角度から応援してきた。当時から秘書をしていた中屋君も一緒で、今は出世して?会長になっているのである。
 
 この文京区ビーチボール連盟は、菊本さんなど熱心なスタッフが揃っていて、中屋君が会長に就いたことも勢いになって、更に拡大を重ねている。ちなみに東京で1番大きい組織はこの文京区で、自慢ではないが2番が台東区である。
 実は、私にとって特に嬉しかったのは、今回が深谷杯争奪大会であったことだ。
 中屋君と二人で立って、選手宣誓を聞くのは、少し気恥ずかしいが晴れがましいことではあった

 2時からは、ホテル・ニューオータニで開かれた、荒尾努君の結婚式に出席した。
 荒尾家は、今は亡き祖父の代からの私の熱心な支援者で、3代にわたっての親しい関係である。
 新郎は三菱重工に勤めているが、実は平家琵琶の弾き語り奏者である。
 「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響きあり・・・」
 平家物語の冒頭のこの部分は、私も若い頃、暗唱したものである。日本人の精神世界の無常観を、あるいは日本人の美意識や心のあり方、ある種の人生観が込められていて秀逸な物語になっている。
 彼は慶応大学在学中から琵琶を習い、今では平家(平曲)琵琶の第一人者だ。
 勤務のかたわら、土日はほとんど全国を演奏で飛び回っているという。年中無休というのだから凄い。

 お相手の花嫁さんは、なんと海上自衛隊の昔でいう海軍中尉、現在は防衛大学に通う幹部候補生である。
 旧姓田盛友香さん、とても可愛い御嬢さんである。
 私の家に二人で訪ねてきたとき、素敵なカップルとすっかり気に入ったが、古典物を愛する新郎と自衛隊の幹部とは、考えてみれば随分変わった組み合わせである。
 其々の先輩が取り持った縁というが、出会ってから2か月目にはもう結婚を決意したというのだから、人生はなんと面白いものだろうか。

 ただ、心配なのは自衛隊幹部候補生ともなれば、かなり転勤が多いはず、そこのところをどう乗り越えていくのだろうか。子供を産んで育てることは大変だが大丈夫なのか・・・。
 まあ親ではないのだから、私が心配することではないか。
 出席者は90人ほど、終始嬉しそうな両親の姿が印象的であった。
 荒尾一さんは私より一回り若いのだが、時折病に倒れたりする。他のお子さんもみなしっかりしていて親孝行だから安心だが、これを機会にせいぜい健康に留意して欲しいものである。
 「先生は少しも変わりませんね。お若いです」と、会場で何度も色々な方から言われたが、いつのまにか、彼らのお爺ちゃんのような心境になっていて、自分でふと気が付いて苦笑いしたものである。

 ともかくも良き日曜日であった。

言いたい放題 第228号 「ボロの見え始めた野田政権」

深谷隆司の言いたい放題 第228号
「ボロの見え始めた野田政権」

 野田氏自身の問題もさることながら、にわかに天下を取った民主党だけに、未熟なくせに有頂天で、特に大臣など問題発言続出である。
 
 18日、福島県二本松で開かれた参議院民主党研修会で、平野達男復興大臣が挨拶に立って、東日本大震災の津波被害について「逃げて生き延びた方々もいる。逆に私の同級生みたいに逃げなかった馬鹿もいる」と発言した。
 この同級生はお気の毒にも亡くなっている。同じように大勢の人が悲惨な目に合っているのに、この大臣は「馬鹿な奴」と切り捨てる。思いやりも同情心のかけらもないのか。
 同日夜、あわてて「不快な思いをされた方に心からお詫びする」と謝罪したが、記者団には、「高校の友人で、なんで逃げなかったのかなという思いがあって、その個人的な思いが入ってしまった」と弁明している。一体何を言いたいのか意味不明だが、政治家である前に人間としても欠落者と言わなければなるまい。
 こんな大臣を許していいのか。例の辞めた松本前大臣は、上から目線の傲岸不遜の大臣だったが、平野大臣はもっとお粗末大臣ではないか。
 野田総理は即刻、こんな大臣は首にすべきだが、さて出来るのだろうか。

 その野田総理、菅前総理が「原発事故の責任を取る」と総理給与分月114万円を5月から全額返上していたが、いつの間にか、なんとちゃっかり受け取っているではないか。「国家公務員人件費削減法案が通っていないから」と弁解していたが、そんなことは理屈にもならない。
 菅氏は夏のボーナス218万円も受け取っていなかった。野田総理の方が菅氏よりはマシかと思っていたが、どうやら違うようだ。庶民面を売り物にしているだけに、よけい腹が立つ。
 もっとも、国会議員全体も似たようなもので、大震災の後、4月より歳費から50万円減額してきたものを、10月から満額に戻すことになった。
 現地の人々は相変わらず、先が見えないまま苦労を続けている。せめてもう少し我慢出来ないものだろうか。

 埼玉県の朝霞公務員宿舎問題、今更行ってもしょうがないのに、野田総理、ぞろぞろ大勢の人を引き連れ、まさに大名行列のようにして現地視察。
 「5年凍結します」としたり顔で発表した。
 そもそもこの問題は、2009年11月、民主党で点数稼ぎに行った行政刷新会議の「事業仕分け」で、計画の凍結、再検討となったことから始まる。
 現経済産業大臣の枝野氏は、当時、「一部を除き公務員宿舎を提供する合理性は無い」と批判していた。
 それがいつの間にか建設に変わった。ところが、大震災で皆が困っている時に105億円も建設費に掛けるのかと轟轟たる非難が起こってまた変心となったのだ。

 私は、公務員宿舎が老朽化したら建て替えることも必要で、何でも反対はおかしいと思っている。しかし、少なくとも公の場で、あそこまで公言したものを、やるとかやらないとかくるくる変えるのは不見識だと思うのだ。
 被災者の住宅確保が最優先であることは当然だが、ならば、建設して提供するとか、建てない場合の資金を活用するかでなければ意味がない。
 よく見ると、総理の説明は、「震災の集中復興期間、5年間凍結する」ということで、つまりは先送り、5年後には建てるということなのである。
 凍結に伴う違約金は約40億円かかるという。これこそ税金の無駄遣いだ。
 私は、この問題の答えは、「辞めるか、建てるか」のどちらしかないと思っているのだが…。

 小宮山洋子厚生労働大臣がまた変なことを言いだした。この人は自分の所管でもないのにたばこ増税を言って顰蹙を買ったばかりであるが、どうも個人的発想でものを言う癖がある。
 今度は彼女の意見から厚労省が言い出したのだから余計始末が悪い。

 すなわち、第3号被保険者制度の見直しである。
 会社勤めの夫が妻の保険料を肩代わりしている現行制度は、専業主婦優遇だから止めさせろというのである。
 小宮山大臣はジェンダーフリーの原理主義者だ。男女は平等というのは誰でも当然と思っているのだが、彼女の場合、職場や社会で男女が対等に働くことがすべて、と思っているのだ。そして何故か専業主婦を否定する。
専業主婦たちは家庭を守り、子育てをするなど重要な役目を果たしているのだが、これを認めようとしない。まるで敵視しているかとさえ見える。
 基本的には個人主義ということなのだろうが、これでは良き家庭や社会は生まれない。
 夫婦別姓も彼女の主張だ。2度離婚しているが、何故か小宮山姓は最初のご主人(こんな言い方をしたら烈火のごとく怒るだろうが)の姓のままだ
 NHKのアナウンサー時代から、小宮山洋子で売り出していたから、この名前は変えないようだが、何とも身勝手な話である。
 大臣になったからと有頂天になって、自分の個人的な思想や思いを国民に押しつけることなど許されることではない。

 問題大臣はまだまだ沢山いるが、今回はこの辺にしておこう。
 いずれにしても、底の浅い野田総理、その言動の全てが国家国民の今と未来に決定的に影響するのだから、ここはしっかり監視していかなければならなと思っている。

言いたい放題 第229号 「ワクチンを巡る県と国との対立」

深谷隆司の言いたい放題 第229号
「ワクチンを巡る県と国との対立」

 昨日、神奈川県知事の黒岩祐治氏から、転居お知らせのはがきが来た。知事に当選して半年が過ぎたが、本人は横浜の知事公舎に単身赴任、自宅は渋谷区、事務所は横浜中区とある。
 彼とはテレビで何度か一緒になったが、格別個人的に親しくしている訳ではない。しかし、折々に連絡してくれるから、私の方も好感をもって、その活躍ぶりを見守ってきた。
 その黒岩知事が、今、小宮山洋子厚生労働大臣と真っ向から対決して一歩も引かない構えである。なりたての知事なのにやるではないかと、私は声援を送りたい。

 乳幼児を対象に行われているポリオ(小児まひ)の予防接種を巡っての論争である。
 現在、日本国内の定期接種では、生きたウイルスを使う生ワクチンが使われている。ところが生ワクチンで、まれにではあるが麻痺を発症することがある(100万人当たり約1,4人)。
 子供を思う親からすれば大問題だ。そこで希望者が続出しているのがまひの起きない不活化ワクチンである。
 こうした声にこたえたのか、今年5月、厚労省は来年度中にも不活化ワクチンを導入できるとの見通しを示した。
 そこでいち早く、神奈川県が独自に、不活化ワクチンを予防接種に当たって提供する方針を決めたのだ。
 しかし、これに対して「待った」をかけたのが小宮山大臣である。
 厚生労働省は来年導入できるだろうとは言ったが、勿論現在は未承認のものである
 未承認だから接種費用は自己負担だし、仮に、副作用や健康被害が出ても、「承認されていない薬品だから、救済制度が適用されない」というのである。
 更に、「神奈川県の導入は、いたずらに国民の不安をあおることになる。その為に、全国的に生ワクチン接種を控える人が増え、免疫を持たない人が増えたらどうするのか」と、相変わらず生ワクチン接種を呼びかけているのである。

 確かに北京などでもそうだが、近年、ポリオは海外で急激に流行し、危機感が高まっている。
 しかも、この病気はワクチンでしか防げないといわれている。
 だからといって、稀にとはいうものの、副作用があるとわかっている生ワクチン接種を、そのまま推し進めようとするのには無理がある。
 小宮山大臣は、神奈川県の方針に対して、「予防接種行政上、望ましいこととは思っていない」と、なんともお役所的発言をしている。いや、おそらく役人の振り付けのままの発言に違いないが・・・。
 黒岩知事は「国がやるべきことは、一日も早く不活化ワクチンを認めることだ。国が認めれば神奈川がわざわざやる必要はない」と国に承認を迫っている。「そもそも国の対応が遅いのだ。国は対応の遅さを反省してすぐにやるべきだ。なんと言われようと断固やる」と、益々国との対決姿勢を強めている。久々に聴く啖呵で、何とも頼もしいではないか。

 厚生省は、不活化ワクチンの導入は早くても24年の終わりごろと考えているようだが、私に言わせれば、導入可能性を発表した時期と実現の時期があまりにも離れていて、だから混乱が起きるのだと思う。
 事実、保護者の不安が広がって生ワクチン接種は減少している。一方で、有料など、条件が悪いのに不活化ワクチンは、販売本数を見ても21年と比べて、実に60倍以上になっている。こうした現実の流れを看過してはならない。

 小宮山大臣、地方自治体に向かって、批判している暇があったら、身内の厚労省にはっぱをかけて、一刻も早く導入承認にこぎつけるようにするべきではないか。
 それが、政治家たるべき大臣の見識、勤めではないかと私は思っている。

言いたい放題 第230号 「独裁者カダフィ政権崩壊」

 10月20日、42年間にわたり独裁政権を続けてきたリビアのカダフィ氏が死亡した。
 2月から起こった民衆デモは、弾圧され、武力衝突に発展し、内戦状態になったが、ついに国民による暫定政府樹立への道を開いたことになる。
 それにしても独裁者の末路は哀れである。出身地のシルトに逃れ、穴に隠れているところを反カダフィ派の兵士に見つかり、引きずり出され、足蹴にされ、「撃つな」と叫んでも空しく、あっさりと殺されてしまったのである。
 カダフィの手には、いかにも権力の座に在った彼を象徴するように、黄金の銃が握られていた。
 穴の外側には、「ここがカダフィの場所。ネズミめ。神は偉大なり。」と落書きされていたという。

 カダフィ氏は1969年、27歳で軍事クーデターを起こし、当時のイドリス国王を打倒、革命指導評議会議長に就任した。大尉だったが、すぐ大佐になりそのまま止まった。なんでも憧れのエジプトのナセル大統領にならったのだという。
 資本主義とも社会主義とも違う「第3の道」を標榜したが、重要事項はすべて自分で決める典型的な独裁国家になった。
 周囲を一族や出身部族で固め、反体制派には家族や友人まで拷問を行い、その残忍さで国民を弾圧した。利権を一族で独占し、治安機関による監視国家であった。

 今年2月から、反体制派との戦闘が激化すると、外国人傭兵と戦闘機で自国民を数千人も殺した。まさに「中東の狂犬」であった。
 70年代には、パレスチナゲリラによるテロを支援した。日本赤軍も支援されたが、恥ずべき歴史の1ページである。

 今年に入り、チュニジア、エジプトと、中東・北アフリカ地域で政権が崩壊したが、これで3ヶ国目になった。ただ、先の民主化運動は「アラブの春」と言われるように平和裏に政権移行が行われたが、今回は流血の結果であった。

 一時沈静化したかに見えたアラブ諸国での政権転覆の動きが、再びドミノ現象のように広がる可能性があると思う。
 カダフィ政権は盤石と言われていたが、このような惨めな末路となった一つの理由は、国際社会の軍事介入があったことだ。
 反政府デモや人権問題は一義的には国内問題なのだが、今後も欧米諸国の介入は続くと思われる。こうした動きの是非については、私には若干の疑問が残る。
 前述のように、カダフィ政権崩壊はアラブ諸国だけではなく、同じような独裁的体制を敷くアフリカや中央・東アジアの国々にも衝撃を与えている。
 各国の反体制派にとっては追い風となることは間違いないが、これからシリア、イエメンなどはどうなっていくのか。一層弾圧が激しくなる可能性もあって心配である。 
 いずれにしても事態が泥沼化しないように祈るしかない。

 さて、リビアはこれからどうなっていくのか、はっきり言って民主化に向けた政権移行は 簡単に行くとは思えない。
 すでに反カダフィ派の各部隊で指導権争いが始まっている。又、伝統的に東部と、トリポリのある西部との間に確執がある。国民評議会はトリポリが首都と主張しているが、カダフィ政権下で差別を受けてきた東部はそれでは収まらない。

 評議会の暫定憲法は、全土制圧宣言から30日以内に暫定政府を樹立すると定めている。暫定政府は8か月以内に議会選を行い、新議会が「移行政府」を設立。移行政府が制定した憲法のもとで1年以内に総選挙を行い、2013年に正式に政府が成立することになっている。
 今までリビアには特定の政治的な構想やイデオロギーが無かった。憲法も議会も、元首もいない。全てがカダフィの判断で政治も社会も動かされてきた。逆に言えば、この国をどう築くのか、国民は経験的知識を全くと言っていいほど持っていない。いわばゼロからの出発である。
 これからが本当に大変だなと他国ながら心配なのである。

 他国ながらと書いたが、勿論日本にとって無縁ではない。日本はアラブ地域に原油の約9割も依存している。これからの動きによっては、日本のエネルギー安全保障問題にも直結しかねないのだ。
 リビアの石油埋蔵量は世界で8番目と言われている。石油や天然ガスの生産輸出を早く軌道に乗せ、リビア国民の生活レベルを上げることが、リビアの国造りの最大の課題だ。それは一方で、日本の石油輸入の可能性にもつながっている。
 今、各国は、リビアの豊富な油田に最大の関心を払っている。うっかりすると、油田開発に、欧米企業が介入し、気が付いたら天然資源が彼らに独占されていたなどという事態になりかねない。それはリビアにとって最も不幸なことであるが、取り残された日本にとっても大きなマイナスになることは間違いない。

 日本とリビアとの関係は決して悪くは無い。だから、リビアの再建にあたって、きちんと発言し、誠実に協力することが出来る立場である。
 日本政府は、この際、敏速に、かつ積極的に動き出さなければならないのだが、野田政権に目下その動きは無い。

 野田総理は「愚直」が売り物だが、本当は「愚鈍」なのではないか
 ああ、民主党政権の愚鈍な姿が歯がゆくてたまらない。本当に情けないと思っているのは私一人ではないであろう。

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