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言いたい放題 第211号 「許せない大臣の軽挙妄動」

 昨日、野田新内閣の大臣達の軽率な発言を批判したばかりだが、その日のうちに、またもや鉢呂吉雄経済産業大臣の馬鹿な発言が大問題となっている。早速追加して書かなければならないことを情けないと思っている。

 8日、野田首相は就任後、初めて福島県入りし東京電力福島第一原子力発電所を視察、更に佐藤雄平知事と会談したり、自衛隊員や作業員を激励した。
 行かないより行った方が良いに決まっているが、就任直後の視察は恒例のようになっていて、形ばかりを繕っているようで私はどうも気に食わない。
 もっと、どっしりと構えて、しっかり熟慮検討し、具体的な対策や提案を用意してから現地を訪れるというのでなければ、単なるパフォーマンスで終わってしまって、ほとんど意味がない。
 それどころかかえって、迷惑をかけるだけではないかとさえ思えて危惧していた。

 そんな折の鉢呂大臣の問題発言だから、あきれるよりも怒りが込み上げてくる。
 「周辺町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに死の町という形だった。」と記者会見で語ったのだ。政府が避難命令を出しているのだから人がいないのは当たり前ではないか。
 大熊町の渡辺町長は、「好きで避難したのではない。故郷を死の町なんて言われたらたまったものではない。避難者の気持ちを考えて発言して欲しい」と怒っている。なんとも、やりきれない思いでいるに違いない。当然の怒りだ。
 首相は即座に反応し、「不穏当な発言で、直ちに謝罪と訂正をして欲しい」と記者団に話した。不思議なことに、直接鉢呂大臣を叱りつければいいものを、何故、記者会見で間接的に伝えようとしたのか、そこのところも分からない。

 鉢呂大臣も、あわてて謝罪記者会見をしたが、何を言っても後の祭りだ、それで現地の人々の怒りや苦しみが消えることはない。

 この発言も最低だが、実はもっと重大な断じて許されない言動をしていた。
 彼が視察を終えて、都内の衆院議員赤坂宿舎に戻った時、取り囲んだ記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけるようにして「放射能をつけちゃうぞ」と、信じられないような悪ふざけをしたのだ。
 経産相は言うまでもなく、原子力政策や原発事故の補償問題などを直接扱う担当大臣だ。
 放射能はまさに人の命にかかわるもの、特に放射能汚染問題は国を挙げての最大の脅威になっている。冗談や悪ふざけが許されることではない。ましてこの解決のために身命を賭して働かなければならないのが経済産業大臣ではないか。

 私は何度も大臣を経験しているから、取り囲む番記者の対応は心得ている。
 彼らの言葉や筆によって、大臣の言動が国民に直接伝わる。だからどうやって正確に自分の考えや思いを伝えていくか、いつも真剣に考えて発言したものだ。
 記者とのコミュニケーションは大事で、一緒に飲んだり、大いに語ったりするのだが、どんな時でも決して油断はしない。
 出来れば、本物の人間関係、信頼関係を作って、彼らを最大の武器として活用することも考えた。事実、これはかなり成功して、未だに家族的な交流を続けている人たちも多い。

 鉢呂氏は、私がテロ対策特別委員長として、インド洋における国際貢献問題に取り組み、苦労した時の野党民主党の筆頭理事であった。
 穏やかな人で、いつも協力的で、私は好感を持っていた。ただ、最大の欠点は、自分では何も決断できないで、いつも問題を持ち帰っては党本部と相談してくるというのが常だった。
 ちなみに相談する相手は誰かと言えば、それは間違いなく小沢一郎氏であった。

 鉢呂氏は万年野党議員であった。それがひょんなことから与党になって、おまけに想像もしなかった大臣にまでなってしまった。
 今回の閣僚達も圧倒的に初めての人が多い。何しろ初めてのことだからどうしていいのかさっぱりわからない。大臣としてどう行動していいのか自分一人では皆目見当もつかない。その上、野党経験者ばかりだから、大臣のあり様を教える先輩もいない。
 急に周りがにぎやかに動き出して、「大臣、大臣」とちやほやしてくれる。
 なんだかわからないうちに偉くなったような気持になって、無分別な発言をしてしまう。中途半端な者が有頂天になることぐらい怖いものは無い。
 他の大臣も概ね似たようなものだが、まさに鉢呂大臣はその典型的な姿なのではないか。

 最初だから仕方がないと同情を寄せるわけにはいかない。大臣の言動は国家国民の運命が掛かっているのだ。
 はっきり言って、気の毒だが鉢呂氏には大臣の資質が無い。
 国会で問責決議を出そうとの動きがあるが、自分から辞めた方がいい。
 もう一度出直して、政治家の勉強をしなおしてくる必要があると思う。
 随分厳しい言い方だと思われるかもしれないが、重ねて言う。
 政治家、とりわけ大臣の言動には国家国民の運命が掛かっているのだと・・・。

言いたい放題 第212号 「ああ、嘆息するのみか・・・」

 10日に、私は直ちに辞めるべきだと書いたばかりだが、その夜のうちに鉢呂吉雄氏、経産相を辞任した。
 民主党政権になって、何とも問題続出の日々、あまりに変化が速すぎて、私の「言いたい放題」も、うっかり横着でもしようものなら、たちまち時期遅れになって仕舞う。
 この速さが政治や政策の実行という面であれば、どんなに良いかと思うのだが、そちらの方はさっぱりなのだからお話にならない。

 前述のように、私がテロ対策特別委員長の時の野党の筆頭理事が鉢呂氏であった。
 割合協力的であったし、決して悪い印象の人ではなかっただけに、なんだか気の毒という思いもある。
 彼は北海道4区選出の元社会党議員、当選7回目にして晴れて初の大臣になった。就任してわずか9日、まだ何もしていないのにとは思うが、大震災で犠牲になっている人々の事を思うと、絶対に許されぬことと言わざるを得ない。  
 やっぱり大臣の器ではなかったということなのか。

 辞任のインタビューを見ると、昼間のうちは辞める気はなかったようだし、何よりも何故辞めなければいけないのか、そこのところがご本人にはよく分かってない節があった。
 「死のまち、という言葉は言うべきではなかった、ただ、人っ子一人通らないことを表現するのに、私の言葉ではあれしかなかった。」と語っている。単なるボキャブラリーの無さを批判されているのではないことに気づいていないのだ。
 自分たちの責任ではないのに、町を追われて暮らす被災者の心を少しも分かっていないことが問題なのだ。苦労に必死で耐えて、懸命に努力している人々の心を逆なでして、そのことに一向に気づいていない。記者会見でもその点についての深い反省は全くみられなかった。

 「放射能をうつしちゃうぞ」と言った発言についても、「記憶は定かではないが、大変厳しい現地の状況を共有してもらおうと、非公式な懇談という気安さもあって・・・」と弁解している。非公式なら何を言ってもいいという考えがそもそも駄目なんだよ!
 福島出身の子供たちが、疎開先の学校で放射能をうつされるといじめに合っている。駐車場に止めてあった福島ナンバーの車が壊された事件も現実に起こっている。なによりも福島産の物は避けようとする風評被害は拡大される一方なのだ。その事に心を痛める人でないと担当大臣は務まらない。
 相次ぐ大臣達の無責任な言動、これでは現地の人達との信頼関係は築けない。信頼関係なくして、被災地の復旧復興は不可能だ。

 鉢呂氏が野田首相に会い辞任を告げると、あっさり了承されたという。
 自分でこれぞ良かれと自信をもって決めたのではなかったのか。元々、大した期待は持っていなかったのか。だとしたら、任命した側こそ随分無責任な話であって、自民党の石原幹事長が言うように「任命責任を追求」されて当然のことである。

 そもそも、野田政権発足にあたって最大の目標は、如何に党内融和を図るかということであった。党役員人事も閣僚任命もその点にこだわった。
 新しい顔ぶれを見て、バランスが取れていると一般的には好評だった。だから60%以上の支持率となった。
 しかし、私の思いは逆で、これでは必ず問題になると最初から主張してきた。すでに具体的に指摘しているように、先の代表選における論功行賞的色彩も濃いし、それだけに問題児が多すぎるのだ。
 玄葉光一郎外相は、米軍普天間飛行場問題で、「踏まれても蹴られても、誠心誠意、沖縄の皆さんと向き合っていく」と、もっともらしく語ったが、この発言も沖縄の人々から反発を招いている。
 「踏まれても蹴られても」では、最初から対決姿勢、もっと言えば、まるで喧嘩腰ではないか。軽輩外相と言われてはいたが、なるほどと妙に納得できるから悲しい。

 まあ、それにしても、なんと勝手なお粗末な発言がこれでもかこれでもかと続出していることか。
 党内融和優先のツケが早くも回ってきたということだ。
 言うまでもないことだが、政治をしっかり進めていくためには、人事において適材適所が絶対条件だ。
 もっとはっきり言えば、適材適所で行こうと思っても、しかるべき人材が、民主党にいないということではないか。
 野田政権発足早々の躓き、初の失敗というが、これが始まりの第一歩となるのではないか。
 ああ、空に向かって嘆息するのみか・・・・・・。

言いたい放題 第213号 「所信表明演説を聞いて」

 14日、野田総理大臣の所信表明演説が行われた。何しろ政権を担当して初めての演説だから、彼のやる気と本気度を探ろうと、原稿の全文を何度も熟読した。
 全体的に読んで感じたことは、前文とむすびは別にして、やっぱり官僚が書いたものという印象が強い。
 私自身、大臣として何度も総理の所信表明演説づくりに参加してきただけに、あらゆる問題点を、そつなく、総花的に書かれているから、かえってそう思うのである。
 今までの慣例で言えば、政策についての内容は、まず各所管省庁から、文言として上ってくる。色々の人の手を経て出てくる文章を、一本にまとめるわけだから、この演説は「詠み人知らず」だと揶揄されたこともある。
 一応出来上がった原稿を、総理を中心にチェックし手を加え、まとめ上げたものが所信表明演説となる。
 だから、前述のようにそつなく総花的になり、逆に言えば具体的な中身に欠けてしまうのである。
 今回の演説には、東日本大震災問題から、世界的経済危機への対応まで、一応すべてのことが網羅されてはいる。しかし、ほとんど今まで言われていたことの繰り返しばかりで、どのようにして解決するのか、格別、具体的な新しい提案があるわけでもない。
 「万全を尽くす」とか、「冷静に検討します」とか、「与野党で真剣な議論が行われることを期待します」では答えにはならないのだ。

 前文には、かなり総理の思いが込められてはいる。
 被災地で様々な人達が、自らを省みず、最前線で頑張っている。震災で改めて示された日本人の立派な精神、気高さ、これらに感動したと語っていたが、これは全く同感である。この点、彼の思いはよく伝わってくる。
 野田氏は就任間もない8日から3日間、自分の目で被災地を確かめたいと現地を訪れている。そこで受けた思いを背景にして語っているのだ。
 しかし、すぐ裏を勘ぐりたくなる私は、はて、彼は菅内閣でも閣僚という重席に居たのではなかったか、その時は被災地に飛んで行かなかったのかと首を傾げるのだ。あれからすでに半年もたっている。今更、あわてて現地を訪れ、かの地の人々の働きに感動したもないだろうと考えるのだ。
 総理になった途端、時間的に無理をして現地に飛んだが、いわば得意の野田節を聞かせる為に、その背景になる絵を作ったのか、だとするなら、如何にも姑息な手段で、決して許されることではないと強く思うのだ。

 「正心誠意」という勝海舟の「氷川清話」から引用した言葉をつかっている。彼は物知りで評判だが、あの「どじょう」のように、人の関心を呼び寄せることに巧みだ。
 今度の演説の中で、「増税」のことを「歳入改革」と言い換えているが、これらはいわば言葉の魔術というもので、まさに彼の真骨頂といったところか。しかし、そんな言葉のごまかしに惑わされてはならないのだ。

 総理は、与野党の協力の必要性を訴えている。
 当然、野党と積極的に議論すると思っていたら、なんと、臨時国会はわずか4日間で終わりと強行採決する始末だ。衆議院解散の為に召集した国会を除けば、戦後2番目の短さなのである。
 しかも、当然開かなければならない予算委員会もやらないという。新首相が選ばれた直後の国会では、総理や閣僚と論戦を交わすのは常識ではないか。
 平野民主党国会対策委員長が、いみじくも洩らしたように、この内閣の顔ぶれでは、早速立往生すること必至だから、逃げたのである。
 軽挙妄動で辞任した鉢呂前大臣だけではなく、叩けば埃の出る大臣が山ほどいるから、ちょっと間をおいてということだろうが、だらしのない話である。
 自民党など野党も、予算委員会が開かれたら、野田政権の矛盾や欠陥を追及するだけでなく、きっと良き提言もする筈なのだから残念である。
 谷垣自民党総裁の言うように、「正心誠意」というならば「誠心誠意」、国会で議論する姿勢を示すべきなのである。今の様子では、公明党の山口代表が言うように「野田氏に対話や協力を語る資格が無い」ように思えてならない。

 「愚直」というのも、どうも怪しいと思われる節がある。
 25年間も街頭演説を続けてきた。黙々と泥臭く、語り続けてきたというのが「売り」なのだが、それにしては就任以来、記者団との会見も開かず、官邸のぶら下がり取材にも応じていない。記者からどこが愚直なのか、庶民的なのかという怨嗟の声も起こり始めている。
 今度、自身のブログ「官邸かわら版」とやらを、街頭演説の代わりに開設することになった。
 一方的に言いたいことだけを書くつもりなのだ。これなら議論しないで済むと考えているのだろうが、甘い判断だ。
 かつて私は40年近く、「深谷骼iのダイヤルレポート」を続けていた。留守番電話を活用して週一回政治への思いを語ったのだ。今でいうホームページ、あるいはブログのはしりで、これは私のアイデアとして評判であった。これをまとめて本を2冊出している。
 ある時、たまたま通産大臣であった中曽根先生が、これはいいと同じ形で発信を始めた。
 ところが、大臣として言ってはならないことを語って問題になった。決して間違ったことを言ったわけではないのだが、大臣の発言となると想像以上に重いし、注目度も高い。危なく舌禍事件になるというので直ちに止めることになったのである。
 その経験から私も郵政大臣になった時はやっていない。
 総理大臣の「かわら版」、危なくてとても長くは続けられないと思う。どうせすぐ終わるか、さもなければ問題にならない程度の、つまり中身に全く意味の無い、つまらない発言で終始するのではないか。
 いずれにしても、政権発足まだ日が浅いが、早々にボロがみえはじめているようで心配である。

 彼は所信表明演説で、いみじくも次のように言っている。
 「政治が指導力を発揮せず、物事を先送りする」ことを「日本化する」と表現して、揶揄する海外の論調があります。これまで積み上げてきた「国家の信用」が今、危機に瀕しています。
 全くそのとおり、演説で言うだけではなく、この言葉を拳拳服膺して、愚直な努力を重ねてほしいものである。
 せめて、また3度目の失敗にならぬように・・・。

言いたい放題 第214号 「所詮、自ら滅びる運命」

 出足はまずまずかなと思って見ていたが、野田新政権、やっぱり、こりゃ駄目かなという感じになってきた。
 臨時国会の会期を、今度は一転して14日間延長すると決めた。この豹変ぶりにはびっくり、あきれるばかりである。

 すでに前にも書いたが、新内閣がスタートしたばかりなのに、会期は4日間と、与党の数で押し切って、強引に国会で議決してしまった。
 野党としっかり会話をし、協議していきたいと、あれだけ分かった風な話をし、連立まで口走っていたのに、この暴挙、強引さである。
 さすが野党は怒り心頭で、自民党を中心に7党は対決姿勢を鮮明にして、衆参両院議長に会期延長を要請したのである。至極当然のことであった
 本会議場で総理が所信を表明し、各党代表が質問する。その上で、予算委員会を開いて、内閣の政策や方針を更に詳細糺していく、というのが当たり前のことなのだが、それをやらずに逃げ出そうとしたのである。
 総理が訪米して帰国してから、休会中に予算委員会を開こうと輿石幹事長は提案していたが、そんな姑息なやり方が通用する筈もない。
 輿石氏は参議院議員だから、衆議院での「進め方」を知らないのではないかという人がいるが、だとするならば、そもそも与党幹事長は失格である。

 早く国会を閉じたいという思惑は分る。要は新米大臣ばかりでろくな答弁が出来ずに、たちまち立往生すること必至だからである。
 平野民主党国対委員長は,「今の内閣は不完全な状態で、国会答弁が出来ない」と平気で語っていたが、こんなことを公然という委員長もめったにお目にかかれない。
 その上、政府・首脳会議で、「閣僚のテレビ出演の自粛を求めている」と発言している。失言が怖いからということであろうが、今まで自分自身の発言で、野党の反発を買ってきたことすら自覚していないのだから困ってしまう。   
 おまけに就任9日目で辞めた鉢呂前大臣への任命責任追求も激しくなる。人の噂も75日、少しでも先送りすれば批判の声も薄くなると考えているのだ。

 4日間で閉会するという強硬姿勢を取ったからには、よほどの覚悟があるのかと思ったが、野党の強硬な反発にあうと、たちまち腰砕けになってしまう、野田政権は国会運営で早くも躓いてしまったのである。
 16日に、衆議院本会議で14日間の延長を決めたが、その直前に開かれた民主党代議士会は、当然のことだが、突然の方向転換に大反発が噴出した。
 松木、加藤両国対副委員長は早速辞表まで提出した。野田氏が第一に唱える党内融和も怪しくなってきている。

 余談だが、西岡武夫参議院議長は、自身の出身政党民主党の強引な4日間の決定に激怒して、議長職権を使って参議院で会期延長を決めようとしたという。
 昔、中曽根内閣の時、売上税の問題で私は大反対し、自民党の総務会で、後に総理になった小泉純一郎氏とタッグを組んで、数時間も反対演説を続けたことがあった。最後は総務会長が逃げ出して、私の主張が通るのだが、この時逃げ出した総務会長が今の西岡議長である。
 最近は、色々な場面で議長としての立場を守り、出身党に反発したりしている。なかなか気骨のある政治家になったものと往時をしのび感慨深いものがある。

 さて、これから開かれる予算委員会は、どんな形で推移していくのであろうか。野田政権の欺瞞性や大臣の無力さ、危うさを徹底的に追及して欲しいと思う。特に民主党の偽りのマニフェストの撤回を求めていくべきだと思う。
 しかし、一方で、それだけで終わって欲しくないと強く思ってもいる。

 いま日本は本当に危機的時代を迎えている。
 たとえ政権から離れたとはいえ、自民党はまぎれもなく今日の日本の発展に寄与してきた国民政党である。
 いま日本が抱えている諸問題をどう解決していくべきか、これまでの豊富な経験や知識を存分に生かして、積極的に具体的政策を提言し、政府にその政策を取り上げ、実行実現させるように進めるべきなのである。
 なにかというとすぐ「解散せよ」と口癖のように迫っている。勿論、間違ってはいないが、解散の可能性は実際のところ薄いし、何よりも自民党の支持率は低いままで、選挙をやっても政権奪取は難しい。
 ここはどっしりと腰を据えて、さすが自民党と言われるように行動すべきと思うのだ。
 はっきり言って、「どぜう」のようにのらりくらりとごまかしていても、所詮、自ら滅びていく運命であることは目に見えているのだから・・・・。

言いたい放題 第215号 「迫力ある中野嘉之個展」

 日本画界の中核、気鋭の画家といわれる中野嘉之氏の個展が、9月20日まで日本橋高島屋で開かれている。
 中野氏は箱根に立派な別荘兼アトリエを持っていて、私の山荘も近いので、度々お邪魔する。
 私も昔から絵が好きで、二科展10回入選が少しばかり自慢だが、中野氏のこのアトリエで、御一緒に何度も絵を描いた。これだけの大家なのに、私が絵を描きたいとあらかじめ連絡しておくと、なんとにかわを溶いて待ってくれるのだ。
 私の自宅玄関にある100号の日本画は、箱根の山上で、急激に移り変わる雲と、悠然とある月をテーマに描いたものだが、先生と酒を酌み交わしながら描いたものである。
 自分では不肖の弟子のつもりなのだが・・・。

 中野氏の今回の個展のテーマは、表題の「天 空 水」で静、動、映、揺を主体に、そこから生まれる天空水の流転を探り描こうというもので、その中心に「竜」を置いている。
 中央の襖絵の大画面(縦2m、横13.2m)が「双竜図」で、双竜がまさに水中から世に出ようと荒れ狂うばかりの迫力だ。彼が自ら書かれた文章にあるように、「一瞬のかすかな風と静止した空気感」が伝わってくる。
 実は私も通産大臣時代、竜を描いて三越の吉書展に出したことがある。
 「或いは踊って淵にあり」と添え書きを加えたが、深い淵で満を持していた竜が、まさにいよいよ天空に躍り出ようとしている図で、いわば当時の政治家としての私の心意気を表現したものであった。
 中野氏の絵とは勿論比較にならないが、この私の絵にはその後、いろいろなドラマがあった。私にとっては想い出に残る作品で、風呂敷に染めて、多くの人に配ったものである。

 京都の妙心寺の天井には、狩野探幽の雲龍図が描かれていて、私は何度も訪れたものだ。龍は実在せず、まさに想像の世界の神獣で、角は鹿、頭は駱駝、目は鬼などといわれている。さすが探幽の作品はその構図や重厚なタッチで目を奪われる。
 しかし、近年は案内人の説明も次第に通俗になって、余りに観光客向けで白々しく、私はどうも気に入らない。
 それに比べて、中野氏の今回の作品は、はるかに雄大で静と動が躍動していて、迫力がある。
 隅の方に数羽の鳥が描かれている。多分中野氏の好きな鴫(しぎ)ではないかと思うが、鬼気迫る双竜や、激しく移り変わる自然の荒々しい動きの中でむしろ無関心気に、平然と靜にたたずんでいる。
 その対比が素晴らしく、見るものを幽玄の世界に誘ってくれる。
 せっかくの芸術的大作が、これからどうなるのか、その行方が気がかりであった。
 どこか、妙心寺ではないが、立派な寺社で引き受けてくれないものか。この見事な絵を、なんとか後世の人々の為に伝えてくれないものかと思案している。
 この個展は、9月28日から10月4日まで高島屋京都店、10月19日から25日まで高島屋横浜店、11月16日から22日まで高島屋新宿店、11月7日から13日まで高島屋大阪店、最後は12月21日から31日までジェイアール名古屋タカシマヤと続く。多くの人々に見て欲しいものである。


食べある記

 この日、丁度、奥さんも同席していたので、私の女房と4人で夕食を取ることになった。場所は、ホテルニューオータニタワー入り口前を入った赤坂維新號(紀尾井町1−11 3261-2213)、ここは私の知人が経営している有名店で、特にフカヒレが絶品と大評判である。
 少しお高い値段だから、私も度々行けるわけではない。
 フカヒレだけで大13,650円する。
 この夜は、前菜、海鮮料理、北京ダック、豚肉料理、その他に小品をいくつかとって、麺とデザートでしめる。生ビール4杯、陳酒ボトル2本をあけて、1人2万円超だ。
 だが、内容と値段は全くマッチしていて、舌鼓を打ち、「来てよかった」となる。
 他の外食を少し我慢して、また行きたいと思うのだから、さすがである。
 美酒美食で中野氏を中心に談論風発。
 丁度日本バッシングの最中、中国の現地で宴会中、日本への批判が少しでも出るや、憤然と席を立った話など、氏の面目躍如たるものがあった。
 心も胃もすっかり満足し、本当に楽しい一日であった。

言いたい放題 第216号 「ミスの無いブログ」

 私の「言いたい放題は」、近頃、かなりの人が読んでくれているようだ。
 アクセス数が2万4千を超えているというから驚きである。
 ちなみに、これをスタートさせる前は、「深谷隆司のホームページ」を出していて、6万5千を超えるアクセスがあった。政治家のものとしては常にベスト5以内に入っていた。
 ただ、デパートのように色々なテーマに広げ過ぎて、手におえないところは外注までしたものだった。これでは手数も費用も掛かり過ぎる。
 そこで「深谷隆司の言いたい放題」に変え、これ1本にしたのである。
 1回、原稿用紙で5・6枚、週3本程度書くことにした。かなりの量で、昨年は一部をまとめて本にした。角川書店から出た「こんな政治じゃ、日本がダメになる」である。
 ところが、前述のように読者(と言っていいのか)がうなぎ上りに増加すると、ちょっと手を抜いたり、うっかり書かなかったりすると、たちまち反応がおこる。
 「大丈夫ですか」、「身体でも悪いのですか」といった善意の心配だが、これは大変、よほど頑張らなくてはと追われるような心境になる。
 中には、ちょっとしたミスにも気が付いて注意してくれたりする。

 最初の頃は、私が万年筆で原稿用紙に書いて、これを秘書がパソコンに打ち込むというやり方であった。
 しかし、ある時、孫に教えられて、私が直接打ち込むようになった。得意の指一本打法だ。
 原稿も書かずに、いきなり打ち込むのだから、これはまことにもって便利である。しかし、最近になって欠点も多いいことに気づくようになった。
 まず、原稿用紙を前に十分に考えることをしないから、思い違いや、うっかりミスが出やすいということだ。秘書や女房が校正してくれるのだが、思い違いまでは当然気がつかない。
 次は漢字を忘れてしまうということである。
 私等、古い世代の者はボキャブラリーが多い方だと思う。だが、例えばこれを「語彙」と書こうとするとなかなか難しい。分かりにくい時はすぐ辞書を引くことが習慣になっていたが、パソコンでは簡単に出てくるから、その必要はない。だから漢字をどんどん忘れていくのだ。

 数日前、福岡市に住む41歳の方から次のようなメールが届いた。
「いつもこのブログを呼んで(原文のまま)、政治家の判断基準を勉強させていただいています。
 さて、9月17日のブログの文中の、中曽根内閣の時、深谷先生と小泉元総理が売上税の時タッグを組んで反対したとありますが、海部内閣の時の政治改革(小選挙区)の時のお話しではないでしょうか?西岡武夫さんは、中曽根内閣の時は、自民党に復党してまだ、時間があまりたってなかったときではなかったでしょうか?」

 赤面の至りである。
 第二次海部内閣で私は郵政大臣に就いたが、退任した後、にわかに小選挙区制度導入の動きが起こった。
 確かに小泉氏と組んで断固反対の3時間に及ぶ大演説をぶったが、時の総務会長は西岡武夫氏であった。この時、西岡会長はたまりかねて退室し、審議未了で、結局この案は消えた。
 小選挙区制は、今も一貫して反対である。こんな制度がなければ亡国民主党政権など生まれる筈もなかったのだ。
 平成5年、自民党が選挙で惨敗した時、総務会で再び小選挙区制度問題が提案された。
 当時の「サンケイ新聞」(7月28日)の「大変化、政治を追う」というコラムに、次のような面白い記事が書かれている。
 「政権争いでがけっぷちに立たされた自民党と社会党に、27日、政界再編のキャステングボートを握る日本新党とさきがけが、なりふりかまわぬアプローチ作戦に打って出た。
 「随分激しい口論だったな」
 この日、東京永田町の自民党本部で開かれた総務会終了後、加藤六月元政調会長はこう苦笑いを浮かべた。
 たった1時間余りの話し合いで党議決定は小選挙区、比例代表並立制に変更されたが、「野党が過半数を占めた選挙結果を厳粛に受け止めたもの」とさらりと語る津島雄二氏。
 若手の石原伸晃氏も「総選挙の結果で執行部も大きな間違いをしたのを悟った」と、まるで40日前のあの怒号と乱闘騒ぎの総務会は無かったように口をそろえる。
 その席上、ただ一人異議を唱えたのが深谷隆司氏。野田毅氏との間で掴み合い寸前となった。
 深谷氏は「衆議院は直接選挙であるべき、比例制をもってくるのはおかしい」と並立制を批判。「政権をとることに恋々としてはいけない。野党の言葉にすぐついていく人に、とやかく言われる覚えはない。
 議論はもう少し必要だが、党内民主主義に従うまで」と淡々とした口調の中にもやりきれないといった表情。」(以下省略)

 あの時、実は危なく野田氏を殴り倒す寸前だった。みんなが必死で止めてくれたからよかったが、私は空手6段、万が一のことがあったら大事件となっていた。まさに若気の至りであった。勿論、今、野田氏は良い友人にである。

 1986年、中曽根内閣が強行しようとした「売上税」に、私は真っ向から絶対反対を唱えた。連日マスコミは大報道で、大変な話題になった。
 時の幹事長が早稲田大学雄弁会の先輩、竹下登氏で、「こんなことをいつまでも続けていると党から処分されるぞ」と何度も脅かされたが、私は「どうぞ」と笑って答えて挫けなかった。
 最後は幹事長室に呼ばれて、「お前も頑固な奴だな、大隈老公の精神だわな。分かった、今回は撤回する」と断念してくれたのである。
 自民党の、本来なら当然あるべきお咎めは一切なかった。先輩の優しさをかみしめたものである。

 「週刊新潮」の連載コラムで、作家の川上未映子女史が「どんなに人を代え、眼を変えて読み直しても、思いがけないミスがあるものだ」という意味の事を書いていた。物を書くというのは本当に難しい。
 とはいえ、なんとか勘違い、ミスの無いブログにしたいものである。
 とりあえず、もう一度原点に返って、自筆で原稿を書き、秘書に打たせ、校正も自分でやるようにしよう。
 それでも間違えたら・・・。
 「後期高齢者だから、許せ」と言うことにするしかない。

言いたい放題 第217号 「頼りない野田外交デビュー」

 台風一過、ようやく秋の爽やかな青空が広がっている。
 それにしても、転変地変の脅威が次々と日本全土を襲い、各地に大きな被害をもたらした。
 大地が揺れ、猛り狂ったような風雨に、何か我々が自然の怒りに触れたのではないかと感じさせ、慄然とする思いである。
 今月初めの台風12号は90人を超える死者、行方不明者を出したが、今度の15号も日本列島を縦断し、死者、不明者は15名に達した。
 私の住む首都圏では、夕方から夜にかけて鉄道が運休となり、帰宅ラッシュを直撃して、いわゆる帰宅困難者が駅に溢れた。
 東日本大震災で受けた、筆舌に尽くしがたいほどの被害の傷がまだ癒されないうちの、今回の災害に呆然とし、これから日本はどうなっていくのかと不安を抱く人は多い。

 こんな時こそ、政治や行政がしっかりとした対応をしなければならないのだが、相変わらず混迷が続いている。
 与野党が協力して、一日も早い復旧復興のために全力を挙げて欲しいと、心から願わずにはいられない。
 今、もし自分が現職であったなら、こうもしたい、あれも出来る筈と、様々な思いが巡るのだが、詮無い話ではある。

 ところで、野田首相がいよいよ外交デビューした。
 震災で内向きであった日本が、いわば潮目を変えるチャンスともいえる外交初舞台、しかし、最初の日米首脳会談でも明らかなように、相当厳しい試練が待っているという印象である。
 オバマ大統領にとって、就任以来日本の首相に会うのは、なんとこれで4人目である。国連総会で会談するのは、3年連続で違う首相という異常な状況である。
 野田首相は会談後、「個人的な関係を築くいいスタートが切れたと」と自画自賛していたが、能天気な話ではないか。
 普天間移設問題では、オバマ大統領のいら立ちが垣間見られ、「年内に具体的な結果を出すように」と、かなりはっきりと求められていた。
 アメリカの上院では、普天間移設に連動する沖縄海兵隊のグアム移転費用について、オバマ氏の要求に対して「全額却下」という厳しい答えを突き付けている。
 年内に、日本側の具体的進展がなければ、このまま予算がつかなくなることもあり得るのだ。
 相変わらず沖縄の反発は根強い。野田首相は「全力を尽くす」と繰り返すだけだが、言葉だけで断じて終わってはならないことである。

 国連の潘基文事務総長との会談で、野田首相は南スーダンPKOへの自衛隊派遣について、かなり前向きな話をしている。
 かつて、インド洋の海上自衛隊派遣を手掛けた私の立場から言えば、国際貢献に踏み出したことは結構なことではあるが、現地の治安状況がすこぶる悪いと言われていることを考えると、そう簡単ではないぞと心配でならない。
 国境付近では紛争や略奪が横行しているが、そんなところへ、調査団が出かけた後、必ず求められるであろう施設部隊の派遣など可能なのだろうか。
 いざ派遣となれば、当然、自衛隊の武器使用基準の緩和や変更など、様々な対応が必要になってくるが、果たして民主党内の合意が得られるのだろうか。
 野田首相の発言は、言うまでもなく国際公約である。もし、この発言が空念仏で終わったら、日本への信頼は一気に失墜すること必定なのである。

 ニューヨークの国連本部の演説では、「原発事故の冷温停止を年内をめどに達成する」と、来年1月中旬と言ってきた事故収束の達成時期を前倒しする考えを表明した。大した根拠も無しに、大丈夫かと心配になる。
 安全性を高め、早期解決を伺わせることで、原発や関連技術を、新興国に輸出しようとする方針を、引き続き進めることを示そうとしている、という見方もある。
 民主党内では脱原発の動きも根強くあるが、もしそうした考えが主流になれば、新興国への輸出など矛盾した話ではないか。
 一体、日本の将来のエネルギーをどのようにしていくのか、政府にも民主党にも確たるコンセンサスは無い。
 大体、代替エネルギーの見通しもないまま、ただ脱原発を喧伝するなど無責任な話である。まさに国民迎合主義、政権交代時に掲げたマニフェストと同じことで、羊頭狗肉なのだ。

 せっかくの外交スタートの時、ケチをつけるつもりはないが、せめて今日の青空のように、台風一過の、すっきり爽やかとはいかないものだろうか。

言いたい放題 第218号 「小沢元秘書有罪判決」

深谷隆司の言いたい放題 第218号
「小沢元秘書有罪判決」

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26日、東京地裁は小澤一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」を巡る事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪に問われた三人の元秘書に対して有罪判決を下した。
一部マスコミなどで、無罪になるのではないかとの憶測もあった。
 丁度、大阪地検特捜部のフロッピーディスク改ざん隠ぺい事件があって、検察の取り調べに対する不信が高まっていた。今回の土地取引事件でも、地裁は東京地検特捜部の調書の多くを「威迫と利益誘導があった」として証拠採用しなかった。
 石川知裕衆議院議員は特捜部の取り調べを「隠し録音」し、これが不採用の原因になり、大久保隆規元秘書の場合は、なんと取り調べた検事が、例の「村木事件」で証拠改ざんした前田恒彦元検事とあって検察自らが取り下げていたのだ。
 だからひょっとして無罪?という思いがあったのだ。
 しかし、私は、昨年
6月に角川学芸出版から出した拙著「こんな政治じゃ、日本がダメになる」で、確信をもって明白に「有罪だ」と断じている。
だから、自分の予言通りの今回の判決に、秘かに満足しているのである。
  小沢氏の資金管理団体「陸山会」が6年前に土地を購入した。しかし、この購入原資はこの時、政治資金収支報告書に記載されなかった。これだけでも政治資金規正法違反にあたる。
 この
4億円の資金の出所を隠すために、わざわざ銀行から借りたことにし、その処理を午後に行なった。ところが土地購入代金を支払ったのが、その日の午前中であることが分かり、たちまちそのインチキが暴露されてしまったのである。

 なんとも子供だましで呆れるが、秘書たちが政治資金の出入りをごまかすために、日常的にやっていたからこんなミスを招いたのではないかと、拙著の中で書いている。

 後からあわてて、石川議員は、あれは小沢氏が亡き父からの相続の分ですと言い訳をしたりした。
42年も前に父はなくなっているのに・・・。
 
石川議員の発言はくるくる変わって信頼できないから、むしろ自白調書を採用しない方が賢明であったと私には思われる。

 今度の判決のもう一つの特徴は、裏金受領も事実として認定したことである。これで、小沢事務所の「ゼネコン利権」を天下に明確に示したのである。

 最初の強制捜査で(
20093月)、陸山会事務所のパソコンから、ゼネコン各社から下請け業者を迂回させて年間億単位の献金を受けていたことを示す一覧表も見つかっている。いわゆる[天の声]についての業者の供述も多い。

 小沢ダムと言われる胆沢(いさわ)ダムの受注をめぐり水谷建設から渡ったとされる
5000万円について、石川議員は完全黙秘を貫いたが、授受の現場となったホテル喫茶店のレシートなど客観的証拠もあり、その上、裏金を用意した元常務、運んだ元専務、授受に同席した別の建設会社長らが次々と証言していて、判決が事実と認める決め手となっている。別口の大久保元秘書に5000万円を手渡した元社長の証言もある。

 水谷元会長は、「驚いた。会社から裏金が出たことは事実だが、石川議員に渡したところは見ていない」と記者に語ったようだが、弁護しているつもりかもしれぬが、「語るに落ちる」とはこのことだ。

 元秘書
3人の有罪判決があったのに、小沢氏は会見もコメントも出さない。未だ民主党政権に対して隠然たる力を持っている小沢氏のこうした姿勢は、国民軽視で絶対に許されることではない。
 野田首相は、昨日の予算委員会の答弁の中で、「政府の立場として司法の判断についてコメントすることは差し控えたい」と述べたがこれは全くおかしい。せめて
「司法の判断を厳粛に受け止める」程度のことを言わないと、裁判軽視の誹りは免れないと思うのだが…。要は小沢氏を恐れて及び腰なのだ。
 下手に対応すれば党内対立が激化する。
もしかしたら、政治とカネについて、自らやましいところでもあるのか。そういえばこのところ、閣僚達のスキャンダルが週刊誌で次々と取り上げられている。野田首相の外国人違法献金はその後どうなっているのか。

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6日には小沢氏の初公判がある。何故か無罪になるというマスコミもある。
小沢氏の公判は「虚偽記載があったのか」、「共謀があったのか」が争点だが、剛腕小沢氏、秘書が彼との相談も無しに、巨額な金銭を自由に動かせる筈もない。

 「知らない」で通るなど我々の常識にはないのだが、果たしてどうなるのか。悪は許さないという厳しい目で注目したいし、これらの動きに対して、野田首相がどのように対応していくのか、しっかり見極めなければならないと思っている。

言いたい放題 第219号 「喜寿を迎えて」

深谷隆司の言いたい放題 第219号
「喜寿を迎えて」

 今日は私の誕生日だ。76歳、喜寿だという。
 喜寿は77歳だと思っていたが、この場合は「数え歳」でいくのだそうで、なんだか1年損をしたような心地である。
 色々な人から「おめでとう」と言われて、悪い気はしないのだが、とうとうこの年になったのかと、改めて年月の過ぎ行く速さに、戸惑っている。
 
 何よりも嬉しいことは、女房を中心に家族全員が健康で元気だということだ。
 可愛い孫たちが5人もいて、おじいちゃん、おじいちゃんと大事にしてくれる。
 一番下の隆元は、来月で1歳になるが、もうよちよち歩きを始めている。誕生日には1升餅を担がせて転ぶ真似をさせなければならない。今の人にはわからない古い習慣だが、後期高齢者だから私や女房にはわかるのだ。
 幸い嫁も、古い習慣だと馬鹿にしたりはしない。他の様々な事柄でも「経験の中から生れた生活の知恵ですね」と素直に受け入れてくれる。

 一つだけ気がかりは、女房の姉恭子が入院中ということだ。幸い杏林大学病院で、松田理事長やご子息の手で必死の治療を受け、確実に回復しつつある。
 彼女は私と同い歳、最初救急車で運ばれた他の病院で「何しろ高齢ですから」と言われた時はドキッとしたものだ。なんとか全快させたいものと祈り続けている。

 私の方はまさに絶好調で心身ともに健康である。
 とはいえ、実は1か月前、暴飲暴食がたたって「びらん性胃炎」になり、山口先生の病院で点滴を受けたりもした。
 わずか1週間自重して酒を断ってみたら、なんと血液検査で満点の成績で周囲もびっくり、全ての原因は自分でも改めてよく分かった。
 どうせならこの機会に減量も徹底してやろうとなって、呼吸法を取り入れた新たな体操を始め、これにかねてからやっていたタップダンスにも一層励んで、ついに3キロ減量に成功した。
 この数日、皆さんから痩せたと言われてご満悦だったが、中には具合でも悪いのかと心配された。やっぱり歳なのかなあ・・・。

 今、この長いようで短い76年を、静かに振り返り感慨無量の思いがする。
 昭和10年生まれだが、まさに戦乱の時代で、第2次大戦の日本の敗戦は遠く満州の地で迎えた。
 もう日本へは帰れないだろうと子供心に思ったものだが、昭和21年、無事日本に引き揚げることが出来た。
 長崎佐世保に上陸したのだが、大人たちは日本の大地を踏みしめ、中には地面に頬をつけて泣いていた。
 祖国があるということがどんなに素晴らしいことか、この国の為に尽くしたい、と漠然と思ったのが、私の政治家を志した原点であった。

 高校生の頃、「20代で区議会議員、30代で都議会議員、40代で国会議員、50代で大臣、60代で天下を握る。」と、そんなプランを立てたものだ。
 27歳で区議会議員になった。33歳で都議会議員になり、37歳で予定より早く国会議員に当選した。
 国会議員は9期やり、5つの大臣に就き、自民党総務会長も務めた。
 総務会長は私が35代目だが、先輩には左藤栄作、中曽根康弘元総理等錚々たる人々の名が連なっている。
 こう書くといかにも順調に来たようだが、私の選挙区ではいつも現職が落選し、当落を繰り返す不思議なところで、私はなんと6回も落選し長い浪人生活を余儀なくされた。
 天下を握ることは出来なかったが、まあ、ゼロから出発したのだから満足しなければならないと思う。ただ、まだまだやるべきことがたくさん残っていて、そのことが気がかりではある。

 喜寿を迎えて、ことさら心に期すべき大げさなものは無いが、どんな境遇にあっても、政治に対する思いを大事にして、常に厳しい発信を続けていくこと、そしてこれからこの国を支えてくれる若者をしっかりし育てていくことが私の役割だと思っている。
 親からもらったこの身体を大事にし、少しでも長く生き、友人知人の為に役立つよう心がけ、そして何よりも、こよなく愛してやまない女房家族を大事に暮らしたいと思っている。
 今日は、私にとって、ちょっとした新たな人生の出発の日でもある。

言いたい放題 第220号 「友人からのメール」

深谷隆司の言いたい放題 第220号
「友人からのメール」

 私の言いたい放題を見て、色々な方からお祝いが寄せられました。その1つを紹介します。



 喜寿をお迎えになられたとの事、ブログで拝見いたしました。心からお祝い申し上げます。 今日まで、深谷さんが国家、国民は基より、地域の活性化のために尽力なされてこられた事は万人の知るところです。
 私たちが子供の頃は、浅草の生んだ政治家として安藤正純さんが有名でしたね。
 深谷さんはこの大先輩を遥かに超える大政治家になられ、今は政治家を志す若い人達の教育に尽力されているお姿には心底から尊敬いたしております。

 少年時代にボ−イスカウトを通じて、あの戦後の混乱した時代を、深谷さんと共に生きてきた事に誇りを感じています。毎日曜日、通入寺の伊東先生がお経を唱える後ろに正座して、神妙にお経を聞いていた?数名のスカウト少年の中に深谷さんも居られました、、、。 田中町からアサヒ会通りの私の家に立ち寄ってくだされ、一緒に通入寺に通っていました。  まだ、ついこの間のように思い出されます。
 あの時の少年深谷さんが76歳、私は75歳です、、、。感無量ですね。
 深谷さんは奥様共々、お元気に過ごされておられ、お孫さん達との心温まる日常がブログを通してとても良く伝わってまいります。 政治家の奥様は、私たちの想像も出来ない大変な日常の連続であられた事とご推察いたします、、、。後援会の集まりや、ブログを通して知る深谷ご夫妻は仲睦まじく、お幸せな空気に満ちておられます。
 過日、清川の或る寺の門前に以下のような含蓄に富む文が書かれていました。

「妻を見て 夫を知り
   夫を見れば 其の妻を知る」

 深谷ご夫妻は、正にこの句の良き鏡のように思っています。
 悪い例の対象を列記すると・・・・鳩山夫妻、 菅夫妻 は正に典型的な悪しき例に当たると断じることができます、、、。
 過日の予算委員会を見ていると、大臣には値しない面々が並んでいて情けない限りです。
 とてもこの人達に日本の運命を託するは危険だと強く感じました。
 自民党の稲田議員の質問には無駄な言葉が無く、内容も明快で鋭く、感心して聞いていました。

(中略)

 急に涼しくなりましたが、深谷さん、奥様ともに、お身体にはくれぐれもお気をつけてお過ごし下さい。



 「お祝いの言葉をお送り下さった方々に感謝申し上げます。」

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