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言いたい放題 第201号 「他山の石」

 今、イギリスはロンドン暴動が拡大して大変な騒ぎになっている。店舗での略奪、車への放火が続き、9日には市北部のソニーの倉庫も襲われて出火した。
 五輪開催まで1年を切っているのに、こんな状態で大丈夫かとの懸念が世界中に広がっている。
 私もイギリスには公私を含めて何度も行っているが、さすが紳士の国といつも親しみを持っていた。
 テレビに映る放火略奪の限りを尽くす若者達の姿を見ると、あの素敵な雰囲気は何処に行ってしまったのかと思う。霧のロンドンは放火の煙のロンドンになってしまっているのである。

 事の起こりは、ロンドン北部トットナムで29歳の黒人男性が警察官に射殺されたことからで、人種差別との抗議活動が暴徒化してしまったのだ。
 1980年、ロンドンで黒人暴動が発生したことがある。また、2000年以降移民問題での暴動が相次いだ。
 実は、イギリスには移民や人種、貧困といった、我々がいつも抱いているイメージと異なる部分も多いのである。それでもロンドンでは今回のような大きな暴動には至らなかった。

 私は、この暴動の背景にはイギリスの厳しい経済情勢があるとみている。
 まさに現在の欧米を中心とする金融危機が追い打ちをかけたと言っていい。
 昨年、イギリスではキャメロン政権が誕生したが、彼が進めたのが財政再建のための歳出削減と増税であった。保守党主導の連立政権は消費税を上げ、社会福祉や地方予算を削った。思い切った引き締めはあらゆるところでしわよせとなる。
 それでなくても若年層の失業率は極めて高い。全体の失業率は7.7%だが24歳以下でいえば20%近いという。雇用の危機は若者にとっては深刻な不安と不満をもたらした。
 若者向けのスポーツ文化活動の補助金も歳出削減でカットされた。学費の値上がりもあった。こうしたことが若者の心にマグマのように蓄積され、やり場のない不満となって、このような形で爆発したのではないか。

 更に注目しなければならないのが、ツイッターなどソーシャルメディアの急激な普及である。暴動の呼びかけが、いたずらもふくめて飛び交ったという。
 あの中国でも、過日の列車事故の折、各所で激しい抗議デモが起きたが、ネットを通じての呼びかけが原動力になっている。共産党独裁の中国では、当局の厳しい弾圧でなんとかおさまっているようだ。
 イギリスでも「ツイッターなどで扇動した者は逮捕する」と警告したが、果たしてどれほどの効果になるのか。
 イタリヤで休暇中のキャメロン首相は急遽帰国して、警察官の大動員等あらゆる手段を使って鎮圧すると言ってはいるが、一体どこまで抑えられるのか。
 中国のような独裁国家ならどんな極端な制圧も、いや弾圧さえ出来るが、イギリスのような民主主義国家ではなかなか思うようにことは進まない。

 余談になるが、例えば、今、米欧の政府債務問題から世界中が経済危機に陥っている。どうやったらこの危機を乗り越えられるのだろうか。
 私は、即効薬はなく、米欧各国が地道に歳出を減らし、必要なら増税もして財政再建をするしかないと思っている。
 但し、これを一気に行えば景気はかえって悪くなり逆効果になる。
 財政再建の道筋を中長期的にきちんと立案提示して、これを具体的に実行に移していくことが肝要だ。公表された計画を、速やかに、そして着実に実行に移す、その積み重ね、不断の努力で市場にも安心感が広がるのだ。
 民主主義国家の弱点は、国民に負担増を求めにくく、ともすると逡巡してしまうことである。
 国民の嫌がることは出来るだけ避けようとする傾向が強いのだ。しかし、自国にとって、そして世界にとって、これが是非必要と思われるときには、勇敢に決断実行しなければならないのだ。

 さて、キャメロン首相、この暴動を抑える為にどう決断実行するのか、注目して見つめなければならないと思う。
 
 過去の経験から、日本ではあのような略奪、暴動は起こりえないと対岸の火事と軽く考える人が多い。しかし、そんな簡単に判断してはならないと思う。
 東北大震災、原発による放射能、風評被害、それに今回の世界的経済危機の影響で、株価下落、円高など様々な問題が日本列島を覆っている。
 政治や政治家に対するやりきれないほどの不満、失望、怒り・・・、そんなことが国民の間に蔓延し、沸騰点に達しようとしているのが今の日本の現状ではないか。
 おまけに大変なネットの普及だ。
 イギリスと、さして変わらないような環境や条件がそろっているといっても過言ではない。

 かの国の暴動を、「他山の石」と真摯にとらえるべきと私は思っている。

言いたい放題 第202号 「踊るあほうに見るあほう」

 この歳になるまで、一度は行きたい、見たいと思いながらチャンスがなかったのが徳島阿波踊りだった。
 8月14日、ついに実現した。もとNHKの記者、秋田敏彰夫妻に招待されたのである。

 秋田氏は私が郵政大臣の時の番記者だった。
 当時、私は54歳のまさに働き盛り、しかも初の大臣であったから張り切っていた。「愛の郵政活動」をテーマに全国遊説を行ったり、次々と新しい政策や提言を行い、これを実現させて話題を集め、アイデア大臣と呼ばれたりした。
 そんな時代、彼は番記者というより私のいわばシンクタンクといった存在で、不即不離、いつも良き相棒であった。
 あれから今日に至るまで、実に21年間、まさに家族ぐるみの付き合いが続いた。
 私は政治家であるが故に、起伏に富んだ人生を送ってきたが、良き時も悪しき時も、秋田夫婦は変わらなかった。
 彼の郷里が徳島なのだ。(ちなみに大臣も務めた政治家故秋田大介氏は彼の親戚である)。何度も誘われてはいたのだが、私の都合で機会を逸していたのだ。

 羽田からわずか1時間15分、飛行機は私等夫婦を乗せて憧れの徳島空港へ、ところが、いよいよ着陸態勢に入って滑走路ギリギリのところで、轟音とともに急旋回し、再び一気に上昇するではないか。着陸に失敗してやり直したのだが、一瞬肝が冷えた。
 「飛行機までが阿波踊りをしてくれたのですね」とは女房の弁である。

 午後5時、私たちは紺屋街にある演舞場(桟敷)まで歩いて行こうと街に出た。大変な人出で町全体がお祭り一色で盛り上がっている。機内で一緒であった野球のドカベンこと香川元選手は12日に参加して踊ったと言っていたが、阿波踊りは15日まで4日間続くのだ。(今年の人出は135万人とか)
 商店街に入ると、すでに何組かの、様々な工夫を凝らした衣装の踊り連が練り歩いている。先頭を行く小学生と思しき可愛い女の子の見事な手さばきに見とれて、しばらく足を止めて、「時間ですよ」と催促されたりする。
 一般の観光客もつられて踊りをまね、手足を不器用に動かしている。みんな胸をときめかせ自然に体が動いてしまうのだ。

 桟敷の前から2番目の席に案内されたが、ここは左右すべてが見渡せて
最高の観覧席だ。こんな席が取れたのは、実は地元県会議員来代正文氏のおかげである。
 彼は秋田氏の高校先輩で、しかもNHKの記者から県会議員に転身した人である。60歳台の、活動的で大人気の議員だ。  

 6時、第一部が始まる。
 右手から、三味線、鉦、太鼓、横笛などの「鳴り物」、二拍子の伴奏が激しく鳴り始める。腹に響くような大きな音だ。
 「ヤットーサ、ヤットーサ」の掛け声とともに有名連の踊り手大集団が入ってくる。さすがに良く鍛え上げられ、均整のとれた見事な踊りである。
 一般に「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ」との掛け声が全国的に知られているようだが、有名連はこの「ヤットーサ」の掛け声が多いという。
 「あおい(葵)連」、「のんき連」、「ささ連」、「若獅子連」・・・・と続く。その度に会場がどよめき熱い感動が広がっていく。

 浴衣姿に編笠姿の女踊りは艶っぽくて上品だ。男踊りは法被の半天踊り、あるいは尻をからげての浴衣踊り、時に勇猛かと思えば滑稽であったりと、観客の心をつかんで離さない。
 精霊踊り、念仏踊りが原型と言われているが、400年もの長い間、阿波踊りは日本の三大祭として続いてきた。
 江戸時代、一揆につながると禁止になった時もあったというが、それでも踊りたくて、ある家老が内密で行ってお家断絶になったとか。一度やったらやめられない、まさに踊るあほうなのである。
 2時間、まったく飽きることなく、私達は胸躍らせて見続けていた。

 しかし、その心地よい喧噪の中で、ふと心に過ぎることがあった。
 それは日本の終戦と、さきの東日本大震災のことである。
 次の日は8月15日、日本の終戦記念日だ。(記念日という言葉に違和感を持つが)。第二次世界大戦では310万人の戦没者を出した。どれだけ多くの損失と犠牲を払ったことか。
 東日本大震災が起きてもう5か月になろうとしているが、2万人を超える死者と行方不明者、未だに避難所で暮らす人々がいる。
 ここでこうしていることが、一体許されるのか・・・、阿波踊りを楽しんでいることに、なんだか申し訳ないような思いがあった。

 ここだけは別世界である。どの踊り手も無心で恍惚としている。観客もすべてを忘れて耽溺と言った面持ちである。
 そんな光景の中で、私は、やっぱり、これでいいのかもしれぬとも思った。私も含めて苦しみや悩みを持たない人はいない。今無心に踊っている人も、夢中になって観ている人も、終われば現実の苦労の中を歩んで行かなければならないのだ。
 せめてこの至福の時を精一杯噛みしめればいい。そしてまた新たなこころで決然と前に進めばいいのだ。
 第一、前述のように阿波踊りの原点は精霊を慰めることからはじまっているのだから・・・・。
 この人たちが、こんな風に人生を楽しめるような世の中が、「いつまでも続きますように」と、私は観客席で一人秘かに祈っていた。

 8時、第一部が終わったので、少し名残惜しかったが、私たちはこの夜の宴の「笹乃荘」に向かった。ここは市内でも名店と言われる料亭だ。
 来代県議夫妻も同席、他の会合を抜けてきた来代県議は法被姿のままだったので、これ幸いと阿波踊りを披露してもらった。秋田氏と二人で踊ってもらったのだが、さすが地元、なかなかのものであった。
 三味線はこの店の女将が自ら弾いてくれたが、阿波踊りの旋律は、ゆっくり弾くと都都逸と全く同じであることに気付いて驚いた。
 良い人たちと飲む地酒は格別うまい。三味線に合わせて、私も得意の江戸前の都都逸を披露したが、言うまでもないことである。

 かくして、待望の阿波踊りを堪能し、翌日は「坂の上の雲」で知られる松山に移動した。次回、書きたいと思っている。

言いたい放題 第203号 「坂の上の雲」をたずねて

 徳島の阿波踊りを満喫した翌日、私達は四国高知と徳島を流れる吉野川の上流大歩危「おおぼけ」に向かった。
 上流に行くと、この大川は4メートルと小幅になり、必然激流となる。ここを登りきった鮎が身も締まっていて最高だという。来代県会議員が私達の為に、友人の楠本氏に頼んで、ここで釣りたての鮎を食べさせようと計画してくれたのである。
 案内された「鮎戸瀬荘」は天然鮎料理自慢の民宿で、出された鮎尽くしは、文句なしの絶品であった。焼きあがった鮎の身を箸で丁寧にほぐして、尻尾を切り、頭から骨ごとすっぽり抜く、こんな芸当は久しぶりだ。よほど新鮮でないと出来ない。
 昼からの地酒も堪らない。人情と自然と美味の鮎のもてなしを堪能して、名残惜しげに徳島を後にしたのであった。

 2時間半掛けて、「坂の上の雲」のまち松山に入った。
 愛媛県には参議院選挙の応援に来たが、あれから3年ぶりである。私の親戚もいる。
 今日の宿は「ホテル奥道後」だ。
 このホテルを作ったのは、かの有名な四国の大将といわれた故坪内寿夫氏である。今では知る人も少ないが、倒産寸前の佐世保重工業の再建等を頼まれ、これらを次々と成功させ一躍時の人になった。松下幸之助や本田宗一郎とならび称されるスケールの大きい怪物であった。
 作家の柴田練三郎の「大将」や藤本義一の「天井知らず」の小説に描かれている。
 ホテルの入り口は普通なのだが中に入って驚いた。坪内氏の音頭で世界一長い、350メートルもあるロビーになっているのだった。

 今回の旅の一つの楽しみは、このホテルの総括支配人高瀬良氏に会うことである。実は彼は、今から40年も前、私が初めて衆議院議員に当選したとき、なんと私の事務所でアルバイトとして働いていたというのだ。
 秋田氏は前述のように元NHKの敏腕記者、関連会社の社長を経て、今は顧問として悠々と暮らしているが、昔とった杵柄、その調査取材ぶりは見事の一言に尽きる。
 高瀬氏との再会はあらかじめ秋田氏から報告を受けていたのだ
 高瀬氏は当時19歳の学生であったが、話をすると、びっくりするほどその頃のことを鮮明に覚えている。
 和美、貴美子など妹の名前、杉山、有馬、妻鳥といった今は居ない古い秘書の名前などが次々と出てくる。
 「実は先生に髪を切れと言われたことがあるのです」。
 今ではすっかり髪は後退しているので、あわてて笑いを堪えたが、「ビフォー、アフター」と書いた写真入りの新聞まで持ってきて見せてくれる。確かに長髪であった。
 全く気のいい人で、私も家内もわずかの間にすっかり昔に戻ったような感覚になっていた。
 「先生はちっとも変ってないです」と言った後、「よくテレビで見ていましたからそう思うのですね」と付け加えた。それは言わなくてもいいのだが・・・・。
 あの頃、私は37歳の青年だった。今、来月29日で76歳、随分長い道のりを歩いてきたものだ。色々な事が走馬灯のように私の脳裏をよぎっていった。
 夜の食事には、ホテルの一色誠社長も同席してくれた。
 翌朝、昨日の宴は社長の奢りですと聞いて、また友人が増えたようで嬉しかった。
 出会い、めぐり合い、歌の文句ではないが「人生って素敵なものですね」としみじみ思った。

 16日、ゆっくりとホテルを出て、高瀬氏の案内で県立松山北高校を訪ねた。
 この学校の前身は私立北豫中学校で、秋山好古陸軍大将が郷土愛から異例の転身をして校長になった学校である。
 司馬遼太郎の長編叙情詩ともいうべき「坂の上の雲」はNHKのドラマになって多くの人々に知られている。
 私は早くからこの小説を、当時客員教授をしていた東洋大学でも、塾長を務める自民党政経塾でも熱をもって語ってきた。 
 明治の夜明けとともに、日本は様々な苦難の道を辿ってきたが、その歴史の中で、我々の先輩たちがどのような思いでこの国を愛し支えてきた事か、そのことを少しでも伝えたいと思ったからだ。
 とりわけ日清日露の大戦は、日本の歴史の大きな節目ともいうべきもので、アジアの小さな国日本がまさに世界に躍り出た舞台であった。
 日露戦争で秋山好古率いる日本の騎馬隊は、世界無敵といわれていたロシアのコザック騎馬隊を撃退した。フランスに留学して学んだことを生かしたのである。
 案内役の日本史を教える山崎教諭は、「八十周年記念館」にある資料を基に、丁寧に説明してくれる。見るからに穏やかな方だが、如何にも郷土の誇りを語ろうとする熱情が感じられるようで嬉しかった。
 秋山校長の教えは「質実剛健」「文武両道」「外国の重要性、語学を学べ」であった。

 一方、弟真之は海軍兵学校を首席で卒業し、日露戦争では東郷平八郎元帥率いる連合艦隊の先任参謀としてすべての作戦を立案、バルチック艦隊を撃滅させた。彼もアメリカに留学し広い知識をもっていた。
 高い教養と文才に恵まれ、バルチック艦隊を発見したときの電報に加筆した「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」はあまりにも有名である。

 NHKドラマ「坂の上の雲」は再放送され、12月4日からは第3部、完結編が放送される。
 本木雅弘、阿部寛、香川照之等いい顔ぶれだから、きっと大きな話題になると思うが、特に若い人たちが日本の良き歴史に興味を持ってくれる好機になって欲しいと思っている。

 昼は「五志喜」という店で食事。この地の名物「鯛そうめん」が供されたが、これがまた最高のあじであった。
 東京を出る時から、女房は風邪気味で体の調子が悪かった。肺炎一歩手前と主治医の山口先生から宣告されていただけに心配していたが、食欲旺盛、おいしそうに食べている。
 人の優しさ、地方に残る素晴らしい祭り、日本の歴史を彷彿とさせる話題、そして何よりもおいしい料理の数々で、すっかり健康を回復したようだ。
 女房の具合の悪い時は、又連れて来よう。

 徳島での初日、秋田氏の兄秋田忠節氏の家に伺った。なんと、私が郵政大臣の時に書いた画仙紙が立派な額装で飾られていた。同級生だった愛妻と温かく迎えてくれたが、その何気ない対応の中に深い愛情が込められていた。
 「夢を求めて、生きることの、楽しさよ」
 私の書いたこの言葉を、私はいつも大切にしている。
 ともかく、たったの二泊なのに、中身の濃い充実した旅であった。
 ひたすら、全ての人に感謝、である。

言いたい放題 第204号 「小粒代表選候補」

 週刊誌を見るたびに、よくここまで書けるものだと驚かされる。

 8月25日号の週刊文集、民主党の代表選挙に出馬すると思われる候補者の名前を並べて、「また馬鹿のかお」とグラビアつきだ。
 普通なら、けしからんと厳重抗議するところだろうが、誰もそんなことは言わない。マスコミと喧嘩出来る元気ある政治家がいなくなったのか、あるいは大人になったのか。
 それにしても、うまい比喩だなと、妙に納得できるから面白い。
 しかし、代表選で選ばれた人はポスト菅で、日本国の総理大臣になるのだから、事は重大で笑っては居られない。

 「また馬鹿のかお」を私なりに検証してみる。
 最初の「ま」は、前原誠司前外務大臣だ。在日外国人からの違法献金問題で大臣を辞めたばかり、出るとか出ないとか逡巡していたようだが、ここへきてやっぱり出馬したくなったようである。
 私は、かつて、彼に期待した時もあったが、偽メール事件で、この人の先見性の無さ、判断力の欠如、いつも自分がいい子になりたいタイプに、幻滅した。カッコはいいが、とてもこの国を委ねる人材ではない。
 
 「た」は樽床伸二氏だが、国対委員長を経験しただけで、大臣さえ勤めていない。そもそも名乗り出ることが厚かましいことで、総理大臣をよほど軽く考えているのか、さもなければ選挙目当ての売名運動としか思えない。
 「馬」は馬淵澄夫氏だ。衆議院議員当選わずか3回、国交大臣にはなったが、せんかく諸島沖での中国漁船衝突事件のビデオ流出問題で、問責決議案が出され、5か月で事実上更迭となった。大臣としては国交省内であまり評判は良くなかった。取柄は6人の子沢山、私の良く知る上野のジムでボデイビルに励んでいることぐらいか。 

 「鹿」は鹿野道彦農水相だ。彼は当選11回という大ベテランだが、5つの政党を渡り歩いて節操がないと言われている。自民党時代は故安倍晋太郎氏の秘蔵っ子、若手のホープであった。
 当時、日経新聞社長らが中心になって「大臣に育てる会」というのがあって築地料亭吉兆でよく宴が開かれた。呼ばれるのは私を含む5人ほどの若手で、鹿野氏もメンバーの一人であった。東北人らしく余計なことも言わず穏やかな人で、私は好感をもっていた。良き時代の思い出である。
 自民党を離れてからは会う機会もなく、公設秘書が「口利き」で逮捕されたことが話題になった程度で、政治家としての活躍ぶりは、ほとんど聞かなかった。

 「の」は野田佳彦財務相で、一応、本命と言われている。岡田幹事長等現執行部が強く推しているし、党内の抵抗感も少ないようだ。大連立を目指すと公言し、自民党に秋波を送ったがこれは通用する筈もない。
 問題は、松下政経塾出身者によくあることだが、決断力が無いことで、09年の時も出るとか出ないとかで散々迷った挙句、不出馬となった。
 増税路線を明言しているが、これは財務省の意向で、「代弁者」と批判されたりしている。 
 一番の問題は、彼にまつわるスキャンダルの数々だ。暴力団との関係、脱税で逮捕された人からの献金、死亡事故を起こした品川美容外科からの献金・・・。
 総理大臣になったら、予算委員会で早速追求されること必定だ。

 「か」は、いわずと知れた泣きの海江田万里氏だ。もう今更書く気もしないが、国の為に身命を賭して働く気概など感じられない。
 「辞める辞める」と言いながら、とうとう最後まで決断できない。これでは話にもならない。

 最後の「お」は、前にも書いたが、私の事務所で、昔、アルバイトに来ていた小澤鋭仁氏だ。
 過日、プリンスホテルで行われた谷垣自民党総裁夫人のお別れ会で、ばったり会った。「君もいよいよ天下取りだな」と言うと嬉しそうにはにかんでいた。
 少し縁ある者としてと、本気で激励したいのだが、いかんせん推薦人が集まらないようである。しっかり将来を見つめて、真剣に精進して欲しものである。

 以上、出馬の顔ぶれは一応揃ったようだが、何とも小粒で頼りないことおびただしい。
 しかも、最後の決め手は鳩山由紀夫氏と小沢一郎氏の判断だというのだから困ったものだ。
 特に約120人と言われる党内最大のグループを擁する小沢一郎氏にすり寄ろうと、全員が躍起になって小沢詣でがはじまっているのだ。脱小沢の菅政権が終わろうとするや、この豹変ぶり、呆れるよりは情けないという思いである

 日本は今、最大の危機的状況にある。
 大震災と原発事故への早急な対応、急激な円高、株安など世界的経済危機からの脱却、そしてこれらを克服するための財源をどうするのか・・・。
 こうした問題に正面から取り組み、具体的な政策を掲げて堂々の論陣を展開することこそ、今、候補者たちに求められているのではないか。
 断っておきたいことは、民主党政権誕生の時のような、いい加減なマニフェストは2度と掲げるなということだ。
 そして、絶対に求めたいことは、「この国を本気で愛しているか」ということである。一身を投げ出してこの国を救ってくれるのか。その気のない奴は断じて出てはならない。

 誰が総理大臣になるのか、どんな政権になるのか、この代表選挙は、嫌でも日本及び日本人の命運がかかっている。
 しかし、悲しいかな、総理を決める権利は民主党議員にしかない。
 我々は、ひたすら厳しい目で見続けるしかない。
 一人一人の国民にも訴えたい、民主党議員の動きをしっかり見つめ、次の選挙に必ず活かしてほし事を・・・・・。

言いたい放題 第205号 「本命は前原氏?」

 7月8日の読売新聞に、松下政経塾塾長のインタビュー記事が出ていた。
 塾を創設した松下幸之助氏が御存命なら、「いったい、君たちは何をしているんや」と怒るはずです。実際、私の耳にも「政経塾出身者は理屈ばかり」と言う声が沢山届きます。政経塾として責任を感じています。

 私も昔、松下政経塾で講演したことがあるが、その頃の純粋な、高い志の、魅力的な若者は何処へ行ってしまったのかという思いがある。 
 現在の塾長の率直な嘆きがよく分かるような気がする。

 現在、松下政経塾出身の国会議員は与野党含めて38人もいる。
 口ばかり先行の塾出身者に、次第に身内まで危惧の念を持つような状況になっているのだ。
 その上、今、話題の民主党代表選挙に、後出しじゃんけんではないが、最後に名乗りを上げたのが本命と言われている前原誠司氏だ。彼が勝てば即総理大臣になるのだから、事は重大、ここはしっかり見つめる必要がありそうだ。
 今度の代表選では前回も書いたが、こんな顔ぶれで危機的状況の日本が救えるのかといった思いを誰しもが持っている。
 世論調査の人気度では、どうやらダントツで1番が前原氏のようだが、それで決まって本当にいいのだろうかと不安である。かといって他にいないし・・・。

 前原氏の最大のアキレス健は、在日外国人から受けた違法献金問題である。それが原因でいとも簡単に、3月、外務大臣を辞任したのではなかったのか。あれから禊が終わったわけではない。それどころか、この違法献金問題で、政治資金規正法違反の容疑で京都地検に告発され、秋には立件されるかどうかの判断が下されることになっているのだ。
 仮に不起訴処分となっても、その後に検察審査会に持ち込まれること必定で、そうなれば彼が嫌っている小沢一郎氏と全く同じ境遇になってしまうのだ。

 06年、前原氏が民主党の代表だった時、ガセメール事件というのがあった。
 私の盟友の武部氏に関わることだからよく覚えているが、永田寿康議員が持ち込んだメールの真価をよく確かめず、国会で自民党を追及し大恥をかき、わずか半年で代表辞任となった。そういえば外務大臣辞任も半年だった。
 政治家として一番問題なのは、勝手な思いつきで政策を発表し、後で何の責任も果たそうとしない過去の彼の姿勢である。
 彼が国交相になった直後、突然、八ッ場(やんば)ダムの建設中止を宣言し、やんやの喝采をあつめたことがあった。脱ダムの先駆者ぶったつもりであったろうが、地元の大反発で事態は大混乱した。
 ダム建設は当然必要だから始められた筈だし、何よりもそれまでに長い年月と、税金による莫大な資金も投じられている。十分な調査や検討がなされることもなく、ただ人気取りのための安易な発言が、後に大きな禍根を残してしまったのである。
 この方針は次の大臣の時、事実上撤回された。ちなみに次の大臣だったのが、今、代表選に名乗りを上げている馬淵氏である。
 これ以上言うつもりもないが、JAL債権問題でも、最初は威勢がよかったが、いたずらにお金と時間を費やしただけで終わっている。

 これまで前原氏は、脱小沢の中心的な立場であった。せめてこの姿勢だけは堅持して欲しと思うのだが、ちょっと怪しくなっている。
 8月24日、彼は小沢氏と国会内で会見し、「挙党一致で国難に当たるのでご指導をお願いしたい」と協力を要請した。最大勢力を誇示する小沢氏の判断で代表選は左右されることは確かだが、誰もかれも小沢詣での姿はみっともない。
 小沢氏は代表時代、関係の深い鳩山氏を幹事長に据え、党の組織対策費22億円も使ってカネと人事で大勢力を築いたと言われている。
 菅陣営は、こうした状況を排除しようと、反小沢人事の執行部を作り、脱小沢の機運を広げ、やがて刑事裁判を理由に、党員資格停止処分まで行った。
 ここへきて、また小沢勢力は完全に復活しているのだ。

 今まで自民党が政権の立場にあった時代、党の代表はイコ―ル総理大臣という認識の上に立って、開かれた選挙を行ってきた。立候補から選挙に至る間、じっくり時間をかけ、むしろ国民に訴えるように候補者たちは政策論争を繰り広げてきたものである。
 今回の代表選はどうだ。全く時間もなく、政策論争は皆無だ。もっぱら数合わせに終始し、おまけに小沢票欲しさに見えも外聞もないというありさまだ。

 先の松下政経塾の塾長は「理屈ばかりで」と嘆かれていたが、その理屈も議論もない代表選挙になっているのだから始末が悪い。
 どちらにしても、張合いも期待もない民主党の代表選挙だが、繰り返すが、 これで日本の行方が決まるのだから、やっぱり目を背けることなく、冷静に見守るしかないのである。ああ・・・・。

言いたい放題 第206号 「やっと辞めるか」

 就任以来1年3か月、ようやく菅首相が辞任記者会見を行った。
 もう辞めていく人だし、今までも彼については何度も書いたから、せめて「ご苦労さん」とでも言おうと思っていたが、会見を聞いて呆れて、やっぱり一言、書きたくなった。

 「やることはやった。一定の達成感を感じている」と記者団に語ったが、恥ずかしげもなく、よく言えるものだと感心する。
 菅政権は、何もやらなかった、いや出来なかったというのが、一般常識なのだが、相変わらず、そこのところが分かっていない。
 では聞くが、国家の為に役立つことで、一体何をやったのか。

 最初に彼が打ち出したのは消費税の増税であった。それも自民党が提案する10%だという。他人のせいにするなと思ったものだ。考えてみれば、いつも自分の責任でことを進めようとは決してしない、それが菅流なのだ。
 おまけに増税路線を進める為に、自民党の与謝野馨氏を担当大臣の経済財政相に引き抜いた。よくやるよと呆れたが、大臣のポスト欲しさに飛びつく人も問題ではあった・・・。
 今、増税をやれば、景気はさらに落ち込んで大混乱になること必定だ。結局、2010年代半ばとか、先延ばしにして曖昧のうちに終わらせてしまった。
 昨年6月、「新成長戦略」を閣議決定し、法人税率の引き下げを盛り込んだが、これもあっさり見送られた。
 環太平洋経済連携協定(TPP)はどうなったのか、あれほど勇ましく叫んだのに、農業関係者の反対で行き詰まったままだ。

 挙げたらきりがないほどだが、何故出来なかったかと言えば、ほとんどすべてが菅首相の思いつき、独断で発表してしまうからだ。しかも度々その発言もぶれるのだから話にならない。
 政策を実現させるために大事なことは、まず政権与党内できちんと議論させ、意見を一つにまとめあげることだが、そんな根回しなどわれ関せずで、反対者を説得することなど全くしようとしなかった。

 思いつきが多いから、政策に一貫性が無い。
 「脱原発依存」は彼が残した唯一の成果という人がいるが、冗談ではない。「2030年までに総発電量の半分を原子力でまかなう」という民主党政権の目玉ともいうべき「エネルギー基本計画」を作ったのは誰なのか。
 あれは5月に決めたので、6月からの菅政権ではないなどとは言わせない、彼も議論の中心にいた責任者なのだ。
 「原発に依存しない社会」とは口先だけで、具体的な道筋など全く示してはいないのだ。

 とりわけ酷かったのが東日本大震災の対応だ。
 震災の翌朝、ヘリで東京電力福島第一原発の視察を行ったが、誰が見てもただのパフォーマンスに過ぎなかった。いや、それどころか首相の突然の視察への対応の為、担当者は振り回され、結果において1号機の水素爆発を招いた。
 被災地を訪問した時も、あまりにおざなりで、意見も聞かずわずか10分で去ろうとして、被災者から罵声を浴びた。
 今も、かの地は、放置されたままの瓦礫と放射能の恐怖の中で、被災者は呻吟している。復興のために何もしてくれないとの、住民達の切実な声を知っているのだろうか。
 
 おまけに官僚嫌いの菅氏、世界から評価されている官僚たちをフルに活用しようともしない。
 やたらと対策本部を次々と立ち上げる。なんでこんなに同じような本部を創るのか、これでは説明する人も大変だと私は苦笑を禁じえなかった。

 もっと驚いたのが、自分の周りにやたらとブレーンをおいたことだ。有識者か学識経験者か知らないが、種々雑多、色々の人を参与や特別顧問に任命した。
 この連中は素人だから、菅首相がああ言ったこう言ったと、外へ向ってべらべらしゃべり、その度に物議をかもし、問題になったりした。
 中には政権への不平不満をぶちまけて、辞めていくものも出るお粗末さであった。
 大臣も酷かった。こんな人物を天下の大臣にしていいのかと私は怒りさえ感じていた。政治に対する国民の失望を増幅させたのもこれらお粗末大臣の言動であった。

 深い配慮も、統率力もなく、人を見る目もなければ人に任せる器量もない。所詮、単なる市民運動家で、およそ為政者、総理大臣としての器ではなかったのだ。

 「私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい」とも語った。
 およそ歴史が評価するような、大げさなことは皆無ではないか。この人は自分の事をどれ程のものと思っているのだろうか。
 最後まで笑わせてくれる人だと、妙に感心させられるのであった。

言いたい放題 第207号 「代表選あれこれ」

 8月22日、30日と、このところ私の箱根山荘での合宿が続いた。
 22日は台東区の深谷系議員団(自民党台東支部)の夫婦を呼んでのバーベキュー大会だが、政治活動の苦しさやら、逆に生きがいなど、実体験を共有する仲間たちだけに、アルコールも加わって談論風発、楽しかった。
 30日は自民党同志会(福田晃丈会長)で、全国の代表幹部の20人、こちらは冒頭、私の講義1時間の後がバーベキュー大会であった。
 この日は、丁度、民主党の代表選挙当日で、私の講演の半分は「代表選を振りかえって」であった。
 民主党代表選挙は、総理大臣を決める重大な選挙である。
 政権交代してわずか2年の間に、なんと3人目の総理を選ぶなど、彼らが批判してきた自民党政権時代よりお粗末ではないか。こんな日本にとって不幸なことはない。せめて、明日に期待できるような具体的な政策議論の中で粛々と行われることを願ったのだが、やっぱり期待はずれであった。
 これからの日本をどう救うのか、そのための構想力や実行力はどうなのか、いわば、総理大臣の資質を競うのが代表選であるべきと考えていたのだが、相変わらず「数の力」がすべてであった。

 第1回目の投票で、海江田氏は143票でトップに立ったが、彼には自前の票は無い。小沢一郎(約120票)、鳩山由紀夫氏(約30票)をそっくりあてにしての結果である。だから自分の主張をくるくる変えて、まったく節操がない。
 特例公債法案を可決させるために野党と決めた3党合意まで白紙にすると言い出した。マニフェストをなにがなんでも変えてはならないと強調する小沢氏の言いなりであった。
 党員資格停止中の小沢氏が、先頭になっての選挙というのもおかしな話だが、求心力を失うことを恐れた必死の動きは醜かった。
 決選投票で野田佳彦氏が215票で代表となったが、小沢氏支配を逆に嫌っての結果であった。
 事前に、仙石氏などが動いて、野田氏が2位になったら前原陣営は決選投票で野田氏に投票することを決めていた。
 52票得た鹿野陣営は、決選投票では鹿野氏の指示に従うと決め、彼が上着を脱いだら野田氏に投票するように決めていた。
 ワイシャツ姿になった鹿野氏を横目で見ながら、陣営の議員が投票していたと、親しい政治部記者から聞いたが、これではまるで漫画ではないか。
 いずれこれからの党内人事や組閣で、これら一連の動きを見て、論功行賞的人事が行われていくのであろう。

 消去法でいけば、まあ、野田佳彦氏が総理大臣であろうと私は思い、事前に講演などで語っていた。
 彼とは、私が後援会長を務めている、千葉県にある松ヵ根部屋の千秋楽の祝いの席で一緒になったくらいで、格別の交流は無い。ただ、あの時、随分丁重に挨拶してくれたなと思ったことを覚えている。
 彼は早稲田大学の後輩で、早くから政治家を目指していて、千葉の県会議員からスタートする。やがて衆議院議員となるが、次の選挙で落選、3年8か月の浪人生活も味わっている。駅前で25年間も街頭演説を続けてきた。
 「地盤、看板、カバンが無いのだからマイク一本で訴えよ」との松下幸之助翁の教えを守ったのだという。
 何となく私の歩みと似ているようなところもある。
 演説の名手とも言われている。
 代表選挙で、自らを「どじょう」に例えて「金魚のまねをしても出来ない」と「泥臭く、汗をかいて政治を前進させる」と演説した。
 ジョークがうまいと目下大評判のようだが、私はこんな比喩はちっともいいとは思わない。
 いやしくも総理大臣は、日本国家、日本国民の代表だ。自分を卑下して言っているつもりだろうが、天下の総理を「どじょう」などと言ってくれるなと思ったがどうだろうか。
早速、海外メディアはどう翻訳していいか大混乱だ。
 米紙ニューヨーク・タイムズは、「泥の中で食べ物を探す、あまり美しくない魚」と書いている。
 欧米では、演説の中にユーモアを入れることが良しとされている。しかしそれはエスプリのきいた、センスのいいジョークを言うのであって、親父ネタのダジャレを言えというのではない。ダジャレは宴会の席等で言うのであって、公の席で、しかも国家の代表者が言うことでは決してないのだ。
 さてこれから、どんな総理大臣になってくれるのか、まずは人事をどうするのか、そこらから判断したいと思っている。

言いたい放題 第208号 「ディズニーシー10周年」

 9月1日は野田新政権で閣僚が誰になるのか、とりわけ内閣の要になる官房長官人事を巡って迷走していた。
 野田首相がまっ先に依頼したのが岡田克也前幹事長であったが、小沢一郎氏の党員資格停止処分を主導してきた立場として、再び矢面に立ちたくないと固辞し、結局は側近の藤村修氏が起用されることになった。

 そんな慌ただしい状況の中、私の方は、われ関せずで、6時から招かれていた東京ディズニーシ―の10周年感謝の夕べに女房と共に参加していた。

 ここが開設された年の暮れから新年にかけて、孫たちを連れて一家で泊まったこともあった。
 当時同行した3人の孫娘達はすでに高校生になっている。その後2人の男の子が生まて、私は今や孫5人のお爺ちゃんだ。年月の流れの速さを改めて痛感した。

 ミラコスタホテル大宴会場「パラティーゾ」には130人ほどの招待客が着席バイキングを楽しんでいる。記念祝賀会としては思ったより少数の客で、ゆったりとした気分で、私はもっぱらイタリアの銘酒バローロ等を嗜んでいた。
 よく顔の知られている人ばかりだが、森元総理や安倍元総理の他政治家は少ない。数人の民主党議員が上座に居るのは気に食わないが、いずれも組閣に無関係だから、まあいいか。
 VTR「10年のあゆみ」の上映の後、今度は外のディズニ―シーパークに移動して「ファンタズミック」を鑑賞する。
 台風が心配されたが雨も止んで、光と炎の一大パノラマ、ディズニーランドならではの素晴らしいショウを堪能した

 ディズニーランドが、この千葉の浦安に誕生したのは1983年、今から28年前だが、私はこの時も招かれている。だからいつも格別の思いを持っていているのだ。
 当時、建設費は土地も含めれば1,650億円といわれた。(ディズニーシーはホテルも入れて3,350億円)
 本場のアメリカロスにも行ったことがあるだけに、こんなスケールの大きい遊園地が、日本でも果たして成功するのかと危ぶんだものだが、実際にはこれが全くの杞憂であった。
 今や入場者は、2つ合わせて年間2,500万人に及び、昨年8月には延べ5億人を数えた。この数はアメリカを抜いて世界のトップだというのだからすごいではないか。
 人口から考えれば日本人はすでに4回行ったことになる。今や、世界中の人々が訪れているのだ。
 例の東日本大震災の折、駐車場あたりで液状化の騒ぎがあって心配されたが、これも完全にクリアされて、33日間の休園はあったものの、今は完全に元の姿に戻っている。

 開会の挨拶は加賀見俊夫会長、閉会の言葉は上西京一郎社長が行ったが、奢ることもなく、むしろ淡々としていて好感が持てた。政治家の挨拶とは大違いである。
 かくて、どろどろした政界とは別世界、ファンタステックな、心穏やかな夜は過ぎていった。

 さて、この文章を打っているのは9月2日、すでに組閣が終わって新しい内閣の顔ぶれが決まった
 はっきり言って、なんだそうなのかという印象だ。
 藤村官房長官には「ドラえもん」というあだ名があるという。ドジョウとドラえもん、何とも泥臭いコンビで明るくない。これで日本が本当に救えるのかと不安ばかりが募る。
 党役員人事も含めて、私の感想は次回に譲ろうと思う。
 せっかくのディズニーランドの心地よい思いを消したくないから・・・・。

言いたい放題 第209号 「新政権の顔ぶれを見て」

 民主党代表選挙では、脱小沢対親小沢で党を二分するかの熾烈さだったから、野田氏が勝って、これで小沢氏の影は薄れるかと多くの人は思った。
 ところがさにあらずで、党人事、閣僚人事を見る限り、むしろ脱小沢の影の方が薄くなっているではないか。

 一時は、小沢氏、鳩山氏、輿石氏の3人で新トロイカを組み、党を牛耳ろうとしていると言われていたが、なんとその輿石氏が幹事長に就任した。
 例の相田みつをの「どじょう」の詩も、輿石氏が教えたと、今では誰でも知っているが、代表選で45%の支持を得た小沢支持派の力を無視できないということなのだ。何のことは無い、野田氏の揚げた「挙党体制」とは、とりもなおさず「脱小沢」路線の転換という意味だったのか。

 カネとポストを握るのが幹事長である。この要職を小沢氏側に渡すのかという声も早速起こった。一方で、野田氏は解散をしないとみられているから、そのかぎりでは輿石幹事長はその特権を自由に使えない。うまい選択だと書いた新聞もあったが、本当にそうだろうか。
 今や輿石氏は参議院のボス、そのしたたかさで古だぬきと言われている。
 山梨県教組委員長を経て、今でも日教祖の親玉だ。自分の選挙で現職教員が選挙違反でつかまり懲戒処分等を受けたこともある。
 どじょうとドラえもんと古だぬき、この不思議な組み合わせで、一体誰が主導権を握るのか、国の行方に直接かかわることだから大きな関心と監視が必要だと私は思っている。

 国対委員長に就任したのは平野博文氏、鳩山政権の時の官房長官だ。もっぱら裏方に徹していて影が薄かった。
 官房機密費が問題になった時、「そんなものあるのですか」と、とぼけて見せたが、私に残っている印象はその程度だった。しかし、鳩山氏の信任は厚く、れっきとした小沢氏側であることは言うまでもない。

 前原誠司氏は政調会長になった。
 野田氏とは同じ松下政経塾出身者で、盟友関係と言われてきたが、代表選にギリギリになって出馬し、その関係はぎくしゃくして、しこりを残したと言われていた。
 在日外国人からの新たな献金がすっぱ抜かれて、もし大臣にでも起用されたら、国会で野党から集中質疑を受けて火だるまになること間違いなしだ。
 そこで脱小沢の急先鋒の彼を政調会長に据え、バランスを取ろうというところではないか。

 組閣は2日、正式に決まった。国民新党との連立内閣である。
 ここでも党内融和が最優先の顔ぶれになっている。
 党の各グループ(派閥)から、および代表戦の論功行賞も加わっての人選だ。はっきり言って、完全な「内向き内閣」で、とても一人ひとりを論評する気にはなれない。

 そうはいっても、何も書かないのもどうかと思うので、数人は挙げてみよう。

 一番驚いたのが山岡賢次国家公安委員長だ。
 私が就任した時代、国家公安委員長は自治大臣の兼務ではあったが、国民の安心安全を守る大臣として重要な位置づけであった。
 近年、次第に軽く扱われるようになって残念でたまらない。
 鳩山内閣の時の中井国家公安委員長のスキャンダルなど覚えているだろうか。全国25万人の警察官のお手本になるべき者が、議員宿舎に女性を連れ込んで、
 そのことが週刊誌で暴露されても反省も無い。セキュリテイなどわれ関せずで危機管理能力ゼロの不見識ぶりであった。
 人の噂も75日、日本人は人が好くて忘れっぽい。
 あの山本モナ女史との路上不倫キス事件で、奥さんと謝罪して歩いた細野豪志氏も再入閣、もう誰もそのことを口にしない。

 山岡氏は小沢氏の自称最側近で、国対委員長時代、私も近くで彼の言動を見ていたが、軽挙妄動が多く、いつも小沢側近をかさにきて、仲間からもあまり信頼されていないようであった。
 問題は、彼が「マルチ商法」業界から献金を貰っていたことで、これは格好の野党の攻撃材料となる。
 業界に有利な質問を続けていたとして問題になった議員らで作る議員連盟の会長まで勤めていたのだ。この連盟は批判が起こるや解散し、山岡氏は献金の一部は返したという。今回はマルチ商法などを監督する消費者相兼務だから「返しました」では済まない。
 細川政権の頃のように、私なら確実に首が取れる大臣だが・・・・。

 今度の内閣で2人の女性大臣が選ばれた。
 蓮舫行政刷新大臣は、言わずと知れた仕分けの女王だ。
 スーパーコンピューターの事業仕分けで「2位では駄目なんでしょうか」と言ってみんなに笑われた。機械や化学技術の面で他国に1位を獲られたら、日本は永久に特許料を取られ、その国にいいように振り回される。
 ましてスパコンは日本の最も得意とする分野ではないか。現実にいま日本が世界一になっている。何にも分かっていないのだ。
 あれほど大騒ぎして仕分けしたのに、かなりの分野で元に戻っていて、中には焼け太りと言われるところもある。見せ掛けだけのパフォーマンスは、もういらない。
 びっくりしたのは、亭主を区議会議員に出馬させたことで、それも落選だった。
 防災服の時でさえ襟を立てて、気取って歩いていたが、国会はファッションショーの会場ではない。もういい加減にしてくれと言うのが大方の声である。

 小宮山洋子氏は厚生労働大臣だ。もとNHKの女性アナウンサーで、私が郵政大臣の時、他のアナウンサーと一緒に記念写真を撮っていて今でも残っている。
 ところが国会議員になると、廊下で会っても知らんぷり、別に挨拶してもらいたくもないが、いくら反対党の立場にせよ、礼儀というものがあるのではないかと思ったものである。
 時の小沢代表に違法献金問題で、代議士会で辞任を迫ったこともあるから、それなりに骨があるということか。

 自見庄三郎氏は郵政改革、金融相だが、彼は山崎拓元副総裁の側近で、私の仲間ではあった。
 小泉政権の時の郵政民営化に反対し、選挙で刺客を立てられ落選、07年参議院選挙で国政に返り咲いた苦労人である。医学博士だ。
 郵政改革法案の成立が悲願だが、もはやこれは無理な話ではないかといわれている。中身が無いのに話が長いところがあったが好感のもてる人であった。
 まだ65歳なのだが、すっかり年寄り臭くなって、年寄りの私が秘かに心配しているのである。
 ここまで書いて、なんだかすっかり疲れた気分だ。
 これ以上は説明も必要ないような御仁ばかりなのである。

 重ねて言うが、党内融和の内向き内閣、せめてこれからの動きの中で、少しは、ピリッとしたところを見せて欲しいものである。
 国家国民を見据えた、本物の政治をやって貰いたいと、それだけを心から願っている。

言いたい放題 第210号 「何とかしてくれ、祈りたい気持ち」

 前原誠司民主党政調会長は、一体何を勘違いしているのだろうか。
 確かに野田政権になって、政調会長の権限が強化されることになったようだが、7日、米ワシントンで行った講演は、まるで総理になったような発言で驚いた。
 早速党内で反発が起こっているが、私から見ても当然のことだと思う。

 一つはPKO(国連平和維持活動)の中身についての見直し論だ。
 我が国がPKOに参加する場合、参加五原則という基本方針がある。
  1.紛争当事者間で停戦合意が成立
  2.受け入れ国を含む紛争当事者による同意
  3.中立的立場の厳守
  4.以上の条件が満たされない状況が生じた場合に撤収が可能
  5.武器使用は、要員防護のための必要最小限に限定  

 この内、5について、自衛隊と共に行動する他国軍隊についても防衛する必要があると明言した。一見正しい主張に聞こえるが、憲法9条で禁じている「海外での武力行使」や「他国の武力行使の一体化」に抵触しかねない内容である。

 又、武器輸出三原則の見直しにも言及した。
 日本の場合、すべての武器や武器技術の輸出は政府方針で禁じている。
 確かに、今の世界の流れを見ると、新兵器について技術を出し合い開発費を分担できる国際共同開発、生産が主流になっている。日本国内でも経済界などでそうした声もある。だから、必ずしも間違ってはいない。
 しかし、問題なのは、そのような議論は国内でまだ十分に煮詰まっていないという点である。
 ましてや、肝心の民主党新政権内で、こうした議論は全く為されていないし、第一、極左勢力まである党内でまとまる筈もないのである。

 藤村官房長官は、「持論で発言したもの」と冷ややかだし、一川防衛相も直接聞いていないと不快感もあらわだ。しかし、不愉快と言うだけで済む話ではない。世界の国々が注目している。あれが日本の考えかと受け止められるのだ。

 この他にも講演で中国を刺激する発言をしている。
 これから10月にも野田総理は中国を訪問しようとしているのに、である。
 良くも悪くも中国は隣国だし、世界に影響を与える大国になっている。別にへりくだる必要はないが、うまく対応することは大事だ。
 これから新政権がどのように話し合っていくのか、今が極めて重要な時期なのだが、その出鼻をくじくような発言ではないか。
 ところが、こうした前原氏の勝手な発言に対して、何故か野田総理は一言も触れようとしない。温厚な人だからだとか、党内融和のためだとかでは通用しない。断じて看過できない重要問題なのだ

 スタートしてからまだわずかの日しか経っていないが、それにしても党幹部や閣僚たちの勝手な発言が目立っている。
 5日の記者会見で、小宮山厚生労働相は来年度税制改正で、たばこ増税を明らかにした。「700円くらいなら値上げしても税収は減らないからここまでたどり着きたい」、「健康を守るためなのだから、本来、厚労省が権限を持つべきで、たばこ事業法で財源として財務省がもつのはおかしい」と、言いたい放題である。
 健康のために・・・、一言でいえば「余計なお世話」だ。
 安住財務相は、「あれは個人的な発言」と切り捨てているが、大臣たる者、個人的発言など許される筈もない。

 更に、会社員に扶養されている専業主婦らが、国民年金の保険料を納めなくても年金をもらえる「第3号被保険者制度」は将来廃止が望ましいと語った。
 「こんな重要な問題を軽々に言うな!」と思った。
 朝から晩まで一生懸命働く専業主婦の苦労を少しは分っているのか。専業主婦の労働の対価をどう考えているのだろうか。
 勿論、色々な意見があっておかしくはないが、では、この問題についてどれだけ議論を重ねてきたのか。ここでも私見を述べたに過ぎないとでもいうのだろうか。大臣たる者の自覚も見識もない話ではないか。

 平野博文国会対策委員長の発言で今日も混乱している。この人は鳩山政権の官房長官として、あまりに無能とレッテルを張られた人である。
 「内閣が出来たばかりで態勢が不十分だから」、臨時国会を4日間で閉じたいとやってしまったのだ。
 未熟な大臣達だから、十分に答弁が出来そうもない。ボロを出さないうちに早々に国会を終わらそうという魂胆だろうが、なんと不見識で姑息な判断なのだろうか。
 社民党の福島党首が「大臣はなった時から大臣、不完全などと口が裂けても言ってはいけない」と、珍しく正論を吐いていた。
 「あんたには言われたくない」という元気な民主党の人もいなかった。

 野田政権誕生時、支持率は60%以上で、まずまずの出足ではあったが、これら一連の言動を見ると、人気が下降線をたどるのも早いのではないかと思われる。
 民主党政権になって、なんと2年に3人も総理大臣が交代した。
 民主党ではやっぱり「日本は駄目になる」とは思うのだが、そうも言ってはいられないほど、日本の現状は危機的状況にある。
 せめて頑張って、災害後の復旧復興対策、原発問題の処理、景気対策など、少しでも進捗させてくれないものか。
 祈りたい気持ちでいるのは、私一人ではないであろう。

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