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言いたい放題 第10号 「京都、良し悪し」 

 昔、若い頃、女房は大阪に住んでいて、よく京都へ出掛けたという。その故か、ひたすら京都大好き人間で、「そうだ 京都、行こう!」と誘ったときが一番御機嫌で、まず断ったことがない。

 選挙後相変らず忙しく過ぎたが、ここいらで京都へ行こうとなって、珍しく公務抜きの3泊4日の旅に出た。
 紅葉にはほんの少し早くて残念ではあったが、「哲学の道」の散策など、さすが京都のおだやかな風情は、心を癒してくれる。

 定宿だったロイヤルホテルは、転々と経営者が変わり、今は外資系となっているが、相変わらずあらゆる点で二流で、いつも、もう今回限りにしようと思うのだが、この度の感想も同じであった。
 かつて、このホテルで女房の貴重品盗難事件があった。ホテル側の対応はのらりくらりで、全く誠意がない。その上、私の場合、体面を考える立場なので、このときも文句だけ言って、我慢したのである。
 又、私が要職に就いた時、支配人から部屋に祝い花が届けられ、珍しいこともあると喜んだら、名札の裏側には、他人の名が書かれていた。なんのことはない、どこかの吉兆ではないが、他の客からの盥回し(たらいまわし)の花であった。
 勿論支配人が飛んできて、平謝りではあったが、その時、名札を外して後ろ手に秘す早さの、あざやかなことといったらなかった。
 但し、これらの事件は今の会社経営の時ではないが・・・。

 そんな訳で2日目から京都オークラへと移動した。ここは、さすが一流という落ち着きがあって、ほっとした。

 京都では、もっぱら女房の先導で、各名刹(めいさつ)を訪れたが、丁度、非公開文化財特別公開の時期とあって、今まで、あまり立ち寄れなかった場所も廻ることが出来た。
 京都駅からも近い、泉涌寺(せんにゅうじ)は、JRの広告、「そうだ 京都、行こう。」のポスターで、秋と冬の大門から見る美しい仏殿が話題になり、近年大きな人気を集めている。
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 1219年、この地に大伽藍を営む折、寺地の一角から清泉が湧き出たことからこの名になったという。皇室の菩提寺としても知られている。
 入ってすぐ左手に楊貴妃観音像があった。その像容の美しさは、さすが唐の玄宗皇帝の妃として知られるだけあってすばらしい。
 色々な御札を売っているが、女房は三人の孫娘達の為に「美しくなる守り札」を買い求めていた。
 楊貴妃は、あまりの美しさ故に、不幸な運命をたどるのだが、ふと、3人の孫を思い、「ほどほどの美しさに」と念じ直した。もっとも私と女房のDNAだから、そんなに心配することはないが・・・・・・。

 大門も仏殿も、この楊貴妃観音像も、全て国の重要文化財なのだから豪華なものである。

 京都最古の禅寺建仁寺(けんにんじ)は、有名な一力亭の横から入った、花見小路通りの石畳を少し歩いた突き当たりに在る。
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 国宝「風神雷神図屏風」は、俵屋宗達の晩年の最高傑作として世に知られているが、ここに置かれているのはデジタル複製で、見事ではあるが私にはあまり興味はない。
 実は、この法堂(はっとう)の天井に描かれている「双龍の図」を見たいというのが本音であった。
 この絵は、非常に新しく、平成14年、寺の建造800年を記念して、北海道に住む小泉淳作画伯の筆による龍である。
 制作中の様子がテレビで映し出されていたが、小泉画伯の精根尽した姿が印象的であった。おそらく後世一層の価値をもって、多くの観光客に仰ぎ見守られていくことであろう。
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 ここには、他に桃山時代に海北友松(かいほうゆうしょう)によって描かれた、重要文化財の方丈襖絵「雲龍図」もあるが、残念ながらこれも複製されたものであった。

 今回、是非共、建仁寺の双龍を見なければと私が強く思ったことには、不愉快な理由があった。
 妙心寺を訪ねたときのことである。
 このお寺は1337年、花園法王が自ら無想大師(関山慧玄)を開山として迎え創建したものだ。しかし、足利義満の圧迫や応仁の乱での中絶など波乱の歴史がある。
 やがて細川勝元の支援を受け、武士層が帰依し隆盛を極めた。今も広大な土地を有し46もの塔頭寺院(たっちゅうじいん)があって、日本最大の禅寺として世に知られている。
 なかでも法堂天井にある雲龍図はあまりにも有名である。どこから見ても龍の目が自分に向けられているようで、八方にらみの龍とも呼ばれている。
 龍に格別な思いを持っている私は、何度も訪ねているが、ドライバーの紹介で、今回は、南総門から入って、まず手前の退蔵院から見学することにした。
 そこから法堂まで、山門、仏殿と通って行ったのだ。今回はいつもと逆の道順である。法堂の入口で、ここだなと木造扉を開けた。中にすでに何十人かの観光客が居てマイクの説明を聴いている。
 入口から薄暗い堂内をのぞき込むようにして一歩入ると、突然、藍色の作務衣を着た女が、「ここから入っては困ります」と大声をあげるではないか。
「入場券を買って下さい!」、「どこで売っているの」、「そんなことは向うで聞いて下さい」。
 なんたる失礼な態度か、思わず顔を見ると寺門に仕えるには全く相応しくない、赤く口紅を塗った中年女性であった。
 私の顔も見ずに、押しのけるようにしてその大扉を閉めるのだ。
「無礼者!」と怒鳴る間もない早業(はやわざ)で、さすがの私も茫然自失の体であった。
 拝観受付は、更にその前方に進んで寝堂、玄関にあるらしいが、そこまで行って引き返す気も失せて「もう二度と来るか!」と、怒り心頭だった。
 無料(ただ)で観ようとしているとでも思ったのか、誰が数百円程度のお金をケチるものか。なによりもはるばる来てくれた観光客に対する態度ではない。
 見る側からすれば、にらみ龍はここにしかないという弱みがある、あの女からすれば見せてやるといった思いなのかもしれぬ。
 今まで京都へ度々来て、ここまで不愉快な経験をしたことはない。

 そこで・・・、縁起直しの為に建仁寺の「双龍」へ、となった次第なのである。

 車中、そのことを言うと、京都のドライバーさん、「あのおばはんは、みんなから評判悪いといわれているのですよ」と言うではないか。有名人なのだ。
 「近頃、修学旅行など団体客が多く、その方がまとまってお金も入るから、全体的にお寺さんは「歓迎団体はん」で、個人客への対応が冷たいんですよ。ようこそ京都へ、と喜んでお迎えする私達から見れば迷惑千万で、こんなことをしていると京都の評判がすたれ、やがては客が来なくなります」。
 私への同情より、怒りが先のドライバーさんの話。少しは溜飲が下がる思いであった。

 東山七条の真言宗智積院(ちしゃくいん)は、国宝障壁画で有名だが、何度かの災禍で原型の4分の1しか残っていない。
 作者長谷川等伯は、26歳の長子久藏(桜図の作者)の急逝の後、この子を思い、人生の全てをかけて楓図を描き出したが、まさに絢爛豪華なものであった。
 この智積院の襖絵の中で、私が一番気に入って、しばらく足を止めて動かなかったのは、逆に田渕俊夫氏の現代の作品であった。
 平成20年、彼は精魂込めて描き、智積院講堂にこれを奉納した。
 彼は平山郁男氏に師事した東京芸大の副学長で、何度も院展に入選している。
 5年の歳月をかけ、実に60面に及ぶふすま絵を描いた。私が見た「不二の間」、「金剛の間」、「胎蔵の間」はいずれも墨一色で、彼の解説文もあった。
 「胎蔵の間」は母の優しさを描いたという。厳しい冬が終って優しいぬくもりの春にふさわしく、新芽を吹き出す柳と満開の桜が見事に描き出されている。
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 作者自身が言うように、墨一色で絵具は全く使っていないのに、「不思議なことに描いた本人の私にも、淡い桜の色が見えるようになってきました。」なのである。
 私も絵が好きで、二科展10回入選を自慢げに語るが、この作品を見ると、あまりの見事さに、いかにも自分の才能の無さがわかって恥ずかしかった。
 こんな幻想的な素晴らしい絵を墨一色で描けたら・・・、としみじみ思うのであった。

 何度行っても詩仙堂の庭がいい。建造部は寛政年間、多少の変更をみたが、全体像は変わっていない。静かに座して庭園を見つめていると、はるか往事をそのまま偲ぶことが出来るような気がする。
 石川家は代々徳川譜代の臣であり、丈山も家康公に仕え大坂夏の陣で功名を立てた。後に文人として清貧の中で聖賢の教えを学び生涯楽しんだ。
 独身のまま90歳の天寿を全うし、悠々とこの世を去ったという。

 朝の鴨川散歩も含めて、1日中寺社巡りで、なんと1万3千歩も万歩計が記録している。
 いつも疲れたと嘆く女房も、私の半分は歩いたはずなのに、相変わらず御機嫌、意気軒昂である。
 京都は、何度訪れてもよき古き町で、心にやすらぎを与えてくれるのだ。
 全体的に見て、観光客の比較的少ない神社仏閣ほど、当然ながら静かで京都らしい。なによりも対応の仕方が親切で心がこもっているように感ずる。
 建仁寺も、詩仙堂でも、受付の人が優しく、「ありがとうございました」「お気を付けて下さい」と声を掛けてくれた。
 本来、当たり前のことなのだが、この当たり前が少しずつ失われていくように思えてならない。

 「妙心寺なんかもう行くもんか!」もう一度心の中でつぶやいている私だった。

言いたい放題 第11号 「ミシュランレストランガイド狂操曲(協奏曲)?」

ミシュランガイド京都大阪編.jpg 10月16日に、ミシュランの「レストランガイドの2010京都・大阪版」が発刊されて、マスコミを又、にぎわせている。

  週刊文集で、渡辺淳一さんは「情けないミシュラン騒ぎ」とのタイトルで、そもそも日本料理店はレストランではない、名前も呼び方も内容も全く違うものを、一緒くたにされてはたまらない」と怒っている。

  確かにミシュランガイドは、すでに世界24地域について発行されているが、フランスのように、1年中、ほとんど変らないものを出す有名レストラン中心の格付けであって、日本料理店には向いていない。
   私は、日本料理はいわば日本の文化そのものだと思っている。料理人は歌の文句ではないが、「包丁一本、さらしに巻いて」苦労の修業時代を経て腕を磨いて一人前になる。歴史と伝統を重んじ、日本の心を伝えるのが日本料理なのだ。
 料理の食材にしても、旬を生かす為、魚介、野菜、くだもの等、最も味のよい出盛りの時期を選び、しかも、その本来の味をどう活かすかにこだわり続ける。
 日本料理店を本当に評価しようと思うなら、せめて四季ごとに出される折々の料理を味わってみなければならない。
   又、日本料理では、盛りつけは勿論、何よりも器を選ぶことにも繊細な配慮と工夫を重ねる。それらを全てを総合して判断するべきなのだ。(昔は板前の修行中、器だけを担当する役割もあったものである。)
 大体、日本の本物の味を、歴史も文化も異なるフランス人にわかるのかという疑問を持つ人も多い。

 調査員に一部日本人も入っているという話もある。実際、「私の友達の友達」にフランス在住の男性がいて、この人が、影のミシュラン調査員(あくまで正体は秘密とされている)といわれていた。
 この人は、いわゆる同性愛者で、一時期、今は亡くなったが、フランスの老国会議員の恋人が居て、私も、かの国の議会食堂で昼食を共にしたこともある。
  大変なインテリで、パリのルーブル美術館に女房と共々案内された時、一人一人の画家の、歴史から画風まで詳細に説明し、その博識ぶりには驚かされたものである。
  しかも、この画家の時代は、日本なら何年のことで、歌舞伎でいえば、こんな時期だと語り、そのうち、身振り手振りで、歌舞伎役者の声色を使って演じはじめる。周囲の白人達が思わず集まって来て、やんやの喝采となったりした。
  そんな彼だから相当な食通で、日本料理にも詳しい。ただ、残念ながらその一方で先入観も強く、あくまで自分流だから、独断や偏見もあって必ずしも公平でない。
 ある時、日本のおせんべい談議となった際、彼は「入山せんべいが日本一」と主張した。確かに入山せんべいは有名だし、おいしい。なによりも浅草の店だから、私は大いに喜んだが、いつの間にか、入山せんべい以外はせんべいにあらずといった風で、「そこまで言っちゃ、おしまいだよ」と思わず反論したものである。ミシュランガイドにもそんな片寄りがある。
  ある時、私がこの話を浅草の老舗すきやき屋の御主人にしたことがあったが、思わず手を打って喜んでくれて、「あなたの話でよくわかった。なぜミシュランに、すきやき屋が全く載らないのか、一体、何を基準にしているのか不満だった。ミシュランが全てではないことを、もっと多くの人に知って欲しい」と語っていた。

  今回のミシュラン京都編には、私が長年お馴染みの店が何軒も入っている。せっかくの京都旅行だったので、この機会に寄ってみようと三日間毎晩各々の店に顔を出すことにした。
 

千花.jpg千花
 まずは、祇園町南側にある「千花」で、ここは三ツ星である。
   およそ30年前から、京都に行くと寄ったものだが、今は先代の長男が店を引き継いでいる。ちなみに次男は、祇園町北側に「千ひろ」という店を出していて、ここは星1つである。
 1946年にここに創業した先代は、三年前に亡くなったが、病気になっても何年かは鉢巻姿で店に出ていて、いわば、しばらくは看板娘ならぬ看板親父であった。大正10年生まれで独特の枯れた風格があった。
 京都で、新しい料理に挑戦して、初めの頃は異端児と呼ばれていたが、如何にも板前割烹らしく、客の食べ具合を見ながら、次の料理を出すといった細やかな対応が評判であった。

 お座敷もあるが、今回も一階カウンターに座った。
   渡辺淳一氏も言うように、本来、日本料理はカウンターで食べるのが一番だ。出来たての料理をすぐ供され、温もりも香りも全て新鮮なうちに食べられるからだ。

 10人も座れば一杯になるカウンターに、先客が左右2人ずついて、私の右側は旦那風の紳士が芸者連れで静かに日本酒を傾けている。左側には2人のご婦人が居て、これは明らかにミシュラン本を読んでの、初めてのお客と思われる。小皿に入った料理が届く度に、「あら、おいしい。なんとおいしいの」の連発で、この喚声を聞きながらではたまらないなと、秘かに思った。
  もっとも、途中から、家内に突然「深谷先生ですね」と声をかけられびっくり。「テレ朝でラジオ体操の姿を見たばかりです」と言う。例の自民党政経塾合宿の折の映像である。
  うっかり文句を言わなくてよかったと、胸をなでおろした。それからは時々相づちを打ったり、話しのお相手もした。いつまでも政治家の業は消えないものなのだ。
  ししゃもの南蛮煮付け、すり鉢にあてて仕上げた生湯葉の小鉢、カキの白ネギあえ、次々とタイミングを見て数多く出される料理の味は格別だ。
 お隣さん、「献立は毎日変わるんですか」、若いお弟子さん「ハイ、明日は変わります」、御主人「明日は休みです」・・・。
 何とも不思議な会話も続いた。

  目の前に檜の食器棚があって、乾山や九谷、永楽などといった逸品が整然と並んでいる。更に先代や二代目が選んだ現代のものも加わって、料理に似合った器が各々用いられている。ここの先代が、器の一つ一つを自慢げに語っていたことなど、往事を想い出させてくれる。
 「昔より、一段と腕をあげたね」と一言添えて店を出たが、夫婦で表通りまで送ってくれたのも嬉しかった。
 

たん熊本家
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 高瀬川のほとりにあるたん熊本家は、ミシュラン二つ星である。初代の名を襲名して、今の店主は栗栖熊三郎を名乗っている。同じ店名でわかりづらいのが、河原町のたん熊北店本店で、ここは初代の孫の店で一つ星だ。
 「本店」とあるだけに、支店が東京の東京ドームホテルの熊魚庵や軽井沢店等である。ドームホテルでは、天ぷら、寿司、鉄板焼きとあり、本来のすっぽんは扱っていない。
 
 熊魚庵は私の地元のホテル内だから、何度も通ったが、これからはあまり行く気がしていない。
 天ぷらの揚げ手(職人)が代ると味に変化があったりする。
   しかし、なによりも、随分お馴染みになっているのだが、その場の愛想はいいのだが、本物の情が足りない。選挙になっても電話一つ無い、われ関せずなのだ。そんな些細なことで、と思われるかも知れないが、選挙に出る身にとっては、「人の情」や、ちょっとした心遣いに、大きなこだわりを持つものなのだ。自分の人生を賭けての闘いだけに、どんな小さな激励の行動や言葉にも大きな感動を覚え、それが心の支えとなるのである。
 これは当事者にしかわからない心境であろう。
  ドームホテルそのものの対応は、いつも礼儀正しくあたたかい。6階のドゥ ミルにしても、43階のアーティスト カフェにしても、直営店だけに経営者の心が伝わっていて、本物の情がある。当ホテルの林会長は、私の後援会、文京政経交流クラブの会長でもある。所詮、身内と他人の違いなのかも知れない。
 この原稿を書いている時、丁度、熊魚庵の新しい店の案内状が届いた。なんと衆議院議員 深谷骼i先生とあった。嗚呼、なにおかいわんやだ。

   過日の私の選挙の最中、京都たん熊本家のおかみが突然、駒形の事務所を訪れてくれた。「どうしたらいいのか。」夫婦で私のことを心配して、たまりかねて、鱧寿司をつくって上京してくれたのだ。新幹線であわただしく折り返し帰られたが、その気持ちが嬉しくて胸が熱くなった。
   あの闘いには破れたが、十万人余の方達が、心を込めて、私を支持して下さった。
   その期待に応えられず、無念で申し訳ない思いで一杯だが、その人々への感謝の気持ちは絶対に忘れない。生命の続く限り、どんな形にせよ、この人達に報いる為に働くつもりでいる。人の心を大切にしたい、選挙に出る者は、いつもこんな心根を抱いているものなのである。

 久しぶりのたん熊本家の料理は、特に亭主の心意気がこもっているように感じられた。
   名物のすっぽん鍋は赤楽の小鍋で出されるが、ふつふつと滾って(たぎって)いて香ばしい。
   手に持てないような日本酒の熱燗に、このあつあつのすっぽんスープを入れて飲むと絶妙な味わいで、決して悪酔いしないし、身体にいい。たん熊に、この飲み方を教えたのは私、と思っているのだが・・・。
 今回は早めの5時から始めたが、窓から映る鴨川あたりの風景の、暮れなずむ頃から夜への移り変りが、いかにもおだやかで京らしく、奇をてらわぬ料理や、つきぬ会話の中で、私の心を静かに慰めてくれるのであった。
 うむ。やっぱりこの店は三つ星にすべきだな・・・。
 

京都ゆたか

   一つ星がついている「京都ゆたか」は、何度か訪れているが、祇園花見小路末吉町西入るのお茶屋が並ぶ一角にある。小粋なのれんをかき分け、格子戸をくぐると、もうそこは和風ではなく、まさにステーキハウスだ。11席のカウンターの前が厨房で、目の前で調理する光景をそのまま見られるようになっている。
   案内してくれた大坂の松本さん夫婦が、私の為に頼んであった松茸が丁度届いたばかり。東京へ持って帰ると鮮度が落ちるからと持参して、「天ぷらにして」と無理な注文をした。
   二代目店長の高田衛さん、二つ返事で引き受けて見事な天ぷらを揚げてくれたが、料理人として何でもこなせる姿にまずは感心する。
 各地から取り寄せた雌牛をしばらく寝かせて、一層味をよくさせる。一度、焼いてから蓋をして蒸し焼きにするのがこの店の特徴だが、にんにくとの組み合わせで、見事な味となっていた。
  この夜の私の肉の量は150グラム、アメリカでは500グラム以上の注文は当たり前だが、日本では苦労を重ねて牛を育て、いわゆる霜降りの上質な肉をつくる。その味の重厚さに大きな差があって、だから日本の肉は500グラムなど、とても食べられない。
  あわびを焼いてくれたり、牛肉のさしみや先程の松茸等も含め、たちまち満腹だったが、残りのステーキは、サンドウィッチにして、みやげにしてくれた。
  細かい心遣いが気持ちをなごませる。この支店は東京の八重洲にもある。

 ところどころに不満はあったが、ミシュランガイドの中にある、よく知る京都の三軒の店を廻って、すっかり堪能し、根が単純な私は心底納得するのであった。
  これらの店は、決して安くはない。もっとも、人によっては料理に見合った適正な価格という。私の場合は、その後は当分、貧しい暮らしに戻すことで採算をとっている。
 

番外編「
白碗竹快楼
白碗竹快楼.jpg 番外編として、ミシュランには今後もおそらく決して載らないであろう、しかし、最高の美味の中国料理店を紹介したい。
   花見小路から一本西に入った露路の角、白い大きな暖簾のかかった「白碗竹快楼」である。難しくてメモがないと私もわからないのだが、「バイワンジュウクァイロウ」と読むふかひれ専門の酒家だ。

   ふかひれの姿煮は、東京でいえばホテルニューオータニ前の「維新號」が評判だ。維新號は二人の中国人兄弟が中心になって頑張っているが、なによりも経営者の人柄がいい。選挙になると飛んで来てくれる。(同じことを言ってしまったが、厳しい選挙の折には、前述のように人の心が、よくわかるのだ。)

  「白碗竹快楼」の店は、宮城の気仙沼から直送させたふかひれを、昔ながらの技法で丁寧にもどして料理する。
   知る人は少ないが、ふかひれは乾燥している時悪臭がひどい。知り合いに「高橋」という大きなシェアを誇る問屋があるが、昔、向島に倉庫があった時、公害問題で近所で大騒ぎになった。ふかひれの美味から想像できない、あまりに強い悪臭の為であった。
   この店で私が、最も好きなのは、単品で二千四百円のふかひれ姿煮土鍋ごはんである。石焼きビビンバ風に、土鍋の中のおこげも含めて、しっかりかきまぜて食べるのだが、まさに絶品で、うまいこと受け合いだ。大鍋だからなかなか一人では食べきれない。みんなで分けて食べるのが又、良い。
   この他に特製ピータン豆腐(これも混ぜて食べる)、点心の小指大の細いえび春巻きも酒に合う。夜はコースが一般で、六千円から一万千円まで色々ある。
   私はむしろお昼がおすすめ。過日はビールを飲んでお腹一杯に食べて、三人でしめて一万円であった。
  東京赤坂にも支店があるので行ってみたが、京都とはメニューが全く違って、肝心の土鍋ご飯もなく、少しがっかりしたものだ。
 おっと、今回は「食べある記」になってしまった。

   私が何度も行った店でミシュランガイドに載った店は、この他にも何軒かある。吉兆嵐山本店、瓢亭、祇園丸山、末在・・・。
   この内、丸山公園「末在」に電話したら、来年一月まで「予約でいっぱい」という。確かに人気店ではあるが、これはミシュラン効果か。
   なんでも吉兆嵐山本店で修業したという店主で、料理はうまかったが、入店時間厳守、お客が全員揃わないと始めない、それまではビールも飲めないには参った。
   店は常にお客中心であるべき、ひたすら愉快に食べたい、飲みたいの私には、どうも向かない。女房はしきりに「とてもいい」という。基本的には性格不一致なのかも知れぬ・・・。

 なんでも新しいものが好き、権威に弱いところのある日本人。これを一層煽るマスコミ、しばらくはミシュランの喧噪はおさまりそうもない。
   心配なのは、星のつかなかった店のことである。黙々と腕を磨き、お客第一を考える「いい店」は、ごまんとある筈だ。この人達に言いたいのは、頑張って星をもらおうなどと考える必要は全くないということだ。
   星をつけるのは、その店を愛する贔屓筋、お客様であって、決してフランスのタイヤメーカー(ミシュラン)ではないのだから・・・。

言いたい放題 第12号 「鳩山政権初の予算委員会から・・・」

091105スーパーモーニング取材01.JPG テレビ朝日の「スーパーモーニング」から、又、取材の申し込みがあった。
 11月5日、自宅で1時間あまり、リポーターの所太郎さんに問われるままに、予算委員会について語った。この前もそうだが、かつて細川政権の野党として、激しく追求した私のイメージが、余程強く残っているようで、このところ、こうしたマスコミの取材が多い。
(実際には翌朝の8時半、全国ネットで放送されたが、取材時間の10分の1程度の短い時間であった・・・。)

 11月2日、衆議院予算委員会は、新政権になって初の委員会で、NHK中継でも6%をこえる、かなり高い関心度であった。
 私は久しぶりにテレビに釘付けになって見ていたが、時間が無かった分は、質疑速記録を取り寄せて読んだ。


――「なんでも友愛」――
 全体的に感じられたのは、鳩山由紀夫総理の答弁は、やたら詭弁が多く、具体性が無いということだった。
 どんなテーマでも、最後は「友愛」で片付けてしまう。内政も外交も含めて、そんな甘い、すぐ溶けやすいソフトクリームのような言葉で解決出来るほど、生やさしいものではない。
 わが党の加藤紘一議員も、「友愛は博愛」と応えた小沢鋭仁環境大臣(彼は昔、東大生の頃、私の事務所を手伝ってくれた人だ)の言葉を受けて、「アジアでそれぞれの国が、歴史的、宗教的なバックグラウンドが違ったからどうするかというと、博愛でいけばいい、なんでも博愛だと解決が付くんですね。でも、これほど曖昧な概念が一国の総理の口から、しょっちゅう出てくるということは、我が国としてあまり良くないことだと思います。」と、彼らしくソフトに批判していた。
 又、前段で、鳩山総理が本会議の答弁に立ったとき、谷垣禎一自民党総裁に、「あなたに言われたくないよ」と言ったことについて、あまりにも友愛精神にほど遠く、「総理のセリフではないと思う」と、これは明快に指摘した。
 ところが驚いたことに、鳩山氏は「不信感をお与えしたことを遺憾に思っております」と、あっさり謝罪したのである。思えば答弁の中で、度々「反省します」、「お詫びします」という言葉がやたら沢山出てくる。頭から謝られるとそれ以上追求しにくくなるのが人情だが、なんでも詫びればいいという訳じゃないぜ!と私は思うのだ。


――「無責任外交方針」――
 大島理森自民党幹事長の、「外交問題で集団的自衛権、個別自衛権について、今までの政府の見解を継続しますか」という問いに、「新政権になったばかりだから、当面今までの解釈を変えるつもりはありません」と答えていた。
 これは、民主党の小沢一郎幹事長の解釈とは全く異なるものだ。小沢氏は国連決議があれば自衛隊はどこにでも出せるという考えを変えていない。いわば憲法に関わる基本的問題で、政府と民主党の考え方に大きな乖離(かいり)がある、ということだ。
 これでは、今までマニフェストに書かれているように、「政府与党一体」と言い続けてきた約束とは全く違ってしまうではないか。

――「先送り沖縄問題」――
 沖縄の米軍基地に関しての鳩山総理の答弁はあきれるほどお粗末であった。
 民主党はかねてから、米軍基地を大幅に縮小させ、県外、又は国外へ移転させると主張してきた。
 しかし、「旧政権が日米の閧ナ合意したことを、政権がかわったからと無視してもいいんだと、そんなむちゃなことは、なかなか言える立場でない」と、如何にももっともらしいことを語っていた。「だからこそ、色々な選択肢を模索している状況だ」とも。
 そんなことは、前からわかっていることで、当然、充分な議論がなされ、方針が決まっていなければおかしい。今更、模索などと悠長なことを言われたのでは、沖縄にとってもアメリカにとっても、迷惑千万なことである。
 一体いつまでに具体的な方針を示すのかと、かなり執拗に追求していたが、「この問題がスタートして13年もたっているのだから」と、さも自民党政府の責任といわんばかりの言葉を弄して、「さまざまな選択肢を用意して、その調査を始めた段階です」と平然と言ってのける。
 「えっ、これから調査?」
 おそらく名護市長選挙や知事選挙を意識して、これを不利にさせたくないために、ともかく、結論の先延ばしをはかろうという考えであることが見え見えであった。

 答弁の中で重大な失言もあった。オバマ大統領訪日までに方針を決めるのかとの問いかけに、「アフガニスタン問題に対して我々の考え方をしっかり打ち出すことの方が大事」といわんばかりの発言をしたのである。
 沖縄問題よりアフガニスタン問題が大事とは、少なくとも日本の総理にあるまじき発言で、絶対に許せないことだ。
 基地問題では、各大臣の発言はまちまちだ。鳩山総理は、10月7日に日米合意を容認するようなことを言い、翌日、「そんなことは一言も言っていない」と訂正する。
 北澤俊美防衛大臣は日米合意でいいと考え、岡田克也外務大臣は嘉手納統合論を私見と断った上、打ち出している。一体外務大臣に「私見」など許される筈もないが、いずれにしても総理や大臣が勝手なことを言い、軽率な発言が目立って混乱に拍車をかけている。
 町村信孝議員は「10月28日の衆議院本会議で、「政治主導だから各大臣が考えを開陳することは構わない」と総理が言ったが、これにはもう開いた口がふさがらない。一昔前だったら(自民党政権時代)、内閣不一致で即総辞職ものだった。今は、支持が高いから、何となく許されるような雰囲気になっているが、この各閣僚の思いつきバラバラ発言が、アメリカにしろ、沖縄にしろ、国の内外にどれだけ悪影響を与えていることか」と強く指摘した。
 「最終的に合意が得られたときに、当然、一つにまとまって行動するから、閣内不一致ではない」と鳩山氏は強弁を続けた。あげくの果て、「私どもが政権を担当して、46日目、必死にこの問題に対して解決をしたいと思っているんです。ウソじゃありません。」と、まるで母親に阿(おもね)る風情で恥ずかしかった。


――「インド洋給油活動について」――
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(テロ対策特別委員会風景)
 私がテロ対策特別委員長時代、精根傾けて再現させたインド洋の補給活動は、世界から、日本の国際貢献として高い評価を受けてきた。
 国際社会の中で、日本がどれだけ汗をかいて努力しているのかが大事なのである。かつて湾岸戦争の時、135億ドル、1.8兆円に及ぶお金を投じたのに、日本はほとんど感謝されなかった。お金を出せばいいという考えは、世界では通用しないという苦い経験を持っている。(このときの幹事長は小沢一郎氏で、その独断が批判され、資金の行方についても疑惑の声があがっている。)

 ところが、鳩山総理は、「この臨時国会に法案は出さない。従って単純延長はない」と明言した。
 大島幹事長は、この「単純延長」という言葉にこだわり、「単純ではない延長もあるのか」と糾したが、「アフガニスタン支援全体のパッケージの中で考える」と、極めて曖昧な答弁で終始した。
 アフガニスタン支援の全体のパッケージとして、総理は農業支援や職業訓練を例にあげたが、勉強不足、認識の無さにびっくりした。
 これらの支援は、わが自民党政権の時代、すでにしっかり進めてきているのだ。町村議員は、パネルで海上阻止活動の給油、20億ドルの支援、治安、インフラ整備、農業、農村開発、医療、文化、人的貢献を中心に、具体的な6つの復興支援例を示した。
 給油活動には法律が必要だから、格別目立つが、アフガン支援のパッケージは前政権以来着々と進行中で、これから何か新しいものがあるかといえば、そうあるものではないと語ったが、もっともなことだ。
 岡田外務大臣は、突然、答弁の中で「例えばタリバンに参加している人達への生活費も含めた給付なども考えられるのではないか」と発言した。まさに苦し紛れの発言だが、これはむしろ失言というべきではないかと私は思った。

 2001年の9・11テロ事件後、アメリカの攻撃によってタリバン政権は崩壊した。アフガニスタンは、今、カルザイ大統領時代を、良し悪しは別にしてかろうじて迎えている。
 しかし、国内各地にはタリバン残党の武装勢力が活性化し、混乱に拍車をかけているのだ。

 岡田氏は、「思想信条としてタリバンに共鳴している人は別として、食うためにタリバンに参加せざるを得ない人も居る。そういう人達に対して支援する」という。
 危険極まりない現地の現状を知っているのだろうか?
 一体、どういうルートで、そして誰が現地で選別し、支援するのか。まるで、子供だましのように、出来ないこと、あり得ないことを、その場の思いつきで答弁する。結局は、又、お金を出すということで、あの湾岸戦争の頃に逆戻りしてしまうのだ。

 国会という神聖な場所を、一体、岡田外務大臣はどう考えているのだろうか。
 各国のテロ防止活動で、インド洋、ペルシア湾の平和は保たれている。日本のタンカーの9割も、そのおかげで守られている。給油活動はわが国の国益に合致しているのだ。
 世界の国々が求めているインド洋給油活動を止めるなら、日本は何をしようとしているのか、現政権は冷静に考えて、具体的な対策を内外に示していかなければならないと、私は思っている。

言いたい放題 第13号 「鳩山政権初の予算委員会から・・・(その2)」

――予算と財政の不安――
 大島理森自民党幹事長の質問の中で、次第に明らかになってきたのが、財政問題での鳩山政権の弱点である。
 当初、民主党は国の総予算207兆円の「全面組み替え」を政権公約としてきた。そのスタートとなるべき今回の概算要求を見ると、なんとわれわれがつくったものの、わずか2%しか削減されていない。その上にマニフェスト分をのせただけの能のないものなのだ。
 鳩山氏は、又もや、時間的制約があるからとか、旧政権の要求を100%無視することも出来ないし、と言葉を濁し、これからを見て下さいの一点張りである。
 全面組み替えと、わずか2%削減では、あまりに落差があり過ぎて、こういうのを羊頭狗肉というのではないか。

 2010年度の概算要求額は、実に95兆380億円という過去最大のものとなっている。こんなにふくれあがったのは、ひとつにはシーリング(概算要求基準)を示さなかったことにある。一定の押さえをかけないと、各省庁からの要求は限りなく増えていくのは当たり前だ。
 マニフェストに書かれているからと、子供手当の2兆2554億円をはじめ、高速道路の無料化、高校授業料無償化、農家の個別所得保障等、大手をふって予算に積み上げていく。財政事情はこの際関係ないといった具合である。

 第2に、財政規律を如何に守り、国債発行をどう押さえるかという、財政再建の道筋が全く示されていないことだ。
 菅直人国家戦略相は、新たな財政再建目標は当面作成しないと平然と言っている。閑職大臣といわれて存在感が薄い大臣なのだから、せめてこのくらいの対応には力を注ぐべきと思うのだが、予算委員会では、もっぱら居眠りをきめこんでいた。
 財政再建の方針を示さなければ予算要求はふくらみ続ける。脱官僚を標榜する内閣とは名ばかりで、各々の役所の要求をよく分からない大臣は、そのまま概算要求に盛り込んで、必死であった。
 これでは政権交代したと言っても何も変る筈がない。

 第3は指令塔が不在という点である。
 前述のように、本来中心となっていい菅大臣が動かず、国家戦略室はほとんど機能していない。
 平野博文官房長官は労働組合出身で、予算編成など経験が皆無で、とてもおぼつかない。
 鳩山由紀夫総理は、肝心の時に、ほとんど連日外遊で、夫人と手をつないで、国費を使ってのハネムーン気どりだ。
 小沢一郎幹事長は、相変わらず党内人事の掌握と選挙一筋で明け暮れている。これではまともな予算編成は不可能だ。

 菅大臣は「来年度の予算については、時間的な経緯ありまして(政権を得たばかりで)、単年度として決めていく。23年度からは複数年度予算を想定して、3年間の中期展望の中で、財政のフレームをつくって、その中で中期的な財政規律をきちっとしていこうと閣議で決定しました」と答弁した。
 なんとものんびりした話ではないか。
 今回の概算要求と新年度の予算案では、何も出来ませんが、再来年からの分はナントカしますということで、その場しのぎの逃げ口上としか聞こえなかった。
 政権は突然降って湧いたのではない。ある程度予想されていたし、影の内閣もあって、相当勉強していた筈である。その研究の成果が、本来マニフェストとしてまとめられたのではないか。「政権を持って日がないから、全てはこれからです」では無責任だ。

 これからの財政事情を考えると、本当に深刻だと私は思っている。
 なによりも景気が低迷し続けて、法人税や消費税が減り続けている。
 今年の税収は間違いなく40兆円を割り込んでいく、その上、新政権では、ガソリン税等の暫定税率を廃止する。こんな不況の時代に既存の税を廃止して、地方合わせて確実に入るお金を捨てる手はない。しめて2兆5千億円、消費税なら1%上昇以上だ。
 本来なら消費税という安定財源確保が必要だが、これも4年間はやりませんという。
 余程の大なたをふって、予算要求額を切り詰めていかなければならないが、今の状況では、とても出来そうにない。
 結局は、大幅国債発行とならざるを得なくなるが、それもかつてない、税収を上まわる額になるのではないかと今、私は心配でたまらない。
 巷では早くも鳩山不況という声が出ているが、国会答弁を見る限り、これが現実味を帯びてくるのではないかと、一層、不安な思いにかられたのである。

言いたい放題 第14号 「鳩山政権初の予算委員会から・・・(その3)」

――「鳩山首相献金疑惑」――
 「この件に関して、改めて国民の皆様方にお詫びを申し上げます。」
 鳩山首相は、自身の献金問題に質問が及ぶと、何度も謝罪の言葉を繰り返した。勿論、別に謝罪を求めて質問している訳ではない。当然のことながら、明確な説明責任を求めているのである。
 更に、全ては秘書のやったことで、「自分はこの問題を全く把握していなかった。このことに問題があると思います。」と他人事のようないい訳をする。
 柴山昌彦議員が指摘していたが、鳩山氏自身、かつて鈴木宗男衆議院議員が、いわゆるムネオハウスの受注に絡む業務妨害事件で逮捕されたとき、「以前から鈴木議員に辞職を求めてきた。議員の分身といわれる会計責任者の逮捕は議員本人の責任だから、改めて辞任を強く求める」と語っている。(平成14年5月2日夕刊フジの記事)
 又、土井たか子元衆議院議員の秘書による給与流用事件でも、「私は政治家と秘書は同罪と考える。政治家は金銭に絡む疑惑事件が発生すると、しばしば、あれは秘書のやったこと」とうそぶいて、自らの責任を逃れようとするが、とんでもないことです。秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきです。」と述べていた。(平成15年7月23日のメールマガジン)
 きわめて名言、拍手を送りたい正論だが、今、鳩山総理は、まさにそこを攻められているのだ。最後は「地検が捜査をしているので、そこにゆだねたい」とひたすら捜査中と、逃げ口上ばかりで、全くもって、みっともない話である。
 総理の献金疑惑は、自分や母親のお金で、政治活動を行い、それをひた隠すために、偽装するという、明らかなマネーロンダリングだ。
 なんと献金リストには死亡した人まで含まれていて、これでは、「個人献金」ならぬ「故人献金」ではないか。
 6月30日の弁護士同伴の記者会見で、偽装献金は4年間で193件、金額で2177万円で、これを訂正すると発表した。
 しかし、これは実名献金の分で、5万円以下の小口匿名献金とは別である。
 個人献金は全体で2億円超となっているが、その6割にあたる1億3千万円が小口匿名献金なのだ。仮に最大額5万円の寄付ばかりと考えて計算しても、その献金者の数は実に2600人にのぼる。
 この匿名献金のリストは届け出なくてもいいことになっているが、その記録は残すことが義務づけられている。
 これらについては、まだ調査は全部終っていないからと明らかにしていないが、帳簿を見れば直ちに分かることではないか。

 柴山議員が追求したように、恐らくお金の出どころは、鳩山総理自身の個人口座と、膨大な資産を預かる鳩山家の資産管理会社「六幸商会」という株式会社からであることは間違いない。しかも、六幸商会からお金を引き出すときは、鳩山氏の「指示書」を必要とするのだから、御本人が知らない筈はないのである。
 マスコミを通して、様々な疑惑が報じられているのだが、世論の反応はいま一つという感じである。不思議なことだ。
 おそらく、大金持ちが、自分や身内のお金を遣っているのだから「まぁいいか」といった安易な気持ちからなのかも知れない。
 しかし、これは実にとんでもない話で、政治資金規正法違反は罰則付の違法行為、つまり犯罪なのである。
 柴山議員は、「これは脱税も含め、国に対する詐欺行為だ」と訴えている。

 今、国土交通副大臣になってすっかり収まっている辻元清美代議士は、2003年公設秘書の給与を削り、私設秘書の給与や活動費に回したとして、詐欺罪で逮捕された。ワークシェアリング(仕事の分担)と主張したが通用しなかった。
 社民党の山本譲二氏も同様のことで、栃木県黒羽刑務所に服役した。
 民主党内でも当選11回、細川内閣で自治大臣になった佐藤観樹氏は、2004年同様の罪で逮捕され、民主党除籍、議員も辞職した。いずれも厳しい処分が待っていた。自民党の松岡利勝農水大臣は、事務経費のごまかしを国会で追及され、ついに自ら生命を絶ったという悲惨な結果となった。
 この後、農水大臣が次々と同様の疑いで批判され、辞任に追い込まれたが、これらは政治と金にまつわる世間の厳しい批判の背景があった。
 鳩山総理大臣に対しては、何故か寛大なのである。

 論客で鳴る石破茂自民党政調会長は、「鳩山総理は、さきの本会議の答弁で、全容が(地検の捜査で)解明することを祈念しますといわれたが、祈念するのはあなたの仕事ではない。(事実を自ら)明らかにすることがあなたの仕事だ」、「実務担当者との接触が禁止されているから出せないというが、今までどういうことを知っていたのかを進んでいうべきで、これは捜査妨害にもならない」と、いかにも石破氏らしく諄々と諭すように語っていた。
 つい2日前の朝日新聞(11月2日)には、又、新たな疑惑が報じられている。昨年、株を売って得た7226万円余りを所得申告していないことが明らかになったのだ。
 「どこまでつづく ぬかるみぞ」といった感じだ。かつての細川政権は、結局、自身の政治資金疑惑で崩壊したが、さて、鳩山政権はこれからどのような道を辿っていくのであろうか、充分に注目しなければならないと思う。

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――「衆議院予算委員会を総括すると」――
 これはテレビには映らなかったことだが、テレビリポーター所太郎さんの私への質問の中に、「今回の委員会質疑に点数を付けたらどのくらいですか」というのがあった。
 私は即座に、「鳩山総理は60点以下、つまり不合格です」と答えた。
 よく喋るが、時に開き直ったり、弁解や詭弁が多すぎる。一番肝心な具体的な政策や、これからの進め方が見えてこない。しかも、一度公約したことが度々変って、ブレが激しい。まして自分の政治献金問題になると、ひたすら逃げてばかりいる。
 麻生前総理のことと比較して、マスコミも世間も鳩山氏に対してあまりに過保護と思われてならないが、宇宙人にはみんな鷹揚で甘いのかも知れない。

 今回の特徴は脱官僚で、大臣以外は答弁に立てない。あらかじめ役人に書かせた文章を読むこともなく、意外にすらすらと答弁していた。今回の場合、どちらかというと、主要な弁のたつ閣僚が指名されていたし、質問のポイントも、かなりわかりきっていたから当然かも知れない。しかし、この形だと、やがて大臣の優劣が次第にはっきりしてくるようになって面白いかもしれない。
 但し、私だったら角度を変えて、ちょっと意地悪質問をすれば、たちまち立ち往生させることうけあいだ。
 う〜ん、いつもの席に居られなくて残念・・・。

 所さん、「ところで自民党側は何点ですか?」
「70点くらいはあげられると思う、なかなか上品で真摯な質問姿勢だった。」
「あと何があれば100点なのですか?」
「迫力が足りない。野党なのだから、与党政府の誤りを徹底的に追求し、これを糺すことに全力をあげなければならない。自民党大敗の後だけに、世論やマスコミに気兼ねして、どこかに徹底追求を躊躇する気持ちがあるのではないか。」

 細川政権時代、支持率は70%を超えていた。激しく追求する私や野中さんのひどい顔が?連日テレビに映って「武闘派」のレッテルを貼られたりした。
 かなりの顰蹙(ひんしゅく)もかって、(一部の心ない人達からだが)嫌がらせや脅迫めいた電話が一日中鳴ったこともあった。
 しかし、何事もお国の為、日本の将来に禍根を残さぬ為と、一途に信じて、不退転の決意で臨んだものであった。
 後に、あの時代のわれわれの行動は語り草となって、それなりの評価を与えられている。
 一歩も引かぬ追求には、気合いと度胸が必要だが、今の人に求める方が無理なのかもしれない。

 他のテレビの場面で、元政治家であった北川某というコメンテーターが、私と野中氏の映像を見て「古いです」と一言。アホか・・・。
 鶴田浩二の「傷だらけの人生」の台詞(セリフ)にこんなのがある。
「古い奴だとお思いでしょうが、
古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。
どこに新しいものがございましょう。
生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、
右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。」
 ついでに歌の部分も紹介すると、
何から何まで 真っ暗闇よ
すじの通らぬ ことばかり
右を向いても 左を見ても
ばかと阿呆の からみあい
どこに男の 夢がある
 昔、中曽根康弘先生が酔うと、歌詞を変えてよく歌ったものだ。
 鶴田浩二の歌を想い出す・・・やっぱり私は古いか。

 いずれにしても野党の役割は、時代が変ってもそう違うものではない。
 野党が静かになって、無気力となったら、時の政権は勝手気まま、やりたい放題に事を進められる。
 ひょっとしたら、独裁政治への道を歩み始める危険さえはらんでいるのだ。
 独裁政治といえば、今回の委員会での、与党民主党の野次や拍手は一体何だ。
 応援団の小沢チルドレンを中心に、総理や大臣の答弁の度ごとに、(拍手の必要ないときも)小学生のように喚声を上げ拍手となるのだ。まるで北朝鮮の光景を見るようで気持ち悪い。
 思わず町村理事が、委員長に詰め寄って彼らの退席を求めたが、至極当然のことであった。

「あと、迫力と不退転の気合いが入っていたら100点です。」と所さんの質問に答えたのだった。

言いたい放題 第15号 「素敵な出会い」

 ついに門田泰明氏とお会いし、昼食を共にした。
 なんだか大げさな書き出しだが、私にとってはそんな思いである。
091114黒豹シリーズ.jpg 門田氏はいわゆるベストセラー作家(この言い方が正しいか分からないが)で、私はかねてからファンの一人であった。

 私の一族は、乱読に近いほどの読書家が多い。特に女房は本が大好きで、時間さえあれば夢中になって読みふけり、熟読中は私へのサービスは滞りがちになる。
 私は昔から横着を決め込んで、手元の箸さえとらぬ程の亭主関白だ。又、長い年月(46年)かけてそのように女房教育をしてきたつもりだが、どうも読書中は、大体私は無視されている。
 もっとも、その無視傾向は、年をとるにしたがって近年一層決定的になって、他の場合にも及んでいるが・・・。
 私の場合、現職議員の時は、公務に追われ続けていたから、なかなか落ち着いて本を読む機会はなかった。それでも国会への行き帰りの車中や、あまり感心されないがトイレの中など、まさに寸暇を惜しんで読んだものだ。
 仕事柄、難しい本を読まなければならないことも多いが、これは必要に迫られてのことで、公務と割り切って時間をしっかりとって、腰を落ち着けて読む。
 だから普段は、わずかな時間に小刻みに読むから、比較的気楽に読めるハードボイルド物や、時代ものなどが多くなる。

 近年、そうした小説の中で、特に門田氏の本を愛読するようになっていた。
 氏の書いた特命武装検事・黒木豹介、一般に「黒豹シリーズ」と呼ばれているが、これは1,400万部を軽くこえ、今も売れ続けているという。学生から大人までファンの年齢層も広い。
 「燃えるような闘魂、不屈の勇気、神から与えられた強靱な肉体、これらが炎を噴き上げたとき、大地は鳴動し天は震えた。」世界最強の主人公・黒木豹介は、まさに魅力いっぱいの男である。
 又、氏は時代小説も書く。ぜえろく武士道覚書「一閃なり」のように、ここでも颯爽と剣客・松平政宗が登場する。
 「蝶のように舞い、蜂のように貫き、雷の如く断ち斬る政宗の位高き剣法・・・。」門田小説に登場する主人公は、女性が誰でも必ず振り返る美貌の持主なのだ。
 氏自身が医療関係の仕事に従事したことがあるだけに、ここから題材をとった「白い野望」などもある。
 時に荒唐無稽な内容もあるのだが、基本的にかなりの調査と研究がなされている。
 土台がしっかりしているし、迫力ある筆風だけに、読者はたちまちその舞台に引きずり込まれてしまうのだ。

091114門田先生サイン本.JPG その門田氏から、今年5月、突然、著者署名入り捺印の「続・存亡」という本が送られてきたのである。
 私は一方的な彼のファンではあるが、勿論、面識がある訳ではない。一体、何故かといぶかしく思いながらも、一気に読破した。
 長崎県対馬が、ある日突然、全ての通信も絶たれて沈黙する。そこから始まるテロ事件、海上自衛隊・対テロ特殊部隊が日本の存亡をかけて闘うというドラマであった。
 勿論、作者がつくりあげたフィクションだが、決してあり得ないことではないと思わせる迫力がある。
 特に衆議院でテロ対策特別委員長を3年も続けている私から見れば、その一つ一つが「あり得る」と、うなずける話ばかりで衝撃的であった。
 改めて、上巻の「存亡」を買って読んだが、これも陸上自衛隊対テロ打撃作戦小隊が、国家の命運をかけて死闘をくりかえす長編小説だ。

 日本は敗戦からこの60数年、本当に平和な時代が続いた。第二次大戦以降、世界は二度と戦争をしないと誓ったが、今日まで、世界で戦火の絶えたことはない。
 先進諸国の中で、戦争に巻き込まれたことのない国は日本だけである。
 これは、幸運に恵まれたこともあるが、やはり国民の叡智と、小さな声で言うが、わが自民党の政策の成果といえなくはない。
 平和が続き、当たり前になって、今ではすっかり平和ボケになってしまっていないか。しかし、昨今の世界の動き、とりわけアジアの状況を見ると、実は戦争の危機がヒタヒタと迫っている。ほとんどの人がそのことに気づかないか、気づいても、「なあにそんなことはない」とたかをくくっているのである。
 突然、門田小説に出てくるような事件が起ったら、おそらく、日本は、政府も含めて、残念ながらただオロオロと周章狼狽するだけでお手上げとなること、必至だ。

 この小説の中で、登場人物を借りて、厳しい政治家批判をしているが、それに近い状況だけに、耳の痛い話であった。
 かねてから同じ思いで、それなりに活動してきた私だから、門田氏が小説を通じて伝えようとしていることが手にとるように判る。門田氏はおそらくテロ特委員長こそ、この本を読むべしと送ってくれたのであろう。
 後日、テロ特委員会の与党打ち合わせ会で、私はこの小説の中味を説明し、国会議員の一人でも多くが、この本を読むことを提案した。大島理森国対委員長(現幹事長)は直ちにメモして、早速、内閣官房に命じ本を求め、みんなに配布してくれたのであった。
 
 読後、私は早速礼状を送り、あわせて、私の新刊本、「明るい日本を創る」(角川学芸出版)を送った。驚いたことに折り返し、直ちに返事が届き、更に追いかけるように、私の本の感想を書いた手紙が送られてきた。
 それも通り一遍のものではない。
 門田氏は昭和15年生まれ、私の弟と同年の5歳下で、いわば同じ時代を共有している。だから私の歩みや思いがそのまま重なりあっている。
 私は家族と共に、戦後一年経て、ようやく満州から日本へ引き揚げて来て浅草で暮らしたのだが、「それらの光景の一つ一つが鮮明に浮かんできて、他人事とは思えない。84頁の数行を読んだ時、とうとう耐えられずに落涙した」と書かれていた。
 私の拙い本を、ここまで克明に読まれたかと、こちらも胸が熱くなったものだ。
 後日、氏の母親が書道の先生であったと伺ったが、文章は勿論のこと、ペン字で書かれた字も又、格別の達筆であった。
 今、私の手元に十数通ぶ厚い大流行作家の書簡があり、新しい私の宝物となっている。
 丁度、長編小説書き下ろしの最中で、門田氏は多摩の自宅と軽井沢の仕事場を往復し、調査や研究の為に全国をかけめぐっていて、多忙を極めた時であった。
 お互いに、お会いしましょうと書きながら、こちらも国会、選挙、落選とめまぐるしい日々が過ぎ、なかなかその機会が無かった。
 そして、ようやく11月7日、浅草むぎとろで、待望の「御対面」となったのである。

 恰幅のよい、堂々とした体躯と風貌の門田氏、8才年下で、もの静かな奥様と、女房を含めて4人、初の顔合わせなのに、たちまちごく自然の会話となった。
 「今日は昼ですから一滴も飲みません」と断る門田氏、「そうですか、それでは私達はいただきます」と、こちらは生ビール、焼酎とピッチがあがる。
 もっぱら私の方が一方的に喋ったようで、女房曰く、「一つ一つに丁寧に耳を傾ける姿が、とても印象的であった」とのこと、汗顔の至りであった。

 どんな職業でも苦労が多いのは当然だが、これはベストセラー作家といえども変わりはないようで、そのことを門田氏は「ダブルミッション」下巻の「あと書き」で率直に語っている。
 「ペンを動かすのをやめれば、たちまち文士の生活は破綻する。有給休暇もなければ雇用保険もない。将来貰えるかどうか怪しくなってきた年金にしたって、会社勤めの厚生年金や公務員の年金に比べれば、わずかに鼻くそほどでしかない。だから毎日が背水の陣であり、真剣勝負に輪をかけた真剣勝負である」。
 「やっと書き終えて、ヒグマみたいな唸りを一発放ってベッドの上にひっくりかえってしまった。朝昼晩三食の時のほかは、ほとんど動き回る必要のない環境だから、たとえば1,000枚の原稿を書けば、運動不足で10キロは確実に太る。私はすっかりミニブタみたいに太ってしまった。元の体重に戻すには一ヶ月ばかり山ごもりしてカスミを食って生きるしかない。だが次の仕事で、すでに尻に火が点いているからカスミを食っている場合ではない。またしてもシンドイ調査と分析と勉強が待ち構えている」。
 ベストセラー作家だから、一般の人から見れば、それこそいいことづくめのように思える。しかし、その実際は苦労の連続なのだ。人より秀でる人、世に出る人の努力は並大抵なものではないのである。

 楽しい時間は早く過ぎるもので、昼食というのにあっという間に3時間も経過していた。本当に心地よい出会いと会話であった。
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 そして次の日、もう門田氏から、礼状とハードカバーの本がなんとダンボール箱で10冊も送られてきた。
 それらの本の全てサイン入りだが、深谷隆司宛に各々一冊ごとに言葉がそえてある。
 「日本に全力を投じて下さった」
 「日本を心から愛した政治家」
 「われ閑々として悠々たる政治家」
 「これからの日中国交の大黒柱になって戴きたいと願う。論の張り方、懐の深さ大きさ、強烈な優しさ、圧する風貌、どれも惜しすぎます」
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 「フェニックスであって戴きたい」
 「私の最も親愛感を覚えた政治家」
 「武蔵坊弁慶を思わせる」
 「なによりもお体お大切に。元気百歳まで!!」

 私は感動でノックアウトであった。


091114門田先生本06.JPG 更に実は、もう一つ、「全国公共宿舎ガイド」というぶ厚い本も加わっていた。
 最近、京都へ行ったという話題から、「『KKR』というホテルを御存知ですか」という話になった。
 実は、私は太ることを心配して、かの地で毎朝、鴨川や街中を何キロも歩いた。
 丁度、ホテルオークラのすぐ近くに大きな建物があって、あまりに立派なので一体どういう所有かと思ったが、それがKKR京都くに荘」で国家公務員共済組合連合会の宿舎であった。なんでも久邇宮邸跡地に建つ宮家ゆかりの宿とのことである。
 「値段は安いし、料理もうまい。誰でも利用できる。夫婦で京都のここへも泊まったが、一番高い部屋を注文するのがコツだ」と門田氏。
 そんなものかなと、うっかり聴いていたのだが、なんとその全国の公共宿舎紹介の本を届けてくれたのである。
 至れりつくせりとは、こうしたことをいうのかと、つくづく門田氏の誠実さには感嘆した。

 つい最近、仙台の友人竹内君から、戦国時代の武将の中で、伊達政宗は特に筆まめだと解釈つきで、佐藤憲一氏の著書「伊達政宗と手紙」という小冊子が届いたばかりであった。
 戦国武将の自筆の手紙は極めて少なく、それも祐筆(文章を書く専任の秘書)に書かせることが一般だ。織田信長の現存する自筆はわずか3通、だから値が上がり、細川忠興に宛てた手紙は国の重要文化財になっているという。
 政宗の場合、現存するのは千通を超えるから、実際は数千通はくだらない。その内の7割は自筆とのことなのだ。
 「文は人なり」、「書は人を語る」といわれるが、政宗の場合、「自筆にまさる誠意なし」が信条であったと書かれている。
 門田氏の手紙は、今や私の重要文化財だが、「自筆にまさる誠意なし」の政宗とぴたり一緒だと思った。
 私も比較的、こまめに自筆の手紙やはがきを送る方だが、数が多い分、値段は安いに違いない。

 私も女房も、すぐその気になる性格だ。丁度、大阪の松本氏から、例のミシュランの三つ星、「末在」へ行こうと誘われて、予約は4月1日にようやくとれたと連絡があった。
 そこで早速KKR京都へ連絡をとり、3日間の宿泊の申し込みをしたのである。
 来年のことを言えば鬼が笑うというが、4月の土日はすでに予約済みで空いていない。「競争ですよ」と行った門田氏の言われた通りであった。
 勿論、「一番良い部屋を」と注文したのは言うまでもないことである。

言いたい放題 第16号 「十年ぶりの仲人」

 私は今まで、140組を超える仲人を勤めている。一番多かったのは、都議会議員時代だが、近年は、ほとんどお断りして来た。理由は、日程がなかなか調整出来ないことと、なによりも私ら夫婦も高齢化して、長い時間を費やすことがシンドクなっているからである。
 もっとも、世の中も随分変わって来ていて、今や、仲人というやっかいな者を立てずに、本人同士が、自分でプランを立てて自主的に行う披露宴も増えて来ている。
 今回のお相手は、手塚雄介君と、旧姓金子冬芽さんだが、これには意味もあって、久しぶりに喜んでお引き受けしたのである。
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 新郎の家は、浅草雷門の人形焼の「紀文堂総本店」で、明治23年創業だから、来年で実に120年の歴史を重ねて来た老舗である。
 手塚家とは、本当に古いおつきあいになる。
 政治の世界に身を置いていると、一生懸命世話をして来た相手に、平気で裏切られるという場合もある。私の場合、比較的、こんな人は少なかったが・・・。
 手塚家の場合、近所から出馬している人も居ただけに、様々な町のしがらみもあって、随分、苦労も多かったのではないか。
 そんな中、私の良き時も悪しき時も、一貫して変わらず応援し続けてくれた。本当にありがたいことで、まさに家族ぐるみのお付き合いを重ねて来た。
 最初の出会いは、浅草にあるステーキ屋「すきずき」で、その時、雄介君は、まだ生まれて三月目の可愛い赤ちゃんであった。
 あれから何年経ったのかと数えるより、雄介君の年齢を数える方が早い、そう31年になる。

 父親の手塚進也さんが、自転車の前籠に雄介君を乗せて、毎日選挙事務所に通ってくれたこともあった。
 後援会旅行会で、私の倅と並んで雄介君がお辞儀をしている様子に、みなさんから、「お子さんですネ」と言われたことなど、私の記憶の中に鮮明に残っている。
 
 その頃、私の自慢は満州仕込みのスケートであったが、手塚家が毎年スキーに行くことから、苗場のスキー場に以来何年も一緒に出掛けた。
 今や、スキーは、私の得意のスポーツとなっている。30度の急斜面も激しいギャップも、ものともせず、85キロの巨体で、脱兎(?)の如く滑り降りる勇姿は、見ている人々(家族だけだが)をうならせる。
 もっとも、おかげで選挙でも滑りやすくなったと自嘲したりして・・・。
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 そんな彼が、いつの間にか(本当にそう思う)立派に成長し、慶應大学を卒業した後に、五代目として店を支え、いよいよ結婚となったのである。
 その上、彼の子供の頃からの夢が、私に仲人をやってもらうということだったと聞いて一層嬉しく、女房共々、二つ返事で引き受けたのであった。

 1950年代、話題になった米映画に、スペンサー・トレイシー主演の「花嫁の父」というのがあった。
 娘を嫁に出す父親の喜びや寂しさが見事に描き出された映画で、花嫁姿のエリザベス・テイラーの美しい姿と共に、今でも私の心に深い印象を残している。
 リッツ・カールトンホテルのチャペル、バージンロードを花嫁になる冬芽さんと腕を組んで、父親の金子俊昌さんが入場する。
 今にも泣き出しそうな緊張した顔、迎える母親はしきりにハンカチで目をぬぐっている。
 まさに、あの映画の名場面であった。A''.JPG
 金子俊昌氏は、荻窪で開業する循環器内科の権威である。
 関東逓信病院の副部長もされたが、逓信病院は旧郵政省所管で、私が郵政大臣時代、膝の簡単な手術をしたこともある。縁とは不思議なものである。
 良き家庭で育ったお嬢さん、下町の雄介君とはまさに似合いの新郎新婦であった。

 私の二人へのはなむけの言葉は、次のような歌ともつかない文言であった。
 「誰かが、どこかで、私達を見つめている
  誰かが、どこかで、私達を支えている
  そこに、私達の人生がある」
 私が早稲田大学生の頃、よく仲間と遊説隊を組み全国行脚をしたのだが、最も想い出に残っているのが宮崎県での遊説である。
 その宮崎で、市会議員をしていた戸高保氏という人に出会った。彼は私の演説をいたく気に入り、連日、遊説隊と行動を共にしてくれた。
 私より16歳上で、南国にふさわしく真っ黒な顔で容貌魁偉、しかし、人を思う優しさにあふれた人であった。
 地域で人望も厚く、後に県会議員にトップ当選したが、九州の徳川夢声と呼ばれる雄弁家でもあった。
 遊説日程が終って、いよいよ東京へ戻ろうとすると、もう少し居てくれと引き留めて、十名全員を自分の経営する旅館「待月」に無料で宿泊させてくれた。
 当時は、全学連の左翼運動が盛んな時代で、われわれの遊説のテーマは「学生よ学園に返れ」であった。
 九州の全学連の最大の拠点は宮崎大学であった。われわれは、わら半紙に「学生よ学園に返れ」と大書きした大量のポスターをつくり、帰京前夜、宮崎大学の壁を乗り越えて、大学のいたるところに張り巡らせた。
 翌日、大騒動になったが、われわれは既に汽車の中、戸高さんは必死に対応し、冷や汗をかいたとは後の話であった。

 私が27歳で初めて台東区議会議員に出馬した時も、はるばる宮崎から上京し、見事な雄弁をもって応援してくれた。
 以来、私の選挙になると必ず上京し、私も彼の選挙の時は、宮崎に飛んで熱弁をふるった。
 都議会から国会に移る頃、浅草にあった国際劇場で、2回にわたる、「深谷骼i一万人の集い」が恒例になっていた。
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 昭和51年、その国際劇場で戸高氏も挨拶に立ったが、なんとその夜、宿泊した新橋第一ホテルで急逝してしまったのである。
 深夜、ハンドルを握り、車で私はホテルに急行したが、涙がとめどなく流れて号泣した。戸高氏との永遠の別れであった。
 「誰かがどこかで・・・」、この言葉を私に残してくれた人、それが戸高保氏であった。

 久しぶりの仲人、私にとっても女房にとっても、様々な感慨を与えた結婚式という名の劇場であった。
 仲人席で、私はメニューに一筆書いて女房にそっと渡した。
 「もう子供を送り出すことはないが、あとはお互い、病気をせずに長生きすることだけが全てだ」と。                                      

言いたい放題 第17号 「仕分け作業騒動」

 11月11日から、民主党の看板行事、行政刷新会議の事業仕分け作業が始まって、テレビ新聞は大騒ぎである。
 来年度予算の概算要求額が、実に95兆円という膨大なものになって世間の批判を集めた。その中の無駄を如何に削減するかというテーマで、民間有識者56人を含む計80人が3班に分かれて、見直しの方向性を判断する為の会である。
 従来は、財務省主計局を中心に、各省庁の代表と協議を重ね、査定を行って来たのだが、今回は、全面公開で、会場の国立印刷局市ヶ谷センターは、一般人や記者も含めて実に500人が傍聴する満員の盛況である。

 テレビに映る光景を見て、私は本当にびっくりした。
 まるで、人民裁判か東京裁判を思わせる状況で、説明する役人は悪代官、追求する人々は正義の味方といった風情なのだ。おまけに傍聴人から、「聞こえない」等の野次や、時に怒声まであった。
 全てを国民の前に明らかにすることは、確かに一見民主的に思えるが、予算についての協議はかなり専門的な面が多く、よほど経験と知識がなければ難しい。
 舌鋒鋭い民主党議員の、質問というより追求は、確かに正義の味方然として、カッコはいい。しかし、傍聴人やテレビ、新聞、更にその向うの国民の目を意識してのパフォーマーが多くて、あまり気分の良いものではなかった。

 一体、どれだけの調査と知識をもって発言しているのだろうか。
 そもそも、今、削減を求めている概算要求の中味は、新政権、つまり民主党の大臣・副大臣・政務官によって無駄を省くことを前提に、精査されてまとめられたものではなかったのか。
 それを無駄が多いと、民主党議員を中心にばっさばっさと削っていくのだから、なんとも違和感があって、まさにこれは内部矛盾と言うべきではないのだろうか。
 事業仕分け対象は447事業、まとめて216項目を整理し精査するという。
 だが、この数は全体でみればわずか15%に過ぎない。
 一体、誰が、どのような理由で、査定対象をこのようにしぼったのだろうか。
 すでに多くの指摘があるように、これは財務省主計局の判断で、そうさせたのは現政権の丸投げに他ならない。
 財務省自身の査定対象が、他の省庁と較べて、極端に少ないのも、なるほどとうなずけるように私には思える。
 仕分け作業に入る前に、論点整理と称して主計局職員の事前説明が行われる。これでは従来からの官僚主導と変わらない。
 更に気になるのは、当初明らかにされていた仕分け人、民主党議員37人が、いつの間にか7人に縮小されたことである。
 事前に知らされていなかったことから、小沢幹事長の逆鱗に触れた。仙谷由人大臣があわてて何度も頭を下げて、謝り続けた結果の人事だと報道されている。
 まさに小沢独裁政権である。
 亀井国民新党代表は、仕分け人の中に小泉政権下の金融庁顧問や、モルガンスタンレー証券の外国人まで居るのはおかしいと、差し替えを求めた。当然のことである。
 一体、この人達は、如何なる基準で、誰が選んだのか、全くもって不明朗な話なのである。
 しかも、仕分け人についての法的根拠は全くない。そんな人達が、わずか各1時間単位の中で、次々と予算を削っていくことが一体許されるのかとの声も多い。

 今回の仕分け人の中で、一番目立つヒロインは言うまでもなく、蓮舫参議院議員で、仕分けの女王と言われている。
 元クラリオンガール、元キャスター、日本に帰化した人だ(そのことを批判する気はない)。
 連日、速射砲のような舌鋒鋭い追求だ。週刊文春(11月26日号)のグラビアで「なんだか嫌な感じ」と書かれているが同感だ。
 この小娘、どれだけ知っているのかと言う人も多い。
 文部科学省の独立行政法人、理化学研究所に委託している次世代スーパーコンピューターについて、「何故世界一でなければならないの」との質問には恐れ入った。
 秒速1兆5,000億回以上の計算が可能なこの大型計算機は、航空機から医療まで技術的開発に欠かせないもので、その研究は日本が世界の中で一歩リードしている。
 各国がしのぎを削っているものを、「費用対効果が不透明」と、予算を事実上凍結させるなど、断じてあってはならないことなのだ。
 ノーベル化学賞の野依良治博士は、「これが無駄と言われれば、資源の無い日本の生きる道は無い。世界一を目指さないと、たちまち中国等に追い越され、やがては中国から輸入するようになる」と嘆いていた。
 はっきりいって、科学や教育など、元々、費用対効果の物指しでははかり切れるものではないのである。

 シルバー人材センターも削減の対象となってしまった。
 昭和55年、高齢者に対する職業機会を提供するシルバーセンターを統一し、これを育成する自治体に対し、国庫補助を開始した。
 今では、加入者数76万人を超え、1人あたり月平均3万7,000円程度の収入を得て、飛躍的に発展した。リタイヤした年配者が、どう社会参加出来るか、生きがいの問題も含めて大事なテーマを示唆している。
 例の後期高齢者問題で、年寄りを馬鹿にするのかと自民党政権は轟々たる批判を浴びたが、今回の処置で同様の声が多い。
 実は、当時、私は労働政務次官であった。この運動をスタート時から積極的にすすめて来た立場であったから、格別の思いを持っている。
 一体、何を考えているのだろうか。
 全体的に他の事業についても、天下り人事のことが、かなり批判されている。確かにこれは問題で、早急な改善は必要だ。しかし、そのことと本体の必要性を混同してはならない。損得勘定だけでなく、国として為さねばならないことは、当然続けるべきなのである。

 鳩山政権誕生から2ヶ月、最近の支持率は、ほぼ10%低下している。
 相次ぐ政策のブレ、マニフェストの変更、各閣僚の勝手な発言、その上、鳩山氏自身の政治資金疑惑と、このところ鳩山政権の問題点はあまりに多い。鳩山不況といわれるように、景気対策の具体的なものも見えない。本来なら、もっと下落して当然なのだ。
 朝日新聞の調査によると、今回の仕分けイベントは、評価76%と高く、大向こうの人気になっているようだ。鳩山政権支持率の下支えになっていることは確かだ。

 今までの官僚による不透明な予算づくり、無駄の多い旧来のあり方は、国民の政治や行政に対する大きな不信感の基になっている。
 これを排除して、国民の納得出来る状況をつくることは急務だ。仕分け作業についての国民の大きな注目は、裏返せば、国政への不信なのだ。
 だから私も、仕分け作業が全く意味がないとは思っていない。新しいこころみとして一定の評価はするが、あまりに過大な印象や期待を持たれることに危惧を覚えるのだ。
 本来、こうした仕事をやるべき場所は国会なのである。
 すでに、各省庁の大臣等三役は、今回の仕分け作業に批判的で、巻き返し作戦と思われる発言が目立ちはじめている。
 その背景に官僚の意思があるとすれば、政権が代わって、政治主導といくら言っても、口先だけのことにしかならない。
 これから始まる新年度の予算編成で、どのようになっていくのか、ここはじっくり見守る必要があると思っている。

言いたい放題 第18号 「鳩山首相は辞任せよ」

 こんなに連日不正が報道されているのに、自らの責任も、いや説明すら行わずに、のうのうと過ごすことが許されるのだろうか。
 鳩山首相をめぐる献金疑惑、いや、今や明らかになった脱税問題だ。
 当初は、亡くなった人や、勝手に利用した人の名前の偽装献金であった。鳩山首相は6月に弁護士と共に記者会見し、四年間で193件、2,177万円が偽装であると説明し修正申告すると発表した。
 しかし、これは真っ赤な嘘で、5万円以下の匿名小口献金(報告書に総額だけ記載されている)計約1億7,717万円の大半も偽装、この他に、政治資金集めのパーティ券収入の水増し分が約1億5,000万円になるという。
 なんと、今、現在判明している偽装献金だけでも、3億5,000万円にものぼる巨額なものなのだ。
 これは明らかな政治資金規正法違反だが、どうやら公設秘書の在宅起訴だけで終るのではないかともっぱらの観測である。
 鳩山氏は「自分は知らない」と言い張り、責任を秘書に全て押しつけているが、全く知らないなど、あり得ないことだ。
 今までの数々の例を考えると、秘書逮捕は当然で、在宅起訴だけというのも、うなずけない話だ。
 現職の総理だということでの躊躇や、政局になることを避けようという思いがあるのかも知れないが、法律違反行為について、そんな配慮は不必要、かつ誤りだ。

 11月下旬になって、又、新たな疑惑が生まれた。
 鳩山家の資産管理会社、六幸商会から、鳩山首相に流れた金の総額は、5年間で、11億5,000万円に達するというのだ。しかも、10年も前から続いているというのだから、その総額はどこまで増えるか想像できない程である。
 鳩山首相は、これまで、偽装につかわれたのは自分の資金で、母の資金が充てられたことは「知らない」と主張して来た。
 しかし今回、実は母からの資金が9億円に達することが明らかになった。
 毎月1,500万円、年間計1億8,000万円、このペースで、5年分合計が9億円というのである。
 これらのお金は鳩山首相の他の関連団体や、彼の私的な活動に使われたというのだが、これはもう単なる政治資金規正法違反ではない。もっとも悪質な脱税だと言わざるを得ないのである。

 そもそも贈与税は、普通50%徴収されるから、鳩山首相が受けたお金に対して贈与税として4億5,000万円支払っていなければならない。
 これに重加算税がつき、その上、仮に5年間としても延滞税が加わるから、鳩山首相が払うべき税は軽く6億円を超える額になる。それを払わずにごまかしている訳である。
 これほどの金額になれば、まず脱税容疑での逮捕は当然で、これは一般的常識ではないか。
 生前贈与なら20%課税だが、その場合は、事前に税務署に届けて承認を得ていなければならない。
 しかし、一切、そのような手続きはしていないのだからこれに該当しない。
 一応、実母から提供された資金について、鳩山首相は、貸付金だと主張しているようだが、それ以外に弁明の言葉はないだろう。
 貸付金ならば、利子はいくら、担保は何、返済はいつなど、様々な条件が整っていなければならない。
 そんなものは勿論何一つ決めてないのだから、「貸付金」というのはどうみても言い訳に過ぎない。
 友人の税理士に聞くと、税の世界でこのようなケースは、いくら貸付金などと言っても、全く認められる筈もなく、確実に贈与と判断されるという。

 鳩山首相は、「私の知らないところで、そんな大変なことが起きていると聞いて、驚いている」とうそぶいていた。驚いているのは鳩山首相ではなく、国民の方なのだ。
 自分は豊かな家に生まれたから、いちいち細かいことは知らないというが、11億5,000万円の金額が細かいことか!
 
 不況にあえぐ人々が、苦労の中を日々必死に頑張っている。この人達を守り支えるのが国の政治だ。
 庶民の暮らしを知らず、いや知ろうともせず、「自分の疑惑が東京地検の手で解明されることを信じています」と他人事のように言い続ける。もはや、鳩山首相に国を背負う代表者たる資格はない。
 直ちに総理大臣を辞任すべきだ。

 それにしても不思議なのは、マスコミや世論の動きである。
 この一連の不祥事が、もし、麻生さんだったら、世論やマスコミは燃え上がり、一気に退陣に追い込まれるのは確実だ。
 鳩山さんなら、何故許されるのかという今の状況が、私には分からない。
 お金持ちが自分のお金をつかうのだから、という発想が、もしあるとしたら、それはとんでもない誤りだ。
 いくらお金があっても、政治活動にせよ他の経済活動にせよ、勝手につかえるなら法律はいらない。
 鳩山さんの一連の動きは、法律に違反したマネーロンダリングである。
 暴力団が稼いだお金を、様々な形で浄化させるマネーロンダリングを許す人はいない。
 政治資金規正規制法違反、脱税、背景にあるのがマネーロンダリング、そのやり方は暴力団の場合と少しも変わらない。これが糾弾されずにうやむやになったり、「まぁいいや」と許すような土壌があるとしたら、本当に恐ろしい。

 前回の選挙で破れて、私は時々、一体何故、と不思議に思う時がある。
 朝から晩まで政治に没頭し、国家の為、地元の為に、必死に努力して来たと私は自負している。
 勿論、全て百点であるとは、自惚れてないが、何もしなかった他の人と入れ替えさせられる謂れはないと思っている。
 よし、私の場合以外を見てもそうだ。
 例えば、この首都東京、自民党の衆議院議員は24人居た。
 しかし、正確にいえば直接選挙で勝てたのはたった4人であった。(比例で入った人は5人、私は自民党の規定である年齢制限で対象外)
 補欠当選を除いた、20人の代議士は、破れなければならない程、不適格であったのだろうか。
 失礼だが、昨日今日、突然出て来た、名も知らぬ実績ゼロの人と比較して、遜色があるとは絶対に思えない。いや、みんな自民党都連に所属し、立派に働いて来た人たちばかりだ。
 勿論、自民党への批判は嵐のように激しく、その責任は各々の自民党代議士に及んでいることは承知している。反省すべき点もあることは自覚している。
 それでも、「政権交代」のかけ声で、自民党が大敗する程、ひどい政党だったのか。世界の激しい荒波に翻弄されながら、不安がいっぱいの危うい小舟の日本丸、その国をともかくもここまで守り支え続けて来たのはまぎれもなく自民党であったと私は思っている。
 政権交代して、今、どれだけ変わったのか、どのように良くなったというのだろうか。
「まだ政権をとって日が経ってないから」は、鳩山首相の口ぐせだが、スタートから、良い意味での変化は見られない。いや、むしろ逆に、マニフェストの変更、政策のブレ、不況に対する無策、外交での失敗、内閣不一致、大臣達の軽い言動、更に総理の金銭疑惑など、なにをとっても悪い状態ばかりではないか。
 アメリカのオバマ大統領の登場は、「チェンジ」の一言だった。しかし、あの熱狂的人気は、その後の無策ぶりで、今や支持率50%を割る状況となっている。アメリカ国民の政治への関心の高さと、正しい敏感な判断が的確に示されている。
 鳩山支持率、まだ60%以上・・・。
 一体、どうして、と思うのは私一人ではない。
 このままでいいのだろうか、この国の政治の前途を思うと不安でたまらないのである。

言いたい放題 第19号 「私の青春」

 自分が年齢を重ねてくると、同年代の人達がどう行動しているのかが気になってくる。
 すっかり会社からリタイアして、まるで社会からもリタイアしたような無気力な老人も居る。
 一方、全く年に関わりなく、悠々と第一線で活躍している人も居て、その姿を見るのは、大いに私自身の励みになる。
 芦田淳さんは、世界的なデザイナーとしてつとに名の知られる存在である。
 もう長いおつきあいになるが、昭和5年生まれで、今、79歳になる。
 娘さんの多恵さんも、「ミス・アシダ」という若手デザイナーとして、今、最も注目される存在だ。御本人は否定するが、彼女への対抗心が時々窺えるような気がする。制作意欲は少しも衰えていないのである。
 松田博青氏は、杏林大学の理事長だが、私の一年先輩にあたる。
 一見おだやかな医学者だが、あの大学病院を今日のように見事に大きく近代的に変えた力量はただ者ではない。静かな語り口の中に、いつもなみなみならぬ闘志があって、私を刺激する。
 そんな同世代の人達の中で、ユニークな存在が、間もなく80歳になる今村讃氏だ。
 本職は塗装屋さんなのだが、ハワイアンギターの名手で、「コロヘ今村&レイキングス」というバンドを組んで長年演奏会を開いて来た。
 11月23日に、横浜関内大ホールで第12回の演奏会が開かれた。今年はハワイアンアンドジャズスイングの集いとなっていて、私も招かれて出掛けたが、これで3回目になる。
 冬にハワイアンとは、なんとも季節感のない話だが、常夏のハワイを思えば、どうということは無いのかも知れぬ。
 大会場の舞台で、小さい身体を活発に動かして見事なウクレレを聴かせてくれる。突然、若い子とジルバまで踊り出す。往年の不良青春時代の名残りと御本人の弁だ。
 いつの間にか、演奏をバックミュージックにして私も自分の青春時代を回想していた。

 そもそも私が今村さんと最初に会ったのは、銀座ライオンというビアホールである。
 私の古い馴染みの音楽家に、花岡詠二というクラリネットの名手がいるが、彼の演奏会の席で声をかけられたのがきっかけである。
 意外に思う人が多いが、近年、ジャズやスイングが流行っていて、どのコンサートの会場に行っても満員盛況である。
 しかも、圧倒的に多い客層が、私と同じ昭和世代の人達である。みんな手や身体を小刻みに動かし、足でリズムをとり、夢心地といった按配である。
 70代以上とみられる、本来なら充分なお年寄りなのだが、ほとんどの人が肌艶もよく、なによりも背筋をのばして姿勢がよい。
 お互いに遠いよき青春時代を思い浮かべて、身も心も若々しくなっているに違いないのだ。
 
 戦後、日本でのジャズが本格的にスタートしたのは、昭和28年、「ビッグフォア」というグループが結成された時で、日劇での旗揚げ公演は幾重もの行列が劇場を取り囲んだという。
 ピアノ中村八大、ベース小野満、テナーサックス松本英彦、ドラムジョージ川口となつかしい名が並ぶ。
 6年前、ジョージ川口さんは、私が毎年帝国ホテルで開く内輪の誕生会に駆けつけて、ドラムをたたいてくれた。
 全く衰えも見せず、往年の姿のままで見事なスティックさばきであった。
 人生とははかないもので、それから間もなく2003年11月に他界されてしまった。私より8歳上、その時はまだ75歳であった。最後の想い出を私に残してくれたのであった。
 ジャズが日本に入ってきたのは大正時代だが、第2次世界大戦が始まると、敵国の音楽はけしからんと禁止になってしまった。
 終戦と共に、復活するのだが、それは日本国内の米軍基地からのスタートであった。
 だから、私にとってはジャズは米軍からのもの、よくいえば平和の訪れを告げる音楽というイメージである。

 私が早稲田大学に通っていた頃は、まさに貧乏学生の見本みたいであったから、喫茶店に入ることも知らず、学生仲間で当時流行っていた麻雀にも加わったことがない。
 唯一の例外は、少しばかり社交ダンスをかじったことだ。
 当時、私は全学連に対抗して保守的な学生組織をつくって大運動を展開していた。
 その仲間に、大学のダンスクラブに所属していたメンバーが居たからである。
 誘われてダンスホールに出掛けたこともあった。
 飯田橋近くにあったホールでは、チャーリー石黒と東京パンチョスというグループがいて、ジャズやラテンの演奏をしていた。
 私がジャズと本格的に出会ったのは、その頃のことである。
 私が国会議員に初当選したのは昭和47年(1972年)だが、当時、大いに売り出していたのが薗田憲一とデキシーキングスで、何度か呼ばれて演奏会にも顔を出した。
 ある会場で、偶然、立川談志師匠と顔を合わせたことがある。
 前年、参議院議員に当選したばかりの談志はジャズが大好きで、色々なバンドを応援していた。会場で私とすっかり盛り上がり、意気投合して、ついには二人で籠を持って、演奏者に渡すチップを集める為に会場を廻り出した。二人の国会議員の即席募金活動は大受けであった。
 彼は後に沖縄開発政務次官になったが、わずか36日目での辞任となった。最短距離である。
 初仕事で沖縄海洋博覧会に視察に行ったのだが、二日酔いのまま記者会見したのがいけなかった。
 「公務と酒とどっちが大切なんだ」と地元記者に詰問されて、「酒に決まってんだろう」と答えた。大問題となるのは当然だ。
 昔も今も、酒を飲んでの記者会見はアウトなのである。
 落語家としては右に出る者が居ない大御所となった談志師匠、近年すっかり身体を壊して、かつての勢いはない。
 ジャズ大好きの私より一つ下の73歳、長生きして欲しいといつも念じている。

 薗田憲一はすでに亡くなり、息子がバンドを継いでいる。
 今は独自の活動を続けているが、クラリネット最高の奏者、花岡詠二は、このメンバーの一人であった。
 
 今村讃氏のハワイアンとスイングの大会は1,000人をこえる人で大盛況であった。
 青春時代のあれこれを心の中で追いながら、3時間という長い時間はあっという間に過ぎていった。
 「なあに、まだまだこれからだよ」、劇場から、寒々とした街にくり出す昔の青年達、襟をしっかりと立て、そう、あの頃のように胸を張って散っていったのである。

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