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言いたい放題 第181号 「お主、悪よのう」

 菅首相はどこまでそのポストにしがみついていくつもりなのか。
 この数日間の動きをみると、いよいよ狂ってしまったのかと思われるほど異常である。

 6月27日、東日本大震災の復興のために新設する復興担当大臣の人事に関連して、菅首相は自民党の浜田和幸参議院議員を復興担当の政務官に起用した。一応、枝野官房長官から要請したことになってはいるが、どうやら党内にも相談していないようで 菅首相の独断であるらしい。
 ある閣僚は「誰も知らないやつを指名するとか、気持ちの悪い人事だ」(朝日新聞)と批判している。確かに浜田参議院議員など、私も知らない。
 それも道理で、昨年、鳥取選挙区から立候補して初当選したばかりの新米なのだ。新日鉄の出身で、はっきりいって復興担当に相応しい経験も知識もあるとは思えない。
 政務官は本来、大事なポストなのだが、今は有っても無くてもいいような軽い扱いになって、要は役職ポストが欲しい人の、順番ポストにすぎないのだ。

 私の近くにも中山某政務官がいるが、政治活動の話題や記事など皆無に近い。
 せいぜい、軽井沢での鳩山由紀夫氏の集まりに、小沢一郎氏が現れるや「気合いだ、気合いだ」とご機嫌取りに叫んだ話題ぐらいだ。
 もっとも、この数日は、政治献金問題で名前が挙がって大騒ぎではある。6月27日付産経新聞に、「原発所管の経済政務官が、電力2労組団体から850万円政治献金」と実に7段抜きで大きく出ているのだ。しかも、東電労組の収支報告書には献金の事実が記載されていない。
 如何にも後ろ暗い癒着ぶりを隠そうとしているようで、極めて不明朗なのだ。
 不思議なことに、まだ他のマスコミでは扱ってない。その程度の軽量ポストと見ているからかもしれない。

 そんな軽量ポストだから、菅首相が自民党からの一本釣りが出来たのであろうか。あきれたことに、浜田氏はポスト欲しさに、なりふり構わずすぐさま飛びついた。
 「震災で日本は国難にある。自民党にこだわっている時ではない。一人の国会議員として決断した」と報道陣に説明していたが、誰も本気で受け止める人などいる筈もない。
 長年国会に居た私に言わせれば「利いた風なことを言うな」で、なんとも腹立たしいかぎりである。
 自民党から離党するとかしないとか言っているようだが、こんな者は即刻首にすべきだ。

 菅首相は内閣の大改造を行って自分の延命を図りたいと考えていたようだったが、党執行部ともかなりの溝が出来ていて、思うようにいかず、二人の大臣の起用に止まった。
 原発担当相は細野豪志氏になったが、この人は、なんとかモナ女史との路上キスで、不倫議員と話題になった人物である。
 復興担当相は松本龍氏になった。彼が兼務していた環境相を外されて余程不満だったのか、28日の記者会見で「震災以来、民主党も自民党も公明党も、みんな嫌い」と意味不明のことを言っていた。

 いくら、ねじれ現象があるとはいえ、参議院の野党議員の一本釣りは禁じ手だ。当然、自民党執行部は怒り心頭で、今週中を目指していた原子力賠償支援機構法案の審議入りのメドも立たなくなっている。民主党の安住国対委員長さえ、「国会運営上プラスだとは思えない」と嘆いている。

 菅首相は、27日、自らの辞任について、「今年度第二次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立」がひとつのメドになると明言した。しかし、相変わらず具体的な時期を示していないのだから、いい加減なものだ。

 法案にいつまでも反対していたら、延命に協力するようなものだし、さりとて唯々諾々と賛成するわけにもいかない。
 与野党とも、「菅氏やめろ」で一致しているのだが、首に鈴をつけることが難しい。
 このままでは、この国に救いがない。

言いたい放題 第182号 「叙勲祝賀会を終えて」

 6月27日、椿山荘で文京区後援会主催の深谷骼i叙勲祝賀会を開いていただいた。ここは愛弟子の中屋文隆都議会議員が居るから心強い。
 3月4日の浅草ビューホテル、10日のホテル・ニューオータニ、6月24日の中央区ロイヤルホテルと、計4回にわたる祝賀会はこれで全て終わった。
 計1700人もの方の参加で大盛況、古い懐かしい顔、新しい顔・・・、本当に素晴らしい人たちに囲まれて感動の連続であった。
 久しぶりに政治家の醍醐味を味わったという思いであった。

 来賓挨拶でも、心に沁みるような内容で、感慨無量であった。
 中曽根康弘先生は、「深谷君は真面目で正直な人だ」と何度も繰り返し、必ず議長になる人だ」と言われた。
 議長はともかく、敬愛する大先輩から「真面目で正直」という言葉が出されたことが何よりも嬉しかった。
 最近の政治のあり様は、あまりにひどくて、これほど政治家に怨嗟の声が高まっている時は無かったのではないか。
 「政治家の言うことなど信用できない」「政治家は嘘つきだ」、そんな声が巷に溢れている。

 椿山荘の時、毎回看板を担当している大林君の奥さんが、思いつめたような顔で、私に語った。
 「今の政治では駄目です。明日への希望も見えないし、何よりも景気が悪く仕事になりません。こんなにひどい状況をどうやって変えたらいいのでしょうか。私だけでなく皆もそう思っているのです。何か運動を起こすことはできないのでしょうか。せめてNHKにでも投書しようかと思っています。何をしたらいいのか教えてください。」
 あまりに真剣な面持ちに、一体どう答えたら良いのか、咄嗟に窮して、いい言葉も浮かばず、私は思わずたじろいてしまった。
 「私は、先の選挙で10万票も集めていただきながらお応えできなかった。申し訳ないと思っている。ただ、民主党政権を作ったのも、つまらぬ政治家を選んだのも国民だ。やっぱり、選挙で変えるしかない。しかし、その選挙もやりそうもないし・・・」。
 何とも言いようがなく、我ながら歯切れの悪い言葉しか出てこないと、恥ずかしい思いであった。

 そんな時代だけに、「政治家として正直だ、真面目だ」と中曽根先生に評価されたことが何よりも嬉しかったのである。

 中央区の矢田区長も文京区の成沢区長も、私の仕上げた政策について、期せずして同じ内容であった。
 「東京23区は東京都の下請けともいえる行政区であった。なんとか市と同じように自治権を得たいというのが23区全体の願いであった。ところが誰もなかなか応じてくれない。初めて先頭に立って頑張ってくれたのが当時の深谷 自治大臣であった。自民党都連会長でもあったので、一番こうした実情を知っていた。お陰で、今や23区は清掃事業などを中心に、着実に自治権を獲得しつつある。これから一層、区民の為にも活躍してほしい」
 「きちんと見てくれている」と改めて知って、こうした評価こそ、政治家にとって一番ありがたいことだと思った。

 大会が終わって、三々五々帰る人たちの顔はみな明るかった。
 「深谷さんに会えて元気が出たよ」
 「もう一度出て働いて欲しい」
 「あんたが頼りだからね」
 私は嬉しくて胸が熱くなった。

 一体、これからの私の人生はどのようになっていくのだろうか。
 気力体力を含めてまだまだ元気いっぱいだが、しかし、もう決して若くはない。
 「林住期」という本の中で著者五木寛之氏は、「死というものは、前から近づいてくるのではなくて、ある時、後ろからポンと背中を叩くようにやって来るものだ」と書いている。
 別に今、死を意識している訳ではないのだが、必ず訪れる死について考えることは大切なことだ。 
 結局、死ぬまで精一杯働くという以外ない。
 私に、変わらず信頼し期待してくれる人たちの為にも、この国を愛し、この国に少しでも役立つように、これからも若い時代と同じように働きつづける以外にない。よし、どのような立場であっても、ともかく私に出来るすべてを捧げることだ。
 次の世代の人々を育てることも含めて、私にはやるべきことが沢山ある。

 叙勲祝賀会という場で、心優しい応援者との触れ合いを通じて、私の心は、再び燃え始めたようとしているのであった。

言いたい放題 第183号 「野党に徹せよ」

 菅首相が、浜田自民党参議院議員を一本釣りした人事について、民主党内でも続々と批判の声が上がっている。仙石官房副長官は「百害あって一利なし」と切り捨て、興石参議院議員会長も「なんでも数合わせすればいいという話ではない」と批判している。
 おまけに、首相が、解散総選挙の可能性までちらつかせたことについて、前原氏は「被災地の事を考えると、解散などあってはならない。悪い意味で歴史に残ってしまう」と嘆いている。
 エネルギー政策を次の選挙の争点にしたいなどとも言ったが、これはどの党も反対しない大きな課題で、選挙の争点になるわけもない。
 要は理屈ではない、選挙を怖がる議員心理を利用した、自らの延命のためのコケ脅かしなのである。
 しかし、これらの発言は、ある意味効果を上げていて、民主党の中で轟轟たる非難となっても、では首を取ろうという具体的な動きにまでにはならない。  
 こうした状況を横目に、菅首相は妙な自信さえ持ったのか、また相変わらずの高価な食事を楽しんでいる。
 29日など、昼はキャピトルホテルの中華料理「星ヶ岡」、夜は寿司店「赤坂 石」、六本木の焼き肉店「大同苑」、更に「ザ、キッチンサルバトーレ、クオモ六本木」と、なんと高級店三軒の梯子である。 
 もしかしたら、逆に先が短いと察して、今のうちに官費で食べれるだけ食べてと、さもしい根性なのかもしれない

 一方、自民党はというと、あまりに弱腰で、ここぞというのに強気で攻めまくろうとしない。
 30日のテレビ朝日の「スクランブル」に、当の浜田議員と自民党の猪口邦子議員が出ていた。てっきり、舌鋒鋭く浜田氏の誤りを指摘するものと期待したが、「その気持ちは分ります。今まで一緒にやってきたので、個人的な批判はしません」と、何とも物わかりのいいことで、かろうじて「これは自民党への挑戦」といった程度でおしまいだった。
 政治家として、自民党公認で当選したのだ。わずか一年もしないうちに正反対の政権に鞍替えするなら、当然、自民党や、まして支持した後援者に説明責任を果たすのが、最低の常識ではないか。
 急かされて時間が無かったと本人は弁解していたが、逆に言えば、そんなに簡単に応じたのかと、あきれてしまう。
 司会者の「自民党には戻らないか」の質問の時、「自民党は拘束がきつくて自分の判断では、なかなか動けない」とも言っていた。
 この人は、政務官になったら、もっと拘束されるということも知らないのか、とびっくりした。政権の意思、上司に当たる大臣の考え方、これに、きちんと添わなければ政務官はやっていけないのは常識だ。
 皮肉にも、録画で浜田氏が参議院で代表質問に立った時の映像も映し出されていた。自民党を代表しての質問だから、見事なまでに菅首相、菅政権をこき下ろしている。
 こんな政権では駄目だと、あれほど叩いた人が、その菅首相にポストと金(民主党の議員が総会で公然と発言していた)で一本釣りされたのである。参議院で、問責決議案が出されたときどう対応するのかと聞かれたときの周章狼狽ぶりはなさけなかった。
 「自分の良心に従って行動すると」とは言ったものの、その良心がいま咎めているのだから狼狽えていた。政務官だから自分の意志などで動けないということも承知はしているのだ。
 ご本人は「国民のために決断した」と、何度も繰り返していたが、都合のいい嘘であることは誰が見たってすぐわかる。
 こんな奴は次の選挙で叩き落としてほしいのだが、参議院は6年任期、解散もないから、あと5年、ぬくぬくと税金を受けとって、安易に暮らしていけるのだ。
 わが党の猪口議員、なんでそれらの事をテレビを通じて国民に伝えてくれないのか。もっとしっかりした人を、せめてテレビに出してくれないものか。

 今、自民党は野党だ。野党の立場は時の政権に対して、誤りは誤りとして断固指摘し、これを不退転の覚悟で糺していかなければならない。
 マスコミやいわゆる世論は、ともするとそんなことよりも、国民の為に協力せよという。いかにももっともに聞こえるが、ただ協力するだけならば、何の為の野党なのか。

 私が、予算委員会の筆頭理事として、細川政権と対峙し、一歩も引かずに戦った時、世論やマスコミは激しく批判の矢を私に向けてきた。
 しかし、短期間だったが、徹底的に問題点を追及し、続く羽田政権も含めて、わずか10ヶ月で政権交代に追い込んだ。この政権で、もし、政治の舵取りを間違えたら、日本の将来がおかしくなる。だから禍根を残さないように、嫌われても野党に徹して戦ったのだ。

 菅民主党政権が続いたら日本が危ないとみんなが言う。菅首相で大丈夫という声は全くと言っていいほど聞かない。だとするならば、断固戦い、これをつぶすために体を張って闘うのが野党ではないか。
 世間的にいい子にならなくてもいい。叩かれることを恐れてはいけない。
 日本の将来の為、菅政権では駄目だというならば、ここは野党に徹して批判し追求して、菅政権をぶっ潰す、野党自民党の役割はそれだと私は思っている。

 菅政権、とりわけ菅首相の人間性を見て、もはや、是々非々や、協力など考える余地はない、と思うのだが・・・・。

言いたい放題 第184号 「お粗末な大臣、そして辞任」

 またまたあのお粗末大臣が、こともあろうに被災地であきれた放言を繰り返した。言わずと知れた松本龍復興担当相のことである。
 許されざる暴言、愚行と批判の文章を書いて、さてホームページに載せようとしたら、たちまち辞任だ。辞めればいいというわけにはいかない。せっかくワープロを打ったのだから、やはり掲載することにした。

 7月3日、東日本大震災の被災地である岩手・宮城両県を松本大臣(おっと、もう「前」がつくのだ)が視察し、知事らに会った。その折の、数々のあきれた発言と行動が大問題になったのである。     

 まず、岩手県庁の玄関前で、「キックオフだ」と叫んで、なんとサッカーボールを達増拓也知事に蹴り込んだ。ニュースを見た時、これは正気の沙汰かと一瞬疑った。今なお苦しむ被災者が見たら何と思うのだろうか。
 陳情をしようとする知事を制して、「国は進んだことをやっている。それに(県)は追いついてこなければいけない、知恵を出したところは助けるが、出さないやつは助けない」と述べた。
 一体、震災以来、国が何をしたというのか。政府の無策、無能のために、もはや天災でなく人災だと言われているのに、そんなことはお構いなしに、勝手なことをほざいている。
 「助けてやらない」とは何事か!
 大臣がそんなに偉いとでも思っているのか。国家国民の公僕たることもわきまえていないのか。上からの目線で、これほど高飛車に物を言う大臣など見たことも聞いたこともない。

 更に「自分は九州の人間だから、東北の何市がどこの県とかわからない」とも言ったという。
 私は大臣を5回やったが、行動するにも発言するにも、その前に徹底的に調べたり聞いたりして、間違いの無いように事前の準備をしたものだ。
 大臣だから何でも知っているという訳ではない。しかし、大臣の発言は重いし、一言の誤りは国の行方さえ左右しかねないのだ。だからいつも緊張し、慎重であらねばならない。 
 まして、今回の訪問先は本当に苦労の連続の被災地ではないか、地図と首っ引きで、現地の状況をしっかり把握していなければならない。それが担当大臣たる者の当然の務めだ。

 次に訪問した宮城県では、村井嘉浩県知事が、自分より後に応接室に入ってきたことに怒って、「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれ」と怒鳴った。視察に来た大臣はお客さんではない。何を勘違いしているのか。どうやら、自分を迎えに出ないことで激怒したようだ。
 私の大臣時代、知事はどのように迎えてくれたか、いろいろ思い出してみたが、まず、いつも玄関で必ず待っていたように思う。まあ、それなりに敬意を表してくれていたのであろう。
 松本大臣にすれば、「俺を馬鹿にしている、なめるな」とカチンときたのであろう。多分、本当に、なめられていたのではないかと思うが・・・(笑)。
 何の具体的な対策も答えもなく、ただ恰好だけの視察を繰り返す大臣や政治家達の姿に辟易しているというのが、現地の人達の偽りなき思いではないか。
 菅首相をはじめ閣僚たちが、何人も大挙してかの地を訪れたことか。
 行かないよりはマシかもしれないが、ただ手ぶらで(何の対応策もなく)、つまり単なるパフォーマンスで来られたのでは、手間ばかりかかかって、迷惑以外のなにものでもない。知事の側にはそんな不満もあったのかもしれない、あって当然だと思う。
 せっかく大臣が行くのなら、その地域の為になんらかの答えを持っていかなければならないのだ。

 平成7年、私は自治大臣兼国家公安委員長を拝命した。
 この年の暮れも押し詰まった12月27日に、私は長崎県を訪れたが、当時のことを懐かしく想いかえしていた。
 その4年半前、長崎県の雲仙普賢岳で大災害が起こったが、住民は相変わらず家にも戻れず苦労していた。高田勇知事はじめ大勢の県会議員が大臣室に何回も陳情に来た。
 彼らの要望は、「災害対策基金530億円が積まれ、その金利で復興に当たってきたがこれが次年度で切れる。なんとか延期して欲し」ということと、「低金利時代にはいっているので、対策基金を1000億円に増額してほしい」というものであった。
 自治省の幹部らは、「基金は200億円程度の増額でいいのではないか、県もその程度を期待している筈」ということであった。
 しかし、私は「基金はそのまま残るのだから税の無駄づかいにはならない。むしろ、ここは満額回答して、彼らに元気を持ってもらおうではないか、期限も5年延長しよう」と決断した。(ちなみに3%程度の利子として150億円が活用できる)
 私は、現地に乗り込んで、この回答を自ら発表した。待機していた100人をこえる知事はじめ県会議員等は、歓呼の声をあげ、涙を流して喜んでくれた。私も自治省の幹部たちも思わず胸を熱くした。
 その日のうちに帰京したが、名残惜しくて、随行の役人たちと一緒に、浅草のうなぎ屋で痛飲した。国と地方はこうして結ばれていくのだと、改めて思い、お互い大きな勉強になったなと語り合ったものだった。
 松本前大臣は、そんな心を通じ合う事など微塵も考えてはいなかったのだ。

 ようやく、国会が正常化しようとしている時だけに、松本前大臣の暴言は、大きな火種になるところだった。
 最初は相変わらずの強気だったが、夕方には「お詫びをしたい」と言い出した。しかし、後の祭りだ。今日になって、早々と辞任となったが、就任以来、わずか1週間である。
 菅総理は慰留したというのだから、あきれるではないか。

 松本氏は、福岡1区で衆議院議員当選7回、旧社会党から社民党を経て民主党に入ったが、前々から発言の乱暴さが問題になっていた。
 祖父の治一郎氏は、「部落解放の父」と言われた参議院議員であった。
 驚くのは政界有数の資産家で、公開された昨年の所得は民主党で2番目に多く、資産公開では8億円を超えていた
 まあ、そんなことはどうでもいいのだが、駄目なのは大臣としての資質が元々無かったということで、こんな人を大臣にした菅氏にこそ任命責任があるのだ。          
 そこのところを国会できちんと糺してもらいたいものである。

 それにしても、近頃の政治家達、とりわけ大臣たちの行状を見るにつけ、なんとレベルが落ちたものかと、嘆かずにはいられない。
 国を愛することも、真剣に努力することも忘れて、あるのは自分の事だけ、保身だけだ。
 やっぱり、民主党政権では駄目、菅首相の一刻も早い退陣こそ必要と、結論はそこに行くしかないのである。

言いたい放題 第185号 「身内から怨嗟の声」

 「こんなだらしない内閣で大丈夫なのかと、被災地の方々が怒っている。謙虚な姿が伝わってこない。こういう醜態は恥ずかしい。」
 こう記者団の前で吐き捨てるように言ったのは、野党の議員ではない。なんと民主党の国対委員長の安住淳議員である。  
 暴言愚行で辞任した松本前復興担当相の後任選びが難航して、四苦八苦の末、平野達男内閣府副大臣が昇格したが、この人事のドタバタ騒ぎに批判のトーンを一気に上げたのである。

 大臣候補として、菅首相はまず仙石由人官房副長官を視野に交渉したが、あっさり断られた。首相の早期退陣を求めている人なのだから当然のことだ。
 安住国対委員長にも声をかけたが、岡田克也幹事長など執行部が反対してこれも消えた。
 第二次補正予算案や特例公債法案など重要法案の審議を控え、野党と交渉を続けている国対委員長を交代させるなど、考えられないということだ。確かにそのとおりで、菅氏の迷走ぶりが見える。
 もっとも、安住氏自身は、かなり乗り気であったようで、その目が無くなったことも、首相への厳しい批判につながったとみる向きもある。だとすれば私利私欲からの不満か。
 6日の党国対でも「国対の努力があって初めて法律が通るのに(閣僚人事について)官邸から相談がなかった」と憤懣やるかたなしと言った風情であった。
 安住氏の野党並みの批判について、さっそく民主党の長老石井一議員や国民新党代表亀井静香首相補佐官からクレームが出た。
 「閣僚人事で国対委員長に相談するなどあり得ない。極左の内ゲバよりも程度が悪い。極左の連中は理念をもっていた。」と亀井氏が言えば、石井氏は(政権与党を代表して、最前線で働く者が)「自分の家の親父への文句を外に向かって言う奴がいるか。どう見られているか考えるべきだ」と言い、国対委員長失格のレッテルまで貼った。
 まあ、これは正論であろう。

 もう一つ、菅首相の迷走人事があった。束の間の副大臣任命取り消しの人事である。
 菅首相は、中山某政務官に経済産業副大臣就任についての電話を直接かけた。海江田大臣からも連絡があって、モーニングの用意をするようにとまで言われて大喜びしていると、一時間半後に再び首相から電話、「あの話は無かったことにしてくれ」であった。
 なんとも驚いた話で、こうした人事で、一度総理から直接電話があって、その後すぐ取り消されるなど前代未聞だ。長年政治家を務めてきた私も聞いたことが無い。
 仮にあったとしても、みっともない話だから、ほんとは必死で隠すものだが、今回は本人が憤慨して語ったのか、ちょっとした面白い話題となった。

 驚いたことに、7日のTBSの「ひるおび」にまでご本人が出演しているではないか。
 結論から言えば菅相批判に矛先を変えて、最後は辞めさせるべきだとまで言っていた。それなら、最初から断ればいいのに、モーニングにアイロンを掛けさせてと、何とも未練たらしい話しぶりだった。
 コメンテーターの弁護士が、「菅では駄目と言っている閣僚など、何故辞表を出さないのですかね」との素朴な質問をしていたが、これには知らばっくれて答えず、話題を変えていた。

 番組でも度々言っていたが、一体、なぜこんな珍事が起こったのか。国対筋が反対したという話もあったが、これは国対幹部が否定していた。
 中山政務官については、過日、原発がらみで、電力総連の政治団体から850万円にも及ぶ政治献金を受けていたことが分かり、問題になったばかりだ。これでは、副大臣になった途端、国会で早速厳しく追及されることは目に見えている。その事に気づいてあわてて取りやめたという説もあるのだが、さすがに番組では一切触れなかった。
 もっと単純な話で、今の池田副大臣を辞めさせられなかったから、というのがどうやら番組の考えで、だから、任命権すら失った菅氏では駄目なんだと、そう結論づけたかったようである。
 全体的な印象は、副大臣の代わりは誰でもよかったということで、ご本人にとっては気の毒なこと、テレビなどに出なければいいのに、恥の上塗りではないかと思った。
 それにしても、副大臣という地位はずいぶん軽くなったものである。

 最近の民主党政権に対する轟轟たる批判の声はどうだ。
 もはや、菅首相の続投を支持する者は、与野党を通じていなくなったと言っていい。
 さすがにテレビで見ると眼は泳いでいるが、それでも本人は平気を装っていて、いつ辞めるとは決しては言わない。
 いくら何でもお盆までと皆は考えているようだが、それどころか9月上旬の訪米、下旬の国連総会、10月の訪中まで視野に入れているのではないかという観測まである。
 あるマスコミによれば「理解者は一人いればいい」と本人は言っているという。どうやらその一人とは伸子夫人だというのだから、開いた口がふさがらないとしか言いようがない。

 この国をつぶす気か。
 「誰でもいい、国会議員よ、この国の為に断固立ち上がってくれないか!」怒りよりも祈りに近い心境なのである。

言いたい放題 第186号 「混迷のエネルギー政策(その1)」

 大相撲で満身創痍の貴乃花が見事優勝した時、小泉純一郎総理大臣は、「感動した」と優勝杯を手渡した。この言葉は流行語になるほど話題になったものだ。
 今、同じ言葉で「菅、どうした」と揶揄した人がいたが、これも名言ではある。
 毎回の事で、いささか私自身、厭になっているのだが、やっぱり書かないわけにはいかない。
 日本のエネルギー政策の大混乱ぶりはどうだ。その原因は、思いつきでくるくる変わる菅首相の軽率な発言が起因している。

 3月11日に起こった東日本大震災は、地震、津波、原発、風評被害と次々と日本列島を襲った。とりわけ、原発事故は日本のエネルギー政策の根幹を揺るがす大問題となっている。
 エネルギー問題は国家の存亡に関わる重要課題だから、ここはじっくりと腰を据えて、関係者ともしっかり話し合い、熟議して、その方向性を正しく示していくことが肝要である。その場その場の思いつきで決めるようなことがあっては将来禍根を残すこと必定で、決してあってはならないことである。
 ところが、菅首相は確たる検討もしないまま、次々と異なる指示を出して混乱に拍車をかけるばかりなのだ。

 5月6日に菅首相は、突然、静岡県にある中部電力浜岡原発の停止を要請した。放射能の危険を心配する人の多い時だけに、この発言は世論の受けが良く、菅氏は久しぶりにご満悦であったという。
 実は、これにはちょっとした裏話があった。
 菅氏の意向を受けた海江田万里経産相、現地に早速乗り込んで、環境整備を進めていた。現実に稼働していて現在何の不具合もない浜岡原発を、急に止めるというのだから簡単な事ではない。ようやく根回しが済んで、海江田氏が、さて記者会見をしようとしたら、なんと菅首相がさっさと自分で記者会見を開いてしまったのだ。
 苦労は部下に、手柄は自分にというのだから、あきれるではないか。

 このことにすっかり気をよくした菅首相、5月26日には、フランスで開かれていたG8サミットで、「自然エネルギーの割合を2020年代の早い時期に20%超にしたい。そして太陽光パネルを1千万戸設置することを目指す」と大見得を切ったのだ。いわば国際公約ともいうべきこの発言について、一番困ったのは経済産業省だ。何しろ海江田通産相にさえ相談していない。
 格別の調査も検討もなされていないまま、単なる思いつき発言なのだから、後で責任の取りようもないと頭を抱えていた。
 どうやら孫某氏の受け売りらしいとのことだが、菅氏「経産省の抵抗がすごい」と周囲にこぼし、今から(出来なかった時に備えて)、煙幕を張っている。

 今、大きな話題になっているのは、九州電力玄海原子力発電所の再稼働問題である。定期検査が終わり再稼働を行うにあたって、海江田大臣は地元を訪ね安全性を説明し、稼働に向けた要請を済ませていた。6月19日には菅首相も再稼働容認を明言していた。
 ところがここにきて、ストレステストの実施検討を突然指示してきたのである。後述するが、ストレステストとは、EU(欧州連合)で実施しているが、結論が出るまで6ヶ月を要する。玄海原発でいったんは安全宣言を出しておいて、すぐにこれを撤回するという話である。
 「こんなことではやっていけない」と、海江田大臣がブチ切れるのも当然のことである。
 何しろ、思いつきだけで、その場をしのごうという総理大臣、一体この国をどうするつもりなのか・・・。

言いたい放題 第187号 「混迷のエネルギー政策(その2)」

 結局、菅首相は8日の閣僚懇談会で、原発の再稼働を巡って混乱が起きていることに陳謝した。海江田経産相に同調する閣僚が多いことに驚いてのことだが、本来、謝る相手は国民、とりわけ玄海原発のある現地の人々ではないか。

 原発再稼働について安全性を確認することは当然のことだが、ならば何故一旦は了解したのか。くるくる変わる菅氏の発言が問題なのだが、その点はしらばっくれている。
 
 大体、ストレステストなるものは欧州連合(EU)が先行して行ってはいるが、これは福島第一原発の事故を受けて6月から始めたものである。
 EUの ストレステストとは、域内14ヵ国の原発143基の安全性の余裕度を、コンピューターで計算して調べる検査である。(地震、洪水などの自然災害の他、飛行機墜落などの事故や人為的な被害を想定。原子炉の素材や厚さなどのデータ―をもとに余裕度は計算する。)
 終了は来年4月だが、その間も原発の運転は続けられる。検査結果は公表されるが、問題があっても廃炉にする権限はEUにはない。どうするかは各国が決めることになっている。
 ではこうした仕組みは日本にはなかったかといえば、「耐震余裕度評価」といって同様の検査は電力会社やメーカーが独自にやっては来ている。もっとも、九州電力の今回の「やらせメール事件」で、どこまで信頼されるかは別だが・・・。
 又、国内の原発は、法律上、安全基準というのがあって、それが満たされているかの判断が行われている。
 今日、政府の基本的方針を発表したが、法律そのものをかえないかぎり、いくらストレステストを作っても権限のないものになるのではないか。玄海原発について、8月にはメドをつけるというが、一体、どんな内容になるのか注目している。

 これからの最大の課題は、原発に対する安心感と安定供給をどう両立させるかだ。
 全国に54基の原発がある。原則として13か月運転したら、定期検査に入る。今は17基(調整運転中のものは除く)が発電しているが、もし、このまま再稼働出来ないと来年2月末には、営業運転している原発は全国でただ1基になってしまう。
 日本エネルギー経済研究所の試算では、全原発停止で火力発電所を動かすと、2012年度の化石燃料費は今年度より3.5兆円増えるという。
 電力不足で企業は大影響を受け、海外移転も加速する。当然電力料金も跳ね上がって、家庭家計を直撃する。
 菅首相は、代替エネルギーが今にも可能な言い方をするが、そんな状況は全くない。

 東京電力は福島第一原発の廃炉問題で、中長期的工程表案を示した。それによると使用済み燃料プールから燃料の取り出しは3年後から始め、10年後をメドに原子炉内の燃料を取り出し始めるという。廃炉(原子炉を解体撤去した状態)までは数十年かかるとしている。
 それまでは危険な状態が続くのか。
 危険と、いう点から言えば稼働し続けても、廃炉にしても、あまり変わりはないのではないという科学者もいる。
 お隣の中国は、8千万キロワットを超す原発出力を目指している。だとするならば日本の危険度はもっと大きくなる。ドイツは脱原発、フランスは原発推進と各国さまざまだ。

 菅首相は、このところ、すっかり脱原発気取りである。それどころかこれを争点に解散選挙までやろうとしているとの憶測まで流れた。
 菅民主党政権は、昨年6月、エネルギー基本計画を決めた。それによれば、20年後の電源供給の50%を原子力でまかなう方針となっている。その上、原子力発電を世界に売り込むとして、意気揚々とベトナムなどに乗り込んでいた。  あれは一体なんだったのか。

 大事なことは、政権維持とか、ましてや総理の席に未練がましく、しがみつくことではない。
 政治が今やるべきは、エネルギー戦略の百年の大計を立てることである。
 日本の科学を総動員して、例えば使用済み核燃料の再処理問題に取り組むことなど、むしろ日本の使命ではないか。
 福島の苦い経験を踏まえ、原子力発電の安全性について、むしろ技術的にも世界のリーダーになるくらいの気構えが必要ではないのか。
 勿論、新エネルギーの開発は極めて重要なことである。しかし、大事なことは、言うだけでなく真剣に取り組んで前進させることなのだ。

 近年、日本はすっかり夢を失って、何事においても消極的になってしまった。
 日本の誇りと自信はどこへいったのか!
 この国の再生のために、今こそ、一身を投げ出したいのだが・・・、無念だ。

言いたい放題 第188号 「一刻も早く退陣を」

言いたい放題 第188号
「一刻も早く退陣を」


 7月13日、菅首相は記者会見で「将来は脱原発」と発表した。
 昨年6月、エネルギー基本計画を決定したが、ここでは、「2030年に原子力の発電比率を53%に高める」とあった。これを白紙撤回するというのだが、こんな重大な国家の方針を、わずか1年で180度転換するなど、とても一般的常識では考えられないことである。

 しかもこの内容について、党内でも議論していないし、肝心の閣僚間で熟議したという形跡もない。相変わらずの菅氏の思いつき発言なのだ
 当然、与野党から大反発が出て、「何の具体性もないし、第一辞める人が何を言っているのか」と轟轟たる非難の声が上がっている。
 ある執行部の一人は「たわごととしか聞こえない」と突き放した。

 こうした会見を開く場合は、担当省庁と十分な勉強会を開くものだが、それも無いし、なんと指示すら下りていなかったという。
 ある大臣は、原発の代わりに化石燃料を使えば、法人税を3割増税したと同じコスト増が発生すると言っている。
 産業界では、そんなことになったら製造業は日本に居られなくなるし、雇用も維持できないと悲鳴を上げている。脱原発なら、他の燃料をどう確保するのか、これからの具体的プロセスを示さなければならないのだ。
 一番困っているのは、原発のある自治体で、今までもくるくる変わる菅氏の発言に振り回されてきただけに、もう、いい加減にしてくれと怒っている。

 確かに脱原発について、最近の朝日新聞の世論調査で国民の77%が賛成と答えている。この思いは誰も同じようなものであろうが、ではどうするのかとなると、何の答えもないのだから、いい加減なことを言うなとなって、菅内閣の支持率は15%と最低になるのだ。

 菅首相は長い間、市民派を名乗り、もっぱら、市民の声を代表してと、様々な政策を訴えてきた。
 しかし、政治家たるもの、政策を訴えるばかりでは駄目で、政策を実現させることが本来の使命なのである。
 要するに菅氏は、単なるアジテーターであって、典型的なポピュリズム政治家なのである。国民の求める声には、その良し悪しを別にして、極めて敏感で、たちどころに演説に取り入れる。小さな組織の経験しかないから、大きな組織を動かして政策を実現することなど、およそ出来る筈もないのだ。
 つまり、元々総理大臣などという器ではなかったのだ。資質の無いものが、天下を握ってしまったのだから、こんなに始末の悪いことは無い。不幸なのは国家国民なのである。

 勿論、国民の声に耳を傾けることは大事なことだ。まさにそれが民主主義である。
 しかし、一方で、ただ国民に迎合すればよいというものではないということも、民主主義の鉄則である。
 欧米では、民主主義を大事にするが、これを最善のものとは決して思ってはいない。彼らは軽薄なポピュリズム(迎合主義)をもっとも嫌う。
 それは、歴史的な苦い経験があるからだ。すなわち、ドイツナチスの台頭だ。
 ヒットラーは、憲法に基づいた民主的な選挙で選ばれて天下を取り、やがて歴史に残る残虐な独裁者になっていったのである。
 欧米で考える真のポピュリズムとは、国民に主権を委ねながらも、国民の言うままにならない政治を指すのである。

 菅首相に、今更あれこれと注文を付ける気持は無い。
 長年、そうした軽薄なポピュリズムにどっぷりつかり、それが政治家菅氏の全人像になっているのだから、今更、どう変えよといっても変わる筈もない。
 菅総理大臣を代えるしかないのである。
 それも一刻も早く…である。

言いたい放題 第189号 「あぁ無念」

 昔、国会議員1年生の頃、ある週刊誌の取材で、当時、東京都知事であった美濃部亮吉氏についてどう思うかという質問があった。
 その少し前まで私は都議会議員で、美濃部キラーと話題になるほど、野党議員として厳しい質問を繰り広げていた。だから、きっと辛辣な声が返ってくると期待して取材に来たのだ。
 しかし、私もすでに国会議員、ここは政策論でいこうと、美濃部都政の政治のあり様について、懇切丁寧に2時間もかけて語った。熱心に聴いていた記者、「政策的なお話はよくわかりました」といかにも感心した風情であった。
 帰りぎわに、ふと立ち止まって、「美濃部さんの顔をどう思いますか」と何気なく聞かれたので、よせばいいのに「あの顔はどうも女々しくて嫌いだ」と思わず言ってしまった。
 次の週に出た記事を見てびっくり、なんと「この悪口雑言」という見出しで、「顔が嫌いだ」と言った、その部分だけが記事になっていた。なんのことはない、最初から、そんな言質をとろうと狙っていたのだ。初めから決まった取材目標があったのである。しまったと思ったが後のまつり、おそらく美濃部贔屓のファンから、自民党の深谷は嫌な奴と思われたに違いない。

 あれから何十年も政治家として歩んできて、随分マスコミの人達とも付き合ってきた。特に要職にある時は、いわゆる番記者といわれる人たちに、いつも囲まれていて、時には公私ともに深く長いつき合いになったりしていた。皆愉快でいい連中ばかりだった。
 私も、したり顔で、記者との対応の仕方やつき合い方を、後輩に教えたりしたものである。
 前回の選挙で惜敗して無冠になった今も、相変わらず記者との交流は多いし、取材もよく受ける。なぜか特に近頃は週刊誌の取材が多く、そのおかげで何冊かの週刊誌が毎週送られてきたりしている。だんだん評論家扱いになっているようで、それも面白いと真面目に対応するようにしている。

 この7月21号の週刊新潮に私の記事が出ている
 内容を読むと、なんだか最初から意図が決まっていたようで、あんまりおもしろくない。自分の経験から見て、最近ではちょっと珍しいケースであった。
 別に目くじらを立てるほどではないし、どうということもないのだが、少し触れてみようかと思う。

 「脱原発解散」の悲喜劇とのタイトルで、民主党の面々を巡っての面白い記事が沢山載っている。
 最後が、「世代を巻き戻す自民公明「長老素浪人五人衆」復活の日」とある。
 山崎拓さんや公明党の太田昭宏さんと一緒に、全国代表5人の中に私も入っている。まことにもって光栄の至りだが、最初に、「国会議員を3日やったらやめられない」とか、最後に「自公の亡霊たちも蘇らせるかもしれないのだ」と書いてある。ちょっと待ってくれよといった感じである。

 「乞食を3日やったらやめられない」とは聞いたことがあるが、政治家について、そんな比喩は聞いたことが無い。無理して作った、というところか。
 48年という長い年月、ゼロから出発して、区政、都政、国政へとひたすら尽くしてきた私に、何も知らない、会ってもいない若い一記者にそんなふうに言われる筋合いはない。

 財はともかく、数々の要職を歴任してきた私にとって、もはや、名誉や地位など欲しくもない。あるのは、今の政権に対する大いなる怒りと、このままでは日本がダメになるという危機感だ。
 もし、求められるなら、私のもてる経験と知識と情熱の全てを尽くし、愛する日本の為に、もう一度、一身を捧げたいとは思っている。しかし、それはあくまで求められたならの話である。
 なんでもかんでも国会に戻りたいなどとは考えたこともない。なによりも、今の暮らしに満足しているのだから。

 この記者は、一応、私に会うために、台東区日本堤の妹のところを訪ねたようだ。そこは私の昔の家で、奥に事務所があり秘書もいる。
 私は、今は雷門に住んでいるのだが、そんなことも知らないようだった。
 彼の名誉の為に付け加えるが、最後に私と電話はつながって、その時言ったコメントは正しく載っている。
 この記事は、私一人のことを言っているのではなくて、5人ひと束にして、あらかじめ考えた、予定通りの方向で記事を書いたといった塩梅なのだ。
 要するに、歳を重ねたら政治家は駄目という、あらかじめ決められたトーンで全体をまとめているのだ。今問題の「やらせ」と同じ構造ではないか。

 確かに、近年、若い人なら何でもいいといった風潮がある。本当に若ければいいと考えているだろうか。
 例えば、現政権民主党の議員を、つぶさに見てもらいたい。なるほど若くて良い政治家だ、さすがだと思われる政治家が一体何人いるというのか。
 私自身期待していた議員もいたが、次々とヘマをして、今ではほとんどこれはと言う議員はいない。残念だが本当のことだ。
 むしろ、政界大混乱はベテラン不在の故ではないかと思っている。

 若い人たちを立派に育てることは大事なことで、私は大賛成である。だからこそ私は、TOKYO自民党政経塾の塾長として、必死に指導を続けている。もう6年目になるが、自民党が下野した、最も不人気な時でさえ、いつも定員オーバーで満員盛況だ。輝くように希望に満ちた塾生と、青年のように?張り切って教えている私の姿を、一回くらい取材して欲しいものだ。

 話は少し変わるが、例の松本復興大臣が辞める時、「粗にして野だが卑ではない」と語った。自分は粗野だが、人格的には卑しくは無いという意味だ。
 あれは城山三郎氏の小説の題名で、第五代国鉄総裁石田礼助の生涯を描いたものだ。
 石田氏は粋で折り目正しく、男が惚れる頑固で一徹の偉丈夫であった。  
 立場や権威を笠に着て威張らない。自分の心にやましさがないから、いつも堂々としている。なぜ松本前大臣が言ったのか分からないが、彼とはまさに正反対の人物であった。 
 新幹線の開業にも立ち会ったJRの父とも呼ぶべき人だったが、この要職に就いたのは78歳の時であった。多くの成果を挙げて98歳で逝去するが、晩年、車椅子で自宅を出る時、さりげなくボルサリーノを被るなど、最後までダンデイであった。   
 そこが言いたかったのだが、どう生きるか、どう成果をあげるかに、年齢は全く関係ないのだ。仕事ができるかどうかは、元々、年齢とは無関係なことなのだ。

 サムエル、ウルマンは、かの有名な詩「青春とは」で言っている。
 「歳を重ねただけで 人は老いない 夢を失ったとき はじめて老いる
 青春とは 真の青春とは 若き肉体の中にあるのではなく 若き精神の中にこそ ある・・・・」(1922年、家族が発行した詩集「80年の歳月の頂から」の巻頭の歌) 

 歳をとった人は、「今の若い奴は」と言う。しかし、彼も若い未熟な時代を歩んできた。
 若い人は、「お年寄りは」と敬遠する。しかし、間もなく彼自身も老いていく。
 大事なことは、それぞれの世代の人達が、どう協力しあっていくかということだ。
 これからの日本を、立派に成長させていくために必要なことは、世代間の協力以外にない。青、壮、老が如何に連携、協力していくかなのだ。
 昔、中曽根康弘先生が、「昭和の人はエンジンになれ、大正の人はハンドルを握れ、そして、明治の人は、経験に基づいて道を教えろ」と説いたことがある。   
 まさに名言で、この言葉は現代でも立派に通用すると思う。

 それにしても、亡霊とは失礼な言いかただな・・・。

 平成17年、私は実に5年ぶりに13万票もの得票を得て、返り咲いた。この選挙の時、反対候補の幹部が公の席で、私を指して「ゾンビに負けるな」と、檄を飛ばした。
 私は13万票と言う大量得票で当選したが、その時、私は秘かに、「俺はゾンビでなく不死鳥さ」と思っていたのだ。
 今の私は、亡霊どころか元気いっぱいの青春時代の政治家さ。

 とはいえ、本音を言えば、あと、せめて10年若ければと、正直、思ったりしているのだ。 ああ・・・無念。

言いたい放題 第190号 「さすが人間国宝」

 今度、歌舞伎立ち役の中村吉衛門さんら二人が人間国宝(重要無形文化財保持者)になった。
 これで116人になる。

 余談だが、同時に登録有形文化財に、浅草にある「神谷バー本館」が答申された。1923年の関東大震災に耐えた近代建築だそうだが、地元に居ながら知らなかった。ここは昔から(親父の時代)、電気ブランで有名だ。若い社長も知っているが、入り口で食券を買うなど、ちょっと気まりが悪く、なかなか行けない。近いうち、私の親衛隊と一緒に是非行きたいと思っている。

 ところで人間国宝だが、このところ縁があって、偶然、二人の国宝の会に顔をだし、改めてその神髄に触れる思いであった。

 まず、7月13日、新内仲三郎さんの会に招かれた。
 ほんの数日前、たまたま、後楽園ドームホテル熊魚庵天麩羅カウンターで隣り合わせになって、すっかり話が弾んだのがきっかけだった。

 実は、私にとって、新内には懐かしい想い出があるのだ。
 私の家は日本堤にあり、そこは、かつての遊郭吉原に接していた。
 新内は、まさにこの吉原を中心に江戸時代の情緒豊かな庶民の音楽として栄えたのである。
 実際は、京都の宮古路豊後掾(じょう)が江戸で豊後節を広めたが、あまりの人気に逆に批判が起こり、禁止令が出た。その後、弟子たちが継承して、そこから常磐津や清元が生まれ、新内も流行った。
 始めは歌舞伎の伴奏音楽として用いられたが、後に吉原を中心に「流し」という独特の街頭芸になった。呼ばれた時だけは座敷に上がるが、ふつうは野外で立って芸を聞かせる。流しは修行でもあったのだ。二人一組、二丁の三味線ですてきな音色で流すのだ。

 私は29歳で東京都議会議員選挙に初出馬して260票差で敗れた。その浪人時代支えてくれたのは靴業界の人達であったが、彼らの中で新内が盛んで、私の為の会合で、新内語りを呼んで聞かせてくれたりした。
 浅草のすし屋の二階での会合で、階段の下で新内に語らせ、聞かせてもらったりしたが、その光景は鮮明に私の脳裏に残っている。
 吉原に花園一声さんという私と同年の女性の新内の名手がいて、人気を博したが、いまは何処へ行ったのか、ついぞ噂も聞かない。

 「縁でこそあれ 末かけて・・・・」、蘭蝶の一節が浮かんでくる。昭和40年代初期、今から40年以上前の若き日の私の思い出の一ページだ。

 新内仲三郎さんの公演は、上野のうなぎ屋亀屋の上階にあるライブステージで行われたが、この店の亡くなった御主人とも、私は都議会議員以来の深い交流があった。ここでも、久しぶりにそのご子息に会えて嬉しかった。
 さすが人間国宝、節も声も素晴らしく、とても70歳とは思えぬ張りのある新内で、あっという間に時が過ぎていった。
 9月27日は三越劇場で20周年の公演があるという。ぜひまた行きたいものだと思っている。

 7月18日、今度は、やはり国宝の一龍斉貞水さんの独演会に出かけた。
 上野本牧亭は、今は黒門に移っているが、これが6畳二間ぐらいのびっくりするような小さな席亭で、膝詰で座っても40人と入らない。夜はどうやら居酒屋に代わるのではないか、右側がカウンター風で屏風の陰から酒瓶が並んでいるのが見えた。
 江戸時代は町内に一軒は講釈場があり、庶民はここで世間を知り、古きヒーローたちの物語に感動したりしたというから、この風情もいいのかもしれぬ。

 私は学生の頃から、政治家になることが目標で、ともかく話術を身につけようと、早稲田大学でも雄弁会に入り、落語や講談も見よう見まねで覚えたものだ。
 今の六代宝井馬琴師は、私と丁度同い年で、その頃、明治大学弁論部に所属していて、ときどき会い夢を語り合う仲間の一人であった。
 貞水師は私の地元湯島に住んでいて、若い頃、私の後援会大会などで司会を務めてくれたりした。
 今や人間国宝、そんなことは頼めない。
 私の叙勲祝賀会にも来てくれたので、今回は是非行かなければと思っていた。
 行ってよかった・・・・。
 今回は連続講談で、「赤穂義士傳」、7回続く。
 「講談師、夏はお化け、冬、義士傳で飯を食い」というのに、何故夏なのかと思ったら、なるほど、丁度12月には「討ち入り」となる寸法なのだ。
 彼も70歳を超え、叙勲の栄に浴している。声量もいいし、何よりも歯切れがすばらしい。
 迫力満点の口跡で、ほぼ1時間20分、一度も客を飽きさせることなく読み切った。

 優れた人を丁重に扱い、人間国宝としてその文化を後世まで残そうという国の配慮は大事だ。しかも彼らは、そのことを名誉と受け止め、倦まずたゆまず精進を続けている。
 70歳を超えても決して老いを見せない。道を究めようとする心は、まさに青春そのものだ。バリバリの現役なのである。

 芸の魅力に引き込まれ、その奥の深さに圧倒された。同時に私も負けていられないと、そんな思いに駆られるのであった。

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