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言いたい放題 第171号 「わが政経塾6期スタート」

 5月31日、TOKYO自民党政経塾の第6期入塾式を行った。
 開塾以来5年間、100人定員をいつもオーバーして常に満員の大盛況であった。今回は、統一
地方選挙が終わったばかりだから、若干減るのではないかと思っていたが、なんと応募者は170人を超えた。
 私は全員入塾OKと言っていたのだが、多少ふるいにかけて163人の新入生を迎えることにした。八木事務局長の話によれば、今回の地方議員の当選者で、これから入りたいという人があと10人程度いるとのことである。そうなるととても収容できないが、まあ、途中でいくらかは減るだろうから、みんな入れることにしようと思っている。

 私が通産大臣を終えた後、雷門の事務所で深谷政経塾を開いて、60人ほどの塾生を教えていた。
 3年目になって、そこに自宅を建てようと考え、さて塾の場所を何処にしようかと思案していた。丁度、そんな時、自民党都連の内田茂幹事長から依頼があって、この塾の設立となったのである。
 最初から私のパートナーとして、塾長代行になってくれたのが娘婿の小田全宏君であった。自分で言うのも変だが、私と彼とのコンビは絶妙で、おそらく当代、この組み合わせの右に出るものはいないと思う。(大勢の人からもそう言われている)何故か打ち合わせもしないのに、お互いの講義の中身がいつも連携しているようなのだ。後述するが今回もそうであった。

 こうした会は、往々にして最初は良いのだが、なかなか順調に続くものではないと言われている。なんといっても、政治の世界だから、浮き沈みも激しいく、現に自民党は野党に転落している。
ところが、わが塾は年々勢いを増している。わが塾はそんなことに左右されない。
 志を抱き、人生を真剣に生きようとする若者は多いが、そんな彼らを受け止め、支え育てる場所はあまり無いのが現状である。だから、この塾が評判を呼び、今や国会議員はじめ色々な人からの紹介状持参で入塾を申し込む人も多くなった。
 勿論、自民党に寄せる期待も、未だに根強くあるということだから、こうした若い人たちの心を一層大切にしなければと思っている。
 ちなみに、今度の地方統一選挙の結果を記すと、5期生で42名立候補し31名当選した。当選率は72%である。第1期から4期までで49名出馬、41名が当選、実に84%の当選率であった。この5年間で市長も含めて延べ87人の塾生が活躍している。参議院議員になったものもいるが、どうやらこの塾は、地方議員輩出のメッカになりそうな気配である。
 未熟なまま、いきなり国会議員になって、かえってこの国の行方を混乱させる議員が多い中、地を這うように努力し、地域発展のために尽力する地方議員を、むしろ、しっかり育てる方が意義があると私は思っている。
 塾生すべてが政治家志望とは限らない。世の中の立派なリーダになろうと、自ら研鑽練磨する為に参加している人も多い。
 ともかく、こうした塾生の心意気を大切に、彼らとの交流を無上の喜びとして、又1年共に学びたいと思っている。

 今回の小田君の最初の講義では、いわゆる学習の在り方と、この塾を通じて良き友を得ることの大切さを強調していた。
 白板に、「傾聴」−「気づく」−「行動する」―「振り返る」と書いて話をしていた。
 次の私の出番では、「その文字は消すな」と指示し、その言葉を使って別の角度から話をつないだ。
 実はこの日、今度の選挙で初当選した人も敗れた人も、塾生として共に出席している。
 当選した人の中に、もうすっかり議員になったと、その気になっている者もいて、私は思わず「まだ10年早いぞ」と言った。今一番大事なことは謙虚さなのではないか。静かに自分を「振り返る」ことを知って欲しと諭した。
 敗れた人は、その反対ですっかり意気消沈し、なんとなく悄然(しょうぜん)としている。今、君たちに必要なことは、何故敗れたのか、足らざるところを静かに「振り返る」ことではないか。戦いには時の運ということもある、次の機会もあるのだから頑張れと檄を飛ばした。

 この日の為に、私は論語の一部を自らワープロで打って塾生に渡していた。

 子曰く、学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。
 朋(友)有り遠方より来たる、亦楽しからずや・・・・。

 特に、「朋有り遠方より来たる」を、単純に遠くから来た友人と解釈してはいけない。前段のように、機会あるごとに学んだことを復習しわが知識として身につけ、自分の身がおさまれば、自然同志の者もでき、共鳴者もできる。それらの人が遠方から来てくれたら、これも楽しいことではないかと理解すべきだと教えた。
 論語が日本に入ってきたのは西紀285年のことである。なんと日本最古の古事記より427年も前だ。日本人が最初に手にした書物である。
 以来、およそ1700年間読み続けられてきたが、それは論語の内容が、いつの時代でも通用する、適切中正で簡潔平易だからである。

「論語を知っている人」と尋ねると全員が手を挙げた。
「論語を読んでる人」、返事は極端に少数だった。
「これから時々論語を語ろう」と言ったが、「これは少々手がかかるな」と秘かに思ったものである。

言いたい放題 第172号 「単なる茶番劇、国民を馬鹿にするな」

 このところ、熱心な応援者達から、「いよいよ出番ですね」と期待を込めて何度も連絡が入っていた。私の答えは一貫して、「いや、残念ながら、民主党は解散しません」と答えるしかなかった。
 彼らの動きを詳細にみると、すべて自分の事しか頭になく、しかも「選挙だけはしたくない」の一点で共通していた。選挙をやれば大半の議員が落選すると恐れていたからだ。
 「政権交代」ということだけを旗印に、出来もしない政策をマニフェストと称して並べ立て、国民にあり得ないバラ色の幻想をまき散らした。
  政権を獲得した途端、それが「羊頭狗肉」だとわかって、支持率は一気に、まるで崖を転がり落ちるように下降線をたどっていった。

 そこへ東日本大震災という未曽有の大地震と津波が襲った。その上の原発事故だ。菅総理は運が悪いという評論家もいたが、私に言わせれば、このような国難の時こそ、政治家として腕の見せどころ、全人生を賭けて、もてる力を発揮してこれを乗り越えなければならないのだ。
 ところが、菅総理は何も出来ない。やることがほとんど後手後手で、その無能ぶりが明らかになった。しかも、いつも他人のせいにして弁解ばかり、その上感情あらわで、怒る、叱る、怒鳴るで、自分で責任をとろうとしない。
 為政者たる者の、もっとも大事なことは、自ら汗をかくことだが、嫌なこと、困ることは全て相手に押し付けてしまう。
 私と親しい幹部の役人が時折、私を訪ねてきて、菅総理に呼ばれるのが一番つらいと愚痴をいう。一生懸命説明してもろくに聞こうともせず、最後は怒鳴られて帰るのがオチだというのだ。

 こんな総理は早く辞めさせなくてはいけない、これは圧倒的な国民の声だ。
 ところが困ったことに、国会でその狼煙を上げたのが、あの小沢一郎氏ではないか。
 政治と金の問題であれだけ騒がれた人だ。今、自らの資金管理団体の土地取引事件で元秘書たちが裁かれ、この秋には判決が下される。本人の公判も始まるかといわれている人が、正義の味方のように辞任要求の旗を振ったのでは話にならない。
 「負ける戦いはしない、我々が主導権を握る」と連日票固めを行い、テレビなどマスコミをにぎわせ、自分ではその存在感を示してしているつもりのようだが、かえって逆の流れになっていく。
 そこへ、あの鳩山由紀夫前総理がいつものようにしゃしゃり出る。
 能力が無いことが分かって総理を辞めさせられ、もう選挙にも出ませんと一度は明言したのに、平気で心変わりしたと議員を続けている人だ。
 直接会って、「おやめなさい」と辞任を迫ったというが、「あんたに言われたくないよ」というのが菅総理の本音であろう。

 はっきり言って自民党も情けない。多分に小沢氏に振り回され、彼の力を過信し、造反者の数や勢力を読み違えたのだ。
 中堅、若手議員から「一部の長老らは、菅総理を追い込んだ後、小沢グループとの連携を模索しているのではないか」との疑心暗鬼の声も出たという。本当かどうかは定かではないが、もしそんなことを少しでも考えていたとすれば、自民党の前途は危うい、まさに自殺行為だ。

 一方の菅総理側は、もし不信任案が可決されれば衆議院解散、総選挙に踏み切る構えを見せていた。すでに総務省幹部などと協議までしたというから芸が細かい。前述のように選挙はしたくないという議員心理を逆手にとったのだ。
 こんな国難の時、一体政治家は何をやっているのか、国民の怨嗟(えんさ)の声が広がっている時、選挙などできるはずもないのだが、もしかしてと不安に駆られる議員も多いのだ。
 ぎりぎりまでマスコミは「崖っぷちの攻防」などと、まるで選挙不可避かの様な報道ぶりであった。一方で、国民の側に立ち政治家の動きを批判しながら、一方で混乱を囃し立てている。所詮、マスコミも商売、営業なのである。

 昼から開かれた民主党の議員総会は、やっぱりと思わせる「つくりごと」であった。菅総理の尤もらしい国民向けの演説(もう聞き飽きたが)、そして最後に、大震災と原発問題をある程度片付けたら辞めるかのような発言をした。
 すかさず鳩山氏が立って、何を言わんとしているのかわからないが、要は菅総理の決断を了解し、民主党議員あげて不信任案を否決しようということなのだ。続く、辞任要求の急先鋒であった筈の原口議員も同じ主張で、これで一件落着となってしまったのだ。

 午後から開かれた本会議では予想通り293対152の絶対多数で、不信任案は否決された。逆に言えば菅内閣は信任されたということで、彼は内心笑いが止まらないのではなかったか。

 本会議の後、色々な議員がインタビューを受けていたが、その言い分が何とも面白くて笑ってしまった。
 案の定、菅総理退陣の時期についての判断はそれぞれバラバラで、みんな自分に都合のいいように受け止めている。
 鳩山氏は、比較的早い時期で、夏までとはいかないという。
 これについては、すでに岡田幹事長が否定していて、あくまで一定のメドがたったらということで、時期を決めたわけではないと明言している。
 災害や原発問題は、簡単に終わる話ではない。第一、どこを区切りとするかなど全く曖昧で、だからいつ辞めるかの確証もないのだ。「まだ解決していません」と言い続ける限り、「どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ」なのである。
 ほんの午前中まで、不信任案に賛成すると言っていた原口氏など、「政党人として、野党の出した不信任案に賛成するなど、あってはならないことです」とぬけぬけと言っていた。
 「菅総理は、若い人にバトンタッチしたいと言っていたが、あなたは代表選挙にでますか」と聞かれると、厚かましいことに「はい、出ます」と答えていた。朝令暮改、言ったことをくるくる変える人などに総理になどなって欲しくないものだ。
 前日、不信任案に賛成する為に、筋を通してと副大臣を辞めた人が何人かいたが、やはり反対票を入れていた。きっと、早まったと辞めたことを後悔しているにちがいない。
 張本人の小沢氏は欠席、子分の中で賛成票を入れた人がいたが普通なら除名は必至、気の毒な事である。
それにしても小沢氏を囲んで70人以上も集まったが、あれは一体何だったのか。小沢氏にしてみれば、主導権を取ろうとしての最後のあがきであった。まさに背水の「数集め」であったが、夢破れたということである。

かくて、茶番劇は終わった。残ったのは空しさだけであった。

言いたい放題 第173号 「亡国の政治家は去れ」

 「まるでペテン師まがい、不信任案に賛成しておけばよかった。」
 これが前総理大臣鳩山由紀夫氏の発言なのだから、開いた口がふさがらない。
 菅氏は総理大臣に相応しくない、このまま続投したら、被災地の復興も原発への対応もままならない。一言でいえば、「このままでは日本がダメになる」というのが、自公で提出した内閣不信任決議案の考えであった。
 しかし、いつ提出するかとなると簡単には踏み切れない。元々、野党だけでは数が足りないのだから、うっかり出して否決されたら、逆に信任したことになってしまう。
 そんな野党の逡巡を抑えて、自公を突き動かしたのが小沢一郎氏とそのグループの動きであった。85人の同調者が署名、確認出来たと伝えてきたのは山岡賢治氏である。この人は全く信用できない、というのが自民党内の共通した認識なのに何故か振り回されてしまった。その上、直前になって鳩山氏も賛成に回ると明言したことから、これなら不信任案は可決すると、一気にそんな雰囲気になり、マスコミも同じような報道になっていった。

 ところが、民主党の議員総会がはじまる前、鳩山氏が官邸で菅総理に会い、辞任を前提と称する「覚書」なるものを交わした。
 議員総会に臨んだ鳩山氏、菅氏の挨拶が終わると、すかさず手を挙げて、なんと「一致結束して不信任案を否決しよう」と呼びかけたのである。
 元々、解散総選挙を一番恐れていた民主党議員たち、すっかりその気になって拍手で賛成し、本会議を開くや大差をもって否決してしまったのである。

 肝心の小沢氏は、何の抵抗もせず、仲間のわずか15人と欠席、棄権でお茶を濁してしまったのである。採決では多くの小沢グループ議員が、あっさり反対票を投じていた。
 前夜、小沢氏は造反を決めた70人の議員を集めたが、あれは一体なんだったのだろうか。いざとなったら、求心力はほとんど無いのだということを暴露されてしまったのである。
 最後まで残って、賛成票を投じたのは松木謙公氏ただ一人であった。
 しかも、議場に入ろうとする松木氏を、力で阻止しようとする民主党議員と、あわや乱闘騒ぎとなった。国民から選ばれた議員を、自分たちの意にそわないとからと、議場に入れず採決に参加させないなどの行為は許されることではない。懲罰処分ものだ。

 小沢氏との連携を模索し、不信任案の早期提出を主張した自民党長老議員たちは、怒りをぶちまけていたという。こうした長老議員の動きに懐疑的であった石破政調会長は、「小沢、鳩山チルドレン達が決起するという誤った情報に振り回されて高揚したのは、間抜けだった」と記者団に語った。この点は私も同感だ。

 そもそも、覚書なるものは、菅氏側の北沢防衛相と鳩山氏側の平野元官房長官が極秘に連絡して作り上げたものである。あくまでも辞めたくない菅氏、不信任案に賛成して党を除名されたくない鳩山氏の2人である。
 この気持ちを汲んで作られた文書だから、どちらも都合よく解釈できる、つまり中身は玉虫色になるのは当然のことであった。本来、国家の命運を担う総理大臣という重席を、数人の者で、しかも密室で決めるなど断じてあってはならないことである。

 立ち会った岡田幹事長は、「退陣の時期は切っていない」と記者団に語り、鳩山氏は「それは嘘だ」という。菅氏本人は「退任するなど言ってないし、そんなことは紙に書いてない」と鳩山氏に不信と怒りをぶつけているという。これが前総理と現総理、ともに民主党政権を作った、かっての仲間なのだからあきれる。
 言った言わないはどうでもよい、それにしても菅氏とはどこまで厚顔なのだろうか。今や、「辞めろコール」は国会の中だけではない、国民全体の声のように巷に満ち満ちている。
 鳩山氏もそうだ。この人の変節ぶりは今に始まったことではない。
 小沢氏と一緒に行動し、不信任案に賛成すると天下に表明していたのに、その3時間後には、「否決のために一致協力してください」なのだ。
 本会議後、菅氏が辞任しない意向を示唆すると、今度は「裏切られた、最低だ、人間のクズだ」とまで記者団の前で言う。そんなクズの不信任案を否決させたのは一体誰なのだ。
 裏切られた、はしごを外されたと小沢グループが反発していると聞くや、すぐに小沢氏に電話を入れて、「しっかり決着をつけます。信じてください」と言ったと報道された。
 「信じてください」というセリフはどこかで聞いたことがある。そうだ、沖縄問題で米大統領に言い、その後何もできないで顰蹙をかったことがあった。
 この人は本当に恥というものを知らない。
 そういえば、恥を知らない連中が、今回、他にもいた。小沢氏と行動を共にすると、カッコよく辞任した副大臣ら4人だ。
 菅総理から慰留されると、待ってましたとばかりに、早々に辞表を撤回した。「空気が一変したから」と、訳の分からないことを言っていたが、要は保身の為なのである。後学の為に名前を書いておこうかと思ったが、馬鹿らしくなって止めることにした。

 菅おろしが不発に終わった夜、小沢氏はグループ議員40人を引き連れてカラオケ屋に行って騒いだという。何とも子供じみているが、その店で周りが止めるのも聞かず、テキーラを呷っていたという。
 秋には政治と金の問題で、自らの裁判も始まる。酔わずにはいられない小沢氏の心情を哀れだと思った。

 かくて茶番劇第一幕は終わった。終らないのは、被災者の苦労と原発の不安だ。
 国民不在、この国を愛することを忘れた亡国の政治家たち、1日も早く政治の舞台から去ってくれないものか・・・・。

言いたい放題 第174号 「下駄物語」

 近頃は、すっかり良くなって、極めて順調なのだが、持病ともいえる腰痛等の再発を防ぐために、週に2回ほど近くの接骨院に通っている。
 いつも作務衣姿で雪駄を履いて行くのだが、今日は生憎の雨模様、「下駄を出してくれ」と女房に頼んだ。
 ややあって、ようやく奥から取り出してきた古い下駄の箱を見て驚いた。
 既に変色している熨斗紙がそのまま貼ってあって、「祝誕生 父母」と達筆な筆字で書かれているではないか。
 いつの頃なのか、すぐには判断出来ないが、間違いなく父の字である。
 一度も使ったこともなく、戸棚に仕舞ったままであったが、「確か何処かにあった筈」と女房が見つけ出したのだ。
 母は69歳と早逝し、父は77歳でこの世を去った。二人とも癌に冒されていた。
 母が逝ったのは昭和56年だから、もう30年も前のことだ。だとするとこの下駄を貰ったのは、私が40代前半の頃か。
 もしかしたら、私が衆議員二度目の選挙で、わずか千票差で敗れた後の浪人時代かもしれない。
 返り咲いてすぐ、私は労働政務次官になるのだが、その途中で母は亡くなった。
 箱には、御はきも乃とあって、富士屋製と書いてある。今も雷門にある有名な老舗のものである
 まっすぐに通った見事な木目、今はこのように立派な正目の桐下駄はなかなか見つかるものではない。
 きっとその頃でも、7、8万円はしたのではないかと、丁度来宅中の老女も言っていた。
 決して豊かではなかった、いや、むしろ貧しかった筈の両親が、私を喜ばせようと、かなり無理をして求めたものに違いない。思わず涙がこぼれた。

 私たち一家は、第二次世界大戦で日本が敗れた時、遠く満州のハルピンで終戦を迎えた。
 天国から地獄、私たちの暮らしは一変した。
 ロシア兵や中国兵に略奪の限りを尽くされ、私たちは絶望の淵に追い込まれた。 そんな中、死ぬときは一緒と子供たちを守り続けてくれたのが両親であった。
 一年後、引揚者となって、幾山河を超えてようやく日本へたどり着いたのだが、日本での暮らしも、まさに赤貧洗うが如しであった。
 父は、にわかづくりの靴屋の職人になって、五人の子供を母と共に必死で育てた。厳しい父と優しい母であった。

 当時、浅草下町では、夏になると神社の境内などに土俵が作られ、盛大な素人相撲大会が開かれた。
 私は相撲が得意で、中学生だが大人に交じって五人抜きで優勝して、沢山の賞品を貰ったりしたものであった。
 そんな時、いつも父は付き添うように見ていて、もし負けようものなら、すぐに鉄拳が飛んできた。
 「みっともない負け方をするな」、「恥を知れ」が父の口癖であった。

 今、私が通っている深井接骨院の大先生は、かつて荒川の千住大橋の真下で、連武館という水泳道場を開いていた。
 父に連れられてここで私は泳ぎを覚えた。
 今では知る人も少ないが、昭和24年頃は、東京は戦災で壊滅状態で、工場などはまだ稼働していなかった。
 皮肉なことだが、だから廃液も出ないから、隅田川も荒川もきれいに澄んでいて川底まで見えるくらいであった。
 連武館の上級に昇進する試験は、かなりの距離の対岸まで泳ぎ切ることだった。
 父は初体験の私を心配して、すぐ横で一緒に泳いでくれた。
 悪童達は、「親父がついてくるなんてズルい」とはやし立てたものであった。
 そんな父が「お前は政治家になれ、きっとなれる」と言い続けた。
 政治家になって、なんともう48年が過ぎている。光陰矢の如しである。

 深井接骨院はご子息が中心になっているが、大先生は毎日出勤していて、何くれとなく患者の面倒を見ている。
 私よりも一回り上で80歳を越えられているが、背筋をすっきりと伸ばし、水泳を教えていた時代を彷彿とさせる。
 ここの治療は、低周波の電流を患部に流し、痛みを癒し、細胞を刺激して活性化させてくれる。その後の若い先生の丁寧なマッサージが特に良い。
 今も激しいスポーツを続けている私にとって、ここはリハビリに最適、体の調整の為に週に2回は通っている。

 人生とは、本当に色々のことがあって面白い。
 さまざまな場面で、思いもつかないことが起こったり、考えてもみなかったことに出会ったりする。
 治療に行こうと思って、雨だから下駄を出してくれと頼んだら、はからずも30余年も前の両親の贈り物が出てくる。
 そして、その治療先が60余年も前に、私が父と通った水泳の先生ではないか。不思議な縁で結ばれているのだ。

 雨の日に、古くて新しい、両親の心のこもった下駄を履いて出かけるのは心苦しい。
 改めて、晴れた日に履こうと思っている。

言いたい放題 第175号 「自分を鼓舞して」

 私を長年にわたって支えてきた後援会組織の中に髏ツ会がある。
 今から35年前、私が2度目の選挙で、わずか1,000票差で敗れたが、その時に結成された若者たちの会だ。
 彼らの献身的な働きもあって、次の選挙は圧勝したが、以来選挙の度に、まさに体を張って闘い続けてくれた。いわば私にとって苦楽を分かち合ってきた仲間たちであった。
 会のスタートの頃、私は41歳、彼らの年齢は平均30才台と若く、まさに血気盛んな時代であった。
 いつの間に、といった感じでお互いに歳を重ねた。
 もう、髏ツ会という名にも違和感があるが、しかし、心意気だけは少しも変わらないと、今でもこの会は健在である。
 会長は長年にわたって丸山幸秀君が務めてくれた。

 4年前、私は同志の区議会議員と相談して、丸山君を台東区の選挙管理委員に就任させた。彼の社会的実績も考えあわせて、決して無理なことではない。
 4年の経過を経て、今度は監査委員になってもらった。

 6月17日、今、会長は澤田隆晴君だが、彼の音頭取りで丸山君の就任祝いを開いた。
 久しぶりの会だが、古い幹部ら50人ほどの顔ぶれが揃って、和気あいあいの素晴らしい集まりとなった。まるで同窓会を思わせる趣であった。
 人と人の出会い、めぐり合い程素晴らしいものはない。これからもこうした人たちを大事にしていこうと、改めて心に誓ったものである。

 当日は居なかったが、1週間ほど前、やはり幹部の遠藤幸一君から手紙が来ていた。彼は台東区金杉に住み町会長をしているが、なかなかの論客で、折々に的確な政治への提言をしてくれる。

 彼は七日会という組織を持っているが、東日本大震災についてのアンケートを集め、「七日会的考え」をまとめ小論文にして送ってくれた。
 私には、こうして何かにつけ意見を寄せてくれる人が多い。ありがたいことである。
 細かい内容は別にして、この小論文の中で注目したのは、次のようなことである。
 「大災害にあった時、ともかく守るべきは自分自身だ。今回の災害に当たって政府や行政の対応は全くダメで、これに期待し、助けてくれると思うのは間違いだ。むしろ、災害対策を考えた時、これらは邪魔になるだけで、国の政治や行政など無い方がスムースに事が運ぶのではないか。」
 実際の文章はもう少し穏やかに書いているが、私の印象で率直に要約すればこのような内容である。
 残念ながら、今の政治のありようを見ると、さもありなんと頷ける。
 おそらく、多くの国民は、被災者の苦しみなどそっちのけで、政争の具に走る国会の状況を見て、これでは話にならないと、あきらめにも似た思いを抱いているのではないか
 一体、いつから政治はこれほどまでに堕落してしまったのだろうか。

 昔、と言うと古い政治家と言われるかもしれないが、我々の先輩も後輩も含めて、みんな一生懸命だった。この国の今と未来を考えて毎日が真剣勝負であった。
 特に政権を担っていた時代、自民党の議員たちは、朝早くから国会や党本部に集まって、政策決定の為の議論や具体的な対応で追われた日々であった。
 今でも鮮明に記憶に残っているが、自民党本部の駐車場は朝8時には議員の車で満車になって、止めるところもなかった。
 少なくとも、政治家として国家や国民の為に、何かを残すのだという気概に燃えていたし、その原点は「愛国心」であった。
 今の政治家、特に菅首相はじめ政権トップの座にある人達に「愛国心」のかけらも見いだせないように思える。
 大震災の対応で、「政府が無い方がスムースに行くのではないか」などと思われるとは、残念というより情けない話ではないか。
 丸山君のお祝いの会に、何人かの区会議員も顔をそろえていた。みんな私の息子か弟子のようなメンバーで、真面目で忠実で、心根が優しくて申し分のない連中である。区政の為に献身的に働いている。彼らにいつもあるのは感謝の心だ。

 自民党政経塾でも、教えながらいつも思うのだが、これからは彼らの時代だということである。
 次の世代の人達に期待するしかない。
 そして、特に地方政治で頑張る人たちを育てることこそ肝要だと考えている。

 はっきり言って、若い内に国会議員になった人で、なるほどと思える人はあまりいない。

 最近、女性のスキャンダル問題で相次いで週刊誌をにぎわせた与野党二人の議員も、若さを売り物にしている輩だ。(輩などとは言い過ぎかとも思うが、この国難の時代に、と考えると腹が立ってならないのだ。)

 民主党所属のこの外務副大臣は、当然、クビと思っていたら、なんと厳重注意で終わり。本人は「大いに反省して、職務を全うします」と平然としているではな
いか。この人は、なんと大震災わずか数日後、女性と酒を飲み、みだらな行為に及んだという。なんとも恥知らずで、役職を辞めるのは勿論の事、議員も辞める
べきではないかと私は思っている。
 菅首相の粘り腰で、不幸なことに内閣交代も総選挙も当分ない。
 しかし、くれぐれも、こんな議員の行動を忘れないでほしい。次の選挙で必ず叩き落とすぐらいの見識は持ってもらいたいものだ。

 良い若い人をしっかり育てる、特に地方政治家の育成に全力をあげる。当面の私の役割は、はっきりしている。

 いろいろ苦労も多いし悩みも尽きないが、良き仲間もたくさんいることだし、ともかく「頑張っていこう」と、自分を鼓舞している。

言いたい放題 第176号 「新人議員研修会」

 今度、自民党東京都連主催の新人議員研修会で講演をする。この間の地方統一選挙で当選した区議会議員や市議会議員が相手だ。
 すでに私が塾長を務めている政経塾で、地方議員らの指導を行ってきたから、そんなに格別の事ではないが、やるからにはきちんと、本音で語りたいと思っている。

 塾出身の区議会議員は80名を超えているが、今年の開塾式の時も、特に新人議員が張り切って来ていた。よっぽど嬉しいと見えて、様々な抱負を私に熱っぽく語りかけてきた。彼等は、とても初々しいし、顔も輝いていて魅力的であった。
 ただ、中には嬉しさのあまり、誤解を招きかねない発言や、過度に自信を持ち過ぎているような感じもないわけではない。そんな時は、つい黙っていられなくて厳しい小言を言ってしまう。
 
 「今度の選挙で2000票集めました。こんなに私を信頼し理解してくれる方がいたと知って、感激しました。」
 「君ねえ、2000人の人が信頼し、理解してくれたというが、本当に君を直接知っている人なんて、そんなにいる筈はないよ。君のことを十分に知り、確信をもって投票した人なんて、その1割か2割ではないか。その少ない理解者が、君のことを必死に宣伝し、頼んでくれたから多くの票が集まったのだ。もしかしたら、新人だから、珍しいから、あるいは若いからと、それだけで入れてくれたのかもしれない。そのことをきちんと自覚して、謙虚に努力することが必要だと私は思う。本当に真価が問われるのは、4年後の次の選挙だ。しっかり頑張れ」

 「初めての議会で、早速質問に立つことになりました。ベテラン議員に負けないようにやるつもりです。ご期待ください。」
 「最初から、期待なんかしないよ。張り切る気持ちは分るが、ちょっと早すぎるのではないか。もっと、じっくり勉強し、本気で何をしたいのかを確認し、きちんと整理して臨むべきではないか。」
と、まあこんな具合なのである。

 若い人たちにとって大事なことは、「初心忘るべからず」ということだ。
 このことを説いたのは、室町時代の能の完成者といわれる世阿弥だが、そんなことを知っている若い人はまずいない。
 奈良・平安時代に興った田楽や猿楽は、いわゆる農民や庶民の芸能で、身分卑しい者のすることであった。だから室町初期の頃までは、公家や僧から馬鹿にされていた。
 将軍足利義満の庇護のもとで、能として仕上げたのが観阿弥だが、以来、能は文化芸術として、上位の人達から持て囃されるようになった。
 世阿弥はこれらをまとめ上げ、「風姿花伝」を世に残した。
 「初心」とは、単に思いたった心ではなく、確信をもって「志」となった時を「初心」と言うと世阿弥は説いている。
 志すとは、成し遂げようという目標を心に決め、その意気込みと謙虚さを持って事に当たっていくことなのである。

 中国の言葉に「志ある者は、事、意(つい)に成る」とある。やり遂げようとする固い決意があれば、どんな困難があっても必ず成功するという意味だ。
 一方で、「志は満たしむべからず」ともある。
 すべての事柄について、完全に満足いくまで求めようとする考えは捨てるべきだということである。望みは限りなく広がっていく。言葉を代えれば、慾というものは際限がない。だから限度を自ら考えなければならないということである。
 一見、矛盾しているようだが、この二つの言葉を新人議員はかみしめることが大事だと思っている。

 予断だが、特に、菅首相には、後半の言葉こそ拳拳服膺してもらいたい。ひょんなことから、彼は総理大臣になった。あり得ない幸運を拾ったのだ。
 しかし、すぐにその任にはとても及ばぬということが明らかになった。しかも彼の職責には国家国民の命運がかかっている。今や、限度を超えている。直ちに自ら辞めなくてはならないのだ。

 今、新人議員の心は、希望に燃えて大きくふくらんでいる。それはいいことなのだが、ともすると、気がはやって、突っ走る傾向もある。
 その地域の為にしっかり働くためには、ここはどっしり腰を落ち着かせて、学ぶこと考えることが必要と、気づかせることが大事だ。
 また、彼らが真剣に努力していても、世の中全てがうまくいくわけもないから、時に挫折することが必ずある。そんな時、これをどう乗り越えればいいのか、その覚悟や忍耐を身に着けさせることも大事だ。
 こうしたことをきちんと教えるのが先輩の役目なのだが、その役割を果たしている先輩は、今の時代少ないのではないか。
 「今の若い奴は」と陰で眉をひそめて言う人は多い。しかし、直接注意するにはそれなりに勇気がいることだから、なるたけ面倒なことは避けよう、直接自分に迷惑が掛からないなら、見て見ぬふりをした方が無難だと考える人が多いのではないか。 
 新しく地方議会に躍り出た人たちは、今の自民党を考えれば、大切な存在だ。私から言わせれば、まさに宝だ。しかし、まだ本当に研磨されている訳ではない。この人たちを、きちんと磨き、真に役立つ人材に育て上げること、つまり本物の「宝もの」にして世に送り出すことは、私たち先輩と言われる者の大事な役目だ。
 私のお役目を立派に果たそうと、この頃思うことしきりである。

言いたい放題 第177号 「与野党から『辞めろコール』」

 21日、夜7時少し前に自民党本部に着くと、玄関フロアーで大勢の記者団に囲まれて出てきた石原伸晃幹事長とばったり会った。
 翌日が会期末、当然、会期延長を決めなければならないのだが、土壇場になっても、菅総理の辞任時期を巡って迷走が続いている。
 石原幹事長もそのことで、岡田克也民主党幹事長と何度も会い、記者は中身を知りたくて石原氏にぶらさがっているという寸法なのだ。
 「やあ、今日は何ですか、ああ、政経塾ですね」と、相変わらず愛想がいい。
 「石原さん、頑張ってくださいよ」
 それだけ言って別れたが、本当に、ここでしっかり対応して、国民の期待に応えてくれなくては困るのだ。

 それにしても、菅総理の粘り腰には驚いた。
 これほど総理の座にしがみつき,自己の延命だけを考える醜い姿を見たこともない。
 東日本大震災発生から3か月以上も経っているのに、未だに大変な数の人々が、塗炭の苦しみを余儀なくされている。
 しかも、もはや天災でなく、人災といわれている。その理由の大半は政治無策,すなわち菅民主党政権の無能、無責任が原因と言われている。
 菅総理の政策判断の無さ、くるくる変わる発言、無責任なあまりに軽い言葉、責任転嫁、言い逃れ、いらだっては怒鳴る姿勢、どれをとっても、国を代表する為政者としての人格、人間性に欠陥があり、何よりも政治家としての資質そのものがない。
 とっくの昔に自ら辞任していなければならない筈なのだ。
 鳩山由紀夫氏が「ペテン師」といったが、あの時点で当然辞めると誰もが思っていたものだった

 復興基本法がやっと成立した。(ここで辞任かと考えた人もいたようだが、何の動きもなかった)
 もっとも、成立したといっても、決まったのは復興の枠組みを定めただけで、具体策はこれからである。一応、わが党が主張してきた、企画調整から実施までを一元的に担う「復興庁」の設置は本則に盛り込まれたが、出来るだけ早期に設置するという規定だけで、いつとは政府答弁でも出てきてはいない。それどころか、内閣官房のスタッフから、「どんなに頑張っても来年4月以降になる」と言う人までいるという。

 阪神大震災の時、私も直接携わったが、あの時、復興基本法はわずか40日で成立させている。今回は102日もかかっている。このような法律作成は迅速さが勝負であること言うまでもない。

 菅総理の辞任の条件は、第二次補正予算案と特例公債法案の成立といわれてきたが、ここにきて再生可能エネルギー特別措置法案に妙に力を入れはじめてきた。
 風力や太陽などの発電を普及させる為、全量固定価格買い取り法を創ろうというものである。
 「独占的な電力業界に風穴を開ける」とご本人は意気込んでいるようだが、誰もが「延命のための方便」と思っている。何より、足元の与党幹部が真面目に取り合おうとしていないのだから、これは喜劇と言うより悲劇と言うべきか。

 今日、国会の会期延長が決まる。
 70日延長となれば、結果的に8月までは続投ということになるのか。
 しかし、辞任時期がはっきりしていないのだから、これからも与野党の反発は収まりそうもない。そうなれば、被災者救済どころではなくなる。政治は未曽有の危機に立っている。それは日本の危機そのものだ。
 今、与野党反発と書いた。普通は野党が反発と言うのが当然だが、むしろお膝元の民主党の方に反発が強いのだからあきれるではないか。
 むしろ、「野党の皆さん、何とか辞めさせてください」という構図なのだから悲しい。

 週刊新潮のワイド特集に、死に体の総理応援団は「酔っぱらいの戯言妻」とある。
 「これまで首相がいともあっさり、簡単に辞めちゃった方が不思議ですよ」と言ったとか。
 似たもの夫婦というが、何とも困ったものである。ああ・・・。

言いたい放題 第178号 「危ない教科書」

 6月21日のTOKYO自民党政経塾に、講師として日本政策研究センター所長岡田邦宏氏を招いた。演題は「教科書はどう変わったか」で、中学生の教科書の問題点を語ってもらった。
  教科書検定は原則として4年に一度行われる。この3月末、平成24年4月から使われる中学校教科書の検定結果が発表されたばかりで、これから各地の教育委員会による「採択」作業が始まる。
 今回、検定を通過した7社の内容を検討した結果について、岡田氏は、やっぱりおかしいと疑問を呈したのである。

 実は今回の教科書検定の結果について、私も格別の強い関心を持っていた。と言うのは、平成18年に、安倍内閣の時だが、我々は教育基本法を改正した。改正後、初の教科書検定だから、きっと内容も変わって良くなっている筈と期待していたからだ。
 
 今まで日本の教科書、とりわけ歴史教科書は、あまりにも自虐的で、まるで日教組か、左翼団体の宣伝かと思えるような偏ったものが非常に多かった。
 元々、私は、子供たちに日本の歴史を語る場合、我々の先輩たちがどんなに苦労してこの国を作って来たのか、日本の長い歴史の中で先人たちが、どんな思いで素晴らしい日本を作り上げてきたのか、いってみれば子供たちが、思わず胸を躍らせて聞けるように伝えるものと考えてきた。
 別に都合のいいように書けというのではない。
 この小さな国が、世界の列強緒国の中で生き続けることは決して容易なことではなかった筈だ。その荒波の中、命を懸けて懸命に努力してきた先輩たちの姿を、しっかり伝えよ、それが歴史教育というものだと私は信じているのだ。
 我々の祖先が作り上げてきた文化、長い間培ってきた伝統が、如何に世界の中でも優れているか、それを受け継ぎ、さらに育てていくことの大切さも教えていかなければならない
 だから、新教育基本法では、前文で「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育の推進」をうたい、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」と明記している。
 歴史的分野の学習指導要領に、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」と書いている。
 要は歴史教育を通じて国を愛する日本人を創ろうということなのだ。

 しかし、結論を先に言えば、岡田氏が指摘しているように、今回の教科書も一部を除いて、少しも良くなってはいないのだ。
 一例をあげれば、なぜか「アイヌ」や「琉球」の記述がこれまで以上に強調されていて、日本があたかも一方的に侵略服従させたかのような書き方なのだ。
 アイヌの文化として、「オモロ」と言う古い歌謡を紹介し、その総数1554首に及び、万葉集にも匹敵すると書いている。しかし、肝心の万葉集が4500首を超えていることも、和歌が日本の中核をなす文化で、日本最古の現存する和歌集であることも書かれていない。
 「今から1200年も前に、身分や地域を越えた、国民的歌集が完成していた」と書いたのは育鵬社だけであった。

 中学3年で学ぶ社会科の「公民的分野」(公民教科書)について、学習指導要領は、目標として、「国民主権を担う公民として必要な基礎的教養を培う」「自国を愛し、その平和と繁栄を図ることが大切であると自覚させる」と書いている。つまり、日本という国家を自覚させ、愛国心を抱かせる教育を目指している。
 しかし、既存の教科書5社(検定を受けたのは7社)は、相変わらず「反国家」、「脱国家」というべき傾向にある。「地球市民」と言えば聞こえはいいが、地球はそれぞれの国家から成り立っているのだ。
 国家にとって極めて重大な領土問題でも、あきらかに不法占拠である北方四島について「不法」と記述しているのは3社だけだ。
 教育出版は、竹島や尖閣諸島について、韓国や中国も領有を主張していると書いているが、歴史的にみて明らかに日本の領土なのに、そのことをきちんと明記していない。一体どこの国の教科書なのか。

 外国人参政権について、税金を払っているのだから与えるべきといった記述まである。この主張と全く同じことを、民主党、とりわけ小沢一郎氏が声高に述べている。
 私の昨年出版した「こんな政治じゃ日本がダメになる」に詳細書いたが、本来、納税と参政権は無関係なのだ。
 日本の普通選挙制度では、20歳以上の男女すべてに選挙権が与えられることになっていて、納税の有無や納税額の大小など一切問われないのだ。被選挙権も同様である。
 納税は、国民がすべての公共サービスを受けるためのいわば対価だ。
 在日外国人も日本のあらゆる公共サービスを同じように享受している。だから税金を払う義務がある。それだけのことなのだ。

 この他にもたくさんの問題点があるが、とりあえずここまでにしておく。
 要は、立派な日本人を育てるべき教科書が、極めて偏っているということを多くの人に知ってもらいたいのだ。
 そして、都道府県の教育委員会に、教科書の正しい選択をしてもらいたいのだ。日教組や左翼思想の連中の激しい動きに負けることなく、堂々と誤りなき選択をして欲しいのだ。
 
 今のままの教育では、日本の将来が本当に心配なのである。

言いたい放題 第179号 「お祭りすんで日が暮れて」

 6月24日、中央区のロイヤルホテルで、深谷骼i叙勲祝賀会が開かれた。
 昨年秋、私は旭日大綬章という最高の叙勲の栄に浴した。(前は勲1等旭日大綬章) 
 台東区では浅草ビューホテル、次いで選挙区外の私の関係者友人たちのホテル・ニューオータニの祝賀会と続いたが、3月14日に予定していたのがこの中央区の大会だった。
 ところが、1000年に一度といわれる東日本大震災が、その3日前の11日に起こって、大変な数の方が亡くなり、被災者は塗炭の苦しみに襲われた。
 とても祝賀会を開く状態ではなく、急遽延期となっていたのだ。

 今も避難所にはまだ10万人を超える人達がいる。天災が、政治の対応のまずさですっかり人災と化してしまっている。
 一方で、自粛ムードが蔓延して、日本全体が落ち込んでいくばかりである。
 これではかえって東日本の被災地、被災者は救えないと反省の声も広まり、社会全体が、通常の生活に戻るようになってきた。
 そんな中、深谷の祝賀会も開き、地域の元気を取り戻そうとなったのである。

 300人近い人々が会場を埋めた。
 新しい人も多いが、何よりも長年支援を続けてくれた古い、懐かしい人達が大勢集まってくれた。
 この人達の熱い友情や愛情は、私が良き時も悪しき時も変わらない。
 その支えで今の私がある。叙勲の栄もこの人たちのお陰だとしみじみ感じ、嬉しかった。

 宮中で叙勲を頂く時は、燕尾服だ。勳記を陛下から頂き、勲章は総理大臣から渡される。(本当は菅さん以外の方ならなお良かったのだが、そうも言っていられないか。)
 一般に燕尾服など持っている人はいないのだが、私の場合は、20年前に作っている。
 丁度、明仁陛下の即位の礼の時、大臣は燕尾服着用が原則で、私は郵政大臣だったからである。
 もっとも、あれ以来一度も着る機会は無い。それこそタンスの奥から引っ張り出したのだが、一体、寸法が合うのかどうか不安であった。結論から言えば、少し直した程度でおさまった。つまり20年前と体形はあまり変わってなかったということで、これはちょっとした自慢話ではある。

 せっかくの燕尾服だ。ただ、挨拶だけでは能が無い。今回は本邦初公開、私の得意のタップダンスを披露しようと決めた。参加者への大サービス?だ。
 
 実は、私のタップダンス歴は古い。2番目の娘が成人式を迎えるにあたって、2人で皆を驚かすようなことをしようとなった。私は往年のフレッド・アステアのフアンで(昭和生まれの人に彼のファンは多い)、機会があったらタップを習いたい、踊りたいと秘かに考えていた。
 結局、友人で作曲家の都倉俊一氏の紹介で、加藤・千春グループの練習所に通い習い始めた。
 以来、散発的に練習を続けて今日に至る。つまり年季が入っているのだ。

 タップは細かい足の動きで決まる。その上、歌に合わせて振付され、それを頭に入れて踊る。言い換えれば、大脳と小脳を一度に駆使するのだから、これほど老人向けの運動は他にはちょっと無いのではないか。
 
 今回の相棒は川村君で、若い彼とも長い付き合いで、息もぴったりだ。
 「ミスター・ボージャングル」というショートストーリーを私が弾き語り、彼が躍る。その後は彼との掛け合いで、タップを踏んだ。
 「ひとたび踊りだすと、客の目は釘付けになって、そりゃ盛り上がったものだった。軽やかで力強く、誰も真似できないリズムを刻み・・・・」と、これは実は「ミスター・ボージャングル」のセリフの一節。
 私のタップがどうだったのかは、参加者に聞いて欲しい。

 宴が終って、退場する人々を最後まで見送ったが、「若い、元気だ、これからだ、頑張って」と握手握手の熱気に包まれ、私も久しぶりに心が高揚したものである。
 ああ、あと10年若かったら・・・、そんな叶わぬことを一人考えていた。

 6月27日6時からは、椿山荘で文京区後援会の主催で、私の叙勲祝賀会が開かれる。これが今回の私の叙勲祝いの最後の催しとなる。
 「お祭りすんで日が暮れて…」という歌があった。
 まあ、終わった後のことは、今から考えないことにしよう。

言いたい放題 第180号 「重要政策を延命に使うな」

 菅直人という人は、なんと厚かましく破廉恥な人物なのだろうか。一体、いつまで総理の椅子にしがみついていくつもりなのか。
 あらゆるところから「菅、辞めろコール」が起こっているのに、一向に自ら辞めようという気配はない。
 しかも、今、総理の首を取ろうとしているのは、民主党で、その中心は仙谷由人官房副長官や岡田克也幹事長といった身内の面々なのである。
 もっとも、彼らも一番考えていることは自分自身の事ばかりで、およそ国家国民の為という発想はない。まあ、どっちもどっちと言ったところだ。

 政権交代という幻想をまき散らし、結果的に国民を騙したのだから、彼らも含めて同罪で、むしろ、民主党そのものが政権を返上するのが筋なのである。
 本当に菅辞任に追い込む機会は、先の「内閣不信任案」の採決の時で、小沢氏はじめあれ程多くの議員が揃ったはずなのに、最後はグズグズになって終わってしまった。
 要は無能な連中ばかり、茶番ドラマしか出来ないということなのだ。

 今のところ、第二次補正予算と特例公債法案の成立をメドに退陣する方向でまとまったとはいうが、これも当てにはならない。
 現に、菅総理は、ここにきて「再生可能エネルギー普及のための関連法案成立」を言い始めた。反原発の世論を意識して自然エネ意欲を示し、政権浮揚、いや自身の延命を図ろうとしているのだ。

 菅氏は、エネルギー政策について、これまで考え方が色々に揺れていて、確たる方針というものが無かった 。
 初当選後間もない1982年、衆議院科学技術委員会で、当時の自民党政権に自然エネルギーの利用姿勢をただしたことがある。しかしそれ以降、格別な動きがあったわけでもない。
 むしろ私から見れば、菅総理は原発推進の旗を振ってきたとさえ思っている、
 ご本人は、昨年10月、わざわざベトナムを訪問して日本の原発の受注を果たしてきた。あの時の「どうだ」と言わんばかりの得意げな顔は忘れられない。
 民主党の中山某議員などは、トップセールスの成果だと地元後援会で得意満面で演説していた。今は口を拭って黙っているが・・・。

 大震災で原発事故が発生すると、大きく舵を切って、5月には浜岡原発の全面停止を主導した。しかし、これからの日本のエネルギーについてどうするのか、本格的な議論もしていないし、深い熟慮があったわけでもない。

 今、全国に54基の原発原子炉があるが、その内定期点検などで運転停止中のものが35基ある。(福島第一原発を含む)
 これからの夏の電力不足を考えると、このまま再稼働の道が閉ざされるとなれば、国民の暮らしや、企業の経済活動に大変な影響を及ぼすこと必定である。
 そこで、海江田経済産業大臣は、6月18日、原発立地自治体に再稼働を要請した。総理の方針とは全く逆の要請ではないか。
 総理はなんと言うか注目していたら、「私も考えは同じ」とのたまった。
 国家国民にとって、最も重要な政策方針が、このようにいとも簡単に変わることなど許されるはずもない。

 自然エネルギーと、近頃はすっかり持て囃されているが、事はそう簡単に進むわけではない。
 昔からある水力発電は別にして、他の風力や太陽光、地熱などだが、それぞれに多くの問題をかかえている。
 世界的にみて、その中で比較的普及が進んでいるのが風力発電だが、日本ではかなり苦戦している。
 建設費が高い上、故障も多く修理費もかなりになって、北海道の興部町(おこつぺ)のように止めたところもある。(昨年10月)
 環境庁の調査で騒音被害も多く、1キロ以上離れた人からの苦情もあったという。住宅から最低500メートル離れることを条件にしたりしている。
 一定以上の強さで風が吹く地域ということで、日本では北海道や東北、九州といった場所に限られている。
 日本では、現在、残念ながら自然エネルギー供給量は、水力を入れても1割弱なのだ。これからよほど力を入れなければならないが、まだまだ時間も費用もかかるということを知らねばならない。

 エネルギー政策は、これからの日本にとって、本当に重要で、この問題に政治が取り組むことは当然のことである。
 だから、逆に言えば、こんな大事な事柄を、自分の延命の材料にしようとする等、断じて許されないのである。
 やっぱり、日本の将来を、身内からでさえペテン師呼ばわりされる人に任すわけにはいかない。
 届かないことを承知の上で、私からも菅さん辞めろと叫びたい心境である。

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