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言いたい放題 第151号 「自粛を自粛せよ」

 驚くほどの瓦礫、夥しい犠牲者、そして先の見えない被災者のことを思うと、自分が今一体どのように暮らしたらいいのか戸惑う。
 知事選挙も始まっていて、私は石原慎太郎の応援をしているが、宣伝カーを出さず、街頭演説も行わない。
 私の地元で、後半予定していたシビックセンターの演説会も中止となった。
 これからスタートする地方統一選挙で、後輩諸君の為に50枚近く必勝の色紙を書いて届けたが、これからどう選挙運動を進めたらいいのか、各々悩んでいた。
 例年なら、これから上野や隅田公園など、桜の下で宴会が繰り広げられ大変な賑わいになるが、やっぱり自粛しましょうということになった。靖国神社や千鳥ヶ淵公園なども同様の対応だ。
 5月20日から予定されていた浅草三社祭も中止となったが、これは戦後初めてのことである。
 まだ3ヶ月も先のことだが、7月末の隅田川の花火もどうなるかわからないという。もともと隅田川の花火は、江戸時代に起きた飢饉などで亡くなった方々を弔うためのものだったのだが・・・。
 ホテルマンが「予定されていた催しが次々とキャンセルになって、閑古鳥が鳴いています」と嘆いていたが、私の場合も、叙勲祝賀会等無期延期した。
 ロイヤルパークホテルや椿山荘は、「当然のことです」と文句一ついわなかったが、逆に私の方が申し訳なさで一杯だった。

 被災者のことを思えば自粛は当然のことと思う。しかし、一方でなんだか日本中が喪に服しているようで、こうした状況をいつまでも続けていいのだろうかと、不安や疑問を感じ始めている。
 日本の景気は、この2月頃から、ようやく足踏み状態から脱しつつあった。2008年のリーマンショック以来、政府の景気刺激策や新興国の成長があったからだ。
 特に自動車生産が持ち直したことなどの背景もあった。
 しかし、その矢先の大震災である。この地方は、部品メーカーが多いために、供給がストップし、自動車産業や電機メーカーを直撃し、生産停止に追い込まれてしまった。
 計画停電は日常の暮らしだけでなく、各産業に次第に悪影響を与えはじめている。
 その上、原子力発電所で放射能漏れが続き、野菜など農作物はじめ、魚介類への汚染が心配され、これに風評被害も加わった。
 海外の日本離れも目立っている。

 住宅の崩壊や道路、港などインフラは壊滅状態で、それらの経済損失は、直接的被害だけでも16兆円から25兆円と試算されている。
 阪神淡路大震災では約10兆円といわれたが、今回の大災害は、日本経済の土台を揺さぶる程の大きなものであった。不幸な状況がまるで連鎖反応のように日本全土に広がっている。

 復興のために、一体どのような手段を講じたらいいのか、肝心の政府が暗中模索状況でなんとも情けない。
 復興費用の捻出に、早速、増税の声も出ているが、災害下の増税は国民負担を増し、消費の停滞を招いて、良いところは見当たらない。
 経済学者の高橋洋一嘉悦大教授は、「国債20.6兆円のうち、10.9兆円を占める債務償還費を復興費に充てよ」と主張している。確かに、政府は債務償還に借換債で対応しているのだから、当面これを活用することは有効かもしれない。
 財務省は猛反対だが、無利子国債説や日銀に引き受けさせよとの声もある。
 又、100兆円もの外資準備金があるのだから、これを取り崩せば公共事業に回すことも出来ると主張する人もいる。
 いわば日本は非常事態なのだから、ここは考えられる全てを検討し、時には大胆に対応していくことが必要なのではないかと私は思う。

 さて、このような時、我々個々人には何が出来るのだろうか。前にも述べたが、やっぱり全力で働き、消費活動を活発にすることではないか。
 「外食のすすめ」もその一つで、私はそれを今家族と共に実践している。自宅から歩いていける範囲で、決して贅沢ではなく、安くて良い店を探し訪ねているのだ。私にとって、地域を知る絶好の機会でもある。
 ささやかな一人一人の行動が、実は国全体に大きく影響すると思う。
 被災地の方々を憂う心は大切だが、ひたすら自粛自粛で、日本経済をいたずらに冷やし続ければ、結果に於いて彼らを救うことにはならないのではないか。
 日本人の他人を思いやるあたたかい心、本当に素晴らしいが、行き過ぎてはなんにもならない。
 もうそろそろ自粛自粛の暮らしから、抜け出さなければならないのではないか。
 これから選挙を迎える後輩にも、「なんでも自粛、遠慮では選挙にならないよ」と忠告している。人を集ることが大変なら、足を使って廻り、大いに語ればいい。出来れば少人数でも集ってもらって、特に防災について自分の主張を訴えよとも教えている。有権者は、必ず耳を傾けてくれるはずだ。
 逆に、今が安心安全を中心に、身近な地方政治を語る最大のチャンスではないだろうか。
 逆境は発展のチャンスという。一人一人の国民がそう思いで行動すれば、日本復興の兆しは、案外早く来るのではないか、と思っている。

言いたい放題 第152号 「腹の立つときは」

 近頃、どうも腹の立つことが多い。
 例えば、大相撲八百長処理問題だ。今回、実に23人の力士が処分を受け(あと2人追加処分されるようだが)、谷川親方を除いて他の全ての力士が引退届を提出した。
 最初は不満だったが、受け入れなければ退職金が出ないということで応じたようだ。なんだか弱みにつけ込んだような感じで愉快ではない。
 八百長は一体、いつごろから行われていたのか。今回、処分された者以外にはいないのか、今回の処分が本当に公平だったのか、大いに疑問のあるところではないか。
 夏場所は技量審査として、無料で開催すると決めたが、一体これは何を意味するのか、さっぱり分からない。
 そもそも、前にも書いたが、相撲を一般のスポーツと同じものというとらえ方に私は不満を持っている。
 相撲は日本の伝統文化で、スポーツとしての側面の他に、神事、興業、そして娯楽といった色々の要素を持っている。どれかその内の一つを取り出して、こうだと決めつけることはできない。
 金銭がらみの八百長が横行していたことは、社会常識からいって許せるものではないが、犯罪と確定できない、曖昧な部分が多いように思えた。無理に決めつけて処分して、一件落着としたいという思いが見え見えである。
 これだけの大騒ぎになって、まさに相撲の存亡に関わる事態になったのだから、相撲協会は勿論、各部屋の親方衆はじめ力士達は、もう二度とあのような過ちは犯すまいと心に誓っている筈である。私はそう信じている。
 それではあまりに性善説すぎると言われるかもしれない。しかし、厳密にいって、八百長は阿吽の呼吸で決まるもので、だから力士たちを信じる以外にないではないかと私は思っているのだ。
 百歩譲って、仮に金銭が動くようなことがあれば、今やこれほど監視の目が光ってる時代、決して見逃されることはないと思うのだ。

 そもそも、特別調査委員会の調査そのものが、あまり信用出来るものではないと思えてしかたがない。確実な証拠といわれるほんのわずかな携帯電話のメールと、3人の証言以外に、本当に証明出来るものが何かあったのか。
 この委員会は、どうもマスコミや世間のことばかりを気にしすぎていないか。
 私には相撲に対する深い愛情が全く感じられないのだ。大相撲の大改革は、これをこよなく愛する心から始めるべきだと思うのだがどうだろうか。
 私のような純粋なファンから見れば、功を焦って早く罰して、一件落着させようと考えているのではないかと、勘ぐりたくなる。
 こうした事件を再び起こさないために、旧来の悪弊をどう絶ち切り、健全な仕組みや環境をどう作っていこうか、そこをしっかり見極め改良していくことこそ大事だと思っている。
 改善しなければならない点で、いくつか例を挙げれば、まず支度部屋だ。最近では色々の力士が平気で他の部屋に出入りしている。こうした馴れ合いが問題なのだ。他の部屋への勝手な出入りを禁止する、そんな簡単な事すらできていなかったのだ。
 もう一つは、外国人力士があまりに上位を占めているという点だ。幕内力士42人の内、外国人力士は20人もいる。もちろん、日本人力士が弱いことが原因だが、それにしても多すぎて、これでは日本の国技などとは恥ずかしくていえない。
 モンゴル人は12人、ブルガリア、エストニア、ロシア、韓国、中国、ブラジル、グルジア人と、まさに国際色豊かだ。思わず、これでいいのかなと考えてしまうのだが、私だけの思いだろうか。
 取り組み直前、モンゴルの力士が、同国の横綱と楽しげに談笑していたと話題になったが、本来そんなことは許されることではないのだ。
 八百長相撲はプロでも見極めることが難しいといわれている。やっぱり力士一人ひとりの自覚に待つしかないのだが、ならば日常の教育をもっと徹底することだ。
 協会も各部屋も、若い力士をしっかり教育しなければならない。もっともその前に指導者たちの社会教育、人間教育が必要だが・・・。

 相撲協会が決めた、夏場所は無料ということも一体何のためかわからない。
 仮に謝罪の為というなら、誰を対象にしようというのか、無料で招く相手は誰なのか、どういう基準で選ぶのか。これでは見せかけだけの、詫びたふりをしていると言われても返す言葉がないではないか。
 しかも、本場所ではなくて技能審査だという。本来、年六回の本場所はすべて技能審査なのだが、何が言いたいのか益々分からなくなる。これでは娯楽だけの「花ずもう」ではないか。
 表彰も懸賞金も無いという。お茶屋さんからの飲食のサービスもないのだろうが、これではお茶屋さんの商売あがったりで、大丈夫なのかと余計な心配までしたくなる。
 館内に募金箱を置いて、東日本大震災の義捐金を募るというが、ならば有料にしてその収益金をそっくり被災地に送ればいい、なんとも腹立たしい話ではないか。

 腹の立つときは美味しい物を食べて一杯飲むにかぎる。そんな訳で自宅近くの「鮮彩酒膳しげ正」に寄った。家から15分のところだ。
 ここの主人は、台東区で有名な「金太楼鮨」の出身だ。
 そもそも金太楼鮨は私の古くからの応援者である。ポスターを頼むときは本店に持っていけば、20店舗以上ある支店に自主的に貼ってくれる。
 ここの会長はかなり高齢になった今も、毎朝筑地市場に通っている。頑固な人だがそれだけに一度決めたら筋を曲げることはない。
 私は27歳で台東区会議員になったが、カウンターに座って初めてお寿司を食べたのがこの店で、なんだか一人前になったような気分で、得意満面になったことを今でも鮮明に覚えている。今も出前はこの吉野町店に頼んでいるが、おいしくて安い。

 「しげ正」は寿司店と名乗らず、わざわざ「鮮彩酒膳」としているが、それは自分が修行した金太楼鮨店から2k以内のところで出店したからで、寿司店と名乗っては仁義に外れるというわけなのだ。なんとも今どき、律義なことではないか。
 大震災直後、私は区議会議員等と、浅草雷門前で募金活動を行なったが、丁度、目の前にある店に気がついて、あれはどういう店かと石川議員に聞いたことがきっかけであった。
 7年も前から在る店で、「先生のこともよく知ってます」とのことだった。

 店主は堂々たる太鼓腹の人で、感じの良い奥さんと二人で素朴に営んでいる。
 「今日のお奨めの魚は」と聞くと、「石鯛です」と大きな声が返ってきた。
 震災後は高級店にもお客が来ないので、高い魚はあまり買わないようだ。「それで普段の半値になっているのです」と、どこまでも正直者なのだ。
 自慢の「おまかせ寿司」は1800円、種もいいし握りもしっかりしている。
 店名のように寿司だけではなく、何でもアリで、厚揚げ500円、えびなどのグラタン各550円、ハッスル納豆800円・・・。連れて行った孫たちは大喜びで、おじいちゃんの株が一段と上がったことは言うまでもない。

 腹の立つときは、やっぱり食べて飲むに限る。支払いも安かったので、帰りはご機嫌であった。

 鮮彩酒膳 しげ正
  店主 下重 正法
  東京都台東区雷門2-17-13
  電話:03-3842-9888

言いたい放題 第153号 「原発でセールス外交?」

 わざわざ書くこともないとは思ったのだが、やっぱりこれは看過できないことだからと奨める人がいたので、少し触れることにする。
 4月5日付の台東区民新聞に、民主党某代議士が「春の集い」を催したという記事が載っていた。その中で、「菅政権でうまくいっているのはトップセールスで、ロンドンで新幹線、トルコで(記事のまま)原発の売り込みを行い、成果を挙げた」と自慢したというのである。
 総理大臣のセールス外交を見習い、「自分も10ヶ国を回ってセールスに出かけた」とその代議士は強調したのだが、その中で、なんと、今、大問題になっている原子力発電も売り込んできたというのだ。
 
 そういえば去年の日刊ゲンダイにこんな記事が載っていた。 
「10月末、鳩山さんは首相の時代から原発や新幹線の海外売り込みをやっていたので、ASEAN首能会議が開かれる前に、一議員として自発的にベトナムを訪問し、菅さんの為に地ならしをしようとした。ところがそれを察知した菅さんは、松本剛明外務副大臣(現大臣)を鳩山さんに同行させ、「鳩山さんに手柄を取らせるな。目立たせるな」と監視役を命じた。
 鳩山さんは好意で政権に協力したのに、菅さんの嫌がらせにブチ切れした」
実につまらない話だが、いずれにしても原発売り込みに熱心であったことは間違いない。

 この大会は3月8日に開かれたものだが、その3日後に東日本大震災が起こり、原子力発電所の爆発、放射能漏れという最大の恐怖、最悪の危機が日本全土を覆うのだ。
 この日本の大惨状はたちまち世界中に伝わり、日本に対する危惧の念が広まっている。しかも危険な状態は、今も少しも変わらず、日本及び世界中の人々が不安に怯えている。
 いくら大惨事の前とはいえ、「日本の技術、能力を誇示し、立派にセールスしてきました」とはよく言えたものだと、まさに開いた口が塞がらないとはこのことだと思った。
 民主党の不見識ぶり、民主党議員の無責任ぶりにはあきれるが、これは笑ってすごせるような話ではないのだ。
 その後、民主党政府からも、この議員からも、反省の弁や訂正の言葉は聞こえてこない。知らぬふりを極めこむ心算なのだろうが、断じて許されることではない。
 一体、世の中の人はこうした姿を知っているのだろうか。なんだか歯がゆくてたまらない。

 食べある記
歯がゆくてイライラする時は、やっぱり食べに行くに限ると、4月9日、家族で銀座二丁目のメルサ四階にある「ドウエ・アンジェリー」という小粋なイタリアレストランに行った。景気回復の為の「外食の薦め」でもある。
 銀座ぶらり歩きやショッピングの折にちょっと寄りたい店である。

 ここの経営者は、林章さんという私の長年来の応援者である。林一家とは家族ぐるみのお付き合いで、もう四十年も続いている。
 上野駅前、あの西郷さんの銅像の下に「上野百貨店」があった。(いま再建のために建築がはじまっている)。
 第二次大戦で日本が敗戦を迎えた頃、この辺りは露天商が集まっていて、大層賑わっていた。その人々が再整備のために、東京都の協力を得て建てたのが上野百貨店である。
 林さんは、その地下1階フロアーをすべて使ってレストランを営んでいた。他にも手広く各所に飲食店を経営していて、なかなか羽振りのいい紳士であった。
 颯爽とBMWを乗り回し、ゴルフはシングルの腕前だった。
 当時、私は東京都会議員になりたての頃で、初めてゴルフを教えてくれたのはこの林さんである。もっともゴルフはちっとも上達しないで、それは今も変わりがない。私の紹介欄には「スポーツ万能、ただしゴルフを除く」と書いてある。
 彼は、その頃としては珍しく箱根に別荘を持っていて、私達家族をよく招いてくれた。
 愛妻家で子煩悩、いつも皆一緒で、私たちにとっても忘れられない思い出が沢山のこっている。
 老後は、好きな車とゴルフ三昧の日々を送るのだと、口癖のように言っていた。
 ところが、ちょうどバブルがはじけた頃、突然病に倒れ,一時は再起不能といわれるような状況になってしまった。人生とはいつどんなことが起きるかわからないものだ。
 幸い、この頃は大分回復して、自宅で孫の面倒をみてすごせるようになった
 なんでもご主人任せといった、お嬢さん育ちの奥さんは、林さんが倒れると、ご子息と一緒にレストランを切り盛りして気丈に働くようになった。
 そのイタリアンレストランが「ドウエ・アンジェリー」なのである。
 銀座という一等地だけに、ここの洒落た雰囲気が特に若い女性に人気があるようで、昼間の客が多い。
 パスタランチ1200円 (サラダ、パン、コーヒー付)、ピザセット1200円(同じ)。
 5時から10時半までがディナータイムで、パスタ―コース(2500円)は、前菜二品・パスタ・ドルチェ・コーヒー。コース料理は前菜二品・スープ又はハーフパスタ―・魚又は肉料理・ドルチェ・コーヒーまたは紅茶。
 一品料理は種類も豊富でシェフ自慢、確かに美味しい。  
 このほか宴会は大皿料理で3500円、これに1500円足すと飲み放題となる。
 飲み物は何でもアリで、特にワインはいろいろ取り揃えていて、値段も決して高くない。
 カジュアルで、全面ガラス張りの店内は明るく開放感があった。
 帰りは、やっぱり銀ブラだ。ようやく春めいていて頬をすぎる風が心地よかった。


ドウエ/アンジェリー
中央区銀座2-7-18 メルサ4階 tel 3861-2727

言いたい放題 第154号 「石原知事4選圧勝」

 大震災から1ヶ月経っているのに、余震は続くし、原発の危機感は広がるし、死者行方不明者も益々増加するなど、日本にとって最悪の状況だ。
 そんな中、知事選挙はじめ、地方選挙の第一陣が終った。
 私が支えた石原慎太郎知事は、予定通り圧勝、大差の4選を果たし、まずまずと思っている。
 石原氏が、美濃部氏と知事選を戦ったのは、なんと今から36年も前のことだが、今その頃を懐かしく思い返し、時の流れの速さに改めて驚いている。
 あの選挙で、衆議院議員1年生の私は、遊説の責任者で、39歳の青年であった。石原氏は42歳だ。2人とも、本当に若かったなと感慨深い。
 今は亡き石原裕次郎氏と大親友になったのも、その時である。
 当時の石原兄弟の人気は超がつく程で、どこに行っても人で埋まり、本当にビックリしたものだが、それでも美濃部知事は更に大きな人気で、どうやっても勝てなかった。
 今回は、現職知事として、東日本大震災への対応で追われ、一切の選挙運動をせず、公務に専念した。
 むしろ、その姿に、都民の信頼が集ったに違いない。
 福島原発で大活躍したハイパーレスキュー隊員達を前に、「君たちの家族のことを思うと申し訳なくて・・・」と絶句して涙を流したが、どちらかというと強気ばかりが目立つ石原知事の意外に優しい一面が垣間見られ、これも評判になった。
 出口調査では、3期12年の石原都政に評価するが77%と8割近くも占めた。
 防災、危機管理を重視する人の過半数は石原支持で、これは当然のことだが、力を入れて欲しい施策は「景気、雇用」が46%、「医療・福祉」が23%、これに防災が続き、8%の「教育」だった。今後の都政はこの声をしっかり受け止め、更に力強く前進してもらいたいものだ。
 破れた東国原氏や渡辺氏らは、震災で戦略が狂ったとか、石原氏の再出馬でシナリオが崩れたとか弁解していたが、これは「引かれ者の小唄」で、負け惜しみに過ぎない。
 私から言わせれば、よく100万票以上も得られたものだと、そちらの方が不思議だ。

 全国の県議選では、わが党はまずまずだが、民主党の敗北が目立っている。去年の参議院選での敗北以降歯止めがきかず、民主党の全候補者のうち4割も落選している。
 指導力の無い民主党政権への失望は大きく、もはや菅政権の退陣を求める声が圧倒的だということだ。
 対決した3知事選で、民主党は全敗。特に、岡田幹事長の地元三重県での敗北は、政権へのNOの宣告だ。
 大震災で、かろうじて首がつながっている菅首相だが、このまま、延命が続くのでは、本当に日本の将来は危ない。

 さて、いよいよ17日から、区長、区議選挙が始まる。
 沢山の同志を抱えているから、選挙応援に明け暮れる日々となる。大変だが、やり甲斐がある。そして一方で大勢の応援者に久しぶりに会える訳で、これは特に嬉しいことだ。
 みんないい連中だから、なんとか全員当選して欲しい。
 今日も、11ヶ所での事務所開きや演説会に呼ばれている。かなりハードなスケジュールだが、今の私は気力体力共に充実していて絶好調だ。さぁ、頑張るぞと張り切っている。

言いたい放題 第155号 「退を好む」

 小沢一郎氏が倒閣運動を再開したという。菅氏の地震や原発に対する対応は、あまりにお粗末すぎて話にならないが、だからといって、政治とカネの問題で党員資格停止となっている立場で、何を今更という感がする。
 彼はまさに被災地の岩手出身だから、特に地元向けもあって強気の発言になっているようだが、地震発生以来御本人は、東京に息を潜めるように止っていて、地元に帰ったのは一日だけ、しかも被災者を直接慰問することもなかった。
 一体、何を考えているのかわからない。
 小沢氏は、1993年6月、宮沢内閣を倒閣に追い込んだことを例にあげて、若手議員らに内閣不信任案の提出と可決を煽ったと記事に出ている。
 この宮沢おろしは、私も実体験しているだけに、あの時の小沢氏ら一部自民党議員の造反行動を思い起し、腹立たしいかぎりである。
 野党が提出した内閣不信任案に、小沢氏らが造反して賛成し、解散選挙に追い込んだ。その選挙で自民党は敗北して下野し、細川政権誕生となった。
 その後、私は予算委員会筆頭理事として、細川政権を倒し、続く羽田政権も2ヶ月で倒したが、その間の苦労は並大抵のものではなかった。
 時が移り変わって、今度は民主党政権となったが、又、同じことをやろうとする。まさに「壊し屋」と異名をとった小沢氏ならではのことである。
 菅総理をこれ以上、政権の座に居続けさせることは、日本の国の為に絶対に良くないことで、一刻も早い退陣を求めなければならない。しかし、こうした世論を背景に、又、しゃしゃり出て、小沢氏が旗を振ったら、かえって物事が進まなくなると思うのだ。

 それにしても菅首相は、なんと軽々しい発言を続けるのか。それも、彼と会った関係者がより軽薄で、ベラベラ喋りまくっては問題になっている。
 4月13日、東日本大震災で意見交換した松本健一内閣官房参与とやらが、「首相が周囲30キロ以上のところも10年、20年人は住めないことになる。再び住み続けることは不可能だ」と話したことを記者団に語ったのだ。
 菅首相は、「私が言ったわけではありません」と発言を否定し、松本氏は、「あれは私の推測だ」と釈明しているが、一体どういうことか、今、現在、移住させている地元民のことを少しも考えていない、彼らに与えたショックを考えると、断じて許せないことである。
 前にも書いたが、震災後、「最悪の事態になったときは東日本が潰れる」と、首相が語ったと笹森清内閣特別顧問が明かして大問題になったこともある。
 労働組合の親玉をいつ特別顧問にしたのか知らないが、参与やら何やら、やたらと首相周辺に訳のわからぬ肩書きの連中が増えている。
 首相によほど自信が無い故なのか、彼らの軽挙妄動を見ると、こんな軽輩をつかっているようでは、危なくて見ていられないとつくづく思う。
 又、菅首相は対策会議や対策本部など次々に立ち上げている。知識人を集めれば事が足りると思っているのかも知れぬ。
 しかし、私なら優秀な官僚達を中心に、各省の精鋭で事に当たるべきと思っている。どうも政治主導にこだわって、せっかくの知識と能力のある官僚をしりぞけている。これは、全くもったいない話だ。ついこの間まで、日本の官僚は世界一といわれていたのに、と残念でならない。だいいち会議の数ばかり増やして、かえって何事もまとまらないという悲劇的状況になっている。
 要は、菅首相は人を見る目がない。人を動かす力がない。つまりはリーダーとしての器量がないのだ。

 細川元総理が、いみじくも語っているが、「リーダーの資質で最も大事なことは、宋の「名臣言行録」にあるように「退を好む」ということで、ポストにいつまでも固執するような人には、この国の大事は任せられない。」ということだ。
 細川氏を8ヶ月で退陣させた私としては、少し胸が痛むが、これは正論で、菅首相はこの言葉を拳々服膺しなければならないと思っている。

言いたい放題 第156号 「地方選挙で勝ちたい」

 4月17日、いよいよ地方統一地方選挙の本番で、区長、区議選挙が始まった。
 台東、文京、中央3区の区長を含め35人を応援し、その上、他区の候補者も支援するのだから大変だ。
 初日の出陣式、朝9時からスタートして、計16ヶ所で演説を行った。
 久しぶりの選挙活動だが、体調も良く、精力的に飛び回れて、まだまだ若さは充分、気力も100点と思った。これで解散とでもなれば「さぁ来い」でやれるのにと、そこが残念でならない。
 東日本大震災について、今や、菅政権は全く対応能力無しで、あきれる程の迷走ぶりだが、かといってこの時期、世間の思いも考えれば解散選挙などとても出来ない。菅首相の悪運ぶりを嘆くしかない。
 ならば、この地方選挙で大勝利を導き出せばいいのだが、選挙となるとそう簡単な話ではない。
 なによりも悩みは台東区長選挙で、今回立候補した保坂さんぞう君と現職の2人は、共に、私の下で働いて来た人なのだ。相方、手を挙げて譲らないので、苦肉の策として、自民党台東支部で、党員党友の投票による予備選挙を行った。
 勝った保坂君を推薦候補と決めたのだが、もう一方がそれでも出馬するとなってしまったのだ。
 勿論、自民党支部で正式に決めたことだから、私の場合、ここは情に流されることなく、保坂君を勝たせるために、全力を挙げるのは当り前のことだ。
 「親分」だかなんだかわからないが、上に立つ者の当然の苦労なのかも知れないが悩ましい。
 一部、応援者で流れる人も居るが、「終ったら、また仲良くやりましょう」と、そこはしっかり話し合っている。

 保坂君の場合、私の元で区議選挙に出馬したのだが、以来、もう40年も経過している。
 都議を経て参議院議員になったのだが、先の選挙で、東京選挙区と全国区で2度破れた。そこで最後の人生を、原点に戻って台東区長として尽くしたいとなったのだ。
 色々な批判もあるが、ここは素直に彼の思いを信じて、支えてあげたいと考えている。
 「漁夫の利」で、民主党の候補に勝たれては、という声もあるが、いくら何でも、今の民主党の為体(ていたらく)ぶりを見ながら、しかも、未熟な候補者を、わざわざ選ぶとは思えない。
 もっとも、予期せぬ事が選挙ではしばしば起こるから、ここは決して油断は出来ないと心に誓っている。

 13人の区議候補の出陣式に出たが、やっぱり現職を中心に強いと思われる人の集まりは格段に良い。
 日常の努力が、こうなったとき生きてくるという感じである。
 前回勝ったからといって、今度も大丈夫という保証はないのだから、皆必死だ。
 贔屓目で見る訳ではないが、常に私の為に働いてくれる人ほど、集りも力強い感じがする。自分のために働くことは当然で、誰も褒めてくれないが、他人のために努力する姿は、多くの人から好感が持たれるということではないか。

 私の選挙区から今度は新人が9名出馬したが、その内6名が自民党政経塾の卒業生である。
 私が塾長として始めてからもう6年目だが、今年も、圧倒的多数の応募者で、定員100名を超え170名の入塾者となった。
 すでに、全国で、80名以上の地方政治家を輩出しているが、今回もかなりの当選者が期待される。
 自民党最悪の状況の中、政経塾生徒が全国で気を吐く姿はうれしい。
 人材を育てる為に一層、努力の決意だが、さて、私の選挙区で、どんな答えが出るのか心配は尽きない。
 ともかく、この1週間、全力で応援を続けようと思う。
 あなたの御理解、ご協力を切望してやまない所以である。

言いたい放題 第157号 「私の応援演説」

 地方選挙が始まって、各候補者は懸命に有権者に呼びかけている。彼等の元へ出かけて応援する私も、往時のことを想いうかべて次第に熱が上がってくる。
 私が初めて台東区から区議会議員に立候補したのは二十七才の時であった。まだ独身だったが、その時手伝ってくれたのが女房で、結婚したのは翌年のことであった。
 あれから、実に四十八年の年月が流れた。振り返ればうたかたの夢のようだ。
荒川区と道一本隔てた浅草の北のはずれ,日本提の町内で、今も婦人部長を務める西岡さんが、無償で提供してくれた事務所から、毎朝、宣伝カーに乗って出発する。二階の窓から乗り出すようにして必ず手を振って送ってくれたのが彼女である。
 今でも、私が家を出る時、女房は玄関で手をふってくれるが、そんな仕草を見て、あの頃をふっと思い出したりしている。長い年月、選挙選挙の明け暮れで、女房にとっては苦労の尽きない日々だったと思う。
各候補者の奥さん達も、同じように亭主の為に涙ぐましい努力を続けている。彼女たちの為にも是非勝ち抜いて欲しいと強く願っている。

 今度の選挙で、みんなが戸迷っているのが東日本大震災との兼ね合いである。現地で塗炭の苦労をされている人々のことを思うと、選挙運動も自粛しなければと考えてしまうのだ。
 会の始まりには、被災地で亡くなった方々のご冥福を祈って黙とうを捧げている候補者もいる。宣伝カーの音量を極端に下げている人もいる。それは立派な心遣いだと思う。そうした優しい配慮こそ政治家として必要なことだとも考える。
 しかし、今は自分の人生を賭けて戦っている時だ。自粛自粛で肝心の選挙で負けたのでは話にならない。
 被災者への深い思いやりを持ちつつも、何よりもここは断じて勝つことを考えて、出来る限りの運動を展開せよと私は叱咤激励している。
 政治家は選挙で勝ってバッチをつけて、初めて仕事ができるのだ。今、無冠の私は無念の思いを込めて彼等に檄を飛ばしているところである。

 私の応援演説は、もっぱら私が実体験した阪神淡路の大震災での思いを語ることを中心にしている。
大震災の後、私は自治大臣と国家公安委員長という二つの大臣を拝命した。まさにこの地を復興させ、同時に、今後の日本の安心安全をどう確立させるかという大きな役目を担ったのである。全力を挙げて働き成果も上げたと自負している。
 だから、おそらく私ほど、大震災の前後の現実を体験した政治家は少ないのではないだろうか。

 大臣時代、私がまず手掛けたのは、どこかで大惨事がおこった時、全国的に協力応援が出来るような新たな体制を作ることであった。
 緊急消防援助隊がそれである。
 当時の秋本消防庁長官と組んで、晴海で第一回大訓練を実施したのもこの時で、天皇陛下のご臨席もいただいた。
 寒風吹きすさぶ日だったが、「コートをお召ください」と何度も陛下に申し上げても、それをお断りになり、端然として身動ぎもなされなかった。忘れることのできない尊い思い出である。
 今回の東日本大震災にあたって、全国からかの地へ緊急消防援助隊が続々と駆け付けて大活躍をしいるが、あの頃を思い出し感慨無量であった。そして、その延長線で翌年に誕生したのが福島第一原発で大きな話題となったハイパーレスキュー隊であった。  
 過日、消防学校で行われたこの隊員達の報告会で、選挙前の石原知事が「貴方たちのご家族のことを思うと、申し訳なくて・・・」と絶句したが、その話を聞いて私は泣いたものだ。
大臣として私は「消防対策1兆円構想」を打ち出した。当時としては大きな予算だと話題になったが、今思えばまだまだスケールが小さいと恥ずかしくもある。

 阪神淡路の災害現場で本当によく活躍したのは、優れた市会議員たちであった。
 彼らは普段から地域の為にこまめに働いてきた。そして何よりも地域のことに精通している。どこにどんな老人が住んでいるのか、どこに病人がいるのか、一番知っている。
 だから災害が起こったとき、彼らは猛然と、そして果敢に人々の救済に取り組むことができたのである。
 混乱状態の時、もっとも大事なことは正しい情報を的確につかみ、正確に伝えることである。こうした面でも彼らの動きは目覚ましいものであった。
 救援物資の調達から瓦礫の排除まで、市や県と連絡を取りスムースにすすめた。
 彼らがいなかったら、もっと悲惨な状態が続いたに違いない。

 今、東京も決して安全ではないと言われている。直下型の地震でも起こったら一体どうなるのか。多くの人たちが不安を抱いている。
 このような状況の中、いざという時、頼りになる区議会議員が近くに居るかいないかは地域住民にとって重大なことである。 
 「君は頼れる議員になれ、君ならなれる」と私は同志の候補者に何度も強く言っている。災害が起こったとき、区会議員、区長の連携プレーは特に大事だ。
 こうしたことを有権者も是非考えてもらいたい、知って欲しいのだ。
 「自民党が責任を持って公認、推薦した候補者にどうか力一杯のご支援を願いたい」と、ここ当分、熱っぽく訴え続けるつもりである。

言いたい放題 第158号 「心身ともに元気いっぱい」

 朝八時から選対会議を開いたり、日中は何人かの候補者と四時間以上徒歩で遊説を続けたり、夜は少なくても五か所は演説会場を回って熱弁をふるっている。
 自分の選挙でもないのにと、ふっと空しくなる時もあるが、今は人を支え一人前にすることが私のお役目、ともかく、精一杯頑張るのみと思っている。
 ただ、嬉しいことは、どこへ行っても古い応援者もふくめ、大勢の人達が私の手を握って、懐かしがり喜んでくれる。やっぱり私は果報者だとしみじみ思った
「今、先生が国会に居たら、災害対策などに取り組んで縦横無尽に活躍してくれるのに」と惜しがってくれる。そう言われれば言われるほど無冠の身が辛かった。
 確かにこの国家存亡の危機に当たって、菅民主党政権では国民も、ましてや被災者は救われない。

 四月二十二日、午前〇時をもって、政府は福島第一原発20k圏内を封鎖した。
 これは災害対策基本法に基づいて「警戒区域」と設定したもので、この区域には住民も含めて、原則として立ち入りが禁止される。(通常は市町村の判断で決めるが、原子力災害では国が市町村に指示できる。)
立ち入り禁止だけではなく、残っている人も退去しなければ十万円以下の罰金や拘留が科されることもある。
 住民にとっては、一体、いつ帰れるのか、その不安は深刻で、まさに死活問題である。
 政府は一応、この秋から来年初めにかけてをメドにしているというが、これは東京電力が発表した事故収束の工程表に基づいての判断である。しかし、工程表そのものがあまり信用出来ないといわれているのだから、かなり曖昧だと思われる。
 原発事故が収束した後も、土壌や地下水の汚染の問題は残るし、それによる農業や畜産への影響ははかりしれない。
 被災者や被災地への損害賠償は、一義的には東京電力にあることは当然だが、それだけの能力があるとはとても思えない。移転費用から休業補償まで、いわば被災者の全生活にたいする補償になるのだから、国が相当肩入れをしなければおさまらない。
 こうしたかなりの国の財政負担を、きちっと調達する能力が菅首相に、そして民主党政権にあるのか、今までの経緯を見て、とても出来無い相談だと思えてならない。
 菅首相は二十一日、福島県を視察した。現場の光景がテレビに映し出されていたが、被災者から怨嗟の声が起こって、立ち往生といった状況だった。
 少し気の毒ではあったが、住民の激しい怒りの声なのだから仕方がない。

 私は、かって阪神淡路大震災の後の再建担当大臣であった。自治大臣兼国家公安委員長として、かの地に視察に訪れたが、感謝されることはあっても、菅首相のように激しい批判の声に晒されるなどということは皆無であった。当時の自民党政権の対応が迅速適切であったからである。
 現政権の対応のひどさは目を覆いたくなるほどで、ほとんど後手後手で、しかも弁解ばかりが続いた。その度に被災者はキリキリ舞いさせられた。
 いままさに日本は存亡の危機に晒されている。
 ただ政権の座にしがみつこうとするのではなく、己を捨てて人生を賭けて、この国を救うために努力せよと声を大にして訴えたい心境である。

 さて、選挙の状況、特に区長選挙の行方はどうなのか。
 台東区の保坂さんぞう君が、私の見るところようやく頭一つ抜けたように思う。決して贔屓目だけではなく世論調査の結果にもでている。
 意外、というより当然かもしれないが、民主党の候補者は調査ではすでに脱落しているようだ。無能な民主党の姿と、今時流行らない二世など、あまりに僭越なことで、区民はしっかり冷静にみているということか。
 ただし、選挙だけは投票箱の閉まるまでは分らないものだから、油断大敵だ。
 あと一息で何とかなると思うので、自民党区議候補との連携プレーを一層強化して、きちっとした答えを出したいと選挙対策総本部長としての私は必死である。
 みんなを必ず勝たせて立派な区政を作り上げようと、私の心は候補者以上に燃えている。
心身とも万全、疲れを知らない。

 わずかな時間を縫って、このホームページを仕上げて、さあ、また元気いっぱい町に飛び出していく・・・・・・。

言いたい放題 第159号 「眠れない夜」

 四月二十四日 快晴
 昨日の選挙最終日は、あんなに悪天候だったのに、なんと気持ちの良いさわやかな朝だろうか。今、七時、私はパソコンを打っている。きっと良い結果が出ると期待しながら。

 この一週間、台東区、文京区、中央区と随分駆けずり回った。区長、区議会議員候補の仲間たちをなんとか勝たせたいとの一念からだ。
 自分の気力体力共に、こんなに強固だとは思わなかった、と言えるぐらいの勢いだった。
 候補者の要請にこたえて、ほとんど彼等以上に飛び回り、熱弁を繰り広げた。
 嬉しいことに、どこへ行っても「深谷骼iが参りました」といえば、必ず手を振り「貴方こそ頑張って」と言ってくれる。
 前回の衆議院選挙の時も、自分で言うのも変だが、間違いなく大変な人気で、これなら勝てると思ったものだ。事実、十万票獲得すれば当選と言われていて、ほとんどそれに近い票を得たのに惜敗した。いわゆる民主党政権交代ブームの波に流されてしまったのだ。
 しかし、今の様子は明らかに違う。民主党政権が現実のものになったら、まるでイメージが異なり、まったく政治的能力が無く、このままでは日本の将来が危ういと誰もが思うようになってきているからだ。だから「深谷さん、もう一度頑張って」という雰囲気なのである。
 夜の演説会に行っても同じで、いろんな人が懐かしがって、何か言う度に拍手を送ってくれる。有難いやら嬉しいやら、心楽しい日々であった。
 
「今なら絶対勝てますね」と、一日中同行してくれている桑原君も言う。私も「早く選挙にならないか」なと満更ではない心境になってくる。
 だが、残念ながら当分選挙にはならない。

 なにしろ、東日本大震災が起こってこれだけ大問題になっているのに、菅民主党政権の無能無策から再建の見通しがまったく立っていない、それどころか今、救いを求めている人たちさえ助けることが出来ない有様なのだ。
 昨日、地元の玉姫神社で行われた「靴のコンコン市」で、民主党の代議士が挨拶の最後に「がんばれ東北」と突然大声を張り上げた。この人はあの宇宙人と言われた鳩山前総理の自称一の子分で、軽井沢で小沢一郎氏を迎えた時、「気合いだ、気合いだ」と叫んで失笑をかった人物だ。テレビで散々嫌われたかの公益社団法人(ACジャパン)の広告ではあるまいし、そんな軽々し言葉だけでかの地を救える筈もないのにと白々しい思いであった。
 いずれにしてもこの程度のレベルの政党だから、東日本大地震からの復興はなかなか容易ではない。原子力発電所の問題も一進一退でメドがたたない。民主党では駄目だといまや皆が分かってきたのだ。
 いずれにせよ、大震災の緒問題がある程度まで解決の見通しがつかないうちは、とても選挙どころではないのである。
 
 かくなる上は、ともかくわが同志を確実に当選させ、自民党の再生を確かなものにするしかない。まずは自分の足元から、しっかりした自民党の土台をつくろう、そんな思いに駆られて、一層張り切ったのだ。

 いよいよ、その選挙も昨日で終わった。
 それにしても、最終日は朝から格別慌ただしかった。しかも一日中激しい雨が降ったり止んだりだ。もともと私は「晴れ男」と言われてきたのだが、さすがにこの日は何度か雨に濡れた。まさに、なりふり構わずといった風情ですべての日程をこなしたのだった。
 全部の日程を終えて、八時半、久しぶりに自宅で家族と遅い夕食となった。孫たちもそろって待っていてくれて、一緒にささやかな宴となった。桑原君差し入れのオーパス・ワンの赤ワインの美味しいこと、やっぱり、家族一緒が何よりで、至福の時とはこういうことを言うのだと、しみじみ思った。

 もっとも選挙戦は終わったものの、まだ勝負は終わったわけではない。今日の投票の結果如何でどのように変化するかわからないのだ。
 二十七歳で区議会議員に当選以来、私は実に四十八年この世界で生きてきた。だから選挙の怖さを知っている。選挙は投票箱の閉まるまで終わってはいないのだ。
 各候補者に、「最後の最後まで気を抜くな,今日一杯は緊張してやるべきことは全てやれ」と檄を飛ばした。

 即日開票だが、全てが分かるのは夜中になる。今夜は眠れない夜になりそうだ。
 「どうか神様、みんなが当選しますように、お力を貸してください。」
 まさに「人事を尽くして天命を待つ」心境ではあるが、やっぱりそう祈らずにはいられなかった。

言いたい放題 第160号 「戦い済んで」

 地方選挙がすべて終わった
 私にとって、この結果はどうだったのか。
 少なくとも勝った負けたとは無関係、とは言わないまでも、ややそれに近い心境で、むしろ、ああ終わったなという感覚である。

 一番問題であったのは台東区の区長選挙であった。
 参議院選挙で二度敗れた保坂三蔵君から、突然、区長選挙に出馬したいといわれたのは昨年のことであった。
 当初はあまりに意外な申し出に、「それは無理だよ」といったものだ。
 なにしろ、現職区長に吉住弘君がいるではないか。しかも、彼の選挙で二度も私は選挙対策総本部長を務めている。いわば私が全責任を負って勝たせた区長なのである。
 保坂君は四十年前、私の下から区議会議員になり、今日まで深谷系議員を名乗ってきた。
 今回の選挙で、私にとって二人の直属の後輩が共に出馬して戦うというわけで、正直、困惑、迷惑といった思いであった。
 しかし、いずれか一人に絞らないわけにはいかない。散々逡巡した後、服部征夫都議会議員(自民党台東支部長)と相談して、やや苦肉の策だが、台東区の自民党党員党友による予備選挙を行うことにした。
 その結果、勝った保坂君を自民党推薦候補と決めたのだ。
 前半の地方選挙で九人の現職の知事候補が全員当選している。首長選挙で現職が強いというのは常識だが、決めた以上は「最大の努力はつくす」というのが私の生き方だから精一杯働いた。
 結果は吉住君の大勝となった。
 私にとって本当の相手は民主党である。民主党代議士の子息中山候補は一万五千票にも及ばず、二度目の落選となった。これは明らかな自民党の勝利である。
 私が応援した文京区の成沢広修氏、中央区の矢田美英氏は、ともに大量得票で当選した。 
 そんなわけで、私にとって勝った負けたは無関係と冒頭に書いたのである。

 区議会選挙は、わが陣営の圧勝といったところだ。
 台東区の場合、私の決断で出馬させた新人の鈴木純君が、なんと予想を超えてトップ当選、さらに望月元美君も入った。現職の議員も全員議席を守ってくれた。
 文京区では前回次点で泣いた森守君が初当選し、他の現職議員で区議会第一党を守った。
 中央区では、私が塾長の政経塾の愛弟子、瓜生正高君が上位で当選、これに新人富永一君、染谷真人君も加わり、現職議員十人で圧倒的な勝利で自民党王国を堅持した。
 三区とも即日開票だが、発表が遅れてすべて決まったのは夜中の十二時、当選した何人かの連中が深夜、私の自宅に訪れてくれた。一緒に杯を上げたことはいうまでもない。
 このパソコンは、朝六時から打ち出した。だからあまり寝ていない。
 そんな時、なんと吉住区長や松田後援会長からお礼の電話が入った。全く自然な感謝の言葉が嬉しかった「しっかり頑張って、良い区長になってください」と、私も心から言った。

 この道に入って四十八年、自分だけでなく他の人の応援も含めて、何回選挙をやってきたことか。そしていつも思うことは、選挙とはなんと難しいものかということである。
 日常活動と無関係、とまでは言わないが、議会で、あるいは地元でどんなに一生懸命働いても必ず勝つというわけではない。優れた人物だから選挙に強いというわけでもない。
 今度の選挙で、「みんなの党」から何人か初出馬したがほとんどが当選だ。はっきりいって地元に縁もゆかりもない人なのに、である。
 これが国政選挙となるともっとひどくて、時の政権党の人気不人気で、あるいはその領袖の人気如何で一気に風向きが変わってしまう。
 本来は、もっと候補者自身の政治活動や人物評価の延長線上に、選挙というものがあっていいのではないかと思うのだが…。真剣に努力した者、優れた人材が勝つというのでなければおかしい。

 この一週間、夢中になって三区を駆けづり回った。必死に応援して声を枯らした。何事にも本気で取り組み、どんな時でも決して手を抜かない、それが私の生き方だ。だから満足できる日々ではあった。
 しかし、「戦い済んで日が暮れて…」という古い歌ではないが、今、何とも言えない寂寥感が胸を覆い始めている。
 いつものことだ。

 そんな時、私を確かに支えてくれるのは家族である。私と一緒に一喜一憂してくれる。そんな妻や子や孫の存在が、私の心の支え、私の人生だとしみじみ思っている。
 さて明日から、どんな暮らしとなるのか。
 自民党政経塾は、六年目を迎えたが、今度も百人の定員をはるかに超え百七十人も集まっているという。
 まだまだ私を待っている人達がいる。さあ、元気で頑張ろう、思わず声を上げて立ち上がるのであった。

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