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言いたい放題 第131号 「再び親友との別れ」

 2月1日、第5期TOKYO自民党政経塾最後の講義を終えて帰宅中、車内の私の携帯電話が鳴った。
 「山田・・・が今日亡くなりました。」少し慌てている様子の女性の声だが、よく聞き取れない。何度も繰り返し聞いたが、あまり分からない。これ以上は失礼なので、「通夜や告別式の日程を自宅にファックスして下さい」だけ言って切った。
 はて、一体誰なのか。応援者の顔のあれこれを思い巡らすのだが、思い当たらない。
 そのうち、確か75歳と言ったことと、私の携帯電話を知っていることから、はっとした。「私の親友の山田忠男君かも知れない。いや、そんなことがあるはずがない」、と心の中で即座に否定した。ついこの間、会ったばかりだから・・・。
 帰宅して、女房に伝えたが、やっぱり否定的だ。
 どうも落ち着かないので、吉岡宏君に電話すると、彼も笑って「そんな馬鹿な」と受け付けない。
 「ともかく、君からそれとなく山田君に電話してくれ」と頼んだ。待つ時間がむやみに長くて、イライラしていた。
 吉岡君の返事は、「間違いない」とのことであった。「そんな・・・」私はしばらくは思考が停止状態で、声も出なかった。

 前にも書いたが、私は仕事柄、知人は非常に多い。しかし、学生時代の親友はといえば、これが意外に少なくて、早大時代から親しく交際してしてきたのは、名古屋の牛嶋君、東京の水野、神谷君の3人ぐらいであった。
 近年、その3人とも立て続けに早逝した。その度に心細くなって、高校時代からの2人の親友、山田忠男君と吉岡宏君を呼び出し飲んだものである。
 昨年12月4日、吉岡君の自宅に招かれ、山田君夫妻と私ら夫婦6人でカキ鍋に舌鼓を打ち、話がはずんだ。
 「親友は良いもんだ、この会を定例会にしよう」となって、その月の20日、今度は私が赤坂のジパングに呼んだ。利害得失が皆無の仲だけに、愉快な宴だった。
 あれからわずか1ヶ月あまり、山田君は亡くなった。
 一週間前、自分でタクシーを呼んで病院に行き、そのまま帰らぬ人となったという。入院する2日前まで、早朝の散歩を欠かさず、それも1万5千歩というハードなもの、一体何の為の運動だったというのか・・・。
 とても寂しい。
 人生とはなんとはかなく無常なものなのか、とうとう朝まで眠れなかった。

 前日、5期生最後となる政経塾で、私はサミエル、ウルマンの詩を全員起立の上、声高らかに朗読させた。
 芥川賞作家、「千の風」の作詞作曲家新井満氏の訳詞は透徹で、強く人々の心に響く。サミエルの訳詩はいろいろあるのだが、特に私は好んでいる。
 「歳を重ねるだけで人は老いない、夢を失った時はじめて老いる・・・」。特にこの一節は好きで、私の一つの励みにもなっている。
 しかし、歳を重ねていく度に、間違いなく人生の終わりは近づいてくる。誰も死だけは避けることが出来ない。
 また、一人親友を失った。せめて苦しまず、静かに逝ったことをもって慰めとするしかない。

 2月3日節分の日、私は毎年のように裃姿で年男になって、浅草寺、護国寺、水天宮の3ヶ所をめぐった。お伴はこれもいつものように石塚、和泉両区議と桑原君だ。
 なんとカメラマンでもある吉岡君も急に加わって、私を追いかけ、しきりにシャッターを切ってくれた。夜は彼らと家族も加わって浅草むぎとろで打ち上げの宴だ。乞われて各部屋を廻り、見知らぬ客と豆をまいた。
 にぎやかに盛り上がって、文字通り痛飲したが、酔いのむこうに山田君が見え隠れした。

言いたい放題 第132号 「やる気になれば・・・」

 新年会もようやく一息、といったところだ。それでも1日、数カ所は廻る。一方、寒さの故か、連日、葬儀も続いている。親友の葬儀も含めて、こればかりはなんとも悲しい。
 亡くなる方は私の年代の前後が多いが、これはひとつの山場のようなものかも知れない。ここを越えれば一気に長寿になるような気がする。
 煙草は20年前に止めたが、過食、飲み過ぎと、日常の暮らしの問題点は多いと自覚はしている。
 朝は反省しきりだが、夕刻が近づくと、もういけない。各会合の後、どこで誰と食べ、飲もうかと、いつの間にかあれこれ思案している。
 もっとも、あまり考えるとかえって身体に悪いから、ほどほどのところで妥協することにしている。
 夜中、2度ほど目覚めるが、どうかすると、それから目が冴えて眠れなくなる。ベッドの中で色々な事を考える。前途洋々というわけではないので、政治の動きを中心に、むしろ、悩み事が先行する。
 これではいけないと、思考をとめるか、変えようとするのだが、なかなかうまくいかない。いっそのこと、最後は起き上がって、テレビか本か、あるいは原稿用紙に向かっている。

 近頃は、心を改めて、いろいろなことにチャレンジしようとパソコンをはじめたりした。
 先生は孫の安希与だ。
 つい、孫自慢になるが、1歳から高校3年生まで5人の孫がいるが、可愛くてたまらない。孫達の優しさに、私らは、どんなに支えられ救われてきたことか。
 昔、和文タイプを習ったことがある。ほとんど自己流で完成し、中古のタイプライターを購入してアルバイトで稼いだこともある。
 貧しかった学生時代の思い出の1つだ。
 いま、孫に教えられ、再びパソコンという名のタイプに必死に取り組んでいるのだ。
 過日、自民党政経塾で配った資料は、初めて自分で打ったものである。例のサムエル・ウルマンの「青春とは」の全文である。

 この頃は自動車の運転も再開した。
 どんな時でも運動は欠かさないが、昨年は5ヶ月も腰痛に苦しんで、その間、運動はゼロが続いた。しかし、ようやく痛みから脱し、さあ、運動も再開だ。
 そうだ、も一度、タップダンスをやろう。
 20年以上前に通ったジャムタップダンスカンパニーに連絡をとった。リーダーの加藤邦保君と保戸塚千春君は、相変わらず元気いっぱいだった。
 決してメジャーではないが、次々と各所で講演を続けている。立派だ。
 早速、汗を流しにいったが、「結構、形になってる」と褒められた。
 ただ、翌日から、また腰が痛くて、近所の深井接骨院へ通院だ。
 「あまり無理をしないように」
 タップダンスを続けられるか、目下、腰との相談である。

 忙しいのに、なんでそんなにいろいろなことが出来るのかと聞かれる。不思議なもので忙しい時ほど様々なことを、平気でやってきたように思う。
 そういえば、絵を描いたり、ピアノを弾いたり、いろんなことをやれたのは、現職大臣の時だった。
 やる気があれば、時間は余るほどあるものなのだ。

 ちなみに、この「言いたい放題」は、私が、朝から打ったものである。

言いたい放題 第133号 「中国は張り子の虎」

 2010年1月(30日)、中国は昨年の名目国内総生産(GDP)で日本を抜き、世界第2位になることが分かった。(中国GDPは約5兆8800億ドル、日本は約5兆4000億ドル)
 日本が西独を抜いて2位となったのは1968年だ。実に40年以上守った地位を、中国に明け渡したのだから、多くの日本人はすっかり失望した。マスコミの一部は、何故か大喜びで大々的に報道を繰り返した。
 おそらく、あと10年もすれば米国を抜くと予想するエコノミストもいる。私はそんなことはないと思っているが・・・。
 本当に中国は経済大国としてそんなに名実共に発展したのだろうか。国民も幸せに喜んでいるのだろうか。

 私から言わせれば、13億人もいる中国なら、計算上総生産が大きくなるのはまず当たり前のことだと思っている。
 事実、一人あたりのGDPでみれば、全く貧しくて、日本の10分の1に過ぎないのだ。
 なによりも中国にナショナルブランドというものが1つでもあるのか、せいぜい私が知っているもので自動車の紅旗ぐらいだが、これだって別に世界で売れているというわけでもない。
 この頃は、ラオックスやレナウンなど日本の企業が中国企業に買収されているが、これらをナショナルブランドにしようとでも思っているのだろうか。
 かつて、日本の高度成長期、トヨタ、ニッサン、ソニー、パナソニックなど、日本のナショナルブランドが世界に名を馳せ、それが今も続いている。
 世界の工場と言われてきたドイツを抜いて、世界一の輸出大国にもなったが、ほとんどが日本をはじめ、他国からの参入企業が中心で、中国はいわば外資メーカーの下請け大国なのである。
 当然、他国の企業が中国工場で生産したものは、中国のGDPにカウントされる。してみると、さしずめ日本は中国経済を世界2位に押し上げた最大の功労者というべきではないか。
 少なくとも、日本の力に負うところが大きかったといって過言ではない。
 逆にいえば、外資メーカーが中国以外の国に工場を移転したら、おしまいなのである。

 率直にいって一般の中国人にとって、中国は素晴らしい国とは決して言えないというのが現状なのだ。
 水道をひねれば清潔で美味な水が出る日本とは大違いで、黒液が出るのは珍しいことではない。工場用水にすら使えない場合もあるという。
 大気汚染は激しく、これが日本にまで影響を与えていることは周知の事実だ。
 成長率10%というのに、失業者は多く、学生の場合でいえばわずか50%、つまり半数の学生しか就職出来ない。
 富裕層と貧困層の二極化が益々進み、今や極端な格差社会となっている。当然、社会不安は恒常化していて、大きな暴動は当局発表でも9万件というのだから、実際はもっと頻繁に起こっているのだ。
 何故、このような状況になったのかといえば、共産党独裁支配が続いているからだ。
 急成長を続ける中、今や、中央や地方の共産党幹部一族がその利権を一手に握っている。一説では、電力、石油、銀行などの基幹産業まで党幹部が支配しているといわれている。
 共産党支配のまま市場化したから、例えば許認可で一族の企業が潤うなど甘い汁を吸い続けているのだ。
 財テクはいよいよ盛んで、最近では国有企業まで不動産投機に手を出して、バブル状態を作り出している。
 当然、不動産は急激に値上がり(土地は国が所有、70年の保有権だが)、食糧品も値上がりが続き、これでは一般庶民はたまらない。
 医療や年金も未整備のままで無いに等しい(加入率はわずか30%未満)。
 あと30年もすれば4億人の高齢者のうち3億人は年金もなく、飢えに苦しむという予測すらある。
 これは、かつての一人っ子政策が失敗した結果でもある。
 よく見ると中国は水資源は欠乏しているし、国内エネルギー不安は加速、食料品も限界、そこへ高齢化と全く良いところ無しの状態なのだ。
 これでは、世界第2位の経済大国になったといっても形だけで、まさに張り子の虎といった方が正しい。

 私が一番心配なのは、このまま一党独裁が続き、経済成長一辺倒の路線で進み、国民への富の「分配」を疎かにすれば、いつ国民の不満が爆発するかわからないという点である。
 いずれ述べる予定だが、もし中国で、かのエジプト危機と同じような状況が生まれたら、アジア全体に大きな悪影響を及ぼし、特に隣国日本にははかり知れない打撃を与えること必定なのだ。

 独裁と失業、食糧高など、エジプト大騒乱の背景は中国とあまりにも似ている。現に中国当局は、エジプトでの反政権デモの動きに対して、異常に神経を尖らせ、あわただしい対応を見せている。
 インターネット上の一部で関連情報が制限され、「エジプト」、「ムバラク」など中国語で検索すると、関連法規により表示出来ないとの文字が出る。
 そんな姑息な手段で事は済むはずもないと思うが、なによりも中国自身の本質的な大改革が今、求められていることは間違いない。
 中国に経済大国2位の座を奪われたということよりも、われわれは、中国の現状とこれからの動きを、注目していかなければならない。
 民主党政権になって国内混乱の時代だが、世界の動きもいよいよ激しくゆれている。
 大変な時代だと思うが、これが現実なのだから仕方ない。
 冷静に、かつ研ぎ澄まされた感覚で、しっかりあらゆる動きを見極めていくことが、必要だと思っている。

言いたい放題 第134号 「テレビ出演騒動記」

 久しぶりにテレビ取材の為、十五日午前中、自宅に大勢のスタッフが訪れた。テレビ朝日のスーパーモーニングだ。内容は例の大相撲八百長事件である。
 私は昔から相撲が大好きで、野球賭博事件も含めて、この「言いたい放題」で、散々語って来た。さすがテレビはそのことを知っていて、私への取材と相成ったのである。

 まず聞かれたことは、現在も私は松ヶ根部屋の後援会会長を務めているが、どんな出会いからかという点である。
 思いかえせば、今から十二年まえのことだが、松ヶ根部屋の創立十周年のお祝いの会が、浅草ビューホテルで開かれた。
その頃、私は中曾根派に属していて、今は亡き山中貞則代議士に可愛いがってもらっていた。
 その人が当時、松ヶ根後援会の会長であった。松ヶ根親方(大関若嶋津)は、種子島の出身で、南海の黒豹といわれて大関まで登りつめた人気力士だった。山中先生は、同じ鹿児島県の出身で、彼が新十両になった頃からの応援者であった。
「君の地元のホテルでの催しだから、是非、出席してやってくれ」と言われて出かけた。
 ところが、その時、なんと「今度、後援会の会長になられた深谷先生です」と、いきなり檀上で紹介されたのだ。
 一瞬、驚いたが、いかにも山中先生のやりそうなこと、そのまま応じて、以来、なんの躊躇もなく今日まで会長職を続けているのだ。
 力士わずか10人前後の小さな部屋で、私が引き受けてから十両になったのは二人だけだ。そのうえ今度のように、松谷関は事件に巻き込まれて転落、その後、全勝優勝して、もう一場所で勝てば戻れると思ったら、大阪場所は中止となってしまった。
 全く、いいところがない。
 松ヶ根親方はひたすら優しい遠慮がちな人で、だから弟子をあまり厳しく指導しないのかもしれない。
 スターの座を見事に捨てて、部屋のおかみさんになりきった高田みずえさんは、一生懸命に親方に尽くしている。
 そこのところを強調した。
総理大臣杯授与.jpg

 元の国技館は蔵前にあって、当時の私の事務所の裏にあった。 
 懇意にしていた先輩代議士に稲葉修先生という方がいた。この方は話題の風流人で、相撲をこよなく愛し、横綱審議会の委員をつとめていた。
出羽の海理事長(佐田の山)、春日野親方(栃錦)、二子山親方(若乃花)達と格別親しく、よく駒形のどぜう屋や、浅草の料亭などで飲んでいたが、私も誘われて何度もご一緒したものだ。
 出羽の海理事長は、改革に熱心で、暴力団と絶縁する為に地方巡行の勧進元興業を止めさせ、協会の自主興行に変えたり、高値をよんで問題になった親方株を協会に委託させようとしたり、外国人力士を各部屋二名に制限する等、様々な成果をあげていた。
 その頃の私は三十台の働き盛り、後援会も勢いがよくて、浅草にあった東洋一の国際劇場を借りきって、一万人の集いを開いたりした。それでも足りずに、ついに昭和50年蔵前国技館で一万五千人の集会を行った。国技館で後援会大会を開いたのは、後にも先にも私一人だ。
蔵前国技館深谷の集い.jpg

 稲葉先生が亡くなった時、葬儀に出る為に出羽の海理事長と一緒に新潟まで出かけたこともあった。
 余談だが、私が横綱審議会委員に推挙されるという動きが一時あった。しかし、丁度、海部俊樹元総理にも推薦の声があって、結局、二人とも就任することはなかった。
 あの時、私が引き受けていたら、どんなふうに対応していただろうか。きっと色々な提言をして、すくなくとも今よりは改善させていたに違いない。

 相撲との縁は深い。
 昭和五六年から、フジテレビの正月番組で「大相撲対野球オ―ルスター歌合戦」という番組が始まって、私が大会委員長になった。途中から更に「大相撲部屋別対抗歌合戦」も始まって、ここでも大会委員長となった。正月早々、テレビで挨拶できるのだから、こんないいことはない。
 いずれも人気番組になって、一方が実に十七年、もう一つが十三年も続いて、平成十年に終了した。
 あの頃、力士や野球選手はスター揃いで、その上、歌の上手な人が多かった。
 大関琴風はレコードをだして、「まわり道」は五十万枚も売れた。おなじ大関増位山も、「そんな夕子に惚れました」でヒットを飛ばしていた。
 野球選手では平松政次は「愛して横浜」で人気を博していた。ちなみに彼の後援会会長は松本隆三氏で、今は私の親友と呼べる人になっている。
 この時代、私は度々招かれて色々な番組に出演していた。政治家としての討論会は当然として、「国会議員歌合戦」で優勝したこともある。イレブンPMという深夜番組の常連でもあった。
 今だったら、政治家がそんなことをしてと、目くじらを立てられるに違いない。
大らかで、なごやかな時代だった。いい時代を過ごせたものと改めて思っている。

 政治と相撲との関わりについても聞かれたが、元々、大名のお抱え力士制度からはじまっている。明治維新の廃藩置県で大名制度が無くなって、一時期、相撲史上逆境の時代もあった。しかし、徐々に人気が回復して、明治四十二年には、一万三千人も入る屋根付きの両国国技館が建てられて、完全に息を吹き返した。国技館と名づけたのは、命名委員長の板垣退助であったというのだから、なんとも政治家との関わりは古い。
 大正十四年、日本相撲協会は財団法人となった。
相撲が国技という法律上の規定はない。国技館という名称や、財団法人として文部省の所管になったことで、この名が定着したのである。

 今度のテレビ取材の狙いは、八百長問題について、どう思っているのかだと考えて、この点については特に力を入れた。本当は違っていたが・・・。
 作家の故宮本徳蔵氏は、「八百長は人情がらみの因習だ」と喝破している。相手に同情し、頼まれてもいないのに勝ちを譲る。観客は苦笑しながらこれを見つめている。
 そんな微笑ましい大らかな時代から、いわゆる八百長は始まっているのだ。べつに肯定している訳ではないが、そんな余裕のようなものが、相撲の世界にあってもいいのではないかと私は思っている。
 そもそも相撲は純粋にスポーツといえるのか、かなり娯楽の部分が多いのが実際だ。
昔のままにチョンマゲにフンドシ姿、かつてハワイからの初の外人力士となった高見山は、裸でまわしを締めた時、恥ずかしくて堪らないと語っていた。

 相撲見物の客はといえば、桟敷で豪勢に飲んだり食べたり上機嫌で盛り上がる。そのサービスの為にお茶屋があって大繁盛なのだ。
 幕内力士の勢揃い、雲竜型、不知火型といった伝統的な横綱の見事な土俵入りなど、まるで歌舞伎をみるようで、まさにこれは日本の伝統文化といってよい。 
 そんなスポーツは他には存在しない。やっぱり、勝ち負けだけのスポーツとは決して同じではないのだ。
 大事なことは、相撲には相撲道という立派なルールがあるという点だ。神道に基づいた儀式と心構え、そしてなによりも大事なことは武士道精神だ。武士道で大事なことは強さだけでなく、優しさ、正義感、惻隠の情、さらに恥を知るということだ。
 当然、横綱にはその立場に相応しい品格が求められる。野球賭博や、まして暴力団のような中盆までいて、お金のやり取りまでする八百長など、断じて許されることではない。
 今まで、こうした八百長疑惑はたびたび言われてきた事ではないか。
放駒理事長の「過去には一切ありませんでした」の発言は全く通用しない話だ。
 ただ、不思議なことは、司法の決着はいつも相撲協会側が一方的に勝ちで終わっていることだ。疑惑を書いた週刊誌などは裁判で負けて、その度に賠償金を支払い、訂正記事まで書かされている。
 今回は、メールなどの具体的証拠があったので、講談社は相撲協会に強硬な対応を求め、応じなければ、裁判詐欺で訴えると主張している。当然のことだ。
 八百長は相対する力士との阿吽の呼吸で決まるから、判定はなかなか難しい。
しかし、今度こそ具体的証拠があるのだから、断固として敏速に処分することが必要だ。ずるずると時間をかけてはならない。早く黒白をつけて、二度とこのような不祥事が起こらないような体制を作り上げなければならない。
 先に述べたが、人情がらみの八百長まで取り締まることは不可能だ。要はどこで区別をつけるのかが問題だ。私は「常識」という名の線を引くしか無いと思っている。
 どちらかというと、相撲界は社会から隔離された閉鎖社会で、力士達の社会常識は一般的に低い。
 中学か高校生から、いきなりこの世界に入るのだから無理もないのだ。親方達も同じようなものだ。
 これから一番大切なことは、如何に社会教育を学ばせるかということだ。理事長を中心に相撲人全体の教育制度を、一日も早く確立させなければならないと私は思っている。

 最後に聞かれたことは、これからの政治と相撲との関係についてであった。
 どうも最近、文部科学大臣や行政刷新担当大臣の発言が目立っている。「このままでは、公益法人化は難しい」などと、所管大臣が余談をもって語っているが、これはおかしい
 公益法人化が出きるかどうかは、相撲協会にとってはまさに死活問題である。公益法人であれば、公益事業は非課税だし、一般法人税は三十パーセントなのに、二十二パーセントと優遇処置を受けられる。
 なによりも公益法人は、「国技」という名のお墨付きでもある。仮に公益法人にならなければ、天皇杯も、内閣総理大臣杯も無くなる。
 様々な優遇処置で築いた資産が、公益の為に使われないとなれば、あの国技館も国に没収されかねない。四百四十二億円といわれる正味財産もどうなるかわからない。監督官庁が無くなるから、何の束縛もなくなるが、これでは消滅するかも知れない。
 こうした背景から、政治や行政、とくに政冶家の発言に協会は恐れをなしている。
言い換えれば、だからこそ、政治家は、大向こう受けを狙って軽々に口をはさむべきではないと私は思うのだ。
第一、今の民主党政権ぐらい八百長政治を行っている例はないのではないか。「あんたに言われたくないよ」というところだ。
 例えば、民主党でたった一つ歓迎され話題になったのが、あの「事業仕分け」だが、近頃は、そのいい加減ぶりが鼻についている。
 民主党の大臣が中心でつくった予算を、同じ民主党の仕掛け人がばっさばっさと削る。如何にも財源削減をやっているように見せかけるのは、八百長でなくてなんなのか。 
 まして、一度廃止や縮小としたものを、次の予算で平気で復活させたり、なかには焼け太りのようなものまである。とんでもないことだ。
 政治家が、あまり庶民の楽しみに口をはさんではならない。

 相撲協会は「膿を出し切るまで場所は開かない」といっているが、それは元々無理なことだ。
 「出し切る」といっても、どこまで出来るのか、先が見えている。
すでに大阪場所は中止と決めているが、私は本当はやったほうがよかったと思っている。これだけの騒ぎの後だから絶対に八百長はできない。初めてのガチンコ相撲が見られたのにと残念である。必ずしも皮肉ではなく、そこから再出発すればいいのにと思っているのだ。
 あの大らかな、愉快なよき時代を思い浮かべ、大好きな大相撲が一日半も早く再出発することを願っている。

と、まあ、こんな話を実に一時間半にわたって語ったのだが、実際の放送になると、かなりカットされて短くなってしまう。今回は民主党批判のところがすべてカットされていた。
 今迄からみれば長いほうで、色々な人から電話があった。特に「国技館での後援会の大会がびっくりするほどの超満員で素晴らしかった」と言われ嬉しかった。
 ディレクターが全部終わって帰る時、「七十五歳ですよネ」と念を押して、「いやぁ、お若いのにびっくりしました」と言ってくれた。お世辞と分かっていながら私は単純だから御機嫌だった。
 「今度は、是非スタジオに来てください」とも言われたが、これも勿論サービスにちがいない。
 ちょっとした「テレビ出演騒動記」であった。

言いたい放題 第135号 「あきれた混乱ぶり、迷走菅政権」

 菅総理は一体、何を考えているのだろうか。
 彼等が提出した新年度予算案は自然成立するけれども、関連予算はそうはいかない。参議院では数が足りないから、当然、否決される。衆議院で再可決させるには三分の二の賛成が無ければならない。一時は公明党との提携を模索したようだが、これはどうやら断られたようだ。後は再び社民党と手を結ぶしかないが、沖縄問題で、まとまりそうもない。
 このような手詰まり状況のなか、最も大事なことは党内の結束だが、それが最悪状態なのである。
 政治と金の国民的批判がおこると、まずその対象者である小沢氏の追い落としを始めた。これで少しばかり支持があがると、あとは強気でそれ一辺倒だった。
 しかし、党内の反発が起こると、すぐにトーンダウンだ。
 二月十五日の常任幹事会では、小沢氏の「党員資格停止」をきめた。彼の判決が決まるまでの停止だから、党の定める三段階の処分の内もっとも軽い。一時は離党させる勢いだったのだから、あの頃から比べればかなりの後退だ。

 しかし、そうはいっても小沢グループにしてみればこれは大変なことである。
 何しろ頼りの親分の影響力が低下すこと間違いないのだから、菅首相への反発は強まる一方である。
 十七日には、十六人の民主党衆議院議員が、「民主党政権交代に責任を持つ会」なる新会派を立ち上げ、なんと会派離脱を表明した。
 この連中は比例単独下位当選者ばかりで、次の選挙では再選不可能な人達だ。次の選挙で戦うべき自分の選挙区を持っていないのだから気の毒ではあるが、だからといってこんな造反は許されることではない。
 一応、菅首相が国民と約束したマニフェストを「捨てた」からだということを大義名分にしているが、これは言い訳に過ぎないことは明らかだ。
 私が最初から言い続けているように、もはやマニフェストは財政不足で破綻していることは誰もがわかっていることではないか。見直すことは政権政党として当然のことなのだ。
 大体、本来ならば民主党会派離脱ではなくて離党、というのでなければおかしい。

 はっきりいて、こうした混乱の原因は菅首相の指導力の無さにある。いや、為政者としての資質の問題というべきか。民主党にはリーダーたるべき人材がいないといわれ続けてきたがここまで、ひどいとは思わなかった。
 前任者の鳩山首相の場合もお粗末だった。しかも、今現在も、相変わらずの言動で国も国民も大迷惑をうけているのだから始末が悪い。
 彼はかって沖縄の基地問題で、「最低でも県外」と公約した。その公約はついに果たせなかった。
 ところが最近になって、沖縄タイムスなどに、米軍普天間飛行場の移設問題に対する当時の取り組みを語った中で、「米海兵隊の抑止力を挙げたのは方便に過ぎなかった」と言ってのけたのだ。
 本当に驚きあきれたのは、私一人ではないと思う。彼の発言で沖縄県民の政府に対する不信は一層深まった。米国の失望も大きいに違いない。
 海兵隊を含む在日米軍全体は、我が国の安全と、地域の安定に大きな役割を担っていることは、今更、言うまでもないことである。
 どちらにしても、政治家の言葉の軽さは断じて許されないことなのである。
言いっ放なし、やりっ放なしの無責任な人達は、もう消えてくれというのがみんなの声だ。
 
 菅首相の退陣論は民主党のなかで、益々広がっている。十九日には、樽床伸二元国会対策委員長までが、地元の会合で「管政権の存続が我々の仕事ではない。あと一〜二週間で大きな決断をしなければならない」と語っていた。いわば民主中間派にも退陣論がでたということである。
 しかし、私から言わせれば、彼らは物事をすり替えているとしか思えない。はっきり申せば、今、本当に求められているのは,単に菅首相を代えればいいということではなくて、民主党政権そのものを変えろということなのである。
 このまま民主党政権が続けば、間違いなく日本は駄目になるからだ。
 去年、私は、角川書店から拙著「こんな政治じゃ日本が駄目になる」を出したが、そこで語った通りになっている。予言が当たったとはいえ、なんとも残念でならない。

 民主党内で、菅首相の退陣と引き換えに予算関連法案の成立を図る動きが浮上し、実際に野党の一部に声が掛かったようだが、勿論それにこたえる者はいなかった。

 呆れたことに首相が解散をちらつかせ始めたという。野党対策を「古い政治」と強く否定したことで、初めて解散に含みを持たせたのだ。
 選挙基盤の弱い中堅や若手に対して、解散カードをちらつかせることで、なんとか求心力を取り戻そうとしているのだ。
 それにしても菅内閣の支持率は落ちる一方で、二十一日の朝日新聞の世論調査によれば最低の二十パーセント、「早く止めて欲しい」が、なんと四十九パーセントもあった自民党は、民主党内の「菅降ろし」の動きを解散総選挙に追い込むチャンスととらえている。しかし、解散に追い込む為の最大のカードは内閣不信任案の提出だが、衆議院では民主党が三百七議席を占め、自民党は百十七人と可決に必要な過半数には遠く及ばない。うっかり出して否決されたら逆に菅政権を信任したことになってしまう。
 目下のところ、慎重に提出時期を見極めるしかないようだ。

 最近の「首相動静」を見ると、あわただしい動きがみえて面白い。相変わらず首相は毎晩高級店で美食を楽しんでいる。すべて公費であることは間違いないといわれている。
 問題はその相手が誰かということだ。
 二月十六日のように、内閣政務官や首相補佐官といった内輪の場合が多いいが、十八日になるとホテルニューオータニの日本料理店で、参議院のボスといわれる輿石氏が相手だ。この夜は公邸に岡田幹事長や、安住国対委員長、枝野官房長官、仙谷代表代行等が次々と訪れている。まさに風雲急を告げているといったところなのだ。
 十七日は又もオータニホテルの日本料理店「千羽鶴」で、なんと伸子夫人等と会食とあった。強気の奥さんから励まされたのか、もしかしたら、「もう止めましょうよ」と言われたのか、政界雀の話題には事欠かない。

 政治が、国民からこんなに離れてしまった時代は少ないのではないかと思うと、本当に残念でたまらない。
 「一度位、やらせてみるか」といった安易な考えは、生きた国家と国民を扱う政治に関しては、およそ許されないことなのだ。
 ともかくここ当分は、政局の動向を注意深く見守るしかないと思っている。

言いたい放題 第136号 「政治家は言葉の重さを知れ」

 民主党政権になってから、私が苦々しく思っていることは、なんと言葉の軽い無責任な連中が多いのかということだ。私は長い政治生活をおくってきたが、いつも言葉の重さを自覚し、自分の発言には、当然のことだが全責任を負ってきたつもりである。

 鳩山前首相は、沖縄における米軍海兵隊は抑止力だといったが、今になって「あれは方便」だったと言ってのけた。嘘も方便という言葉があるが、「私は嘘をつきました」と平気で言うのだから開いた口がふさがらない。首相をやめているから、何のお咎めもないが、それだけに腹が立つ。
 
 前原誠司外務大臣は、あのニュージーランドの大震災にあたって政府専用機を派遣したが、その際、家族の同乗を持ちかけながら、結局は実現しなかった。てっきり行けるものと期待した家族の心境を考えると、お気の毒でしたでは済まされない。
 24日になって副大臣が「お詫びするしかない」と謝罪したが、なぜ前原大臣自身で詫びないのか。22日に、前原大臣本人が富山市立富山外国語専門学校に電話して「被災者の家族も政府専用機に乗れる」と伝えているのだ。軽々に発言し、自分は知らんぷり、部下に謝罪させるとはなにごとか。

 24日の衆議院本会議で、民主党が2009年衆議院選挙で出したマニフェストで、子ども手当を月額2万6千円としたことについて、「議論がなされている小沢(一郎)代表の当時、ちょっとびっくりしたことを覚えている」と答弁した。
 党代表の首相が公約の実現性に、当初から疑問を持っていたことを自ら示して発言したのだから、びっくりしたのは我々のほうではないか。
 さすがに議場は一時騒然とした。岡田克也幹事長は、「びっくりしたけど合意したということです」と訳の分からない弁解をしていた。
 小沢氏直系の若手議員は「あまりにも腹がたった。同僚議員と首相発言への対抗策を練る」と息巻いているという。

 政権が交代してから、あまりにも言葉が軽くなった、いや言動が軽くなった。こんな軽量政権が続いたのでは日本の将来は本当に危ない。
 もう言い訳はいらない。早く解散をして安心のできる国をつくりたいものだ。

言いたい放題 第137号 「領土問題への無関心ぶり」

 2月26日の日本テレビ、「北方領土が危ない」を見ていてびっくりした。何よりもあまりに多くの人が無関心で、真剣に考えようとする人が少ないということである。
 中国やロシアでは、領土問題というと眼の色を変えて自国の領有権を主張し譲ろうとはしない。多かれ少なかれ、いずれの国も同じことで自国の領土は決して離すことはない。それに比べて日本人のこの呑気さは一体なんなのか。
 中には「ロシアがそんなに欲しいなら、渡したらいいのに」と、平気な顔で言った若者までいた。腹立たしい思いよりも、そんなことも分からないのかと悲しくなった。
 言うまでもなく領土問題は国家主権にかかわる問題である。 

国際法上、国家領域は、原則として、「国家が排他的に支配する空間」で、その空間は領土、領海、領空に分かれている。簡単に言えば「他国に一切侵されることのない空間」、それが国家で、だからこそここに住む国民の生きる権利が保障されるのだ。
 歴史的に見ても国際的にみても、日本の固有の領土と認められているものを、相手国の強圧的な動きによって、あっさりと渡すなど断じて許されることではない。それは国民の生きる権利を他国に引き渡すこと、国民の命を差し上げることにほかならない。

 もともと北方領土(国後、択捉、歯舞、色丹)は、まぎれもなく日本の領土であった。
ところが、あの第二次世界大戦で日本がまさに敗れんとした時、日ソ不可侵条約を一方的に破り、宣戦布告するや怒涛のごとく我が国を侵略し、あの北方領土を軍事占領してしまったのだ。
 だから、日本政府は基本的立場として四島を、一括して返還することを要求しているのだ。
 本来、四島は同じように日本の固有の領土だから分割して論ずる事はできないのである。

 一方のロシア側は、国際協定その他により、すでに解決済みとの態度をとり、返還交渉の余地はほとんどなかった。
 しかし、1993年(平成五年)、エリツイン大統領が来日し、「日ロ関係に関する東京宣言」を発表した。この中で北方領土問題について、交渉の対象が先に述べた四島の帰属問題であることを明記した上で、「両国が合意した諸文書」と「法と正義の原則」を基礎に、平和条約の早期締結に向けて交渉を継続する旨を盛り込んだ。
 大統領は宣言署名後の記者会見で、「国際約束」の中には色丹、歯舞二島の返還を明記した1956年の日ソ共同宣言が含まれることを明言した。
 東京宣言は、その後の日ロ間の話し合いの基礎となっている。

 ところが、最近のロシア政府の動きは、交渉の継続どころか全くその逆で、メドベージェフ大統領が国後島を訪問するなど、実効支配への方向を誇示しようとさえしているのだ。
 日本政府は、こうした動きにただ狼狽えるばかりで、為すすべもない状況だ。
 菅直人首相は「許しがたい暴挙」と演説するだけであった。そんな言葉だけで「はい、そうですか」などと引き下がる相手ではない。案の条、むしろ一層、逆に強気で、経済発展の為と称して、中国との合弁事業まで国後島で行おうとし始めた。プーチン首相らは、軍事施設の強化などで日本への圧力を図ろうとさえしている。

 何故そのように、ソ連の一方的な動きになるのだろうか。
 その一つは、日本政府に具体的な戦略が無いからである。とくに民主党政権になってから、益々無策だ。
 鳩山前首相は「四島同時に返せというアプローチであれば、未来永劫平行線のままだ」と言って、二島先行返還論を主張する。前原大臣は「あくまで四島一括返還で、あの人は違うことを言う」と反論する。要は何島返えせという、まとまった民主党政権としての方針がないのだ。

 北方四島は日本の領土だという主張は正論だから、これは言い続けなければならない
 しかし、過日の前原大臣もそうだったが、ロシアの首脳と会談する度に、ただ「返せ返せ」というだけでは、相手も又かと辟易するだけで、ことが進展するはずもない
 大事なことは、両国の間にある様々な問題を、より大局的な立場で常に論じ合い、両国の発展のために協力しあって、真の友好関係を、まず構築させることではないか。相手の国は相当したたかで簡単なことではないが、倦まず弛まず、こちらもしたたかに努力を続ける以外にない。それがまさに外交なのである。

 それにしても心配なのは、国民の領土問題についての無関心ぶりだ。とくに前述のような若者の発言などを看過するわけにはいかない。
 日本をめぐる領土問題は、ロシアだけではない。まさに火がついているのが尖閣諸島で、中国とはこの問題で一触即発の状況にある。尖閣諸島は1896年(明治29)、3月、日本領土に編入され沖縄の石垣島に属している。まぎれもなく日本固有の領土である。
ところが、1970年代に入って、この付近の海底に豊富な石油資源、天然ガス層が埋蔵されていることが推定されるようになって、にわかに中国が領有権を主張するようになったのだ。
 理屈は中国の大陸棚が続いているからということだが、この理屈から言えば沖縄まで俺のものだといいかねない。現にそうした動きも出始めている。
「ロシアが欲しいというなら譲れば」などと戯言を、中国の人が聞いたら喜んで小躍りするに違いない。

 領土問題についての非常識ともいえる無関心さは、戦後から今日まで、あまりに平和な状態が続いた故かもしれない。いわゆる平和ボケだ。
 やっぱり、今一番大事なことは、正しいことをきちっと受け止められる人間作り、つまり教育こそ急務だと思うのだ
 日本の歴史をきちんと正確に教える。この国に生まれ育つことがどんなに幸せなことか、そしてこの国をより良くして次の世代に渡していく。そんな優れた日本人を育てることが求められているのだ。
 皮肉ではないが、まず政治家からこうした教育をする必要がありそうだがが・・・。

 重ねて言いたい。領土問題は国家主権に関わる大切なテーマだ。皆でしっかり考え、理解し、誤りなきよう対応していかなければならないと思っている。

言いたい放題 第138号 「菅政権、いよいよ行き詰まる」

 前原外務大臣の外務相辞任は、それでなくても青息吐息の菅政権に、大きな打撃を与えた。その上、次なるターゲットは細川律夫厚生労働大臣で、野党は参議院での問責決議案の提出を本格的に検討している。
 次々と起こる大臣の不祥事には呆れるが、政権をなんとか追い込み、解散にまで持ち込もうと、いわゆるドミノ現象を野党は狙っているが、ここいらの戦術はきわめて微妙なものがある。
 国民の生活にとって大切な予算案、これを執行する為に必要な関連法案が、いつまでも棚ざらしになっていれば、いずれ政府機能の停止や金利の上昇といった危機が現実のものとなっていく。
 ここは政策遂行のために、議論し調整するなど、野党も大人の姿勢を示す必要があるのではないか。政権のお粗末な大臣を、勿論放置していい筈はないが、追求ばかりしか能が 
無いのかと思われたら、今度は国民の批判の目は野党に向けられるのは必定だ。
 かって例がないほどの最低政権だが、このまま攻撃と応酬の泥沼状態が続いたら、困るのは国民なのだということをいつも頭に置いていなければならない。
菅首相が辞を低くして、自らの非を認めつつ,真摯に対応していくことが大前提であることは言うまでもない。

それにしても、最近の大臣の質が落ちたことといったらない。
特に前原前外務大臣だが、一時はポスト菅とまで言われたものだが、今やその面影もない。いつも恰好ばかりつけていたが、深い思慮や配慮が欠けていて、言動の危うさや軽さがこれまでも指摘されていた。
偽メール事件で民主党党首辞任に追い込まれたり、八ッ場ダム建設工事中止を打ち上げながら、軌道修正を迫られたりと、彼の軽挙妄動は枚挙にいとまもない
しかもこれが外務大臣としての言動となると、事は一層重大で、国家の存亡に関わってくる。
尖閣沖の中国漁船衝突事件でのかじ取りも迷走を重ねた。対中強硬派と言われ、時に中国の対応はヒステリックだと批判したこともあった。しかし、最近は若干方向転換したような発言もあって、中国側から好意的にみられるようになったという。これも私から言わせればなんとも危ない話ではある。
北方領土について、前原前大臣は「不法占拠」とくりかえし発言し、ロシアの不興を買った。発言は正しいのだが言うだけで無策では、何にもならない。昨年十一月、メドベージェフ大統領は初の北方領土を訪れるという衝撃的行動に出たが、その遠因は彼の言動にあった。

ところで今度の突然の辞任の理由は、在日韓国夫人からの不法献金問題で責任をとるということだが、私には必ずしもそうではないような気がしてならない。

政治資金規正法では外国人からの献金を禁じている。外国人や外国企業が50%を超える株式をもつ企業からの献金も、原則として認められない。もし、外国人と知っていて故意に献金を受けていれば,3年以下の禁錮か六十万円以下の罰金となる。有罪になれば公民権が五年間停止になるから、選挙にも出られなくなる。こんなに厳しいのは外国人や外国の組織・政府から、日本の政治が影響を受けないようにするためである。
前原氏は「寄付は返金して訂正したい」と言っているが、たとえ訂正しても(受け取った)
事実は変わらない。 

「外務大臣という立場で、外国人から違法献金を受けたことを重く受け止めて辞任する」と、しきりに強調するが、もう一つの、「脱税事件に関与した人物の関係会社から献金を受けていた」ことの方が、はるかに大きな問題で、根も深いように思われる。
三月十日号の週刊文春に「前原誠司黒い献金スキャンダル」との大きな記事が記載されたのである。
実は発売前日、この話題は国会中を駆け巡り、特に民主党内は大混乱に陥っていた。そんな様子が私の関係する報道陣から刻々と伝わってきていた。
細かい話は記事に譲るが、脱税で逮捕された、うなるほど金を持っている人物から度々献金を受け、関係する会社の忘年会には本人は勿論、かの蓮舫議員も参加していたというのである。
それだけではなく、架空の会社からの献金まで前原氏の政治資金収支報告書に記載されているというのだ。 
記事では、蓮舫行政刷新相の政党支部に百二十万の寄付が入っている。更に野田佳彦財務相はパーティ券も買って貰っている。
 反社会的勢力とつながる組織やフロント企業から、もし前原氏等がお金を平気で受け取っていたとしたら、これは許しがたい大問題で、国会で徹底究明されるべき事柄である。
多少は同情論もある外国人からの献金問題で、ひたすら辞めると格好良く主張するのは、こうした問題を隠ぺいするためではないかと勘繰りたくなる。
 大臣を辞めたから、これ以上の追求は無しでは通用しないということである。

もう一人の細川律夫厚労相の無能ぶりには驚かされる。かねてからこの人の予算委員会での答弁を聞いて、なんと無知なのかとあきれていたが、要するに不勉強なのだ。
 厚労省は昨年十二月十五日、日本年金機構に対して救済実施の課長通知を出した。これで最大100万人に影響する救済策の適用が始まったことになる。
 ところが衆議院予算委員会で、大臣は「知らなかった」と答えたのである。しかも、救済策を批判されると、一月に始まった救済策の適用を一時停止するとの考えを示したのである
ところが、一月三十日までに2331人がすでに救済策の適用を受け、うち493人には三月十五日に初回の年金が支給される予定であることが発覚したのである。細川氏は再び弁明に努めたが、そんなことも知らなかったのだ。
 一体、役人は何をしているのかと思ったが、民主党になってから、政治主導とやらで役人を突き放し、事あるごとに冷たくあしらってきた。いわばそのツケが回ってきたというわけだ。

 私は長い政治活動を通じて役人を大事に扱ってきたつもりだ。五度も大臣をつとめて、
どれだけ助けられたことか。彼らは本当に優れた人材ばかりであった。そして彼らは、この国の為に働こうと大きな志を抱いてこの世界に入ってきたのだ。彼らを日本の国の為に活用しないでどうするのだ。

 こんな大臣ばかりでは、菅首相もさぞかし辛かろうと思うが、みんな自ら蒔いた種、任命責任が問われて当然のことなのだ。

言いたい放題 第139号 「各所で叙勲祝賀会」

 昨年、秋の叙勲で、昔でいえば「勲一等旭日大綬章」という立派な栄に浴すことになったが、後援会を中心に今各所で、叙勲祝賀会を開いていただいている。
 去る三月四日は、浅草ビューホテルで、台東区祝賀会が催され、約五百人の方々がつめかけた。本当にありがたいことである。
思えば政治家として、随分長い道のりを歩いてきたものである。二十七歳で台東区区議会議員に当選して以来、なんと四十八年の年月が経っている。
 
 祝賀会で、私は、中国の古い物語を引用した。「一炊の夢」という話である。
 その昔、唐のある青年が自分の不遇をしきりに嘆いていた。いくら努力しても一向に報われない・・・と。
 それを聞いた道志が、「この枕を使いなさい、きっと栄耀栄華が得られる」と言った。
 道志の枕を借りて寝たところ、美しい崔という名の名家の娘に出会った。やがて二人は結ばれるが、これが縁で青年は次々と幸運に恵まれて出世し、栄耀栄華を極めることが出来た。
 しかし、ふと目覚めると、それは全て儚い夢であった。人生一代の栄華の夢を見たのだが,覚めてみれば、眠る前に炊いた粟が、まだ炊き上がっていなかった。
人間一生の栄枯盛衰は、一場の短い夢にすぎないということなのだ。

 私の郵政大臣時代の部下に、小野沢氏という人がいた。定年退職して何年かして私に手紙をくれたが、そこに「人生は短いのではなく,早いものです」と書かれていた。 
 今、私は本当にそうだと改めて思っている。
そして、だからこそ、限られた私の人生を愛おしく思い、日々を大切にしなければと思っているのだ。

 中曽根康弘先生の句に、「暮れてなお、命の限り,蝉しぐれ」というのがある。
蝉は卵から、実に七年も地下で眠っている。ようやく生まれ世に出てから、なんと一週間か二週間で死んでしまう。だから必死で命の限り鳴きつづけるのだ。
 中曽根先生は、たとえどんな立場になろうと、政治家として、国の為、国民の為に、生涯、語りつづけ訴え続けていきたいと、願いを込めてこの句を詠んだに違いない。
 私もかなり歳を重ねてきた。これからどんな人生が待っているかわからないが、この愛する日本の為に、私を育ててくれた地元の為に,精一杯語り続け、訴え続け、働きつづけていきたいものだと会場の参加者に話した。

 私の叙勲は、私の政治家としての歩みを評価してのものとは自負しているが、当選しなければ何もできないことで、これは私を支え応援してくれた人々のお陰であることは言うまでもない。すでに物故された方たちも含め、全ての応援者に心から感謝していると、私の胸の内を率直に語った。

 叙勲祝賀会は、私たちの感謝の会と心得て、精一杯サービスしようと妻と語っていたが、この夜の宴では、電通の息子の後輩内田君を招いて、大マジックショウを披露してもらった。もちろん、手品が自慢の私が参加したことはいうまでもない。
 
 今後,同じような催しは、三回行われる。
 三月十日は私自身主催でホテル・ニューオータニ、三月十四日は中央区のロイヤルホテル、三月二十九日は文京の椿山荘でいずれも後援会中心の祝賀会である。
 あわただしい、苦労の絶えない日びだが、この三月はこころ楽しい月である。

言いたい放題 第140号 「自然の恐ろしさに愕然」

 3月11日2時40分頃、かつて経験したこともない激しい地震に、自宅2階にいた家族全員、大パニックに陥った。家具も倒れそうになったり、愛用のバカラのグラスも何本も壊れ、あたりにガラスの破片が飛び散った。我が家の人的被害はなかったが、それが東日本大震災の始まりであった。

 平成7年(1995)1月17日早朝に起きた阪神大震災の時、私は直ちにヘリコプターで現地に飛び、この目で悲惨な状況を視察している。なんと6,300人を超える死者を出し住宅被害は全壊家屋43万等、避難した人は30万人に達した。
 しかし、今度の大震災は、強烈な揺れが何度も日本列島を襲い、恐ろしいばかりの津波が太平洋岸に押し寄せるなど、はるかに大規模なものとなった。

 マグニチュード8.8は国内観測史上最大のものだ。ちなみに阪神大震災の折は7.3であった。
 テレビは一切コマーシャル無しで、24時間被災した地域の状況を詳細報道していた。刻々と伝わる映像、特に津波が押し寄せ、あらゆるものを飲み込み、それを翻弄するように何度も繰り返す自然の破壊力の恐ろしさに、胸が潰れる思いであった。
 前日の新聞夕刊のトップ記事は、「菅首相の外国人からの政治献金問題」で、これは前原前外務大臣と同じで大問題になると思っていたが、運が良いのか悪いのか、それどころではなくなった。
 菅首相は危機管理の完全な対応は勿論のこと、情報の収集等あらゆる対策を講じ、国民の安全を確保し、被害を最小限に抑える為、総力を挙げて取り組まなければならない。
 衆議院解散や菅首相の退陣を求めて対決姿勢を強めていた野党も、地震被害の大きさが伝わると一変した。谷垣自民党総裁は菅首相に電話して、「政府の対策に全面的に協力する」と伝えた。人命最優先、今こそ挙国一致が肝要なのである。

 この災害がもたらす経済被災は甚大なものとなる。阪神大震災の経済被害額は約10兆円と言われた。政府の中央防災会議の試算によると首都直下型地震が発生した場合、最悪のケースだと発生後1年間で112兆円、近畿直下型で74兆円、中部直下型で33兆円が想定されている。
 今回は津波が内陸部の交通機関やライフラインにまで深刻な被害を及ぼしているから、さてどこまで広がるかわからない。
 当然、補正予算を編成しなければならないが、これについても野党は全面的に協力すると言っている。政治対決は一時休戦だが、私はこれをきっかけに国民の為に真摯に議論出来る正常な国会に戻して欲しいものだと思っている。

 嬉しいことは、日本の災害に対して、世界の国々が手を差し伸べようとしていることだ。国連は最大限の支援をすべく国際緊急援助隊の準備に入った。アメリカのオバマ大統領は、あらゆる面でいかなる支援をも惜しまないと、空母まですでに出動させている。
 今まで日本も世界の国々の為に様々援助協力をしてきた。私がテロ対策特別委員長の時に決めて、インド洋に派遣した海上自衛艦の国際貢献などもその一つだが、今度のようなことになると、そうした努力が生きてくるのだ。

 3月14日はロイヤルパークホテルで、3月29日は椿山荘で、それぞれ中央区、文京区後援会主催の私の叙勲祝賀会が開かれる予定だったが、このような状況となったので、自粛し無期限の延期とした。

 こうしている間も、テレビは相変わらず災害報道を続けている。亡くなった方、行方不明の方々の数は増える一方で胸がつまる。
 特に、原子力発電所での爆発もあった様子で、本当に心配だ。
 どうか皆を守って下さい、助けて下さいと、心の底から祈るしかない。

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