• ホーム
  • 「言いたい放題」の記事一覧

言いたい放題 第101号 「中国デモに見る道徳観」

 16日、中国各地で抗議の反日デモが起こったとマスコミ各社が写真入りで報道している。
 「打倒小日本」と書かれたプラカードはいつものことだが、国名の上に「小」をつけるのはいうまでもなく蔑視で、さげすむ、見下すということである。
 しかし、私にいわせれば、むしろ「小中国」と書くべきで、やること為すこと日本に比べて小賢く、狡猾で小人なのである。
 いつもなら、やらせ官製デモの色合いが濃いのだが、今回は少し様子が違うように思える。
 規模も大きく、学生が中心で、インターネットで呼びかけて集まったという。一部は暴徒化して、日本のデパート、スーパー、料理屋などを襲撃、かなりの被害が広がっている。
 これが学生かと呆れるが、何と無教養、狭量、不道徳な連中なのか。広く世界を見る目さえ持っていない。
 江沢民前国家主席は、愛国教育と称して、反日思想をたたき込んだ。その影響を受けて育った若者達なのだが、彼らの思想は、必ずしも日本けしからんだけではない。
 明らかに、中国政府や中国共産党に向けての大きな不満や怒りがある。
 世界の経済大国に駆け上っている中国だが、国内では益々貧富の差等、格差が広がっていて、社会的矛盾があふれている。

 学生の就職率は沿岸部で約62%とあまり高くないが、内陸部では何と約41%と、圧倒的な人数が就職できない現状だ。今度の騒ぎの中心は内陸部なのだ。
 丁度、中国共産党第17期中央委員会全体会議が開かれていて、地方の党や政府の指導者達は皆北京に集まっていた。
 騒ぎの大きかった四川省のトップも勿論北京に集結していて、その為、地元のデモを押さえる力を失っていたのだ。
 マスコミの記者の問いかけに、「連日、日本の中国大使館に、銃弾が送られたというニュースを見て、怒りを抑えられなかった」と答えた学生がいた。右翼の嫌がらせぐらいはあったが、そんな物騒な物が連日届くはずもない。
 第一、日本のニュースにものっていないことなのに何で知ったのか。それでなくてもノーベル平和賞にみられるように、言論の自由の全く無い中国なのに不可解千万で、もしそんなニュースが学生間に流れていたとすれば、明らかな偽情報で、それこそ危険な話である。

 日本でも同じ日、2,800人規模のデモがあった。何故か産経新聞以外、ほとんどのマスコミが扱っていなかったが・・・。
 「尖閣諸島は日本の領土」と書いたプラカードを掲げ、シュプレヒコールこそあったが、全体的に整然と秩序正しいものであった。相手の国旗を焼くなどという無礼で恥知らずなことは、勿論やらない。
 贔屓目に見る訳ではないが、日本人のデモ行進は、極めて道徳的で、中国のそれとは比較にならないほどだ。

 おそらく、その違いは日本の良き歴史と伝統、文化の相違から来るものではないかと私は思う。
 中国の歴史は古いが、率直にいって継続性や一貫性がない。
 中国では、君主交代の際、天使がその位を世襲させることはしない。
 だから、絶えず王朝の姓が異なり、支配する民族もかわっている。
 元は蒙古だし、清は満州民族、唐も周も全く異なった民族だといわれている。
 今、私は必要があって、「教育勅語」の勉強をし直しているが、読めば読む程、これは立派な普遍的道徳規範だと感銘している。
 万世一系の天皇制が日本文明の歴史の基になっているが、教育勅語は12の徳目を挙げ、明治天皇のお言葉で、「皆と一致してその特の道を歩んでいくことを願っています」と、国民に親しみを込めて結んでいる。
 残虐な天皇は存在しなかったし、悪行を為した皇后も居ない。中国とは大違いなのだ。
 なによりも日本はどこの国にも占領されたことはないし、中国は常に他民族に乗っ取られ、ボロボロにされてきた歴史だ。国の歴史的背景やその道徳観の影響を受けて、各国の民族性が生み出されていく。
 教育勅語というと、もう知らない世代が多いし、知っている人の中には、前近代的亡霊のように思う人も多い。
 しかし、教育勅語でいう12の徳目は、決して儒教原理主義的なものでなく、実に欧米的思想まで組み込まれている。だから普遍的なものだと思う。
 実は私が塾長を務めている、TOKYO自民党政経塾の塾訓に、かなり組み入れてあり、全員で唱和することを常にしている。

 中国と日本のデモの相違を目の当たりにして、様々なことを考えていた。
 ただ、近年この日本にも道徳観の欠如が目立ってきて、大いに心配の種になっている。
 平気で親を殺める若者、逆に親の子殺し・・・、近頃ニュースを見るとこんな悲しい記事ばかりではないか。次第に自己中心の殺伐とした日本になりつつある。
 私は、これから出来るだけ機会をつくり、「教育勅語」を語りたいと思う。
 今の時代に警鐘乱打の必要を痛感している。

言いたい放題 第102号 「私はいつも予言者」

 私のホームページについて、ちょっと自慢するが、それは私の指摘する事柄が、大体においてマスコミの報道より一歩進んでいるということだ。私の講演や演説会でも、発言したことが必ず後になって大きな話題になったりもした。

 今週の週刊新潮(10月28日号)に「市民派菅直人美食日誌」という特集記事が出ている。サブタイトルは「庶民的焼鳥より超高級焼肉」とある。
 菅首相の動静は、毎日必ず新聞に事細かく載っているが、一番ビックリするのは、連日のように高級料理店で豪華な食事をしていることである。
 はっきり言って、その支払いは官邸で、つまり税金なのだ。
 市民派菅氏が最高の地位について、まずやっていることは、ガツガツ美食三昧の暮らしなのだからあきれるが、このことを私がホームページで書いたのは、8月8日のことで、週刊新潮よりも2ヶ月早かった。
 もっともその内容を見ると、さすが340円の週刊新潮、微に入り細にわたっていて面白い。
 「麻生首相時代、菅氏は一流バーに通う彼を批判し、「我々の感覚は焼鳥屋」と言い放ったが、宰相になって4ヶ月、その信念は今も心の中にあるかといえば、さにあらず」と書き出しから上手だ。
 圧倒的に多いのが、名のあるホテルの名店だ。いずれも一人あたり1万5千円超と書いていた。しかし実際は、一杯飲んだらその倍以上軽くかかる名店ばかりだ。食い道楽の私の経験からいうのだから、値段に間違いはない。念のために、申し添えるが、私の場合は勿論自費だが・・・。
 「驚いたのはANAインターコンチネンタルホテルに何度か行っていること。ここはかつて菅さんが女性と密会報道されたホテル、まだ使っているのかと思った」と、レストラン評論家に語らせている。
 なるほど、旨いポイントを突いていて、これなら読者の興味は尽きないに違いない。

 10月15日、参議院議員谷亮子センセイが、憲政記念館で柔道引退の記者会見を開いた。
 ついこの間の参議院選挙で、民主党公認で当選したばかりだが、あの時は「政治の世界でも金」と大見得を切っていた。ロンドン五輪や子育てを含めて、二足ならぬ三足のわらじを目指すといったのだ。
 政治でも金とは、「カネ」のことかと私は皮肉り、政治を甘く見るな、そんなことは出来ないことだと断じた。あれからわずか半年足らず、悪びれもせず、当たり前のような不遜な記者会見だった。
 選挙前の発言は、いわば有権者に対する公約ではないのか。有権者への謝罪もなくて、なんと「ファンの皆様に感謝します」と宣(のたま)った。
 何故か小沢前幹事長が同席していて、「長年のファンの一人として残念」と同じ言い方だ。平気で「ファン」という感覚は、まさに芸能人そのもので、少なくとも政治家としての自覚は皆無だ。
 今や強制起訴が決まって、事実上失脚状態の小沢氏、谷の人気にまだあやかろうとしているのだが、2人そろって大きな勘違いぶりだ。
 はっきりいって政治家失格、2人とも国会議員を辞めた方が国の為だ。
 今のうち、早めに宣言しておくが、谷の人気はこれで失墜。今後、国会で彼女の活躍の場はほとんど無く、次の選挙も勿論出られないだろう。

言いたい放題 第103号 「中国を反面教師」

 最近の中国のデモ騒ぎを見るにつけ、こんな暴力帝国が、まだこの地球に存在しているのかと、あきれると同時に、大きな怒りを感じている。
 しかも、これが今や世界に影響力を持つ、成り上がり経済大国なのだから、その危険性は大きく、始末が悪い。
 内陸部での相次ぐデモは、もはや暴徒化して、日本の店や車まで破壊し、略奪の限りを尽くす。
 しかも、この反日暴動を仕掛けているのが、実は人民解放軍で、その背後に権力争いがあるというのだから話にならない。
 元々、中国の若者達に徹底的に反日思想を叩き込んだ張本人は江沢民前国家主席だ。彼のいう愛国教育はイコール反日教育だから、この時代に育った連中は、盲目的にこれを信じ行動を起こす。今の暴徒の姿を見れば、まさにそうした世代だとわかる。
 現代は胡錦涛国家主席が実権を握ってはいるのだが、これに反発する軍や、江沢民一派との対立が目立っている。
 先の5中全会でポスト胡錦涛として中央軍事委副主席に、習近平氏が選ばれたが、この人は江沢民と軍部から支持を受けている。
 今、書店に出ている拙著「こんな政治じゃ、日本がダメになる!!」に、「許されない暴挙、天皇会見」の小見出しで習氏のことを書いている。
 天皇との会見は、御身体を配慮し、又、相手国との公平性の観点から、1ヶ月前までに文書で正式に申請することを原則にしていた。
 このルールを外務省は何度も説明したのだが、時の権力者小沢幹事長のゴリ押しで、なんと一週間前なのに強引に習氏との会見を決めさせたのだ。
 中国指導者にとって、天皇と会見したか否かは、大きな意味を持っている。ケ小平副総理が1978年、初めて天皇に拝謁したが、胡錦涛氏も1998年副主席の折に会見して、いずれも天下を握っている。
 習氏も会見に成功すれば、ポスト胡の追い風になり、それが狙いだと私は書いているのだが、前述のようにまさにポスト胡が決まって、その通りになった。これでこれから10年、習時代が続くことが確実になった。一層心配は尽きない。
 10月23日以降、ようやく中国政府はデモ封じ込め作戦に切りかえ、躍起となっているようだ。
 火をつけたり消したりと忙しい話だが、このまま放置すると、デモは反政府、反中国共産党へと内に広がる可能性が強いのだ。
 国民の不満のマグマは、まさに噴火寸前で、中国の今の体制も決して安泰とはいえないのだ。

 私は、かつて中国の大学の名誉教授などを務めたこともあり、中国とは人並み以上に交流していた。
 友人も多いのだが、近頃は、その友好関係も少しあやしくなっている。
 実は、長年交流のある医者から、中国青年代表団を連れて来日するので会って欲しいと連絡があり、10月18日に会談の予定を組んでいた。
 この人の奥さんも医者で、アメリカに在住しているが、つい最近日本で夫婦が落ち合うというので、本郷のおすし奴に招いて、家族ぐるみで歓待したこともある。
 中国の要人を連れてきては私との会食を求めるので、何の利害関係も無いのに快く迎え入れ、ご馳走したものだ。
 ところが、今度のデモ騒ぎで、ちょっと私が注文をつけたら、なんとそれから全く音沙汰無しなのである。結局、18日の行事もそのまま自然にキャンセルとなった。
 私は仕事柄、色々な国の人達との交際が多いが、総体的に言えることは、中国人はどちらかというと自分本位、あまり相手の都合を考えない身勝手な人が多いような気がする。そして言葉巧みで饒舌だ。
 かつては、儒教の国として日本道徳のお手本になったものだが、今はもうその面影はない。
 中国から何かを学ぶとしたら、そう、反面教師として・・・以外無いのではないか。残念な話である。

言いたい放題 第104号 「衆院補欠選挙の思い出」

 10月24日は、北海道5区で行われ、注目を集めていた補欠選挙で、自民党の町村信孝氏が見事大差で当選した。
 彼は昨年の衆議院選挙の小選挙区で敗れたが、比例で復活当選した。
 今回、民主党の小林千代美氏が、違法献金事件や選挙違反で辞職したのに伴って行われた選挙であった。
 町村氏は一旦議員を辞めて、小選挙区で改めて勝ち抜く為に出馬したのだ。
 9月の菅内閣改造が行われた後、初の国政選挙となったから、大きな注目を集めたが、自民党勝利となって、まずはホッとした思いである。
 岡田民主党幹事長は、「一つ一つの補選で一喜一憂することはない」と語ったが、これは全くの負け惜しみだ。
 先の代表選挙で小沢外しが功を奏し、菅内閣は高い支持を回復したが、目下、尖閣諸島問題の弱腰外交で、すっかり国民の不信をかって、支持率は一気に下降している。
 明らかに世論が民主政権から離れはじめたのだが、その実体がこの補選の結果に現れている。
 この選挙結果が政権失速に追い打ちをかけることは間違いない。

 菅政権にとって、当面の最大の課題は、なんといっても補正予算を早期に成立させることだが、それでなくともねじれ国会だから、相当困難な状況となる。
 野党が求めている小沢一郎氏の国会招致問題も、しらばっくれて先送りすることなど不可能となったのではないか。
 野党の立場からすれば、ここが攻めどころ、小沢証人喚問要求をしっかり強めていくことが肝要だ。
 その上、鳩山由紀夫氏の偽装献金疑惑をめぐる国会答弁も、再び問題になっている。
 総理大臣であったから許されていたのだが、不正は不正なのだから、断固追求すべきである。
 この臨時国会、後半の行方をしっかり注目したいものである。

 実は、この選挙を通じて、私は苦い思い出を噛みしめていた。
 平成10年、小渕政権が誕生したばかりの時で、私は自民党総務会長に就任していた。ついに党三役になれたと大いに張り切っていた。
 ところがこの頃、鳩山邦夫氏が知事選挙に出ることになって、突然議員を辞めてしまったのだ。当然私の地元東京2区で補欠選挙が行われることになる。
 当時私は、比例復活での議員であった。そこで、この際小選挙区で勝ちたいと、今回の町村氏と同じ思いで補選出馬を決めたのだった。しかし、このことで、なんとマスコミを中心に大騒ぎとなってしまったのである。衆議院議員を辞めて、同じ議院に出るのはおかしいという論法である。
 制度上、何の問題もないのだが、なにしろ初めてのケースであったし、総務会長という重責であったから、もう理屈抜きの嗷々(ごうごう)たる非難が起こり、広がっていったのだ。
 勿論、小渕首相や、森幹事長等、幹部全員の了解の上での出馬表明だったのだが、連日テレビ新聞の異常なほどの攻撃に晒されて、動きがとれない。ついに、小渕首相も音を上げた。
 「申し訳ないが」と涙ながらの懇願を受けて、私はついに辞退のやむなきに至ってしまった。
 時すでに遅く、変わりの候補者も立てられない。
 結局、自民党候補の居ない選挙となって、民主党候補が、票を独占して大勝してしまったのだ。
 このことが後々まで、大きな禍根となったことはいうまでもない。
 同じ事柄でも、それが初めての場合となると、なかなかうまくいかないものだ。
 私の時と違って、町村氏の今度の出馬には何の批判の声も起らなかった。
 あの頃を振り返り、なんとも不思議な気がする。
 それにしても年月の流れの速さはどうだ。あれから、もう12年が流れている。

言いたい放題 第105号 「旭日大綬章拝受」

 すでに周知のことかと思うのだが(案外知られていないか)、去る11月3日、私は旭日大綬章を賜ることになった。マスコミで発表されるや、わずか2日間で私の家の応接間から廊下に至るまで、胡蝶蘭で埋まった。
 運んでくる花屋さん達が、自分の店より数が多いと感嘆しきりであった。
 祝電が、ダンボール箱で何度も届くという具合で、女房をはじめ応援部隊の娘達も、対応でグロッキー気味であった。
 前は、勲一等旭日大綬章といったが、今は等級が廃止になっている。
 いずれにしても受章の本人が、あまりに大きな反響に驚いている。
 この雰囲気は、選挙当選の時や、大臣就任の時とそっくりだが、勲章となると、どうも「ご苦労さん」といった感じが伴っていて、心の中に若干複雑な思いが正直宿っている。
 70歳になって以降、何度もこの勲章を賜る機会もあり、特に昨年と今春続けて辞退していたが、良い年頃になったことだし、「もうそろそろいいのではないの」との女房の意見もあって、多少の迷いはあったが、拝綬することにしたのである。
 はっきりいって、これで「一丁あがり」という訳ではない。
 まだまだやるべき仕事は山積しているから、この度の叙勲は、とりあえず一区切りと考え、一層、奮励努力しなければと、誓いも新たにしているところである。

101105JyokunJyuyo.JPG
 11月5日は、午前10時、勲章の親授式に出席する為、皇居内の坂下門南車寄せに車を着けた。
 倅隆介も助手席で秘書役を務めてくれる。
 入口の左側はカメラの隊列で、盛んにフラッシュが光る。
 これも私にとって、久しぶりの懐かしい光景だ。
 控えの間に、12人の受賞者夫婦が揃う。
 ややあって、陛下から勲章を賜る儀式の指導をあらかじめ受けたが、5回大臣を経験した私にとって、これは手慣れたものである。(別に自慢しているのではないが・・・)
 何度か伺った正殿松の間、入口で一礼して天皇陛下の御前に歩み、直接陛下より勲章を賜る。一歩退って、今度は右側に立つ菅総理大臣から勲記を受け取り、2歩退って、再び陛下に立礼、回れ右で元の入口に戻る。もう一度正面に向き直って、深々と最敬礼をして、親授の式は無事終了である。
 早速、控室で職員が胸に勲章を付けてくれる。男子洋装礼服第一の燕尾服、斜めにたすき掛け、左下にも副賞が着き、これらを総称して「綬(じゅ)」というのだが、なにしろかなり派手な姿になった。
 今度は女房を伴って再び松の間で、天皇陛下の拝謁を賜る。
 一同を代表して扇千景女史が御礼の御挨拶を申し上げた。なにしろ彼女は参議院議長も務め、2度目の叙勲、同伴者は文化勲章の坂田藤十郎氏とあって、まさにはまり役ではある。
 陛下より、「長年にわたる国家国民への奉仕」を労われ、「これからは健康に留意し・・・」と結ばれたお言葉に、様々なことを振り返り感慨深いものがあった。
 近年、陛下の御健康がすぐれないといわれていたが、慈愛に満ちたお言葉に少しホッとした。

 今から20年前、昭和天皇が崩御され、明仁天皇が即位されたが、その即位の礼も、続く大嘗祭にも、私は郵政大臣として参内している。
 若々しかったお姿が思い浮かんで、いつの間にか年月が流れたことを痛感した。
 諸説があるものの、古事記や日本書紀にあるように、初代天皇は紀元前7世紀、神武天皇から始まっている。
 以来、125代にあたるが、万世一系、この天皇の存在こそ、日本国発展の中心であった。
 明仁天皇のご健康を改めて心から祈った。

 余談だが、今日の私が着た燕尾服は、20年前英國屋につくらせたものだ。
 あの即位の礼以来、一度も着る機会はなかった。大臣時代一番身体を鍛えたものだが、今はあまり出来ない。特にこの2ヶ月半、腰痛のため運動不足、一層体型が変わっている。英國屋に無理を言って、サイズを大きく修正したことはいうまでもない。

言いたい放題 第106号 「叙勲で思うこと」

 叙勲の栄に浴して4日経過するが、相変わらず祝意を示して下さる方が多く、本当にありがたいことと感謝しきりである。
 テレビでも私の勇姿?が、ちらっと映ったようで、燕尾服が似合っていたと連絡が来たりする。明治8年に決まったわが国の叙勲制度で、旭日章は最初の勲章だと、わざわざ教えてくれた人もいた。
 今は、何事も便利な時代で、ネットのウィキペディアで詳細が書かれているから見るようにと、丁寧な人もいた。
 私が一番嬉しかったことは、旭日大綬章は直接天皇陛下のお手ずから賜ったという点だ。
 勲記にも、「日本国天皇は深谷隆司に旭日大綬章を授与する 皇居において自ら名を署し璽をおさせる」と記されている。

 このところ私は、畏れ多いことだが、天皇に関わる事柄に触れることが多かった。
 何よりも印象深いのは、勲章公表の前日まで講演のため、京都に居たのだが、その講演の中味は、明治天皇の下、渙発された「教育勅語について」であった。
 かつて日本の道徳は、シナ(中国)の儒教に源を求め、これに並んで仏教の倫理観に支えられていた。
 ところが、シナは西欧諸国に食い荒らされているし、仏教も廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動で、勢いを無くしていた。
 明治の夜明けを迎え、近代国家を目指す日本として、新しい倫理観を確立する必要に迫られていて、ここに教育勅語誕生の意義があった。
 今の若い人は教育勅語をほとんど知るよしもないし、古い人は前近代的遺物と思っている。しかし、実はこれほど内容が普遍的な道徳訓は他に例が無い私は確信している。
 宗教的にも、政治的にも中立を守っていて、儒教や仏教の良さに加えて、西欧の先進的な倫理観が見事に組み込まれているのだ。
 12の徳目が示されているが、例えば「父母に孝」は儒教的な縦(たて)の教えだが、次の「夫婦相和し」では、儒教で夫を天、妻を地と上下関係としていたものを、道徳的には対等であると示している。これは、まさに西欧的思想である。
 限られた誌面だから全ての説明は避けるが、憲法や法律を守り、社会に寄与し、国に貢献し、国を守るといった考えは、近代国家としての公共性を重んじる西欧の倫理観をモデルにしたものなのだ。
 だから、教育勅語は1907年、英・仏・中・独語に各々翻訳されて、世界に通用する日本道徳観として高い評価を集めているのである。

 ドナルドキーンが記述したように、日本の天皇は専制君主ではなかった。シナやヨーロッパに見られる残虐な暴君も、まして悪行の皇后も存在していない。残忍陰謀とは無縁で、常に仁慈に満ちた存在であった。
 時代によって、天皇のお立場は様々に変るが、歴史の中で、常に日本人の精神的支柱となっていた。
 古代から永々と続いてきた天皇制は、いわば日本及び日本人が作り出した文明といってよいのではないか。
 戦後、明治憲法は今の日本国憲法に代り、教育勅語は廃止となった。いずれも占領軍GHQの思惑通りの結果である。GHQの目的は、はっきりいって、日本を無力な三等国にすることだった。
 彼らは戦前、日本には民主主義的制度も風潮もなかったと主張した。しかし、事実を知らなかったのか、知っていてとぼけたのかわからないが、とんでもない間違い言いがかりである。
 日本は憲法を自ら定め、議会も設け、あの激しい戦争の最中でも、総選挙を実施してきた国なのである(1942年)。
 又、教育勅語は基本的人権、主権在民を否定していると主張していたが、前述のように西欧の倫理も組み入れているし、なによりも最後の結びで、明治天皇自ら、この道徳観を大事にして、国民と共に進めていこうと呼びかけているのである。どこに主権在民を否定しているというのか。

 今の時代、日々のニュースを見ると、子を虐待する親、親を殺す子等々、悲しい出来事ばかりだ。
 国民も政財官もあまりに自己中心的ではないか。様々な分野で道徳観の欠如が目立ち、まさに三等国への道をひた走っているように思えてならない。
 教育勅語を復活させよとか、天皇制を見直せとはいわないが、せめて、こうしたテーマを一つの大きな話題としてでもいいから取り上げて、みんなで議論してみたいものだ。
 歴史の中で先人達が、苦労しながら学んだもの、残したものを、改めて素直に振り返り、自分たちの将来の指針とすることは大切なことなのだ。
 叙勲をめぐって様々な思いを抱いている今日この頃なのである。

言いたい放題 第107号 「国民の知る権利」

 尖閣諸島沖で起こった中国漁船衝突事件のビデオ映像が流出したと大騒ぎである。
 一体、誰が流出させたのか、もっぱら犯人捜しが注目されていたが、流出容疑の海上保安官が自ら名乗り出た。今後の捜査で、逮捕の方向という。
 事実解明は、ひとまず警視庁と東京地検に任せるとして、私はこのビデオをひた隠そうと必死であった民主党政権にこそ問題があると指摘したい。
 今回の事件を見ると、明らかに中国漁船が、なんと海上保安庁の巡視船に、自ら衝突している。
 この船長は、今や中国で勇敢な英雄扱いをされ、すっかりもてはやされている。
 一体、一漁船の船長にこんな無謀な衝突行為が出来るものなのだろうか。
 むしろ、中国側のスパイ、あるいはテロ行為者といったプロではないかという見方もあるが、私は限りなくそれに近いと思っている。
 せっかく、その不法な行為がしっかりビデオに映されているのだから、本来、一刻も早く公開すべきであった。
 国民の知る権利を守るという点からも、公開は当然だし、なによりも中国船が不当な行為を働いたという事実を明らかにする意味でも公開は必要なことであった。
 そうすれば、中国人船長を逮捕した正当な法的理由も充分に伝えられるし、何よりも中国の悪らつな行為を国際世論に訴えることも出来たのだ。
 確かに、セキュリティという観点から、内部情報がどのように流出したのか、これは問題とすべきテーマではある。
 しかし、我が国の法を犯し、逮捕された船長を、不当にも釈放し、これからも起訴しないという見通しの中で、一体世間が納得するだろうか。
 重ねていうが、守秘義務を云々いう前に、こうしたビデオは政府の責任において、本来、国民の前に直ちに公開すべきことであった。見方を変えれば、ビデオそのものが守秘の対象ですらなかったのではないか。

 かつて、沖縄返還の機密公電を暴露した西山太吉氏(元毎日新聞記者)らが国家公務員法違反で問われた裁判例がある。最高裁は、守秘義務の対象は形式的な守秘指定の有無で決まるのではなくて、実質的に秘密として「保護に値する」かどうかで決まるとの判断を下しているのだ(1976年)。
 今回の場合、当初から一部国会議員は見ているのだから、秘密性が高いとはいえない。
 今、対中国との外交は、極めて危険な状況にある。だから、政府は政治的配慮で、公開しない方針としたのだろうが、中国がそんなことで日本を理解し納得する筈もない。
 逆に日本の弱腰が見透かされるだけで、中国の横暴は決して止まることはない。
 予算委員会の要求が少し通って、11月8日一部の議員が密室でビデオを見た。
 しかし、小泉進次カ氏が言うように、「国民は40分見ているのに、国会議員は6分しか見ていない」。全くの茶番なのである。
 ビデオは、刑事事件の「証拠物」にあたるとして、民主党政府は非公開に決めたのだろうが、今や、このビデオは、朝から晩までテレビで繰り返し流れていて、もはや証拠物ではないのである。
 仙石官房長官は、国会で、「国家公務員の守秘義務違反の罰則は軽すぎるから、もっと強化することを検討する」との考えを打ち出した。
 明らかに議論の焦点を移そうという魂胆で、いかにも狡猾な彼らしいやり方だ。
 そんな言動に決して誤魔化されてはならないと強く思っている。

言いたい放題 第108号 「ゾンビとは?」

 あの相変わらず妙に気取った女性大臣が、又々はしゃぐようにして仕分け作業を指揮している。
 民主党政権になって、唯一注目を集め、比較的点数を稼いでいるのがこの仕分けの作業だが、今までの経過を見て、納得がいかない光景ばかりが気になっている。
 マスコミを通じて大騒ぎの中、これまで「廃止」や「見直し」が決まっているのに、なんと彼女自身曰く「ゾンビ」のように生き残って、そのまま来年度概算要求に盛り込んでいるケースが多いのだ。
 これには、廃止と決まって「さすがにやる」と、思わず拍手を送った民主党贔屓の人達も困惑の体ではないか。
 15日から、再仕分けをするというのだが、今回、対象となるものだけでも、なんと12省庁、110業種にのぼるという。
 それでは、今までやってきた仕分けは一体何だったのか。必ず実施させるということではなく、やる「フリ」をしたということか、だとするなら、まさに羊頭狗肉、看板に偽りありということではないか。
 再仕分け対象の多くは、廃止や見直しの判定を受けながら、別の名称で事業を続ける「看板付け替え型」、廃止された複数の事業を統合して予算を増額要求する「焼け太り型」、あるいは予算の軽減幅を小さくしたり、廃止の時期を延長して事業を存続させようとするケース等である。
 官僚達は、なんと悪知恵が働くものかとあきれるが、しかし、「ちょっと待ってくれ、その責任はあげて政治家にあるのだ」と私は言いたい。
 長年、政治の道を歩んできて、大臣経験などを通じて、各省庁がどのような経緯で概算要求を提出するのか、私はよく知っている。
 確かに概算要求の中味を作ってくるのは役人だが、それをしっかり受け止めて、内容を充分検討し、責任を持って提出するのは大臣、副大臣など政務三役である。
 つまり、政治家自身なのだ。
 仮に、役人達が、ひたすら自省庁の権益を守ろうと、様々な策を奔したとしても、政治家たる大臣らは、大局的な立場に立って判断し、仮に国家全体にとってマイナスだと思ったら、修正するなり止めさせるなり、断固対応しなければならないのだ。
 重ねていうが概算要求の全責任は、大臣ら政治家にあるのだ。
 目下のところ、一旦決めた廃止や見直し事業を生き返らせているのは官僚達だと、マスコミを中心に批判の矛先はもっぱら役人に向けられている。
 実際、仕分け作業に入れば、仕分け人の民主党議員がいかにも、正義漢ぶって、説明に立った役人を、激しく攻撃する光景となると思う。
 しかし、本当に追求すべき相手は、民主党の大臣達だということを、私達は決して忘れてはならないのだ。
 もっとも民主党の議員が民主党の大臣らを裁くのだから、そんなことは内輪でやればいいことだ。
 仕分け作業という舞台で、芝居がかったパフォーマンスなど、もうやめてくれというのが、私の率直な思いなのである。
 見せかけばかりの民主党政権を、このまま続けていいのだろうか・・・・。

言いたい放題 第109号 「法人税引き下げの裏に増税あり」

 政府は、多くの要望に応えて、ようやく重い腰をあげ、法人税を引き下げる方向を打ち出した。
 当然のことなのだが、油断出来ない。その財源を埋め合わせるためにどうやら、所得税や住民税の見直しと称して、実質的な増税を意図しているようなのだ。
 そもそも日本の法人税は、主要国の中でもかなり高い。
 中国などは実効税率で20%台になっているし、先進国で最高水準の独でも29.41%だ。
 日本の場合、国と地方を合わせた法人税実効税率は40.69%と高すぎる。今度政府がやろうとしているのは、実効税率ではなくて、国税の基本税率(30%)についてのみ5%引き下げるというものだが、ここには姑息なゴマカシがある。
 又、それと引き換えのように、他の税制を見直すとしている。
 彼らが考えている他の税制の見直し検討項目を具体的に挙げてみると、所得税、住民税でいえば、配偶者控除、給与所得控除、成年扶養控除、退職所得課税などの優遇措置の縮小がある。
 この他、資産家に有利だからという理由から、相続税の基礎控除の縮小も行うという。又、金融証券税制の優遇措置も廃止して、本則の20%にするとの考えも示している。
 株式市場の活性化を図るため、配当や売却益への所得税、住民税を今まで10%に抑えていた。それを本則の20%に戻そうというのだが、これでは、株式市場は一層低迷し、景気回復の足を引っ張ることになってしまう。
 ついこの間、政府は5兆円規模の経済対策を決めたばかりだ。しかし、こうした個人の実質増税を行えば、景気を支える個人消費が更にマイナスになり、経済対策は何にもならない。
 ムダの削減や効率化を一向に進めない中での増税を、簡単に容認することは出来ないのだ。

 そもそも今回の税制改正の出発点は法人税引き下げから始まっている。何故法人税引き下げが必要なのか、若干、その背景を書いてみたい。
 この1年半一般的に見て日本の景気は足踏み状態といった局面を挟みながらも、穏やかな景気回復基調にあった。日本の企業業績は思いのほか好調といってもいい。
 リーマンショックを経験した多くの企業は死にものぐるいで、コストダウン努力を推し進めてきた。たとえ売り上げが減っても利益は出るといった体質づくりに取り組んできて、ある程度成功している。
 しかし、こうした回復メリットを享受したのは圧倒的に大企業で、残念ながら中小企業は依然として苦しい状況から抜け切れてないのである。
 その上、円高が続き、大企業は海外にシフトしようとする傾向が一層強くなりつつある。それも、アジアシフトが一気に加速している。
 例えば日産自動車は、小型「マーチ」をタイで生産し、日本に逆輸入する時代になっているのだ。
 タイの人件費は日本の5分の1だし、法人税(30%)などを一定期間免除する優遇政策もある。
 タイ製マーチは、今やその部品まで現地生産調達するようになった。なんと部品の96%が日本製ではなくなってしまった。
 こうして、大手企業は、続々と国外に進出して有利になっているのだが、中小企業はなかなか追い付くことが出来ない。おいそれと一緒に海外へ行く訳には行かないのである。
 いわゆる日本の空洞化が進み、中小企業にとって深刻な問題になっている。
 法人税の引き下げは、企業の国際力をつける為にも重要だ。勿論、景気回復のエネルギーにもなり、何よりも空洞化にある程度の歯止めをかけ、中小企業を守る為にも必要なことなのである。

 政府税調の考えは、法人税の引き下げには応ずるが、その財源がない。だから、他の分野での増税をする必要があるということだ。これでは、国民にとって少しもありがたくない。何の意味もないことだ。

 では、本当に財源がないのか。
 昨年の衆議院選挙において、民主党は国民ウケの良い数々のバラマキ公約を掲げた。それも財政的裏付け無しにだ。
 だが政権政党となった今、民主党は国家国民のために真摯に対応する責任がある。出来ないこと、無理な公約は、思い切ってやめて、必要な分野に資金も投ずることが肝要なのだ。そうすれば、必要な財源は生み出せる。
 法人税を5%引き下げるために約1兆円が必要だ。
 一方、彼らが公約した子ども手当は、全額支給すれば約4兆6千億円にも及ぶ。今年は、半額だったが、次年度は全額支給かといわれている。
 しかし、半額支給のままにしておけば、これだけで2兆3千億円が浮く。なんと法人税は10%も引き下げられる計算なのである。
 子ども手当を増やすより、企業部内の税負担軽減を優先すべきだと私は思っている。

 これからの菅政権の税制調査会の動きを、厳しい目でしっかり見守る必要があると思っている。

言いたい放題 第110号 「法務大臣の資格無し」

 はっきりいって、民主党政権の閣僚にはろくな人が居ないが、中でも最低と思われるのが、柳田稔法務大臣だ。
 国会の答弁を聞いていて、これくらい厚顔無恥な人も居ないと何度も感じた。要するに大臣としての自覚もないし、なによりも不勉強で、法律問題についてのイロハも知らない。本来、法務大臣は軽量大臣では無いのだが、近年、大臣の顔ぶれを見ると、何故こんな人かと思える軽い人ばかりが続いた。

 かつて私が若い議員だった時代、稲葉修先生という魅力的な政治家が居られた。
 法務大臣、文部大臣など数々の要職をこなし高い評価を集めていた。
 いつも和服姿で飄々としていて、人を煙にまいたりしていた。
 横綱審査会のメンバーで、当時人気を誇った栃錦や若乃花とも親交があって、私も誘われて、よく駒形どぜうで痛飲したものである。
 なによりも深い教養を持ち、特に自分の担当する分野については当然のことながら専門的知識を持っていた。その言動は常に筋が通っていて、国会答弁に窮することはなかった。
 野党になんといわれても断固正論を貫き通し、まさに明治の人の風格があって、私は秘かにあこがれる思いであった。それに比べて、同じ法務大臣なのに・・・。

 柳田大臣は、予算委員会で、例の中国船長が釈放されたことに関して質問を受け、あの時全く誤った答弁をした。役人が直ちに訂正しているのにも気付かず、何回も同じ答弁を繰り返し、最後は慌てて陳謝して失笑を買った。
 なんとその大臣が、今度は、11月14日、自分の地元広島での大臣就任祝賀会で、またも大失言を行ったのである。
 「法相はいいですね。(国会答弁では)2つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます」。分からなかったらこれを言う。だいぶ(この答弁で)切り抜けてまいりました。あとは『法と証拠に基づいて適切にやっております』と言えばいい。」と発言したのだ。とんでもないことで、しかもこれは単なる失言ではない。大臣失格発言だ。
 予算委員会で、「こんな言い方で国会を切り抜けるなど国会軽視だ」と野党議員から激しく追及されたが、なによりも国民軽視で、決して許されることではない。
 彼は今までも紋切り型答弁が多かったが、今回は自らそれが意図的であったことを暴露した。
 早速参議院で問責決議との声が上がったが、野党が多数を持っている院だから出せば通るはずだが、果たしてどうなるのか。
 自民党時代なら、こんな大臣は即刻クビにしたものだ。少なくとも、それが常識だった。
 本来、問責決議の前に、菅首相が彼を更迭するのが当然なのだが、今までどんな問題大臣にも寛大だった?政権だから、このまま放置する可能性もある。
 本人は国会で、「仲間内の話だから」と弁明したが、事の本質を全くわかっていない。テレビカメラの前で、公然と語っているのだから、今更、仲間内でもない。それよりも、自分の大臣としての心構え、当然あるべき知識の欠如、つまりは、大臣としての資格が問われていることを自覚すべきなのである。こんな人では、法治国家は守れない。これでは国民の安心安全を守ることなど期待出来ない。自ら責任をとって辞職すべきなのだ。

 同時に、もう一言私の思いを率直にいえば、こんな答弁を平気で許してきた野党側の責任はどうなのかという点である。
 国家国民の今と未来を託しているのが国会だ。もっとしっかりしてくれないか!と、私の心中は毎日穏やかではない。

<<.. 9 10 11 12 13.. >>