第940回「武蔵野市長は何を考えているのか」

 深谷隆司の言いたい放題第940回

 「武蔵野市長は何を考えているのか」

 松下玲子市長の元、「子どもの権利条例」が来春にも市議会に提出される。

 こうした条例は60を超える自治体で制定されているが、多くの場合子どもの権利として「生きる」「育つ」「守られる」「参加する」の4類型を開示するのみである。それでも「子供の健全な育成を阻害しかねない」と修正されたケースが多い。ところが武蔵野市は更に「休む」「遊ぶ」までこれに加え明示するという。

 「自分らしく生きるために休む」場合は学校も欠席扱いにならないというが、子どもにそんな判断が出来るのか。子供の意思を最大限に尊重するということだが、これでは子供のわがままを助長するだけではないか。

 戦後の教育を振り返ってみると「子ども中心主義」で、子供の自主性を大切にするというお題目のもと、教師は子供を指導する立場ではなく、サポートする、手助けをする立場になってしまっていた。指導する立場とされる立場は、知識や経験においてその差は歴然としたもので、師匠と弟子といった上下関係がはっきりしたものでなければ教育は出来ない。子供中心主義で一時期はカリキュラムまでが子供たちの都合、わがままを受け入れるものになっていた。

 当時の日本の教育現場は日本教職員組合(日教組)が牛耳っていて日本の赤化を目指し、1960年の大会では、「今子供たちを赤化すれば、将来日本で革命が起きる」とまで演説していた。この日教組が提案したのが「ゆとり教育」で、授業はそれまでの3割が削られ、ついには土曜日を休みにして週休2日制になり、日本の子供の学力は加速度的に下がっていった。

 武蔵野の「子どもに休む権利を与える」考えは、ゆとり教育につながり、60年以上も逆戻りしたということで、あきれるしかない。

 武蔵野市は昨年12月、日本人と外国人を区別せず投票権を認める住民投票条例案を出した。私も断じて反対で大キャンペンを繰り広げたが、混乱の末、市議会で拒否されている。

 武蔵野市長はなにを考えているのか、本当にわからない。市民も当惑、困っているのではないか。市議会が昨年のように常識を持って否決することに期待したい。