第938回「思い色々」

 深谷隆司の言いたい放題第938回

 「思い色々」

 コロナ、台風・・・、次々と不快なことが周囲に多くあらわれる。皆大丈夫かと心配になってくる。これを読む皆さんのご自愛を心から祈りたい。

 本日発売の産経新聞都内板(8月13日号)17面の「浅草物語」の主役は不肖私だ。「子どもたちの運命を翻弄した戦争」というタイトルで写真入りの大きな記事である。

 終戦は遠く満州ハルピンで迎えたが、翌年、苦難の引き揚げでようやく佐世保にたどり着いた。そこから満員の引揚列車に揺られて上野に着いたが、親戚とは連絡が取れず泊まる所もなくて、2週間くらいは上野駅と京成駅を繋ぐ地下道で過ごした。 

 その周囲には飢えに苦しむ300人~400人ほどの浮浪児(戦災孤児・沖縄県を除き全国で12万3511人)が居て、まともな子は靴磨きなどで働き、飢えた子は食料を盗んだりの窃盗が多く、それでも餓死や凍死も絶えなかったという。

 深谷と浮浪児たちとを隔てたのは親の存在であったと書いているが全くその通りで、やがて私が政治家としてお国の為に人生を捧げられたのもこの親のお陰なのである。

 やがて母校田中小学校で暮らしたが、当時は田中国民学校という名称で、昭和21年5月に都営住宅に転用され、1つの教室を3つに区切って71所帯を受け入れていたという。

 東京大空襲では浅草区だけで1万1190人の人が亡くなった。焦土に立って富士山を仰げたことを覚えている。

 当時は浅草区と下谷区に分かれていて、後に合併して今の台東区になった。

 いずれにしてもこの記事は知らないことも多く、家族で読んでは瞼を濡らしている。

 すでに忘れられているあの時代のことを時にはマスコミで取り上げて欲しい。戦争の悲惨さ、平和のありがたさをかみしめ、特に周囲に脅威のある状況の中で如何にして平和を守れるか真剣に考えるためにも大事なことなのである。

 私にとって本当に懐かしい記事で、こうして取り上げてくれたことを幸せに思っている。

 ちなみに記事を見て最初に電話をかけてくれたのは服部征夫台東区長で、次が辻清人代議士、早坂義弘都議はメールだった。さすがと思った。