第895回「オリンピック開催」

 深谷隆司の言いたい放題第895回

 「オリンピック開催」

 開会式の直前、五輪開閉会式の演出統括小林賢太郎が解任された。過去のコントでユダヤ人大虐殺を取り上げて米ユダヤ系団体が非難していたという。

 「ユダヤ人大量惨殺ごっこをやろう」と話す当時の動画が拡散され、本人も「愚かな言葉遊びが間違いだった」と反省している謝罪コメントを出した。

 楽曲の制作担当の一人であったミュージシャンの小山田圭吾が過去のいじめで批判を浴び7月19日に辞任したばかりである。記録を見るといずれも理解できないほどひどい内容で驚かされる。何年前であろうと絶対に許されない人権侵害で弁解の余地はない。

 ただ、それなら中国の北京大会はいいのかと、最も人権侵害問題を抱える国の大会への疑問が改めて大きく感じる。

 1964年の東京五輪はどうであったか、57年前の時も準備計画の変更が相次ぎ組織委員会の無責任体質が批判の的であった。国民の関心についても56.8%の人が「私に何の関係も無い」と答えていた。

 あの頃の自分はと言うと、よく家内が言うが、それどころではなく、五輪の思い出はほとんどないと言っていい。

 1963年に27歳で台東区議会議員に当選、2年も経たないうちに都議会の汚職事件で未曽有の解散となった。私は怒りに燃えて無所属で出馬、残念ながら260票差で落選するという人生最大の岐路の時であった。

 日本は高度成長の真っただ中、荒廃から繁栄へと一気にせりあがった時代で、経済はあきらかに二重構造であった。大企業と中小零細企業との格差は大きく、高い切符を買って競技場に行ける人は限られていた。

 今大会はコロナ禍と酷暑、前例のない1年延期、無観客、トラブルだらけの五輪だが、評価は後世の人に任せればいい。

 かつての歩みを振り返ってみると、例えばモスクワ大会は各国のボイコット騒ぎがあったし、ミュンヘンではテロ事件があった。

 1920年のベルギーアントワープ大会は、第1次大戦の終盤で、4千万人もの犠牲を出したスペイン風邪の時代。それでも開催された。

 1940年には東京大会に決まっていたが日中戦争の批判や資材不足で中止となっている。その冬の冬季オリンピック札幌大会も中止であった。思えばオリンピックの歴史は驚くほど多難なのである。

 23日8時から始まった開会式で天皇陛下から開会宣言が読み上げられた。あの宮内庁長官の記者会見の言葉は一体何だったのか・・・。

 航空自衛隊の「ブルーインパルス」が大空に五輪の輪を描いたが、あいにくの曇りで鮮明に五輪を残すことが出来なかった・・・、でもそれがなんだ。

 朝日新聞などは相変わらず五輪を辞めるべきという姿勢を崩さない。反対の人のデモもあったが、始まった以上、日本の威信にかけて成功を祈り支えるのが当たり前の姿ではないか。アスリートに直接出場辞退を迫ったバカもいたようだが恥ずかしい限りである。

 私は真夜中12時まで開会式の模様を見ていた。演出は何とも地味で目立ったのは花火ばかり、期待が少し外れた感があった。しかし、競技場の上空にドローンが描く「地球」が浮かび上がってようやく一息つけた思いであった。

 205の国・地域と難民選手団の入場を見て、これだけの国から、世界を代表する最高のアスリート達がコロナ禍の中、日本に来てくれたのかと、それが最大の感動であった。 コロナ対策も含めて開会式に臨んだ選手は約6千人であったが、皆歓喜に満ちていた。開いてよかったとしみじみ思った。

 五輪史上最多の33競技339種目に出場する約1万1千人の選手たち、観客はいなくてもテレビ桟敷から何十億の人が声援を送っている。鍛え上げた技を存分に発揮してほしい。

 次の日本での開催を見ることは出来ない。私も各競技をテレビでじっくり見、心にとどめ、精いっぱいの声援を送りたいと思っている。