前の記事 TOP 次の記事

2021年04月17日

第884回「日々、感慨」

 深谷隆司の言いたい放題第884回

 「日々、感慨」

 まん延防止等重要措置が適用される直前の9日から3日間、聖徳太子1400年法要行事に参加するため京都を訪ねた。

 大法会は大阪府の叡福寺で行われたが、聖徳太子について温故知新塾の講義で取り上げようとしていただけに絶好のタイミングであった。

 聖徳太子は摂政(当時この名称はない)として推古天皇を支え、冠位十二階を定め、十七条憲法を制定した。冠位十二階は世襲の制度下にあっても、個人の能力によって登用させる道を開いた。

 十七条憲法は単なる掟ではなく、近代的意味においても憲法の名にふさわしい。世界最初の成文憲法はアメリカ合衆国憲法だが、その1200年前に日本は憲法を持っていたわけで、これは驚くべきことである。

 その第1条は「和を以て貴しとなす」とあるが、平和を国内に向けている。今の憲法は平和を外国任せにしているが、これは情けない話で、私が主張している憲法改正の必要性はここにもある。

 「独断せず、必ず衆と論ずべし」とあるが、これはおよそ1250年後の明治天皇の「五箇条ご誓文」、「広く会議を興し万機公論に決すべし」と全く同じである。 

 世界中が独裁国家の時代、日本には民主主義思想が根付いていたのである。

 607年、遣隋使を送ったが、小野妹子に持たせた親書に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と書いた。

 強大な軍事力を持った隋帝国は、自分の国が正しい文化を持った国、他の国は劣った野蛮な国だからこれを引き上げてやろうと考えていた。貢物を届ける国は臣下とみなした。今で言う傲慢な「中華思想」だ。

 太子の親書に皇帝煬帝は激怒したが、日本の国力を侮れぬと考え、逆に手厚く答礼使まで出した。隋と対等な関係を築いたのだ。中国の習近平に気を使う一部の政治家に見習ってほしいものである。

 聖徳太子大法会の式典中、私は様々な感慨をもって「来てよかったな」と改めて思った。

 あれから、国内はコロナ感染が更に拡大して大騒ぎだ。緊急事態宣言を自ら返上し、1か月もしないうちに感染再拡大した大阪など、知事の力不足も大きな原因だ。

 17日の産経新聞、「週刊誌ウォッチング」で花田紀凱氏は相変わらず歯に衣を着せず痛快な文を書いている。

 「尾ア治夫東京都医師会会長、尾身茂新型コロナウイルス感染症対策文科会会長の、第4波に入っているなどの発言を聞いていると、正直、その対策を講ずるのがアンタたちの仕事だろうと言いたくなる。」

 今週読んでいただきたいのは「週刊新潮」(4月22号)、笹井恵里子さんのリポート、「絶対断らない救急・湘南鎌倉総合病院コロナとの闘い」である。

 この病院の救命救急センターでは2020年には1万4858件の救急搬送を受け入れている。年間1万件以上を超えているのは東京都ではわずか2病院、全国でも10に満たないという。

 ここの医療関係者は地域の前線で働く使命感を持ち、明るいチームワークで戦っている。重要なのは地域開業医、病院同士の連携に心がけていることで、特に鎌倉医師会は山口会長を中心に全面的に協力している。その場合は病院が非常勤として雇用し責任は病院側が持つとしている。

 湘南鎌倉病院は徳洲会徳田虎雄氏が創設した病院である。かつて彼が国会議員の頃、私も「鎌倉病院は最高だから、がん検診を受けたら」と強く勧められたことがある。若かった私はがんなどの心配はないさと断ったものだ。

 徳田氏は政治力で医療を変えると奄美選挙区から立候補したが、金まみれ選挙を行って大きな話題をまいた。

 彼の信念は「命だけは平等だ」で、24時間365日オープンの病院を全国に拡大した。その理念が今も根強く残っているのが鎌倉病院であった。

 ご本人は、ALSという筋肉を動かす指令が脳から伝わらなくなり、手足や呼吸に必要な筋肉が痩せていく難病にかかっている。あの頃を思い出して心が痛む思いである。

 毎日いろいろなことがある。一つ一つが感慨深い・・・。



posted by 深谷隆司 at 16:20 | 言いたい放題




Powered by Seesaa