第881回「最近の動き」

 深谷隆司の言いたい放題第881回

 「最近の動き」

 21日で緊急事態宣言が終了し、一応人の集まりもできるようだが、これまで自民党政経塾の卒業式も、温故知新塾の講義もすべてオンラインで行った。

 1年間塾に通った人たちと顔も見ずに別れることは寂しかった。温故知新塾も今年の1月から始まったが、まだ新塾生の顔も知らない。

 腹立たしいコロナだが、これに感染して小野清子さんが3月13日に亡くなった。ローマと東京のオリンピックに参加し、特に東京の時は2児の母、ママさん選手として活躍し、女子団体で銅メダルを獲得した。これは史上初の快挙であった。

 その後、中曽根先生に頼まれて私が参議院出馬を要請、東京で当選し、3期18年務めた。国家公安委員長にも就任したが、かつて私もその大臣であった。歳も同じ85歳、不思議なご縁であった。心から哀悼の意を捧げたい。

 逝去と言えばサウジアラビアで石油相であったアハマド・ザキ・ヤマニ氏が2月23日亡くなった、90歳であった。

 私は2000年(平成12年)、日本の「アラビア石油」問題で、かの地に飛び、ナイミ大臣と何日間も交渉を重ねた。

 残念ながら、相手の法外な注文に「NO」を突き付けて帰国したが、その後、太平洋エネルギー会議参加のために来日した彼と、東京の友人の蕎麦屋で再会した。日本蕎麦大好きと聞いて私が招待したのだが、「今後も末永く、長く細く交流しよう」と誓い合った。今もサウジからの石油は順調に続いている。

 あの時、真の実力者はアブドラ皇太子と聞いて、2時間も砂漠の道を走って彼のいるキャンプ場まで直接交渉に及んだ。(後に国王になりすでに亡くなっている)

 ナイミ氏は第3代ファイサル国王に重用され31歳の若さで石油大臣になり、24年間にわたって世界のエネルギー市場に大きな影響を与えた。しかし、決定的なことは王族ではなかったことである。やがて国を追われるようにしてロンドンに移住し、晩年は不遇をかこったようである。

 21年前、私は働き盛りの65歳、通産大臣であった。

 今、懐かしくあの穏やかな笑顔を思い出している。

 さて、私の方は、まあ色々あったが、まずは大丈夫と言ったところか。2月中旬から帯状疱疹にかかり病院通い、ようやく治まりつつある。3月3日、杏林大学病院で大腸のポリープ5個を内視鏡でとるため2日間入院、現在は全快だ。

 私が連載で書いている今月末発売の月刊「Hanada」のテーマは「中曽根先生の想い出」、2回にわたって書いている。 

 編集者の「とても評判いいですよ」との言葉にのせられて、これからも愉快に書き続けたいと思っている。

 週刊朝日(3月26日特大号)に私のコメントが載っている。「首都圏知事離反、都ファ続々離党、露呈する小池百合子の限界」という記事の中だ。

 私のコメントの部分だけ書くと、

 自民党東京都連の深谷隆司最高顧問がこう語る。「1月の緊急事態宣言の直前には、小池氏は3知事と連携して国に要請し、菅義偉首相が「後手に回った」というイメージを作り出しました。しかし、今回はシナリオが崩れたようですね。知事たちも小池氏に利用されているとようやく気付いたのではないでしょうか。」

 「今、都議会自民党と都議会公明党の幹部が協力関係を相談していて、いい方向に向かっています。自公で政権を取っているのですから、それが自然。今年は衆院選もありますからね。前回はブームにやられましたが、持てる力を発揮すれば、自民党は復活するでしょう。」

 色々な週刊誌や雑誌などで私は折々取材される。率直に話す人が少ない時代、はっきりものを言うからだと思う。そんなわけで結構忙しい日々である。 

 「深谷隆司の言いたい放題」をご覧の貴方、コロナに負けず、どうか一層ご自愛ください。ご健勝を念じています。