第833回「謹賀新年」

 深谷隆司の言いたい放題第833回

 「謹賀新年」

 明けましておめでとうございます。

新春をいかがお迎えでしょうか。まず本年のご多幸をお祈り申し上げます。

 おかげさまで私も元気に新しい年を迎えることが出来ました。家内はじめ子供、孫もそれぞれ順調で、しかもいい友人達に囲まれてなんの不足もありません。神仏に感謝したいという心境です。

 84歳、人生のなんと早いことか。いつの間にこんなに馬齢を重ねたのかと驚いています。

 この歳になると、後の人生をどう生きるかが大問題で、そのことがいつも頭から離れません。自分の生きる「よすが」にするために、先人達の教えや、それに関連する本を盛んに読んだりしています。しかし、困ったことにそうした本の基準は「人生50年」を前提にしています。例えば70歳を「古希」といい、「古来稀なり」という意味ですが、今では70歳は決して稀では無いのです。

 確かに昔の人は驚くほど短命でしたが、今は人生100年時代といわれるようになりました。だから私は、様々な基準を、まず20年程度伸ばして考えてもよいのでは無いかと勝手に決めているのです。

 五木寛之氏の「林住期」という本はとても面白く、古代インドには「四住期」という考え方があることを紹介しています。100年の人生を4つの時期に区切って、それぞれの生き方を示唆しているのですが、そこで50歳から75歳までを「林住期」といい、その季節こそ自分の黄金期として開花させる時としているのです。75歳から更に20年延ばし95歳までが黄金期と思えば、まだまだ張り切って生きられるというものです。

 能の大家世阿弥は「花鏡」という伝書を残していますが、風姿花伝にもあるようにそこに「初心忘るべからず」と書いています。初心とは「最初の志」に限らず、人生において7つのステージをあげ、稽古の仕方を示していているのです。

 興味深いのは52歳で亡くなった父の観阿弥の奉納の舞を見て、動きが少なく控えめなその舞は、いよいよ花が咲くように見え、見物客も賞賛し、まさしく「老いの木に残りし花」であったと書いているのです。全てが無くなったところに一輪の花が残っている、むしろこの花を残すために今までのすべてのことがあったといえる。老骨に残る花、初心をもってそれに挑むべきだといっているのです。

 超高齢化の時代の年寄りの生き方を世阿弥は突きつけているように私には思えます。

 若いときの気持ちに戻ったり、若い頃と同じようにしようとせず、あくまで自分の限界の中で何をしたいかを考えよということだと思います。

 新しい年を迎え、若い世代を育てることをライフワークと考え、悠々と「老いの木に残りし花」を咲かせていきたいと思っています。