第830回「中曽根先生逝く」

 深谷隆司の言いたい放題第830回

 「中曽根先生逝く」

 11月29日、遂にこの日が訪れたかと逝去の報に接し、深い寂寥感を覚えた。連絡を受けたのは丁度、護国寺で岡本貫主の葬儀の最中であった。岡本貫主は92歳、これまで随分応援していただいた。中曽根先生101歳、お二人とも見事に天寿を全うされたと思うものの、本当に悲しい。

 早速、日経ビジネスの記者が訪れて、中曽根先生との交流の取材があり、語るうちに様々な事が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、感慨無量であった。

 私は27歳で区議会議員になったが、給料6万円、とても少ないので当選したばかりの四宮久吉先生の私設秘書も勤めた。この先生の所属が河野一郎先生率いる「春秋会」で、そこに中曽根先生はじめ山中定則先生、宇野宗佑先生といった青年将校が颯爽と活躍していた。

 都議選で260票足らず落選したが、その折々に中曽根先生を中心に若手将校達が熱烈に応援してくれたものである。やがて33歳の時に他の都議の倍の2万8千票を獲得し最高点当選となった。その勢いで無所属で37歳、衆議院議員となったのだが、以来、中曽根派に所属して数々の要職に就いて、政治家としての大道をひたすら歩み続ける事ができたのである。

 中曽根先生にはしばしば反旗を翻したりして困らせたこともあったが、決して一方的に叱る事もなく、常に優しく接してくれた。

 財政改革を重視した中曽根総理は、1986年、売上税を看板政策に据えた。

しかし、私の選挙区は中小企業の町、「まだ間接税の何たるかを知らぬうちの売上税には賛成できない」と狼煙を上げた。浅草合羽橋道具街の組合を先頭に連日デモが行われ、マスコミも巻き込んで大騒動となった。竹下幹事長から除名までほのめかされたが断固志を貫き、結局この時は中止に追い込んだ。総理に反旗を翻したことに忸怩たる思いが残った。ちなみに消費税は大平総理時代から10年を経て竹下内閣で成立、中小企業の理解も得たので私も賛成した。

 相当怒りをかったと思っていたが、なんと2年後、中曽根先生から誘われて欧州探訪の旅に出ることとなった。サッチャー首相やコール首相など錚々たる政治家に会い、いい勉強になったが、先生は道中一切過去のことに触れず、政治談議で明け暮れ楽しかった。

 3年前中曽根先生を訪ねたが、98歳、とてもお元気で、一緒に写真に納まった時、「深谷君の手は温かい、若いというのいいね」と言われた。80を越えている私だが、先生から見ればまだ若いのである。

 「暮れてなお 命のかぎり 蝉しぐれ」 総理を辞める時の先生の句だが、国のことを思い、いくつになっても正論を訴え続けようとの愛国心に満ちた先生の気概が溢れている。

 私もその心意気を学び、若い人達に語り続けていこうと思っている。合掌