第795回「多忙、愉快な日々」

 深谷隆司の言いたい放題第795回

 「多忙、愉快な日々」

 1月30日、浅草公会堂で服部ゆくおさんの決起大会が行われた。1000人の前で彼との出会いを語り、如何に区長として評価が高いかを訴えた。

 彼は元は私のライバルであった故山田久就先生の秘書であった。故吉住区長もそうであったが、やがて縁があって私の陣営に参加した。彼は区議から2度都議に出馬して失敗している。1999年、私が当選し、総務会長になった頃、彼に都議補欠選挙出馬を促し、私の事務所も宣伝カーも提供、見事当選したのであった。5期務め、今度は吉住区長が病床に倒れた事を知って、彼に区長出馬を勧め、吉住区長の時もそうであったが、私が選対本部長になって当選した。

 3月区長選挙、あわせて区議選挙、4月には統一選挙となるが、多勢の後輩達を勝たせるために、私の獅子奮迅の戦いが始まる。愉快ではないか。

 翌2月1日、元代議士田野瀬良太郎氏の招きで2日間の奈良旅行を家内と楽しんだ。彼は私の現職時代の自称弟分、政治の世界で活躍を競い、かつ痛飲を楽しんだ。

 大阪の彼が創設した大和大学を見学、それから車で奈良に向い、明日香村の森川村長の案内で飛鳥時代の日本の歴史を探訪した。熱心な説明に、興味深々な私にとって感動の連続であった。

 古事記の上巻は神代の時代、中巻からは人の世の物語に入る。

 日向の高千穂からカムヤマトイワレヒコノミコトが大和に出陣、苦戦するが平定、橿原に都を作った。第1代天皇の神武天皇である。

 蘇我氏や藤原氏の葛藤が続いたが、常に天皇の権威は守られ権力は彼等が握った。権威と権力が画然と分かれた国柄を作った歴史は世界にない。

 キトラ古墳の重要文化財の壁画、玄武が公開されていた。壁画の書かれた石室は奥行き2.4メートル、幅1.0メートル、最大高1.2メートルと驚くほどの狭さである。7世紀末から8世紀にかけてつくられた古墳だ。壁画に描かれた架空の動物達は古代中国で東西南北の守り神であった。

 私は徳真会の松村先生に頼まれて、四神の内、青龍、白虎、朱雀を150号(畳3畳の大きさ)で仕上げ、彼の各診療所の正面に飾られている。残りの玄武はまだだが、いずれ北の診療所に飾られる予定である。特別公開の重要文化財に出会い、不思議なご縁に興奮した。夜はかの地で公演中の八代亜紀さんも合流し素晴らしい宴となった。

 翌2月3日は節分、恒例の浅草寺と護国寺で豆をまいた。もう50年も続けてきたが今年は本物の亥の年男である。浅草仲見世の行列でむかしは「ふかや!」と声が飛んだが今は無い。なんと8割近くが外国人なのである。護国寺は圧倒的日本人、頑張って下さいと握手を求められ満足だった。

 4日は党本部で地方選挙に向けて決起大会、私はいつものように檄を飛ばす役目、大声で獅子吼、まだまだ元気だと強調した。

 5日は自民党政経塾、13年目最後の講義だ。早いものでもう1年が過ぎる。素晴らしい塾生に恵まれ、「育する」を楽しんだ。あまり大勢で顔と名前が一致しないまま別れることになる。なんとも残念で惜別の思いに駆られた。

 各々の立場で、お国の為に元気で頑張ってもらいたいと祈るのみである。