第751回「則天去私、自然の道理に従い、私心を捨てて生きたい」

 深谷隆司の言いたい放題第751回

 「則天去私、自然の道理に従い私心を捨てて生きたい」


 50年にわたる政治生活を終えて引退してから、もう5年が過ぎようとしている。現職時代は、大袈裟に言えば毎日が戦いであったが、政界引退した今は悠々自適の日々である。

 1月は本来なら約600ヶ所の新年会を必死に回っていた筈だが、今は特別かかわりのあるところ以外には行かない。

 23日の節分、昔なら78箇所は回ったが、今年は浅草寺と護国寺で豆をまいた。浅草寺では執事長に紹介されて挨拶したが、「36歳の年男の頃から通い始めて47年になります。これから来られるのは30年程度です」と言って皆を笑わせた。和泉前都議、石塚区議、そして桑原、澤田両君が相変わらず付き人然として私の世話を焼いてくれたが、元秘書だった石塚君曰く「大臣の時は、公務のため間に合わず行列を遅らせてもらいました。隆介君や自分が代理をつとめたこともあります・・・」。家内をはじめ家族全員が私と歩いたが沿道はほとんど外国人、浅草も随分変わったものだ。

護国寺は、故四宮代議士の私設秘書の時から来ているから55年目になる。ここは中屋都議(私の元大臣秘書官)が世話を焼いてくれた。生憎岡本貫首は加減が悪く欠席だが、ここは友人が多いし、集る人たちも近隣の日本人ばかり、娘恵理が教え子たちと奇声を上げるから一層賑やかだった。新派の女優波乃久里子さんや遠州流家元夫人親子など懐かしい人ばかりで楽しかった。

最近私のお気に入りの言葉 「今宵酒あらば今宵酒を飲む、明日憂い来れば、明日憂う」、本当はあと何年行けるのか、そんなことを今考えることはないのだ。


野中広務氏の逝去が報じられた。細川政権打倒に燃えたあの頃のことが鮮明に思い浮かぶ。私が予算委員会筆頭理事、野中氏は次席理事で、二人は自民党議員の中では珍しい野党経験者(私は美濃部知事時代の都議、野中氏は蜷川府政での府議)、武闘派と呼ばれて大いに論陣を張って、わずか8ヶ月で退陣に追い込んだ。彼と故小渕首相から「次の幹事長に」と言われたこともあった。マスコミ曰く「幻の幹事長」である。10歳上の92歳、謹んでご冥福を祈りたい。


大相撲理事選、あんなに大騒ぎしたが、大山鳴動して、変化なしに終わった。貴乃花親方には浮動票が集ると、大相撲記者クラブ会友などが、したり顔で予想を立てていたが全滅だった。要は貴乃花親方が「政界の言うだけ番長」のように、改革と言うだけで、4期も理事でいながら成果を挙げていなかったから、他の親方衆から信頼されなかったに過ぎない。この際相撲協会も襟を正してしっかりやらなければならない。「則天去私」の心が必要なのである。