深谷隆司の言いたい放題第747回

 「私の10大ニュース」


今年もあと3日、昨日は和泉君の運転で、娘知美一家、孫隆仁と冨士霊園に両親の墓参り、箱根神社詣と、日帰りのちょっとした旅をした。夜は中野画伯夫妻も加わってザ・プリンス箱根「なだ万雅殿」で会食、渡辺支配人の変わらぬサービスで最高の味を楽しんだ。

6月、私が後援会長をしているに二所ノ関部屋の力士全員を招いて恵理の家で大宴会、ところが9月、親方が事故で重傷となった。10月に見舞ったが、私の顔を見てにっこり笑うなど着実に回復しつつある。妻高田みづえさんの献身的な介護で必ず全快すると信じている。

相撲界のお粗末な動きには辟易だが、松村先生を通じて頼まれて友綱部屋の看板文字を書いた。12月の序幕式は二所ノ関親方のことをおもんばかって欠席したが、スポーツ紙に「めちゃ嬉しい、カッコいい」と看板の横で喜ぶ友綱親方の写真を見て私も秘かに喜んだ。

塾長として教えている自民党政経塾は12年目を迎え相変わらずの満員盛況、11月の熱海合宿も充実したものになった。徳真会主催の温故知新塾は2年目が終わって目下3年目の塾生募集中、幻冬舎から昨年の講義をまとめた「本当はすごい日本人」も出版された。当初、三省堂、丸善、紀伊国屋でベストセラー第1位、浅草ROXの書店は今も1位が続いている。その他、大阪経済大学の講義など種々の講演でも忙しかった。

マスコミ関係では「ゴゴスマ」「ワイドスクランブル」「あさチャン!」等に何度も出演、論陣を張った。文春、新潮など週刊誌の取材も多く、夕刊フジでは「韓国嫌い」で写真入りで大きな記事になった。ゴゴスマからは私の誕生日に花が届けられ感激だった。そのオータニでの誕生会、私は孫の安希与とタップを踊ったが、最後は倅隆介の音頭で「星降る街角」を参加者全員で踊りまくった。恒例の陽気で圧巻の誕生会であった。

5月、中曽根康弘先生白寿の会、事務所を訪れご一緒に写真を撮ったが、「深谷君の手は暖かいな、若いっていいね」と言われてびっくり、来年は100歳、私も見習いたいと思った。5月に早大雄弁会同期OB会がパレスホテルで開かれたが随分亡くなって寂しいかぎり、皆が森喜朗氏と深谷の元気にあやかろうと語っていた。

なんと言っても一番大きなことは6月に行なわれた都議会と12月の衆議院選挙であった。小池ブーム、都民ファースト旋風で自民党は歴史的大敗北、なかや文孝君は辛くも勝ったが、和泉ひろし君など多くの良い人が敗れ、痛恨のきわみであった。衆議院選挙では私が選対総本部長となり全都を指揮し圧勝、特に選挙区割り変更となった地元で心配したが、辻清人君、松島みどりさんの二人を抱え大勝利、ようやく溜飲を下げることができた。

1226日、自民党台東総支部の定例総会を開催、500人満員の席で、私は総支部長を辞任した。服部征夫区長を実現させるため、たっての依頼で私が支部長を一時引き受けたのだが、以来選挙選挙で辞める機会を逸していた。衆議院大勝、本年の締めくくりのこの大会こそ勇退のチャンスであった。次々と挨拶に立つ人たちから感謝と賞賛の挨拶を受け、赤面しつつ、でも本当によかったと感じていた。総支部長は私の元秘書、ベテランの石塚猛君が就いた。

松村先生夫妻との屋久島旅行、私の300号の昇り龍の絵完成等まだまだ想い出に残る事柄が沢山あるが、紙面の都合でこの辺でとどめたい。

この1年本当に色々のことがあった。苦労も多かったが精一杯生きたと自負している。さて来年はどんな年になるのか・・・。

皆さんのご多幸を念じて本年最後のご挨拶としたい。ありがとうございました。