第730回「悲喜こもごも」

 深谷隆司の言いたい放題第730回

 「悲喜こもごも」


88日、突然、関博之君が来宅した。私が自治大臣の時の秘書官だったが、今度復興庁事務次官に出世して、挨拶に来てくれたのだ。

このところ、通産大臣時代の政務次官であった茂木敏充君が経済再生担当大臣兼人づくり革命担当大臣に、更に同時代の事務秘書官齋藤健君が、実に3期生で農水大臣になるなど、かつての部下、後輩の諸君が次々と世に出ている。こんな嬉しいことはない。早速、都議に再選されたばかりの中屋文孝君(彼も私の大臣秘書官)に連絡して、仲間でお祝いの会を開くことにした。

7日は、惜敗した和泉ひろし君の為に、自民党台東総支部総務会兼選対会議の打ち上げ会を催した。浅草区民会館には台風の予測の中、実に500人もの人々が集まった。負けた時にこんなに集まるものではない。本人は「不徳の致すところ」と謙虚に詫びていたが、私は「不徳はスキャンダル続出の国会サイドにある」と話した。マスコミの過激な報道を含めて、あれでは自民党嫌いとなって、いい人達が軒並み敗れて不思議はない。無念だ。

次の辻清人君の選挙も、選挙区割りの変更も含めて決して油断できない。本人の強い希望で、私の総支部長続投が満場一致で決められた。あの選挙を機に「やめると決めていた」から、なんとも困ったことだが、後輩のためだから老骨に鞭打って?もうひと働きしなければなるまい。

8日には中央区の石島ひでき君が私への感謝の夕食会を開いてくれた。磯野、押田両区議も同席して痛飲したが、席上、築地市場の大火災の話題となった。

当然、地元都議が飛んでいって様々な手配をしなければならないのだが、都民ファーストの新人女性は顔も見せなかったという。改めて自民党議員が不在となったことの損失の大きさを痛感したものである。

お気に入りの日本橋「とよだ」の店だったが、そんなわけでもう一息盛り上がらなかった。


岐阜県高山市のキッチン飛騨河本敏明氏から「旭日双光賞授与」の喜びの知らせがあった。ほとんど同時に、同じ飛騨で「板蔵ラーメン」を経営している牧野秀也氏の訃報が届いた。

昔、私は後援会旅行会を46年も続けていたが、飛騨高山にも数回訪れた。その折に知り合い、以来、15年もの交流となった人達である。

河本氏が経営する店は、飛騨牛を提供する有名店だが、偶然家族で立ち寄ったら、先方から声をかけてくれた。通産大臣で選挙に敗れた直後であったが、「評判の悪い森内閣のためだ」と憤って、私を鼓舞してくれたのが付き合いのきっかけであった。

牧野氏の店で後援会旅行会の昼食をとったのだが、それが縁で、自宅にまで呼んでくれて三味線、太鼓で野趣に満ちた大歓迎の宴を開いてくれたりした。アイディアマンで次々に私を驚かせたものだ。訃報の手紙の最後に彼の直筆の別れの言葉があった。「突然、死の宣告を受けた、残念です。何も知らずに生まれ、何も知らずに死を迎える、それを人は人生として生きている。出会い、縁がありがたく、ただ感謝あるのみです。さよなら」とあった。悲しくて涙が出た。


わずかな数日間に悲喜こもごもの事柄がある。これからもこんな日々が続くのであろう。だからこそ一刻一刻を大事に、人との出会いを大切に生きなければと思っている。