深谷隆司の言いたい放題第691回

 「忙中閑あり」


 最近、歌舞伎、ディナーショー、浅草の芝居と舞台三昧が続いた。

松竹の岡崎哲也常務のご案内で、今まさに話題の八代目中村芝翫等親子4人の襲名披露大歌舞伎を観た。さすがにすばらしく、すっかり歌舞伎を堪能することが出来た。(余計なことだが是非「イヤホンガイド」をお勧めする。難しいセリフも大丈夫、舞踊の一つ一つ心の動きまで説明してくれるのだから磐石である)

小田原名物「ういろう」を売るために、薬の由来や効能を長台詞、早口言葉で語ることで話題を集めた歌舞伎十八番の「外郎売」から舞台が始まる。愛之助が急遽代役となった時、これを見事に語って、今の地位を得たとか、これは家内の説明である。あだ討ちものだが、残念ながら肝腎の芝翫が出ず、松緑の外郎売りは何故か台詞が短く終わって物足りなかった。

次は襲名披露の口上である。4人を中心に歌舞伎界の代表的な人達が豪華絢爛、舞台狭しと並んでいる。中央の坂田藤十郎から口上が始まったが、それぞれが思い思いの口上で、尾上菊五郎など「奥さんに叱られながら」とやって場内爆笑であった。

芝翫中心の芝居は「熊谷陣屋」だ。敦盛の首を討ったが実はわが子の首、最大の見せ場は「首実検」で、熊谷次郎直実の沈痛な思いを芝翫が見事に演じた。幕切れは僧となった熊谷をはじめ登場人物が絵面に決まって襲名披露の一幕となった。

最後は玉三郎の「藤娘」、藤の精が娘となって現れ、その恋心を踊るのだが、この世のものとも思えぬ美しさ、幻想的で陶然とさせてくれた。もう還暦の筈だが、この美しさと踊りの見事さの背景には日頃の端正な生き方があると思った。

後日、岡崎氏との会食の折、香川照之こと市川中車とも連絡が取れて、しばらく懐旧を楽しんだ。ひところ毎日のように私の家に出入りしていて、私はわが子のような愛着を覚えたものであった。長く生きると人生は楽しい。


奈美悦子ディナーショーは1021日。娘恵理が「おもてなし教室」を開いているが、そのお陰で安倍昭江夫人等大勢の友人がいる。奈美悦子もその1人だ。  

彼女は昔、西野バレー団に所属し、金井克子や由美かおると人気スターとして一世を風靡した。一時大病を患ったが見事克服し、今はテレビのバラエティ番組等で人気者だ。何曲もジャズを歌い続けたが、声量も豊かで衰えていない。立派なものであった。終了後も皆で痛飲、大満足であった。


翌日は浅草観音裏の「ゴロゴロ会館」で、劇団にんげん座の「回れ走馬灯」観劇。作演出が私の高校の同窓生飯田一雄氏で、是非来てくれと何度も手紙を貰った。

浅草六区は戦前、オペラから軽演劇で栄え、エノケンやロッパが人気を集めた。

戦後満州から引き揚げてから、父に連れられて何度も行ったが、瓢箪池がまだあって、いつも押しあいへし合いの大層な人出であった。ごみごみした屋台が並び、見世物小屋があり、香具師(やし)の口上の声がにぎやかだった。映画館、ストリップ劇場も盛んで、渥美清や谷幹一等はショーの合間のコントで腕を磨いていた。20館以上あった映画館もほとんどなくなり、香具師達の姿も消えた。そんな浅草の郷愁を絶やすまいと「にんげん座」が生まれ、永六輔や小沢昭一が支えた。今はその二人もいない。

正直、役者の演技も上手いとはいえないが一生懸命さが伝わる。まさに「昭和アチャラカ時代」の舞台再現だ。合間に歌と踊り(これは見事)、小出芳明とデキシーショーケース(旧知の仲で挨拶を受ける)のジャズも入り、てんこ盛りの雑多さなのである。

家内には少々無理だったようだが、私は70年も前の浅草を走馬灯のように想いうかべ感慨無量であった。


今夜(22日)は、人間国宝新内仲三郎の芸を聴きに上野「亀屋」に行く。鰻で一杯飲んで、新内を堪能する。忙中閑ありで、幸せである・・・。