第680回「いずみ都議圧勝」

 深谷隆司の言いたい放題第680回

 「いずみ都議圧勝」


台東区は都知事選挙と同時に行われた都議会補欠選挙で、私の愛弟子の和泉浩司(いずみひろし)が、53,920票を獲得し、相手候補を実に21,700票も差をつけ圧勝した。和泉新都議会議員誕生は、全力で応援した私にとって大満足の結果であった。

和泉君を自民党公認に決定したのは、自民党台東総支部(私が総支部長)の総務会で決めた選考委員会であった。候補の一人太田区議会議長は党議に気持ちよく従ったものの、公認から外れた保坂区議は一時、無所属で出馬する動きを見せた。急遽開いた選対会議で私は激怒したものだが、結局、最後は円満に解決して、全員一致協力しての応援体制となった。寺井、石塚、石川、望月、鈴木、小島等自民党区議団も必死だった。隣の文京区から中屋都議が連日通っていた。 

公明党議員、無所属の5人の区議も応援に入ってくれた。

私の後継者である辻清人代議士を選対本部長に就け、初の体験をさせたが、張り切って飛び回り、大きな成果を挙げ意義があった。安倍医師、政木会長ら後援会の面々も熱が入る。まさに総力戦となった。

和泉君は最初、演説も行動もぎこちないものがあって、私は何度も叱咤激励した。家内からあまり叱っては気の毒だと言われたが、勝つためには必要なことと意に介さなかった。

 和泉君は応援者の温かい支援を受け、感謝の心で必死に運動を展開した。演説も政策的内容も次第に充実していった。最後の母校桜橋中学校での演説会では家内はじめ子ども達が皆涙した。私も思わず彼の手を握り「100点だ」と叫んだ。本当に都議会議員らしい風格が備わり立派になっていったのである。

 因みに和泉君の票は区政始まって以来の最高点、しかも小池都知事が台東区で得た票43,852票より1万票も多く、大いに溜飲をさげたものである。

 来年7月には又都議会議員選挙がある。和泉君には明日から選挙戦が始まると思えと念を押した。


 都知事選挙は小池氏の圧勝で終わった。自民党前衆議院議員でありながら、都連や都議団を批判し、個人で組織に挑む姿勢を強調した。強いて敵役を作り、これに果敢に挑戦するポーズ、まさに小泉流の劇場型選挙の演出であった。

舛添前知事が辞任願を出すと、主要三候補の中で誰よりも早く出馬を表明した。事前に党の了解も得ないでの出馬に党内の顰蹙をかったが、保守分裂の中、逆に同情票を集め、なんと自民党支持層の55%が小池氏に一票を投じた。

私の場合、出陣式の当日、突然石原会長から増田氏の確認団体の選対本部長就任を依頼された。前回の折は、党本部の石破幹事長からの手厚い依頼で、しかも十分な時間的余裕があった。

あまりに急の依頼に体制を作ることも出来ない。全体会議を開くべく何度も要請したが、ついに一度も出来なかった。代わりに確認団体の大会を23区と三多摩で開き、これは大成功であったが、やるべきことがやれないで私の心に大きな悔いを残した。私は知事選挙、地元の都議選挙で超多忙な日々が続いた。

増田ひろや候補は、元総務大臣であった。私は郵政大臣と自治大臣を勤めたがこの二つが合併したのが総務省、いわば私の大事な後輩大臣の一人で、好感を抱いていた。実直で誠実、何よりも地方自治に明るく、防災担当大臣であっただけに、東京の遅れている防災対策を確立してくれるとの期待があった。

しかし、知名度が全くなく、常に小池、鳥越氏の後塵を拝し、結局小池氏に大差で敗れた。敗れた直後、彼から感謝と不徳をわびる電話が入った。なんとも言いようがなく、ひたすら体を大事にと慰めるのみであった。


戦いは終わった。都政の安定こそ急務だ。やらなければならない課題が山積している。小池氏にはぜひとも、地に足をつけた都政を進めて欲しい。

都議会と対決するのではなく、いずれも都民の代表なのだと自覚して、都民のための都政を打ち立てて欲しい。


私はこれから、依頼されている150号の虎の絵に取り組まなければならない。 政治の雑踏?を避けて箱根の山荘にこもってしばらくは絵描きの真似事で過ごそうと思っている。