第421回「出会いの楽しさ」

 深谷骼iの言いたい放題第421回
 「出会いの楽しさ」

 私ぐらいの年齢になると、毎日が愛おしく、それだけに人との出会いが,何よりも嬉しい。
 娘の恵理が文京区の自宅で「おもてなし教室」を開いているが、すでに1万人を軽く超えるほどのお客が訪れている。私も、「深谷迎賓館」と称して、折々に私の関係者をここへ招いている。
 過日は文京区議らが私への感謝の宴を開いてくれたので、今度は彼らを、この迎賓館に招いた。あわせて、護国寺貫主夫妻、中屋都議夫妻、そして武見参議院議員夫妻にも参加してもらい、総勢15人の大宴会となった。
 皆いい人ばかり、現職時代にもっとやればよかったと思ったが、悠々自適の今だから出来るのかも知れぬ。
 皆と話も弾み、痛飲しつつ今度は誰を呼ぼうかと楽しく思いめぐらしていた。

 次の夜、高名な歌手水前寺清子夫婦と浅草むぎとろで会食となった。ご主人とは何度かお会いしているが、彼女とは初めてで、どんな人なのか興味津々であった。
 この新しい出会いのセットをしてくれたのは財団法人日本消防協会の秋本敏文会長である。
 過日の鹿島氏叙勲祝賀会(記載済み)の折、久しぶりに会ったのだが、彼は私の自治大臣時代つかえてくれた消防庁長官である。東日本大震災で活躍した緊急消防援助隊創設や消防1兆円構想、更には陛下をお招きしての大規模な消防訓練等を共に実現させた、いわばかての同志である。
 今年の1125日、彼が中心になって、東京ドームで開かれる「消防団120年・自治体消防65周年記念大会」に、水前寺清子さんが特別出演をする。 
 大ヒットした「365歩のマーチ」を替え歌にして、なんと37千人の参加者全員と大合唱させようというのだ。
 私も招かれるが、「ついては一緒に会食を」となったのである。

 颯爽と現れた水前寺清子さん、ボーイッシュな髪を金髪に染めて若々しい。
御主人は少し年下だが音楽家として活躍した芸術家である。開口一番「家内は森の石松のような女ですがよろしくお願いします」。
 一体どういう事かぴんと来なかったが、酔うほどに、なるほどと思えるようになっていった。
 やがてカラオケとなって歌の上手な秋本氏、続いて私がマイクを持ったが、途中、「音が大きいと」隣室から苦情が来た。
 それを聞いた水前寺さん、突然立って隣室に行こうとする。皆で制止したが振り切って行ってしまった。一体どうなるのかと心配していたら、にこにこと戻ってきて、「さあ、歌いましょう」。
 慌てて付いて行ったむぎとろの女将から聞いたが、水前寺さん、一向に悪びれる風もなく、「騒がしくてすいません、あと2、3曲ですがいいですか」。
 隣室の客は偶然にも女芸人さん中心の一行で、大先輩の水前寺さんの登場にびっくり恐縮して「どうぞ」としょんぼりしていたと言う。
 水前寺さん曰く、「もし何とか云ったら、許さない…」。まさに森の石松、面目躍如であった。
 最近とみに人前に出ることを嫌がるようになった家内とすっかり意気投合、彼女もまた同様で、知らない人に会うのは最大の苦手、「今日も実は来るのに気が重かった」と言う。「衣装を着て舞台に立つと何でもやれるのに・・・」。
 「なんで先生は引退などしたの、まだ十分やれるのにもったいない」「いや、もう歳だから」、「歳なんて、そんなこと誰が決めたの、もう一度やるように奥さんから説得して!」。
 終始、彼女はそんなことを言い続けていた。なんとなく私は「嬉しい心」であった。
みんな上機嫌で盛り上り、別れがたい思いの楽しい宴となった。
 別れた後、夜中の11時半頃、思いがけず、水前寺さんから家内に電話があって、「楽しい会で本当に行ってよかった。先生に選挙に必ず出るように説得して!」。
 「ああ、せめてあと10年若かったら・・」、私の独白であった。
 翌朝、私の携帯電話に水前寺ご夫妻から、夫々、メールが届いていた。素敵な、心打たれる内容だが、プライベートな事だから、書けなくて残念である。

 彼女から貰ったCDの新曲「春の華」を早速聞いた。いい歌で特に3番が素敵だ。
 「夢があったね あの頃は  
 みんな貧しい 世の中で 
 昭和時代を 生き抜いた 
 意地も根性も 一本だ 
 花よ泣くなよ こころは春だ」

 思えば年月の流れは速く、もうこんな歳になったかとしみじみ思う。昭和時代を生き抜いて・・。朝から涙が出た。
 それにしても「出会い」とは、なんと素晴らしいものか。良い人たちを大事にし、出来るだけ会って、ともかく誠実に生きていきたいものである。