第286号「東日本大震災からもう1年」

深谷隆司の言いたい放題 286号
「東日本大震災からもう1年」

 本当に時の流れは速い。死者1万5854人、行方不明者3155人、原発事故も含めて未曽有の災害であった。
 丁度私の叙勲祝賀会がホテル・ニューオータニで開かれた翌日の事だけに、余計強い印象をもっている。参加者のうちの何人かは被災者になった。
 祝賀会で司会を務めてくれた生島ヒロシ氏は妹さんを失っている。私が郵政大臣の時に仕えてくれた仙台の竹内廣氏も、その日のうちに帰宅し、翌日、私に手紙を出そうと郵便局に行く途中、被災を受けた。
 ただ嬉しいことは、こうした人たちが誰をも恨まず、元気に頑張ってきたことである。

 1年目を迎えた3月11日、竹内廣氏からはがきが届いた。
 「生涯指導ありがとうございます。時にこの一年は私ばかりでなく家族の命をも支えていただき一生忘れません。ありがとうございました。すべてユネスコを通じ「記憶遺産」に登録いたしました。頑張っている「石巻の力」を少しお届けいたしました。正宗もよろしくとのことです。」
 竹内氏は元仙台郵便局長を務めた人で、全くユニークで愉快な人物、毎週のように手紙やはがきを送ってくる。私も随分出しているが、筆まめさではかなわない。
  震災で苦労している時でも常に前向きで、苦労をジョークで吹き飛ばす勢いだ。
  震災以来、私も機会あるごとに応援してきたが、驚くほどの事ではないのに、いつも感謝の手紙を寄せる。むしろ私の方が感謝しているぐらいである。
  なかなか洒落が達者で、素人には分らない向きもあるので、このはがきに少し説明を加えたい。

 ユネスコへの登録とは、勿論、「世界遺産」に絡ませての冗談で、感謝の気持ちを記録したいということだ。
 「石巻の力」とは、別便で送ってくれた笹かまぼこのことである。
 「正宗もよろしくとのことです」は、まさに今回の圧巻ともいうべきもので、少し詳しく書き添える必要がありそうだ。
 
 仙台藩初代藩主伊達正宗は、今も地元の人々の誇りである。
 独眼竜だが天下一の伊達男で、文武両道に優れていた。(伊達家の部隊の戦装束は絢爛豪華なもので、そこから派手な装いの者を伊達男と呼んだ)

 彼の趣味は多彩で、能や和歌は勿論、料理も得意であったから、食料の研究開発にも熱心で、凍り豆腐や納豆、味噌の大規模生産体制をつくったりした。送ってくれた笹かまぼこはまさに正宗の考案と言われているのだ。有名な「ずんだ餅」も同様である。
 一方、料理についても、「馳走とは、旬の品をさりげなく出し、主人自ら調理してもてなすこと。」と書き残している。不肖私も料理作りが好きで、その事を竹内氏は知っているのかも・・・。

 彼からの説明で、私のブログでも書いたことがあるが、この正宗、戦国大名には見られない無類の筆まめな人であった。手紙をコミュニケーションの手段として上手に利用して「筆武将」と言われた。
 その頃、武家の出す文章は右筆(専任の書き役、秘書)に書かせるのが正規とされていた。
 正宗の手紙は現存するだけでも千通、実数は数千通と言われている。ちなみに織田信長の自筆は3通、豊臣秀吉は130通、徳川家康で約30通である。勿論少ないほど現在の価値は高い。
 竹内氏は、元郵政省の仙台局長、手紙推進第一人者だけに郷里の正宗が大好きで、それが彼を無類の筆まめ人にさせているのである。

 長くなったが、たった1枚のはがきで、これだけの中身になるのだから凄いではないか。

 前述のように時の流れは速い。遅いのは政治と行政の対応である。如何に東北の人は忍耐強いといっても我慢には限度がある。
「政治家、行政官よ、もっとしっかり迅速に頑張ってくれ!」
 伊達正宗も怒っているに違いない。