2012年02月04日
第272号 「元気に節分豆まき」
深谷隆司の言いたい放題 第272号
「元気に節分豆まき」
2月3日、節分の日、午前中は浅草寺、3時からは文京区の護国寺で私は豆をまいた。
若い頃は、招かれるままに、7〜8か所も回ったこともあったが、終わる頃はもう真っ暗で、疲れ切っていたことを覚えている。
大体、節分の豆まきは「年男」と決まっているのだが、政治家だからそんなことは言ってられなかった。
自前の裃姿だが、これは若い頃、浅草の2軒の料亭の女将からもらったもの、だから2着もある。
今はその店も無いが、粋で、気風のいい人たち、いわゆる贔屓筋の人達が、昔は居たものである。
今、自前の裃を持っている人はざらにはいないのではないか、着るたびに秘かな自慢なのである。
余談になるが、私が27歳で初当選した時、台東区橋場に住んでいた大谷重工の創設者大谷米太郎翁が健在で、赤坂の大谷庭園にテントを張り、当選議員全部を招き、浅草の芸者衆総出で祝賀会を開いてくれたものだ。
後にホテルニュ―オータニはその場所に建てられた。
今では考えられないような、大らかで剛毅な時代であったのだ。
私が行動する時は、いつも誰かが付き人になって一緒についてくれる。今回も中屋、和泉、石塚、桑原君らが世話をしてくれた。まるで老人介護だなと冗談を言いつつも、こころ楽しかった。
折角だから、少し薀蓄を傾けることにする。
そもそも節分とは、文字通り季節を分けるということで、立春、立夏、立秋、立冬と各季節の始まる日の前日に豆をまく。季節の変わり目に邪気(鬼)が生ずるので、これを追い払う行事が出来た。本来は宮中行事であったが、室町時代ごろから庶民の豆をまく行事が定着したようである。だから600年以上も続いているのだ。
なんで豆をまくのか、「魔滅」ということで1年の無病息災を願うというのだ。五穀の中で収穫量も多いし、蒔く時、音も粒の大きさも丁度いいという事らしい。豆を炒るのは、芽が出ることが不都合だからで、聞いてみればなんという訳でもない。
私の豆をまく勇姿?を見ようと、女房をはじめ家族が「追っかけ」になる。
終る頃、みんな集まれとの私の大号令で、今年も恒例の「浅草むぎとろ」で30人以上も集まってにぎやかな宴会となった。
松が根親方夫婦(高田みずえさん)、有名なクラリネット奏者の花岡詠二夫妻、北岡夫婦、津覇さん、八木さんなどに、付き人達、そして家族一同である。
松が根親方も豆まきの帰りだが、お相撲さんは四股を踏むようにして鬼を退治するということで、この日は引っ張りだこなのである。
去年もそうだが、途中から、麦とろの女将さんや3代目から、「せっかくですから各部屋で豆をまいてくれませんか、先生が顔を見せてくれれば、お客さんが喜びますから」と煽てられて、結局全部の部屋を回った。
松が根親方も高田みずえさんもいい人だから一緒についてくれた。
最初に入った部屋は、なんと毒蝮三太夫さんの部屋、私の熱心な応援者肥田木さん夫婦と会食中であった。
彼は亡くなった談志さんの親友で、私とも旧知の中、何度も選挙応援に来てくれた。地元の東泉小学校、竜泉中学校の卒業生だ。「俺も一緒に回るよ」となった。
洒落で、私が「弟子を連れてきた」と言って入ろうとなったが、何とも豪華な顔ぶれで、どの部屋もやんやの大喝采であった。
やっと自分の部屋に戻って、今度は花岡さんのクラリネットで私が弾き語りだ。芸術家とはおもしろいもので、じっとして居られなくて自分から何かやろうと言い出してくれるのだ。
この夜も随分飲んだな…。
人間大好き、特に親しい人たちと飲み語らうのが私の最大の楽しみである。
丁度、前日、山口病院の院長先生の定期健診で、「合格」と言われただけに一層気分よく酔えた。
さあ、厄も無事追い払った。
今年も頑張っていこうと、二日酔いの気配もなく、爽やかな心で、一人張り切っている私であった。
「元気に節分豆まき」
2月3日、節分の日、午前中は浅草寺、3時からは文京区の護国寺で私は豆をまいた。
若い頃は、招かれるままに、7〜8か所も回ったこともあったが、終わる頃はもう真っ暗で、疲れ切っていたことを覚えている。
大体、節分の豆まきは「年男」と決まっているのだが、政治家だからそんなことは言ってられなかった。
自前の裃姿だが、これは若い頃、浅草の2軒の料亭の女将からもらったもの、だから2着もある。
今はその店も無いが、粋で、気風のいい人たち、いわゆる贔屓筋の人達が、昔は居たものである。
今、自前の裃を持っている人はざらにはいないのではないか、着るたびに秘かな自慢なのである。
余談になるが、私が27歳で初当選した時、台東区橋場に住んでいた大谷重工の創設者大谷米太郎翁が健在で、赤坂の大谷庭園にテントを張り、当選議員全部を招き、浅草の芸者衆総出で祝賀会を開いてくれたものだ。
後にホテルニュ―オータニはその場所に建てられた。
今では考えられないような、大らかで剛毅な時代であったのだ。
私が行動する時は、いつも誰かが付き人になって一緒についてくれる。今回も中屋、和泉、石塚、桑原君らが世話をしてくれた。まるで老人介護だなと冗談を言いつつも、こころ楽しかった。
折角だから、少し薀蓄を傾けることにする。
そもそも節分とは、文字通り季節を分けるということで、立春、立夏、立秋、立冬と各季節の始まる日の前日に豆をまく。季節の変わり目に邪気(鬼)が生ずるので、これを追い払う行事が出来た。本来は宮中行事であったが、室町時代ごろから庶民の豆をまく行事が定着したようである。だから600年以上も続いているのだ。
なんで豆をまくのか、「魔滅」ということで1年の無病息災を願うというのだ。五穀の中で収穫量も多いし、蒔く時、音も粒の大きさも丁度いいという事らしい。豆を炒るのは、芽が出ることが不都合だからで、聞いてみればなんという訳でもない。
私の豆をまく勇姿?を見ようと、女房をはじめ家族が「追っかけ」になる。
終る頃、みんな集まれとの私の大号令で、今年も恒例の「浅草むぎとろ」で30人以上も集まってにぎやかな宴会となった。
松が根親方夫婦(高田みずえさん)、有名なクラリネット奏者の花岡詠二夫妻、北岡夫婦、津覇さん、八木さんなどに、付き人達、そして家族一同である。
松が根親方も豆まきの帰りだが、お相撲さんは四股を踏むようにして鬼を退治するということで、この日は引っ張りだこなのである。
去年もそうだが、途中から、麦とろの女将さんや3代目から、「せっかくですから各部屋で豆をまいてくれませんか、先生が顔を見せてくれれば、お客さんが喜びますから」と煽てられて、結局全部の部屋を回った。
松が根親方も高田みずえさんもいい人だから一緒についてくれた。
最初に入った部屋は、なんと毒蝮三太夫さんの部屋、私の熱心な応援者肥田木さん夫婦と会食中であった。
彼は亡くなった談志さんの親友で、私とも旧知の中、何度も選挙応援に来てくれた。地元の東泉小学校、竜泉中学校の卒業生だ。「俺も一緒に回るよ」となった。
洒落で、私が「弟子を連れてきた」と言って入ろうとなったが、何とも豪華な顔ぶれで、どの部屋もやんやの大喝采であった。
やっと自分の部屋に戻って、今度は花岡さんのクラリネットで私が弾き語りだ。芸術家とはおもしろいもので、じっとして居られなくて自分から何かやろうと言い出してくれるのだ。
この夜も随分飲んだな…。
人間大好き、特に親しい人たちと飲み語らうのが私の最大の楽しみである。
丁度、前日、山口病院の院長先生の定期健診で、「合格」と言われただけに一層気分よく酔えた。
さあ、厄も無事追い払った。
今年も頑張っていこうと、二日酔いの気配もなく、爽やかな心で、一人張り切っている私であった。

