言いたい放題 第264号 「大盃の祝宴で思う」

深谷隆司の言いたい放題 第264号
「大盃の祝宴で思う」

 1月10日、江戸消防記念会第4区の恒例の大盃の祝賀の宴に参加した。
 椿山荘の大広間に役袢纏の60人もの組頭等が勢ぞろいしている。私も彼等から贈られた赤袢纏を着て上座に座る。袢纏はいわば彼らの制服で、いなせで粋でかっこいい。私は消防記念会の顧問なのだ。
 
 消防組織の一つとして、町人による「火消し」が生まれたのは、江戸享保3年(1718)のことで南奉行大岡忠相の主導によるとされている。
隅田川から西がいろは47組(後一組増える)、東の本所深川担当16組であった。
 私の選挙区でいえば、台東区が第5区、中央区は第1区、そして今回呼んでくれた第4区が文京区なのである。
 古いしきたりに従って、若い衆4人が大盃を恭県々しく掲げて、上座から左右分かれて、お酒を順次注いで、一人一人がこれを受けるのだ。まさに杯を交わす、なのだ。
 次に3人のベテランが立って、祝いに「木遣り」を歌う。なんとも言えないしぶい小節の効いた独特のものだ。もとは作業唄なのだが全部で110曲もあり、今では東京都指定無形文化財になっている。
 私の関係している日本ユニホームセンターという団体があるが、私が紹介したことから、新年には毎年呼んでくれて、「木遣り」を聞くことが恒例になっている。今年も5日に行われた。

 江戸消防記念会の大きなイベントは、1月6日の出初式だ。ここで木遣りや「梯子乗り」を披露する。今年は残念ながら初めて梯子乗りで失敗して、頭がい骨骨折という、怪我人を出してしまった。
 今年のこの大会には、福島第一原発事故で活躍した、最大23メートルの高さから放水する屈折放水車など、131台の最新鋭消防車が終結した

 大盃の新年会には江戸消防記念会の小宮名誉会長が来ていて、始まる前、私の自治大臣時代の話題で盛り上った。
 実は彼と共に創ったのが、緊急消防援助隊であり、さらに大きな話題になったレスキュー隊なのである。
 1995年に起こった阪神淡路大震災は、死者6,000人、負傷者40,000人、家屋被害40万棟という大災害となった。
 その8月、消防も担当する自治大臣に私が就任した。
その時まで、大災害や特殊災害の際の消防応援体制が出来ておらず、指揮統制や運用面などで沢山の課題が残されていた。
 この時に小宮さんらの協力を得て、新しい制度を作り確立したが、それが前述の緊急消防援助隊やレスキュー隊だったのである。今日の報道で、いざという時の為に更にもう1隊増やすという嬉しいニュースが流れていた。
 
「あの時、この組織の発足に当たって、大消防訓練を晴海でやったね」というと、小宮さん曰く「いや、東京ガス跡地です」。
 この頃私も少し耄碌したか、確かに豊洲であった。
 天皇陛下もご臨席いただいて、私はもっぱら後ろから説明役であった。とても寒い、寒風吹きすさぶ中で、私は天皇のお身体が気になって、「陛下、どうかコートを召してください」と何度も申し上げたが、「いや隊員の方が努力しているのですから」と、頑として応じてはくださらなかった。勿論、私もコート無しで長い時間我慢した。私だけ何故か風邪を引いたことを覚えている。
 
 木遣りに耳を傾けながら、ああ、随分長い道のりを歩んできたものだなと、感慨一入であった。