深谷隆司の言いたい放題 第250号
心地よい「田原小100周年祝賀会」

 台東区立田原小学校が創立100年を迎え、12月3日記念式典と、祝賀会が催された。
 案内状を貰った時、はて、今から100年前はどんな状況であったかと、思いめぐらせた。乏しい知恵を駆使するより、こんな時は調べるに越したことはないと、大学や塾で教えてきた私は、早速、日本史を紐解く。
 私は自分で言うのも変だが、昔から割と勉強好きであった。やはり政治家よりも本当は教育者に向いているのかも知れぬ(?)。

 明治44年(1911年)の話題は面白いようにある。
 身近なところでは上野動物園に初めて「カバ」がお目見えとある。今ではもっぱら「パンダ」が大人気だが、当時は「カバ」に子供たちは大騒ぎしたようだ。
 遊郭吉原の大火など暗い話もあったが、東京市電(都電)が誕生し、お江戸日本橋が装いも新たにして開通式を行い、帝国劇場が開設されるなど華々しい時代であった。
 町のイルミネーションが装飾や広告として急速に普及し、銀座にはカフェ・ライオンがオープンした。
 当時の日本人の人口は5200万人と今の半分以下だが、東京を中心に近代化の足音が聞こえてくるようだ。

 明治維新後、我が国は1日も早く西欧に追いつきたい、外国に馬鹿にされない国を造ろうと、富国強兵に努めたが、そのためにも人材育成が急務と学校教育に力を注いだ。
 1872年に学制発布、翌年には東京師範学校付属小学校を皮切りに75年には全国に2万4000校の小学校が生まれた。
 但し、その頃の就学率は男子46%、女子17%とさびしいものであった。
 国はすべての国民に教育を受けさせる「義務教育」を目指したが、ようやく充実してくるのは、1900年代に入ってからで、1907年に小学校は6年制になり高等小学校は2年間となった。
 そんな時代に田原小学校が誕生した。なんと輝かしい歴史であろうか・・・。

 3日の午前中、祝賀式典が学校で盛大に行われたが、私は先約の為出席していない。手書きのお祝い文を届けたが、式典で発表されたと連絡があった。余談だが、出席して居たら、挨拶も紹介も無かったはずだから、「かえって良かっですね」と言われ、妙な気分であった。
 6時からの祝賀会には出ますと連絡していたが、父母会の役員がわざわざ来宅、「是非、乾杯の音頭をお願いしたい」と丁寧に申し入れてきた。
 私の秘書だった石塚区議会議員からも電話が入った。「祝賀会実行委員長から、深谷先生の挨拶は無いが乾杯をお願いしたいのでよろしくお伝えください」と連絡があったとのことである。
 どうやら来賓祝辞は現職の議員と決まっていて、私の挨拶は無いので主催者が気にしてくれたようなのだ。どんなに経歴を積もうと、政治家は無冠になったら、それが当たり前の事なのだが、そこまで気遣いしてくれる人たちの気持ちが何よりも嬉しかった。

 式典では、議員の挨拶が長く、しかも中身が無いので閉口した。民主党政権になって、近頃は政治家の質も落ちたものだなと秘かに思った。
 私は自民党政経塾の講義で「挨拶の秘訣は短く終わらすこと」といつも教えているのだが、これは他山の石だなと改めて思ったものである。
 鏡開きに私も登壇して、その後、いよいよ私の出番だ。
 司会者が、「乾杯前に一言ご挨拶を」と親切に付け加えてくれる。これも「嬉しい心」だった。
 「私には、この田原小学校に格別の思い入れがあります。ご存じのように私の自宅は田原町から駒形に至る大通りに面しておりますが、学校の校庭とも地続きなのです。
 6年前、ここに8階建てのビルを建てようとしました。私には3人の子がいてそれぞれが家庭を持っておりますが、全部呼び寄せて終の住家にしたかったからです。
 台東区役所の建築許可も取り、建設会社も決め、説明会に入ると、なんと田原小学校側から陳情がきたのです。
 「子供たちに空を残してください」と言うのです。
 なまじ反対と言われれば、私のことですからは建てたと思います。しかし、「生徒たちのために」と言う陳情には弱かった。
 私は思い切って半分の4階建てにすることを決意しました。40坪の4階ですから160坪の土地を捨てることになります。なによりも子供たちと住めなくなることが辛かった。しかし、今でも後悔しておりません。田原小学校が、そして子供たちが喜んでくれるなら、立場上、私が我慢すべきだと心得ているからです。(拍手)
 今では、周りは全部11階建てのビルが建ちました。私の家が一番低い。もう少し待てばよかったとは思いますが…(笑)。
 学校を発展させ、子供たちを立派に育てるためには周囲のみんなが心を込めて支えなければなりません。
 今回の創立100周年の祝賀会が、田原小学校をしっかり支え合う第一歩となりますよう心より祈念します。長い挨拶は致しません。以上を以てお祝いの御挨拶といたします。(拍手)」

 私の挨拶は2分半と短いものであった。しかし、言いたいことは全て網羅したと思う。私の経験でも、こんな短い挨拶の中で、300人を超える人々から拍手と笑いが素直に起こるなどということはめったに無かった。
 実は、色々の人の配慮に応えようと、事前に話の内容について入念な検討をしていたのだ。食事中も考えていて、「そんな怖い顔をしてどうしたんですか」と女房に言われたくらいであった。

 乾杯の音頭を終えて席に戻ると、次々に握手を求められた。教育委員の一人は、「教育委員は皆、先生のあの話を知っていますよ」と言ってくれた。

 私にとって久しぶりに心地よい「創立100周年の祝い」であった。