第236号「陳腐な野田所信演説」

深谷隆司の言いたい放題 第236号
「陳腐な野田所信演説」


 長年にわたって国会で総理大臣の所信演説を聞いてきたが、名演説家?との前評判の野田首相、これで2度目だが、あまりにひどくて、背筋が泡立つ思いだった。
 素敵な表現をなんとか作ろうとして、結果は女子高校生の演説会か、いやそれ以下の陳腐でお粗末なものになっている。

 仙台市に住む障害を抱えた若き詩人の詩の一節を引用しているのだが、かえって彼女の純粋な心を汚しているのではないかと思われて、申し訳ない気さえする。
 例えば、こんな言葉だ。
 「希望の種をまきましょう。そして被災地に生まれる「小さな希望の種」をみんなで大きく育てましょう。やがてそれらは「希望の花」となり、全ての国民を勇気づけてくれる筈です・・・。」
 これが一国の総理が平気で語った所信表明演説なのである。

 政治家の言葉は、常に感動的でなくてはならない。
 国民と共に、愛するこの国をどう立派に作り上げていくべきか、中身があって、具体的で、熱烈な本物の志が無くてはならない。よし、これならやれると国民を奮い立たせるものでなければならない。
 お涙ちょうだいの、柄にもないロマンチックな文言をいくら重ねても、国民の感動も共感も得られない。
 前回の「どじょう」発言は、彼の素朴さだと、善意に受け止められたようだが、世界の国々でどう訳せばいいのかと困らせたように、一国の総理としての表現としては適切さに欠けていた。
 政治にすべてを掛けて生きてきた私から見れば、あまりに軽々で全く良い印象ではなかった。

 なによりも中身が無さすぎる。
 就任以来、ひたすら安全を気にしすぎてか、あるいは無能なのか、肝心の重要問題はほとんどさらっとかわして通りすぎている。
 今、話題になっている「武器三原則」の緩和など、公明党を気にして言及しなかったと、もっぱらの評判である。
 もう期限ぎりぎりになっている環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加についても、「できるだけ早期に結論を出す」というだけ、なんと9月の所信表明演説と同じ表現ではないか。
 交渉参加の事実上の期限は11月中旬に迫っているアジア太平洋経済協力会議(APEC)なのに、である。
 もう野田総理が決断し指導力を発揮しなければならない時期の筈なのである。
 党内も含めて意見が分かれて混乱しているから、とりあえず当面の摩擦を回避しようと言う事であろうが、今に及んでも先送りだけでは、内外の信頼を失うだけである。

 国民注視の社会保障や税の一体改革についても全く言及していない。消費税はどうするのか。
 原子力発電所の再稼働についても触れていない。米軍普天間飛行場の移設など困難な課題も避けるだけだ。

 「政治家自身も自ら身を切らなくてはなりません」と言うから、国会議員定数の思い切った削減か、給与のカットでも打ち出すのかと思ったら、これは「与野党の議論が進むことを強く期待します」で終わりである。
 「私と政府の政務三役の給与を自主返納います」と胸を張ったが、前に書いたように、菅前総理が辞退していたものを、いつの間にか受け取っていて、それをまた返しますということなのである。立派でも何でもない。と言うより当たり前のことで、こんな程度の事を所信演説で大上段に構えて言うほうが可笑しいのである。

 臨時国会の課題として、震災復興、原発事故の収束、経済の立て直しを挙げ、その為に第3次補正予算案と関連法案の早期成立を訴えたが、東日本大震災から7か月以上も経っているのに復旧復興作業は大幅に遅れ、原発事故周辺の除染作業も滞っている。
 円高対策もほとんど手を打っていないし、打つ方途も示していない。先の見通しも真っ暗だ。
 要するに具体策は皆無で、いくら美辞麗句を使っても、国民にとっては夢も希望も無いのである。

 そんな状況の中で、冒頭で、「私達政治家の覚悟と器量が問われています」と言い、結びで、「すべての国民を代表する政治家としての覚悟と器量を示そうではありませんか」と言われても空しく響くだけなのである。
 江戸時代の儒学者の佐藤一斎の「春風を以て人に接し秋霜を以て自ら粛む」を挙げ、政治家や官僚のあるべき姿を説いているが、私から言わせれば、いま大事なことは「不言実行」だと思うが如何だろうか。

 野田総理、やる気があるのか無いのか、はっきりしてくれ。総理になったばかりで恐縮だが、駄目なら早めに辞めてくれないものだろうか。
 いくら待っても、「覚悟と器量」は元々無いようだから・・・。