サントリーホールがオープンして25周年を迎え、記念ガラコンサートが催された。
 家内と二人で出かけたが、このコンサートは常に正装で、私はタキシード、女房はドレス姿だ。

 このホールは創業110年の老舗洋酒メーカーサントリーが創建したものである。二代目佐治敬三社長が音楽文化事業を通じて社会にお返ししようと、かの世界的指揮者カラヤンの協力を得て作られた。今度、カーネギーホールとも提携することになったという。
 「やってみなはれ」精神で事業を拡げた創業社長鳥井信治郎氏は、利益三分主義を唱え、3分の1は社会にお返しすることをモットーにした。
 バブルの時代、企業によるさまざまな文化事業がはやったが、崩壊後は次々と撤退した。そんな中、森ビルに年間何億円もの土地代金を支払い続け、世界中の著名な演奏家、オーケストラを招いて赤字覚悟のコンサートを続けてきたのだから見事である。

 毎年催されるガラコンサートに、必ず私達は招かれた。故佐治敬三氏は私の後援会長であり、今は引き続いて佐治信忠氏が会長だからである。

 佐治敬三氏は、酔うと西部劇の「ローハイド」を演奏させ、馬の鞭の代わりにスリッパをパチンと勢いよく叩いて喜んでいた。事業の時の大胆さと酔った時の無邪気さが、私にとって堪らないほどの魅力であった。
 佐治信忠氏は長身で髭の似合う紳士だが、「ガハハッ」と大声で笑う、豪放磊落な人である。私が通産大臣現職で選挙に敗れた時、「引き続いて後援会長をお願いしたい」と言うと、「何を言いますか、当たり前でしょう」と笑い飛ばしてくれたが、その優しさに目頭を熱くしたものである。
 二代にわたって私は支えられてきたのだが、なんと幸せな事かと、改めてしみじみと思っている。

 さて、そのガラコンサート、相変わらず素晴らしく、6時から9時半まで、息も継がせぬほど盛り沢山で、しかも世界的音楽家の勢揃いであった。
 開幕は和太鼓、津軽じょんがら節、なんと三味線だけで八十棹という豪華さだ。津軽三味線は戦後急にポピュラ―になったものだが、70年代に三橋美智也のような民謡歌手が積極的に取り上げた影響が大きいという。頑張れ東北という思いが込められているのであろう。
 続いてはジャズで、世界的に有名なトランペット奏者日野皓正を中心にしたカルテットの演奏だ。つい数日前の私の喜寿の会で、クラリネットの花岡詠二氏が演奏してくれたばかりだから、これも心地よい。  
 ジャズはアメリカ南部のニューオーリンズが発祥の地で、奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちが、白人の音楽と接触したことによって生み出されたものである。
 私は特にジャズが好きで、三度もニューオーリンズを訪れている。かの地も天災で壊滅的な打撃を受けたが今はどうなっているのであろうか。

 東京交響楽団のオーケストラを背景に、次々と世界的に著名な人々が登場する。ピアノあり、フルートあり、ハープあり・・・。
 特に第二部では、ホール・オペラのスターたちが勢ぞろいで、バス、テノール、ソプラノ歌手が見事に歌い上げる。
 ありがたいのは、一般に知られている作品が多く、モーツァルトの代表作[フィガロの結婚]、ヴェルディの「リゴレット」、プッチーニの「ラ・ボエーム」、そして最後は「トウ―ランドット」で締め括るのだから憎いではないか。
 驚いたことに、世界的に有名なテノール歌手として活躍し、このホールでもたびたび出演したジュゼッぺ・サッバティーニが、50歳を機会に少年時代からの夢であった指揮者になって現れたことである。メリハリの利いた指揮ぶりが立派で、さすがだと感動したものである。

 第三部には中国の指揮者タン・ドゥン氏が自作の交響曲を披露したが、この中で使われた楽器が面白い。青銅製の鐘「編鐘」を用いるのだが、これは中国湖北省の村で紀元前433年の貴族の墓から発見されたものである。
 実は、湖北省には数年前に訪れていて、博物館で本物の鐘を女房と見ているのだ。ただ、さすがに西洋音楽に合わせるには少し無理があるとは思った。
 ひたすら、2400年以上も前の、古の中国の様子を思いめぐらせていたが、それはそれなりに素晴らしい趣ではあった。

 最後は恒例のエルガーの行進曲「威風堂々」を出演者全員と観客が一緒になって歌うのだ。
 毎年のことで、すっかりお馴染みになっている井上道義指揮者が、身振り手振り大きく、華やかな指揮を執る。
 観客は総立ちになって、もう舞台のオペラ歌手になった気分で盛り上がる。

 かくて今年のサントリー・ガラコンサートは、名残惜しく終わった。
 冒頭書いたように、このコンサートは25回続いてきた。司会の若林真由美が「25回全部来た人」と問いかけると、女房が「はーい」と張り切って手を上げていた。私は大臣の時、どうしても時間が取れず1回だけ休み娘が代わりに出席している。
 初めて来たときは50歳の中堅代議士として張り切っていた。
 あれから馬齢を重ねて、今は喜寿を迎えている。年月の流れはなんと早いものか。まだまだ元気一杯だが、あと何回来られるのかな・・・。

 演奏会というのは、人生のあれこれを走馬灯のように思いめぐらすものなのだと、感慨深く思ったものである。