深谷隆司の言いたい放題 第219号
「喜寿を迎えて」

 今日は私の誕生日だ。76歳、喜寿だという。
 喜寿は77歳だと思っていたが、この場合は「数え歳」でいくのだそうで、なんだか1年損をしたような心地である。
 色々な人から「おめでとう」と言われて、悪い気はしないのだが、とうとうこの年になったのかと、改めて年月の過ぎ行く速さに、戸惑っている。
 
 何よりも嬉しいことは、女房を中心に家族全員が健康で元気だということだ。
 可愛い孫たちが5人もいて、おじいちゃん、おじいちゃんと大事にしてくれる。
 一番下の隆元は、来月で1歳になるが、もうよちよち歩きを始めている。誕生日には1升餅を担がせて転ぶ真似をさせなければならない。今の人にはわからない古い習慣だが、後期高齢者だから私や女房にはわかるのだ。
 幸い嫁も、古い習慣だと馬鹿にしたりはしない。他の様々な事柄でも「経験の中から生れた生活の知恵ですね」と素直に受け入れてくれる。

 一つだけ気がかりは、女房の姉恭子が入院中ということだ。幸い杏林大学病院で、松田理事長やご子息の手で必死の治療を受け、確実に回復しつつある。
 彼女は私と同い歳、最初救急車で運ばれた他の病院で「何しろ高齢ですから」と言われた時はドキッとしたものだ。なんとか全快させたいものと祈り続けている。

 私の方はまさに絶好調で心身ともに健康である。
 とはいえ、実は1か月前、暴飲暴食がたたって「びらん性胃炎」になり、山口先生の病院で点滴を受けたりもした。
 わずか1週間自重して酒を断ってみたら、なんと血液検査で満点の成績で周囲もびっくり、全ての原因は自分でも改めてよく分かった。
 どうせならこの機会に減量も徹底してやろうとなって、呼吸法を取り入れた新たな体操を始め、これにかねてからやっていたタップダンスにも一層励んで、ついに3キロ減量に成功した。
 この数日、皆さんから痩せたと言われてご満悦だったが、中には具合でも悪いのかと心配された。やっぱり歳なのかなあ・・・。

 今、この長いようで短い76年を、静かに振り返り感慨無量の思いがする。
 昭和10年生まれだが、まさに戦乱の時代で、第2次大戦の日本の敗戦は遠く満州の地で迎えた。
 もう日本へは帰れないだろうと子供心に思ったものだが、昭和21年、無事日本に引き揚げることが出来た。
 長崎佐世保に上陸したのだが、大人たちは日本の大地を踏みしめ、中には地面に頬をつけて泣いていた。
 祖国があるということがどんなに素晴らしいことか、この国の為に尽くしたい、と漠然と思ったのが、私の政治家を志した原点であった。

 高校生の頃、「20代で区議会議員、30代で都議会議員、40代で国会議員、50代で大臣、60代で天下を握る。」と、そんなプランを立てたものだ。
 27歳で区議会議員になった。33歳で都議会議員になり、37歳で予定より早く国会議員に当選した。
 国会議員は9期やり、5つの大臣に就き、自民党総務会長も務めた。
 総務会長は私が35代目だが、先輩には左藤栄作、中曽根康弘元総理等錚々たる人々の名が連なっている。
 こう書くといかにも順調に来たようだが、私の選挙区ではいつも現職が落選し、当落を繰り返す不思議なところで、私はなんと6回も落選し長い浪人生活を余儀なくされた。
 天下を握ることは出来なかったが、まあ、ゼロから出発したのだから満足しなければならないと思う。ただ、まだまだやるべきことがたくさん残っていて、そのことが気がかりではある。

 喜寿を迎えて、ことさら心に期すべき大げさなものは無いが、どんな境遇にあっても、政治に対する思いを大事にして、常に厳しい発信を続けていくこと、そしてこれからこの国を支えてくれる若者をしっかりし育てていくことが私の役割だと思っている。
 親からもらったこの身体を大事にし、少しでも長く生き、友人知人の為に役立つよう心がけ、そして何よりも、こよなく愛してやまない女房家族を大事に暮らしたいと思っている。
 今日は、私にとって、ちょっとした新たな人生の出発の日でもある。