言いたい放題 第203号 「坂の上の雲」をたずねて

 徳島の阿波踊りを満喫した翌日、私達は四国高知と徳島を流れる吉野川の上流大歩危「おおぼけ」に向かった。
 上流に行くと、この大川は4メートルと小幅になり、必然激流となる。ここを登りきった鮎が身も締まっていて最高だという。来代県会議員が私達の為に、友人の楠本氏に頼んで、ここで釣りたての鮎を食べさせようと計画してくれたのである。
 案内された「鮎戸瀬荘」は天然鮎料理自慢の民宿で、出された鮎尽くしは、文句なしの絶品であった。焼きあがった鮎の身を箸で丁寧にほぐして、尻尾を切り、頭から骨ごとすっぽり抜く、こんな芸当は久しぶりだ。よほど新鮮でないと出来ない。
 昼からの地酒も堪らない。人情と自然と美味の鮎のもてなしを堪能して、名残惜しげに徳島を後にしたのであった。

 2時間半掛けて、「坂の上の雲」のまち松山に入った。
 愛媛県には参議院選挙の応援に来たが、あれから3年ぶりである。私の親戚もいる。
 今日の宿は「ホテル奥道後」だ。
 このホテルを作ったのは、かの有名な四国の大将といわれた故坪内寿夫氏である。今では知る人も少ないが、倒産寸前の佐世保重工業の再建等を頼まれ、これらを次々と成功させ一躍時の人になった。松下幸之助や本田宗一郎とならび称されるスケールの大きい怪物であった。
 作家の柴田練三郎の「大将」や藤本義一の「天井知らず」の小説に描かれている。
 ホテルの入り口は普通なのだが中に入って驚いた。坪内氏の音頭で世界一長い、350メートルもあるロビーになっているのだった。

 今回の旅の一つの楽しみは、このホテルの総括支配人高瀬良氏に会うことである。実は彼は、今から40年も前、私が初めて衆議院議員に当選したとき、なんと私の事務所でアルバイトとして働いていたというのだ。
 秋田氏は前述のように元NHKの敏腕記者、関連会社の社長を経て、今は顧問として悠々と暮らしているが、昔とった杵柄、その調査取材ぶりは見事の一言に尽きる。
 高瀬氏との再会はあらかじめ秋田氏から報告を受けていたのだ
 高瀬氏は当時19歳の学生であったが、話をすると、びっくりするほどその頃のことを鮮明に覚えている。
 和美、貴美子など妹の名前、杉山、有馬、妻鳥といった今は居ない古い秘書の名前などが次々と出てくる。
 「実は先生に髪を切れと言われたことがあるのです」。
 今ではすっかり髪は後退しているので、あわてて笑いを堪えたが、「ビフォー、アフター」と書いた写真入りの新聞まで持ってきて見せてくれる。確かに長髪であった。
 全く気のいい人で、私も家内もわずかの間にすっかり昔に戻ったような感覚になっていた。
 「先生はちっとも変ってないです」と言った後、「よくテレビで見ていましたからそう思うのですね」と付け加えた。それは言わなくてもいいのだが・・・・。
 あの頃、私は37歳の青年だった。今、来月29日で76歳、随分長い道のりを歩いてきたものだ。色々な事が走馬灯のように私の脳裏をよぎっていった。
 夜の食事には、ホテルの一色誠社長も同席してくれた。
 翌朝、昨日の宴は社長の奢りですと聞いて、また友人が増えたようで嬉しかった。
 出会い、めぐり合い、歌の文句ではないが「人生って素敵なものですね」としみじみ思った。

 16日、ゆっくりとホテルを出て、高瀬氏の案内で県立松山北高校を訪ねた。
 この学校の前身は私立北豫中学校で、秋山好古陸軍大将が郷土愛から異例の転身をして校長になった学校である。
 司馬遼太郎の長編叙情詩ともいうべき「坂の上の雲」はNHKのドラマになって多くの人々に知られている。
 私は早くからこの小説を、当時客員教授をしていた東洋大学でも、塾長を務める自民党政経塾でも熱をもって語ってきた。 
 明治の夜明けとともに、日本は様々な苦難の道を辿ってきたが、その歴史の中で、我々の先輩たちがどのような思いでこの国を愛し支えてきた事か、そのことを少しでも伝えたいと思ったからだ。
 とりわけ日清日露の大戦は、日本の歴史の大きな節目ともいうべきもので、アジアの小さな国日本がまさに世界に躍り出た舞台であった。
 日露戦争で秋山好古率いる日本の騎馬隊は、世界無敵といわれていたロシアのコザック騎馬隊を撃退した。フランスに留学して学んだことを生かしたのである。
 案内役の日本史を教える山崎教諭は、「八十周年記念館」にある資料を基に、丁寧に説明してくれる。見るからに穏やかな方だが、如何にも郷土の誇りを語ろうとする熱情が感じられるようで嬉しかった。
 秋山校長の教えは「質実剛健」「文武両道」「外国の重要性、語学を学べ」であった。

 一方、弟真之は海軍兵学校を首席で卒業し、日露戦争では東郷平八郎元帥率いる連合艦隊の先任参謀としてすべての作戦を立案、バルチック艦隊を撃滅させた。彼もアメリカに留学し広い知識をもっていた。
 高い教養と文才に恵まれ、バルチック艦隊を発見したときの電報に加筆した「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」はあまりにも有名である。

 NHKドラマ「坂の上の雲」は再放送され、12月4日からは第3部、完結編が放送される。
 本木雅弘、阿部寛、香川照之等いい顔ぶれだから、きっと大きな話題になると思うが、特に若い人たちが日本の良き歴史に興味を持ってくれる好機になって欲しいと思っている。

 昼は「五志喜」という店で食事。この地の名物「鯛そうめん」が供されたが、これがまた最高のあじであった。
 東京を出る時から、女房は風邪気味で体の調子が悪かった。肺炎一歩手前と主治医の山口先生から宣告されていただけに心配していたが、食欲旺盛、おいしそうに食べている。
 人の優しさ、地方に残る素晴らしい祭り、日本の歴史を彷彿とさせる話題、そして何よりもおいしい料理の数々で、すっかり健康を回復したようだ。
 女房の具合の悪い時は、又連れて来よう。

 徳島での初日、秋田氏の兄秋田忠節氏の家に伺った。なんと、私が郵政大臣の時に書いた画仙紙が立派な額装で飾られていた。同級生だった愛妻と温かく迎えてくれたが、その何気ない対応の中に深い愛情が込められていた。
 「夢を求めて、生きることの、楽しさよ」
 私の書いたこの言葉を、私はいつも大切にしている。
 ともかく、たったの二泊なのに、中身の濃い充実した旅であった。
 ひたすら、全ての人に感謝、である。