今、国連の潘基文事務総長が日本に滞在中だ。被災者の慰問など精力的に飛び回っているが、彼の一番の来日目的は、9月下旬に行われる国連会合に、日本の首相に出席して欲しいということだと私は思っている。
 東日本大震災がもたらした被害の中で、世界中が最大の関心を持っているのは原子力発電事故である。
 潘事務総長は、原発の国際安全基準をなんとか強化したいと考えているが、そのためには福島第一原発事故の当事者である日本の参加が絶対に必要と思っているからである。

 世界中が関心を持つような大問題が起きた時、その当事国の責任者は、自国の体験を率直に伝え、同じ災いが再び起きないように喚起する責任がある。形は違うがこれも大事な国際貢献の一つなのだ。

 私にも同じような経験がある。
 平成7年、私は国家公安委員長兼自治大臣を拝命した。
 前任者の野中広務氏の時に起こったのがオウム真理教による地下鉄サリン事件だが、私は国家公安委員長として事後処理に追われていた。
 この事件を一種のテロ事件ととらえた世界各国は、その実態を知りたいと熱い視線を日本に寄せていた。
 すでに6月にハリファックス・サミットでテロ対策に関する国際協力の強化が論じられ、日本に対して指導的立場で参加してほしいとの強い要請が来ていた。
 そこで私はその要請にこたえる為に、12月、カナダのオタワで開かれたテロ対策国際会議に参加したのである。
 当時、野党の戦略に、国会中は大臣を海外に出さないという妙な対応があって、抜け出すのにずいぶん苦労したことを覚えている。
 会議では、私は2回も基調講演を行い、様々な質疑に応えたが、まさに会議の主役であった。
 自国の悲しい事件の為に主役になるのは残念ではあったが、最後に採択された「オタワ宣言」の随所に私の経験や提言が生かされていた。
 テロ問題は、近年いよいよ複雑多岐になっていて、いわゆるボーダーレス化が著しい時代だけに、国際的枠組みがこの時に生まれたことは、本当に意義あることであった。
こうした会議でもう一つ大事なことは、各国の大臣同士で頻繁に個別の会議がもたれることである。
 当然、各国は懸案の問題を各々抱えている。それをこのような機会に大臣同士で率直に語り合い理解しあうことは、大事な外交なのである。

 さて、潘事務総長の要請に、菅首相はどう答えたのか。なんとも答えようがなかったのである。
 いうまでもないことだが既に菅首相は辞任を表明している。その条件の一つになっているのが特例公債法案で、与野党協議の真っ最中、まさに山場を迎えていたからだ。
 オバマ大統領からも9月上旬、菅首相はアメリカに招かれていたが、この公式日程の調整もできていない。どうやらアメリカ側が拒否しているらしい。

 今、世界中が金融危機を迎え大混乱になっている。その原因は、世界経済を引っ張ってきたアメリカの政府債務問題である。
 債務上限の引き上げこそ期限当日の8月2日に決着したが、同時に決まった赤字削減案は今後10年で2.4兆ドルと中規模で、当初の4兆ドルとは程遠かった。
日本も今、底なしの円高に苦しんでいる。
 4日には、日本政府と日本銀行が「円売りドル買い」の単独介入に踏み切ったが歯止めにならず、8日には、主要7か国財務相、中央銀行総裁が、市場安定化を目指す共同声明を出した。これも目下は大した効果を上げてはいない。
 欧州も動きは鈍いし、このまま米欧が景気後退に入っていったらどうなるのか、事態は本当に深刻なのである。

 こんな時こそ先頭に立って働くのは、首相及び内閣でなくてはならない。
 しかし、日本の為替介入の時でさえも首相は直接関与していない、ということが委員会の質問の中で分かった。
 驚いたことに、「お盆明けに大挙して大臣が辞める筈」とテレビで得意顔で公言する政務官も現れた。例の中山某政務官である。
 書きたくもないが、一体、この男何を考えているのか。過日、菅首相から副大臣を依頼され、唯々諾々と承知したくせに、わずか数十分後に「なかったことにしてくれ」と言われると、豹変して「辞めろ」コールだ。ならば最初に断ればいいのに、恥の上塗りではないか。
 又、早速、鳩山由紀夫元首相が現れて、一緒になって「早く辞めろ」という。
 はっきり言って、民主党の連中が自分たちで選んだ首相ではないか。彼らが、世間に向かって「辞めろ」と言う資格はない。彼を選んだ責任を取って、まず自分から辞めるのが筋ではないか。
辞めたい大臣はさっさと辞めればいいのだが、その大臣もなんだかんだと言って居座っているのだから話にもならない。

 辞めろコールの中、知らんふりを極め込んで、ただ延命を図ろうとする菅首相、もはや日本には司令塔も無ければ、内政、外交もない。
 民主党を潰すしかない。せめて菅首相を一刻も早く引きずりおろせ、辞めさせなければ日本がダメになる。
 自民党よ目を覚ませ! 頑張ってくれとひたすら願うのみである。