8月6日から2泊3日で、倅隆介一家を連れて大磯ロングビーチに出かけた。
 それぞれのクラブ活動があったりして孫の方が忙しい。
 私と女房はいつでも行けるのに、子や孫に合わせようとするとなかなか日程が決まらない。なんだか立場が変わり、そんな時代になったのかと、ちょっと寂しい思いもする。

 初めて、大磯ロングビーチに行ったのは、今から41年も前のことで、社会保険労務士として活躍している川口義彦さんが茅ヶ崎に住んでいて、私たち一家を招いてくれたのであった。
 東京都議会議員に当選したばかりの頃で、大磯にこんな素晴らしい場所があったのかと驚いたものだ。
 プリンスホテルに泊まれるようになったのは、それからしばらく経ってからのことである。

 私の中学生の時代は、泳ぎと言えば、もっぱら隅田川だった。今では考えられないが当時は水もきれいで底が見えるほど澄んでいた。
 両岸では釣り人達がハゼ釣りに興じていて、私たちは仲間と白髭橋や吾妻橋の欄干から飛び込んでいた。悪童達ばかりだったが、年かさの者は飛び込みを教えてくれたものだ。
 日本がまだ敗戦の痛手から立ち直っていない頃のことだが、やがて目覚ましい発展と共に、皮肉なことに産業廃液などにやられて、みる間に川は汚れてしまったのである。
 後に隅田プールが出来てからは、高さ10メートルの飛び込み台(オリンピック公式飛び込み台の高さ)から競い合うようにしてダイビングしたものである。かなり本格的な高飛び込みであった。

 やがて大磯ロングビーチは、我が家の夏の恒例の場所となった。
 私の得意のダイビングを家族や、特に子供たちに見せたくて、そして秘書や応援者まで誘ったものだった。私は元々見せたがり屋なのだ。
 今の人達で飛び込み台からきちんとダイビングする人は全くいない。悲しいことに皆足から飛び込むだけだ。度胸が無いのではなく、教える人がいないのだ。いいかえれば、いい意味の悪童たちが居なくなって、みんな小利口になってしまったのだ。
 ちなみに、私が郵政大臣の時、沖縄で大勢のマスコミ人の見守る中、ヨットのマストのてっぺんから高飛び込みをやって、やんやの喝采を浴びたことがある。当時すでに54歳であったが、毎朝5キロ走っていて筋骨たくましく、自分で言うのもどうかと思うが体型も絶好調であった。その時の雄姿?は、産経新聞の記者が撮ってくれていて、唯一の証拠写真として今も手元にある。

 この大磯ロングビーチには、色々な思い出がある。
 一番に挙げたいのは、やっぱり「人命救助」で表彰されたことか。
 平成4年8月16日、大磯の波打ち際で遊んでいた時、波にさらわれた男性2人を発見、娘恵理とそのまま海に飛び込んで1人を無事救助した。その日は台風の影響で5メートルの高波であった。
 1人高波にさらわれた青年の為に、必死に救助隊に連絡したが、ヘリコプターまで呼んだが間に合わず亡くなった。それが最大の痛恨事であった。
 大磯警察での表彰式の日、テレビも入って報道されたが、身内の人は最後まで名乗りを上げなかった。人の心ってそんなものかといった、今でもちょっと、心にわだかまりが残っている。
 その後、しばらくして私は村山内閣で、国家公安委員長、自治大臣を拝命した。人命救助とは何の関係もないが・・・・。

 大磯プリンスホテルの近くに、別館になっていた「滄浪閣」というホテル直営の中華料理店があった。立派な由緒正しい建物で、味も良く、何よりも、その歴史的歩みに惹かれて、しばしば通ったものである。
 ここは旧千円札で知られる、いや、わが国最初の総理大臣伊藤博文の私邸である。伊藤公がここに邸宅を移したことから、この地区に当時の政界、財界などの人々がこぞって別荘を建てた。
伊藤博文は明治42年、ハルピンで暗殺されたが、ハルピンから戦後引き揚げて来た私にとって、特別な思いがあったことは言うまでもない。
 残念ながら、平成19年プリンスホテルから売却された。

 更に少し行った処に旧吉田邸があって、ここも西武鉄道が1969年に買収していた。
 言うまでもなく、ここは吉田茂元首相が住んでいた邸宅で、戦後政治史の舞台の一つである。かつては、政財界の大物が意見を求める為に通い、これを「大磯参り」と呼んでいた。79年には大平正芳首相とカーター大統領との首脳会談も行われている。
 国会からここまで一直線の道路を作って、「ワンマン道路」と呼ばれたが、今は東名、小田原厚木高速道路が出来て、ほとんど死語になっている。
 特別の依頼によって、ここでプリンスホテルのシェフを呼んで食事をすることもできた。
 私は何度かここを使って、客人をもてなしたことがある。政治家の一人として往時をしのび、あれこれ語り合うことが楽しかった。
 ところがなんとこの吉田邸、神奈川県が2012年度からの一般公開をめざし、西武鉄道から敷地を買い取って整備する計画の直前全焼してしまったのだ。
 実はこのところ、県内の歴史的建造物が消失する火災が後を絶たない。旧住友家俣野別邸、旧モルガン邸がそうだ。湘南には旧政界人や文化人の別邸、庭園が多く、相模線沿いには千五百から二千あるともいわれている。こうした遺産が失われていくのは何とも残念ではないか。
 いずれにしても、世の中の変化と共にさまざまなことが変わっていく。久しぶりの大磯ロングビーチで感慨無量であった。

 倅や孫を相手に、この2日間随分泳いだ。負けてたまるかとかなり無理していたが、心臓は早鐘を打ち、50メートルも一気に泳ぐと心臓麻痺直前と言った体たらくぶりだ。
 孫の隆仁は小学校2年生だが、水泳教室に通っているからなかなかなものだ。スパルタ指導とばかり、何度も水中から放り投げたが、投げても投げても這い上がってくる。何度もいい気になって繰り返したら、最後は首が痛いと、少し筋を痛めたようだった。
 一晩中、大丈夫かと気になって、可愛そうなことをしたものだと反省ばかりでなかなか眠れなかった。
 帰宅してからも、黙って様子を見ていたがすっかり元気でほっとした。

 夕食時、みんなでビデオを見たが、私のクロールは少しも衰えてはいない。皆が、「立派」と拍手だった。
 ところが、プールから上がった己の姿には驚いた。腹がすっかり出ていて、思わず「消してくれ!」
 スポーツクラブにも通い、よく歩くし、特に今はタップダンスの練習にも熱を入れている。
 友人から痩せる薬までもらって飲んでいるのに・・・・。
 やっぱり食べ過ぎ飲み過ぎがいけないのだ。
 でも、わかっちゃいるけどやめられないのだから仕方がない。まあ、後何十年も生きられるわけでもないのだから、いいか・・・・。

 女房、しみじみ曰く、「貴方のおなかは筋肉です」。
 結婚48年、やっぱりいい相棒なのです。